マラネロの研究室。
何処にあるのか未だに分からないその場所に、部屋の主以外の人間が2人いた。
1人は翡翠の髪に紅く鋭い眼を持ち、焦茶色のジャケットに黒のズボンの少年、アースだ。
「おい、ロノウェ」
「何かな?」
アースは明らかに敵意を含んだ声でもう1人の名前を呼ぶ。
ロノウェと呼ばれた、濃い茶色の短髪に金色の瞳の男性は怯むことなくキーボートを打ちながら答える。
「貴様、最近陸士315部隊とかいうのを攻めるのに熱心じゃないか」
ロノウェの手が一瞬だけ止まる。
先日、315部隊を攻めたネオガジェット・タイプDも全てロノウェが差し向けたものだった。
「深い意味はない」
マラネロならば放置し、自身の作品の改良に集中していたであろう。しかし、ロノウェは計画の妨げになりそうなものを許す性格はしていなかった。
だが、襲撃が失敗に終わり、完璧主義者のロノウェは若干の苛立ちを見せていたのだ。
「残念だったな、自分の計画が失敗して」
「それ以上無駄口を叩くなら、貴様から消してもいいんだぞ?」
アースの挑発に、ロノウェは殺気立って睨んだ。手にはいつの間にか鎌のようなものが握られている。
しかし、すぐに冷静さを取り戻したようで口元をニヤリと歪ませる。
「それとも、気になる女がいるから攻めて欲しくないのか?」
ロノウェに挑発され返されたアースは、無表情のまま何も言い返さずその場を去った。
ミッドチルダ東部の森の中。転送してきたアースは黒いバイクに跨りながらぼんやりと考えていた。
ロノウェの指摘通り、アースはノーヴェが気になっていた。
赤毛の少女との僅かな間だけの会合は復讐心で満たされていたアースの心の中にぽっかりと穴を空けていたのだ。
自身とそう変わらない、造り物の存在。なのに、人間と変わらない暖かく楽しい日々を家族と共に送っている。虚無に包まれた存在感を抱える自分とは大違いだ。
「ノーヴェ……」
ふと、少女の名前を呟き、彼女が見せた表情を思い出す。
自分のことを語っていた時の恥ずかしそうな笑顔。そして、アースの話を聞いていた時の哀しそうな顔。まるで、自分を1人の人間だと見ているような。
「俺は、まだ何者でもない」
アースは自己を認めていなかった。アイデンティティーを得るために、オリジナルのソラトを殺すと決めたのだから。
ヘルメットを被り、アースはクラナガンへ向かった。前回はソラトを狙うためにだったが、今回は行く当てのない旅。ただ、ノーヴェが占める頭の中を空にしたかったのだ。
◇◆◇
昨晩、姉であるスバルの話を聞いたノーヴェは考えていた。
スバルとソラトは長い付き合いの中で傷を癒し合い、時に喧嘩をして本心を打ち明けることで分かり合ってきた。
だが、心を通わせたいと願うアースとは、まだ相手の本心を理解し合っていないのではないか。
最初にあった時のアースは、ソラトを狙っている時とは別人のように穏やかだった。自分の話も素直に聞いていたし、最後には悲しそうな表情も見せた。
もしかしたら、本当はアースも戦いたくないのかもしれない。歪められた運命に怒り、戦う術しか知らないのかもしれない。
「はぁ……」
頭を抱え、溜息を吐く。
自由待機時間中のノーヴェは今、クラナガンに来ていた。初めてアースと出会ったベンチの前に立つ。
もう一度、会って話がしたい。そして、造られた存在でも生きる意味を見出せることを伝えたい。
「ノーヴェ?」
後ろから呼び掛けられ、振り向く。そこには、散々会いたいと願っていたアースの姿があった。
「アース……」
どうしてここにいるのか、という疑問が沸くが、今はそんなことどうでもよかった。
「あたし、お前に話がっ!」
「俺、お前と話がっ!」
肝心なところで言いたいことが被ってしまい、両者共顔が自然に赤くなる。
ノーヴェが目を反らすと、通りを歩くオバサマ達があらあらという風にこちらを見てニヤニヤしている。
途端に恥ずかしさがこみ上げたノーヴェは、アースを引き摺って人気のない場所まで移動したのだった。
「はぁ、はぁ……」
「何なんだ……」
やっと止まったノーヴェに、アースは困惑しながら意図を聞き出そうとする。
「いや、悪い……っ!」
息を整えたノーヴェは、そこで漸くアースの手を握っていることに気付いた。
今まで異性と手を繋いだことがないため、慌てて右手を離し恥ずかしそうに抑える。
行動原理が全く分からないアースは顔を真っ赤にするノーヴェを不思議そうに見ていた。
「で、話って何だ?」
「あ……いや、アースから話せよ」
先程の話の続きをアースが尋ねるが、恥ずかしさが消えないノーヴェは先に話す権利をアースに譲った。
「警戒してるのか? 安心しろ、今日はお前に手を出さない」
先程からノーヴェの様子がおかしい。そう思ったアースは冷静に戦意がないことを告げる。
アースは常に打倒ソラトを考えて生きてきたために、喜びなどの感情を知らない。当然、ノーヴェの乙女心も理解出来なかったのだ。
「うぅぅ……分かったよ」
じっとこちらを見られていたら恥ずかしさのあまり爆発してしまいそうだ。ノーヴェは言われた通り自分から話をすることにした。
「あたしさ、初めて会った時からずっと聞きたかったんだ」
ノーヴェは落ち着きを取り戻し、アースに言いたかったことをゆっくりと紡ぎ出していった。こんな機会、逃せばあとどのくらい先になるか分からない。
「お前、本当は戦いたくないんじゃないか? 別の生きる道を見つけたいんじゃないか?」
やっと言えたノーヴェの言葉に、木に寄りかかって聞いていたアースは目を見開いた。
「何で、そう思った?」
「だってお前の怒りも、今やろうとしてることも、全部マラネロの彫りこみじゃないか! けど、お前はそれしか知らないから」
「違う!」
アースの怒号がノーヴェの言葉を遮る。
アースはノーヴェの話なら、以前自分の心を少しでも癒した彼女の言葉なら静かに耳を貸すつもりだった。
しかし、今彼女の口から語られようとしていることは、ここに立っているアースを否定してしまうだろう。それが我慢出来ず、アースは思わず声を荒げてしまった。
「俺は俺の意思でここまで来たんだ! 戦いたくねぇだと? ソラトの存在を奪えるなら俺は命だって差し出してやる!」
「アース……」
「ノーヴェだろうと、今の俺を否定することは許さねぇ! これが俺の本心だ!」
予想外の回答に、ノーヴェは一瞬怯えてしまう。だが、アースに劣らぬ強い視線で言い返した。
「だったら、何であの時悲しそうにしてたんだ!」
「なっ!?」
「ソラトとの因縁があって殺し合う運命を望んでるなら、何で理由を話した時にもっと嬉しそうにしなかった!」
ノーヴェは知っていた。アースがソラトを狙う理由を話した時に、哀愁に満ちた瞳をしていたことを。話した後に気分が楽になったと言ってくれたことを。
「……深い意味はない」
アースは激昂を抑え、顔を伏せながら答える。
「マラネロの刷り込みだろうと、俺にはこの生き方しか残っていないから……敢えて自分から選んだ。それだけだ」
紅の瞳に怒りの炎を宿し、ノーヴェを睨む。分かり合えると信じていたはずなのに、擦れ違ってばかりで、ノーヴェの心に悲しみが溢れる。
「けど、他にも生きる道が」
「ない。俺は、誰でもないからだ」
ノーヴェの反論にも、アースは即答する。アースには、ノーヴェが言いたいことに大よその見当がついていた。
戦闘機人として生まれたノーヴェ達にも、戦う兵器以外の人間らしい生き方があった。
しかし、アイデンティティーを持ち合わせていないアースに他の選択肢は最初から存在しなかったのだ。
「アースという名前も、俺がソラトになるまでの仮称だ。ソラトをこの手で殺す日まで、俺は誰にもなれないんだ!」
激情し木を殴りつけるアース。自己認識の破壊というマラネロのえげつないやり方は、アースの心に深い傷を与えていた。
「……下がれ」
ふと、アースはノーヴェを後ろに下げ、庇うように片腕を広げる。
彼の視線の先には、いつの間にか転送されていた獣人がこちらに向かっていた。
今回の獣人の特徴は分かりやすい。巨大な耳、長い鼻、巨体とくればゾウしかいないだろう。
「チッ、奴の差し金か……」
思わぬ邪魔が入ったことに苛立ちを見せるアース。そんなことはお構いなしに、ゾウ獣人は獲物を見つけ咆哮する。どうやら理性はないようだ。
「ジェットエ」
「ノーヴェはいい。下がれと言ったはずだ」
後ろでノーヴェが愛機ジェットエッジを出そうとすると、アースは静止した。そして、懐から紅色の長方形のクリスタルを取り出し、真横に突き出した。
「でもっ!」
「今日はお前に手を出さない、とも言った。だから黙って大人しくしていろ」
アースの真剣な横顔と台詞に、ノーヴェは再び顔が熱くなるのを感じた。
ノーヴェが大人しくなったことを確認すると、アースは真横に伸ばした右腕を真上まで持って来る。
「ベルゼブブ、セットアップ」
〔Standing by〕
右手を胸の前まで降ろすと同時にデバイスの起動コードを発声すると、握っていた紅色のクリスタルが反応し帯型魔方陣でアースの体をドーム状に包んでいった。
そして魔方陣が解除されると、いつもの黒いバリアジャケット姿に大剣ベルゼブブを担いだアースがゾウ獣人を睨んでいた。
「滅びの音色を聞かせてやる」
アースはゾウ獣人を指差すと、ベルゼブブを構えて走って行った。
対して、獣人は迎え撃つように腕を振り上げ、一気に殴り付けた。
「うわっ!?」
軽く地響きが起こるほどの重い一撃に、ノーヴェは怯んでしまう。
ところが、ゾウ獣人がめり込ませた地面の後にアースの姿はなく、アースは既に頭上を跳んで後ろに回り込んでいるところだった。
「遅い」
足下に紅いベルカ式の魔法陣を出現させ、攻撃を仕掛けようとするアース。
獣人も気付いたようで、振り向き様に長い鼻を鞭のようにアースへ振るう。
〔Grand cross〕
「グランドォォォッ!」
ベルゼブブの電子音と同時にアースは大剣を振り下ろし、向かってくる獣人の鼻を斬り落とした。
大剣の一撃は返りが遅く隙が出来やすい。その一瞬を見逃すまいとゾウ獣人は図太い腕をハンマーのように放った。
「クロスゥゥゥゥッ!」
だが、アースに隙はなかった。振り下ろした大剣を即座に斜め上へ少し上げ、今度は横へ十字を切るように振り抜いたのだ。
逆に隙だらけだったゾウ獣人は巨体を丸太のように斬られその場に倒れ込んだ。
「大人しく滅べ」
血の付いたベルゼブブを振り払い、ノーヴェの元へ向かいながらアースが呟くと、その背後で獣人は爆発四散した。
「アース……」
バリアジャケットから元の私服に戻ったアースをノーヴェが迎える。しかし、内心では何を言っていいのか分からない。
一方で、獣人を倒したことで少しは怒りを解消出来たアースは落ち着いた声でノーヴェに話しかけた。
「お前には、感謝している」
「えっ?」
アースの言葉の意味が分からず、ノーヴェは聞き返してしまう。
「俺を一つの存在として見てくれたのは、ノーヴェが初めてだったからだ」
自分を造り出したマラネロや、自身ですらアースを
しかし、ノーヴェだけは
「だから、俺にはもう関わるな」
アースの冷たい言葉がノーヴェの心に響く。
アースはノーヴェとの触れ合いによってソラトへの憎しみを忘れることが恐ろしかった。自分が何者なのか、忘れてしまうことが許せなかった。
「お前は管理局の隊員だろ。次は……敵同士だ」
離別の言葉を残し、アースはバイクの置いてあるベンチに向かった。
説得し切れなかった。何も変えられなかった。
その場に立ち尽くすノーヴェは何も言えず、アースの去った後を見つめていた。
◇◆◇
「ロノウェ!」
研究所に戻ってきたアースは、一目散にロノウェに食って掛かった。
ゾウ獣人を自分に差し向けた人物はロノウェ1人しか思いつかなかったからだ。
「何だ……っ!?」
ロノウェが答える前に、アースはロノウェの首を強く掴む。ノーヴェと会話していた時の穏やかさはアースには既になく、怒りの感情が体を支配していた。
「貴様、よくも余計な真似をしてくれたな!」
「ぐ……!?」
ロノウェも呼吸器官を絞められては苦しみ悶える。
言葉を発することも出来ず、アースの腕を掴みながら睨むしか出来ない。
「よしなよ」
第三者からの静止が入り、漸くアースはロノウェを床に投げ捨てた。
ゲホゲホ、と咳をするロノウェをアースは見下ろす。
「次、俺に獣人を差し向ければお前も滅ぼす」
「悪いけど、作戦に支障が出るからそこまでにしてもらえるかな?」
ロノウェに収まらない怒りを向けるアースに、十代半ば程の少年が宥めるように呼びかける。
少年の背後には、3人の科学者らしき影が立ち構えている。
「作戦?」
「そ。僕等の任務は邪魔者の排除」
少年がアースへの疑問に答える。アースを含め、ここに集まった者達はどうやら次の作戦の参加者らしい。
「君にも働いてもらうよ。ソラトの相手だ」
やっとロノウェが言葉を話すと、不機嫌そうだったアースは口元をニヤリと上げる。
「珍しく気が利くじゃねぇか。聞かせろよ、その作戦って奴を」
闘志と殺意を燃やし、危険な笑みを零すアース。今の彼の脳内にはソラトを殺すことしかなかった。
◇◆◇
日が暮れ、1日の終わりが近付く。
隊員用の寮の一室では、ノーヴェが物思いに耽っていた。
偶然だがアースに出会い、人間らしい一面も見られた。自分の言ったことに責任を持ち、ノーヴェを守ろうともした。
しかし、最終的に意見は決裂し、アースは去ってしまった。冷たい別れの言葉と共に。
「……くそっ」
ノーヴェは何も出来なかった自分に悪態を吐く。スバルのように、相手と深く分かり合うことが出来なかった自分に、そして強情なアースに腹が立っていた。
「何が関わるな、だよ」
『お前には、感謝している』
「無理に決まってんだろ」
ノーヴェの脳裏に浮かぶ、アースの顔。知らない人間には無表情にしか見えなかっただろうが、ノーヴェはその言葉がアースの本心であることを感じ取れた。
その時、ドアをノックする音が聞こえる。
「ノーヴェ、入るぞ」
部屋に入ってきたのはノーヴェが一番慕っている姉、チンクだった。
今日あったことは誰にも言っていない。しかし、チンクはノーヴェの様子がおかしいことに気付き、心配していたのだ。
「チンク姉……」
「今日、何かあったか」
「っ!」
ノーヴェの隣に腰掛け、チンクは率直に尋ねる。
言葉に詰まった妹を見て、チンクは確信した。
「……アースに会ったか」
「うぇっ!? あ、いや……」
「隠さなくてもいい。誰にも言わない」
「……うん」
分かりやすい可愛い妹に苦笑するチンク。口外しないと約束した姉に安心したのか、ノーヴェは顔を赤くしながら正直に頷き、今日あったことを話した。
「そうか……残念だ」
「けど、あたし諦めきれないんだ。アイツのこと」
大人しく聞くチンクにノーヴェは本心を告げる。純粋な少年に哀しい運命を歩ませたくなかった。
「ノーヴェはアースが好きなのだな」
「ええっ!? いやっ、これはその、そんなんじゃ……!」
チンクの爆弾発言に、ノーヴェは自身の髪と同じくらい顔を真っ赤にして慌てる。
何処までも自分の運命に真っ直ぐ向き合い、貫こうとする。なのに、少しの間でも親しくなった自分には優しく接してくれる。そんなアースへの想いは、ノーヴェが知らず知らずの内に大きくなっていた。
「……多分、好き」
これが恋愛なのかは、まだノーヴェには分からない。だが、曖昧でもノーヴェの答えにチンクは優しく微笑んで頷く。
「なら、それでいい。アースを認め、愛してやるんだ」
「……うん」
頬を赤く染めながら頷くノーヴェを、チンクは優しく撫でた。
ノーヴェとアース。意外にも、2人の再会の時はすぐに訪れることとなる――。