「しかし、これは一体どう言う事なんだろうね……」
ラステイションの教会、教祖の執務室にて、神宮寺ケイは資料を片手に独り言ちる。その手に持つのは、異界の魂である四条優一の検査結果であった。その理知的な瞳に僅かな疑問の色を宿らせながらも、淡々と資料を読み進めて行く。
「医療器具によるスキャンでは、
ケイはラステイションの診療器具で調べた結果と、医師による触診や目視での観察、処置などの報告書を興味深げに見据える。
「しかし魔法による検査によれば、その場には
軽く瞳を閉じ、考えを纏めながら自分に言い聞かせるように結論を纏めていく。
「異界の魂召喚の儀式によって彼の肉体だけが失われた。或いは、既に死亡していながら、誓約により存在している」
それが、ラステイションの教祖である神宮寺ケイが、そして彼女に情報を与えたプラネテューヌの教祖イストワールの至った結論であった。
異界の魂は世界を超える過程で力を得る。そして、四条優一本人が言うには、この世界の儀式では無かった。本来はゲイムギョウ界では無い別の世界に、四条優一の住んでいた世界であるチキュウより人間を呼び出す儀式であった。つまり、ゲイムギョウ界に呼び出す術では無い。そのため、一度本来辿り着く世界に行った後、更に世界を越えたと言う事だった。つまり、その体が受ける負担は、想像を絶するモノになる筈である。世界を超える負担を立て続けに二回受けた。そして、ケイがイストワールにより知らされた異界の魂が召喚された場所が最悪であった。
その地の名はギョウカイ墓場。
「こんな馬鹿げた話、あの子たちに出来る訳が無いか……。教祖と言うのも損な役回りだ」
そう呟くケイの表情は、どんな色もしていなかった。ただ淡々と、事実だけをかみ砕いている。
「出来る事なら、この考えが間違えでありますように」
事実であるならば、ラステイションの擁する女神と女神候補生にどう話せばいいのか。そもそも話せるのか。ユニは四条優一に心を開き始めていた。そして、ノワールは先にしでかしてしまった事を含め、負い目を感じている。そんな二人にどう話せばいいのか。その時の事を考えると、間違いであってほしいと切実に願った。
「しっかし意外だなー。まさかあそこまでされて、女神と一緒に居るなんてなー。ユーイチって、Mなのか?」
「クロワールか。急に出て来たかと思ったら、これまた随分な物言いだね」
ラステイションの大きな都市の一つミッドガルド。女神や教祖のいる程では無いが、この都市もまた、工業都市と言うのに相応しく、重厚な街並みが広がっている。
この都市についたところで、ノワールとは一旦二手に分かれていた。今回の依頼と言うのは、魔物の討伐であった。ノワールは今回の仕事の依頼人に直接話を聞き行っており、僕の方は事前に知らされていた、魔物の巣のある場所についての情報をギルドに貰いに行くため二手に分かれたと言う訳であった
そして僕が一人になったのを見計らったかのように表れたのが、僕に合わせて並走するように浮かぶ黒の妖精、クロワールだった。突然現れた事については、この世界に来て本当に色々な事が起っている為、さほど驚く事は無かった。人間の慣れと言うのは本当に凄い物である。
「そりゃ言ーたくもなるだろ! いくらお前がこれ以上死なねーつっても、痛みはあるんだろ。それって、ある意味では死ぬよりつれーことじゃん」
「まぁ、確かにね。僕が本当に人間を辞めない限り、痛みは感じるだろうし、死ぬより辛いのかもしれないね」
クロワールの言葉に同意する。確かにクロワールの言う通りだった。正直、今でも実感が無いのだけれども、彼女が言う通り僕は死ぬ事が無い体となっていた。そもそも、死に絶える肉体自体がこの世界に存在しないらしい。ならば何故僕が存在しているのか。それは異界の魂召喚による誓約だった。女神の脅威を排除するまでは、僕はこの世界に存在しなくてはならない。そしてその目的を達成するには実体がいる。そのため、異界の魂の誓約により、この世界に居る間は魂だけで仮初の体を得ていた。それ故、実体を持ちながら魂だけの存在と言う訳であった。
そして、クロワールが言うには、今の僕が傷付けられるのは魂が直接傷付けられているのと同じらしい。怪我をしたら痛みを伴う。そんな魂に刻まれた生物の理屈が、魂だけとなっても適応されると言う事だった。だから、斬られれば痛いのだ。
「けど、それは僕が人間だった証拠だからね。失くすことは避けたいかな」
「ふーん。人間だった証拠ねー。いっそ痛みも感じねー化け物になっちまえば、楽なんじゃねーの?」
「痛みが解らない化け物か。それって、どういう状態なんだろうね」
「さーな。そこまでは解んねーよ」
無責任な事を勧めてくるクロワールの言葉に呆れながらも、考えてみる。絶大な力を持ち、痛みを一切感じずどんな手段を用いても死ぬ事も無い本当の化け物。そんなモノがいたとしたならば、どう対処するのだろうか。
「君はどうにも僕に破壊願望を持ってほしい様だね」
「そっちの方が面白そーだしな! 俺としては、面白い結末を見せてくれるなら何でもいーんだよなぁ。ハッピーエンドだろうが、バッドエンドだろうがな」
「相変わらず性格悪いね、君は」
面白ければ何でも良いと言う、出会った時からブレないスタンスに、呆れを通り越して感心してしまった。快楽主義と言うか、自分が楽しめればいいと言う、何とも身勝手な言い分が逆に清々しいぐらいだった。こんなことを思うのは、多分クロワールだからだろう。純粋にそんな好き勝手な事を言っているから、どこか憎む事が出来ない相手だと言えた。
「ははっ、ひっでーな」
「君にだけは言われたくないね」
「そりゃそーだわな」
僕の皮肉にもどこか楽しそうに笑うだけで、堪える素振りも見せない。
「おや、何とも珍しい
そんなクロワールと話している時だった。奇妙な老人に出会ったのは。
「なんだ、このじーさん。お前の知り合いか?」
「いや、知らない人だよ。と言うか、あの声の掛け方で知り合いは無いんじゃないかな?」
気付けば目の前に居た初老の男性。薄汚れた外套を身に纏い、どこか怪しげな光を宿らせている瞳から、物語に出てくる魔法使いを連想させる人物だった。
「おおっと、すみませぬの。そちらの男性が珍しかったもので、ついつい声を掛けてしまった」
「へー。このじーさん、お前の事が解るみてーだな。ただもんじゃねーよ」
老人の言葉に面白いものを見つけたと、クロワールが目を輝かせる。
「ここに在りながら、無い存在。異世界から呼び出された貴方が辿り着く結末は、この世界を変えない限り最初から決まっている」
「……」
老人の言葉に耳を傾ける事にする。何故っと言う疑問はあるが、答えて貰えると思えなかった。
「だが、この世界を変えると言うのならば、道は開けるかもしれない。既に定まった結末を打ち砕いて、な」
「この世界を変える?」
問い返していた。道が開ける。その言葉が、どうにも気になってしまったから。
「……興味があるなら、力を求めなされ。実体無き力を奉げる事で強くなる剣。それを得た時、貴方の得た能力を持ちいれば道が開けるかもしれん」
「その剣と言うのは?」
「魔剣ゲハバーン。とある者達を倒すためだけに作られた剣。貴方が本気で欲するのならば、何れ巡りあう機会が訪れるだろう。そのときに選択する事になる」
「魔剣、ですか」
老人の言葉に、以前ラステイションのギルドで見た情報を思い出す。命を奉げる事で強くなる魔剣。たしか、そんな情報だった。
命を奉げる魔剣。果たしてそんな事が僕にできるのか。イストワールさんが言うには僕の肉体は、仮初のモノであり、クロワールが言うには違う世界に置き去りにされた僕の肉体は既に死に絶えている。そして異界の魂としての誓約がなくなった時、魂だけが元の世界に戻される。そして帰還する世界には肉体が無く、ゲイムギョウ界の様に、誓約による仮初の肉体も存在しない。つまり、魂だけの状態で放り出される。早い話が、きっと死ぬ。それがすでに確定した結末であった。
はっきり言って、自分が既に死んでいると言う実感がイマイチ無いのだけど、黒の妖精が言うにはそうらしい。色んなものに触れられ、感じる事が出来る。見る事も出来れば、話す事だって可能だった。それなのに自分が死んでいるなんて言われても、実感なんかある訳が無い。
だけど、いくつか思い当たる点はある。例えば、どれだけ酷い状況であろうと死なないと言う感覚。戦う事への恐怖や、痛みへの恐怖は感じるのに、それでも死ぬと感じた事は一度足りとも無かった。思い返してみて、理性では死ぬんじゃないだろうかと思う事は多々あるのに、死の恐怖と言うものだけは感じた事が無い。それはきっと異常な事だったと思う。だけど、既に死んでいると言うのなら、それもまた納得できる。既に死んでいるのなら、もう一度死ぬ事なんてありえないのだから。
更に、ギョウカイ墓場から自力で帰還していた。生きた人間が行けない場所だった。逆を言えば、生きた人間が出れない場所でもある。そんな地であるにも拘らず、自分は何の制約も無く出る事が出来た。それは、僕が
そして、マジックやノワールに負わされた傷。ネプギアさんや何時ぞやのネズミ君を治療した時と比べて、違和感を感じた。何と言えばいいのか、他者を癒す時は暖かな力だったのだけど、自身を癒すのはどこか淡々としていた。熱は感じたのだけど、暖かいものでは無い。それどころか、熱い筈なのに、どこか冷たいと言っても良い奇妙な感覚。癒すと言うよりは、作り直す。治癒では無く、補修。そんな言葉がしっくりくる。
思い返せば心当たりはいくつかあった。そう考えると、既に死んでいる人間がどうやって命を奉げるのだろうか。そんな物を使えるとは思えない。
「必要ありませんよ」
「今は、な」
「そんなものを僕が欲する時が来るとでも?」
「人は弱い。だから本当に追い詰められた時にこそ、救いを求めるものなんじゃ。それは異邦人とて変わらんよ」
老人はくつくつと喉を鳴らしながら、僕に言い聞かせるように語り続ける。
「そーだぜゆーいち。特にお前の場合は、恨む理由だってある訳だしな」
「だから、それを君が言うのかい?」
「ししし、悪い悪い」
「……もう、良いよ。どうせ言っても無駄だろうし」
溜息が零れた。僕がこの世界に呼ばれる原因となったクロワールにだけは言われたくない。
「まぁ、覚えていても損はありませぬよ。年寄りの戯言だと思って聞き流しておいてくだされ」
「……心に留めておきますよ」
老人の言う事は僕に必要だとは思わなかったけど、いやに気になってしまった。魔剣と選択。そんなものはいらないと思うのだけれども、その言葉は心の奥に刻み込まれていた。
「人を待たせているので、行きますね」
老人に背を向ける。魔剣。何か嫌な予感がした。その感覚を信じ、話を打ち切っていた。
「ああ、呼び止めてしまって悪かった。お若い方、悔いの残らない選択が出来るように祈っておきます」
背後からそんな言葉が聞こえた。老人の声。嫌にはっきりと耳に残っていた。
「魔剣、ねぇ。どーすんだよ、探すのか?」
「探しません」
ギルドで資料を貰った帰り道、今日は意外としつこく傍に居るクロワールが尋ねてきた。
「えー! 明らかにあの爺さん怪しかったじゃん。ぜってー面白いものが見つかるって」
「いや、そんな理由で物騒なものを勧めないでほしいな。……、君には言うだけ無駄か」
「いい加減、俺のことを解ってきたじゃねーか」
クロワールに常識を求めるのは無理かと思いなおしたところで、件の黒い妖精は相変わらずの様子でにやにやと口元を緩めていた。
「まぁ、実際のところ、選択肢に入れてもいいんじゃねーの? このままじゃ、どう足掻いてもお前に良い事なんかねーぞ」
「そう、なんだよね」
確かにこのままノワール達を助け、女神を救い出し犯罪組織を倒したところで、僕の抱える問題は解決する事は無い。むしろ、出来る限り先延ばしにしなければいけない事柄だった。女神の願いを達成した時点で、僕の存在意義が無くなるからだ。そしてそれは、そのまま僕の終わりを示していた。
「そうなんだよね、じゃねーぞ。なんでお前はそれでも笑えるんだよ。死ぬのが怖くねーのか? いや、消えるのが、だな」
「んー。難しい質問をするね」
にやにやした笑いを不意に消し、クロワールは真面目な顔をして聞いてくる。その質問に答えるのは、それほど難しい事では無かった。ただ、上手く伝えられるかは解らない。
「元の世界での僕はさ、交通事故にあって色々大切なものを無くしたんだよ」
とはいえ、聞かれたからには答える事にする。好き好んで広める様な話じゃないけど、絶対に黙っておきたい話でもない。相手にもよるけど、クロワールならば特に問題は無かった。
「両目だったり、足だったり。大事な人たちも無くした。そんな中で、僕だけが生き残っちゃったんだよ」
「それがどうしたんだよ」
「何と言うのかな、当時の僕は死んでないだけで、生きる希望って言うのが見いだせなかった。親戚のおじさんたちが親身になって世話をしてくれたけど、それでも糧となるものが無かったんだよ。きっと、一度死んだ気になってたんだと思う」
ただ一人生き残った。運が良かった。だから体は生きていた。けど、その時に心は一回死んだんだと思う。
「そんな日々に慣れ始めた頃に、この世界に呼び出された。そして再び世界を見て、動く事が出来たんだ。純粋に嬉しかった」
「嬉しかった?」
「ああ、見れる景色が綺麗に感じた。自分の意思で動く事が出来た時、言い知れない嬉しさが込み上げてきた。あの時にきっと、死んでいた心が蘇ったんだと思う」
始めてこの世界に来た時、知らず知らずに涙が零れ落ちた。滴り落ちる雫を止める事が出来なかった。それは、どうしようもなく嬉しかったから。そしてその時に、心が蘇り身体が死んだ。
「だからって、お前は笑えるのか?」
「そうだよ。一度死んだから、もう一度死んだとしてもそこまで驚く事は無かったんだと思うな」
「……なんだよ、それ。意味解んねーよ、お前」
クロワールが吐き捨てるように言った。苦笑が浮かぶ。僕だって、上手く伝えられるとは思ってなかったから。だけど、そう思っているのだから仕方が無い。
「僕も解らないよ」
だから、クロワールの言葉にすんなり頷いていた。
「……くく、ははは。なんだよそれ。やっぱりお前は意味が解んねーよ。わかんねーけど、見てて飽きねーのは確かだ!」
「何か凄く釈然としない笑い方をされている気がする」
「あっはっは! 細かい事は気にすんじゃねーよ! お前は見てて飽きないやつだと思っただけだかんな」
上機嫌になったクロワールに困惑する。そんなに自分は面白い事を言っただろうか。寧ろ、意味不明な事を言った感じしかしない。
「意味不明な見ていて面白い化け物。それがお前だよ!」
「……誰が意味不明な化け物だって?」
何時ものような笑みを浮かべるクロワールの言葉に呆れる。言う事欠いて化け物とは。全力で否定できないのが悲しいところだった。
「あっはっは。じゃーそろそろ行くわ。黒の女神を待たせるとわりーからな!」
「……まったく、君は何しに来たのか」
「ふふん、そいつは内緒だ! じゃーな」
そんな調子でクロワールは去って行った。相変わらず何しに来ているのかはイマイチ解らないけど、取り合えず来ると疲れると言う事だけは解った。
「っと、そろそろ僕もいかないと」
クロワールに遭ったせいで思いの外時間が経っていた。妙な事を色々と言われたけど、一先ずやるべき事に専念する。魔剣に選択、そして定められた結末。考えるのはもう少し落ち着いてからにしよう。そう思い、ノワールと合流する為に歩を進めた。
主人公の秘密の大部分を公開。