東方血界神 ~Creatures Paradise~   作:閼伽

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朱雨は性を休め、護衛生活を始める。

 

 

 

 

 限りのある生を行く。誰しもが辿る、死の道を。

 

 

 

 

 光り溢れる竹林の影を柔らかな風が駆けていく。青空を覆う青葉たちがそれを受け止め、竹林がゆるやかに波打っていた。その青竹の海をかき分けて、一人の男が進んでいく。

 

 腰まで届く漆黒の長髪を後ろで無造作に束ねた、目元と鼻の間にハの字の線がはしる、やや老けた印象を与える男だ。その足取りに一切の迷いはなく、歩調をゆるめずに竹林の中を突き進む。

 

 髪を黒に染めた朱雨である。彼がなぜそのような格好をしているかというと、永琳からの依頼を遂行する為には紅髪・朱眼では少々勝手が悪かったからだ。

 

 時はさかのぼり一月前。相も変わらず世界を放浪していた朱雨は大雨の中、迎え入れる者の海を見渡せる海岸に陣取り、世界蛇を観察しようとしていた時に、永琳から連絡を受けた。

 

「…………ああ、私だ。どうした、永琳」

 

『朱雨……少し話がしたいの、いいかしら?』

 

 ペンダントを通して聞こえてくる永琳の声はどこか消沈気味だった。何か大きな失敗をして一夜明けた後、冷静になってこれからどうするかを陰鬱になりながら考えているような声だ。

 

 そんな音声を出す人間のいう事は大概が厄介な事案だ。朱雨は過去の経験と照らし合わせてそう判断すると、落ち着いて話が出来る場所に移動する。

 

 移動した先は古い大木の根元に生じた天然の洞窟だ。あいにくとひどい雨のせいで中は泥でぬかるんでいるが、人間ではない朱雨はそこまで気にしない。膝まである泥沼に平然と足を突っ込んでいき、一番奥にある天然の岩椅子に腰かける。

 

「それで、何があった」

 

 朱雨は率直に尋ねてみるものの、返事はない。ペンダントの先で逡巡している気配がしたので、永琳は迷っているのだろう。その迷いが打算的な知性か理解出来ない心かは分からないが、朱雨は待つことにする。

 

 かつて死ななければ何をしてもいいと明言しているのだ。死ななければ、朱雨はいかなる命令も受け入れるつもりだった。永琳ならば、己の意向に沿わない命令はださないだろうし。

 

『…………朱雨、貴方に頼みがあるの』

 

 やがて、永琳はか細く口を開く。音質が薄い、これは想定する事案の難易度を上方修正すべきか。朱雨は目を細め、永琳の情報(ことば)を聞き逃すまいとする。

 

『頼みたいのは、私の主君の事。私のせいで月の都から追放されるのを余儀なくされた姫君――蓬莱山(ほうらいさん)輝夜(かぐや)を、貴方に(まも)ってほしいの』

 

「……蓬莱山、輝夜?」

 

 朱雨はその人物名を記憶から検索しようとするが、全く聞いた事も会った事もない人物だと結果が出る。強いて挙げるなら蓬莱山と呼ばれる一族が天照国には居たくらいだが。

 

『蓬莱山輝夜は私のお仕えする御方よ。美しく賢い御方で、様々な「美」を誇る月の都の中でも最も美しいと謳われた姫様。私はその姫様の教育係を仰せつかっていたわ』

 

 永琳は淡々と話すが、言葉の裏には陶酔の色が見え隠れしていた。その色を垣間見て、朱雨は永琳がそこまで入れ込む者なのかと少し感心する。しかし、そこで急に永琳の声のトーンが下がった。

 

『けど、姫様は罪を犯されてしまった。私がつくった不老不死の薬――『蓬莱の薬』をお飲みになってしまわれたの。それで姫様は穢れてしまい、その罪で地上に堕とされる事になってしまった……私にはどうする事も出来なかった』

 

「不老不死の、薬?」

 

 永琳の声は重い。しかし朱雨の関心はそこではなく、不老不死の薬にあった。それは生物を死から解き放つ全ての野望の結晶だ。朱雨とて死は忌避している。それだけにその響きは甘い誘惑を持つ物だった。

 

『……? いえ、貴方が求めているようなモノじゃないわ。『蓬莱の薬』は不変の秘薬、飲んだ者から変化を奪う物だから』

 

 その朱雨の声の裏側の思いを敏感に感じ取った永琳は、とても不可思議な気分になる。朱雨と話す時、そんなものは今まで感じた事はなかったのに、と首をかしげ眉根を寄せた。

 

 だが、永琳はすぐにその疑問を振り払う。今はそれを気にしている余裕はない。こうしている間にも刻一刻と姫様は地上へ堕とされようとしているのだ。

 

『それよりも朱雨、引き受けてくれるかしら? これは依頼だけど、あくまで私からのお願いよ。貴方の生き方を変えてまで受け入れる必要はない。でも、地上には貴方以外に頼れる人がいないのよ』

 

 永琳は淡々と話す事を心掛けているが、それでも切羽詰った様子が朱雨にも理解出来た。朱雨は少しの間黙考し、そして答えを出す。

 

「……ふむ。お前には多大な恩恵を受けている。私もまた、それに答える義務があろう」

 

『! 引き受けて、くれるの?』

 

「ああ、了解した。私は、それを受け入れよう。依頼を受諾する。我が全霊を以てお前の姫君を護ると誓う――それでよいのだな、永琳」

 

『ありがとう、朱雨』

 

「なに、礼には及ばない。それで永琳、具体的に私は何をすればいいんだ?」

 

 護衛の依頼と聞いて朱雨が最初に思い浮かべたのは、地上にいる人間・妖怪から護る事だ。しかし、仮にも月の民がこの文明の低い時代の者達に敗北するとは思えない。

 

 人妖大戦で戦った人間の数はたったの百万人だ。そのうち戦えるだけの力を持っていたのはせいぜい四分の一程度。それだけで億に及ぶ妖怪達と対等の戦いを繰り広げたのが、月人達の元になった人類である。

 

 月に逃げたのはその中でもさらに突出した能力を持っていた上流階級の貴族達。それも永琳の仕える一族ともなれば、たかが妖怪の千や万は平気で屠るくらいの能力を有している筈だ。単身でそれだけできれば、人間なんぞ恐るるに足らない。

 

 完全に戦闘向きではない能力の持ち主だったとしても、永琳がそうであったように肉弾戦でもそれなりに強い筈だ。そんな月の民の護衛をしろと言われても、朱雨がやる事があるのかどうか分からなかった。

 

 朱雨がその疑問を口にすると、永琳は悲痛そうに話した。

 

『……姫様は、地上へ堕とされると同時に能力を封印されてしまうのよ。身体能力も地上人と同じくらい限定されると決定されているし、いくら地上人の中で清い善人の元へ向かわせるからと言っても、心配なものは心配だわ』

 

「……成程な。では、私は具体的にどうすればいい?」

 

『地上人と妖怪から姫様を護る事と、それから身の回りの世話をお願いできるかしら? 姫様が堕とされる場所と世話をさせる地上人はもう決定しているけど、どちらもか弱い老人よ。一応こちらからも姫様の監視といざという時の対処はするけど、すぐにとはいかない。だから貴方に対応してほしいの。方法はまかせるわ。私としては、姫様に手を出そうとした下種はその場で滅ぼしたいのだけどね……』

 

「……いや、それでいこう。お前の姫君に害意を及ぼした者は理由を問わず、即時殺害する」

 

『えっ!? 貴方、それでいいの!?』

 

 朱雨がそう言った瞬間、永琳はいつになく強い驚愕の声をあげた。信じられなかったのだ。あの朱雨が、生物を自主的に殺すと言った事が。それに朱雨は苦笑を交えながら返す。

 

「私とて、生命を殺したくはない。だがヒトは、妖怪は愚かだ。一度あしらって見せても二度、三度と挑んでくる。その度に対処するのは私にとっては苦痛ではないが、姫君にとってはそうでもなかろう。耐えられたとしてもいずれかの悪感情を抱く筈だ。ならば見えぬうちに殺して置いた方がいい。何より永琳、お前の頼みだ。今まで頼ってばかりだったのだから、私が尽力するのも当然だ」

 

『……貴方、変わったわ』

 

 朱雨の行動に更に驚愕した永琳は、やがて優しく微笑んだ。朱雨はその笑みと急に変わった声のトーンと永琳の言葉に疑問符を浮かべる。

 

「変わった? 私が? ふむ……お前がそういうのならそうなのだろう。思考を重ねたいところだが、お前からの依頼の方が優先だ。それで、身の回りの世話についてはなぜ?」

 

 朱雨は永琳の言葉に驚いて自分の内面の調査をしようとするが、すぐに依頼を思い出して止める。そして無表情で説明を促した。永琳もそれに合わせて真顔になったが、すぐに苦笑いになる。

 

『……姫様は、わがままなの』

 

「ああ、そういう事か」

 

『といっても、高飛車なわけではないわ。姫様はとても純真で素直な人。ただ使用人が周囲に控えているのが常だったから、自分から何かするというのには慣れてないのよ。だから貴方にお願いするわ』

 

「了解した。それも引き受けよう」

 

 ありがとう、と永琳は頭を下げる。朱雨は礼には及ばんと言って、今度は輝夜が堕される場所や、世話をまかされる地上人の特徴などを永琳に聞いた。

 

 時間は戻り竹林内。朱雨は永琳から聞いた輝夜の堕ちる場所を目指して進んでいく。落ちた青葉を草履で踏みながら、風に乗る竹林の匂いを味わっていた朱雨は、その中に人間の匂いが混ざっているのを感知した。

 

 近い。そう思って匂いの方向へと舵をとる。多くの竹が生い茂る中を手でかきわけ無理矢理進んでいくと、赤子を抱いた齢七十ほどの老人に出くわした。

 

「お、お前さんは……」

 

 老人は竹を切るための得物を朱雨に向けていた。たぶん、朱雨の事を熊か妖怪と勘違いしたのだろう。予想していた物とは違い人間の朱雨が出てきたので、表情に驚きと安堵の色が広がっていく。

 

「誤解を招く登場、失礼致しました。その赤子の世話を任された讃岐(さぬきの)(みやつこ)殿とお見受けいたしますが、如何に?」

 

 朱雨はその感情を読み取って、慇懃(いんぎん)な態度で頭を下げると同時に、老人が永琳から聞いた人物と同一人物か確かめるために尋ねた。

 

「そ、そうだ。儂が讃岐造だが……お前さんは一体……」

 

 讃岐造は急に頭を下げた朱雨に困惑する。それだけでなく、自分の名前を知っている事、そして夢の中で『光り輝く竹に住まう可愛らしい赤子を育てなさい』と言われた事をどうしてこの男が知っているのかと首をかしげた。

 

 普通ならばここで疑うなり怪しむなりするものだが、讃岐造はそうせず「はて?」と不思議がるだけだ。成程、聞いていた通りの善人だ――人を疑う事を知らないと事前に聞いていた朱雨は、頭を上げて讃岐造と向き合う。

 

 今の島国の民、日出国(ひいずるくに)の民としては平均的な身長を持つ讃岐造であったが、朱雨の頭二つ分も高い身長に一瞬たじろいだ。しかし、朱雨の澄んだ瞳を見て、悪い人ではないと考える。好々爺の笑みを浮かべる讃岐造に、朱雨はあらかじめ用意しておいた理由を説明した。

 

「実は、私も今朝、夢を見たのです。深く暗い夢の中でどこからか厳かな女性の声が聞こえ、私にこう言われました。『貴方の家に近い竹林に、讃岐造という(おきな)が光り輝く竹から赤子を見出します。貴方は讃岐造を支え、赤子の世話をしなさい』と」

 

「そうか! お前さんも夢を見たのか!」

 

 讃岐造は朱雨の説明を聞いた途端に顔をしわくちゃにして破顔した。こんな急な与太話をすぐに信じて貰えた事に朱雨は少し戸惑いつつも、更なる確信を得させるために懐から首飾り(ペンダント)を取り出す。

 

「これを見てください。夢から覚めた時、枕元に置いてあった物です。夢のお告げではあなたの枕元にも、これと同じ物を置いたとおっしゃっておりました」

 

「なんと! 確かに、私の枕元にも同じ物が置かれていたよ!」

 

 朱雨が見せたのは永琳から貰った携帯端末(デバイス)だ。讃岐造も懐から同じ形の首飾りを取り出すが、朱雨の物とは外見だけが同じのただの宝石だった。讃岐造の枕元に置いてあったのは、朱雨があらかじめ昨夜の内に置いておいたものである。話の信憑性を高めるためにやった事だった。

 

 それにしても、と朱雨は思う。いくら夢の信託があったからといって、出逢ったばかりの人をすぐに信じすぎではないか。こちらとしては都合はいいが、これでは少々危機意識にかける。

 

 永琳が私に護衛の依頼をだしたのはこの辺りが関係しているのかも知れない。無論、永琳のただの過保護という可能性も否めないが。朱雨は頭の隅で考えながら、もう一度慇懃に頭を下げた。

 

「無礼を承知でお願いします。どうか私を、貴方の家に住み込ませてはくれませんか? 勿論ただとは言いません。家事でもなんでもお手伝い致します」

 

「いやいや、そう頭を下げなさんな。儂はもう歳で、女房ももう若くない。そんな時に赤子を授かれただけでもありがたいのに、お前さんのような若い者がうちに来てくれるのはとてもうれしい。こちらからぜひお願いするよ」

 

 讃岐造は朱雨の肩を押して頭を上げさせると、嬉しそうに何度も何度も頷いて朱雨の手を取った。往年の月日を感じさせる枯れ木のような武骨な手だ。朱雨はその手を握り返しつつ、まずは蓬莱山輝夜との対話が必要だと考えた。

 

 

 

 

「ささ、上がんなさい。狭苦しいところだけど、我が家のようにくつろいでもらっていいからね」

 

 讃岐造の家は簡素な木造建築だった。見た目はそう良いものではなかったが、それなりに良い造りで頑丈だ。顔に多くの笑い(しわ)の出る笑顔で讃岐造は入るのをうながし、朱雨は頭を下げて玄関で草鞋を脱ぎ、屋内へ足を踏み入れる。

 

「あらあらおじいさん、お帰りなさい」

 

 すると奥の方からしずしずと柔らかな物腰で白髪を結った老婆が現れる。讃岐造とほぼ同じくらいの老齢で、ニコニコと人の良い笑みを浮かべていた。

 

「おお、(おうな)や。儂が今朝言った夢の事だがな、行ってみたら本当に赤子がおったんだよ!」

 

「まあ! さあさ、見せておくんなし!」

 

 讃岐造が嫗とよんだ老婆は、讃岐造の腕に抱かれている赤子を見るやいなや深い皺を顔に刻んで駆け寄ってきた。

 

「まあまあまあ! なんて可愛らしい玉のような子!」

 

「そうだろうそうだろう。夢のお告げではこの子を育てよと言っておったし、どうじゃ? 儂らで育ててみんか」

 

「ええ、ええ! いいですとも! 子宝に恵まれなかった私達ですが、こんな子を育てられるのはとても嬉しいわ!」

 

 讃岐造も嫗も年甲斐もなくはしゃいでいる。しかし、本当に聞いた通りの善人だ。朱雨は善人を「危害を加えない者」と認識しているので、その意味で言えば目の前の二人はとても善人だった。

 

「あら……こちらの御方は?」

 

 と、そこでようやく嫗が朱雨の存在に気づく。一応朱雨の方が先に入って来たのだが、気付かなかったのか?

 

「おお、そうだ! この人もこの子の事を夢のお告げで頼まれたそうでな! それでつれてきたのだが……しまった、名前を聞くのを忘れていたわい」

 

「どうも、初めまして。朱雨と申します」

 

 挨拶がてら、朱雨は嫗の性能判断をした。すると、どうも目が悪いらしく朱雨の姿が良く見えていなかったようだ。もともと朱雨が人間的に言えば気配の薄い、酷薄な存在である事もあいまって、朱雨が背景の一部としかとらえていなかったらしい。

 

「まあまあ! こちらこそよろしくお願いいたします! 貴方のような大きな人だと食べる量も多そうね! 腕がなっちゃうわ!」

 

 嫗は肉のない細い腕で朱雨の手をとると、人のよい笑みを深くしながら声をはりあげた。朱雨はそれにもう一度頭を下げる。そして、朱雨の蓬莱山輝夜守護任務が始まった。

 

 

 

 

    आयुस्

 

 

 

 

『へえ。永琳の友達なんだ。永琳に地上人の友達がいるなんてだけで驚きだけど、地上人のくせに衣服の端さえ穢れのない貴方の存在も、十分驚愕に値するわ』

 

「それはどうも。私からすれば穢れの有無などどうでも良いがな。(きれ)いも(きたな)いも、私には理解が及ばん」

 

 光の点を穿った暗黒に、ぽっかりと大きな穴があいている。遥か遠き深淵へと続く紛う事無き珠の月は、一切の区別なく魔の光を世界へ堕天させていた。

 

 その光の届く一室。竹で編まれた揺り籠の中で眠る宝石のように可愛らしい赤子と、そばで大理石をその形に掘り込んだように正座する男が魔円の月を見上げている。

 

『そうなの? 可哀想ね。美しい物を美しいと思えないなら、それだけで人生の楽しみを一つ失くしているわ』

 

「ふん。生に娯楽は必要ない。何よりも生きる事が最優先だ。娯楽などにうつつを抜かせば、待っているのは捕食の運命のみだろう」

 

『そうかしら。人生を楽しむ余裕があるって事は、それだけ種族が繁栄している証拠よ。歓迎こそしても、卑下する必要はないと思うけど』

 

「それも含めて私は必要なしと考えている。余裕があるならば、生息域の開拓なり数の増加なりに励めばいい。結果として世界の許容量を超えれば、飢えて勝手に減っていくのだからな」

 

『……つまんない。貴方、とってもつまらない人ね』

 

「よく指摘される。私自身、その評価が妥当だと考えているし、それで構わない」

 

 揺り籠をかっくんかっくん揺らしながら、まだ生まれたてといっていい赤子は器用に表情を変え、つまらなげに唇を尖らした。その胸元には、金色の綺麗な鎖で繋がれた紅の宝玉が輝いている。

 

 朱雨は相変わらずの能面顔で微動だにせず座っている。赤子――輝夜に目を向けず、ただ外の景色を眺めていた。護衛を果たす為、常に周囲を警戒しているからだ。

 

 輝夜が首にかけているのは朱雨の持っていた首飾りだ。輝夜はまだ赤子だから話す事が出来ないので、思考を音声に変える機能を持つ首飾りを通して会話しているのである。

 

『はあ~。せっかく地上に来たっていうのに、退屈で仕方ないわ。貴方には面白い話も期待できそうにないし……身体が成長するまで待つしかないのかしら』

 

「ふむ……私自身の話など聞いても仕方ないだろうが、私が体験した事に関しては一定の評価を得ている」

 

『へえ? 例えば?』

 

 外を見ながら朱雨が発した言葉に、ちょっと興味を引かれたのか黒真珠の瞳を滑らせて輝夜は尋ねる。朱雨は動かず、口頭だけで淡々と答えた。

 

「そうだな……永琳の失敗談などは好評だった。話したのは三人ほどしかいないがな」

 

『え!? なにそれ、すっごい聞きたい!!』

 

 朱雨が言い終わらないうちに、輝夜は今にも飛び跳ねそうな勢いで食いついてきた。揺り籠もさっきより大きく揺れている。そこで初めて朱雨は手を動かし、顎をさすりながら目当ての記憶を探し出した。

 

「例えば、永琳が生物を強制的に成長させる薬を作ったのだがな。それをうっかり下水道に流してしまい、害虫が大量に発生する事態が起こってしまった事がある。あの時が私も便利屋として働き、絶え間ない依頼に苦悩させられたよ。他にも、薬の効果を自分で確かめていたら心身ともに幼児化してしまった事もあったな。私の出る幕はなかったが、一時は国の機能が麻痺する程騒然としていた」

 

『へえー! あの永琳がそんな失敗してたんだ! ねえねえ、もっと詳しく聞かせて!』

 

「了解した。ではまず――すまない、後回しだ。少し席を外させてもらおう」

 

『え――――?』

 

 輝夜の返事を待たず、次の瞬間、朱雨はその場から消失した。

 

 正確には、目にもとまらぬ速さで外に飛び出した。その勢いを殺さず跳躍し、空から飛来してくる妖怪を掴み取り、そのまま近場の森へ空気を蹴って飛んでいく。

 

「な、なんだとっ!?」

 

 朱雨に掴まれた妖怪は、野太い男のような声で驚き、顔を覆う黒頭巾の間からぎょろりとした目をむいた。それにかまわず、朱雨は音をたてないように着地し、同時にその妖怪を大地に叩き付ける。

 

「ぐあっ!」

 

 妖怪は苦痛で顔を歪めるが、すぐに朱雨を蹴りつけてその場から回転しながら後ろに飛び退いた。朱雨は蹴りを防いで、そのまま自然体になる。

 

「その容貌――隠れ座頭と呼称される妖怪か」

 

「っ!」

 

 朱雨の静かな断言に妖怪は息をのむ。その反応から朱雨は妖怪であると確定し、一応、なぜ輝夜を攫おうとしたのか聞いておくことにした。

 

「さて、質問だ。なぜ蓬莱山輝夜を攫おうとした?」

 

「蓬莱山……? ああ、あの赤子の事か。しれた事よ、妖怪が人間を攫う理由が、喰らう事以外にあると思っているのか?」

 

 全身黒づくめの体の大きな男の姿をした妖怪、隠れ座頭は朱雨に強い警戒をむけつつ、その質問を鼻で笑った。その様子を、朱雨は凍てついた瞳で冷徹に見切る。

 

 隠れ座頭から漂ってくる死臭の種類は十や二十ではきかない。それだけの人間を攫い、喰らってきたのだろう。だが、隠れ座頭は攫うだけの妖怪であり、食人種の類ではなかったはずだ。それが人の血の臭いを漂わせているのなら、確実にこの妖怪に食人を憶えさせた妖怪がいる。

 

 死臭に混じるもう一つの臭いを朱雨は分析する。酸化した油の臭い、これは老躯が放つ特有のものだ。臭いの質からして女、そこに食人種でなおかつ人攫いと関係しそうな妖怪と言えば……

 

「成程、鬼婆と結託しているのか」

 

「!? なぜそれを!?」

 

 朱雨が毅然と言い放った途端、隠れ座頭は目に見えて狼狽した。正解か、思考の背景でそう思いつつ、朱雨はゆらりと右腕を掲げ、左手の爪で傷をつくる。

 

「くそっ!」

 

 対する隠れ座頭はうろたえながら、朱雨が行動を起こしたのでそれを阻止、ないし朱雨を殺すために悪態をついて一気に前に出る。良く分からないが、こいつは殺さなければやばい! それが、隠れ座頭の最後の思考だった。

 

 次の瞬間、隠れ座頭の腰から上が消滅した。ついで、死んだ事に気付かず走ってくる下半身も忽然と消えた。それを見届けて、朱雨は喰らった血肉を自身の肉体へ還元する。

 

 そして傷を閉じ、朱雨は空を見上げた。今日は全く風が吹いていない。無風なら、隠れ座頭がやってきた道を嗅覚を通じてさかのぼれる。そしてその道を見つけると、朱雨は急ぎ道を走った。

 

 辿り着いた先はやや遠くの穴蔵だった。近くに人気はなく、周囲には瘴気が噴き出している。まさに妖怪の巣穴といった風情だ。

 

 朱雨はその穴蔵にためらいなく足を踏み入れた。瘴気は人間には毒だが、朱雨は抗体を持っているため効果がない。散らばった骨を踏みつぶしながら、ゆっくりと奥へ進んでいく。

 

 すると、光源がなくなって暗くなる一方だった道の先、曲がり角に光が見えた。さっさと歩いて行って曲がり角を曲がると、こじんまりとした空間に出る。

 

 中央にたき火があり、壁際には喰い散らかされた人間の頭がい骨が転がっている。他には何かを調理するための水場や、やたらと大きな砥石が目についた。そして、朱雨が入って来た入り口の天井にはりついている、1人の老婆を感知する。

 

「しぃあっ!!」

 

 金切り声を上げながら朱雨の首を叩き落とさんとした刃を後ろに下がって避け、着地した老婆を音速で蹴り飛ばす。老婆は反応できず、包丁を持っていた腕をへし折られて苦痛の叫びを上げながら壁まで飛んでいった。

 

「ぎゃああああああああああっ!?」

 

「……ふむ、こいつ以外には敵影はなしか」

 

 老婆を無視して、朱雨は辺りを模索し、他に敵がいない事を確認した。そして、折れた腕を抱えて泣き叫ぶ老婆の元へ近づいていく。

 

「お前が隠れ座頭と結託していた鬼婆で間違いないな?」

 

「な、な、なあっ! 何じゃ、貴様はああああああっ!!」

 

「……ふむ。話が通じないな」

 

 朱雨が近づいた途端、老婆は折れていない腕で包丁を手に取りでたらめに振り回す。だが、朱雨は刃が届かない範囲にいるのでまったく通用しない。冷めた眼でそれを見ながら、もう一度だけ朱雨は聞いておいた。

 

「お前が隠れ座頭と結託していた鬼婆で間違いないな?」

 

「きええええええええ!! ええ、え、きえええええええええっ!!」

 

 老婆は包丁を振り回したまま朱雨に飛び掛かった。どうも答えるつもりが初めからないらしい。「はあ」と朱雨はため息をついてから、包丁を持った老婆の腕をもぎとり、首を手刀で切り飛ばした。

 

 ごろりと老婆の首が地面に転がる。そして片腕と首を失った老婆の体が地面に倒れた。それを見届け、朱雨はもう一度ため息をはく。

 

「やれやれ、話を聞かない奴らだ。心を持つ者は、得てして辞世の句なるものを語る傾向にあるのだから、こうして死ぬまでの時間を残そうというのに。……いや、私のやり方が悪いのだろうか? 永琳に聞きたいところだが、輝夜がいる間は連絡も取れないからな。仕様がないが、この方法を採用し続けよう」

 

 朱雨は頭をかきながらぼやいた。ぼやきながら、血液を出して老婆の死体を飲み込んでいく。食べているのだ――すぐにその捕食行動は終わった。そして朱雨は急いで穴蔵をでて、讃岐造の家へ戻った。

 

 蓬莱山輝夜に害をなそうとした者は妖怪・人間を問わず抹殺する。それが永琳から与えられた依頼のうちの一つである。朱雨自身は妖怪・人間と言わず、あらゆる生命にたいしての殺害を忌避している。それを破ったのは、この星に降り立った際に八戯莉の首をもぎとった余波で、二万六千二百九十一の生命を殺した時以来だ。

 

 そのただ一度をのぞいてやらなかった殺戮を決行した理由は、永琳に言った通りこれまでの協力にたいする恩返しである。もちろん、朱雨的に度が過ぎれば自重するが、それでもたかが一万や二万くらいなら殺しても良いと考えていた。全体の一割程度なら、減らしても問題はないだろうと。

 

 依頼内容を思い返しているうちに、朱雨は讃岐造の家へ到着する。すぐさま開け放たれた戸から輝夜の待つ部屋へ戻った。

 

『お帰りなさい。何してたの?』

 

「なに、ちょっとした野暮用だ」

 

 可愛らしい少女の声が朱雨を出迎える。その声に答えて、朱雨はさっきまで座っていた場所に寸分違わず正座した。

 

『ふーん、まあいいや。ねえねえ、永琳の話の続き、聞かせてよ』

 

「ああ、そうだったな。仔細を縫って話そう。では、先程概要を説明した、永琳の薬による生物災害から――」

 

 そうして、夜は更けていく。朱雨による蓬莱山輝夜の護衛生活は、まだ始まったばかりだった。

 


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