東方血界神 ~Creatures Paradise~   作:閼伽

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朱雨は二柱の神と契約を結ぶ。

 

 

 

 

 力は絶対ではない。いずれ、別の力に討ち果たされる。

 

 

 

 

 パチパチと木の爆ぜる音がする。薄い(まぶた)()み込んでくる光に眉根を寄せて目を開ければ、ゆらゆらと揺れる赤色が目に刺さった。

 

「う……うん……?」

 

 寝起きには強烈過ぎる光を腕で遮って、美鈴は目を覚ました。身体はだるく、心は重い。悪い目覚めだ――ショボショボと目をこすって、重い身体を引き上げる。

 

「ここは……どこだろう……」

 

 まだ光に慣れていない目を眩しそうに細めて、美鈴は周囲を見回した。やや離れたところにたき火が一つ。それ以外に目につく物はなく、ごつごつとした岩が闇の奥まで続いている。結構暗いな……そう思ってふと上を向けば、真ん丸に切り抜かれた満点の星空と弓形の月が瞬いていた。

 

「夜……私、どうしてこんなところに……」

 

 分からない。私はどうしてこんな所に……? 霞がかってボーっとする頭に手を当てて、美鈴は思い出せる一番新しい記憶を掘り返す。

 

「確か、朱雨さんと一日中歩いて……それから山を登って……それから……なんか、すごいものを見たような気がするんだけど……」

 

 ……思い出せない。そこから先の記憶が白い煙に包まれて見えなくなっている。うーん、と美鈴は両手で頭を押さえて唸った。頭の中の(もや)が一向に晴れてくれない。何か、重大な事を忘れている気がするのに――と、そこで美鈴は思い出したように手を叩いた。

 

「あ。そういえばお腹すいた」

 

「……いや、話が繋がっていないぞ、美鈴」

 

「わひゃあ!? 朱、朱雨さん!?」

 

 唐突過ぎる朱雨の登場に美鈴は思わず飛び退きそうになった。自分の登場に驚く美鈴に相変わらずの無表情で無視した朱雨は、美鈴の横に適当に食材を煮て作った(あつもの)を置く。そのまま驚きすぎて動悸の収まらない美鈴に向けて平坦に口を開いた。

 

「具合はどうだ?」

 

「え? いえ……別に、なんともない、ですけど」

 

 朱雨の唐突な労わりにちょっと言葉が詰まりつつも、美鈴は別に不調はない事を告げる。それを聞いて朱雨は無表情で首をかしげ、美鈴の胸を指さした。

 

「そうなのか? 私にはそれが大丈夫なようには見えんのだが」

 

「え――――?」

 

 言われるままに美鈴は自分の胸を見る。上半身の服がはだけ、胸に白い包帯が巻かれていた。あれ、包帯なんて巻いてたっけな――そう思った瞬間、霞がかった頭の中が一気に晴れて、美鈴は気を失う直前までの記憶を思い出した。

 

 二柱の神の戦いの事。その戦いにあてられて戦闘熱に浮かされた事。そして――朱雨と拳を交え、結果的に一撃のもとに敗北した事。確か、その一撃は真っ直ぐ水月に――ッッッッッ!!

 

「あ、あいたたたたたたたたたたっ!?」

 

 途端に美鈴は胸を抑えて苦痛の声を上げた。それを横目で見ながら朱雨は新しい薪をたき火にくべる。

 

「なんだ、やっぱり痛いのか」

 

「い、い、痛いってもんじゃないですよっ!! なんか息するたびに骨が折れたみたいな激痛が走るんですけど!? ていうか痛い! 触るのも痛い!! 喋るともっと痛い!!!」

 

 なら喋らなければいいのに、と朱雨はたき火の様子を見ながら思う。美鈴はあまりの痛さに体をあらぬ方向へ曲げて、そのせいでさらに痛みが増して悲鳴を上げ、そのせいでさらに痛みが――なんていう悪循環に陥っていた。

 

「ぎゃー! 痛い痛い痛い痛い痛い!! 尋常じゃないくらい痛い!! ちょっと朱雨さんっ!? 貴方一体どんな攻撃したんですか!? なんか体の中身がガタガタのボロボロになってる感じしかしないんですけど!? 後遺症とかで胃がダメになったりとかしてませんよね!?」

 

「……声が大きすぎるな」

 

 濁流のような汗をかいて(もだ)える美鈴の訴えをよそに、朱雨は顎に手を当てて洞窟の暗闇なんかを見ていた。「聞いてくださいよー!」とかなり涙目になりながら叫ぶ美鈴の願いがようやく通じたのか、朱雨は首を横に振って立ち上がる。

 

 左手の人差し指の切り傷から、細い針を造りながら。

 

「え…………えーっと、朱雨さん? 何ですかそれ?」

 

 ことさら強調するように左手をあげて歩いてくる朱雨に、美鈴は一瞬痛みも忘れて呆けたように呟く。しかし答えず、無言のままでザッ、ザッ、ザッ、とゆっくり近づいてくる朱雨に、美鈴の頬を一筋の汗が流れた。

 

「え、えーっと、あの、その……つ、つかぬ事をお聞きしますが、一体それをどうなさるおつもりで?」

 

「…………」

 

 朱雨は答えない。美鈴から見れば、朱雨は丁度たき火を背にしながらこっちに向かってきているので、逆光で顔が見えない。にもかかわらず、なぜか鮮血色の瞳だけが爛々と輝いている。

 

「ちょ、怖っ! 目が何か光ってる!? 針から変なの出てるし! ちょ、ちょっと朱雨さん、何をするつもりなんですか! 朱雨さん!?」

 

 美鈴は思わず肩を抱いて後ずさるが、痛みがひどくてすぐに動けなくなる。なおも近づいてくる朱雨に大声を出してみるが、朱雨は止まらない。ついに朱雨は美鈴のもとに辿り着き、美鈴の腕を払って包帯をむく。

 

「ひい! い、嫌っ!?」

 

「……じっとしていろ」

 

 怯えた表情で悲鳴を上げる美鈴にそう言って、朱雨は左手の針を躊躇いなく美鈴の水月に向けた。刺される――朱雨の無表情と紅い炯眼に恐怖した美鈴は、身体を縮こませてぐっと目をつむる。

 

 ……しかし、いくら待っても予想した痛みは来なかった。それどころか、急に胸の痛みがひいていった。カタカタと震えつつも疑問符を浮かべた美鈴は、朱雨が自分の前から離れていくのを察して恐る恐る目を開ける。見れば朱雨がたき火の前に座るところで、その顔はいつも通りの能面のような無表情だった。

 

「…………あの、朱雨さん?」

 

「痛みはある程度消えただろう、美鈴」

 

 何をしたんですか、と続けようとした美鈴に朱雨は横目も向けずにそう言った。確かにそうですけど、と美鈴は複雑な表情で自分の胸に目を落とす。さっきまで痛すぎて逆に痛くないとか変な所に頭がふっとんでいたけど、今はそうでもない。痛みは残っているけど耐えられる。

 

「鎮痛剤を投与したんだ。騒がれると面倒だからな」

 

 そういって朱雨は左手の針を見せた。極細に伸びる針の先からは透明な液体が(したた)っている。成程、薬を与えられたのなら痛みが引くのも納得だ。

 

「でも、どうしてわざわざ刺したんですか? 薬なら身体に塗るか飲ませればいいのに」

 

「蛇の毒は巡りが早いだろう。あれはな、傷口から毒を仕込んでいるからすぐに効くんだ。つまり、塗るよりも飲ませるよりも、直接投与する方が効果がある。分かったならもう騒ぐな。今は夜だ――叫びに誘われて、良くないものも寄ってくる」

 

 説明しながら朱雨はまた一つ薪をたき火にくべた。へー、と美鈴は分かったような分かってないような相槌を打って、とりあえず朱雨にほどかれた包帯を巻く事にする。

 

 しかしさっきの朱雨は怖かったと美鈴はちょっと体を震わせる。普段からそうだけど、朱雨はああやって無表情で迫ってくる事があるから怖い。十年たっても慣れない事だ。もっとも、朱雨がそうする理由は全て美鈴にあるのだけど。

 

 それにしても、と美鈴は少し落ち込んでみる。今回の朱雨もすがすがしいくらい美鈴の裸に無反応だった。包帯を取る手も乳房に触れないようにしていたし、朱雨は不能なんじゃないかと失礼な事を考えたりする。

 

 ちなみに朱雨が美鈴にこうやって迫った回数は百を軽く超えていて、その時美鈴が何かしらの理由で裸だったのは数十回くらいあった。最初は顔を真っ赤にして逆に殴り倒した美鈴だったが、二十回目くらいからあきらめてきちんと鉄拳を受け入れていた。一応、ちゃんと抗議してみたものの「睡眠時や排泄時を避けている。十分な配慮だと思うが?」とのうのうと言いやがったので「思いやり(デリカシー)がない!」とぶっ飛ばしてやった。

 

 まあ、いい思い出だ。そう思って「たはは~」と笑う美鈴は、朱雨が出してくれた羹――魚の出汁でとった適当な食材の汁物――を両手で手に取る。あいにくと美味しそうな匂いは天上の穴から抜けていくが、美味しそうな見た目だけでも食欲をそそるには十分だ。

 

 一応内臓を痛めている美鈴の為に消化の良い、かつ柔らかな食材を選んでいるのだが、食事を出されたらたとえ四十度の熱が出ていても食べるのが美鈴である。「いただきまーす」とさっき注意された事を守って小声で言って、美鈴は羹を食べ始めた。

 

 食べながら、朱雨の方を見る。朱雨はたき火の前に戻ってからじっと動かずに火の番をしていた。動くのは、新しい薪を火にくべる時だけだ。

 

 その様子を特に意識せずに見ていると、美鈴はふと首をかしげたくなった。

 

「…………あれ? なんかおかしいような…………?」

 

 なんだかとんでもない見落としがあるような気がする。羹を口に運びつつ、美鈴は違和感の元を探っていく。奥が暗い岩の洞窟。天井にあいた穴。細々と身をくねらせるたき火。たびたび薪を放り込んではじっと火の番をする朱雨。……薪を放り込んでは?

 

 美鈴は意識を失う直前に見たものを思い出す。自分の拳を逸らす為に肘から先がなくなった右腕、そして限界を超えた力を叩き込んで腕の長さが半分になる程潰れてしまった左腕。さっきから当たり前のように使っていたから気づかなかったけど、朱雨の腕は両方とも元に戻っている。

 

「え、えええええええええ!?」

 

「……大声を出すなと言っただろう、美鈴」

 

「朱、朱雨さんの腕、どうして治ってるんですか!? あれだけ盛大にぺっちゃんこになってたのに!」

 

「……説明してやる。だからもっと声を抑えろ」

 

 驚きに目を皿にする美鈴に朱雨は小さく首を振りながら言うと、相変わらず火の番をしながらぽつぽつと話始めた。

 

 自身が宇宙人、それももはや別世界とさえ呼べてしまえるような場所から来た異星体である事。十億年の放浪、発見、そして自分自身を異界化してこの世界に降り立った事。最高峰の頭脳と出逢い、兎に導かれ、狐に憑かれ、スキマの怪に目をつけられた事。色々と知識の足りない美鈴が分からない所は省略し、朱雨は自身の生を振り返りながら話した。

 

「……………………」

 

 美鈴は黙って聞いていた。時々疑問符を浮かべていたが、それはそういうものなんだと思い、朱雨の生い立ちを真摯に受け止めようとしていた。そして話が終わった今、何かを思案するように考え込んでいる。

 

 朱雨の方は弾ける火の音を聞きながら、美鈴の反応を予測していた。「心」を持つ者は自身と違う存在が身の上話をした場合、多かれ少なかれ鬱蒼とするきらいがある。他者の生涯を聞く事を「重い」と受け止め、軽率な言動を控えるのだ。多くの者がそうであったが、さて。紅美鈴はどのような反応を返すか――揺れる炎を写す朱雨の瞳は、観察の色が滲み出ていた。

 

「…………朱雨さんは」

 

 薪が三回ほどくべられた後、美鈴は静かに口を開いた。そこでようやく朱雨は横目で美鈴を見る。身体にかかっていた布を抱き寄せる美鈴の顔は髪に隠れて見えない。朱雨は無言で美鈴の言葉を一句残さず記録する準備をした。

 

「……朱雨さんは、どうして……」

 

「…………」

 

「どうしてご飯を食べる必要がないのに食べてたんですか!? 食べなくていいなら私にくれたって良かったじゃないですか!」

 

「…………え?」

 

「え? じゃないですよ! あのご飯とか、あのお酒とか、朱雨さん体が大きいからって私より食べてたじゃないですか! こっちはそれなりに大満足でしたけどあくまにそれなりです! 本当はあの五倍は食べたかったんですからね!」

 

「五倍は喰い過ぎ」

 

「言い訳は結構です! ああ、朱雨さんには失望しました! うら若き乙女から美容の元を奪い去るなんて! そ、そういえば朱雨さんと旅している間にちょっと痩せたような……どうしてくれるんですか!」

 

「いや、体重の推移は増加傾向」

 

「だまらっしゃい! ええい許しませんよ! これまで逃した数々の逸品、これから取り戻させて貰います!! 先ずは……その羹を全て頂きますよ―――――!!!」

 

「待て、その鍋はまだ――」

 

 美鈴は雄叫びをあげながら朱雨の後ろにある羹の鍋に飛び込んでいく。直後、ジュウっという音がしたかと思うと、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が洞窟に響き渡った。朱雨は頭を抑えて首を振り、仕方なく血液を出して洞窟を外界から隠遁させる事を決定した。

 

 

 

 

   आयुस्

 

 

 

 

「――と、こんな事があってな。置いて行くと駄々をこねてうるさいから、仕方なく連れて来たんだ」

 

失礼な事を(ひふへいはほほを)! (わはひ)はただ(ははは)労働者(ほうほうは)としての(とひへの)正統(へいほう)()意見(いへん)()主張(ひゅほう)したまでです(ひははへへふ)!」

 

「……それが私以外であれば、お前は間違いなくクビだがな。あと頬に食べ物を入れながら喋るな。栗鼠(リス)かお前は」

 

 昼下がりの食堂。腹を空かせた人々で賑わう最も活気のある場所の一つ。その大半が外からの来訪者で埋め尽くされた一角に、朱雨と美鈴の姿はあった。

 

 美鈴の前には山のような量の料理が。対して朱雨の前には、水の入った木製のコップが一つだけである。美鈴はものすごい速さで料理を平らげていき、朱雨はときたまコップを口に運びながら、頬杖をついてその様子を見ていた。

 

しっかし(ひっはひ)美味しいですねーこの(ほいひいへふへーほの)(ふひ)()料理は(ひょうひは)!」

 

「喋るか食べるか、二つに一つと絞ったらどうだ」

 

 朱雨が僅かな呆れ顔でそういうと食事に没頭し始める美鈴。食べるのを優先か、と小さく首を振る朱雨だったが、むしろ静かになったと思えば都合がいい。朱雨は手に持っていたコップを置くと、姿勢を正して美鈴の横へと顔を向けた。

 

「……さて、悪かったな。前置きに少々時間をかけすぎてしまった。私達のようなモノの会話なぞ、さぞつまらないものだっただろう。もっとも――私には『退屈』の意味なんて分からないがね」

 

「いやー、そんな事ないよー。貴方達のやり取り、そう卑下にするものでもなかったわ。十分面白かったよ。それに知ってる? 神様ってのはね、常に退屈しているもんなんだよ。ねー、神奈子(かなこ)

 

「…………いや、諏訪子。私にゃ退屈してる暇なんかないよ。なんなんだいその化け物は。『退屈』が分からないなんて言っているし……本当に大丈夫なんだろうね?」

 

「あははははっ! すごいね朱雨ちゃん! 軍神様のお墨付きだなんて、正真正銘の化け物じゃない! 誇っていいと思うよ!」

 

「私としちゃ、誇られちゃ困るんだがねえ。それだけ強いって事じゃないか……というか諏訪子? 少し笑い過ぎじゃないかい?」

 

「うん、だって神奈子が困ってるんだもの! そりゃもう面白くて面白くて!」

 

「よーし、ちょっと表出ようか。なーに心配するな、ちょっと奥歯の一つや二つをガタガタ言わせてあげるだけだから」

 

「えー? そんな事してもらうなんて悪いよー。私もお礼に老化の呪いとか老化の呪いとか老化の呪いとかかけたくなっちゃうじゃない」

 

「はははーこやつめー」

 

「やーめーてーよー」

 

「……ふむ。果たして、この二柱にたいして気を遣う意味があったのか、私は真剣に考えねばならないのではないだろうか」

 

「え、あれで気を遣ってるつもりだったの?」

 

「え、あれで気を遣ってるつもりだったのかい?」

 

「…………。仲がいいのだな、お前達」

 

 誰が! と異口同音に口を揃えて二柱の神、諏訪子と神奈子の声が響いた。神奈子は諏訪子のこめかみをグリグリとしながら、諏訪子は神奈子の向う脛をげしげしと蹴りながらである。両方とも笑顔なのは天晴(あっぱれ)としかいいようがない。

 

 そのまま互いを攻撃し続けていた二人はいつの間にか互いの胸ぐらを掴みあう事態に発展していた。神奈子は蛇のような凄味のある笑顔で、諏訪子はドロドロと黒い笑顔だ。両方ともこめかみに血管が浮き出てなきゃ完璧だったと思う。

 

「大体ね、あんたはちょっと私を馬鹿にしすぎじゃないかい? あんたは敗けて、私は勝った。なら私に土下座してでも付き従うべきだと思うけど?」

 

「何言ってんの? 私がここに居るのは、あんたが信仰を集められなかったからでしょ。私に力で勝っても神様としての魅力じゃ私に全然敵わなかったから、私を通して信仰を集めてるだけじゃない。むしろ土下座して感謝するのはそっちじゃないの?」

 

「魅力で敵わない? 何言ってるのさ、あんたの場合は魅力じゃなくて呪力だろう? この国の人間が畏れているのはあんたの崇り、あんたの呪いさ。人を恐怖で縛って操る――それで敵わないなんて言われちゃ心外だねえ」

 

「あはははははっ! 恐怖で縛ろうが武力で平らげようが、結局は信仰されたもの勝ちなんだよ? 結果から目を逸らして言葉遊びで済ませようなんて、軍神の名が泣いてるわ。あんたがこの国で神をやれてんのは私のおかげなの。分かったかしら、お・ば・さ・ん?」

 

「あっはっはっは! 確かにそうだねえ。私が何もしなくても、あんたがせっせと信仰を運んできてくれる。それを上座から見下ろすってのは実にいい気分だよ! これからも私のためだけに信仰を集めておくれよ? 餓鬼が」

 

「そうだね、そうするよ。だってこれ以上信仰が減っちゃったらお肌からツヤがなくなっちゃうものね。ただでさえ小ジワが目立つってのに、これ以上姿見を見る度にため息をはくようになっちゃったら可哀相だもの」

 

「分かればいいんだよ。ただほどほどにしておくれよ? 信仰を搾り取られて民草が疲弊するのは困るし、若づくりのやりすぎで餓鬼のままから成長しないってのはいやだからねえ」

 

「失礼ねー。私は元・洩矢の祭神様よ? 生かさず殺さず、七代先まで搾り取る方法くらい心得ているわ。それにこの国には私の子供もいるのよ? 戦いばっかりで行き遅れたどこかの未通女(おぼこ)さんとは違って、我が子への愛情の注ぎ方なんて手に取るようにわかるんだから」

 

「あっはっはっは! そうかいそうかい、そりゃあ安心だ! 信仰のためなら馬の骨にも腰を振る度胸があるあんたがいれば、この国は安泰だよ! あっはっはっはっはっは!」

 

「あはははははっ! そうそう、私に任せておいてよ! 男の味も知らない頭が筋肉の戦馬鹿がやるより、一枚も二枚も上手くやってあげるから! あはははははははははっ!」

 

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!」

 

「あははははははははははははははははははははははははははっ!!!」

 

「……喧嘩するほど仲がいいとは、こういう事例をさすのだろうか。……いや、それよりも。そろそろ本題に入った方がいいのではないか?」

 

「そうです! 私はもっとご飯を要求します!」

 

「…………頼むから、お前は黙っていてくれ。ただでさえ収束の見えない事態だというのに、お前まで加わってしまえば私ではとても対応しきれなくなる」

 

 混沌とした光景に朱雨は頭を抱えるしかない。かたや軍神様はちょっと危険なくらい神力を放出していらっしゃるし、かたや崇り神様はちょっとってレベルじゃねーぞ! ってくらい呪いパワーが溢れ出ていらっしゃるし、中国系格闘娘はやたらと大食いになってしまっている。

 

 朱雨が口の達者な優男であればまだ収集のめどがついたのだが、いかんせん朱雨という男はこの混沌に加わっても負けず劣らずの思考が宇宙を漂う異人。現に本題に戻そうとして手立てを考えていると思ったら「命の混沌とはいかなるものか」なんて訳の分からない議題に一人かっとんで思案している。

 

 昼下がりの喧騒。外来の人々で賑わう風の吹き抜ける食堂の一角。家族連れや労働者が楽しく食事をする横で、少女と女性が胸ぐらを掴んで笑い合い、爽やかな娘が食事を楽しみ、男が一人目をつむりながら思案する。そう聞くだけなら……いや、そう聞いても全く微笑ましく見えない四人組がいた。唯一の幸運は、彼らが一般の目からは見えなくなっていた事。それだけが救いだった。

 

 

 

 

「いやーごめんねー。朱雨ちゃんの事無視しちゃって。このお馬鹿さんには後できっちり言っとくからさ、さっさと話し進めようか」

 

「………諏訪子、あんたねえ、」

 

「はいはい抑えて抑えてー。私達が朱雨ちゃんを呼んだのって喧嘩してるとこ見せるためじゃないでしょ?」

 

「……まあ、そうだけどさ……」

 

「よし! じゃあ話、初めよっか!」

 

「そうだな。ようやく本題に入れる」

 

 ニコニコと笑顔の諏訪子に朱雨は手振りを入れながら返事を返す。神奈子はどこか納得していない様子だったが、それは朱雨が気を回すべき事ではない。ちなみに美鈴には消化限界間近まで食事を与えて夢の国へ(強制的に)旅立ってもらった。毒は食事に混ぜるのが一番楽でいいと、朱雨はしみじみ思う。

 

 ふむ、と何かをやり遂げたように頷いた朱雨は、手を組んで諏訪子へ視線を流した。諏訪子もニコニコと笑顔だが、その瞳は笑っていない。

 

「さて……事前に聞いた話では、私と協定を結びたいというものだったな。一応、何故と聞いておこう」

 

「朱雨ちゃんの考えがいつ変わるか分からないから。残念だけど私達の力じゃ、朱雨ちゃんを止める事なんかできないもの。だから襲わないっていう確約が欲しい」

 

「諏訪子! なんで正直に!」

 

「神奈子は黙ってて。あたしも何度か言葉を交わしただけだけど、朱雨ちゃんの事は分かっているつもりだから。彼に駆け引きしたって意味がない。彼は異形の(ともがら)、言葉が通じるだけでもましな方の異質な存在。下手な小細工はかえって逆効果にしかならないわ」

 

 ダン、と食卓に手を叩きつけて詰め寄る神奈子に、諏訪子は冷静な声で返した。その様子を観察しながら、朱雨は自身の返すべき答えを出す。

 

「その予想は正解だ。私にとっても、駆け引きの為の物言いは止めて欲しい。さて、では返答をしよう。現状、私に利益がないので是とは言えんな。お前達への不可侵と引き換えに、私は何を得られる?」

 

 朱雨は人間ではない。そもそもこの世界のモノでさえない。それ故に基本的な「欲求」に欠ける朱雨を満足させる物はそうないのだ。永琳ならば朱雨の持ちえぬ「頭脳」と「発想」があった。てゐならば「幸運」と「情報」があった。では、諏訪子達は何を出せる?

 

「私達が出せるのは――「拠点」と「情報」だよ」

 

「……詳細を」

 

 諏訪子の言葉に、朱雨はただ続きを促す。朱雨は表面の言葉だけで判断するつもりはない。全ての情報が出そろわぬうちに交渉に決着をつけてしまうのは(つたな)い事だと、これまでの経験から理解していた。

 

「まずは「拠点」から話すよ。私達の王国内での住居を与えてあげる。具体的には神殿の一角を貸し与えるわ。それと、私達の名を使う事を許可するよ。今のところ、私達の威光はそれなりに強い。その威光を使えるなら、多少権力が必要な場面を切り抜けられるんじゃない?」

 

 諏訪子の言葉に朱雨はしばし考える。確かに最近、人間の生活水準は上がってきている。それに伴い統括者が現れ、彼らの統率力がそのまま反映されるようになってきた。このままいくと、朱雨が人間のままでは踏破出来ない場所の発生が予想される。

 

 それは神域であったり禁域であったりするが、いずれにしろ何の後ろ盾もない者が入れるような場所じゃない。能力を活用すれば可能だが、出来る限り目立つ行動は避けたい朱雨にとってみれば、その提案は交渉の切り札として使用できるのではないかと認識した。

 

「ふむ、もう一つは?」

 

 朱雨が一応納得したのを見届けて、変わらず目だけが笑っていない笑顔で諏訪子はもう一つの見返りを話す。

 

「もう一つの「情報」に関しては、朱雨ちゃんの持つ情報源からは手に入りにくい、もしくは手に入らないような情報を無償で提供するのを約束するよ。知り合いの兎さんからは大半が噂の情報しか手に入らないでしょ? その点、私達が神として知り得る情報は質も量も全然違う。どう? 悪い話じゃないと思うけど」

 

 諏訪子は最後を笑顔で飾り、朱雨の出方を待った。まだ切れる(カード)はいくつか残っている。朱雨が拒否の意を示した場合、その札を切ってなんとしても了承させねばならない。

 

 抜身の刀を持った人に「害意はない」と言われても、明日にはどうなっているか分からないのが世の常だ。信仰する民草を守るために、この交渉はなんとしても成功させねばならなかった。

 

「……。一つ、条件がある」

 

「なに?」

 

 人の形をした木人形のような朱雨を前に、諏訪子は努めて笑顔を保つ。予想はしていた。あちらからも何かしらの要求があるだろうと。だがその内容はいま一つ予測し切れない。もし、それが民草を犠牲にするようなものだったら――

 

 心の底で昏き泥濘を産み出す諏訪子に、朱雨は音の声を出した。

 

「貸しと借りについての条件だ。我々が互いに対し何らかの援助を行った場合、それが大きいものであれ小さいもので、あれ一つの「貸し借り」と見なし、生じた「貸し借り」の分だけ相手の言葉に従う義務を付随させる、というものだ」

 

「……どうしてそんなものを?」

 

「私にはお前達の持つ価値観がない。全ての事象を有益が無益かで判断する。善悪、美醜、貴賤、貧富、愛憎――これらの価値の意味なぞ私には分からないし、これから先も分かろうとは思わない。しかし、私とお前達の価値観の相違が未来で齟齬(そご)を生み、決裂へ至る可能性も否めないだろう。だから互いへの援助に対する考えを互いの価値で測るのではなく、数によって統制すべきだと考えただけだ」

 

 諏訪子はそこで神妙な顔つきになり、朱雨の提示した条件について考える。朱雨はその間ちびちびと水を飲みながら、寝転がって食卓から落ちそうな美鈴の位置調整をしていた。

 

 やがて、諏訪子は顔を上げると満面の笑みを浮かべて朱雨に右手を差し出した。

 

「分かった、その条件を飲むよ。よろしくね、朱雨ちゃん」

 

「ああ、こちらこそ」

 

 その手をとって、変わらない無表情で朱雨は淡々と了承した。その横では納得のいかない表情の神奈子がいるが、やはり朱雨は無視する。そして手を離した朱雨は立ち上がり、美鈴の口に赤色の液体を注ぎ込んでやった。

 

「それなに?」

 

「濃縮した唐辛子」

 

「…………――――――――ッッッッッアアアァアアアァァアァア!?!?!?」

 

「寝てても喰うんだ、この馬鹿は」

 

 口に含んで数秒で顔が真っ赤になり、五秒で眠気が一切なくなって、十秒で美鈴は口から火を出しながらこの世のものとは思えない叫び声を上げた。起こすためとはいえ、純度100%の濃縮激辛唐辛子液をしれっと注ぎ込む朱雨はやっぱりどこかずれている。

 

 そのまま転げまわりそうな美鈴を押さえて、朱雨は中和剤を口に入れてやった。朱雨の腕の中で美鈴はしばらくもごもご言っていたが、やがて静かになる。

 

「さて、早速で悪いが「拠点」へ案内してくれないか? 場所の確認はしておきたい。それと使用時間や制限もあるだろうから、その辺りを煮詰める必要もある」

 

「それもそうだね。じゃ、行こっか」

 

 朱雨に続いて諏訪子も立ち上がり、しぶしぶと言った様子で神奈子も立ち上がる。美鈴は唐辛子を飲まされたショックでしばらく動けそうにないので、朱雨が背負っていく事にした。

 

 と、そこで諏訪子が思い出したように手を叩いて笑う。

 

「あ、そうそう! 朱雨ちゃんは食事のお金、払わなくてもいいよ~。何といってもお客様だもん!」

 

「ちょ、ちょっと諏訪子!?」

 

 神奈子が「何言ってんのあんた!?」と慌てて諏訪子に詰め寄った。それを見つつ、朱雨はため息をついて返す。

 

「遠慮しておこう。それは私にとって「借り」に値する」

 

「ちぇっ、残念」

 

 諏訪子の笑みは黒い。神奈子はそこでようやく諏訪子の意図に気付く。諏訪子は朱雨に「貸し」をつくろうとしたのだ。その様を眺めて、朱雨はこれまでなら絶対にやらない事をやった。

 

「神奈子。これは助言だが、お前はもう少し(まつりごと)を学んだ方がいい。私もそう得意な方ではないが、力だけでは解決しない事もある」

 

「…………んー、そうだね。ちゃんと教育しとくよ」

 

 諏訪子はその時驚いて朱雨を見たが、すぐに笑顔を取り繕って話を合わせた。胸の内で、協定を結べて良かったと心の底から思いながら。

 

 

 

 

 数日後。洩矢の王国国境前。色々と協定内容を煮詰めた後、洩矢の王国の観察(美鈴にとっては観光)を終えた二人は、洩矢の王国から出国しようとしていた。

 

「さて……ここには長く留まり過ぎた。そろそろ外へ足を運ぶべきだな。東洋か西洋か、どちらでも構わんが取るべき進路は決めねばならない」

 

 諏訪子から貰った黒色の着物を身に纏い、朱雨は自らの髪を手で()きながら黒く染め変えた。神との対話は終えた。ここから先は、人間として生きなければならない。そのためにこの地の人間と外見を合わせた。

 

 ふむ、と朱雨は暫し黙考する。前回は地球の北側を中心に一周したので、今回は赤道直下を辿りながら進んでいこうか。まだ文明の起こっていない大陸もある。そこを中心に活動するのもいい。ああ、そういえばこの国の山が一つ、他の山に叩き割られたという話も――

 

「――あの、朱雨さん」

 

 と、朱雨が立ち止っていると、後ろから美鈴が声をかけてきた。振り返って見れば、俯き加減の美鈴が目に写る。はて、何用か。朱雨が首をかしげそうにすると、すごい勢いで美鈴は頭を下げた。

 

「今までありがとうございましたっ!」

 

「……ふむ、そうかね。ではさらばだ」

 

 朱雨がそれだけ言って背を向けた。そしてすたすたと歩いて行く。

 

「……え、ええっ!?」

 

 と、頭を上げた美鈴が遠くに行ってしまう朱雨に気付く。その光景があまりに予想外過ぎた美鈴は慌てて追いかけて朱雨の脚を掴んだ。

 

「そ、それだけですか!? もっと他に言う事ないんですか!? 「今までご苦労だった」と言ってお礼をしたりとか、「先立つ物がないと大変だろう」と言って食糧あげたりとか、「とりあえずご飯をやろう」と言って餌付けしたりとか、普通そうゆう事やるでしょう!?」

 

「お前の言う普通を私に求める事がそもそも間違っている。というか美鈴、お前は餌付けされているという自覚があったのか」

 

 足を引っ張る美鈴を朱雨はやや呆れた声でひっぺはがした。美鈴はその場で座り込みえぐえぐと泣きだす。理由はおそらく「別れが悲しい」からだろう。朱雨には理解出来ない理由なので、これまでの経験則からそう考えた。

 

「ご、後生の別れだっていうのにご飯の一つもくれないなんて! 朱雨さんはひどいです、ひどすぎます! 鬼! 渾沌(こんとん)! (きゅう)()!」

 

 と思ったら美鈴の要求は最後まで食事だった。こればかりは朱雨も手の施しようがないと首を振るしかない。永琳に頼んでも匙を投げられそうだ。

 

「理解したよ。先立つ物が欲しいのだな。路銀はくれてやる、本来私には必要のない物だ」

 

 そういって朱雨は懐に血液から抽出した金塊と袋を生成すると、美鈴の前に放り投げる。はたからみたら泣きじゃくる女性と問題を起こした男が金で解決しようとしているようだ。あまりよろしくない。

 

「路銀よりご飯が欲しかったです……」

 

 袋が地面に落ちる前に取った美鈴は、さっきまでの号泣が嘘のように目をこすりながら立ち上がった。それが素なのか演技なのかは朱雨にも判断がつかない。女は生まれながらにして役者である、確か若藻がそう言っていたなと朱雨はちらりと思い出す。

 

 まあ、どうでもいい事だ。朱雨は美鈴に背を向けた。

 

「……あの」

 

 そのまま歩き出そうとする朱雨の背に、美鈴は小さく声をかける。朱雨は沈黙し、美鈴の言葉の続きを待った。

 

「理由、聞かないんですか? 私が朱雨さんと別れる理由」

 

 朱雨の方からは美鈴がどんな表情で話しているかは分からない。分かったとしても、適切な対応は出来ない。だから朱雨は自分の考え方だけを話す。

 

「心の記憶は流転する。今はそう思っていても、いずれかの時には違う感情を抱いていると捉える。その意味が一定しないのなら、ここで私が答える必要もないさ。今は不満だろうが、いずれ納得の情が浮かぶやもしれんのだから。その逆もまた在り得る。だから、私は何も聞かないし何も答えない」

 

「……そう、ですか」

 

 朱雨の言葉を聞いた美鈴の口から漏れ出る声は、どこか寂しそうだった。それもまた無視して、「それに」と朱雨は言葉を続ける。

 

「生きていれば、また会えるだろう。私にはもう会う事の出来ない友がいるが――まあ、それもまた命の定めだ。また私と出逢いたいのなら、私達の(えにし)とやらを信じてみてはどうだ? 私は理解しえないが……信じる者は、必ず救われるそうだからな」

 

 最後に「これは宗教観が違うか」とつけたして、朱雨は美鈴の返答を待たずに歩き出す。

 

 別れに言葉は必要ない。「生命」として生まれた以上、親との死別は避けられないし、食事の為には会った瞬間、獲物と別れなければならない。だからこそ朱雨は離別を特別なものととらえることなく、ただの通過点と考えていた。別れは、終わりではないのだ。

 

 美鈴がその意味を正しく理解したかは分からない。いや、絶対に朱雨の考えは理解出来ないだろう。あれだけの言葉からこれだけの意図を探り出すのは不可能だ。ただ――

 

「朱雨さーんっ! また会いましょうね――――!!」

 

 ――遠くから聞こえてくるはつらつな声は、もう何かを悲しんでいる様子は感じられなかった。それに静かに笑みを浮かべ、朱雨は一度だけ、手をあげた。

 

 彼らの道は別たれる。だが未来は遠く、世界は見えない。騒乱とした道の先で運命が交わらないなどと、断言は出来ない。それが一縷の望みもなくとも、彼らが再会を望む限りは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ああ、私だ」

 

 

「……ふむ。お前には多大な恩恵を受けている。私もまた、それに答える義務があろう」

 

 

「了解した。私は、それを受け入れよう」

 

 

 

 

「依頼を受諾する。我が全霊を以てお前の姫君を護ると誓う――それでよいのだな、永琳」

 

 

 

 

 


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