ハリー・ポッターと野望の少女   作:ウルトラ長男

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第71話 シドニー・ベレスフォード

 ホグワーツの大広間は今や、無事な場所など存在しない地獄と化していた。

 だがそんな地獄の中でも希望を失わずに戦う者達はいる。

 ロンやフレッド、ジョージ、ジニー。アーサーやモリーといったウィーズリー家。

 セドリックや、他校から駆けつけてくれたクラムにフラー。

 そしてネビルやルーナといったDAの面々。

 他にも、今の魔法界を愛する者達が一人として怯まず、杖を片手に必死に戦っている。

 

 だが、それでも足りない。

 全く数が足りていない。

 

 次から次へと沸いてくる亡者に、何匹いるかも分からないトロール。

 明らかにこちらよりも多い魔法使いに、吸血鬼を始めとする数多の闇の生物達。

 よくわからない武器を使うマグルの軍隊に頑強なゴーレム達。

 ……仕方の無い事だった。

 こちらは今やホグワーツ一校のみに対し、相手の戦力はマグルすらも含めた3国同盟なのだ。

 しかもイギリスの魔法使いもその大半があちらに味方している。

 元より、勝てる条件にない。

 

「フレッド、ジョージ! 疲れてきたんじゃないのか? 魔法が遅くなってるぞ!」

「ご冗談を! パースこそ魔法省務めで鈍ってるんじゃないか?」

 

 ウィーズリーの兄弟達が互いを励まし合いながら相手の背を守る。

 本当は冗談を言っている余裕などない。

 だがそうでもしなければ、あまりに圧倒的な物量差に心が折れてしまいそうなのだ。

 唯一の救いは、ミラベルと戦うのが自分達だけではないという事か。

 

 戦いが始まってから、場に乱入してきた者達がいた。

 数十匹のアクロマンチュラや、今や残り100程度となった吸魂鬼。

 そしてヴォルデモートの近くにいた為、ミラベルの魔の手から逃れる事が出来た最後の死喰い人達。

 その総数を1割以下にまで減らしてしまったヴォルデモートの軍勢が連合軍に襲いかかり、潰し合ってくれているのだ。

 だが、ホグワーツと闇の陣営を合わせたとしても、その数はミラベル率いる連合軍の1割にも満たないだろう。

 相手は一勢力ではない、一校でもない。

 3つの国、そのものなのだ。

 

 ネビル・ロングボトムは焦燥に胸を募らせながら杖を振る。

 こんな場所で戦っている場合じゃない。

 いや、ここでこうして戦っている限り勝ち目などない。

 討つべきはあの黄金の暴帝であり、彼女を倒さない限りもうこの戦いは終わらない。

 だから本当ならば、ここにいる何人かは彼女を討つべくダームストラングに行かなければならないのだ。

 だが……誰が?

 誰がこの混迷の戦場から抜け出せる?

 ただでさえ不利なこの戦場から更に戦力を抜いて、それでどうなる?

 そして、ミラベルを倒しに行っている間に親しい誰かが死んだら?

 それを思うと、どうしても彼はその場を離れる事が出来ずにいた。

 

 マクゴナガルが、フリットウィックが、マダムフーチが。

 それぞれの誇りを胸に、過去最高の錬度を以て敵を蹴散らす。

 だがまるで減らない。止まらない。

 悪意の黄金によって団結させられた軍勢は味方の屍を踏み越えて前進し続ける。

 彼等にとって死は恐れるに値しない。殺しは恐怖に値しない。

 『より大きな善の為に』――その為ならば生も死も超越してみせよう。

 この戦いが終われば世界は変わる。

 あの黄金の少女が変えてくれる。

 数百年の時を経て尚変わらなかったこの魔法界を。

 昔より延々と続いてきた純血主義との格差、消える事の無い争いの火種。

 それが全て消え、輝かしい未来へと繋がる。

 

 永遠たるあの少女に一度覇権を渡してしまえば、もう戦争は起こらない。

 総てを統一し、世界を不安定にする要素は事前に始末される。

 マグルから隠れて生活する必要もなく、闇の陣営に怯える事もなくなる。

 その世界を作るためならば、この命、いくらでもドブに捨てよう。

 故に彼等は止まらない。

 これを魔法界最後の戦争とする為に、あらゆる慈悲を捨てて唯前に進むのだ。

 

 そして戦局は更に悪化する。

 四方の壁を破壊して、恐怖の権化とも言うべき恐るべき生物が投入されたのだ。

 それは巨大な体躯と分霊箱をも壊す毒、そして見た者を即死させる眼を合わせ持つ蛇の王だ。

 かつて1匹でこのホグワーツを恐怖に陥れたスリザリンの怪物。

 『バジリスク』……その忌まわしい生物が、あろう事か群れを成して出現したのだ。

 

 目を見てしまった不幸な者達は一人、また一人と命を落とし、牙で貫かれ、その身体で巻き付かれて身体を潰された。

 見ないようにすれば魔法使いの死の魔法を浴び、マグルに撃たれ、トロールに潰される。

 そして運のない事に、バジリスクの姿をパーシーが真っ先に見てしまった。

 

「……ぁ」

 

 パーシーが地面に倒れ、それを見たフレッドとジョージが悲痛な叫びをあげた。

 死喰い人達もバジリスクに次々と喰い殺され、広間はますます血と悲鳴で彩られる地獄へと変貌していく。

 やがて闇の陣営が完全に駆逐された時、連合軍は一度動きを止めた。

 いや、彼等を指揮する男が止めさせたのだ。

 

「諸君。ホグワーツの勇敢な諸君。

君等はよく戦った。この数と質を相手によくぞ戦った」

 

 称えるようなその声は、ホグワーツの生徒や教員ならば知っているものだった。

 6年前に死んだはずの、かつての防衛術の教師の声であった。

 声の主は軍勢の間をかきわけ、ホグワーツの勇者達の前にその姿を晒す。

 

「だが理解しているかね? 君達が倒した数は我等の総数のほんのわずかであるという事に。

それすらミラベル様のお力があれば蘇るという事に。

そして、そのわずかな兵を倒す為に決して少なくない数が既に死んでしまった事に。

君達は気付いているのかね?」

 

 戦いとは数である。

 時に質がそれをひっくり返す時もあるが、ならば質でも向こうが上ならば、もうどうしようもない。

 それを語る男を見て、マクゴナガル達が声をあげる。

 馬鹿な……何故この男がここにいる!?

 何故、ここで連合の指揮を取っている!?

 

「クィリナス・クィレル……!」

 

 かつてこの地で教鞭を振るっていた男が、この地を滅ぼそうとする。

 その事態にマクゴナガル達は憤り、彼が生きていたという驚愕すらも忘れて叫ぶ。

 しかしクィレルは涼しい顔で、まるで諭すように言葉を発した。

 

「もう分かっただろう? 私達に勝つ事など出来ないという事を。

これ以上の戦いは無駄な犠牲を生み出すだけだ。

故に私は諸君に問おう。ここらで矛を収め、我等に従わないか、と」

 

 優しい声色で出てきたのは、降伏勧告であった。

 もう勝敗は見えた、これ以上の犠牲を出したくないなら我等に従え。

 傲慢に、身勝手に、そう彼は語る。

 

「我が主は優れた者を好む。諸君のような優秀な者が死ぬのは魔法界の損失だとお考えになる。

ならばこそ諸君等は我が主の作る新世界を生きる資格があるはずだ。

さあ、新世界に生きたい者は前に歩み出よ」

 

 誰が出るか。

 そうマクゴナガルは言おうとした。

 しかしそれよりも速く、前に歩み出る者がいた。

 スリザリンのマーカス・フリントだ。

 更に続くように何人かの生徒が続き、中にはハッフルパフやレイブンクロー、グリフィンドールの生徒すら混じっている。

 ミラベルが学校にいる間に彼女に惹かれ、焦がれてしまった信奉者達。

 それが最悪の形で動いてしまったのだ。

 

 彼等は一斉にクィレルの前で膝を折り、忠誠を示す。

 もしかしたら、これは最初から示し合わされていた事かもしれない。

 マーカス・フリントは在学中からミラベルに心を寄せているように見えた。

 その彼がホグワーツ側にいる事。それがもう罠だったのだ。

 恐らくはこの瞬間、この演出の為に潜んでいたに違いない。

 

「我等一同、新たなる世界に忠誠を誓います」

「よくぞ来た、マーカス・フリント。歓迎しよう」

 

 こうなると、今度は集団心理というものが働く。

 ただでさえ勝ち目などなく、このまま続けても死ぬだけの戦いなのだ。

 ならば、ああして向こうに付く者が出てしまえば心の均衡は一気に崩れる。

 今まで必死に繋いでいた勇気が消えてしまう。

 まるで吸い込まれるように一人、また一人と前に進み、寮や立場を問わず次々と寝返り始めた。

 

「ま、待ちなさい、貴方達! ホグワーツの誇りを忘れたのですか!

戻れ、戻りなさい! 戻るのです!」

 

 マクゴナガルが必死に呼び止めようとするも、誰も従わない。

 そしてマクゴナガルは絶望に見開いた目で見た。

 自分が教えてきた中でも特別に覚えが悪く、手を焼かされた生徒であるネビルがその中にいる事に。

 しかし手のかかる生徒ほど可愛いというもので、ネビルの事を密かに可愛がってもいたのだ。

 その彼までもが離れ、マクゴナガルの心は悲鳴をあげた。

 

 ……だがちょっと待て、何かがおかしい。

 

 ネビルは一団に紛れるように走り、杖を抜いたのだ。

 そして、クィレル目掛けて呪文を放った!

 クィレルは素早く盾の呪文でそれを弾くと、武装解除でネビルを吹き飛ばす。

 

「ほう、この期に及んでまだ抵抗する気概があるとは。

私が教えていた時はただの落ち零れだったのに、人とは変わるものだ。

喜べ少年、君もまたミラベル様に仕えるに相応しい存在だ」

 

 クィレルの言葉に、しかしネビルはペッと唾を吐く。

 血混じりの唾が地面に付着し、口元を拭うとネビルは力強く立ち上がった。

 

「地獄の釜の火が凍ったら仲間になってやる」

 

 正面から臆する事なくクィレルを睨み、そして武器すら持たずにネビルは吼える。

 

「僕等はダンブルドアの軍団だ!」

 

 それは勇気ある叫びだった。

 折れかけた皆の心を奮い立たせる一言だった。

 沈黙に包まれていた広間が沸き、再び全員が戦う意思を取り戻す。

 その姿にマクゴナガルは涙し、そして思った。

 今ほど、彼という生徒を誇りに思った事はない、と……。

 

 そして、生徒である彼があそこまで吼えたのだ。

 ならば自分も膝を折ってなどいられない。

 彼という素晴らしい青年を死なせるわけにはいかない。

 マクゴナガルは杖を強く握り、そして駆け出した。

 

 まだ終わってなどいない。

 希望はまだ、残っているのだ――!

 

*

 

 シドニー・ベレスフォードは実の弟でありながらミラベルに忠誠を誓っている。

 ミラベルはそれを、自らの調教の成果だと考えているが実はそれは間違いだ。

 仮に彼女がシドニーを調教せずとも、彼はミラベルに心酔しただろう。

 今と何一つ変わらぬ忠誠で、何一つ変わる事なく彼女に従っただろう。

 何故ならば彼がミラベルに従う理由は、そもそも忠誠などではないからだ。

 

 シドニーの世界に、色は1色しかない。

 必要なのは至高の黄金ただ一つ。

 それ以外の色など要らない見えない必要ない。

 視界に入れる価値すらない、例外なき塵芥。

 シドニーの世界は黄金と無色とで分けられ、それ以外は何もない。

 

 ミラベルが生まれながらの強烈な自己愛を持つのに対し、シドニーが持つものは唯一つの他者愛。

 生まれ出でた時からその黄金に焦がれ、そしてそれ以外の感情すら彼の心にはなかった。

 シドニー・ベレスフォードはミラベルを愛している。

 実の姉だとか、そんな事は関係ない。

 彼女しか見えていないのだから、彼女しか愛せない。

 シドニーにとってミラベル以外の総てに価値はなく、彼は己すら認識していない。

 故に彼に心はなく、己はなく、その思考の総ては常にミラベルの事のみで埋め尽くされている。

 

 シドニーには何もない。

 ミラベルだけが世界の総てだ。

 何故そんなに彼女に焦がれるのかはシドニーにも分からないし、考えた事もない。

 あるいは、シドニーが本来持つはずだった感情や心といったものをミラベルが持って行ってしまったのかもしれない。

 どちらにせよ、どうでもいい事だった。

 

 その異常極まる愛は、愛を理解しようとしないミラベルには到底理解し得ないものだ。

 それでいいだろう、とシドニーは考える。

 あの黄金に自分という不純物を入れたくなどない。

 彼女は彼女らしく在り続ければそれでいいのだ。

 

 黄金を穢すならば何者であろうと死に勝る地獄を与えよう。

 実の父だろうとその魂を引き裂き、後悔させよう。

 ミラベルは知らない――己の父が死後も現世に留まっていた事を。

 ヒースコートは大人しく『向こう』に行くような魂ではなかったのだ。

 未練がましくゴーストとなって娘の行く末を見届けようとした彼は、しかしシドニーに囚われた。

 そして、その魂を引き裂かれ、肉体があっては決して味わえぬ激痛と共に消し去られたのだ。

 

 彼女を邪魔する者があるならば――ただ、排除するのみ。

 例え誰であろうと例外はない。

 それだけがシドニー・ベレスフォードの存在意義であり、全てであった。

 

 

 

 ホグワーツ8階にある必要の部屋。

 その前で、4人の少年少女による戦いが繰り広げられていた。

 数の上では3対1。加えて3人はホグワーツの生徒としては間違いなくトップクラスに位置する強者だ。

 『闇の魔術に対する防衛術』ではミラベルに次ぐ次席であり、ヴォルデモートを2度退けた魔法界の英雄ハリー・ポッター。

 マグル生まれでありながらミラベルに次ぐ成績を誇り、防衛術においても学年3位のハーマイオニー・グレンジャー。

 そしてミラベルの影武者より指導を受け、魔法戦闘ならば前の二人をも凌ぐイーディス・ライナグル。

 しかし、終始優勢なのは3ではなく1の方であった。

 ミラベルの弟、シドニー・ベレスフォードが単騎で3人を圧倒していたのだ。

 

「インヴァデレント・パトローナム!」

 

 イーディスがペガサスの守護霊を呼び出し、シドニーへ突貫させる。

 だがまさに命中するその瞬間、シドニーの身体が“歪んだ”。

 

「え?」

 

 イーディスの目の前で小柄な少年の腕が巨大な犬の顔に変身し、牙を剥く。

 そのあまりに滅茶苦茶な攻撃にイーディスが慌てて身をかわし、少年と距離を取った。

 彼が使った魔法は、別にそれほど大したものではない。

 ハリーやハーマイオニー、イーディスでも使える魔法……ただの変身術である。

 ただそのスピードが桁違いなだけだ。

 

 変身術ほど理不尽で、物理法則を無視した魔法はない。

 大きさの差など問題にならず、無機物を生物にする事すら出来る。

 偽マッドアイがマルフォイをケナガイタチにした事件は今でも印象深く、あれを見ればいかに変身術が物理法則を無視しているかが分かるだろう。

 そしてシドニーは今、己の腕を生物に変身させたのだ。

 

「……掃射」

 

 シドニーが杖を振ると、小さな何かが出現した。

 その姿に見覚えがあるのはイーディスだけだ。

 それは『鼠』! ミラベルが飼っていたピョートルという名の黒鼠。それが数百匹!

 文字通り鼠算式で増えたそれは一匹残らずミラベルに従う兵隊だ。

 そして人間をイタチに変える変身術を用いれば逆も可能――即ち、この鼠全てを兵隊に変える事が出来る。

 いや、それどころか更なる脅威に変える事も可能!

 頭部のみをそのままに、胴体から下はマグルが用いるような銃身へ。そして飛行をも可能とする翼すら与えられたそれはまさに自立して動く遠隔兵器だ。

 咄嗟にイーディスとハーマイオニーが杖を上げ、呪文を唱える。

 

「プロテゴ!」

 

 全包囲からの一斉射撃!

 それをかろうじて盾の魔法で防ぎ、その隙を狙ってハリーが攻撃に出る。

 

「セクタムセンプラ!」

 

 闇の魔法に属する切断呪文がシドニーを襲う。

 腕を切断し、失われた肘から血が溢れ出す。

 だがシドニーは表情を崩さない。

 彼は何を考えたのか近くの瓦礫を鉄の棒に変身させると、それを自らの切断面に突き刺したのだ。

 顔色一つ変える事なくグリグリと傷口に抉り込み、それから変身魔法をかける。

 すると無機物すら生物に変える変身魔法は新たな腕へと変わり、何事もなかったかのようにシドニーは次の魔法を使う。

 すると彼の両端に大砲が出現し、轟音を響かせてハリー達を襲った。

 

「ば、馬鹿げてる!」

 

 ハーマイオニーが叫びながら走り、その後を二人も続く。

 直後、爆発。

 直前で護りの魔法を展開したので気絶こそしないが、ダメージは避けられない。

 3人は爆風で床を転がり、痛みに呻いた。

 

「ヴォルタージュ・イレイド!」

 

 イーディスがかつて友より教えられた電撃の魔法を放つ。

 回避も防御も不能の雷速!

 それはシドニーの胸に直撃し、彼を仰け反らせる。

 しかし少年は何事もなかったかのように姿勢を戻し、機械のような冷たい眼でイーディスを見る。

 回避も防御も不能な電撃呪文だが、その考案者はそもそも彼の姉だ。

 当然、対処法も熟知している。

 シドニーは『変身魔法』で己の着ている服を全て絶縁性のものに変えてしまっているのだ。

 したがって、いくら電気を叩きこもうと全く意味がない。

 

「コンフリンゴ」

 

 少年が冷たく、呪文名を唱える。

 するとイーディスの足元が爆発し、衝撃が彼女を襲った。

 一撃で壁まで吹き飛び、背中から思い切り衝突してしまう。

 

「あぐっ!」

 

 まるで骨が折れたかと思うような激痛。

 しかしここで倒れるわけにはいかない。

 すぐにその場を飛び退き、飛んできた緑の閃光を回避した。

 

「っは……はあっ……はあっ……」

 

 肩で息をしながら、イーディスは思う。

 強い、と。

 弱いわけはないと思っていたが、まさかここまで差があるとは思わなかった。

 勿論鼠を用いた物量差もあるだろうが、それだけではない。

 ただ単純に魔法の技量が高く、自分達より上に立っているのだ。

 流石は名家ベレスフォードといったところか。何とも英才教育が行き届いている。

 

「……対象、戦闘継続可能……」

 

 高い、少女のような声でシドニーが呟く。

 まるで機械のような冷たい、無機質な声だ。

 ある意味誰よりも意思の力を感じさせるミラベルとは全くの逆と言っていいだろう。

 

「くっ……」

 

 何とか立ち上がり、どうすればいいかを考える。

 正攻法では勝ち目が無い。

 だが、ならば正攻法以外で勝てばいいのだ。

 

「エクスパルソ!」

 

 爆破呪文で床を砕き、煙を巻き上げる。

 そうして視界を塞いでから、ハリー達の所へと駆け寄った。

 

「ハリー、ハーマイオニー、なんとか必要の部屋を開いて。

こうなったら彼を出し抜いて『アーチ』を回収するしかない」

「……確かに、それしかないわね」

「いや、いっそあれを使ってしまおう。シドニーをアーチに押し込むんだ」

 

 イーディスの提案にハーマイオニーも頷き、ハリーがそこに修正を加える。

 あの少年をどうにかするには、『死』の概念そのものを用いるしかない。

 イーディスはまだ渋っているが、戦場での迷いは愚かな行為だ。

 3人は目配せをし、ハリーが部屋を開ける役目に決まる。

 ならばイーディスとハーマイオニーはその間の時間稼ぎをしなくてはならないだろう。

 

「いくわよ、イーディス!」

「っ、仕方ない、か!」

 

 二人の少女が駆け出し、それと同時にハリーも必要の部屋の前に立つ。

 まだ扉は現れていない。

 必要の部屋の扉を出すには、目的を強く念じながら壁の前を3回歩く必要があるのだ。

 走ってはいけない。思考を乱してもいけない。

 単純な出現条件だが、それが戦いの最中となるとなかなかに難しく思えた。

 イーディスとハーマイオニーは呪文を矢継ぎ早に撃ち、シドニーを牽制する。

 だがシドニーの繰り出す呪文が二人を襲い、すぐに防戦一方となってしまった。

 その間にハリーは部屋の前を歩き、まずは1往復する。

 

「……!」

 

 戦いの中でのその動きはあまりに無駄で不自然だ。

 シドニーの眼がハリーへと向き、わずかに警戒の色を滲ませる。

 そして杖を向けて死の呪文を唱えようとするが、そこにイーディスがタックルを敢行して照準をずらした。

 だが平気で自分の肉体すら変化させるシドニー相手の肉弾戦ほど無謀なものはない。

 シドニーの手がトロールのような太く醜い腕に変化し、イーディスの細い首を掴んで持ち上げる。

 

 2往復。

 

 速く速く速く!

 ハリーは内心焦りながら、部屋の前を歩く。

 『歩く』という条件がこんなにももどかしいとは思わなかった。

 こうしている間にもイーディスの抵抗は弱っていき、腕や足が痙攣しはじめる。

 ハーマイオニーも必死にイーディスを助け出そうとするが、周囲の鼠が牽制をするせいで近づけない。

 それどころか数の差に押され、こちらも窮地に陥ってしまった。

 

(駄目だ! このままでは二人が殺される!)

 

 もう必要の部屋どころではない。

 友を見殺しにする事など出来ず、ハリーは思考を切り換える。

 まずは二人を助ける! 必要の部屋はその後だ!

 杖を抜き、シドニーに向かって呪文を唱えようと意識を高める。

 だが、まさにハリーが攻撃しようとした刹那――。

 

 

「アバダ・ケダブラ」

 

 

 シドニーの無情な声が響き、イーディスの身体に緑の閃光が叩き付けられた。

 

「……え?」

 

 首から手を離されたイーディスが、目を見開いたまま床に落ちる。

 目に映る全てがスローモーションのように見えた。

 こちらに手を伸ばし、何事かを叫ぶハリー。

 涙を流し、慟哭するハーマイオニー。

 ゴトリ、という音が響き、イーディスはそこでようやく自分の身体が床に落ちた事を知った。

 

 身体が動かない。

 瞼が重い。

 視界がゆっくりと暗転していき、妙な解放感が身体を支配する。

 

(……ああ、そうか……)

 

 涙するハリーとハーマイオニーを見ながら、イーディスは理解した。

 自分の身に何が起こったのか。

 そしてこれから何が起こるのか。

 

(私……死ぬんだ……)

 

 

 ゆっくりと目を閉じ、音すら聞こえなくなる。

 身体の五感全てが失われ……そして、イーディスは動かなくなった。

 

 




(*´ω`*) 皆さんこんばんわ、VSシドニー&ピョートルズの71話でお送りしました。
無個性空気少年シドニーは画面に映ってもやっぱり無個性でした。
得意呪文は変身魔法ですが、この変身魔法が本当に何でもありです。
質量無視は当たり前、無生物を生物にする事も可能とか滅茶苦茶です。
これ、解釈次第では空気中の微生物やら何やらを変身させて実質上の『無から物を出す』に限りなく近い反則技も出来るんじゃないでしょうかね。
いやまあ、流石にそれやらせるとインフレバトルすぎるのでやりませんけど。
そしていつの間にか増えていたピョートルズ。
鼠を放置すれば鼠算式に増えるのは当たり前というわけです。
それではまた明日、お会いしましょう。

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