東方血界神 ~Creatures Paradise~   作:閼伽

2 / 27
名も無き男、人の賢者と出会う。

 

 貪欲である事。それが、進化への道となる。

 

 

 

 

 夜の帳が降り、深淵の闇と満ち足りた月光が溶け合う森。その森のいたる所で主の怒りに触れぬよう静かに生を謳歌していた生命達は、突如として出現した紅い極光に恐怖し、一斉に逃げ出していく。

 

 極光は天を斬り裂いたと錯覚する程に巨大で、十里に渡り森を真一文字に両断し遥か遠くまで余波を放つ程の破壊力を秘めていた。

 

 紅い極光が発生したのは八戯莉と名も無き彼がいた場所だ。極光の直撃を受けたのは言うまでもなく、普通に考えれば両方とも重傷を負いほぼ間違いなく死に至っているだろう。

 

 だが、それらが収束した時。

 

 そこには下半身の毛皮にさえなんら損傷のない、全く無傷の彼が立っていた。

 

 ――右腕に、首から上だけの八戯莉をぶら下げて。

 

 彼は倒壊した樹木に足をおき、何かを見据えるように右を向いている。

 

 しばらく彼はそうしていたが、やがてため息を吐き視線を外す。そして髪が巻きつくように右手についている八戯莉の首を両手で持って胸の前に持っていき、少しだけ憔悴したかのように顔を歪め、静かに呟いた。

 

「…………逃がしたか。首を棄ててなお生存が可能という事は、ほぼ肉体に依存しない生命と化していたようだな。――まあ、良い。殺してしまったかと思っていたが、生きているのなら僥倖(ぎょうこう)だ」

 

 そう、あの紅い極光を発現させたのは、他ならぬ彼である。

 

 八戯莉に捕食を宣言されてしまい、全く気が進まなかったが彼はやむなく抵抗する事にした。

 

 が、如何せん戦闘など数千年行っていなかったものだから、加減を忘れてしまい誤って八戯莉の首を()ぎ取ってしまったのだ。

 

 あの紅い極光も、その余波でしかない。

 

 彼は、力の加減をしなかった事をひどく後悔していた。

 

 自分の力を八戯莉に知られてしまったから、ではない。

 

 全く関係のない動植物を殺戮してしまった事を、彼は後悔しているのだ。

 

 二万六千二百九十一。

 

 彼が、奪ってしまった命の数である。

 

「……無駄に、殺してしまったな」

 

 その声は相変わらず感情の籠らないものであったが、心なしか僅かに力を失っているように感じる。

 

 彼は空を見上げ、粛然と目を閉じる。それは、黙祷を捧げるように厳かなものだった。

 

 しばしの間そうしていた彼は、スッと目を開く。そこには何一つ変わらない鬼火のような鮮血の瞳があったが、何かを決意するような光が含まれていた。

 

「――やはり、喰うしかあるまい。殺してしまったのなら、糧にする外に在り得ない」

 

 しかし、その能面のような唇から零れた言葉は常人がおおよそ考えつくような、否、視野にさえ入れないような尋常じゃない台詞だった。

 

 喰う。埋葬するでもなく、遺骸を集めるでもなく――事もあろうに、彼は喰うと言ったのだ。

 

 両腕で血に濡れた八戯莉の頭を抱え、彼は考える。

 

(生命は、元来喰う為以外に獲物を狩る事はない。日々を生き抜く糧が手にはいれば、それ以上無駄に体力を消費する事を避けるからだ。例外があるとすれば、それは生きる為。己の命を脅かす存在を前に、敵を殺すことで生を得ようとする、万象一切全ての生物が持つ生存本能に従った場合のみだろう。

 

もし、それに違える行動をしてしまったのなら。生きる為ではなく、ただただ殺してしまったのなら――)

 

 ――それは、糧とする事で、生命であるという証明をする他ない。

 

 そんな埒外の思考を以て、彼は行動を開始する。生命として殺したモノを喰らい尽くす事を開始する。それがまるで、容易い事だというように。

 

 だが、十里にも渡り死骸が並ぶこの状況で、どうやって彼は全てを食すつもりなのか。彼一人では足元に転がっている樹木さえ喰い尽くす事は不可能だろう。

 

 しかし、彼は地道に辺りの物を拾って直接食べるような真似を一切せず、己の右手を顔の前に持っていき、歯で親指の表面を斬る。義手のような指に赤い線が一本走り、滲み出た血が一滴、地面に垂れた。

 

 動作としては、ただそれだけの事。しかし、まるでそれを鍵とするように、地面に変化が起こり始めた。

 

 ――血だ。緑に覆われた大地から、大量の血液が滲み出している。破壊された森のいたるところから、鮮やかな紅い血潮が湧いているのだ。

 

 それだけでも異様な光景であるのに、さらに奇妙な事に、滲み出た血液はまるで自分の意志を持っているかのように蠢き、木の残骸や動物の死骸に纏わりついていった。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。まるで、口に含んだモノを丁寧に咀嚼するように。

 

「ハアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 その時、血液が死骸を覆っていく様を見ていた彼に、無事な森の木の陰から四人の武装兵士が飛び掛かってきた。

 

 彼らは八戯莉討伐の為に派遣された兵士達だ。

 

 当初、慢心し意気揚々と森に入っていった彼らだが、仮にも百戦錬磨の武人達である。決して無能ではない。

 

 彼らは八戯莉のものと思われる妖気を頼りに進んでいき、その地点へ近づくにつれて言葉を交わすのをやめ、抜身の刀身のように己を研ぎ澄ましていった。

 

 そして、急に視界が開けた地点でとっさに木の陰に隠れ、見た事のない彼の様子をうかがっていたのだ。

 

 彼らは事前に八戯莉は女だと聞いていた。しかし、立っているのは明らかに男。しかも全く霊力を持たない一般人以下の辺境の蛮族である。少なくとも彼らはそう認識していた。

 

 これに彼らは訝しんだが、彼が持っている首から妖気を感じるし、首から上だけであるが事前に聞いていた八戯莉の外見と一致する。

 

 信じられない事だがこの男が八戯莉の首を持っている以上、この男が八戯莉を殺した可能性は否めない。もしかしたら、先程賢者である女が言っていた謎の光にも関係があるかもしれない。

 

 しばらく兵士達は彼を監視し、害がないようであれば八戯莉の首を要求するつもりで木の陰に隠れていた。

 

 しかしその蛮族の男が自分の血を垂らしたかと思うと、急に地面から血液が滲み出てきた。しかもその血液は不気味に蠢き、次々と死骸に群がっていったのだ。

 

 これだけならばまだ良かった。そんなものは国の魔導師ならば可能な事だ。もっとも、かなりの使い手であることが要求されるが。

 

 だが、これらの現象からは、何も感じ取ることが出来ないのである。

 

 魔術・妖術の類ならば理解出来る。神の力ならその偉大さを感じ取れるはずだ。

 

 だが、何も感じない。

 

 左右の地平線まで続く破壊された森の痕を、血液で真っ赤に染まってしまう程の広大な術。それを正体不明の力で、何とも知れぬ方法で、この男は行使している。

 

 その事実に、兵士達は恐怖した。

 

 兵長は他の兵士に目配せをし、各々が武器を抜く。そして、一斉に飛び掛かった。

 

 この男は危険だ。今ここで排除しなければならない。

 

 他でもない、その恐怖に突き動かされて。

 

 されど木の陰から屈強な兵士達が踊り出ても、彼は微動だにしなかった。彼らの存在など、とうに感知していたからである。

 

 太古の龍の牙から創られた大剣が。

 

 巨大な山を貫いたと謳われる槍が。

 

 海を叩き割った過去を持つ戦斧が。

 

 仙人さえ斬り血を啜った処刑鎌が。

 

 四方を囲い、一斉に彼に振り下ろされる。

 

 

 ――それを、腕の一振りで。

 

 

 重ねてきた年月を、受け継がれてきた伝説を、その(ことごと)くを破壊した。

 

 驚く暇さえない。

 

 武器を砕かれた一瞬の後、既に彼は兵士達に数撃与えており、弾き返されるように兵士達は吹き飛び、呆気なく気絶した。

 

 殺してはいない。

 

 別に、人間を食うつもりはなかったから。

 

 彼はそう思い、八戯莉の頭を直接食べようと両手に持つ。

 

 そこに、永琳がやってきた。

 

 

 

 

   आयुस्

 

 

 

 

 永琳は思考をフルに回転させる。この状況下、一体何が最善であるかを考える為に。

 

 まず、目の前に立っている男――おそらくは辺境の蛮族だろう――の持っている首は、八戯莉でまず間違いない。死んでいるかは不明だが、妖気が薄れていっている事から、この場に八戯莉はいないのだろう。

 

 次に地面で蠢いている血液だ。不気味に蠢動しながら木の残骸や生物の死骸を次々と覆っていっている――非常に怖気の走る光景だ――が、これが何なのかは現時点では分からない。ただ、完全に覆われたものは消えてなくなっているようだ。

 

 地面に倒れ伏す兵士達。これも、おそらくは目の前の男の仕業。男の周りに散らばっている武装の残骸と、わずかに右腕についている破片からしてほぼ間違いない。

 

 そして、目の前に立っている男。黒がかった紅い長髪。鬼を幻視させる鮮血色の三白眼。高い身長。露出している痩躯ではあるが屈強な上半身。腰に巻いている毛皮もただの毛皮ではない。目視の推測だが鉄以上の硬度を持っている。

 

 ――この状況は、想定していた最悪を超えていると言っていい。

 

 永琳は八戯莉の交渉が失敗し、討伐も失敗する事が最悪と想定していた。仮に八戯莉討伐に失敗して喰われる事になろうとも、せめて一矢報いようと体にあらかじめ呪詛の術式を埋め込んでいる。

 

 しかし、この状況はその上をいっている。

 

 討伐部隊はもはや使い物にならない。武装はこれだけではないが、国に数点しかない一級品を今回は持ち出している。軍事力も彼ら四人の対妖怪部隊以外にもいるにはいるが、所詮は守護兵。戦いをあまり経験していない。

 

 最も厄介なのが目の前の男だ。強大な大妖である八戯莉の首を、無傷で持っている。それはつまり、八戯莉よりも強大な存在である可能性が高い。更に、おそらくは辺境より来たこの男が知能を持っているかどうかさえも怪しい。

 

 総合的な戦闘力で言えば、兵士達より弱い永琳では倒すことも不可能。かといって対話が成立する保証はない。

 

 この時点で永琳は最悪の場合、式神を飛ばして国に男の存在を伝え、自身はこの男を巻き込んで自爆する事も視野に入れていた。

 

 一方、彼の方はというと。

 

 八戯莉の頭を喰うのをいったん止め、極度の警戒と緊張を示す永琳をじっと見ていた。

 

 特に意味はない。食事の途中で警戒されながら見られれば、そちらを向いてしまうからそうしているだけである。

 

 数秒か、数十秒か。

 

 彼と永琳が互いを見ている(永琳は睨んでいる)間に、全ての死骸が血液に覆われた。

 

 それに気づいた彼は、右腕の爪で両方の脹脛(ふくらはぎ)に傷をつけ、そこから地面の血液を吸収し始めた。

 

 彼の突然の行動に永琳は身構えるが、地面の血液がまるで意志を持っているかのように脹脛の傷に向かっていくのを見て、それが理解できずに驚愕する。

 

 左右の破壊痕から津波のように押し寄せてきた血液は、彼に当たる寸前に腰の毛皮の下へ回り、傷へ吸い込まれていく。

 

 氾濫した大河のようなうねりと轟音を上げ凄まじい勢いで彼に集まっていく血液は、ものの十秒足らずで全て吸い尽くされた。

 

 あまりの光景に呆然とする永琳。しかし数瞬で自我を取り戻し、ますます警戒の色を強める。

 

 と、その時。

 

「■■■■■■■■■」

 

 目の前の男の口から、鳴き声ではない声が発せられた。

 

 何かを言っている。内容は理解できないが、話しかけている事は分かる。それはつまり、この男が話せる程度の知能を有しているという事!

 

 永琳はそこに僅かな光明を見出し、今更ではあるが彼に余計な感情を抱かせないように警戒を出来る限り解く。

 

 そして自身にある術を施す。それは言語を理解するための術だ。

 

 妖怪は人の想いから生まれる存在だ。それが言葉が分からないなど話にならない。だから妖怪は生まれた時、いや、存在の設計図に初めから言語を解する術が組み込まれているのである。永琳はそれを解析し、異国の言葉・系統が違う言葉でも理解できるような術を組み上げていた。

 

 永琳はコホン、と愛らしく声を整え、彼に笑顔を向ける。

 

「私の言葉は通じているかしら?」

 

 彼は突然警戒を解いた事に少々疑問を覚えたが、どうやら敵対の意がない事を証明する為であると判断し、首を縦に振った。

 

「そう、良かった。まずは謝罪させてもらうわ。ごめんなさい、私の部下が暴走して貴方に攻撃を仕掛けてしまったの。本当に申し訳ないわ」

 

「……いや、別に構わない。私はここの出身ではない。奇矯な輩がいれば攻撃する事もあるだろう。むしろ、侵入してしまった私に非がある」

 

「そう言って貰えると助かるわ。この事はお互い、水に流しましょう。私の名前は八意永琳というの。よければ、貴方の名前も教えて頂けないかしら?」

 

 永琳は笑みを保ったまま、彼に警戒や怒りを抱かせないように言葉を選んで会話する。それはまさに断崖絶壁で綱渡りをしている心境だった。

 

「……名前という概念は()っている。だが、必要としてこなかったので私自身に名前はない。(あか)い雨と呼ばれていた時もあったが――まあいい、好きに呼べ。どのような名称であろうと私は構わない」

 

「そうなの? だったら――便宜上、朱雨(しゅう)と呼ばせてもらうわ。こちらの言葉で真っ赤な雨を示す言葉よ。

 ……ところで、さっきから気になっていたんだけど――その首、八戯莉よね。どうして貴方が?」

 

 永琳はまず、本来の目的であった八戯莉の事から問う。

 

「ああ、これか? なに、喰われそうになったから抗っただけだ。まあ、本体には逃げられたがな」

 

 本体には逃げられた。それはつまり、八戯莉は生存しているという事だろう。

 

 それは不味い、と永琳は思う。

 

 八戯莉は永い年月を生きた妖怪だ。この過酷な環境で生き永らえてきて、今では森の頂点に君臨する女王である。当然プライドも高い。

 

 十中八九、報復に来るだろう。永琳はそう考えつつも、今は朱雨の方を優先するべきだと思考を打ち切る。

 

「そう……。どうして、貴方はこの森に? 八戯莉の事は知っていたの?」

 

「八戯莉という名は知らなかったが、八戯莉と呼ばれる以前から私は彼女を識っている。だから、私は彼女の支配している森を避けてきたのだが、どうも目測を見誤ってな。結果として、彼女と戦う破目になった。この森に来たのは――そう、お前達と会う為だ」

 

「――――」

 

 永琳は内心でその言葉に警戒心を高めたが、何とか表に出さずに済む。しかし、私達に会うためにやってきた――?

 

 朱雨の目的は定かではないが、最悪の事態に備えて朱雨にばれないように式神の準備をする。そして、外面では笑みを浮かべたまま、疑問をそのまま口にした。

 

「私達に会うために? どうしてかしら。良ければ教えて頂けない?」

 

「……………………」

 

 沈黙。

 

 朱雨は目を細め、じっと永琳を見る。永琳にとってそれは、地獄にも等しい時間だった。

 

 しばしの間、じっと永琳を見つめ続ける朱雨。永琳は流れ出そうになる汗をなんとか制御していたが、それもいつまで持つか分からない。

 

 が、その地獄は、朱雨が放った一言で呆気なく終了した。

 

「――これが、お前達に会いに来た理由だ」

 

「…………は?」

 

 唐突に口を開いたかと思えば、訳の分からない事をいう朱雨。永琳は一瞬素がでてしまったが、慌てて元の笑顔に戻す。

 

「わ、訳が分からないわ。一体何が、私達に会いに来た理由だというの?」

 

「理由も何も。お前達を観察する事が、私がここに来た理由だよ」

 

 何一つ表情を変えず、朱雨はそう言いのたまう。

 

 その様に永琳は膝から崩れそうになるが、なんとか気力を持たせて朱雨に言う。

 

「ええと、つまり、私達を観察する為に、貴方はこんな所までやって来たっていうの?」

 

「そう言った筈だが」

 

「それだけ?」

 

「それだけだ」

 

「他に何か無いの?」

 

「他に、とは?」

 

「ほら、例えば私達の国を滅ぼす、とか」

 

「そんなもったいない真似はしない」

 

「……本当に、それだけなの?」

 

「そうだ」

 

 …………それは、つまり。

 

 私の警戒や予測は、全てただの杞憂だったって、事?

 

「……………………フフフ」

 

 何やら疲れたように笑う永琳。その様子に朱雨は「ん?」と大人の癖に子供のように首を傾げ、永琳は「こいつ殴ってやろうか」という衝動に駆られた。

 

(……まあ、いいわ)

 

 永琳はホッと胸を撫で下ろす。なんであれ、これで朱雨の危険性は一気に下がったと言っていいだろう。行動と言動から、彼の言う観察は文字通り見るだけの行為だという事はもう分かっている。少なくとも、こちらから害しない限り被害は及ばないだろう。

 

 永琳はそう結論付け、次に優先するべき、というよりは本来の目的であった八戯莉の事を考える。

 

 朱雨は観察をする為にここに来たと言った。そして朱雨は八戯莉を一度撃退している。観察をさせる見返りとして、八戯莉討伐を頼めるかもしれない。

 

 無論、他力本願な上に望みの薄い方法だ。やってはみるが期待しない方法である。

 

 しかし、実際にどうするべきか。

 

 今、八戯莉は傷ついているだろう。流石に頭を捥がれてしまえば妖怪とはいえダメージを受ける。そこにつけこみ交渉する事は出来ないか。

 

 ……いいや、無理だろう。仮にも大妖だ。その程度で人間に遅れはとらない。そもそも永琳は当初、八戯莉が支配域を広げた真意を問いに来たのだ。交渉というのも、もともとはそれを確かめる為である。

 

 ……まあ、万が一国を滅ぼすという場合に霊術による支援が最も得意で、なおかつ自身も戦闘が可能な永琳が選ばれたのだが。交渉だけなら他に適役がいる。永琳は学者であって、政治家ではないのだ。

 

 そう言えば朱雨は先程、八戯莉と呼ばれる以前から八戯莉を知っていると言っていた。少なくとも永琳の国の記録では、八戯莉と明確に記された記述は五百年前から存在する。

 

 彼は、一体何者なのか――

 

 永琳の学者としての好奇心がむくりと頭を起こすが、どう考えても八戯莉の方が最優先な為、永琳は土竜(もぐら)を叩くようにその好奇心を抑えた。

 

 とりあえず、朱雨が倒してしまった兵士達の代わりに朱雨に護衛を頼んでみる事から始めようと永琳は考える。

 

「ねえ、朱雨。頼みがあるんだけ――」

 

 

「還ったぞ。神妙にせい」

 

 

 ――あ、死んだ。

 

 永琳は背後から聞こえてきた声に、何を思うでもなく、ただそう感じる事しか出来なかった。

 

 朱雨は相変わらず無感動に声の発生源を見つめる。その手にあったはずの八戯莉の首は、いつの間にか忽然と失くなっていた。

 

「全く、いくら儂が妖とはいえ、女人の首を躊躇いなく捥ぎ取るとは。品がないのう、お主。もう少し礼を弁えるがよい」

 

 数千年の歳月を生きる、太古の妖怪、八戯莉。

 

 その身体から発せられる妖気は、紛れもなく絶対的捕食者の放つそれだ。

 

「悪いが、そのようなものは持ち合わせていない」

 

 それに対するは正体不明の力を操る、これまた正体不明の存在、朱雨。そして死を前に己を見失っている永琳。

 

 

 永い夜はまだ明けず、闇の深淵は深まるばかりだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。