魔法戦記リリカルなのはWarriorS   作:雲色の銀

38 / 45
第35話 許されざる罪

 機動六課フォワードチームが第94観測指定世界にてセブン・シンズ争奪戦を繰り広げている頃。

 陸士315部隊の隊舎では、部隊長補佐のチンク・ナカジマが突然掛かってきた念話に戸惑っていた。

 その念話の相手が現在起こっている獣人事件の首謀者、マルバス・マラネロだったのだ。

 

(何故貴様が……!?)

 

 315部隊の隊舎周辺は司令部のオペレーター達によって周辺は監視されており、容易に侵入出来るような場所ではない。

 それなのに何故チンクに念話を掛けてきたのか。チンクは突然の敵の出現に焦りながらも、すぐにラウムに知らせるべく動こうとした。

 

(あー、他の誰かに私のことを教えてはダメだよ。そんなことをすれば、この隊舎ごと君達を爆殺するから)

(なっ!?)

 

 しかし、行動はマラネロに読まれていたらしく、釘を刺されてしまう。

 普通ならば、隊舎ごと爆破するなんて無理な話である。だが、マラネロならばそれが出来てしまうだろう、と得体のしれない不安と恐怖がチンクの中にあった。

 

(……目的は何だ?)

 

 チンクは渋々立ち止まり、せめて敵の居場所が見つかるまで留めておかなくてはと話を続ける。

 

(勿論、君だよ。私は今、隊舎の裏に隠れている。大人しく一人で来てくれないか?)

(……分かった)

 

 マラネロに一人で近付くのは危険だったが、逆らえばラウムやノーヴェ達すら殺しかねない。チンクは大人しく頷いた。

 ただ、チンクも危ない目に遭いに行く訳ではない。

 チンクのIS"ランブルデトネイター"は手に触れた金属を爆発物に変え、自分の意志で爆発させることが出来るというもの。"スティンガー"というナイフを複数遠隔操作し、ISで爆発物に変えることで相手に触れることもなく倒す、というのがチンクの常套戦法であった。

 油断させ、ここでマラネロを捕まえることを心に決め、チンクはマラネロのいる場所に急いだ。

 

(マラネロ! 何処だ!)

 

 隊舎の裏側までやって来たチンクは、念話でマラネロの名前を叫ぶ。ところが、見回してもマラネロどころか人っ子一人もいない。これは罠かもしれないと、チンクは警戒を強め歩き出した。

 次の瞬間、チンクは首筋にチクリと何かが刺さる痛みを感じた。同時に振り向くとマラネロの姿が見えたので、すぐにナイフを投合した。

 

「中々正確だ」

 

 マラネロはチンクのナイフ投げを褒めつつ、自身もナイフを投げて打ち落とした。

 木の影から遂に姿を見せたマラネロに、チンクは更に大量のスティンガーを頭上に出現させ、マラネロ目掛けて放とうとする。

 しかし、ナイフは届く前に全てが落ちてしまう。操っていたチンクも急に身体の気怠さに襲われ、その場に膝をついてしまう。そこで漸く、首に刺さっているものが小型の注射器だと言うことに気付いた。

 

「けど、少し遅かったね」

 

 マラネロは注射器を動けないチンクの首から外すと、気味の悪い満面の笑みを浮かべながら監視カメラの方を向いて何かのスイッチを押した。

 すると、司令部側のモニターには先程までいなかったマラネロと倒れたチンクの姿が映し出されていた。

 

「こんにちわ~。ラウム・ヴァンガード君、早くここへ来ないと彼女の身がどうなっても知らないよ~」

 

 挑発するようにカメラへ話し掛けるマラネロを、チンクは忌々しい目で見ていた。

 もし、マラネロの目当てがこの薬を打ち込むことだけだとしたら、最初からチンクは罠に引っかかっていたようなものだったのだ。隊舎を爆破すると言うのも、ただのハッタリだろう。

 

「さて、私はそろそろ行くよ。これは私からのプレゼントだ」

 

 挑発を終えたマラネロは、チンクの前に謎のディスクを置いていった。

 見たところ普通のディスクらしく、爆発物ではなさそうだ。

 

「今から明日が楽しみだよ。ウヒャヒャヒャヒャ!」

 

 意味深なメッセージを最後に発し、マラネロは転送装置の光に包まれて消えた。

 ラウムが来てチンクを助けたのはそれから約10秒程後のことだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 数時間後。戦いを終えたスバル、ソラト、エドワードはチンクの元へと急いだ。

 チンクは315部隊の医務室で横になっていた。幸い、苦痛は和らいで意識もハッキリしているが、体内には何が入っているのか未だに分からずじまいだった。

 

「チンク、大丈夫!?」

「あぁ、心配かけたな……」

 

 ベッドの上で横たわりながら、チンクは不安げなスバルを落ち着かせる。

 315部隊にいたギンガ達も今は隣で大人しくチンクの様子を看ていたが、チンクが運び込まれた時は特にノーヴェが取り乱していた。強く慕っていた姉が重体で倒れていたのだ、心配しないはずもない。

 

「ラウムさんは?」

「ラウム隊長なら、執務室よ。ただ、今はそっとしてあげて」

 

 ソラトがこの場にチンクを運んできたラウムがいないことに気付くと、ギンガは神妙な面持ちでラウムの居場所を教えた。今は訪問しないようにと付け足しながら。

 どういうことかソラトとスバルは分からない様子だったが、唯一ラウムと長い付き合いのエドワードは分かったと頷いた。

 

「シャマル先生、チンクは一体?」

「……これを」

 

 エドワードの質問に、先に六課から来て検査をしていたシャマルが何かを渡しながら答えた。

 それは、マラネロが去り際に置いていったディスクだった。ディスク自体にコンピュータウイルスは入っていなかったが、中身はチンク達の絶望を更に煽るものだったのだ。

 スバル達は、改めて中に入っていた映像を確認することにした。

 

〔あー、どうも諸君。私はマルバス・マラネロ。君達の愉快な敵対者だ。今後とも何とぞよろしく〕

 

 まず映し出されたのは、マラネロが机に両肘を突いてこちらに話し掛けてくる姿だった。

 

〔さて、早速だが本題に入ろう。君達に残された時間も少ないことだしね。君達のお仲間、ナンバーズ5番ことチンクに打ち込んだのは非常に貴重な最新作の薬だ。そう、獣人化薬さ〕

 

 "獣人化薬"というワードが出て来た瞬間、3人は脳裏に嘗て対峙した敵の光景を思い出していた。

 インフィーノ家の赤ん坊を誘拐した執事を追い詰めた際、執事が使い出した薬があった。それによってサソリ獣人と化した執事は理性を失い暴れ出したのだ。

 もしもその時の薬と同一の物ならばチンクもいずれ獣人と化してしまう。

 

〔ああ、この薬は即効性じゃないので安心したまえ。但し、効果が表れるのは約24時間。これについては実験で調査済みだから安心していいよ。この薬を打ち消すワクチンもちゃんとここにある〕

「コイツ、まさかあの薬で別の人にも……!」

 

 つまり、マラネロはチンクに使う前に獣人化薬を別の人間に試したと言うことだった。

 悉く人の命を弄ぶ外道の所業に、ソラトは怒りのあまり拳を硬く握り締めていた。

 

〔たーだーしぃー! 条件がある。君達が奪取したであろうセブン・シンズを全てこちらに渡すこと。持ってくる人間は、陸士315部隊隊長ラウム・ヴァンガード一人だけ。これの条件を守れなかった場合、即ワクチンを破棄する。するとどうだろう、君達のチンクが私の望む新たな生命"獣機人"に変貌してしまうよ? 勿論、耐え切れなかったら死ぬだけなんだけどね〕

 

 マラネロの要求は、折角手に入れたセブン・シンズを全て渡すと言うものだった。最初からこれを見込んで弟子達にセブン・シンズを預けたのだろう。

 仮に渡さなかった場合は、マラネロが次に生み出そうと模索していた獣人と戦闘機人の複合体"獣機人"が誕生する。つまり、マラネロにとってはこの状況すら研究実験の過程に過ぎないのだ。

 

「マラネロ……ッ!」

 

 怒りが抑えられなくなったソラトは、悔しそうにマラネロの名前を呼ぶ。しかし、ソラトの目の前にいるのはただの映像ソフトの中に存在する男。本物は今頃自身のアジトで高笑いしていることだろう。

 こちらに残された選択肢は2つ。セブン・シンズを渡してチンクを救うか、渡さずにチンクの獣人化を黙認するか。

 

(なるほど。これはアイツにとってかなりキツい状況だな)

 

 エドワードは今頃ラウムがどのような状況になっているか思いながら、取り出した映像データを六課の方へ送信した。

 

 

◇◆◇

 

 

 その夜。チンクが獣人化薬を打ち込まれてから12時間が過ぎてしまった。

 シャマル達医療チームが今なお、ウイルスの解析とワクチンの製作を進めているが、一向に成果が得られぬままだった。24時間というリミットはあまりにも短い。

 暗くなった医務室で一人眠れぬままのチンクはラウムの心配をしていた。

 

「まさか、あんなに……」

 

 取り乱すなんて。チンクはラウムが自身を医務室に運んできた時のことを思い出していた。

 

 ラウムが来た時、既にチンクは身体に侵入したウイルスに苦しんでおり、マラネロはその場から消えていた。

 

『チンク! おいチンク、大丈夫か!? しっかりしろ!』

 

 苦しそうに息を荒くするチンクに、ラウムは今までの冷静な態度からは考えられない程慌てて彼女の名前を呼ぶ。

 そしてすぐにチンクを両手で抱えて医務室に走って行った。強く鋭い瞳は困惑で揺れ、変わらなかった顔色はどちらが病気なのか分からない程に青褪めていた。

 

「あんなに心配してくれたことは嬉しかったが……」

 

 必死に自分を心配するラウムにチンクは頬を少しだけ染めたが、逆にそれが何よりも心配の元だった。未知の薬を打ち込まれたとはいえ、いくらなんでも心配し過ぎなのではないか。

 と考えている時、医務室の扉がノックされる。

 

「チンク、いいか?」

「ラウム殿?」

 

 外から聞こえたのはラウムの声だった。

 すぐに返事を返すと、入って来たラウムの手には何故か大量の果実が入ったバスケットが持たれている。

 

「済まないな、こんな時間に」

「い、いえ。私も眠れなかったもので」

 

 そうか、と笑うラウムはフルーツバスケットを近くの机に置くと、チンクの傍に椅子を持って来て座った。

 漸く元に戻ったのかと考えるチンクだが、ラウムの瞳が未だ揺れていることに気付いた。ラウムはまだチンクが倒れたことに対し動揺しているのだ。

 

「でも、どうして?」

「……2人で話したかったから、かもな」

 

 仕事で時間が取れず、2人でゆっくりと話す暇が取れなかった。そう話すラウムに、チンクはすぐに嘘だと見抜いた。

 短い間ではあったが、ラウムの秘書官として傍にいたチンクはラウムが仕事に追われている姿を見たことがなかった。昼間に時間を取っても、夜に仕事を終えることは出来たはず。それぐらいの器量がラウムにはあった。

 

「……ラウム殿」

「どうした? 何か欲しいのか?」

 

 チンクが呼びかけると、ラウムは過保護な程面倒見のいい対応を取る。

 それは今まででは決して見られなかった、病人を相手にした時ならではの対応だった。

 

「貴方の過去で何があったのですか? 特に、病気について」

 

 チンクはラウムの異常な様子が過去に関係しているのではないかと考えた。同時に、今まで"罪を裁く"という台詞や自身をずっと顧みない姿勢も全てここに繋がっているのではと推理したのだ。

 彼女の問いにラウムは一瞬目を丸くし、すぐに顔を伏せた。

 

「今は、俺のことは関係」

「関係あります。私が気になるのです」

 

 ラウムは話を逸らそうとするが、チンクはジッとラウムを見つめている。周囲を見渡せば、ここにいるのは自分達2人のみ。

 観念したラウムは溜息を吐くと、逆にチンクへ問いを投げ掛けた。

 

「本当に俺のことを知りたいのか? 俺が犯した罪も」

「はい」

 

 ラウムの質問にチンクは即答した。自分が慕っている人物の中に眠る暗い過去を知りたがっていた。

 ラウムが自分のデバイス"ガーゴイル"の待機形態である懐中時計を開くと、時刻は午後11時と少し。チンクが眠るための子守歌と思えば、少しは語る価値があるかとラウムには思えてきた。

 何より、これから告げようと思っていた決断もこの後で話しやすいかもしれない。

 

「分かった。あれは俺が陸士校を卒業してから少しした後のことだ」

 

 ラウムは目の前の子どものような女性に語るべく、忌まわしい記憶の扉を静かに開いた。

 

 

◇◆◇

 

 

 今から7年前。ラウムが所属していた部隊は、新しく発見された無人世界の調査隊を護衛するという任務を受けていた。

 この時選出されたメンバーは、ラウムを含めた7人の隊員と調査隊5名。

 ラウムは訓練校をエドワードとのペアでトップを取り、入隊と同時にコンビを解消してからも優秀な才能を活かし続けていた。しかし、卒業してから1年しか経たなかったラウムにとって任務で別の次元世界、しかも未開の土地に足を踏み入れることは初めてだった。

 

「緊張してるのか?」

 

 次元艇の中、落ち着かない様子のラウムに先輩の隊員が話しかける。

 普段は冷静で仏頂面なラウムでも、ミッドチルダの外での仕事とあって緊張していることが顔に出ていたようだった。

 

「いえ……ごほっ」

「おいおい、ここでまさかの風邪かよ」

「マスクを付けておけよ。うつされたらたまったモンじゃねぇ」

「す、すみません」

 

 この時、ラウムが引いていたのはただの風邪だった。熱はないが多少咳き込む程度であり、身体も少し気怠い。

 先輩達の勧めで艦内ではマスクをして、次元世界に着いた後は艦の護衛として残ることとなった。

 折角の別世界での初任務だったが、ラウムは自分の体調管理を怠ったせいだと自省した。それが運命を分けるとも知らずに。

 

「空気はあるようだなっと」

「空は緑色か」

 

 辿り着いた世界では早速調査隊による調査と護衛任務が行われた。ラウムは専ら艦に残り、知的生命体の有無を確認することだった。

 この世界では何やら生命体がいたような文明の跡が残されており、至る所で紫色の霧が発生すること以外は何の変哲もない自然豊かな世界だった。

 特に何事も起きず、未開の地を確認するだけの任務だった。3日目までは、あと少しですぐにミッドチルダに帰れると思い込んでいた。

 

 そして、事件が起こった。

 

「うあああーーーーっ!」

 

 隊員の1人が別の隊員に突然襲い掛かって来たのだ。目を真っ赤に充血させ、口から泡を吹きながら猛攻撃を仕掛けてくる。

 必死に取り押さえようとする周囲だが、今度は全く別の調査隊の1人が苦しみ悶え出した。

 

「いだいいだいイダイーーーーッ!」

 

 突如起こった事態に調査隊もラウム達も驚き戸惑っていた。襲い掛かって来た隊員もやがて全身の苦痛を訴え出し、苦しみながら蹲った。

 この奇妙な事象は一体何なのか。残った調査隊4名が決死の調査を続けた。

 周囲の酸素濃度、暴れ出した隊員の血液に入り込んだ菌、地中や空中に潜んでいる未確認生物。

 

 そして、調査団がこの世界に降り立ってから5日目。

 護衛隊員3人と調査隊2人が苦しみ争う中、やっと苦しめてくるものの正体が判明した。

 

「これは……細菌兵器だ」

 

 調査隊の結果に、一同は唖然とした。こんな無人世界に細菌兵器が潜んでいるだなんて気付かなかったのだ。

 細菌兵器は時折発生する紫の霧そのものであり、自分達が感染すべき媒体を求めて彷徨っているのだそうだ。

 一度、空気感染してから発症するまで時間はかかるが、恐ろしいのは発症した後。全身に苦痛を伴うと同時に、身体が勝手に戦いを始めるよう動き出してしまう代物だった。

 

「どうしてこんな恐ろしいものが……」

「ここ、多分隣国と戦争でもしていたんじゃないかな」

 

 信じられないという様子のラウムへ、調査隊員の1人が推測を口にする。彼が文明の跡ともいえそうな場所を調べていた時、割れた試験管のようなガラスを見つけたという。

 恐らく、戦争用に開発していた細菌兵器を誤って放ってしまった結果、文明が滅びてしまったのだろう。

 苦痛を味わわせ、味方同士で争って破滅させようとしたこの世界の人間もまともではなかったようだ。

 

「それで、俺達は!? 俺達も感染しているのか!?」

「多分……ワクチンらしきものもなかったし、打つ手は」

 

 調査隊員が諦めの言葉を口にしようとした時、甲高い悲鳴が耳を劈いた。

 それは、最初に感染した隊員の断末魔の叫びであり、悲鳴の後でプツンと糸の切れた人形のように動かなくなった。

 

「……死んだ、のか?」

「残念だけど……」

 

 確認するまでもなかった。瞳孔は開ききっており、突き出た舌は戻ろうともしない。

 感染者は苦痛を味わい、無残に死んでいくしかもう残されていないのだった。

 

「どうにかなんねぇのかよ!」

「待って! 今本局に連絡を」

 

 いよいよパニック状態になり、慌てて本局へ連絡を取ろうとした調査隊員を感染していた人間の1人が背後から襲いかかってきた。

 あまりに長く苦痛を受け過ぎたために自我を壊され、今や細菌兵器の思うがまま動いて戦う人形と化してしまった。

 そのままストレージデバイスを持って調査隊員を嬲り殺しにすると、全身を襲う苦痛でまたその場に倒れ伏す。

 

「何だ、これは……?」

 

 悲痛で無残な光景に、ラウムは思わず呟いてしまう。

 今まで仲良く笑い合い、仕事をし、飯を食っていたはずの仲間達が訳の分からない細菌の所為で殺し合い、苦痛に苦しんでいる。

 一人、また一人と感染者は増え、とうとう残ったのはラウムと2人の隊員、調査隊員1人のみだ。ラウム以外の3人も感染しており、身体に痛みが走り始めている。

 しかし、ラウムだけは全く感染しなかった。痛みは身体を襲わず、勝手に戦い始めるといった症状もない。

 

「なぁ、俺はどうなったんだ? 感染したんじゃないのか?」

 

 この場にいた人間は空気に入った細菌を吸っているので、感染していなければおかしい。ラウムがこの次元艇から外に出ていなくとも、感染する可能性は十分あり得た。

 

「……ヴァンガード陸士、君は……」

 

 調査隊員は苦痛を覚える身体を動かし、ラウムの口元にしてあるマスクを指差す。

 ラウムが感染しなかった理由はマスクを付けていたから、細菌兵器を吸わずに済んだためであった。

 

「だ、だが! 常に付けていた訳じゃない!」

 

 ラウムは必死に首を振る。細菌兵器が空気感染するのならば、感染した隊員が出入りした次元艇の中にも微量の細菌がいたかもしれない。

 ならば、食事や睡眠の時にマスクを外していたラウムも感染していたはずだった。

 だが、調査隊員は首を小さく振って、事の真相を答えた。

 

「君が、風邪を引いていたからだ」

 

 ラウムがただ一人、感染しなかった理由は既に風邪のウイルスを体内に持っていたからだったのだ。

 この細菌兵器は他のウイルスに弱く、風邪を引いていた人間には感染出来なかった。だから、この調査団の中で唯一風邪を引いていたラウムは、奇跡的に生き残ることが出来たのだった。

 

「そんなこと、今更分かっても!」

「だからお前は、生きろ! 本局に帰るんだ!」

 

 戸惑うラウムに、先輩隊員が叫びながら次元艇の装置に触れる。ラウム一人では操作出来なかった次元艇は、自動操縦モードに切り替わり時空管理局の本局へ飛び立とうとしていた。

 しかし、辿り着くまでに長い時間を要する。それまでに、感染者達が生き残ることは出来ないだろう。

 

「最後に、俺達を殺せ」

「え……?」

 

 自動操縦モードの設定を終えた先輩隊員は、力尽きその場に倒れ込むとラウムに最期の頼みごとをする。それは、自分達感染者の始末だった。

 信じられない様子のラウムに、他の先輩や調査隊員も頷く。

 

「もうこんな痛みを感じるくらいなら、殺してくれ」

「俺も、早く楽になりたい」

「そんな、出来るはずないじゃないですか! 俺が、先輩達を殺すなんて……!」

 

 命を投げ出そうとする先輩達に、ラウムは涙を流して叫ぶ。

 いくら感染者だからとはいえ、この手で仲間を介錯することなんてラウムには出来なかった。

 

「殺れよ」

 

 しかし、先輩隊員はラウムに強い口調で言い放つ。

 痛みで苦しんでいるにも拘らず、先輩はラウムの傍まで寄ると肩を掴んで懇願した。

 

「俺達はいつ、お前を襲うかも分かんねぇ。お前も危険なんだ。だから、殺してくれ」

「お願いだ、ヴァンガード陸士」

「頼む」

 

 3人共、苦痛で精神が限界だった。自分達の命がここまでだと知り涙を流しながら、ラウムには必死に笑いかけていた。

 ラウム一人が生き残ってくれるのなら、自分達のしたことは無駄にならないと。

 ラウムは俯き、傍に転がっていた無人格アームドデバイスを拾う。

 

「俺のことは、恨んでもらって構いません」

 

 ラウムはボソッと呟く。

 次の瞬間、ラウムはアームドデバイスを振り抜くと先輩隊員の首が吹き飛んだ。落ちた生首の表情は苦悶に満ちたものではなく、地獄から解放されたような安らかな笑みだった。

 

「俺は今から、罪人ですから」

 

 返り血を顔に浴びたラウムは、冷たい視線のまま残りの感染者達を皆殺しにした。苦しみ、呻くだけになってしまった人間も、目しか動かせなくなった人間も、一人残らず。

 生き残った罪人は独り、罪を被り続けていた。

 

 

◇◆◇

 

 

「たった一人、生き残った俺は功績を勝手に認められて昇進。今じゃ、陸士部隊の隊長だ。だが、俺の本性は仲間を殺した醜悪な罪人」

 

 ラウムの壮絶な過去に、チンクはもう眠るどころではなくなってしまった。

 勿論、ラウムが仲間を手に掛けたことは自衛として取られ、罪にはなっていない。遺族にも謝罪して回ったが、責められるどころか苦しみから救ってくれたと逆に感謝されたのだった。

 しかし、ラウム自身は未だに自分を許せない。罪として裁かれなかったことがより一層、罪の意識を際立たせてしまったのだ。

 だからこそ、裁かれて死にたい。けど、生き残った命を無駄にしたくはない。そのような思いの果て、ラウムは戦いの中での死を選ぶようになっていったのだ。

 

「どうだ、俺を軽蔑したか?」

 

 ラウムの今にも消えてしまいそうな儚い表情に、チンクは思わず腕を掴んでしまった。

 自分は死にたがっている癖に、病人には過保護な程の心配をする。それは、ウイルス感染で死にかけた仲間を救うどころか自分の手で殺してしまった経験から。

 ずっと誰にも分かってもらえないような思いを抱え続けた、不器用な男性をチンクは何処へも行かせたくなかった。

 

「ラウム殿は、もっと自分を許すべきです」

「……俺が、自分を?」

 

 自分が正にウイルスで苦しんでいたことも忘れ、チンクは必死にラウムを繋ぎ止めようとする。

 しかし、ラウムは逆にチンクの掴んでくる腕を引き離そうとした。

 

「許せるはずもないだろう。俺はこの手で仲間を殺したんだ。仲間の死体と共に、一人でのうのうと生きて帰って来たんだ。こんな俺の何処を許せと!」

「一人で抱え込み過ぎだと、前も言いました! もっと自分に優しくしてくださいと!」

 

 自分への怒りが抑えきれずに怒鳴るラウムへ、チンクは叫び返した。

 他人には誰よりも優しいのに、自分には誰よりも厳しい。こんな性格にもなるはずだとチンクは改めて納得した。

 だからこそ、ラウムにはもっと他人を頼って欲しかった。仕事の面ではなく、精神面でもチンクはラウムの手助けがしたかった。

 

「見てて、居た堪れないんです……。どうして、もっと私を頼ってくれないんですかぁ……!」

 

 チンクは開いた左目に涙を貯めていた。ラウムの内に秘めた悲しみを知り、頼ってもらえなかった自分が悔しくなった。

 目の前で泣き出す秘書官に、ラウムはやっとチンクが自分にして欲しかったことを知った。

 最初から自分の苦悩を打ち明ければよかった。信頼する秘書官に自分の罪を知ってもらい、裁いてもらえばよかった。

 

「……済まない、チンク」

 

 ラウムはチンクの涙を指で拭ってやると、頭を優しく撫でてやった。

 揺らいでいた瞳は元の揺るがない強さを取り戻し、表情も落ち着かないものからクールで引き締まったものへと戻っていた。

 

「俺はお前をいつも信頼している」

 

 そう言い残し、ラウムは医務室を去った。

 だからこそ、お前を助けたい。去り際の呟きに決意を込めながら。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。