バカとテストと召喚獣IF 優子ちゃんinFクラス物語 作:鳳小鳥
あれから鉄人に命じられた廊下掃除を一時間に渡ってこなした僕は、試召戦争の疲労で重たくなった身体を引きずりながらようやくFクラスに戻ってきた。
「つ、づかれたー……」
ガラガラガラ、と扉を引いて教室に入る。
時刻はすでに完全下校時刻寸前、夕焼けの日差しが教室内を挿していて一瞬目が眩んだ。
「あら、吉井君」
「え……」
誰も居ないと思っていた教室内で突然名前を呼ばれ、僕は周囲を見渡した。
夕焼けに当てられた目が徐々に回復し視界がクリーンになると、赤く染まった教室の左隅の席に優子さんがペタリと座ってこちらを見ていたのが見えた。
「優子さん、どうしてここにいるの? もう帰ったと思ってたよ」
「本当はそのつもりだったんだけど。今日の授業が試召戦争で全部中止になったじゃない? その所為で遅れた分の内容の予習をしてたのよ」
僕の質問に事も無げに答える優子さん。
が、一つ気になることがあった。
「あれ? でも試召戦争で遅れた授業って、後で休みを返上してやるんじゃなかったっけ?」
「そんな受身でどうするのよ。勉強は自分の為にやってるんだから自主的にやるのが当然でしょ」
「そ、そうなんだ……」
そんなの初めて聞いたな……。多分Fクラスの誰に聞いても僕と同じ反応をするに違いない。
「吉井君は? どうしてこんな時間まで残ってたの?」
「僕はただの雑用だよ。さっきまで鉄じ──西村先生に言われて消火器で汚れた廊下の掃除をしてたんだ」
「ああ、あれね。……まったく、あの時は火急な状況だったけどだからって学校の備品を私的な目的に使っちゃ駄目でしょう」
「ご、ごめんなさい」
怒られてしまった。
なんだろう。最近こうして優子さんに駄目だしされることが多い気がする。やっぱり彼女がしっかりしていて僕がだらしないからなのかな。
ぐ~~~
その時、僕のお腹が間抜けな音を立てた。
「あ」
「……今のって、お腹の音?」
「そういえば、今日パンの切れ端しか食べていないんだった……」
思い出した途端、強烈な空腹感と眩暈が襲ってくる。
くそぉ、試召戦争の時は緊張で忘れてたけどそういえば今日はずっと空腹だったんだ。
「うわととっ」
平衡感覚が保てなくなり、前のめりに倒れそうになった身体を右足を前に出してなんとか支えなおすと、もう一度警告するように僕のお腹はぐ~と鳴った。
お、お腹、空いた…………。拙い、このままだと帰る途中に倒れてしまいそうだ。
「どんだけお腹空いてるのよ……。一体普段どんな生活──、────」
優子さんが何か言ってるが、耳が遠くなったのかうまく聞き取れない。
大体どうして僕はこんなに苦しい思いをしてるのか。僕は悪い事なんて何もしてないはずなのに。
気がつくと、僕はことの発端と原因、そして元凶を探るため意識を内側に向け記憶を試召戦争前まで遡っていた。
そうして、一人の男が瞼の裏に浮かび上がる。……そうだ、これも全部約束を破った雄二の所為だ。
元凶が判明した途端、空腹に連動して雄二への憎しみと怒りが沸々と湧き上がる。あの野郎、明日学校で会ったらこの苦しみを十倍にして返してやる……!
「吉井君!」
そこでいきなり肩がガクンと揺さぶられ、僕の意識は強制的に現実に引き戻された。
「え、あれ……優子、さん?」
「そうよ。はぁ、意識は戻ったみたいね。急に何も反応しなくなったと思ったら今度は念仏みたいにぶつぶつ独り言を言い始めるからついにおかしくなっちゃったかと思ったわ」
いつのまにか立ち上がっていた優子さんが僕の両肩を掴んで溜息を吐いていた。って近い近い顔が近いよ!?
「ちょ、ちょちょちょ!? 優子さん!? ちょっとタンマ!」
猛烈に恥ずかしくなり慌てて後ろへ後退する僕。
「あっ」
その影響で肩に触れていた手が離れて、優子さんは驚きの声を上げていた。
僕が嫌で無理矢理手を払ったと思ったのか、優子さんは目を細めあからさまに不機嫌な表情で僕を睨む。
「……せっかく人が心配してあげたのに。そういう態度とるんだ、吉井君は」
「ち、違うよっ!? これはなんというか不可抗力で。思春期特有の条件反射的な。とにかくごめん! 決して優子さんがどうこうとかじゃないから」
「ふーん、まあいいけど」
渋々、といった感じで優子さんは納得してくれた。許してくれた……のか?
まあ取り合えず睨む視線は外してくれたのでよかった、と胸を撫で下ろす。
が、大声を出した所為か余計お腹が減ってきた。
もう道に落ちてるゴミでも食べてしまうかな……。今の僕の胃なら消費期限一ヶ月いないなら問題なく消化してくれるはずだから。
「は、早く帰って家に残してある秘蔵のパン粉を食べないと餓死してしまう」
「非常事態にパン粉食べるんかいアンタは。……もう」
呆れたように肩を落としていた優子さんは、僕から背を向けて教室にあるロッカーの扉に手を掛けた。
その中から自分の鞄を取り出して、留め金を外して中から何かを取り出していた。
それを持って再び僕の前まで戻ってくる、そして、その立体長方形の箱が入っているらしき包みを僕に差し出してきた。
「はい」
「? 何これ?」
「お弁当よ! アタシ、今日はあんまりお腹減ってなくてお昼残しちゃったから、ほ、ほしいんなら、あげてもいいわよ……」
「…………」
思わぬ提案に目を瞬かせる。
待て、今なんて言った?
「お、お弁当? 僕に? 本当にくれるの?」
「あげるって言ってるでしょう。何、いらないの?」
「いります食べます頂きます!!!!」
全力でお弁当を受け取る。やった! まさかこの一週間以内にまともな飯に二度もありつけるなんて! 今の優子さんは救いの女神に見えるよ。
さっそく近くの卓袱台の前に腰を下ろし包みを解いて女の子らしい小さめのお弁当の蓋を開く。
彼女の言う通りに、中には中途半端に残ったおかずとご飯が入っていた。が、今の僕にはそんな瑣末なことなど気にならない。
夕焼けの太陽に照らされている所為か、はたまた空腹に飢えた僕の目に補正が掛かっているのか、目の前のお弁当が光り輝いて見えた。
お弁当と一緒に入っていた箸を手に持ち、いざいただこうとしたところで、僕はあることに気づいて視線を自分の右手に落とした。
…………このお箸って、お昼休みに優子さんが使っていたやつだよね。ど、どうしよう! 使ってしまっていいのかな!? このままだと関節キスということになっちゃうんだけど!
優子さんは気づいてるのか?と気になりそっと目だけを動かして正面に腰掛けていた優子さんの様子を伺う。
「…………? 食べないの?」
「えーっと、本当に食べてもいいんだよね?」
「? 良いって言ってるでしょ。吉井君って意外と小心者なのね」
別にそういう意味ではないのだけど。……まあこの前の校舎裏の時と違って本人がなんとも思っていないようだし、さすがにお昼休みから時間も経ってるから時効でいいよね。
僕はそこで考えるのをやめて素直に生物の欲求に従う事にした。
「それじゃあ、いただきます!」
「…………」
優子さんがじーっとこっちを見ているのが少し気になるが、構わず箸を操りまずは卵焼きを口に運ぶ。うん、冷たいけど美味しい。
空腹は最高の調味料とはよく言ったものだ。今ならどんなものでも美味しくいただける自信がある。
「……ど、どう?」
「ん? 美味しいよとっても」
「そうじゃなくて! ……この前のお弁当と比較してどうなのかを聞いたの!」
「この前って、校舎裏で食べたやつ?」
こくんと優子さんは頷く。
どうしてそんな事聞くんだろう? 確か木下家ってお母さんがお弁当作っているんだよね?
何か気になることでもあったのかな。
「そうだね……」
取り合えずれんこんのきんぴら、鳥の照り焼きとおかずを一通り食べてみる。
優子さんはそんな僕の様子を真剣な眼差しで観察している。なんか見られながら食べるのって恥ずかしいな。
何やら妙な居心地の悪さを感じながら僕は食べたおかずを頭の中でリフレインさせた。
料理に明確な”百点満点”というものはない。
食べる人の好みもあるし、どれだけ高級な食材を使ったとしても食べる人の口に合わなければ意味がないからだ。
以前とはレパートリーが違うものも入ってるけど、この場は僕の好みと直感で答えてみた。
「んぐんぐ(ごくん)。んー、……個人的には、前のヤツのほうが良かったな」
「はぐっ!?」
僕が感想を言うと優子さんはショックを受けずーんと沈んだ。え? え? どうして!?
「ちょ!? 今僕何か悪い事言った!?」
「……ふふふ、いいのよ。いきなりママに勝てるなんて思い上がってなかったから。ちょっと見栄を張ってみた結果がこれよ。大体──」
俯きながらぶつぶつと独り言を呟き始める優子さん。一体どうしちゃったんだ。
推察するにこれはどうやらお母さん作ではないみたいだけど。あれ? それじゃこのお弁当って誰が作ったの?
「優子さん。これって──」
「そうよ。……それはアタシが作ったのよ。悪かったわね美味しくなくて」
「誰が、ってえぇぇーーーーーーっ!?」
衝撃の事実に驚きのあまり手に持った箸を落としそうになった。
そ、それじゃあ僕は今優子さんがその手で作ったお弁当を食べて。しかも本人の目の前で酷評してしまったことか!
バカ野郎!? 僕はなんてことをしてしまったんだ! 空気が読めないにもほどがある! よりにもよって女の子が作ったお弁当を悪く言うなんて! 異端審問会に掛けられたら極刑ものの大罪だ。
「ち、違うんだよ優子さん! これは美味しくなかったとかじゃなくて寧ろすごく美味しいというかっ!? 毎日でも食べられるぐらい丁度バランスがとれた味だったよって意味で!」
「ふん、いいわよお世辞なんて。あーあ、せっかく作ってきたのになんだか失敗だったわ」
「ううぅ……」
不味い。これは完全に拗ねてしまっている。どうすればいいのだろう?
罪悪感から真っ直ぐと優子さんを見ることが出来なくなり途方にくれた視線が下に下がる。
すると、そこには丁度まだ残っているお弁当が入ってきた。……そうだ!
「優子さん」
「……何よ?」
「お弁当。二回も分けてくれてありがとう。僕すごく嬉しかったよ」
「え」
いきなりお礼を言われてきょとんした優子さんを横目に、僕は残ったお弁当の中身を一気に口に運んだ。
余り物だけあって元々それほど量のなかったお弁当はものの数秒で空にになり、後には残ったお弁当箱だけ残る。
僕の行動に唖然としたのか。放心状態から復帰した優子さんはまくし立てるように叫ぶ。
「ちょ、ちょっと何してるのよ! 美味しくないなら無理して食べなくてもいいから!」
「そんなことないよ。すごく美味しかった。優子さん、料理上手だったんだね」
「──っ!? 何よ。さっきは前の方が良かったって言ったくせに。種明かししたら都合よく
「そうじゃなくて。確かに味は前の方が少しよかったかもしれない。でもこれだって負けないぐらい美味しいかったから。これが僕の正直な感想だよ」
「────」
再びぽかんとする優子さん。んん? 夕焼けの所為か少し顔が赤いような……。
「駄目かな?」
「ふ、ふん! 仕方ないから騙されてあげるわ。ちゃんと残さず食べたみたいだし」
「勿論だよ。こんな美味しいものを残したら神様の罰が当たっちゃうからね」
「それは吉井君が極度の空腹状態だったからでしょ。まったく」
口調にはまだ不機嫌さが残っていたが、表情は存外悪くなさそうに薄い笑みを浮かべていた。よかった。なんとか機嫌を直してくれたみたいだ。
「お礼にお弁当箱洗って返すよ」
「ありがたいけどそこまでしてくれなくていいわよ。それがないと明日のお昼ご飯作れないし」
「あ、そっか。じゃあ別のお礼考えておくね」
「はいはい。期待しないで待ってるわ」
僕はもう一度最後に「今日はありがとう」とお礼の言葉を告げて帰り支度を始めた。
そろそろ完全下校時刻だ。早く帰らないとせっかく解放されたのにまた鉄人と対面してしまう。
この幸せ気分をあの暑苦しい筋肉教師に台無しにされるのだけは勘弁願いたい。
一通り支度を終えて鞄を提げて立ち上がると、僕は優子さんの方へ向いて今日最後になるであろう挨拶を告げた。
「それじゃ優子さん、また明日学校でね」
「ちょっと待ってっ」
「? どうしたの?」
「………………」
さっきとは打って変わって真剣な表情で僕を見据える優子さん。
二人きりという空間。そして狙った獲物を射抜くような鋭い視線を受け全身が妙に緊張しだす。まだ春先だというのに汗を掻いているのか少し暑い。
なんだろう。まだ何か言いたいことがあるのかな。
「試召戦争のことで、吉井君に聞かなくちゃいけないことがあるの」
そうして優子さんは口火を切って語り始めた。