東方血界神 ~Creatures Paradise~ 作:閼伽
真似て、似せて、確立していく。それが個性と云うモノだ。
永琳から渾身のアッパーカットを食らい、床から数十センチの距離を浮いて朱雨は背中から落下した。しかし実の所、朱雨はほとんどダメージを受けていない。なぜなら朱雨にとって人間程極小な存在から受ける一撃など、細菌が肌に付着する程度の刺激にすらならないためである。
とはいえ、何の抵抗もせずに殴られるのは生命の本能としてどうなのか、という事もあるだろう。だが触れた事すら感知できない一撃などに命の危機を感じる事はない筈だ。あらゆる毒の耐性を持っている朱雨ならなおさらである。
まあ、結果として。
殴られた朱雨は平然と立ち上がり、むしろ殴った永琳の方が拳を痛めるという、ある種滑稽な光景がそこにはあった。
「~~~~~~ッ!」
「だ、大丈夫ですか!? 永琳様!」
右手を抑えてうずくまる永琳。身体はプルプルと震え、目じりには涙が溜まっている。月夜見はどうすればいいか分からないという感じで永琳の周りでオロオロしていた。
「…………」
朱雨はその様子を無表情で見ているだけだった。傍から見れば余裕ともとれる態度をする朱雨に、永琳は迫力のない涙目でキッと睨みつける。
「どうして貴方は平気なのよ!」
「その程度の打撃で傷など負わんからな」
うずくまる永琳を見下ろしながらしれっと言い放つ朱雨。永琳は「もう一度殴ってやろうか!?」と拳に力を籠めるが普通に痛かったし、そんな事をしても結果は見えているので、怒りを噛み殺して右手に弱い治癒をかける。
月夜見は苦い顔で見ているだけだ。月夜見は永琳のように霊力を用いた術はまだ習得していないのである。そのため、憧れの人が困っているのに何も出来ない自分に歯痒い思いを抱いていた。
と、それをじっと見つめていた朱雨が、無感動に口を開いた。
「……前々から聞こうとは思っていたのだが、お前が使っているその術は、一体何の力を使っている?」
「え? これの事?」
朱雨の質問が余程思いがけない事だったのか、先程までの怒りはどこかへ行き、永琳はぱちくりと瞬きをして治癒が終わった手を見せる。少し腫れ上がっていた手が完治している事を確認して、朱雨は機械的に頷いた。
「何の力って言われても、霊力なんだけど……ひょっとして貴方、霊力を知らないの?」
「ああ、知らない」
心の籠らない解答に、永琳はちょっとだけ考えて、それもそうかと納得する。そもそも心無き生命であるところの宇宙生命体Aの男? の朱雨だ。神力や妖力などの力を感知出来ているだけでもたいしたものである。
「そうなの。だったら、実験場に行く間に説明してあげるわ」
そう言って永琳は立ち上がり、隣の月夜見に視線を向ける。月夜見はまだ心配そうに永琳の右手を見ていたが、永琳は苦笑して月夜見の頭を撫でた。
「月夜見、私達はこれから実験場に行くわ」
「ふえ?」
頭を撫でられてふにゃりと顔を緩めていた月夜見は、永琳の言葉で我にかえる。自分がどんな顔をしているか分かると慌てて表情を取り繕い、声を整えて永琳に尋ねた。
「実験場、ですか? 永琳様が御参加なされる実験予定は、私は存じておりませんが……」
「私の個人的な実験よ。朱雨の能力実験を行うの」
「能力実験を? あの、つかぬ事をお伺いしますが、そちらの朱雨様は能力持ちの方なのですか?」
「ええ。彼は血液を操る程度の能力を持っているわ。私が見た限りでは、血液で人間の腕を再現して自在に操作したり、体外に排出して高硬度の容器を生成していたの」
「まあ! それは非常に興味深い能力ですわ! それで、どのような事まで可能なのでしょうか?」
「それをこれから確かめに行くのよ。貴方も一緒に来る? 月夜見」
「もちろんですとも! そのような能力を解明するのは我々学者の喜びですゆえ! それに、永琳様の頼みとあらば、私はたとえ火の中水の中、めくるめく夜の果てまででも付き従う所存です!」
「そ、そう。それは、嬉しいわ」
頬を赤く染め、キラキラと瞬く瞳で永琳を見つめる月夜見。こころなしか、月夜見の背に千切れんばかりに振られた尻尾が見えるようだ。その様や今までの言動から見ても、永琳に心底心酔しているのが手に取るように分かる。
(こうゆうところがちょっと欠点なのよね、この子って)
永琳は月夜見の言葉にちょっと引きながら、苦笑を浮かべてそんな事を思う。
月夜見は永琳に心酔し過ぎなのだ。悪く言えば、頼りにし過ぎという事でもある。まだ若いからと言えば納得も出来るが、この先もずっとこのままだというのは少々まずい。永琳にずっと頼りっぱなしでは、一人で何も出来なくなってしまう。
(いずれ、この子の事も何とかしなくちゃ)
そう永琳は心の内で決心するが、まるで恋人に寄り添うように永琳に抱きつき、幸せそうな笑みを浮かべる月夜見に、やっぱり今からでもどうにかしなければならないかも、と思う永琳であった。
「……話は終わったのか?」
「え、ええ、終わったわ。待たせてごめんなさい」
「構わん。契約の補填作業だ、私が不満を言う事はない」
永琳達の話が終わるのを棒立ちで待っていた朱雨は、閉じていた目を開いて永琳を見据える。その視線に永琳は今更どうという事は感じないが、月夜見は少しだけ恐怖を抱いた。まるで硝子のように無機質な、紅く鋭い朱雨の瞳に。
「じゃあ、行きましょう。月夜見はこの資料に先に目を通してちょうだい。朱雨、実験場はこっちよ、ついてきて」
永琳は月夜見に朱雨の血液検査の結果と、永琳が事前に質問した朱雨という存在について書かれた資料を渡し、朱雨についてくるように促す。月夜見は「はい!」と元気よく返事をし、朱雨は無言で頷いた。
それを確認した永琳は体を後ろへくるりと回し、実験場へ向かう。右に月夜見、左に朱雨が陣取り、二人も永琳について行こうとした。
だが。
「……流れている噂は、どんな手を使ってでも
前を向いていて顔が見えない永琳から聞こえてきた、地獄の底から響くような低い声。それに月夜見はビクリと震え、朱雨も少しだけ警戒心を持つ。落ち着いたソプラノの永琳がその声を発したとは思えないが、どう考えても永琳以外に発信源はいない。
「え、永琳……様……?」
「なぁに、月夜見?」
おそらく永琳が漏らしただろう声について恐る恐る尋ねようとした月夜見に、永琳は極上の笑みを顔に貼りつけて振り返る。その笑顔とは思えないあまりの迫力に月夜見は小さく悲鳴を上げ、慌てて「な、何でもございません!」と顔の前で手を振るほかなかった。
「…………」
朱雨は相変わらずの無表情だったが、頬に一筋の汗が流れていた。永琳のその笑みは、朱雨に危機感を抱かせる程に凄まじいものだったようだ。
世界には物理的な法則の他に、四つの力がある。精神・心に通ずるその力は物理の層に影響を及ぼし、世界を確変したり、あるいは世界そのものを創造さえする力だ。
人間を主体とする、魂に宿る聖と浄化を司る力、霊力。
妖怪を主体とする、人間を殺す為に生まれた力、妖力。
魔族を主体とする、この世の深淵に存在する力、魔力。
神霊を主体とする、万象を創造する果て無き力、神力。
どれもこれも強力な力であり、一見して別々の力に見える。だが共通する部分として、精神や心を主体とする力である事が挙げられる。
霊力は心によって。妖力は恐怖によって。魔力は意味によって。神力は信仰によって。それぞれが精神的なモノから生まれているのだ。そして、精神的なモノから生まれてくるが故に、それらは精神的な作用なのである。
例えば、永琳が用いていた霊力による治癒や物体を集める術は、直接物理的な干渉を行っているわけではない。永琳の術は物体そのものではなく、物体の精神、魂とも呼ばれるモノに干渉しているのである。
万物には魂がある。生きていようが生きていまいが、そこに存在するのなら魂を持っているのだ。そして、魂と肉体には密接な関係がある。肉体が傷つけば魂も傷つき、逆に魂が癒えれば肉体も癒えるのだ。まあ、魂と肉体、どちらに比重を置くかで話は変わってくるのだが。
つまるところ、霊力、妖力、魔力は物理的な干渉能力をほとんど持たない。魂に干渉し、肉体側が魂に引っ張られる形で変化しているだけに過ぎないのである。神力だけは異なり、物理干渉が可能な場合もある。
「――というのが、この世界における力の概要よ。今まではこの四つの力のみが世界に存在すると考えられていたけれど、貴方の持つ『万物に変化をもたらす力』は、この四つの力に当て嵌まらない未知の力。だから、私は貴方の力を解明したいの」
「成程、な」
永琳の説明を聞き終えた朱雨は、ふむ、と顎に手をあてて考える。
(霊力。妖力。魔力。神力。霊力を感知できなかったのは、霊力を実際に扱う人間に遭遇していない事が原因と考えられる。魔力に関して言えば――おそらく、あの月から発せられる力がそうなのだろう)
夜の中で常に見続けてきた、あの虚空の満月。あれが魔力によって構成されているのなら、物理法則に依存しないのも頷ける。本物であり偽物でしかないあの月は、物理的な視界ではなく精神風景に直接刻まれる代物だと、朱雨は推測した。
そうして、ふむふむと頭を上下に動かす朱雨の横で、資料を読んでいた月夜見は驚きと恐れを顔に刻んでいた。理由は永琳と同じく、朱雨という存在の非常識さ、不条理さを目の当たりにし、己の解明してきた真理が揺らいだためである。
もっとも、永琳のように朱雨に対し怒りや憎しみを抱くような事はなかったが。月夜見は、そういった激情とはほとんど無縁の性格なのだ。
「そんな……このような存在が……実在するはずが……」
フラリ、と体のバランスを崩す月夜見を、永琳が支える。真っ青な顔をして永琳を見上げる月夜見に、永琳は心配そうに眉を伏せた。
「月夜見、大丈夫?」
「え、永琳様……申し訳ありません。少し、目の前が暗くなってしまって……」
「仕方ないわ、学者なら当然の反応だもの」
永琳の腕から離れてペコリと頭を下げる月夜見に、永琳は苦く笑う。
「でも、やっぱり気になっちゃうでしょう? 彼の、朱雨の限界値がどれ程の物なのか」
何とか自力で立つ月夜見は、永琳の言葉にしばし黙った後、疲れたような表情で吐息のようなため息を吐く。
「……ええ、否定出来ませんわ。朱雨様が何処まで出来るのか――この未知への探究心は、例え今までの常識を覆されたとしても、決して治まるものではないのでしょう」
「やっぱりそうよねぇ。ほんと、私達学者って損だと思うわ」
「ええ、全くです」
何やら立ち止って談笑を始めた永琳と月夜見。それを眼球を完璧に模倣した置物のような目で、朱雨はただ見ている事しか出来なかった。早く実験を終わらせて観察に行きたいのに、と考えたりしながら。
आयुस्
永琳が血液検査と永琳自身が見た朱雨の能力から導き出した推測、それは「朱雨の血液はあらゆる物質、及び生物の生成が可能だろう」というものである。
まず、永琳は朱雨が人間の腕を生成していた事から、朱雨は生物の生成が可能であると仮定した。これは朱雨には申し訳ないと思いつつも、永琳が血液の腕を密かに観察していた事に起因する。朱雨は普通に気づいていたが。
生物の身体というのは非常に複雑に出来ている。人体の細胞の数は六十兆もあり、腕だけでも一兆は確実に超えている。永琳が見た限り、朱雨が生成した腕は人間の腕と全く同じ造りになっており、信じがたい事だが、朱雨は細胞から腕を生成しただろうと永琳は判断したのだ。
物質が作れるというのは単純に、細胞程極小のモノを生成できるのなら、それを成り立たせている原子も同等に操れるのではないか、という推論からである。単なる思い付きにも等しいモノだったが、物は試しと永琳は朱雨に物質と生物を生成するように言ったのだ。
結果として、それらは可能だった。
朱雨は地球に降り立ってから、ずっと生物の観察をしてきた。解剖などは行っていないものの、数千万年の永きに渡り観察してきたのである。大抵の生物の体の造りは理解していた。
朱雨は血液から寸分違わぬ人体を造り、血液検査で判明した原子からあらゆる物質を生成したのである。最も、人体と言ってもただの生きている肉塊に等しく、朱雨が操る事で人間のような動作をしているだけであったが。
これに関して朱雨の弁によれば、
「人間のように心などと云う理解出来ないモノを抱えている存在を創るのは不可能だ」
との事だった。永琳はならば心を持たない生物ならどうだと考える。心無く本能に従い生きる獣ならば創れるだろうと。
永琳は朱雨にその考えを伝える。朱雨は、
「まあ、それなら可能だろう」
と言って、血液で心を持たない本能に従って生きている生物の生成を試し、成功したのである。その血液で創られた生物は基本的にその生物に沿った行動を行い、朱雨の命令に絶対的に従う事が派生実験により分かった。
そして、血液による生成実験の終了後、ついに永琳と月夜見は朱雨の持つ謎の力「万物に変化をあたえる力」の解明に取り掛かるのであった。
美観など一切意識していないのであろう武骨な強化壁で覆われた空間に、爆発が起きたのかと勘違いする程の凄まじい轟音が鳴り響く。同時にその空間の中央にあった白い箱型のセンサーが勢いよく宙に舞った。
その空中を回転しながら飛んでいくセンサーがもともと鎮座していた場所の傍に、上半身の衣服を脱ぎ、血液で
それを透過性の防護壁から観察していた永琳は、センサーから送られてきた測定結果をみてため息を吐いた。
「――測定値が、あのセンサーで測れる最大値と寸分違わず同じ、か。朱雨はセンサーの測定限界を一瞬で見抜いて、その限界値と同等の威力で殴打したと考えた方がいいわね。全く、ここまで精密な力加減が出来るなんて……月夜見、そっちはどう?」
永琳は後ろで別の測定機器を操作している月夜見に尋ねる。しかし、月夜見は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「残念ながら、この測定器でも朱雨様が担っておられる力は観測出来ませんでした。これで八咫鏡にある全ての測定器で測定を試みてみましたが、何一つ引っかかるものはない、という結果になりました」
「そう……ハア。本当、何なのかしらね。朱雨の使っている『万物に変化をあたえる力』は」
「いくつか仮説は立てられますが、観測がそもそも不可能な現状では推測の域を出ないでしょう。いずれかの手法で朱雨様の担っておられる力の片鱗でも調査出来れば良いのですが……」
「そうね…………そうだわ!」
月夜見の力ない返答に生返事をかえした永琳だったが、突然何かを思いついたように立ち上がる。それに目を白黒させながら、月夜見はおもわず尋ねた。
「あ、あの、永琳様? 何か思いつかれたのですか?」
「ええ、月夜見! 朱雨が使っているのが本当に『万物に変化をあたえる力』なら、彼が直接攻撃をした物体を調べれば何らかの変化が生まれているはずよ」
「なるほど! それを調べてみれば、あるいは朱雨様の力が観測できるやもしれないですわ!」
「早速始めましょう。月夜見、さっき朱雨が殴打したセンサーの詳細資料はある? それと、センサーの回収と精密検査を手配してちょうだい」
「承りました。資料はすぐにデータバンクから取り寄せます。センサーの回収は既に完了していますので、ウズメに要請して検査室に回してもらいましょう」
闇の中を彷徨っていた時に光を見つけた遭難者のように、永琳と月夜見は生き生きとした表情で慌ただしく動く。その前に、永琳は実験場で静かに立ち続けている朱雨に告げた。
『朱雨、私達はこれから別の実験に取り掛かるわ。少し時間がかかるから、その間は別室で休んでいてちょうだい』
「了承した」
朱雨は永琳の方を一瞥して渡された腕輪型のデバイスに向けてそう言い、実験場から出る。そして、待機室と永琳が呼んでいた部屋で、先程まで行っていた実験について考えていた。
(――今まで、己の血液で出来る事を試そうなどと考えた事もなかった。やはり、ヒトの欲望は目を見張るものがある。余計な方向に向いている節はややあるものの、それでも未知を解明し、それを己が利用出来るカタチに変化させる能力は素晴らしい。知能生物として、目指すべき進化の到達点の一つやもしれんな)
先程の「己の力を血液として腕に纏わせる」なども、これまでなら考えもしなかった事だ。己を高めるという事を久しく忘れていた朱雨にとって、人間との交流は決して無駄ではないという事が分かっただけでもこの実験に価値はある。
朱雨は爪で親指の腹を斬り、そこから出した血液で様々なモノを形作る。それを見ながら、朱雨は無表情ながらも確信する。
(ヒトを観察する事は、私の進化の可能性を広げる鍵となる。少なくとも、思考と探究という点において、ヒトは私を凌駕していると言ってもいいだろう)
「――早く、観察に
誰に言うでもなく朱雨は一人呟き、血液で様々な動物の肉体を再現していたところ、腕輪型デバイスから永琳の声が聞こえた。
『朱雨、実験が終わったわ。結果を伝えたいから私達がいる部屋へ来て』
一定の収穫があったのか、少し満足そうな永琳の声に朱雨は頷いて了承の意を返し、永琳達の部屋へ向かった。
朱雨が部屋に辿り着くと、そこには先程朱雨が殴ったセンサーの残骸が部屋の中央にある台に置かれており、その周りにクリップボードを持つ永琳と、朱雨には分からない機械を操作している月夜見がいた。
「来たわね、朱雨。まずは貴方が殴打したこのセンサーを見てちょうだい」
永琳は掛けている眼鏡の位置を直し、朱雨の方を向いてセンサーを指さす。朱雨は近づいてそのセンサーを見るが、原型を留めない程に破壊されている事以外、特に変わった様には見えなかった。
「……これが、どうかしたのか?」
朱雨は怪訝そうな無表情で永琳に問う。永琳はそれに答えず、月夜見に目配せし、月夜見はこくりと頷いて機械を操作する。すると、センサーが置かれていた台の横に床から新たな台がせりあがってきた。そこには、朱雨が殴ったセンサーと同型のセンサーが置かれている。
「貴方には、この二つのセンサーの違いが分かる?」
朱雨はその二つを見比べてみるが、やはり外見的な違いは破壊痕があるかないかでしかない。後は、この部屋にいる生物の中で朱雨だけに見えている「万物に変化をあたえる力」を纏っている量の差くらいだろう。
顔を近づけて二つのセンサーを見比べていた朱雨は、永琳の方を向いて無言で首を横に振る。その様子に永琳はなぜか満足そうに頷き、説明を始めた。
「残念な話なのだけど、私達が持っている既存の技術、真理では貴方の力の解明は不可能だったわ。というより、そもそも認識する事さえ出来なかった。そこで、貴方が殴打したこのセンサーに起きたであろう変化について調べる事にしたの」
台の周りを歩きながら話す永琳は「月夜見」と一声上げると、月夜見は機械を操作する。すると、台の上の何もない空間に電子音とともに平面の光を発する画面がいくつか映し出された。その画面に映っているのは、二つのセンサーを見比べた各部の画像だ。
「まず、センサー内のバッテリーの残量から。このセンサーは一度の充電で一千年は稼働するのだけど、今回貴方に殴られた後残量を確認してみたら、バッテリーが二百年ほど消費されていたわ。そして、バッテリーが五百年しか持たないようになっていたの」
「千年から五百年に変化したという事か」
「そう。次に、耐久年数も測定してみたわ。新品のセンサーに貴方が殴打したセンサーと同等の破壊を加えて、両方の耐久値を測定してみたの。結果は、貴方が殴ったセンサーは耐久年数が短くなっていたわ。他にも、センサーに使われている物質が他の物質と化学反応を起こす時間の測定、耐えられる破壊圧の限界値の検査、正常に使用出来る回数の試験――様々な実験を行ったわ」
永琳が行った実験を一つ一つ上げる度に映し出される画面の数が増えていく。そして、画面の増量が収まった頃、永琳は真剣な表情で朱雨と向き合う。
「その結果、どの実験でも貴方の殴ったセンサーは既存のセンサーの情報を下回る数値を出したわ。これと似たような結果を、私達は別の実験で見た事があるのよ」
「似たような結果を? それは、どのような実験だったんだ?」
「それは――」
永琳はそこで一旦言葉を切り、月夜見を見る。その視線を受けた月夜見は機械を操作して今出ている画面を全て消した後立ち上がり、朱雨の前まで歩いてきた。そして、やや緊張が走る面持ちで朱雨を見る。
「そこから先は、私から御説明させていただきます。その実験の担当は私でありましたので。ここで言う実験とは、天照国の砂漠を境界とする生物の寿命、物質の耐久度の相違を調査するものだったのですが、その実験の結果と、今回の実験の結果が非常に酷似しているのです。この事から、永琳様と私はある一つの推論を立てましたの」
ここまで説明されたら、朱雨には月夜見が言わんとしている事がほとんど理解出来る。だが、わざわざ口を挟むような真似はせず、月夜見の説明を待った。
「それは、朱雨様の持つ『万物に変化をもたらす力』と天照国の人間と外の人間との寿命の差、及び物体の変化時間と変化量の差をもたらしているモノ、便宜上『アンノウン』と呼んでいるソレは、同一のモノなのではないか、という推論です」
そこで、朱雨は天照国へ行く道中、永琳が言っていた事を思い出していた。たしか、月夜見が解明しつつある謎、だったか。
その事を朱雨は月夜見に問おうとしたが、そうするまでもなく月夜見自身が説明してくれた。
「この『アンノウン』に関しては現在私が解明中ですので、まだまだ解からない事が多いのですが、私自身はこの推論はほぼ当たっていると考えています。以上が、今回の実験結果をもとに導き出した推論です」
そこまで言って月夜見は頭を下げて永琳の後ろまで下がり、ホッと一息をつく。どうも、人前で説明するのは苦手らしい。
そうしている月夜見に永琳は微笑を浮かべて「お疲れ様」と言い、朱雨の方を向いた。
「さて、と。朱雨、私達がこの実験結果を伝えた理由なのだけど、貴方がどうやって貴方自身の力を認識しているか、その方法を私達は知りたいの。月夜見が今解明している『アンノウン』の完全証明にその方法が役立つかもしれないから。勿論、相応の見返りは保証するわ」
協力していただけないかしら、と永琳は朱雨に頼んでみる。それを聞いて朱雨は、ふむ、と腕を組む。
朱雨にとってみれば、既に実験に協力しているし、これが契約と失態の補填であるとはいえ、これ以上協力してやるメリットは無いように思える。しかし、朱雨にとって生死に関わらない実験であれば協力もやぶさかではないし、ヒトが己に行う実験によって己の可能性を示してくれる事もある。
それに、と朱雨は永琳と月夜見を見る。
朱雨には理解出来ないが、自らを学者と呼び、あらゆる未知への探究心を持つヒト。そして、それらを己にあったカタチに変化させる技術。己自身の肉体の進化に依存せず、極めて短期間で成長するヒトが持つソレは、非常に脅威である。
ヒトは、敵に回さない方が良い。
ここで永琳の依頼を引き受ける事はヒトとの共存に繋がるし、何より己にデメリットはほとんどない。
「……分かった、引き受けよう。ただし、天照国の観察を終えてからだ。流石に私も、もう時間を無為に過ごしたくはないのでね」
「ありがとう、朱雨」
そう結論付けた朱雨は、永琳に無感動にそう伝え、永琳は笑顔でお礼を言う。何気に朱雨は失礼な事を言っているが、永琳は短い付き合いながらも朱雨がそのような性格であると理解しつつあった。
そう思って永琳は少しだけ微笑んで、パン、と両手を合わせる。
「じゃあ、これで三つ目の実験はおしまい。さっさと四つ目の実験もやって、貴方が待ち望んでいる天照国の観察へ行きましょうか」
「そうしてくれると助かる」
「じゃあ、観測所に移動しましょうか。あそこなら、世界を観測するのに十分な機材が揃っているから。行くわよ、月夜見」
「はい、永琳様。今行きます」
話が終わった永琳は、後片付けをしていた月夜見を呼ぶ。そして、三人は最後の実験へと向かった。
朱雨と云う存在そのものである異界。その正体を知る為に。