「まったく、確かな情報なんでしょうね」
ラステイションにて秘密裏に行われていた計画。異界の門を使用しての女神奪還作戦が行われて数日が経ったある日、アイエフは仲間と一旦別れ、ただ一人サイドカーの付いた大型バイクを駆り、プラネテューヌへと続く街道を駆け抜けていた。
「女神が助け出されたなんて話、ガセネタだったらシャレにならないわよ」
理由は簡単だった。アイエフはネプギアと共に旅をしているが、プラネテューヌの諜報部員でもある。其処に彼女が今し方呟いた情報がもたらされたことにより、招集がかかったからだ。招集を行ったのは、プラネテューヌの教祖であるイストワールであった。アイエフの上司であると同時に、プラネテューヌの実質的なトップからの招集である。それだけでも今回の情報の信憑性の高さが窺えると言うものだろう。
だからこそアイエフは仲間たちと一旦別れ、単身プラネテューヌに帰還していた訳である。
「けど、事実だったとしたら今よりももっと希望が出てくるわね……。情報通りノワール様が助け出されたと言うのなら、ネプ子達を救出する為の大きな助けになってくれる筈」
そして彼女の仲間であるネプギアたちと言えば、ラステイションからルウィーに向かって進んでいたのだが、プラネテューヌの諜報部によりもたらされた情報を聞き、引き返す事にしたと言う訳であった。情報が事実であるならば、残る女神救出の大きな助けになるからだ。その為、アイエフは一度プラネテューヌに戻る必要があるが、そのほかのメンバーは自由に動く事が出来たため、先行してラステイションに向かったと言う訳であった。少しでも早く、女神の力を借りたかったわけである。
「上手くやりなさいよ、ネプギア。そうすれば皆を」
彼女の友達であり、一度は目の前にまで辿り着くも助け出す事が出来なかった女神。そんな女神を今度こそ助け出すための大きな希望が見えてきた。普段は一歩引きクールなアイエフなのだが、この時ばかりは気が急いていたのだろう。アクセルが強く握られ、トップスピードで駆け抜ける。
「ネプ子をきっと救い出せる――って、あれは!?」
雪国であるルウィーとプラネテューヌの境界。辺りに薄らと積もっていた白が消え始めていたところで、アイエフは何ともなしに景色を眺めた。特に理由があったわけでは無い。ちらりと視線を動かしたときに、たまたま目に入ったと言うだけであった。思わずブレーキを引き絞り、急制動を駆ける。慣性により全身にかかる圧力に耐え、アイエフはバイクから降りると慌てて駆け寄っていく。彼女の視線の先には、ぼろぼろになった男がふらふらと弱弱しく歩いていた。手に持つ一振りの長刀と後姿に見覚えがあったのだ。
「ちょっとアンタ、いったいどうしたのよ!?」
アイエフは男を追い抜くと、正面に立ちその顔を見る。その人物は、彼女の思った通りの男だった。
「あ……、あいちゃん?」
「なんでそんな怪我してるのよ、四条!」
それは、ラステイションの女神候補生とパーティーを組んでいた人間。自信を失った女神候補生を再び立ち上がらせた人物。ユニのパートナーである、四条優一だった。
「助かった……のかな」
「ちょ、ちょっと!?」
四条優一はその焦点の合わない瞳でアイエフを捉えると、心底ほっとしたのか力のない笑みを浮かべた。長刀を杖の様にして歩いていたのだが、安心したのだろう。長刀をその場に取り落とし、ゆっくりと崩れ落ちてしまった。
「何なのよ一体! とりあえず、ちゃんとした傷の手当てが出来るところまで運ばないと」
その場で倒れてしまった優一を、アイエフは慌ててバイクのサイドカーに乗せると、直ぐさま応急処置を施しバイクに跨った。見るからに酷い怪我をしている。彼女の出来る範囲の治療では、焼け石に水と言った具合だった。すぐさま見切りをつける。既に彼女に何とかできる範疇では無かったのだ。アイエフは自分にできることとできない事を即座に把握し、最善の行動をとったと言う訳であった。
「ああもう、なんでこうも厄介ごとが次から次へと!!」
一気にアクセルを引き込み、加速する。サイドカーの付いた大型のバイクが街道を駆け抜ける。風を切る大きな音と共に、アイエフの悲痛な叫びが街道に響き渡ったのだった。
「お姉ちゃん……」
ラステイションの教会の一室。助け出された黒の女神の部屋でユニは姉の手を握り小さく呟いた。ベッドの上で寝かされているユニの姉であるノワールは、苦しそうに表情を歪めながら寝返りを打つ。時折零す弱弱しい吐息が、黒の女神の消耗を否応なくユニに伝えてくる。女神と称されるだけあり、人間と比べ整いすぎた顔に、珠のような汗を浮かべ苦しげに眠っていた。そんな姉の額を、濡らしたタオルでそっと汗を拭きとったあと、両手を包み込むようにして握る。女神の手を握る女神候補生の瞳には、今にも零れ落ちそうなほどに涙が溜まっていた。
「ッ、絶対に泣かないんだから」
自分に言い聞かせるようにユニは呟く。今は泣いている場合じゃなかった。ユニとノワールを逃がすため、一人ギョウカイ墓場に残った四条優一。アイツは絶対に死んでなんかいない。自分を置いて勝手にいなくなったりはしない。約束したんだ、と、そう何度も何度も言い聞かせる。
そう思わないと、ユニは泣き崩れてしまいそうだったからだ。
ギョウカイ墓場で遭遇した二人の敵。近くに来るだけで、ビリビリとした強すぎる力をユニは感じた。勝てない。女神候補生であるユニが、対峙しただけでそう思ってしまうような相手であった。そんな相手に、ユニのパートナーはただ一人で立ち塞がった。
姉であるノワールの救出の際、ユニは重大な失策を犯してしまった。直後に強大な力の持ち主が迫って来た時、どうすればいいのか解らなくなってしまった。目の前に姉が居ながら、助け出す事も満足にできない。泣きそうになるのをこらえるだけで精一杯だった。その時に、優一はシェア増幅器を起動させ、瞬く間に黒の女神を救い出し、自身にいくつもの魔法を施した。思えば、あの時点でどう動くかの覚悟を決めていたのだろう。姉を抱き、パートナーを置き去りにして帰還した後に、漸くユニはその事に思い至った。
「……約束、したんだから」
帰還したユニは、即座に異界の門を開きギョウカイ墓場に戻ろうとした。転移による消耗なんか関係なかった。自分を支えてくれると言い、ただ一人死地に残った優一を助け出さなければ。その一念しかなかった。だが、ユニのそんな想いは現実にする事が出来なかった。
再度起動させようとした異界の門。何の反応も示さなかった。異界の門に使われていたシェアクリスタルは二つ。一度の転移で使うクリスタルが一つ。二度の転移で、その力をすべて使い果たしていたからだ。なんで?どうして? そう喚きそうになるのを、苦しそうな姉の吐息が聞こえた事で何とか抑え込む事が出来た。ユウは死なないと約束した。なら、アタシもやるべき事をやらなきゃ。無理やりそう言い聞かせ、ユニはケイの下にノワールを連れて帰ってきた。
「絶対、大丈夫なんだから」
それから数日が経っていた。未だ優一から何らかの連絡も無い。それがどう言う事か、ユニは気付いていながら認められなかった。認めるなんてできる訳が無かった。
「だから、強くならなきゃ」
フラリとユニは立ち上がる。自分が弱かったから、一人逃がされた。三年前と同じで、自分が弱かったからアイツにも置いて行かれたんだと、そう思ってしまったから。
「――ユ、ニ?」
「お姉ちゃん!?」
強くならなきゃ。そう呟き、部屋を出ようとしたところで、黒の女神が苦しそうに零した。ユニは目を見開き振り返る。何時目覚めるかもわからない姉が、確かに自分の名前を呼んだから。
「お姉、ちゃん……」
「なんて顔、してるのよ」
ベッドに飛びつくように駆けより、姉の顔を覗き見る。苦しそうに、だけどどこか嬉しそうにノワールはユニを見詰めていた。泣いちゃだめだ。そう思っていながらも、ユニは今にも泣きだしそうな顔のまま、姉に向かって手を伸ばした。
「だって、だって」
「もう……、シャキッとしなさい。あなたは私の妹なんだからね」
伸ばされた妹の手を、姉は弱弱しくだが確かに掴んでいた。ユニの手に、確かにノワールの熱が伝わる。お姉ちゃんは生きているんだ。そう実感する。ユニが我慢できたのはそこまでだった。
「ごめ……、ごめ、んなざい……。ごめんなさい」
「もう……、謝らないでよ。寧ろ謝るのは私の方よ」
その緋色の瞳から止めどなく涙を零す妹に、ノワールは困ったように言った。
「だって、生きてた。生きててくれた。お姉ちゃんまで目を覚まさなかったらって思うと……」
「ユニ……。大丈夫よ。もう、大丈夫だから」
泣きながらも何とか言葉にしようとする妹の言葉を聞き、ノワールはそっとユニの頭を撫でる。要領を得ない言葉だけれど、妹が頑張って助け出してくれたのだと言う事は、痛いほど伝わっていた。それが、ノワールには嬉しく在り、誇らしくもあった。
「だから、助けてくれてありがとう。今まで頑張ってくれてありがとう。強くなったわね、ユニ」
「あ――」
だから、ノワールはユニに最大限の感謝を以てお礼を言った。目を見開くユニ。姉に認められた。三年前は置き去りにされたけど、今は認めて貰えた。それが、どうしようもなく嬉しかった。だから、ユニはもう一度泣いてしまった。尊敬すべき目標であり、最大の壁ともいえる姉に、漸く自分の事を認めて貰えた。それが嬉しくて、姉に縋りもう一度泣いた。
「もう、暫く見ないうちに泣き虫になっちゃったの?」
そんなユニをノワールは困ったように、だけど妹の成長を誇らしげに見詰め撫で続けていた。
「――本当にそう言う結果なんですか? 解りました。いえ、どういう理屈かは解ってはいないのですが、理解はしました。これは貴方と私だけの秘密でお願いします」
何か、話し声が聞こえていた。ずきりと痛む頭に思わず顔を顰める。心地の良い暖かさに全身がつつまれていた。ベッドに寝かされている。ある意味慣れ親しんだ感覚に、なんとなく自分がどういう場所に居るのかが解ってしまった。内心で苦笑する。久々だったのだけど、こう言うのは異世界もあまり差が無いようだった。
「此処は?」
大凡の想像はつくのだけど、結局そんな事を言いながら目を開け体を起こす。全身にだるさが残っており、頭も少しボーっとしている。二、三度手を握ってみる。じんわりとした痛みが残っているけど、何とか動けるところまで回復しているような気がした。とはいえ、岩山に叩きつけられたりして特に酷かった背中とかは、未だに鋭い痛みがある。良く死ななかったと我が事ながら感心する。どう考えても死にそうな状況だったのに、何故か自分は生きていた。それどころか、頭では死ぬと思っても、何と言うか、本能ではまるで死ぬと言う気がしなかった。それが何か引っかかる。ユニ君ですら怯えていた。それ程の相手に、何故自分はそんな心の余裕があったのだろうか。
「あ、目が覚めましたか?」
穏やかな声音が耳をくすぐる。声の主に視線を向ける。小さな本が白いキャビネットの上に置かれており、その上に小さな女の子が腰かけていた。病室と思われる部屋の中にちょこんと座る小さな女の子が言ったのだと思う。この世界に来て色々見て耐性はついたつもりだったけど、今回ばかりは少し驚いてしまった。
「貴女は?」
「私は史書イストワール。プラネテューヌの教祖をしております。よろしくお願いしますね、四条優一さん」
不躾な質問に、イストワールさんは嫌な顔一つせずに答えてくれた。にっこりと朗らかな笑顔を浮かべ僕の名を言い当てる。何故? っと一瞬思うけど、最後に記憶が途切れる前に見たのがあいちゃんだったことを思い出し、あの子が教えたのだろうと見当をつける。イストワールさんはプラネテューヌの教祖だと名乗っていたし、ネプギアさんは確かプラネテューヌの女神候補生だった。なら、何かしら関わりがあるのだろう。
「よろしくお願いします、イストワールさん。それと此処は病室でしょうか?」
「はい。アイエフさんが怪我をしていた貴方を発見し、ここまで運んでくれたんですよ」
「そうでしたか。あいちゃんには感謝をしないと」
「ふふ、そうですね。今、アイエフさんに少し頼みごとをしていて席を外しているんですけど、お呼びしましょうか?」
「ええ、お願いします」
少し話してみた感じだけど、イストワールさんはケイさんほどとっつきにくい人物では無い様だ。教祖と言う事で、クセがあるのかと少しばかり警戒してはいたのだけれど、その必要も無かったようだ。
『あ、アイエフさんですか? 四条さんが目覚めました。一度病室に戻ってきてもらえますか?』
そう言いイストワールさんは目を閉じると、一瞬何かを探すように頭を動かすといきなり話し出した。思わず凝視する。内容的にはあいちゃんと話しているようだ。
「あの……あまり見つめないでください。ちょっと照れてしまいます」
「あ、ごめんなさい」
やがて会話を終えたのか、僕の視線に気づいたイストワールさんは少し照れたようにはにかむ。思わず謝ってしまったけど、正直見詰めてしまうのも仕方ないと思う。
「いえ、構いませんよ。いきなり話し出したら誰でも驚いてしまいますよね」
苦笑しながら続けるイストワールさん。
「兎も角、アイエフさんは一区切り付いたらすぐに此方に来てくれるそうです」
「そうですか。仕事中なら悪い事しちゃったかな」
よくよく考えてみたら、お礼を言うならむしろ僕から行くのが筋だろう。気が利かない自分に少しばかり反省する。
「アイエフさんが来るまでまだ時間がありますね。少しお話をさせて貰っても構いませんか?」
不意にイストワールさんが笑みを消し、真剣な表情で僕を見据えると言った。先程までの穏やかな視線から一変、真面目な雰囲気が辺りを包み込む。軽く目を閉じ、姿勢を正した。
「大丈夫です。僕に何か?」
ギョウカイ墓場で聞いたマジックの言葉を思い出す。異界の魂を女神たちが呼び出そうとした。ラステイションの教祖であるケイさんは異界の魂について知らなかったようだが、イストワールさんは何か知っているのかもしれない。その手の話だろうかと当たりを付ける。
「はい。話すべきか迷いましたが、やはり本人は知っておくべきでしょう。貴方は――」
そこまで言い、少しだけイストワールさんが言い辛そうに間をあけた。やっぱり、この人は異界の魂についてある程度知っているのだろう。
「異界の魂、ですか?」
「……え? なぜあなたがその言葉を?」
イストワールさんの様子から僕自身の事についての話なのだと言う事は解った。その為異界の魂の事だろうと思い、言い淀んだイストワールさんの言葉をあえて僕が続けてみる。イストワールさんの目が驚きに染まった。その様子に、嗚呼やっぱりと思う。
「僕がその、異界の魂ですからね」
「っ、そう言う事ですか。だから貴方は……」
予想通り、イストワールさんは異界の魂について知っているようだった。異世界より呼び出された存在。その事についての話をされるのだと思っていた。だけど、
「……すみません」
「イストワールさん?」
違っていた。僕の言葉を聞いたイストワールさんはその小さな瞳に雫を滲ませる。え?っと思った。その時には、
「……ごめんなさい!」
泣かれてしまっていた。ぽろぽろぽろぽろと大きな水滴が彼女の小さな足に向かい、幾筋も零れ落ちる。状況に頭が追い付かなかった。泣き出した小さな女の子に唯困惑してしまっていた。
「私は……私たちは貴方に……」
「少し落ち着いてください」
このままではいけないと思い、一度イストワールの言葉を遮った。そのまま、すーはーと、ゆっくりと深呼吸させる。それで幾分か落ち着いた様子であった。ゆっくりと言葉を促す。そして、聞いた事を後悔した。
「すみません。取り乱してしまいました」
「構いません。それで、僕に何を言おうとしたんですか?」
「……はい。私もすべてが解ったわけではありません。けど、異界の魂召喚の儀式。その名を知っている者は居るかもしれませんが、その方法を知るのは今では女神だけです。だから女神によって貴方は呼び出された。それによってあなたは――」
そう言い告げられたのは、僕にとって想像もしていなかった真実であった。
主人公がある重大な秘密を知りました。ですが、その内容については本編ではまだ暫く謎のままになります。ただ、解る人は解るかもしれません。