機動六課と陸士315部隊がマラネロ一派に襲撃された夜。
丁度、ウィネとフォラスが撤退した時、ノーヴェにのみ念話が掛かってきた。
(ノーヴェ)
その声にノーヴェは聞き覚えがあった。心を何度も通わせようとした相手。
(アース、なのか?)
ソラト達と戦い、途中で撤退したはずのアースだった。
ノーヴェはその事実を知らないが、襲撃した中にいるのではないかと心配していたのだ。キョロキョロと周囲を見回すが、アースの姿は見当たらない。
(話がある。明日の夜、指定した位置に来い)
(待て!)
アースが一方的に告げると、同時にジェットエッジへ地図データが送られてくる。315部隊隊舎の敷地内では、見つかる恐れがあるということなのだろう。
反論を許されず切られ、ノーヴェは周りが気付かない中でじっと地図を見ていた。
◇◆◇
アジトに戻ったアースは、自室のシャワールームで水を浴びていた。
まるで自分の中の何かを洗い流そうとするかのように。
「何故だ……」
壁に手を付いて流水を頭から被りながら、低い声で呟くアース。頭の中では、先程起きた出来事が思い返される。
生み出された時からソラトを憎しみ、殺すことでアイデンティティを得ようとしてきた。その生き方を今も否定することはない。
だが、ある人物のことを思い出しただけで、酷く心が疼き出したのだ。
「ノーヴェ、俺は……」
ノーヴェ・ナカジマ。彼女との出会いが、今まで目的の為なら手段を択ばない復讐鬼として生きてきたアースの中を変えてしまった。
心に巣食うノーヴェへの感情に、アースは戸惑い、怒りを覚えていた。
「何故、お前が欲しくなるんだ……」
自ら関わるなと言ったはずなのに、アースはノーヴェと話がしたくなった。
先程取った自分の行動に理性が追い付いておらず、アースはまたぶつけようのない怒りを高める。
「クソッ!」
激情するアースはシャワールームの壁を殴る。
結局、アースは本当に洗い流したかったものを落とすことは出来なかった。
濡れた髪を拭き、シャワールームを出るアース。今の彼はトランクス一丁の姿で、細身ながら筋肉がしっかりついた身体を露にしている。
自室ならば堅い表情も若干緩くするのだが、突然アースは視線を鋭くし愛剣"ベルゼブブ"を真横に構えた。
アームドデバイスの切先には、この部屋にいるはずのない人間がいた。
黒髪に橙色の瞳という特徴を持った、十代半ばの少年だ。アースよりも幼さを残している様子だが、不気味な笑みと何処か異質な雰囲気はマラネロと通じている人間であることを伺わせる。
「邪魔してるよ」
無断侵入者の正体は、タイプゼロ・フォースだった。
今回の任務でセブン・シンズ"
「勝手に俺の部屋に入るとは、命がいらないらしいな」
アースは味方相手に怒りを隠そうともせず、鋭いベルゼブブの剣先をフォースの喉元に近付ける。
だが、フォースは至って冷静にアースを見ていた。
「何、変わった君の様子を見に来ただけさ」
「なっ!?」
変わった。このフレーズに、アースは狼狽える。
一瞬の隙を与えてしまったアースは、次の瞬間にはベルゼブブを払い除けられ、フォースに首を捕まれていた。
「随分隙だらけになったじゃないか。君、弱くなった?」
フォースはアースの中身を見透かしたかのように嘲笑を浮かべる。フォースの肉体が起動したのは最近だが、意識自体はそれよりも先に覚醒していた。なので、アースのことも知っていたのだ。
アースは腸が煮え繰り返りそうな気分だった。しかし、フォースの言うことは正しい。自分は変化によって迷いが生まれ、弱くなってしまった。
「弱いままじゃ、何時まで経っても悲願は遂げられないよ。ソラトを殺して、本物になる悲願がね」
フォースはアースの耳元で嫌みったらしく呟き、掴んでいた首を離す。そして、冷蔵庫からドリンクを勝手に取り出した。
「貰っていくよ。運動したら喉が渇いた」
それだけ言い残し、フォースは去って行った。
アースに残されたのは、屈辱と己の中の弱さだった。
◇◆◇
マラネロ一派襲撃の翌日。
陸士315部隊では、負傷者以外は普段通りに訓練をしていた。ウィネとフォラス、2人の獣人に好き勝手されたメンバーは訓練にも身が入っている。
そんな中、ノーヴェのみが浮かない表情を浮かべていた。理由はもちろん、今夜の約束のことがあったからだ。
「アース……」
地図データの入ったジェットエッジを見つめるノーヴェ。
敵という立場上、罠の危険性もある。だが、ノーヴェは不思議と罠だとは考えていなかった。そんなことよりも、もう一度説得できるかという不安の方が大きかったのだ。
「こら」
物思いに耽るノーヴェの背中が叩かれる。後ろを向くとノーヴェが最も慕っている姉、チンクの姿があった。
因みに、チンクの身長ではノーヴェの頭に届かない為、背中を叩いたのだ。
「訓練をサボってはダメじゃないか」
「ご、ゴメン……」
腰に手を当てて叱るチンク、ノーヴェはしゅんと落ち込む。
その後、チンクは久々にノーヴェの相手を務めることになった。しかし、その中でもチンクはノーヴェに何かがあったことを察していた。
そんなノーヴェの心の中を表しているかのように、空には厚い雲が掛かり始めていた。
そして、約束の時間。
ノーヴェは結局誰にもアースに会うことを言えず、こっそりと寮を出た。
言えば、逆にこっちが罠を張り、アースを裏切ることになってしまう。素直になれない反面、純粋なノーヴェは少なからず想いを寄せるアースにそんなことは出来なかったのだ。
「ジェット、頼む!」
〔了解〕
森を抜けたところでジェットエッジを起動させ、猛スピードで待ち合わせのポイントへ向かう。
アースが指定した場所も五課周辺のように森林地帯だが、未開部分が多く、中心には大きな湖もあった。これだけ広い森ならば、身を隠すのに丁度いい。
「アース、まだ帰るなよ!」
寮を抜け出すのに手間取ってしまった為、待ち合わせ時刻まで残りあと少ししかない。
もっと伝えたいことがある。人間として生きて楽しく感じること、誰かを憎まなくても生きていけること、アースが望めば迎えてくれる人間がここには大勢いること。そして、自分はアースが好きなこと。
木々を掻き分けて、ノーヴェは突き進んで行った。
「何っ!? ノーヴェが抜け出した!?」
暫くして、315部隊ではノーヴェがいなくなったことに漸く気付いた。
この事実に一番驚いたのはチンクだった。
「反応によるとここから東の森林地区に向かった模様です」
「森の中か……」
オペレーターの報告に、ラウムが顔を顰める。
自分が向かおうにも、ラウムはバイクの免許を持っていない。車で森の中を進むのは不便だ。
「仕方ない。ギンガとウェンディに向かわせる」
隊長として、自分が連れ戻したいと考えていたラウムは、渋々機動力に長けた2人を探しに行かせるよう指示した。
そして、補佐であるチンクに向き直り、頭を下げる。
「済まない。俺の所為でこんな事態に……」
「いえ、ラウム殿は悪くありません。私がしっかりと話を聞いてやれば……」
ノーヴェに何かあったことは気付いていた。なのに、話を聞いてやらなかった自分にこそ責任がある。チンクは自身の無力さに拳の力を強める。
何事もなければいい。今はそう思うことしか出来ない2人だった。
◇◆◇
指定されたポイントには、近くまでくれば十分目立つ程の大きな木が立っていた。周囲は暗く、雲の切れ間から差し込む月の光が明るく照らしている。
大樹の根本に、アースはいた。前髪で隠れ顔はよく見えなかったが、バイクに乗っている時と同じく焦茶色のジャケット姿で立っていた。
「アース!」
ノーヴェは息を切らしながら、まだ彼がいたことに一安心していた。
ここなら、邪魔が入ることなくゆっくりと話せる。そう思い、彼の元に駆け寄る。
「止まれ、ノーヴェ」
聞いたこともないような低い声に、ノーヴェの表情は歓喜から驚愕へと変わる。
アースの身体は業火に包まれるように紅く光り、黒いバリアジャケットを纏わせる。
ノーヴェは話し合いに来たはずなのに、アースからは明らかな戦意を感じていた。
「オイ、アース!」
問い詰めようと一歩踏み出すノーヴェに、アースはベルゼブブを突き付ける。
黒い大剣の刃が向けられたことで、ノーヴェはアースが本当に戦おうとしていることに気付いた。
「ここで、俺と戦え。ノーヴェ」
顔を上げ、アースの表情が見えるようになる。慕っていたはずの人物から冷たい視線を受け、ノーヴェは戸惑っていた。
「ま、待てよア」
「戦え!」
拒否しようとするノーヴェに、アースは容赦なく大剣を振り下ろした。
既にジェットエッジを起動させていた為、ノーヴェは咄嗟に避けることが出来た。だが、精神的なショックが大きかった。
どうして自分達が戦わなくてはならないのか。分かり合いたいだけなのに。
それでも、アースは未だ臨戦状態だった。
「チッ……だったら、ぶん殴って目を覚まさせてやる!」
ノーヴェは遂に意思を固め、ジェットエッジのギアを回転させる。
静寂が支配していた森で金属同士が激しくぶつかり合い、甲高い音が鳴り響いた。
初めて会った時は、まだ素性も知らなかった。
ただ、お互いがそれぞれの知人に似ているということと、尖った雰囲気が親近感を感じさせたのだ。
あの一瞬だけが、何も考えずにノーヴェとアースが楽しく時間を共有出来た唯一の時間だったのかもしれない。
ノーヴェはジェットエッジのローラーで急速接近し、勢いに乗りながら跳び蹴りを放つ。アースはそれをベルゼブブの腹で防ぎ、ノーヴェを弾き飛ばした。
両足と左手で着地し、ノーヴェは再びアースへと突撃する。
アースはノーヴェの拳を左手の平で反らし、構えていたベルゼブブを振り下ろした。
「このぉっ!」
反撃が来る。ノーヴェは反らされた身体をそのまま回転させ、ブーツのローラーで大剣の刃を受け止めた。
意外な受け方にアースは眉をピクリと上げるも、押し切ろうと力を込める。
ノーヴェは剣を踏み付け、後ろへと飛んで距離を取った。再び睨み合う2人。
「ベルゼブブ、フォルムツヴァイ!」
〔Air form〕
アースの命令にベルゼブブが反応し、カートリッジを1つ消費する。
すると、ベルゼブブの刀身からホバーの排出口が現れ、紅い蒸気を噴出させる。同時に、アースの足には紅い浮遊魔法が付加され、黒い身体を宙に浮かび上がらせる。
これがベルゼブブのフォルムツヴァイ"エアーフォルム"だ。その姿は、ソラトが持つセラフィムの"ウイングフォルム"に酷似している。
アースは浮遊したままその場から滑るように移動し、ノーヴェに斬り掛かる。移動速度はジェットエッジに匹敵する程になったが、一撃の重さは軽減されている。
ノーヴェはベルゼブブを蹴り上げ、空いた懐に固有装備"ガンナックル"の一撃を加えようとした。
その時、ベルゼブブの背の方のホバーから蒸気が吹き出され、押し留める。それどころか、噴出の勢いを受けた大剣は再度ノーヴェへと振り下ろされた。刃はガンナックルの手甲部分に当たり、双方の攻撃が止まる。
「何でこうなるんだ!」
黄色と紅のエネルギー光が激しくぶつかる中、ノーヴェはアースに向かって叫ぶ。
「話合うんじゃなかったのか!?」
ノーヴェはアースと話がしたかった。互いを傷付け合うような戦いをしに来たはずではない。
アースが後方へ滑空すると、空かさずノーヴェは足下にテンプレートを発生させた。
「エアライナー!」
地面を殴ると黄色い帯状のテンプレートが伸び、ノーヴェの道を作る。 これが、スバルやギンガの「ウイングロード」と同じ能力である、ノーヴェの「エアライナー」である。
ノーヴェはエアライナーをアースの真上まで伸ばし、上下逆向きになって走行して来た。
「この、大バカがぁぁぁぁっ!」
戦闘中でも必死に心を通わせようとするノーヴェに、アースは怒りを堪えて歯を食い縛った。
頭上から来る拳に、ベルゼブブで振り払い対処するアース。一撃を防がれたノーヴェは慣性に従い、アースから離れる。
「お前は」
先程まで冷めた表情だったアースは紅い魔力光を滾らせて、怒りの形相を向けていた。
「どうして俺の心に響くんだ、何故俺に迷いを生み出させるんだ……」
ソラト以外でここまでアースに影響を与えた人間は他にいない。怒り以外の感情を教えたのも、希望と安らぎを与えたのも。
だからこそ、アースは今の自分すら失ってしまうことを恐れていた。ならばいっそのこと、これ以上何かを与えられる前にノーヴェを失くしてしまおうと考えたのだ。
「俺の心に何をしたんだ! ノーヴェェェェッ!」
抑えられない感情を爆発させ、アースはノーヴェに特攻していく。
エアライナーに乗り、上方へ逃げることで避けるノーヴェ。そのまま、森の中を疾走しながら2人はぶつかり合った。
木と木の間を走り、相手の攻撃を防ぎながら、アースとノーヴェはやがて湖へと抜ける。
ノーヴェはエアライナーで湖の上空へと登るが、アースはそのまま湖に突っ込んでいく。
この時、アースの移動方がもしノーヴェのようにローラーブーツならば湖の中に沈んでいただろう。しかし、彼の足には浮遊魔法が付加されている。浮遊魔法の余波で水飛沫を上げながら、アースは湖の上すら滑空していた。
「頭を冷やせ!」
ノーヴェは湖の上にいるアース目掛け、手の甲の宝石部分から射撃魔法を放った。アースが華麗に避けると、射撃魔法は湖に着水し、2人の周囲に水滴を舞わせる。
飛沫が月明かりで輝く中、2人の男女が湖の上を滑走している様は、まるでダンスでも踊っているかのような神秘的な光景であった。
2人の意識は相手のことでいっぱいであり、これが永遠に続く円舞曲ならば、楽しんでいるところだろう。
だが、これは相思相愛のはずの2人によって繰り広げられる哀しい戦い。終わりは唐突に訪れたのだった。
突如、アースの速度が落ちてノーヴェの後ろを走るようになる。魔力切れか、と思うノーヴェだったが、実際は違った。
アースはベルゼブブをエアライナーに突き刺し、剣を軸に空中を回転しながらノーヴェの同一線上に飛び乗ったのだ。
「何っ!?」
「終わりにするぞ、ノーヴェ!」
アースは速度を上げ、ノーヴェの背後まで追い詰める。
ノーヴェも負けじと速度を上げるが、エアライナーを制御しながら走っている為に速度が普段より落ちてしまう。
「くっ、来い!」
仕方なく、ノーヴェはエアライナーを真っ直ぐ伸ばして、背後を向く。後ろ向きに走りながらアースの相手をしようというのだ。
走りながら脚のギアを回転させ、必殺の蹴りを放つ。だが、屈むことで避けられ、逆にホバーによる勢いをつけた素早い一閃で薙ぎ払われてしまう。
「わああああっ!?」
遂にアースの一撃を受けてしまったノーヴェはエアライナーの上から地面に落とされてしまう。ノーヴェの受けた衝撃は凄まじく、地面に墜落の跡を数メートル残していた。
月は何時の間にか厚い雲に覆われ、滝のような雨が降り出した。
「ノーヴェ……」
墜落のダメージで気絶しているノーヴェに、アースは呟く。全身を濡らす雨はまるでアースの迷いを洗い流すためのもののようだ。
「お前を殺す」
怒りを雨でクールダウンさせたアースは暗い表情で、基本形態の大剣に戻したベルゼブブを振り上げる。
彼女を殺せば、再び復讐鬼に戻れる。ソラトを、自分のオリジナルを追い続ける、存在なきものに。
「アー……ス……」
か細い声で自分の名前を呼ばれ、アースは目を見開く。ノーヴェは残った意識の中でも自分のことを想っていたのだ。
アースは黒い大剣を振り下ろす。だが、ノーヴェに切り傷を与えることなく、宙で止まってしまう。
「ノーヴェ……俺のお前に対する感情は、一体何なんだ?」
ベルゼブブを待機形態に戻し、大雨の中横たわるノーヴェにアースは思いを吐露した。
結局、自分の中で生まれた新たな感情に逆らうことが出来ない。アースは傷だらけのノーヴェを抱きかかえ、何処かへと歩き出した。
薄れ行く意識の中、ノーヴェが最後に見た光景は雨水に紛れて涙を流すアースの虚しい表情だった。