異界の魂   作:副隊長

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4話 彼の消えた世界で

「むぅ……」

 

 ユニは釈然としない気持ちを持て余していた。一体何がどうしたと言うのか。自分に宛がわれた書類を淡々と処理する傍ら、そんな事を考える。

 最近彼女の姉でありラステイションの女神であるノワールが、以前の様に良く笑うようになっていた。ユニの姉であるノワールはまじめを絵に描いたような人柄であるため、いつも元気に笑っているようなタイプでは無いのだが、ラステイションに暮らす人々を見詰め優しい笑みを浮かべる事が多かったのを、妹のユニは良く知っていた。

 だけどここ最近まで、姉が心の底から楽しそうに笑う事は大きく減っていたとユニは思う。その理由は、考えるまでも無かった。数年前に、この世界を、女神と犯罪神による悲しみの連鎖を断ち切る為だけに呼び出された異界の魂。彼による救世と別れがあったからだ。

 女神を救うために呼び出された人間が、文字通り命を賭して自分たちを救ってくれた。結局自分たちは何もしてあげられなかったのに、それでも君たちに出会えて良かったと言い、穏やかな笑みを浮かべ消滅した友達の事を思うと、今もユニは胸を締め付けられる。

 何の関係も無い世界に呼び出され、悲劇の連鎖に終止符を打った。歴代の女神が誰一人として成し得なかった偉業を成し遂げた人間は、お世辞にも強い人間では無かった。寧ろ、四条優一と言う人間だけを見れば、その弱さの方が目につくかもしれない。元の世界での四条優一は、自分一人ではまともに生きる事の出来ないような境遇であり、ある種の逃避願望すら持っていた。そんな人間に失った世界をもう一度見せ、失った自由をもう一度与え、離れていった人の温もりをもう一度教え仮初の希望を与えてから、再び絶望の淵に叩き落としている。女神たちは、例え自分たちの意思では無かったとしてもそうしてしまっていた。生きる希望を失いかけていた者にもう一度希望を持たせてから、希望と言う名の光が差し込まない奈落へと叩き落としていたのだ。その時の異界の魂の気持ちを慮ろうとするとユニは、辛くて、悲しくて、何よりもそんな友達の嘆きに気付けなかった自分が情けなくて、声を出す事すらできなくなる。そしてその嘆きに気付いていたのが、敵である犯罪組織の面々だけであると言うのが、四条優一が自分を押し殺していた事を嫌と言うほど明確に突付ける。

 実際に異界の魂の立場になった訳でもない自分がこれ程辛いのに、如何して四条優一は世界を救えたのかと考えると、またユニは辛くなる。だって、それはただ耐えただけとしか思えないから。辛いのも、悲しいのも、怖いのも、自分が既に死んでいると言う残酷すぎる事実も、女神たちの戦いの歴史とその中で生まれた悲愴であり悲壮な想いも、ただただ歯を食いしばり受け止めただけとしか思えないから。様々な不条理を押し付けられ、悲しすぎる想いを受け止め、自分を殺す覚悟を決め、それでも最期の時には穏やかな微笑みを浮かべて逝った友達を想うと、涙が零れそうになる。

 

「なんで、なの……?」

 

 だからユニには、今姉が優し気な笑みを浮かべている事が理解できなかった。お姉ちゃんもユウに一杯助けて貰ったはずなのに、アタシと似た想いを持っている筈なのに、どうしてそんな風に笑えるの? 

 新たに加わった秘書官を出来の悪い子供を慈しむように見るノワールを見詰め、ユニは何とも言えない気持ちに襲われる。

 

「ノワール様。確認お願いします」

「どれどれ……。こことここ。間違ってるわね」

「ええ……!? す、すぐ確認します!」

「ええ、書類は正確にお願いするわね」

「申し訳ありません」

 

 秘書官である青年からノワールは書類を受け取りさっと間違いの確認をし、直ぐ様修正の必要のある部分を指摘する。今度こそ修正する必要が無いと思い何度も見直した書類をあっさりと駄目だしされ、秘書官はがっくりと肩を落とす。

 

「まだ間違いはあるけど、かなり正確になって来てるわ。女神の仕事を初めて数日でここまで補佐できるのなら大したものよ」

「……っ、あ、ありがとうございます!」

「これでも貴方には期待してるんだからね」

「が、頑張ります!」

 

 項垂れる秘書官に、ノワールは励ますように告げる。すると、途端に秘書官の青年は飼い犬が褒められたように嬉しそうに笑顔を見せる。

 確かにミスはある。だけど、それを差し引いたとしても秘書官である青年は中々の速度で仕事を覚えているようにユニも思う。ケイやユニと比べては劣るが、それでも並の職員よりもずっと物覚えは良い。だから、ノワールの言葉自体はユニも妥当だとは思うのだけど、釈然としない。秘書官である青年は人当たりも良く、仕事に対する姿勢も真面目で好感を持てる相手な筈なのだが、何か気に入らない。ノワールが秘書官に笑いかけるのが、ユニは気に入らなかった。考える。そして、不意にノワールの笑みを見て思い至った。

 

「ユウは、もういらないの?」

 

 そんな筈は無い。そう思いつつも、ユニは姉の笑みを見ていると考えずにはいられなかった。ノワールの笑みからは憂いや嘆きの色が消え、ただ穏やかな色をしている。優しい色、と言っても良いだろう。それがはっきりと感じられる。その笑みの中に、悲しみは何も感じられないのだ。それが、ユニには悲しかった。今のノワールからは、悲しみが感じられないから。それはまるで、四条優一と言う人間が姉の中では過去の人物となっているように思えたから。そんな筈は無い。そんな事がある筈が無い。そう思いたいのに、ユニは今のノワールを見ていると解らなくなってくる。

 確かに秘書官は誠実で仕事に対する姿勢も真面目の一言であり、何よりもラステイションに対する信仰心に溢れている。だから、彼を抜擢した事に関しては意を挟むつもりはユニには無い。いや、いきなり秘書にするのは流石にやり過ぎだとは思うが。物覚えが良いとはいえ、ケイ程規格外の人材と言う訳では無いから。それでも、仕事だけの関係ならばユニは此処まで考える事は無かっただろう。だけど、ユニにはノワールが秘書官に何か仕事以外の期待をしているのではないかと考えてしまう。それが何かまでは解らないが。

 

「ユニ、少し良いかい?」

「え……、あ、ケイ。なにかしら?」

「休憩がてらに、少しお茶でもどうかな?」

 

 ぐるぐると嫌な思考に陥っていたユニに、声を掛けてきた人物がいた。ラステイションの教祖、神宮寺ケイである。事務処理をしつつ、あれこれと思考が脱線していたユニは、ケイが直ぐ近くまで来ている事にまるで気が付いていなかった為、驚きに目を丸くする。そんなユニの様子を見据え、ケイは何時もの薄い笑みを浮かべユニに休憩の提案をする。

 

「あ、うん。それじゃ、貰おうかな」

「では、少し席を外そうか。ノワール、ボクとユニは少し先に休憩させてもらうよ」

「ええ、解ったわ」

 

 唐突に振られた休憩の誘いを訳の分からぬままユニが受けてしまうと、そのまま有無を言わせぬ内にケイはノワールに少し席を立つと告げる。そんなケイに特に何か言う必要も無いため、ノワールはあっさりと許可を出した。そのままケイはユニの手を取り、部屋を後にする。ユニにはケイの行動の真意が計り切れず、手を引かれる儘ついてく。

 

「さて……と。君はケーキには何が良いかな?」

「ケーキ? ケイが? アタシと?」

「そうだよ。偶には良いかと思ってね。実は買って来ておいたんだよ」

 

 あまりの予想外な展開に、ユニは素っ頓狂な声を上げる。あの神宮寺ケイが、ユニと二人でケーキを食べると言いだしたのだ。女神候補生のユニから見ても、ケイは一癖どころか三つも四つも癖がある。そんな相手がケーキを食べようと誘ってくるとは予想だにしていない事態であった。失礼極まりない反応であるのだが、ケイは気分を害した様子も無く、笑みを浮かべたまま準備をしていく。

 

「アンタがケーキを買うなんて……、明日は雪でも降るのかしら?」

「これはまた、古典的な表現だね。似合わない事は否定しないが。飲み物は何が良い?」

「あー、何でもいいわよ」

「ノワールが言うには四条君が甘いものには珈琲が合うって言ってたから、珈琲にするかい?」

「……そうする」

 

 四条優一の名を出され、何となくユニはどう言う用件で連れ出されたのか見当がついた。特に意を挟む事無く、珈琲を頼む。直ぐに器に注がれ、チョコレートケーキであるザッハトルテと共に渡される。

 

「さて、どうぞ」

「ん、ありがと。……苦い」

「ふむ、ユニにブラックはまだ早かったかな」

 

 差し出された珈琲を一口含むと、口の中に広がる苦味に顔を顰める。珈琲の苦味にやられたのが露骨に顔に出た為、ケイは苦笑を浮かべながらミルクと砂糖を渡す。それをユニは無言で受け取り、珈琲に注いだ。

 

「アタシにはこれぐらいで良いかな」

「そっか。美味しいかい?」

「……うん。甘いものを食べたら、少し落ち着いたかも」

「それは良かった」

 

 ケーキをつつき、珈琲に口をつけ、幾分か落ち着いた様子のユニの言葉を聞き、ケイも自分のケーキを一口食べる。数瞬、沈黙が辺りを支配する。

 

「お姉ちゃんは、ユウの事を忘れようとしているのかな?」

 

 ぽつりとつぶやいたのはユニだった。何気なく、だけど万感の思いが宿った呟き。それを聞いたケイは一度目を閉じると、考えを即座にまとめ口を開く。

 

「ユニはさ、悲しみを乗り越える事についてどう思う?」

「え?」

 

 それに対する返答は、質問と言う形で返される。どう言う心算なのかユニには解らない。だけど、考えなきゃいけない気がした。

 

「悲しみに暮れて前に進めないでいる。それは良い事かな? 悪い事かな?」

「それは……」

「悲しんだことが遠い昔の事になり前に進む。それは良い事なのかな? 悪い事なのかな?」

「……」

 

 良い事なのか、悪い事なのか。そんな事決められるはずがないとユニは思う。そもそも善悪の問題では無い。悲しむ事は悪い事なのか。進めない事は悪い事なのか。或いは乗り越える事が必ずしも良い事なのか、進む事が良い事だと言えるのか。物語では良く、『悲しみは乗り越えなければいけない』と聞くけど、それが本当に良い事なのか悪い事なのかと問われると、答える事が出来ない。

 

「答えられないかい?」

「だって、そんなの良いか悪いかで決める事じゃ……」

「そうだね。そう言う価値観で決める事じゃない。誰かが決める事じゃないんだよ」

 

 悩むユニに、ケイは何時もの笑みを浮かべたまま肯定する。

 

「ユニは、ノワールが秘書官君を抜擢した事が気に入らないようだね。正確に言うならば、ノワールが秘書官君を傍に置いているのが気に入らない。彼を差し置いて、秘書官君と笑っているノワールが気に入らないのかな?」

「っ、気付いてたの?」

「ふふ、何年君たちと一緒に居ると思っているんだい?」

「むー、一方的に見透かされてるのは良い気がしないわね」

 

 にっこりと笑みを深めるケイに、ユニはむくれる。数年の時が経っているが、二人がずっと近くに居た事は変わりがない。昔と変わらぬ信頼があり、関係があった。

 

「ユニはノワールの考えが解らない。どうして四条君が居ないのに笑っているのか」

「うん」

 

 ケイの言葉にユニは素直に頷く。

 

「逆に聞くけどユニ。どうしてユニは、今のノワールが気に入らない?」

「どうしてって、それはお姉ちゃんがユウの事を忘れようとしているみたいだから……」

「忘れるのは、悪い事なのかな?」

「っ、駄目に決まってるでしょ!?」

 

 あまりの言葉に、ユニは声を荒げた。幾らケイの言葉とは言え、見過ごす事は出来なかったから。

 

「ああ、すまなかったね。言葉が悪かったよ。悲しみを乗り越えるのはダメな事なのかな?」

「それは……」

「答えられないよね。だって、そう言うものだから」

「でも……」

 

 それは先ほどの質問の答え。良いか悪いか。そう言う価値観で決める事はできない話だった。

 

「ずるい言い方をしたね。要するにボクが言いたいのは、どちらでもないけど、どちらでもあるって事なんだよ」

「どういう事?」

 

 ケイが言おうとしている事が解らず、促す。

 

「乗り越えるべき悲しみは確かにある。けど、悲しみは全て乗り越えなきゃいけないかと言えば、そうでもない。悲しい事を想い出して涙を流すのもまた、正しい事なんだと思う」

「良くも悪くもある」

「ノワールが秘書官君に支えて貰って悲しみを乗り越えようとしているのも、ユニが想い出を大切にして彼を忘れないようにしているのも、どちらも間違ってはいないんだよ」

「そうかもしれないけど……」

 

 それでも納得できないのか、ユニは釈然としないと言った感じの表情を崩さない。

 

「それにね、ユニ。君は近過ぎるから解っていないだけだよ。ノワールは彼を忘れた訳では無いよ。どちらかと言えば寧ろ……、忘れられないから秘書官君に縋っているだけなんだと思う」

「忘れられないから……?」

「ノワールと彼が一緒に居た時の事もボクは良く知っているからね。どれだけノワールが四条君を大事にしていたのかも知っている心算だよ。だからこそ言える。失った悲しみを自分だけで埋められないんじゃないかな。誰かに支えて貰って、乗り越えようとしているんだよ」

「それでも、アタシは嫌だよ。大事な友達が死んだのに、アタシ達を助けるために命を賭けてくれたのに、そんな人の死を乗り越えるなんて嫌だよ……」

 

 諭すように言うケイに、ユニは涙をこらえながら否定する。大好きな人が、大好きだった人の死を乗り越えようとしている。それがユニには耐えられなかった。悲しみに暮れている事が良い事だとは思わない。だからと言って、乗り越える事が正しいとも思えなかった。それは、回答の出る事の無い問いであると言える。

 

「ユニ。無理に越える必要なんかないんだよ。悲しいなら悲しんだままで良いんだ。何が正しいかなんて決められる事じゃない。だから、ユニはユニの想いを大事にしていれば良いんだよ」

「解んないよ……」

「そうかもしれないね。直ぐに答えの出る類の問題では無いよ。だから、納得できるまでゆっくり考えると良いよ。ただ、ノワールと秘書官君を嫌ってあげないでほしい」

「うん……」

 

 ケイの言葉にユニは小さく頷くと、残っていた珈琲を飲み干し、その場を後にした。

 

「……少し諭し方を間違えたかもしれないな。ユニにはああ言ったけど、ボクだって納得できているわけでは無いのに、どの口が言うのか……」

 

 ユニが去って行った方向を見詰め、ケイは困ったように零す。

 

「ノワール、本当にそれで良いのかい? 彼を乗り越えて、前を向いて進んで行くのか……? それで君は、本当に後悔しないのか?」

 

 それは教祖であるケイではなく、ラステイションの女神をずっと見て来た女の子であるケイの疑問であった。誰もいない場所で零される問。答えが出る事なく消えていった。

 




個人的にですが、ノワは揺るがない強い人物や弱みを一切見せない人物が相手の時より、だらしなかったり欠点がある人物が相手の方が持ち味が出せると思う。そう言う意味では、主人公と相性が良くないかも。
ちょっとどろどろしてきた気がしないでもないですが、とあるフラグ建築中。
主人公不在の回でした。

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