異界の魂   作:副隊長

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17話 黒の女神

「っ!?」

 

 黒の女神によって放たれた斬撃。女神救出に沸くラステイションのシェアによって作られた女神の持つ剣は、その刀身から尋常では無い力を巻き起こしながら僕を切り伏せようとその刃を煌めかせる。先程虚を突かれたため、態勢が大きく崩れてしまっていた。何とか回避をしようと両足に力を込め飛び退るけど、避けきれずに左腕を切り裂かれる。

 

「ぐ……」

 

 歯を食いしばり、痛みを堪えながら後退する。左腕を深く斬られてしまっていた。切られた瞬間に鋭い熱が奔ったが、今はじゅくじゅくとした深い痛みが断続的に続いている。しかしそれよりも問題なのは、左腕が上がらない事だ。何とか態勢を立て直しはしたけれど、切裂かれた左腕が殆ど動かせなくなっていた。筋でも切ったのだろうか。だらんと腕が下がり、まったくと言って良い程動かす事が出来ない。どう考えてもまずい状態だと思う。右手に魔力を収束し、言葉を紡ぐ。

 

「月光――」

「反撃なんかさせてあげないんだから!」

 

 癒しの魔法を使おうとしたところで、此方の魔力を感知でもしたのだろうか、直ぐ様僕の間合いに入り込み、ノワールさんはその剣を振りかざす。瞬間、収束させた魔力を霧散させ、長釣丸を女神の剣にぶつけ合わせる。火花が散り、視界が明滅する。腕を切り裂かれた痛みを歯を食いしばって堪えていたけれど、長くは持ちそうになかった。だらだらと流れ続ける血の暖かさを感じれば感じる程、背筋の奥から言い様の無い冷たさが近付いてくるような気がした。

 

「……くぅ」

 

 流れる様な剣の舞を、右手だけで捌き続ける。長釣丸の記憶から読み取った使い手たちの経験に助けられ、何とか凌ぐ事はできているのだけれど、徐々に意気が上がってくる。右手を動かす度に、左腕が熱い熱を放ち、警鐘を慣らす。まずい。そう思うのだけれども、痛みで上手く言葉を出す事が出来ず、右手を動かし防戦に徹する事しかできない。そんな状況に嫌な汗が流れ始めた。唇を小さく噛みしめ、途切れそうな意識を痛みで繋ぎ止める。

 

「このまま押し切らせてもらうわ。フレイムエッジ!」

「……!?」

 

 黒の女神が放つ斬撃を何とか受け止め続けていたが、僕が攻撃に移れない事を一連の攻防から悟ったのか、ノワールさんは一瞬だけ力を込めるように間をあけ、一気に踏み込んでくる。完全に間を外されていた。僅かに作られた差に、本来長釣丸が受け止めるべき剣を素通りしてしまう。女神の持つ大剣が迫る。ああ、ユニ君のお姉さんは、あの子が自慢する様に凄い人なんだなっと、場違いな事を考えてしまう。そのまま、来る痛みに歯を食いしばる。そして、

 

「っ、ああああああ!!」

 

 炎を纏った黒の女神の一撃が、僕の胸を袈裟に引き裂いた。反射的に飛びのいたが、文字通り焼かれる痛みに叫び声をあげてしまう。それでも尚、倒れる事はできない。そんな執念にも似た思いで、もういちど距離を取る。着地に失敗し、崩れかけの床を転がるようにして何とか間合いを外した。すぐさま立ち上がるが、膝が笑ってしまっている。

 

「逃がさないわよ。レイシーズダンス!」

 

 しかし、その程度で黒の女神から逃げる事は叶わない。僕が必死の思いで開けた間合いを、一呼吸もしないうちに詰めたノワールさんが、その綺麗な黒髪を靡かせながら肉薄する。剣が来る。そう思い長釣丸を予測地点に滑り込ませるが、思いもよらぬところからの攻撃が強襲する。

 

「かはっ!」

 

 女神の力によって強化された身体能力による蹴り上げ。予想だにしていなかった場所からの強襲に、もろに蹴り上げられた僕に、さらなる蹴撃が襲い掛かり、流れるような連打を貰ってしまう。かろうじで最後に放たれた斬撃だけは受け止める事が出来たのだけど、脳が強く揺さぶられていた。受け身も取れずに地に落ちた僕は、それでも無理やり体を動かし、ノワールさんからなんとか距離を取ろうとする。

 この人と戦うなんて選択肢、僕には最初から存在していなかった。ユニ君の大切な人であり、ケイさんや防衛隊の人たちをはじめとするラステイションの人たちが信仰する程の人だった。そして僕はこの人を助けるためにこの世界に呼ばれた。だから、剣を向けるなんて事したくは無い。

 

「流石にユニを倒しただけはあるわね。すべての攻撃をぎりぎりのところで往なされてる。だけど、これで終わりよ」

「……っ、うぁ。人の話を、少しは聞いて……」

「妹を殺そうとした人間の言う事なんか、聞く訳ないでしょ!!」

 

 耐え難き痛みに耐え何とか絞り出した言葉も、ノワールさんの叫びに一蹴される。妹思いなのは良いのだけれど、ことこの場面においては、それは最悪な事だった。完全に激昂しているノワールさんには、僕の言葉は届く事は無かった。なら、どうすればいい? 僕はどうすれば、この状況を斬り抜けられる。

 

「いい加減に、倒れなさい!」

 

 剣が振り抜かれる。それを避けようと体を動かそうとするけど、僕の思いとは裏腹に、身体は満足に動いてくれなかった。だから間合いを離す事は諦め、視る事に意識を集中させる。来る。ノワールさんの呼吸を肌で感じ取り、小さな体捌きだけで振り抜かれる刃に対抗する。

 

「トリコロルオーダー!」

 

 鋭い踏み込みからの三連撃。その呼吸を全身で感じ取り、ノワールさんの放つ斬撃の間を完全に読み切る。

 

 ――霞三段

 

 それは、僕とは別の世界に呼び出された異界の魂の記憶。一度は世界を憎みながら、その世界で生きて行く事を肯定した剣士の記憶。長釣丸の本来の持ち主であり、不完全な異界の魂と呼ばれながら、完全な異界の魂として覚醒した人間が使う技であった。相手の剣閃を完全に読み切り、自分の間合いを保持したまま放つ後の先を取る動き。長釣丸を通し、同じ異界の魂である僕を助けてくれるかのように、力を貸してくれたのが解った。

 

「う、そ……」

 

 ノワールさんが呆然と呟く。完全に止めを刺すつもりで放たれた斬撃。その全てが空を切ったから。そして、彼女が晒した隙は、戦いに於いては致命的な間隙であると言えた。ソレに気付いたノワールさんは、ただ強く瞳を閉じる。僕の体がノワールさんを斬る為に動いていたから。襲い来る痛みに耐えるかのように、強く体を強張らせた。そんなノワールさんを見て、反射的に動いていた体を無理やり止める。僕はこの人を斬りたい訳では無いからだ。何とかノワールさんに到達する前に刃を止め、三度距離を取る。だらりと下がった左腕から、感覚がなくなり始めていた。言い知れぬ倦怠感が押し寄せるが、無視する。ここにきてようやく距離を取る事が出来た。今度こそ腕を治すために、魔力を集中させた。

 

「……え?」

 

 ――月光聖の祈り

 

 それで幾分か左腕の痛みが和らぐ。だけど、未だにノワールさんと交戦状態に入っている。満足のいく程の治療が出来た訳ではなかった。未だに腕は動かない。止血だけできたと言うのが一番近いと思う。

 ノワールさんは僕の行動に一瞬呆けた様な声を出すが、直ぐ様剣を構えなおした。少しだけ、その表情に困惑が宿っているのが解った。先ほどのタイミング、斬ろうと思えば斬れたのに、僕がそれをしなかったからだと思う。僕がユニ君を襲い、殺そうとしたとでも誤解している様なので、その様子も仕方が無いと思う。

 

「どう言うつもりよ? 私なんて何時でも倒せるって言う余裕?」

 

 少しばかりイラついた調子でノワールさんは吐き捨てる。

 

「僕は貴方と戦うつもりはないよ」

「なら、なんでユニをあんな目に合わせたのよ! あの子に何の恨みがあってあんな酷い怪我を負わせたの!?」

 

 悲痛な叫び。妹を僕に斬られたのだと思い込んでいるのだから仕方が無いけど、此方からすればいい迷惑だった。僕にユニ君を斬る心算なんて、最初からないのだから。

 

「それは誤解だよ」

「何が誤解よ。この場に居るのはユニを除けばあなたと私だけ。しかもあなたは私の目の前でユニを殺そうとしてたのよ!! そんな状況証拠も揃っているのに、何が誤解だって言うのよ!?」

「それが誤解なんだよ。僕はラステイションの女神候補生を殺そうなんてしていないよ。あの子を斬ったのは、違う相手だ」

「じゃあ、誰がユニを殺そうとしたって言うのよ」

「犯罪組織マジェコンヌの幹部、ブレイブ・ザ・ハード」

 

 ノワールさんに、ユニ君を討ち果たした相手を教える。そうすれば何とか剣を下ろして貰えると思ったから。

 

「ブレイブ・ザ・ハード……。確か、ケイが言っていた名前だ」

 

 ブレイブの名を出したら、ノワールさんは少し考え込むように名前を反芻する。

 

「確かに犯罪組織の幹部ならユニを倒せるかもしれない……。じゃあ、そのブレイブっていうやつがユニを倒したって言うのなら、貴方は何でこんなところにいるのよ?」

「僕は、あの子を助けに来たんだよ」

 

 ノワールさんの質問に答える。僕が此処に居る理由。ユニ君が戦っていると聞いたからだった。

 

「なら、ユニを助けるために貴方はここに来たと?」

「そう言う事だよ」

 

 頷く。それが事実だったから。

 

「確かに貴方の力があれば可能かもしれないけど……、それは本当なの?」

「どういう事かな?」

「貴方の力は、人の身には強すぎる。本当は貴方が犯罪組織の幹部、ブレイブ・ザ・ハードで、私が隙を見せるのを待っているんじゃないの?」

 

 それでもノワールさんの疑いは晴れないようで、そんな事を言った。確かに彼女から見たら、僕の力は異常と言えるだろう。唯の人間が、女神と戦えるほどの力を有している。その疑いも仕方が無い。

 

「それは違うよ」

「なら、その力はどうやって得たものなのよ? 女神と対等に戦える人間なんて、聞いた事ないわよ」

「それは……」

 

 ノワールさんの言葉に口ごもる。理由を話す事をできない事は無い。むしろ、彼女は僕を呼び出した張本人の一人だった。話しても問題は無い相手だと言える。だけど、僕個人の感情から話したくは無かった。ノワールさんとは今戦ったぐらいしか接点が無いけど、凄く妹思いの優しい人なんだと言う事が解ったから。自分だって本来動ける身体じゃないのに、ユニ君を助けにここまで来た。そして、誤解ではあるのだけれど、ユニ君に牙を剥いた相手を倒し、妹を助けようとしている。確かに彼女は、妹思いの優しい姉だった。

 そんな優しい女の子に、異界の魂について話したらどうなるだろうか。想像するのに難しい事は無かった。イストワールさんのように泣いてくれるかもしれない。そこまででは無かったとしても、自分を責める事は簡単に解ってしまった。そしてそれは、僕の望む事では無かった。

 

「言えないよ。それは、言えないんだ」

 

 結局、ノワールさんに話す事は出来なかった。話さないとこの状況が好転しないと解ってはいたけれど、それでも話す事が出来なかった。

 

「そう、言えないって言う事はやましい事があるのね。なら、やっぱり貴方は私の敵よ。今此処で、倒すわ」

 

 そう宣言し、ノワールさんは僕に向かい剣を構えた。考える。今この状況を打開するには、どんな手を打てばいいのか。一つだけ、思い浮かぶことがあった。

 

「それでも僕は貴方の敵じゃない。絶対に違うよ」

 

 それだけノワールさんに告げた。言葉で言ってもきっと伝わらない。だから、これが最後に言う言葉だった。強く長釣丸を握り構える。正直に言えば怖かった。相変わらず死の恐怖と言うものは感じないのだけれども、斬られる痛みは先ほどから嫌と言うほど味わっていた。その痛みをまた受けると思うと、少しだけ怖い。

 

「今度こそ、倒す!」

 

 ノワールさんが剣に魔力を纏い、一気にこちらに向かい飛来する。女神の剣が炎を纏っていた。紅の輝きを纏う黒き剣が、綺麗な弧を描き迫ってくる。ノワールさんの顔をただ見据え右手を動かす。

 

「ガンブレイズ!」

 

 それは炎を纏う黒き剣での切り上げだった。霞三段を放った要領で、ただその斬撃の描く曲線を捉えている。そして、僕に当たるその刹那、右手に持つ長釣丸を

 

「な――!?」

 

 地に突き刺していた(・・・・・・・)。そのまま無防備な僕へと刃が吸い込まれ、紅が弾けた。

 

「か、はっ」

 

 あまりの衝撃に踏み止まる事も出来ず、その場から凄まじい勢いで吹き飛ばされる。斬られる瞬間に見たノワールさんの驚きに染まった顔をもう少し見ていたかったけど、そんな事が出来る訳も無い。炎を纏った女神の剣で斬られていた。その衝撃に内臓がやられたのか、喉から熱いものが咽び上がり一気に吐き出した。鮮血が宙を舞っているのを、ぼんやりと眺める事が出来た。そしてそのまま地面にぶつかり、勢いに身を任せる。

 

「――!?」

 

 ノワールさんが何かを叫んでいるのが、酷く遠くで聞こえた。貴方の敵ではないと宣言し、無抵抗を貫く。眼前の女の子と戦えない以上、僕が選んだのはそう言う方法だった。ちゃんと成功すると良いな。そう最後に思い、途切れそうになっていた意識を手放すのだった。


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