学園艦誕生物語   作:ariel

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第12話 名前

1954年 12月末日 東京 民主党 幹事長室

 

 

その年の12月10日、戦後長く続いていた吉田内閣が倒れた。その後を継いだのは、岸の盟友鳩山一郎だった。そして岸も大方の予想通り、民主党幹事長となり政治の中枢に返り咲いた。また、これまで長きに渡って日本銀行の総裁を務めてきた一万田尚登が民間出身ながらも大蔵大臣に就任した。池田勇人、佐藤栄作等は政権に参加していないが、これまで学園艦計画に水面下で動いてきた者達が表舞台に立つ日がやってきたのだ。新たに総理大臣として指名を受けた鳩山は、その所信表明演説で初めて学園艦計画を公表した。またこの鳩山の所信表明演説を受けて、旧連合国はおろか、ソ連までもがその計画への賛同を表明し支援を行うとの声明が各国から発表された。

 

『学園艦の第一号艦は鈴鹿の新設ドックで建造される』。そのニュースが駆け巡るや否や、大量の報道陣が鈴鹿に詰めかけ、連日地元はお祭り騒ぎになっているようだ。またマスコミの論調や国民の反応も上々で、世界初の試みに新生日本が果敢に挑戦する様を見て、終戦で失っていた自信を取り戻しつつあった。いよいよ学園艦が現実になりつつある中、池田美代子は民主党幹事長 岸信介に呼び出されていた。学園艦一号艦をどのように池田流が運営していくのか、この事について相談があったのだ。

 

「岸さん、いよいよですね。こうやって学園艦計画が表に出て、そこで戦車道を大々的に行う事が公表されてから、私達池田流には入門希望者が殺到しています。また、アメリカから日本の戦車が返還される事も決まったようで、私達池田流も完全に息を吹き返す事が出来ました。感謝の念に耐えません。」

 

「いやいや池田さん、それも元を正せば、あなたの旦那さん達の希望から始まった服部君や辻君達の尽力の賜物です。私が行った事は、本当にそのお手伝いだけ。しかしこれからあなた達は、とても忙しくなるでしょう。他人事ながら同情しますよ(笑)。」

 

ここまで来れば、最初の学園艦までは一直線だろう。既に建造も始まり、計画は始動している。今の段階で特に問題が出てくるような事はない。少なくとも岸はこの時点ではそう考えていた。第一号艦が完成して、数ヶ月の試験運用が終わり問題が洗い出された後には、第二号艦の建造が鹿島の新設ドックで始まる事も決定している。こちらは西住流が管理することが内々で決まっており、ドイツから提供された設計図を元に計画が進められているようだ。なんでも乗員10万人規模の巨大艦を計画しているようで、この巨大計画を陳情された時は、流石の岸も苦笑した。

 

「ところで池田さん、まだ大事な事を決めていなかった事を思い出しましてね。今日はそのために呼んだのですよ。名前です。まだ、学園艦に載せる学園の名前が決まっていないのです。」

 

そう、ドック建築計画や学園艦建造計画、各国への根回しに明け暮れていたため、まだ名前が決まっていなかったのだ。

 

「どうしましょうかね?池田学園にでもしますか?」

 

「いえ、学園の名前は、ずっと歴史に残る物です。そのような物に人名は…池田流という流派でこの学園の始動は行いますが、将来これが変わる事もあるでしょう。そうなると、池田学園は適切ではないと思います。…そうですね、折角ですから少しハイカラな名前で『チハ』を使えないでしょうかね?漢字で『知波』、どうでしょうか。」

 

なるほど、戦車から名前を取ったか。それに、知恵の波という漢字は良いだろう。知波学園か…悪くはない。岸は感じた。

 

「たしか以前、最初の学園艦は試験艦だと仰っていましたが、試験艦ということは、そのうちきちんとした艦に私達は移動する事になるのでしょうか?もしそうであれば、試験艦の間は機甲科単科の学園ですから、『知波機甲科学園』とでもなりますね?」

 

「いや池田さん、流石にその名前だと、軍備反対派の自称平和団体の視線が厳しい。そうだね…『知波単科学園』…いや、単科と書くと何の単科か追求されそうだ…いっそのこと、省略して『知波単学園』でどうかね?まぁ、なんというか語呂も良さそうだろう。」

 

岸が答える。昨今、学園艦建造計画の発表以降だいぶ静かになってきたが、軍備反対派のデモは未だに絶えない。だとすると、わざわざ名前で刺激する必要もないだろう。どうせ試験艦を用いた一定期間の試験が終わり、本格始動で艦を移動する頃には単科ではなくなり知波学園になるだろう。とりあえず仮名称であれば語呂のよい知波単学園で良い。

 

「とりあえず名前はこれでいいだろう。あとは学園艦を動かす時の指揮系統をどうするかだね。これは私の腹案なのだが…最終責任者が学園のトップでもある学園長、そして実際に船を動かす部門のトップとして艦長を置こうと思う。しかし、艦長は学園長の指示に従う形が良いと思う。また、艦上の行政部門なども基本的には学園長が全ての責任を負う形で最初は始めたいと思う。そこでだ、最初の学園長は池田さん、あなたがやりますか?」

 

岸が池田に尋ねる。岸の案では学園長はこの学園艦全てを取り仕切るトップだ。だとすれば、池田流が運営するこの学園艦のトップは家元自らが行う方が良いだろうと考えたのだ。しかし、池田の意見は異なっていた。

 

「いえ、私達池田流はあくまでも裏方に徹したいと考えています。今は戦車道を行う人間も少なく、その大半は池田流と西住流の人間です。しかし将来学園艦が増え、戦車道が広まった暁には、それ以外の流派も出てくると思います。今回出来る知波単学園は、それら他流派の人間も簡単に入学出来るようにしたいと思いますので、そのためには私がトップに就くのは望ましくないでしょう。私としては、知波単学園で使う事になる戦車などを戦中から準備してきてくれた細見閣下に学園長として就任して欲しいと思っているのです。閣下でしたら誰に対しても公平に学園を切り盛りしてくれるでしょう。」

 

「なるほどね。池田さんはあくまでも裏方に徹するのですね。分かりました。そこまで仰るのでしたらその案で行きましょう。まぁ、今回はあくまでも試験艦です。不都合が生じたらその時にまた改めて考えればよろしい。」

 

どうやら、池田流は完全に裏方に徹するようだ。最初の滑り出しの馬力が必要な時には問題があるかもしれないが、将来的にはその方が門戸も広げる事が出来て、良いだろう。それに、池田がそこまで信任している人間であれば、学園長としてきちんとした見識を持っているのだろう。ならば、全て任せてしまうのも一つの手だな…岸は考えていた。

 

 

 

1955年 1月某日 宮中

 

 

新たな年が始まり、民主党の総裁である鳩山一郎と幹事長である岸信介は、天皇陛下に新年の挨拶を行うため、宮中に参内していた。戦時中は完全に隠遁生活をしていた鳩山とは異なり、東条内閣の閣僚の一員であった岸は、戦時中から天皇陛下とは面識があり、それなりの信任を得ていたため、鳩山よりは気楽に参内していた。しかし後世、岸はこの時の自分の気楽さをとても後悔したと自伝に記している。

 

形式どおりの新年の挨拶が終わった後、陛下から鳩山と岸に御下問があった。この時同席していた宮内庁長官は2年前の12月に就任したばかりの宇佐美穀であったが、この御下問は事前の打ち合わせにないものであったため、少し驚きをもっていた。おそらく陛下が個人的に興味があることを、政権中枢の人間に御下問するのだろうな…と宇佐美は考えていた。

 

「ところで、岸、鳩山。近頃、巷では学園艦なるものが話題にあがっているようであるが、どのようなものか?」

 

岸は、陛下が学園艦の事を聞き及んでいて、しかも興味を持っている事を知り少し驚いたが、学園艦について既に決定していることを丁寧に説明した。また鳩山は、学園艦の教育理念について陛下に説明し、自分も非常に共感を持って個人的にも支援している事を説明した。それに対して、陛下は次のように答えたという。

 

「あ、そう。それは、面白そうな物だね。そのような教育は我が国の若者にとっても非常に良いものになるだろうし、海を移動する都市というのは非常に良いね。私も出来ればその艦を見て見たいのだが、進水式に参加させてもらえるかな?」

 

陛下の言葉を受け、岸はこれは拙い事になったぞと感じていた。通常の船の場合、進水式はドックから海に移動させる。従って、通常の進水式では陸上に陛下がお休みになられる休憩所を既存の建物の中に設置すればよい。しかし、学園艦は巨大すぎてそのような形での進水式は出来ない。おそらく、既に海上に浮かべた状態で艦上で便宜的に進水式を行なう事になるだろう。そうなった場合、陛下が式までの間お休みしていていただく場所が艦内に必要だ。実験艦で設計は未だ変える余地はあるが、今から陛下の休憩場所になる御部屋を用意出来るのだろうか?しかし陛下が希望している以上、なんとかするしかない。人間宣言をしたとはいえ、岸や鳩山にとって陛下は今でも現人神だったのだ。

 

「臣、鳩山そして岸、陛下の勅命享け賜りました。」

 

鳩山も岸も、その一言以外の言葉を発する事はできなかった。このハプニングが、学園艦第一号艦の進水式での事件に繋がり、岸にとっては痛恨の出来事になる。




ガルパンを見ていて私は一つだけ不思議だな…と思った部分がありまして…。大洗艦が廃校になる理由なんですよね。維持費の問題であれば、普通は古い学校から廃艦にしていくと思うのです。学園艦の形状を見ると、大洗艦は翔鶴型、知波単学園は三段甲板の赤城型。おそらく知波単の方が古いと思うんですよね。しかも、知波単学園も特に実績を残しているような雰囲気はありませんし(なんといっても、戦車道では最高でも全国4位のようですし)^^;。となると、知波単は絶対に廃校に出来ない理由があるのだろうな…と感じていました。ということで、この小説ではその理由を一人で作り出せそうな陛下に登場してもらう運びになったわけです。現在ではそうはありませんが、1950年代であれば、例え人間宣言をしても現人神だと思っている人は多かったと思うのですよね。

と言いますのは、以前佐々淳行の本だったと思うのですが、いよいよ陛下の病気が悪くなりいつ崩御してもおかしくない状態になった折、大喪の礼(間違いなく各国の首脳陣が集まる事が予想されていましたから、その際のホテルや移動、警備の手配は前もって準備しないと無理です。)を準備するに辺り、当時の首相竹下登にそれを打診した著者が、竹下総理から受けた言葉が非常に私は記憶に残っておりまして…

「そんな準備は不要だ。陛下が亡くなる事はない。陛下は神なのだから。」

当時は、1980年代でしかも首相ですよ?著者はその著書の中で、首相はおそらく骨の髄まで戦前の教育が残っていたのだろうと回想していますが、しかしこのように感じていた年寄りは結構居ただろうな…と思うわけです。となると、その陛下が何か理由を作っていれば、知波単学園は絶対に廃校に出来ないアンタッチャブルな学校となっていてもおかしくはないのですよね。以上、完全に私の妄想ですが、その妄想のために二次小説があるわけで…今回も好きな様に書いてみました。次回はいよいよ学園艦「知波単学園」の進水式になると思います。今回も読んでいただき、ありがとうございました。

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