「いくぜええええ!!」
朽ちた廃墟に気勢が上がる。人の立ち寄れない地、ギョウカイ墓場。その地で戦いは始まっていた。黒の巨人、ジャッジ・ザ・ハード。その手に持つ強大な斧を振り被り四条優一に肉薄する。その強すぎる気迫に、辺りに潜んでいた魔物たちは怯え、対峙する二人から距離を取っていた。
「まともにやれば勝てない。なら――」
放たれるは殺意を乗せた戦斧の剛撃。黒の巨人から放たれる一撃は、人の身でしかない四条優一にとってはその体格差だけで致命的な一撃と成り得る。落石を受け止められる人間など居ない。それ以上の質量を持つジャッジ・ザ・ハードの圧倒的膂力から放たれる一撃を受け止めるのは無謀と言うものであった。
「勝たなければ良い」
それ故異界の魂は、その手に持つ魔剣を戦斧に目掛け、切り上げる。異界の魂召喚の儀式により、世界を超える過程で得た力。人ならざる身体能力に加え、人の身に宿すには過ぎたる魔力により施された補助魔法。人間の容量を超える多重魔法にて限界を超えて強化された力、それを以て迎え撃つ。
「俺と力比べだと? 人間風情が舐めた真似してんじゃねえぞおおおおおお!!」
勝敗が最初から分かり切ったぶつかり合い。確約された勝利。その、覆し様の無い結果が見えている戦いに挑んだ人間に向かい、ジャッジは罵倒交じりの気炎を上げる。両者の体格や膂力の差に加え、振り下ろす戦斧と切り上げる魔剣。両者の武器が描く軌跡すらも黒の巨人が有利と言えた。
だが、四条優一はただ小さく笑みを浮かべる。人間では視認する事が困難な速さで振るわれた蛇腹剣。その刀身からは、凄まじい魔力が吹き荒れていた。
「ああッ!」
渾身の力で振り抜く。衝突、爆砕。剣と斧の刃がぶつかり合った瞬間、両者の持つ武器の刀身より、凄まじい衝突音が鳴り響き、同時に魔力による爆発が巻き起こる。辺りを衝撃波が巻き起こり、突風が駆け抜ける。その威力は、さながら戦車砲の直撃であった。異界の魂と黒の巨人を中心に、爆撃後のような砂塵が巻き起こっていた。
「……魔力による目くらましか。さて、あの人間はジャッジを相手にどう戦うのか」
呟いたのは、ただ一人蚊帳の外に存在する赤の女神、マジック・ザ・ハードだった。両者のぶつかり合いをその冷徹な瞳に、僅かな好奇心を覗かせ見詰めている。
「くくく、ふははははは!! 所詮は小細工か! だが良いぞ、楽しくなってきた。もっと俺を愉しませろおおおお!!」
魔力による爆発で起きた砂煙の中から黒の巨人が姿を現し、心底嬉しそうに叫びをあげる。黒の巨人にとって、戦い壊すと言うのは、最早存在理由と言って良い程の事柄と言えた。強敵と戦い、激戦の果てに相手を破壊する。それがジャッジ・ザ・ハードにとって、唯一の事であった。
そして人の身でありながらジャッジに立ち向かい、それだけに飽き足らず二度も彼の攻撃を凌いだ異界の魂は、ジャッジにとって格好の獲物と言える相手であった。その壊すべき標的を殺すため、黒の巨人は振り下ろした戦斧をもう一度振り上げ敵を探す。
「ジャッジ、上だ」
「何ぃ?」
見敵必殺。そんな覇気を込めて振り上げられた戦斧。それを見据えたマジックが、声を上げた。黒の巨人に振り下ろされた戦斧。其処に張り付くかのように、赤黒い蛇腹剣の刀身を巻き付かせ、異界の魂はジャッジの振るう斧の側面に存在していた。
「貰うよ」
そんな掛け声とともに、蛇腹剣に収束された魔力を変動させ、伸ばされていた蛇腹剣の形状を、元の直刀型の形状に変形させる。魔力を用いる事で変幻自在に変化する刀身が、本来の姿に戻っていた。同時に戦斧の側面から跳躍し、空中で魔剣を振りかぶる。異界の魂の魔力が赤黒い刀身から溢れだし、強大な力の奔流を巻き起こしていた。そして襲い掛かる。
――ソウル・クラッシュ。
魂すら砕く剣、
「はっ、やるじゃねぇか異界の魂」
再び起こった砂塵から抜け出し、先ほどと同じような調子でジャッジ・ザ・ハードは続ける。手に持つ大斧。その刀身が半ばから砕け散り、更に左腕までもが吹き飛んでいた。その惨状が、先程放たれた一撃の威力を物語っている。にも拘らず、ジャッジの声音から聞き取れるのは、変わらず喜色だった。腕を壊されておきながら、そんな事は些事と言わんばかりに現状を愉しんでいた。
「……それはどうも。危うく殺されるところだったよ」
砂塵の中から優一も姿を現しそう零す。そう呟いた異界の魂の左腕には大斧の刀身が突き刺さり、血が滴り落ちている。それが、身に纏う服を右手に持つ刀身と同じように、赤黒く染めていた。
「とりあえず、痛ッ!?」
歯を食いしばり、一気に刀身を引き抜く。苦痛に声を零すと同時に鮮血が零れ落ちる。
――月光聖の祈り
瞬間的に魔力を変換し、即座に癒しの魔法を施す。それでもあまりの痛みに、優一の表情は歪んでいた。思わず魂砕を取り落としそうになるのを何とか堪えていた。
「……、畳みかけるよ」
「はっ、面白れえ! やって見せろ、人間ッ!!」
再び蛇腹剣の魔力を変換し、形状を変化させる。蛇腹剣には、魔力により伸縮自在なワイヤーが用いられていた。それを操作する事により、変幻自在な間合いを構築する事が出来ると言う訳である。黒の巨人とは間合いが離れていたが、形状を変化させ振り抜く事で、遠距離攻撃を仕掛ける。その心算で、四条優一は魔剣を振りかぶり踏み込んだところで、
「私を忘れているのか?」
「そんな訳は無いさ」
迫り来る大鎌の一閃を、無理やり体を捩じり横に錐もみ回転をする事で何とか往なした。その場に膝をつくも、無理やり飛び退り、マジックを見据える。その手には依然として、魔剣が唸りをあげている。マジックはその姿を見ると、小さく笑みを浮かべた。
「やられたら、やり返すだけだよ」
「良いだろう、やってみろ」
魔力を維持したまま、即座に踏み込む。蛇腹剣による切り上げ。線による攻撃。それを上体を僅かに反らす事で往なしたマジックは、再び大鎌に力を込める。紅の女神と異界の魂の視線が交錯する。首元を狙い放たれた斬撃。それを、強化された反応速度を以て迎撃する。刃が間に合わないとしても、剣には石突がある。大鎌の刀身に柄をすべり込ませ、打払った。大きく開いた赤の女神への道。躊躇することなく、一気に駆け抜ける。大鎌の刃を打払った反動で弾かれた剣。その柄を両手で強く握り、無理やり勢いを殺すと蛇腹剣を振り抜いた。
「貴女を倒す」
「面白い。この力、予想以上だ」
変形した蛇腹剣がマジックに襲い掛かる。魂砕きの魔剣。それが赤の女神に到達する直前に、壁が阻んでいた。赤色をした魔力の障壁。それが、魔剣の行く手を遮っていた。一撃を受け止めつつ、マジックは小さく零す。
「ふざけるなよ、マジック!! 俺様の邪魔をするなああああ!!」
「ッ!? 味方諸共!?」
其処に割り込んできたのは黒の巨人。異界の魂が僅かに目を反らした隙に、既に左腕を再生させ大斧による一撃を振り下ろした。
「あの程度なら、当たりはせんぞ?」
「それは、凄いねッ!」
直撃する刹那、なんとか離脱した優一を追いすがるように飛来するマジック。空中で体を捻り、振り抜かれた大鎌に刃をぶつけ迎撃する。刹那の攻防。両者の斬撃がぶつかり合い続ける音が鳴り響いた。
「ぐ……ッ」
十を超える斬撃音。切り伏せられる事こそ凌ぎきったが、そのまま異界の魂は地に叩きつけられる。痛みをこらえる優一の視界に、マジックの姿が映る。手を翳し、赤色の魔力を収束させていた。追撃。容易に想像できる。異界の魂もまた、負傷により震える手を掲げ、言葉を紡ぐ。
「さて、どう凌ぐ?」
試すように放たれた魔力による弾丸。無数に放たれたそれに向け、宣言する。
――ムスペルヘイム
それは、雷と炎を纏った竜巻だった。赤の魔力を、雷と炎を宿した竜巻が立ち塞がる。魔力と魔力がぶつかり合い、互いに食い荒らそうかのように絡み合い、消滅した。
「マジックの野郎と二人掛かりってのが気に入らんが、死にやがれえええ!!」
「ああッ!?」
何とか立ち上がったところで、強襲した戦斧による横凪。魔剣を戦斧に水平になるように滑り込ませ、全力で後方に飛び退る。直撃。黒の巨人の膂力により放たれた一撃が、異界の魂を吹き飛ばしていた。そのまま岩山に衝突し、口から大きく血を零した。例え魔法による補助があったとしても、既に許容量を超えていた。それでも魔剣を杖に、四条優一は何とか立ち上がった。
「これは不味いなぁ」
ごぽりと噴き出た血を拭う事もできず、他人事のように呟く。魂砕を杖に何とか立ち上がったけれど、見た感じ全身がぼろぼろで、到底戦うなんてことができるとは思えなかった。
――月光聖の祈り
震える膝に叱咤を入れ、何とか言葉を紡ぐ。癒しの魔法。気休めかもしれないが、それで多少はマシになったような気がした。それでも、痛みは途切れることなく続いていて、倒れ込んでしまいたい衝動に駆られる。だけど、そうする訳には行かなかった。
「けど、負けられないんだ」
約束したから。大事な友達に、自分は死なないと約束していたから。だから、負ける訳にはいかなかった。戦ってみて勝てないだろうと言う思いは強くなった。どちらか一人ならばまだやりようはあるかもしれないけれど、相手は二人だった。剣から読み取った使い手たちの経験に縋らなければ、既に自分は死んでいたかもしれない。
「ここまでされてなお、立ち上がるか」
「貴女たちは強い。けど、僕にも負けれない理由があるからね」
少しだけ驚いたように零したマジックに言い返す。立ち上がれはしたけど、膝は震え、視界も定かでは無かった。唇を強く噛みしめる。口の中に広がる鋭い痛みで崩れ落ちそうになる体を無理やり支えた。
「……どうやら本物の様だな」
「なにが、かな?」
そんな僕を見詰め呟いたマジック・ザ・ハードに聞き返す。自分の事を何か知っているのだろうか? 絶体絶命でありながら、そんな淡い期待を抱いてしまう。
「異界の魂。女神たちが最後の力で呼び出そうとした存在。確かに貴様は人の身には過ぎたる力を有している。女神すら撃破った私とジャッジを同時に相手にし、今も尚生き延びている。女神にすらできない事を、ただの人間ができる訳が無い」
「……女神が呼び出す?」
「尤も、あの時は失敗に終わったはずだがな。どうして今頃になって現れたのか」
淡々と告げるマジックの言葉を反芻する。女神が呼び出そうとした。とは言え目の前に立つ女神が言うには、試みただけであり失敗したと言う事であった。ならば何故自分が存在しているのか。疑問が更に深くなった。
「……そう言う話を聞かされたら、余計に死ねない」
とは言え、大きな手掛かりになる事は確かであった。僕を呼び出したのが女神たちかは解らないけれど、それでも呼び出そうとしたと言う事は、呼び出す方法を知っていたと言う事だった。つまり、女神たちは異界の魂について何かしら知っていると言う事だろう。ならば、先ほど助けたユニ君のお姉さんに聞けば何か解るかもしれない。少なくとも彼女たちは
「確かに貴様は強い。少なくとも女神が相手であったのならば、既に決着はついているだろう。だからこそ聞きたい。人の身でそれ程の力を持ちながら、なぜ戦う?」
「……約束したからね。友達を支えるって。一緒に強くなるって。それを果たすためにも、負けられないんだよ。此処で殺されたら、約束が守れないからね」
マジックの問いに答えた。崩れ落ちたい。眠ってしまいたい。全てを忘れ投げ出してしまいたいと思うけど、そうする訳には行かなかった。自分は一度友達を泣かしていた。いじっぱりで素直じゃない、だけどとっても頑張り屋な女の子。そんな子をまた泣かしてしまうのだけは嫌だった。だから、交わした約束は守らなければいけないんだ。
「約束? ああ、先ほどの女神候補生とそんなものをしていたな。貴様はそんなものの為に命を賭けると言うのか?」
「そうだよ。友達との大事な約束。それは守らなきゃいけない」
「解せんな。約束など所詮は口頭による取り決めに過ぎない。何の制約も拘束力も無い」
「僕が守りたいと思うから、守るんだよ」
尋ねてくるマジックに、本心を答える。できる出来ないかは今は考えない。それは重要では無かったから。
「理屈では無いと言う事か。その割に貴様は――」
「いい加減にしろ貴様らああああ!! 俺様の事を忘れて、二人だけで話を進めてんじゃねえぞおおおお!!」
マジックの言葉を掻き消すように、ジャッジが叫んだ。その巨大な戦斧の一撃を以て吹き飛ばされた際、ジャッジとは相当な距離を離されたのだが、ようやく追いついて来たようだった。相も変わらず臨戦態勢と言った感じで、その姿は怒り狂った闘牛を彷彿させる。
強く魂砕を握った。万全の状態で挑んでも対峙する二人を相手取る事が出来なかった。押し切られ、決して軽くは無いダメージを受けた今ではまともに戦う事もできそうにない。もっと強く。もっと正確に。そんな想いを込め、魂砕の記憶を読み取っていく。自分の力は剣から読み取り再現する力だ。だが、その力も完璧に使いこなせているわけでは無い。シェアクリスタルの補助が無いと魂砕の再現ができなかったように、剣から使い手たちの経験を読み取る力もまた、完全に再現しているわけでは無かった。だから、足りない部分をより強く、より正確に模倣していく。今この場で力を成長させる。それしか生き残る術は思いつかなかった。
ぞわりとした悪感。魂砕を手にした時に感じたソレともまた違う感覚。それが全身を駆け巡った。
「……、待てジャッジ」
「何だ、なぜ止める!?」
そんな僕の様子を知ってか知らずか、今にも攻撃してきそうな黒の巨人を、赤の女神が止めた。獲物を壊そうと歩を進めたところで思わぬ邪魔が入ったため、ジャッジはマジックに殺意のこもった瞳を向けた。
「この男を殺す時では無い」
感情の窺い知れない冷徹な瞳を僕に向け、赤の女神はそう言った。
「時では無い、だと?」
「そうだ。四人の女神が呼び出し縋ろうとした人間。異界の魂。この男を殺すのに相応しい場は、ここでは無い」
マジックはそんな事を言い放った。あまりの事に目を見開く。自分に対する処遇についての事なのだが、思わず聞き返したくなる。何だそれは、と。とてもでは無いけど、理由になっているとは思えなかった。
「……けるなよ」
そんなマジックの言葉を聞いたジャッジは、小さく零した。瞬間、ジャッジの放っていた暴威が急激に膨れ上がった。ギョウカイ墓場全体を震わせるかと思うほどの暴力の気配が充満していた。
「ふざけるなよ、マジック!! 俺様の戦いを邪魔するだけに飽き足らず、指図もしようと言うのかああああああ!!」
それは憤怒だった。元々協調性などなさそうなジャッジ・ザ・ハードである。ついに限界を迎えたと言う事なのだろう。
「それが犯罪神様の為ならばな」
ジャッジの叫びにマジックは淡々と答える。吹き荒れる暴力の気配を無感動に見据えている。
「四天王の中でもてめえが一番気に入らねえと思っていた。もう我慢できねえ、ぶっ潰してやる!!」
「貴様では無理だな、墓守」
怒り狂うジャッジ・ザ・ハードにマジックはつまらなさそうに告げる。
「そう言うスカしたところが気に入らねええええええ!!」
遂に黒の巨人は赤の女神に戦斧を振り下ろした。先ほどまで協力していたかと思えば、今目の前で争い始めていた。味方同士では無いのだろうか? そんな疑問が思い浮かぶ。二人の様子を見る限り、どうもそうは思えなかった。
「逃げるなら今だぞ?」
戦斧から放たれる剛撃を避けながらマジックが僕の目を見て言った。大鎌を振りかぶりジャッジに肉薄し、その一撃を以て戦斧を吹き飛ばす。そのまま赤の魔力を全身から靡かせ、ジャッジに追撃を施そうとしていた。その後ろ姿から、見逃してやると言われた気がした。思うところはいろいろあるけど、今は逃げるしかなかった。魂砕に纏わせていた魔力を解き、離脱するためにすべての力を注ぎ込む。
「精々束の間の生を愉しむと良い」
赤の女神と黒の巨人がぶつかり合う地から一気に距離を取るため跳躍する。その瞬間、
「この世界に来てしまった事を後悔する時まで、な」
そんな言葉を聞いた気がした。