「ゆーくん!?」
プルルートさんの心配げな声が響き渡る。満身創痍のフェンリルヴォルフ。息絶えたと思っていたそれが最後の力を振り絞り、その鋭い牙をもってせめてもの反抗とでも言わんばかりに襲い掛かってきていた。ほんの一瞬とはいえ、完全に虚を突かれていた。救世をなし、女神や犯罪神と刃を重ねたこともあった。慢心している心算はなかったけど、どこかで油断していたのかもしれない。
「……っ、大丈夫」
だから、咄嗟に使ってしまっていた。闇の魔剣であるデュナミスエンドの刃を寝かせ、僕の体を噛み千切ろうとむき出しにされた牙を受け止める。刃と刀身がぶつかり合う音が鳴り響いていた。体を食い千切られる事はなかったが、牙を受け止めるために右手を翳したため、剣を持つ手の甲に牙が深く突き刺さっている。じんわりとした
「で、でも、血が出てるよぉ」
「少し痛いだけだよ。ほとんどは受け止めたから大丈夫」
そして左手。其処には咄嗟に手繰り寄せた一振りの剣の姿があった。その刃は、フェンリルヴォルフの顎を泥を切るかのように切り飛ばしていた。手にするは純白の大剣。多くの願いと祈りを束ね作られた想いの剣。自身と最も関わりが深い剣といえるそれを、蒼き狼の反抗を受け止めるために反射的に呼び出していた。多分、それは僕の記憶の中に最も印象深く刻まれているから。魂を賭した己の一部だとすらいえるからこそ、反射的に呼び出していたのだと思う。その切っ先を地に沈めていた。
「その剣もゆー君の?」
「僕の、で良いのかな。大切な剣だよ。想いの宿った何より大事な剣」
フェンリルヴォルフの下顎を半ば消し飛ばすように斬り裂いた、純白の大剣をゆっくり引き抜きながらプルルートさんの言葉に応える。かつて世界を救うために、奉げられてきた嘆きと願いをすくい上げ、想いを束ねた剣だった。世界を救いたいと言う女神たちの、あの世界を生きた者達の願いと祈りで構築した想いの剣。それは僕にとっても、忘れられない大切な一振りだった。
「そう、なんだぁ……。何だろう。何かぁその剣を見ていると、胸が苦しくなるかもぉ」
「……、どう言う事?」
「あぅ~、解んないけど~。でも~、その剣を見てると、胸がきゅーってなるの。何て言うかぁ、えっと、えっとぉ、あたしはその剣はすっごく大事にしないといけないと思うな」
目の前にいるこの世界の女神さまが、思いもよらない事を口走る。僕の携える剣を見て、悲しい様な困ったような複雑な表情を浮かべていた。要領を得ない言葉ではあるけど、この剣がどう言う道を歩んだのかを知っている僕からしたら、充分に衝撃だった。何と無くだけど、何故彼女がそのような想いを抱いたのか、その理由が想像できるから。それは多分、救世に捧げられたシェアの所為。世界を守る為に命を奉げる事を肯定した女神の想いを束ねてこの剣は作られていた。想いの剣自体、悲愴であり悲壮な想いの結晶だと言えるから。
だから世界は違えどもシェアとは切っても切り離せない女神であるプルルートさんは、想剣を目にしてそんな想いを抱いたのだと思う。
「大丈夫だよ。この剣をぞんざいに扱うなんて事、絶対にないから。きっと僕にはそんな事できないしね」
「うん、それがいいよ~」
はぐらかすような曖昧な回答もしようと思えば出来たのだけれど、結局女神様には自分の本心を伝えていた。詳しく話す必要が無かったと言うのもあるけど、単純に僕がこの剣に関してだけは真摯でありたいと思ったから。
そんな僕の内心など知る由も無いだろうけど、目の前でふんわりと柔らかく微笑む女神を見ると、何となく懐かしい様な気持ちに包まれる。少しだけ考え込むと、直ぐにああっと思い当たる。あの子たちと一緒に居た時の様に、何処か暖かな気分になれたからかもしれない。
「さて、と」
左手に持つ想剣を少しだけ見詰めると、ゆっくりとその場に溶け入るように消滅させる。今回は思わず呼び出してしまったけど、そう簡単に用いて良いとは思わなかったから。ありがとうと心の中で感謝の言葉を告げると、右手で担ぐようにしていた魔剣を両手で構える。再び、ずきりとした痛みが走った。傷のわりに随分と鈍い痛みだけれども、それは確かに失ったはずの痛みだった。救世を成す際に、人としての感覚も捨ててしまったはずなのだけれども、そんな僕が確かに痛みを感じていた。
やっぱりこの世界に呼び出された事が関係しているのだろうか。大雑把にだけど見当はついていたので、一旦はそう結論付ける。悩んだところで直ぐに答えは出ないだろうし、そもそもクロワールが近いうちに会いに来ると言っていた。その時にでも聞いてみればいいだろう。どちらにせよ、失ったものをまた与えられただけなのだから、そこまで問題視する気にはならなかった。尤も、あの時ほど自分を気にせず戦えなくなった為、良い事だけとは言えないけど。それでも、人間を捨てた自分が人間に戻れたような気がして、少しだけ……、いや、素直に嬉しかった。
「今度こそ倒したけど周りにはまだ何体か残ってるね。もう一頑張りしようかな」
そんな気持ちを隠すようにプルルートさんに告げる。とりあえずは受けた依頼は完了したけど、フェンリルヴォルフが呼び出した魔物たちはまだ点在していた。逃げるものまで追う気は無いけど、戦意のある相手を放置しておくこともできないから。だから、最後まで仕事をこなすため、少しばかり痛む右手で剣を構える。血が右手を伝っているけど、この程度ならそれ程問題は無かった。
「ダメだよ~。ゆーくんは、ちゃんと治療しなきゃ!」
「いや、これぐらいならいけるよ。終わってからでも大丈夫」
「でも、痛いでしょぉ?」
「まぁ、少しぐらいはね」
頷く。痛みは確かにあるから。嘘を言う事も出来たのだけど、何故かそう言う気にはならなかった。……それは、以前あの子たちに嘘を吐いて沢山傷付けたからかもしれない。
「ならダメだよぉ。ゆー君が頑張ってくれたんだし、今度はアタシが頑張る番」
「流石にそれは気が引けるから、僕も……」
「ダメったらダメ。ぜったいダーメーなーのぉ!」
「……あはは」
そう思ったけど、今回限りの相方である女神さまにダメ出しをされる。確かに少しぐらいは痛みがあるけど、僕としては問題が無かった。だけど、そんな僕の言い分など関係ないようで、頬をぷくっと膨らましながら怒られる。苦笑が零れた。確かに痛みはあるし、プルルートさんだって女神だ。この程度の相手ならば、全然問題ないのだろう。なら、少しぐらいお願いしても良いかもしれない。
「じゃあ、ここはお願いしようかな?」
「うん、まかせてよ~。あたし~、頑張っちゃうよぉ!」
そう言い張り切って前に出る女神様を見詰め、魔力をゆっくりと収束する。右手にぬいぐるみを持ちながら気合充分と言った感じで前に出るプルルートさんを眺めながら、自分の手に治療を施す。
「ぷるるんすぱ~く」
そして、お言葉に甘え、どこか抜けた調子でシェアを用いる女神様を、戦いが終わるまで見守る事にした。
「……ユニちゃんはさ、もしだよ。もし、もう一度四条さんに会えるとしたらどうしたい?」
「もしユウに会えるなら……?」
「うん」
「それは……」
ユニの根底にある想いを引き出したネプギアは、仮定の話をはじめていた。もし、万が一、異界の魂に会えるとしたら。そんな有り得るはずの無い可能性について質問する。
「そんなの、解んないよ」
「難しく考えなくてもいいよ。ユニちゃんの正直な想いを教えて欲しいの」
「アタシの正直な想い?」
「うん」
解らないと困ったように首を振るユニに、ネプギアは諭すように尋ねる。
「やっぱり、わかんないよ。けど、もし会えるのなら、アタシは素直になりたい」
「素直に?」
「うん。アタシは意地ばっかり張っててさ、沢山手を差し伸べてくれたアイツに、結局何にもしてあげられなかった。自分がアイツより弱いって事に拘って、隣に居られないなんて勝手に決めつけて、苦しんでいるのに気づいてあげられないだけでなく、一緒に居てあげる事だってできなくて……」
「ユニちゃん……」
「傍に居てあげられてさえいたら、気づいてあげられたかもしれないのに……。それにね、ネプギア。アンタに自分の気持ちを気付かされて、解ったの。全部捨ててまでアタシたちを助けてくれたアイツに、好きって事すら伝えられてなかったんだって。自分の気持ちすら見つめられてなかったんだって。今更気づいたって遅いのに、そう気付いちゃったら……っ、う、ぁ……」
今更気づいたところで、失った人は帰ってこない。ユニはその事実を噛みしめる。そしてどうしようもない悲しみが押し寄せる。瞳に止めどなく涙が溢れてくる。駄目だ。そう思うも、ユニにはどうしようもなかった。
「まだだよ、ユニちゃん。まだ遅くなんかないよ」
「……え?」
みっともなく泣きだしてしまう。そんな姿を友達に見られたくなくてユニは俯く。そして涙が零れ落ちる。その刹那、ネプギアの口から鋭く発せられた言葉に、ユニは思わず顔を上げた。大粒の涙が頬を伝い、一粒流れ落ちたが、そんな事に構っていられなかった。
「お姉ちゃんと連絡が付いたんだ。もしかしたらだけど……、四条さんに、ユニちゃんの大事な人に会えるかもしれないんだ」
それは、ユニにとって思いもよらない言葉だった。
「そんな事ある訳無いわよ……。アイツはアタシの、アタシ達の目の前で」
突然提示された可能性。それを否定する様に、ユニは悲しげに首を振る。だって、ユニは異界の魂の最期を看取っていた。目の前で運命を変える為の剣を作り出し消滅したのを確認している。誰よりも近くで、その最期を見ていた。
「ブレイク・ザ・ハード」
「え?」
「姿形は少し違ったけど、四条さんを見たってお姉ちゃんが言ってたの。戦いの途中でまるで異界の魂の儀式みたいな感じで呼び出されたって。直接連絡を受けたいす-んさんが言うには、此処とは違う次元らしいけど」
「此処とは違う次元!? なんでネプテューヌさんはそんなところに?」
「あはは。それは私にも良く解らないけど、お姉ちゃんだし」
ネプギアに提示された可能性の色んな意味での突拍子の無さに、ユニは何とも言えない声を上げる。ネプギアから姉が行方不明になったとは聞いていたが、まさか別の次元に居るなんて言われるとは普通思わない。
「けど、別の次元って事はこの世界じゃないんでしょ?」
「うん。でもね、ブレイク・ザ・ハード。四条さんを見たって言うのが、いーすんさんが言うには重要らしいの」
「どう言う事なのネプギア?」
「知りたい(どきどき)」
ユニの諦念交じりの質問に、ネプギアは元気付ける様に答える。それまで黙っていたルウィーの女神候補生であるロムとラムが、ユニの代わりにネプギアに続きを促す。
「異界の魂召喚の儀式」
「ユウが召喚されたって言う儀式よね」
「お姉ちゃんたちがやったってヤツね」
「みんな負けそうになったから使ったって言ってたよ」
それは四条優一を呼び出す際に使われた禁呪。イストワールにより女神に伝えられた世界を超える禁忌。
「一連の事件の後いーすんさんが気になって調べたらしいんだけど、それってこの世界には存在しない筈の術なんだって」
「……どう言う事よ?」
「本来無い筈の術が、ある日唐突に出現した。歴史を記しているいーすんさんが言うには、そうとしか思えないみたいなの」
史書であるイストワールはその存在理由として、超次元のゲイムギョウ界の歴史を記す役目を担っていた。そんなイストワールが過去の歴史を遡って、突然バグの様に脈絡なく出現していたのが、異界の魂召喚の儀式だった。それは普通なら気付かないほどの小さな違和感。まるで第三者によって意図的に組み入れられたように、それは存在していた。尤も、それはこの場に居ない黒の妖精の仕業であるが、この場にいる者達には知る由も無い。
「そうだとしたら……どうなるのよ」
「お姉ちゃんが居るのは、ここと良く似た世界なんだって。全部が解ったわけでは無いけど、向うにもいーすんさんとかノワールさんもいるみたいだし、世界の在り方はそんなに差が無いと思うんだって。つまり、異界の魂召喚の儀式もきっとないの」
「っ!?」
「なら、なんでネプギアのお姉ちゃんからアイツの名前が出て来たのよ?」
「気になる。もしかして……」
思わずユニは息を呑む。彼女の思い描いた可能性。それはもし予想通りだとするのならば、これまでの悲しみを吹き飛ばして尚有り余る可能性だから。
「うん。ブレイク・ザ・ハード。異世界から呼び出された四条さんがいるなんてこと、普通は無いよ。けど、四条さんは現れた。そして、見覚えのあるプロセッサユニットを展開していたんだって」
「見覚えのあるプロセッサユニット……? ユウが展開してた黒と紅のやつ?」
「ううん。違うよ。犯罪組織幹部である、マジックの物」
神次元に現れたネプテューヌ。それを追うように現れた異界の魂。偶然と片付けるには、あまりに出来過ぎている。何より、ネプギアはユニの為にも偶然だとは思いたくない。
「な、何でマジックのなの?」
「解んないけど、多分意味があるんじゃないかな。私たちの知らない何かがあったのかもしれない。例えば……四条さんは消えたけど、死んだわけじゃなかったとか」
「……っ」
憶測の域を得ない、根拠のない可能性だけの話。だけど思い当たる節もあって。それが正しいと言う確証など何もなく、待っているのは落胆だけかもしれない。それでも、止まっていたユニの心を動かすには充分すぎる事が起っていた。
「ユニちゃん。今、いーすんさんがお姉ちゃんをどうすればこっちの次元に呼び戻せるか調べてくれてるの。呼び戻せるなら、向うに行けるかもしれないよ。ユニちゃんは、如何したい?」
「……」
「ユニちゃんは、素直になりたいんだよね」
「……うん。アタシはアイツが居るのなら、少しでも可能性があるならユウに会いたい」
ネプギアの問いにユニは自分の本心から答えていた。例え別の次元に居ると言われても、逢える可能性がある。それで、ユニが決めるには充分だった。
「じゃあ、方法が見つかったら……」
「うん。アタシは向うに行ってみる」
どこか無理をしていたユニの瞳から、陰りが消えていた。間違いかもしれない。ぬか喜びの可能性もある。だけど、明確な目標を見据える事が出来た。それが、ユニに本来の力を取り戻させていた。瞳に確かな力を宿した親友の姿をネプギアは嬉しそうに見つめる。
「そうと決まれば、イストワールさんを手伝いに行きましょう!」
「うん!」
「仕方ないわねー。ユニちゃんの為だし、アタシとロムちゃんも手伝ってあげる!」
「みんなで頑張る!」
明確な目標を見据えたユニの行動は早い。逸る気持ちを抑え、最初の一歩を踏み出すのだった。
「ほんとにぃ~ほんとぉに大丈夫? 痛いのならぁ、ウチで治療するよぉ?」
「ああ、大丈夫だよ。ちゃんと直したからね」
心配性な女神さまの様子に困ってしまう。フェンリルヴォルフの討伐も無事に終わり、ギルドで報酬を貰ってからも気になってしまうのか、何度目になるか数えるのが面倒になるほど聞かれていた。自身の魔力を用いて施した治癒魔法により、既に傷は無くなっていたけど、それでも気になるのだろう。
「ほら、ね」
「……うん。よかったぁ」
右手をプルルートさんに見せる。すると、両手で少しだけ確かめるように触れると、小さく笑った。心底安心した。そんな感じの笑み。
「それじゃ、僕は行くね」
その笑みがあの子たちの物と重なってしまったから、名残はあるけど別れを告げる。あの子たちをこの子に重ねるのは、どちらに対しても失礼だと思ったから。どこか、逃げるように言っていた。
「あ、少しだけ待って~」
「ん?」
そのまま踵を返そうとしたところで、呼び止められる。結局、その場にとどまってしまった。
「これ、ゆー君にあげる」
そう言って手渡されたのは、淡い紫色の花を模った小さな装飾品だった。予想外に可愛らしいそれに、思わず目を丸める。
「えっと、これは?」
「えへへ~、さっきの依頼で貰った装飾品だよぉ。可愛いから凄く良いなって思ったんだけど~、ゆー君にあげるね。頑張ってくれたから~、お礼だよぉ」
満面の笑みで手渡される。対して僕は何とも言えない顔をしていたのではないだろうか。だって、流石に男が付けるのには可愛いすぎるし。
「いや、うん、まぁ、良いか。ありがとう」
とは言え、厚意で差し出された物を突き返す訳にはいかない。有りがたくいただく事にする。紫色の装飾品。可愛すぎる気もするけど、何処となく気にいった。なら、拒否する理由も無い。お守り代わりに持ってても良いと思う。
「ちなみにこの花って、何なのかな?」
「んー、それはぁ」
貰うのは良いけど、何なのか解らないと言うのもあれなので聞いてみる。
「プリムローズって言うんだよぉ」
するとプルルートさんは、楽し気に笑みを深めると、そう教えてくれたのだった。
プリムローズ。花言葉は運命を切り開く。
久々の更新です。中々更新できずすみません。
気付いたら一周年越えてたので、少し前から活動報告にてリクエスト募集中です。
さて、次回からはルウィー編はじまります。ルウィー関係は原作以上に色々ある予定です。