東方血界神 ~Creatures Paradise~   作:閼伽

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名を貰い、朱雨は蛇と戯れる。

 

 戦え。戦いなくして生はない。戦わなければ死さえない。

 

 

 

 

 欠けたる処無き満月が空の頂に達した頃。

 

 蒼い月光の元、朱雨と永琳は蛇の大妖・八戯莉と静かに対峙していた。

 

 双方、動きはない。

 

 八戯莉はただ妖艶な笑みを浮かべ、朱雨と永琳を面白そうに見ているだけだ。

 

 朱雨は相変わらず感情のない表情をしていて、八戯莉を見据えているという事以外はその表情から読み取る事は出来ない。

 

 永琳は死の幻影からようやく立ち直りつつあった。

 

 月が雲に隠れ、現れ、再び塗れる。虫の声一つしない無音の中、それが幾度か繰り返された後、口火を切ったのは八戯莉だった。

 

「礼も持ち合わせておらんとは、大した奴じゃのお主は! 思えば、儂の領内に勝手に入って来おったしの。お主のような道理の分からぬ者に礼を求めるのが酷じゃったか」

 

「……必要のないモノは習得しないだけだ。それと、私がお前の支配域に入ったのは、お前が支配域を広げたからではなかったか、八戯莉?」

 

 はて、そうだったかのう? と八戯莉はカラカラと笑い、朱雨は何処か呆れたというような無表情で応対する。

 

 そのやり取りを見ていた永琳には、八戯莉に対して臆する事なく話をしている朱雨が信じられなかった。だが、理解出来ない、信じられないモノはもう数回見ている。少しは慣れてきていた。

 

 永琳は深呼吸を二、三度行い、自分に冷静な思考を戻す。

 

 まず、目の前には八戯莉がいる。妖気は大妖のそれだが、今は機嫌が良いのか朱雨と談笑の真似事をしている。その様からは敵意や殺意と言ったものは感じ取れなかった。

 

 朱雨の方は先ほどから変わらない。強いて挙げるとすれば、自分と話していた時よりも僅かながら感情の端々が見え隠れしている点だろうか。仮面のようにピクリとも動かない表情から読み取れる情報があまりにも少ない。

 

 自分こと八意永琳は比喩を使うまでもなく絶体絶命だ。はっきり言って至近距離から感じる八戯莉の妖力は尋常じゃない。八戯莉の行動の一挙一動、笑いかけるという動作にさえ自分を殺すのに十分な力がこもっている。少しでも機嫌を損ねれば一飲みに殺されてしまうだろう。

 

 本国への救援は不可能。仮にその辺りで倒れている兵士達が起きたとしても、援護など到底期待できない状況下にある。八戯莉の森に居る限り、逃走を謀っても待っているのは捕食の未来だけだ。

 

 とにかく、下手な行動は慎んだ方が良い――しばらく様子を見ようと永琳は身構える。朱雨が八戯莉の逆鱗に触れない保証はないが、今は会話を切り出す機会ではない。

 

 永琳は気を引き締め、機が来るのを集中して待つ。そんな永琳の胸の内を知ってか知らずか、朱雨と八戯莉は軽い言葉を投げ合っていた。

 

(とぼ)けるか。……まあ、それもいいだろう。しかし、永い間お前を見ていなかったが――随分と、無駄なモノを抱えているな」

 

「無駄なモノ? ああ、この胸に蓄えた脂肪の事かえ?」

 

 その一言に、永琳はズルッと足を滑らせそうになった。

 

「なぜそうなる」

 

 朱雨は非常に冷めた目で八戯莉を見るが、八戯莉はそれを意に反さず、どうだと言わんばかりに思わず生唾を飲み込んでしまうほど豊満な双乳を下から持ち上げた。

 

「ふふん、すごいじゃろう! この百年でここまで大きくなったのじゃ!」

 

 つきたての餅のように柔らかい乳房を、八戯莉は谷間を強調するように寄せる。(おとこ)なら大声で「けしからん!」と叫びつつ凝視するであろう神秘の桃源郷に、朱雨は絶対零度の瞳で一瞥しただけで、すぐさま視線を戻した。

 

「その成長は認めるが、私はそんな事を話したかったわけではない」

 

 だが認める辺り、しっかりと見ていたようである。

 

「では尻の方かえ?」

 

 そんな朱雨の態度に八戯莉はにやりと意地悪く唇を吊り上げ、今度は尻を突き出した。

 

「全然違う。お前は何を言っているんだ」

 

 またも否定する朱雨。だが人形のように生気のない顔は前を向いていても、目玉は下の方に落ち、はだけた和服の隙間からのぞく八戯莉の(なま)めかしい美脚を凝視していた。

 

「お主も物好きよのう。儂の尻を撫でまわしたいなどと大声で張り上げるとは」

 

 その様子にますます面白いと思ったのか、じらすように手を動かして隙間をゆっくりと広げ、八戯莉は表では正義漢を演じている男が犯罪をしている事実を掴んだ悪代官のようにいやらしくニヤニヤと笑う。

 

「おい待て、私がいつそんな事を言った」

 

 流石に記憶にないのか、僅かに動揺した声で八戯莉に言い返す朱雨。しかしその目は相変わらず、見えそうで見えないスリットの先の楽園を目指していた。

 

「お主の目が雄弁と語っておったわ。『この美しい女を存分に犯したい』とな!」

 

 僅かに充血した今の朱雨の目も存分に語っている。

 

「何を馬鹿な事を……」

 

 朱雨よ、それは八戯莉の下半身から視線を外してから言う言葉だ。今のお前の姿に説得力は微塵もない。

 

「ほう、恍けるか。されど、儂は知っておるのじゃぞ? 儂に寄り添われた時、お主のモノが熱く猛っていた事をの!」

 

 朱雨の声に動揺を感じ取った八戯莉は、ここぞとばかりに言い逃れできない事実を叫ぶ。

 

「…………確かに、反応はしていた。だが、それは本能として当然の事だ」

 

 そこでようやく諦めたのか、朱雨はひらひらと和服を揺らしつつも一向に見えないスリットから視線を外し、八戯莉からこれでもかという程思いっきり目を逸らして言い訳した。

 

「お主が儂に欲情していた事に変わりはあるまい。その時思わなんだか? 儂の胸を揉みたいと、儂の尻を撫でまわしたいと!」

 

 あまりに苦しい朱雨の言い訳に、八戯莉は霊魂に判決を下す閻魔のように朱雨に指をさし、最後通牒を突きつける。

 

「……………………脳裏に、掠めはした」

 

 目を逸らし過ぎてもはや後ろを向いているに等しい朱雨は、だらだらと汗をかきながら消極的に認めた。

 

「脳裏に掠めたぁ? 本当にそれだけかえ?」

 

 だがそれで許さないのが八戯莉クオリティ。心底ウザったくなる笑い顔で朱雨を下からねめつけ、更に問い質した。悪女だ。

 

「………………………………ああ、はっきりと想像した! それでいいのだろう!」

 

 それに耐えきれなくなったのか、ついに声を荒げて認めてしまう朱雨。羞恥(しゅうち)(こら)えるようにプルプルと震える朱雨の姿に、事もあろうか八戯莉は腹を抱えて爆笑した。正に外道である。

 

「アッハッハッハ! やはりそうよのう。いやなに、恥じ入る事はあるまい! お主も、お・の・こ、じゃからのう! アハ、アハハハハ!」

 

 …………どうしてだろう。このやり取りを見ていると、彼ら(対妖怪部隊)を思い出してしまうのは。

 

 永琳は脳を襲う頭痛に必死で耐えながら、胸の内である決意をしていた。

 

 生きて帰れたら、こんな任務に就かせた上司を全力で殴ってやる。

 

 そう心の中で固く誓って、迫る頭痛を振り払い、永琳は今の状況は好ましいと判断する。

 

 八戯莉は先程から、無断で森に侵入している永琳達に対して喰おうとするそぶりも見せなければ、怒ったような仕草もない。

 

 もしかしたら本当に支配域を広げただけで、私達には干渉するつもりはなかったのかも知れないと、胸中に希望が生まれた。

 

 だが。

 

 それがただの希望的観測でしかなかった事を、永琳は知る事となる。

 

「ねえ、ちょっと良いかし」

 

 

「誰が発言を許した。身の程を弁えよ、人間」

 

 

「あ――――」

 

 それまで感じていたものとは、比べ物にならない程の死の気配。

 

 それは殺意ではなかった。敵意でもなければ、そもそもそれは意志ですらない。

 

 それは絶対的な強者のみが持つ、弱者へと与える根源的な恐怖。

 

 八戯莉は何の意志も絡めず、ただ永琳に対して言葉を放っただけだ。

 

 それでも、こんなにも変わるものなのか。

 

 八戯莉の妖気を感知した時。

 

 八戯莉に後ろから声をかけられた時。

 

 永琳はそれらで何度も死んだ錯覚を抱いている。でもそれらは、永琳個人に向けられたものではなかった。

 

 八戯莉が永琳個人に意識を向けるか、向けないか。

 

 たったそれだけの差異で、ここまで違ってくるのか。

 

 ここまで、感じる恐怖が違ってくるのか――!

 

「あ……ああ…………」

 

 ペタン、と永琳は尻もちをつく。脚がガクガクと痙攣し、立っている事が出来なくなっていた。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!

 

 カチカチと永琳の歯が鳴っている。喉は言葉にならない音を出し、瞳には涙が溜まっている。脚だけでなく、体全体が揺れていた。

 

 八戯莉は蛇のように眼を光らせ、永琳を威圧するかのようにただ睨んでいる。

 

 永琳の思考はとうに停止している。もう、どうする事も出来ないと心のどこかで分かっていたから。

 

 八戯莉が、永琳に手を伸ばす。

 

「ヒィ、ア!」

 

 怖い、いやだ、死にたくない! 誰か、誰か! 助けて、助けて助けて助けていやだ死にたくないお願いだから怖いどうして私がいやだいやだいやだ死にたくない――!

 

「――そこまでだ、八戯莉」

 

 無感動に響く、心ない声。

 

 永琳がへたりこんでからじっと静観していた朱雨が、八戯莉に静止の言葉をかけたのだ。

 

 それに八戯莉は苛立たしげに顔をしかめながら、乱暴な動作で朱雨の方を向く。

 

 

「――解からんの。何故お主が止めるのじゃ。よもや、儂が人間を喰らうのを止めるつもりか?」

 

 場合によっては、お前も殺す――そう蛇のような眼光をぎらつかせて言外に語る八戯莉に、朱雨は動揺の欠片さえ見せず、ただ音を羅列したような言葉を喉から掻き出した。

 

「いいや、そのような事はしない。弱肉強食こそ生命の(ことわり)。そこには、何物であろうとも入り込む余地はない」

 

「では何故じゃ」

 

 食べる事は認めるというのに、己の行動を止めた朱雨に眉根をひそめ、訝しげに八戯莉は問う。朱雨は八戯莉の手を放して、腰に手を当てて嘆息した。

 

「喰う意思がないのに威嚇をするなと言っているんだ。必要以外の行動をとるのは、生命としてあまり好ましくない」

 

「……元はと言えば、お主のせいじゃろうが」

 

 ハア、とため息をついた八戯莉は「悪かったの」と永琳に言った。

 

 永琳は呆然とその言葉を聞いていたが、詰まる所、自分は助かったのだ――それに気づいた瞬間、瞳から滂沱(ぼうだ)の涙が溢れ喉から嗚咽が漏れる。

 

 薄情な事に朱雨と八戯莉はそれを無視して会話していたが。

 

「私のせい、とはどういう事だ」

 

「どういうもへったくれもあるか! お主がこの儂を前にしてあんまりにも平然としておったから、妖怪としての儂の誇りに傷がついたんじゃ! じゃから、人間の恐怖が必要だったんじゃよ!」

 

 眉間にしわを寄せ朱雨に詰め寄る八戯莉。結構怒っていたのだが、先程の羞恥はどこへやら、朱雨は何処吹く風と平然さに受け流す。

 

「そうか、そうだった。妖怪は恐怖がなければ生存出来なかったな。失念していた」

 

「分かればよい。分かっておるのであれば、お主がやるべき事は自ずと理解出来るじゃろ?」

 

 しれっと言う朱雨に「イラッ☆」ときた八戯莉だが、そこで怒るような安い女ではないと自分を制し、腕を組んでうんうんと首を上下運動させながら「分かっているだろ?」的な目で朱雨を見た。

 

「私がやるべき事……? …………ああ、そういえばまだ話の途中だったな。いいか八戯莉、お前は無駄なモノを抱え」

 

 だが朱雨は結構長い時間思考に没頭した後、閃いたように手を打ってなぜか自分が言いたかった事の続きを言い始めようとする。あまりに頓狂な行動に八戯莉は身体のバランスを崩しそうになった。

 

「違うわい! 儂は詫びくらいしろと言っておるんじゃ!」

 

 流石に朱雨のこの行動に対しては自制心を抑えきれなかったのか、怒り心頭といった形相で八戯莉は朱雨を怒鳴る。

 

「なんだ、謝罪か。そうだな、それで事が済むなら容易い。すまなかったな、八戯莉。では、話の続きをするぞ。お前は」

 

 しかしそれになんら堪えた様子もなく、お辞儀どころかすまなさそうにさえせずに棒読みで一言だけ謝った朱雨は、またしても話の続きをしようとする。

 

「待て待て待て! そのような詫びがあるか!! 儂の領内に入ったあげく首を捥ぎ取っておいて、それをたったの一言で済ませるか!?」

 

 当然、「そんな謝罪で大丈夫か?」「大丈夫じゃない、問題だ」と返す事必至の朱雨の謝罪という事すらおこがましい行為に、怒りのヴォルテージを次のステージに進める八戯莉。怒りのあまり今にも「この料理を作ったのは誰だ!!」と意味不明な事を叫びそうだ。

 

「……理解したよ。すまない。私が悪かった。本当に申し訳ないと思っている。これでいいだろう?」

 

 そんな無意識に妖気を全開にして怒り狂う八戯莉を見てもなお朱雨は揺らがない。オリハルコン製の心臓でもつけてるんじゃないかってぐらいの図太さで、謝る気のないの誤った謝罪を行った。もしかしたら、ただの馬鹿なのかもしれない。

 

「お、お主という奴は……! 薄々感じておったが、さてはお主、おおうつけじゃろう!?」

 

 あ、言われた。

 

 そんな調子で、泣きじゃくる永琳をガン無視してギャアギャアと言い争う二人。

 

 その二人の足元で鳶座りをして泣いていた永琳は、泣いている事が段々馬鹿らしくなってきた。涙の濁流にさらされていた心の中が、次第に怒りで沸々と煮えていく。

 

 対妖怪部隊の面々から受けた心労。

 

 朱雨との駆け引きで消耗した精神。

 

 八戯莉から受けた剥き出しの恐怖。

 

 ただでさえ極限の心労を受けてそれを心の内に抑え込んできた永琳にとって、二人の言い争いは堪忍袋の緒をぶった切るのに十分な爆薬だった。

 

「貴方達……」

 

 ゆらり、と永琳が立ち上がる。

 

「ん?」

 

「む?」

 

 言い争いに夢中で半ば永琳の存在を忘れていた二人は、間抜けな声を出して永琳の方に顔を向ける。ああ、そう言えば居たな――すげない二人の考えが同調したその瞬間、永琳は八戯莉の肩口を掴んで咆えた。

 

「いい加減にしなさい――――――!!!!!」

 

 広大な森に響き渡る、永琳の全身全霊をかけた魂の叫び。

 

 それは永きを生きた大妖と、永琳に対してはなぜか無感動な男を驚かす程に、凄まじいものだった。

 

 

 

 

   आयुस्

 

 

 

 

「――つまり、貴方は私達に干渉するつもりも、滅ぼすつもりもないという事でいいのかしら?」

 

「ああ、それで良い。もとより、儂は己の森の外になぞ興味は無いしの」

 

 永琳がブチ切れ、二人を怒鳴った後。永琳はもうどうにでもなれと怒りに身を投じたまま、八戯莉に自分がここに来た経緯と支配域を広げた理由を首根っこを掴む勢いで問い詰め、八戯莉は永琳に押されるままに話した。

 

 八戯莉が支配域を広げた理由。それは単純に以前までの森の広さでは自分の食料を賄えなくなったからだ。だから支配域を広げ、より多くの食料を得ようとしたのである。

 

 無論、近くに人間がいる事は知っていた。しかし別に八戯莉が気に掛ける事でもないし、森に入ってくればこれまで通り喰うだけだった。

 

 とまあ、そこまで八戯莉が言った所で永琳の頭はようやく冷える。自身の行動を振り返り頭を壁に打ち付けたい衝動に駆られたが、結果としては最も望ましいものだったと言える。

 

 八戯莉はこちらに干渉せず、こちらから干渉しない限りはなにもしてこない。

 

 それが一番良い結末だった。

 

 ふう、と永琳は息をつく。そして懐から短冊形の和紙を取り出すと、霊力を用いて何かを書いた後、空へ飛ばした。中を舞う和紙は見る間に鳥の形をとり、夜空へと飛び去っていく。

 

 永琳が投げたのは式神だ。式神は森を超え永琳達の国へと行き、上層部に情報を伝えてくれるだろう。

 

「うん? 何故式神を飛ばすのじゃ?」

 

「何故って、貴方は森に入ってきた人間を食べるんでしょう? だったら食べられる前に得た情報を国に伝える必要があるじゃない」

 

 不思議そうに尋ねてくる八戯莉に、永琳はあっけらかんと言葉を返す。何度も死を夢見たのだ。先程存分に泣いたし、永琳はもう、覚悟は出来ていた。

 

「なんじゃ、食べられたいのか人間」

 

「いえ、そうゆうわけじゃないけど……見逃してくれるの?」

 

「まあ、の。今宵も更けた。儂も眠いのでな、このまま臥所(ふしど)に帰るつもりじゃ。儂が寝入っている間に森を出るというのなら、喰ろうたりせん」

 

 その言葉に永琳は拍子抜けしたが、何にせよ、どうやら生きて帰れるらしい。

 

 もはや喜ぶ気力もなかったが、それが分かれば後は帰るだけだ。

 

 

「ありがとう、八戯莉」

 

「礼などいらん。儂の気が変わらんうちに疾く失せよ」

 

 頭を下げる永琳にヒラヒラと手を振って答える八戯莉。そして八戯莉は小さく欠伸をした後、二人に背を向けて森の奥へ去っていった。

 

「…………今日は、疲れたわ」

 

 八戯莉が森の闇へと消えた後、永琳は長いため息を吐く。

 

 永琳は非常に疲れていた。本当なら今すぐ寝てしまいたいが、まだ休むわけにはいかない。休息をとろうにも、まずは八戯莉ノ森から出なければならない。

 

 永琳は大きく背伸びをして気力を振り絞り、隣で(ボウ)と月を眺めている朱雨へ視線を投げる。

 

「ねえ、朱雨。貴方、私達を観察したいのよね。だったら、私と一緒に国に来ない?」

 

 永琳はここで朱雨をほったらかしにしても、いずれは地力で永琳達の国へ辿り着くだろうと考えていた。その際、余計な厄介事が起こってしまっては困る。

 

 ならば永琳と一緒に国に行く事で周りの人間達に朱雨に危険性がない事を示し、なおかつ道中で事前に永琳達の国の常識・禁則事項を伝えておけば、下手な騒動も起きずに済むと判断したのだ。

 

「ふむ、そうだな。そうして貰えるとありがたい。気配のみを辿って探すのにも限界はある」

 

「そう、なら決まりね。じゃあ行きましょうか。早くしないと、八戯莉の気が変わってしまうかも知れないし」

 

 たぶんないだろうけど、と永琳は付け加え、ここまで来た道を引き返そうとする。が、それを朱雨が遮った。

 

「それは構わないが……あれらを、放っておいてもいいのか?」

 

「……あ」

 

 朱雨の視線の先にいるのは、未だ白目を剥いて気絶している兵士達。

 

 彼らの存在をすっかり忘れていた永琳は、こいつらに朱雨をどう説明しようか考えて、また頭痛に襲われるのだった。

 

 

 

 

「……ねえ、朱雨」

 

「なんだ、永琳」

 

「貴方ってどうして、八戯莉にはそれなりに感情的に接するのに、私に対してはそんなに冷たい態度を取るの?」

 

「……ヒトの事は良く分からんからな」

 

「え? それってどうゆう」

 

「いずれ概説する。それより、ここから逐電するのが先だろう」

 

「……それもそうね」


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