東方血界神 ~Creatures Paradise~   作:閼伽

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下準備は大事なものだと、朱雨はつくづく痛感する。

 

 

 恐るるなかれ。近しくなかれ。ただ、崇め奉ればいい。

 

 

 

 

 ぬかるむ道中、灰色の雲、雨に紛れる独特の匂い。

 

 水を吸ってどろどろになった土の上に、足跡が一つ並んでいる。右と左を交互に一歩、規則正しく並ぶそれは、千切れてたわんだ糸のように、くねりくねりと蛇行していた。

 

 入り混じった赤と黒の髪を風にまかせるままに、道を一人の男が往く。雨に濡れた藍色の着物は肌にはりつき、泥にまみれた真新しいわらじは、雨につられた蝸牛(かたつむり)たちを踏まぬよう、慎重に踏み場を選んでいる。

 

 顔にはりついた髪を拭い取り、朱雨は目を細めて地平線を見る。この道は一本道らしいのだが、見える限りに建物のようなものは何もないので、まだまだ先にあるようだ。

 

 あとどのくらい先にあるかは分からないが、長くても半日につける場所にあるらしい。そう行きずりの旅人に聞いていた朱雨は、道中の退屈を紛らわせるためにこれから行く場所の情報を整理した。

 

 人口は約一万人程度。これはこの小さな島国の一割もの人口を誇っている。山々に囲まれた盆地をまるまる領土にしていて、その中心には諏訪湖と呼ばれる巨大な湖があるそうだ。

 

 内陸高地であるその盆地は若干雨量が少ないものの、肥沃な土壌に恵まれている。そのためこの盆地は昔から農耕が盛んであり、ここ百年間で集まった人々は自然と支配者を見出し、彼らを纏め上げた国が出来た。

 

 洩矢の王国。

 

 ミシャクジ様と呼ばれる神を(まつ)る、神自身が政治を行う神政国家である。通常、このように神の意思によって政治を行う場合は呪術師や巫女が占いをし、その結果によって(まつりごと)を行うのだが、どうやら洩矢の王国は珍しくも神自身が国王のようだ。

 

 普段は神様なんぞには目もくれない朱雨だが、神自身が国王をやるというのはとても珍しい。なので、観察をする為に朱雨は洩矢の王国に向かっていた。

 

 神は一体どのように人間を統治しているのか。

 

 人間は神による支配をどう受け入れているのか。

 

 異種族が異種族を束ねる弊害はないのか。

 

 考えるだけでも多くの疑問が尽きない。きっと有意義な時間になるだろう……そう思っていたのだが。

 

「おい、止まれ!」

 

 いざ洩矢の王国に辿り着き、さあ観察だと意気込む暇もなく、朱雨は門番に大声で呼び止められてしまった。

 

「はて、何用かな?」

 

 言いつつ、朱雨は門番とその後ろの塀を観察する。

 

 左右に続くおおよそ五メートルの石の塀。真四角に切り取られた石を積み上げて作られている塀は、人間の手で作られたとは思えないくらい精巧だ。おそらくは、実際に人間の手で作られたわけではないのだろう。

 

 目の前には八脚門が堂々と鎮座している。石の塀より高いその門には、左右に木の格子(こうし)で遮られたとぐろを巻く木彫りの蛇が見えた。

 

 門番は二人、その内の短気そうな大男が朱雨を呼び付けた門番だ。彼らは動物の革でこしらえた簡単な鎧をつけているが、注目すべきはそこではなく、手に持っている長槍だろう。木で出来た棒の先に、鈍く輝く鉄の穂先がついている。この島国で鉄を使用する文化はまだ渡来したばかりだというのに、この国では既にそれを武器に転化しているようだ。

 

「それはこちらの台詞だ! ここは我らがミシャクジ様が治める洩矢の王国だぞ! 一体何の用で来た!」

 

 と、朱雨が観察しているうちに門番が怒鳴りつけてきた。予想通り短気らしく、額には青筋が浮いている。それは朱雨にとってどうでもいい事だが、それとは別に印象深い一言がその怒声にはあった。

 

 『我らがミシャクジ様』。門番一人の言葉では軽率に判断は出来ないが、この国を統治している神はかなり受け入れられていると推測できる。

 

「ふむ……強いて言うなら観光だな。私は旅人だ、まだ見ぬ秘境や文化を――」

 

 懐ではそう考えつつ、朱雨は当たり障りのない返事を返す。いや、返したつもりだったのだが、朱雨が喋り終える前に門番から何かが切れる音が聞こえ、次の瞬間、朱雨にとってあまり理解したくない言葉が怒濤の勢いで吐き出された。

 

「観光だと!? ならんならん!! ミシャクジ様は我らのような凡俗な諸人(もろびと)には推し量れぬ崇高な御方なのだ! 洩矢の国民でさえ滅多に謁見を許されぬというのに、貴様のようなどこの馬の骨とも分からぬ下郎が眼に収めていい御方ではないっ!!」

 

 謁見を許されない。眼に収めてはいけない。それはつまり、この国の王には会えないという事を意味する。まずい、非常にまずい。そう思いながらも焦りの一つもない朱雨の無表情からは、やや驚いたような言葉が出てきた。

 

「……なんと。それではお目通りは叶わない、と?」

 

「当たり前だ! 貴様が旅の商人であれば、多くの貢物と引き換えに参拝の栄を授かれたろうが、貴様はどう見ても手ぶら、それでは貢物どころかこの関所を通る為の手形も買えんわ! 帰れ帰れっ! 下賤な旅人め、二度とこの地に現れるなっ!!」

 

 ……まあ、そんなわけで。

 

 観察どころか、そもそも国に入る事さえ拒否された朱雨なのであった。

 

 

 

 

    आयुस्

 

 

 

 

「……とまあ、そういう事があってな。入り口で追い返されてしまった」

 

「あはははははははっ!! あーっはははははははっはははははは!! 入り口で追い返されるとかっはははははははは!! あはは、あ、あんたってさ、きゃは、はは、あ、あたし、を、くうふふふふふ! わ、笑い死にさせたいわけっ!? あは、あはははははははははははははは!!!」

 

 という「観察しようと思ったらそもそも入国すら拒否られた」話をしたところ、てゐに大爆笑されてしまった。

 

 場所は変わって迷いの竹林。洩矢の王国に入ることが出来なかった朱雨は、その足で因幡てゐの住む迷いの竹林へ向かった。なぜかと言われれば、助力を請うためである。

 

 朱雨は世間に疎い。若藻と旅をし、八雲紫に人間でない事を見破られた朱雨は、極力人間と同じ生活を自らに強いるようになった。が、それでも朱雨の目的は生命の観察であり、人間社会に溶け込む事ではない。

 

 そのためか朱雨は世間、つまり人間社会の情勢を進んで調べたりすることがなく、結果として世間に疎くなってしまった。

 

 そこでてゐの出番である。

 

 因幡てゐは人間社会にとても詳しい。時折迷い込んでくる人間に世間話を聞いたり、各地の兎達との会合で酒の肴に世間話で盛り上がったり、時には自ら竹林を出て日ノ本放浪の旅に出たりしているからだ。

 

 なので朱雨が土産とともに迷いの竹林に来ると、てゐはいつも世間の噂話や人間達が今どのような文化を築き上げているのかを教えていた。洩矢の王国の情報もてゐから聞いた物なのだ。まあ、てゐが話すのはそれだけに留まらないのだが……

 

 と、朱雨は少し疲れたように顔を振り、てゐの周りの二酸化炭素濃度をあげてやる。どうやらまた笑い過ぎて過呼吸に陥っているようだ。自分のお腹を抱いてまだ笑い転げるてゐを尻目に、朱雨はため息をついてジト目になった。

 

「またか……元気があるのは素晴らしいが、少々笑い上戸が過ぎるんじゃないか、てゐ。お前、私が旅話をするたびに笑い死にそうになっているぞ」

 

 そう言いつつ背中を撫でてやるあたり、朱雨もてゐの事を気にかけての言葉なのだろう。この血が通っているだけの冷血漢には珍しい、他人を気に掛けるその行為を、しかし当たり前のようにてゐは受け入れている。二人にとって、この光景は珍しいものではないのかもしれない。

 

「いやあ、ははっはははっはは……はあ、はあ、はあ。あー、死ぬかと思った。いやだって仕方ないじゃない、ここ竹林だよ? あたしら好き好んでここに住んでるけど、ただ竹がいっぱいあるだけの竹林だよ? 娯楽なんて全然ないからさ、ちょっとした事でも笑わなきゃやってられないのよ」

 

 ようやく笑いが収まったてゐは、笑い過ぎで腹でも痛めたのかごろりと御座に転がる。ついでに朱雨がまた持ってきた土産を漁り始めた。「ふーんふふーん♪」と上機嫌に鼻歌を歌うてゐとは対照的に、「娯楽」という言葉にピクリと反応した朱雨は背筋を正して腕を組み、唐突に説教のような何かを語り始めた。

 

「一理あるが、それでも度が過ぎる事は否めないな。娯楽に飢えるのは退屈の表れだ。暇潰しなんてものは、言い換えれば無意味な余裕でしかない。本来一生に「暇」など持つべきではなく、常時たゆまぬ進化と研鑽をしてこその」

 

 人差し指を立てて正座する姿は、どうみても堅物親父のそれだ。普段から仏像みたいな無表情をしているだけに妙に様になっていて、それだけに「うへえ」とあからさまに嫌そうな顔をしたてゐの心中を察するに難くない。

 

「あーやめてやめて、そんな説教聞きたくないわ~。そんなの閻魔様とでも語り合ってればいいと思うわ~。いいじゃない、娯楽に飢えたって。人間だもの」

 

 てゐはそう言うと、くどくどと説教のような説教を続ける朱雨の口に無理やり人参をねじ込んだ。紫色の変な(まだら)がついた青い人参を。持ってきた本人の話によると、突然変異で毒性を持った人参らしい。どうしてそんな物をお土産に入れた。

 

 一噛みするごとに緑色の粘液が噴き出す人参を朱雨は平然と食べる。いや食べるなよと口に放り込んだてゐが完全に引いているのに気にもせず、朱雨は零れた粘液も含めてたいらげた。「とてもまずい」という感想付きで。本当にどうしてそんな物をお土産に入れた。

 

「お前は妖怪だろうが。……全く。昔から思っていたが、お前には危機感というものがまるで足りない。何かを利用するのには長けているのに、それがどんなものかを吟味しない癖がある」

 

 地味に突っ込みを入れつつ、朱雨はてゐの悪い癖を指摘する。今の行動も朱雨の口を閉ざすにはそれなりの効果を発揮するが、だからといって毒性の人参を放り込む事はないだろうに。

 

「え~、そんな事ないよ~。そりゃあ、あたしには「人間を幸運にする程度の能力」があるから、多少はゆるーく生きてるけどさ。危ない物の区別はちゃんとついてるよ」

 

 その遠回しな責めにてゐは少し汗をかいて、ごまかすようにわざとらしく笑った。ついでにちょっと反論もしてみたのだが、朱雨はそれをあっさりと切って捨てる。

 

「島を渡るのにわざわざワニを利用した結果、毛をむしり取られたのによく言えるものだ」

 

「うっ……ま、まあいいじゃない! あんたにとっちゃあ関係ない事でしょ! それよりさ、なんでわざわざ洩矢の国になんていったの? あそこって結構排他的で有名なとこじゃん。まあ、大和の神々のせいもあると思うけど」

 

 てゐはあさっての方向に目を向けて、露骨に話題をそらす。普通ならこの程度でそらせる罪状(黙らせるために毒を投与。あれ、これ結構やばいんじゃ……)ではないが、そんな感性、毛ほどにも持ち合わせていないのが朱雨だ。今も、成程、確かに関係ないなと納得している。それでいいのか朱雨。

 

 となると当然、朱雨はそらされた話題に乗るわけで。それは結局、てゐの首を絞める羽目にしかならなかった。

 

「…………どこかの誰かさんが、やたら私に神様の素晴らしさを説く物でな。では実際はどうなのか、見てみたかっただけだ」

 

 非常に重苦しい沈黙から責めたてるように朱雨は言った。うん、全身から「疲れていますオーラ」が滲み出ている。ついでに鮮血色の眼も幽鬼のように爛々(らんらん)と揺らめいている。ひょっとしなくても地雷くさい物をてゐは踏んでしまったのではないだろうか。実際、てゐの顔にはひび割れた笑顔しか浮かんでいなかった。

 

「あ、あはははは……でもでも! 大国主様は本当に素晴らしい御方なんだよ! 何処がって言えば」

 

「それはもういい! 耳にタコが出来るどころか中耳炎になるくらい聞かされた!」

 

 しかし、それではてゐの大国主礼讃は全く、全然、毛ほどにも崩れないようだ。今もすかさず「大国主様がどれだけ清廉潔白で眉目秀麗で科挙圧巻で英俊豪傑なのかを十五夜の夜まで語り合っちゃおうぜ講座」をやり始めようとしたので、朱雨にしてはとても珍しい怒鳴り声で止めさせた。

 

 しかし、朝から晩までひたすら女といちゃいちゃらぶらぶきゃっきゃうふふしている男の話なんて聞かされたら、朱雨でなくとも怒り狂いそうな気はする。もっとも、朱雨としてはあまりに利益にならない話だからよして欲しいだけだが。

 

「え~~~、何回語った所で語り尽くせるものじゃないのに……仕方ないな~、じゃあ今度はちゃんと聞いてよ? ところで、洩矢の国には入れなかったんでしょ。それでどうしてあたしのとこに来るのよ?」

 

 「もう千七百五十三回は聞いたぞ……」と朱雨はすごくげんなりする。それはもう、湿度ゼロの炎天下に放置され続けた人参のように。それだけ語って語りたりないてゐもてゐだ。いやいや全く、心を持つ者というのは時に不可解な行動を行うのだから油断ならない。もしかしたら、この先ずっとこうなのだろうか……

 

 何やらとても危険な結論が出そうだったので、朱雨はそこで考えるのを止めた。いや、まあ、うん。きっとその場のノリでなんとかなるだろう。本当なこんな感じでは考えていないが、要約すればこうゆう感じで朱雨は考えをまとめた。

 

「ふむ、それなのだかな、てゐ。洩矢の国に入国する為には、どうやら『貢物』とやらが必要らしい」

 

 並列思考は得意である。なのでそのまま話を続行する朱雨。てゐの方にしても、まさかこんな能面男が裏で戦々恐々している事など思いもよらないので、訝しみもせず話をつなげた。

 

「うん、そうだね。神様が国を治めてたら大体そんなもんだとは思うけど、それがどうかしたの?」

 

 例外としちゃあ、よっぽど信仰に飢えてる神様くらいかな? なんててゐは思う。でも、それでどうしてあたしの所に来るのかという謎はますます膨らむばかりだ。ひょっとしたら貢物の調達を手伝ってほしいとか……いやいや、この血液馬鹿は猫の手どころか神の手だって平気の平左で払いのけるだろうし。

 

 じゃあなんだろう? 純粋に疑問に思うてゐに朱雨は簡単にこう言った。

 

 

「その『貢物』についての知識を私は全く有していないんだ。それで、『貢物』の意味を聞きたくてな」

 

 

 その時、竹林に極寒の暴風が吹き荒れた。ような気がした。

 

「え…………?」

 

 思わず、てゐは呆けた声を上げる。貢物の、意味が、分からない? いや、いやいや、いやいやいや。ないだろうそれは。ありえないありえない。いくら世間に疎くたって、それすら知らないなんて事はないだろう。

 

「ちょっと、冗談はやめてよ。いくら世間に疎くたって、貢物の意味も知らないってわけじゃないでしょ~。またまた~、あたしをからかって遊ぶ魂胆なわけ~?」

 

 そういうてゐの疑いももっともだった。なぜならここは日ノ本の国。八百万の神々が飛揚跋扈(ひようばっこ)する、世界有数の神域である。本から草から食器から、そこらに落ちてるゴミにさえ神様の一人がついているのだ。

 

 だから、真っ当に生きてりゃ絶対に神様の一人や二人には出会う筈だ。その中には力の強い神様もいるから、対処法として神様に対する礼儀とか、貢物とかの知識を得る筈なのに。

 

「…………」

 

 しかし、朱雨からは気まずそうな沈黙しか返ってこない。少しそっぽを向いてるような気もする。

 

「…………まさか、本当に知らない?」

 

「ああ、全く。ついでに言えば『手形』というのも記憶にない」

 

 おそるおそる聞いてきたてゐの言葉にははつらつと返しやがった。そのはきはきとした衝撃の事実その2に、てゐは目が眩むような感覚になる。

 

 手形も知らないはないだろう。だってあれはたしか、大陸から入って来た知識のはず。大陸で生活していた事もあったって言ってた朱雨が知らないわけがない。

 

 でも、朱雨が今まで一度も嘘をついたことがないのも、てゐは知っている。だから朱雨が知らないと言えば、本当に知らないのだろう。だけど……ここまで物事に疎いってことは、もしかしたらその他も知らないのでは……?

 

「…………さ、流石に参拝のやり方とか、神様に対する礼儀とかは知ってる、よね……?」

 

「…………すまない」

 

「…………」

 

 ひどい沈黙が竹林に充満した。朱雨の体験談で具体的に言えば、若藻と楽しく食事をしている時に永琳から電話がかかってきて、その瞬間に一気に冷え込んだ若藻の視線ぐらいにひどい沈黙だった。電話口から聞こえてくる永琳の声も命の危険を感じるくらい滾っていた。

 

 そして十分くらい。体感にして三時間。あんまりにあんまりな空気に竹林中の兎がその場から離れた後、てゐは額を押さえて首を振る。

 

「…………駄目だこいつ、長生きしすぎて頭がぼけてる」

 

 断腸の思いで病名を伝える医師のように、てゐは厳かに宣告した。

 

「何を失敬な。私の脳髄はまだ動作不良を起こしてはいない」

 

 うんまあ、それでも普通に否定するのが朱雨なのだった。

 

「いやいやだってありえないでしょ!? あんた何億年も生きてるくせに神様との接し方のひとつも知らないなんて……一体どんな人生送ってんのさ!?」

 

 竹林にてゐの叫び声が木霊する。ついでにさっきまでの変な空気が吹っ飛ばされて、おかしな方向に会話がシフトし始めた。どこからか陽気なBGMが聞こえてくる勢いだ。

 

 あんまり表情が変わっていない朱雨とは対照的な、あせったような顔で絶叫するてゐの言い分も最もである。億年単位で生きているなら無用な知識も望まなくたって入って来るだろうに。だが、それすら知らない理由は――皆知っての通りだ。

 

「私はヒトではないのだかな。まあ、生物を観察して、生物を観察して――生物を観察する生涯を送っている」

 

「生物の観察しかしてないじゃない!! ああもうそうだった、こいつ生きるだけなら何しなくてもいいんだった! そんな体持ってたらわざわざ働くとかしないよねそりゃあ! だからって、だからって……竹林からあんまり出ないあたしより常識を知らないって、納得できるか―――――――――!!!」

 

 ちゃぶ台のようにお土産が宙を舞う。「てーゐ!」と妙な掛け声が聞こえたような気がしたがたぶん気のせいだろう。なんだか鬱憤が爆発したっぽい、耳をピーンと逆立てているてゐは次々とお土産を空の旅へ案内しては朱雨に怒りの視線を突き刺している。

 

 対照的にとてもとても冷静な朱雨。そもそも朱雨が取り乱すのは演技以外にありえないので、ここも怒れるてゐを冷静にさばいてくれるだろう。

 

「納得する必要はない。ただ情報をくれればそれで」

 

 と思ったらこれである。相手の心を推し量る状況判断が出来ない朱雨的に言えば普通に話を進めたつもりなのだが、怒っている相手に対して「で、それが何か問題?」みたいにスルーするのは下策だといい加減気づいて欲しい。実は、若藻に対しても似たような事をやって黄河に突き落とされた事があるのだ、この男は。

 

「うっさいこの億年爺! 何億年も生物の観察しかしていない生物マニア! 働かないごく潰し! 無駄にかっこいい赤毛野郎――――!! それになによその態度っ! それが友達に頼む態度っていうの!?」

 

 当然、てゐの怒りは油を注がれた火の如く噴火した。まあ、別にてゐじゃなくても友達にこんな態度取られたら怒るよね。それとてゐ、とても残念な事に朱雨相手には罵詈雑言は通じない。

 

「ああ、すまない。最近会う事がなかったから、友人に対する礼節を忘れていた。というかてゐ? まずは落ち着こう」

 

 なので前半の悪口は当たり前のようにスルーです。ついでにてゐの怒りに対する配慮もゼロです。また冷静、というか空気の読めない対応をして、今度は火に火薬をぶちまけているのです。

 

 一応、朱雨はてゐの状況を悟って落ちつけようとはしているのだが、時は既に遅く。どうやら、朱雨の言葉はてゐの触れてはいけない琴線をゴリゴリと削ってしまったようで。

 

「これが落ち着いていられるかっての! あたし達兎はね、それはもう日々の生活に苦労してるの! 娯楽もないし働き甲斐もない、竹が多すぎて土壌づくりもままならない中でせっせと一日中働いてやっとこさその日の人参を食べているってるのに! それなのに、それなのに、あんたときたらっ…………うが――っ!! やってられるか―――――――!!!」

 

 てゐ、大爆発。

 

 もちろんだが精神的な意味で。どこかの怪人のように自爆装置がついているわけでもないし。というわけで、てゐは絶賛大暴れをしている。朱雨に馬乗りになって殴るわ蹴るわのてんてこ舞だ。地味に朱雨のペンダントから「いいぞもっとやれ!」という声が聞こえてくる。

 

「いいから落ち着くんだてゐ! 殴るな、蹴るな、竹を投げるな! いいから落ち着け、ええい落ち着けというに!」

 

 朱雨に竹を投げながらその辺に即興の罠を仕掛け続けるてゐ。混乱に乗じて浮遊しながら光線を撃つペンダント。それらを避けつつ事態の収束を図る朱雨。

 

 朱雨にとっては荷が重すぎるその状況は、終わることなく続いて行く。ちなみに、この事態を収束したのは朱雨ではなく、遠目で様子をうかがっていた兎達であった。

 

 こと心の要素が入った事態に対しては、朱雨は兎よりも能力が劣るのである。

 

 

 

 

「…………いい加減落ち着いたか、てゐ」

 

 日が傾き始め、緋色の大地に幾筋もの細長い影が並ぶ。それらに身を裂かれながら散乱する物の傍で、朱雨は鉄面皮で下に目を向けていた。

 

「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ…………あーくそっ! あたしがこんなに疲れたのにすまし顔のあんたがすごいむかつく!!」

 

 その先にはてゐが大の字になって倒れており、荒い息を繰り返しながら目を吊り上げて朱雨を怒鳴る。朱雨の理不尽さを端的に表した台詞だったのだが、朱雨はしれっといつも通りのまま、いつも通りに返答した。

 

「そう言われてもな、私の体力はそれなりに多いのでね。まあ、おおよそ五千万年ほど不眠不休で動き続ければ尽きるくらいか」

 

 いや、それは長すぎだろう。人間なら最初の一週間で発狂しているのだが。

 

「単位がおかしいっ!! 単位がっ!! もう、あんたってほんとーに変な奴!」

 

「ふむ、それは褒め言葉だろうか」

 

「違うわいっ!!! ……ハア~~~、もういい、もういいわ。そろそろ落ち着こうあたし。うん、そうよ、あたしは稀代の天才詐欺師。その気になればこんな頭のふやけたごく潰しそのいちなんて簡単に騙せるんだから! そういえばこいつ、貢物とかの意味も分かんないみたいだし……にひひ」

 

 てゐがぶつくさ言っている横で、朱雨はひょこひょこと地面を歩く兎達に人参をあげていた。どうやら先程の大騒ぎを止めてくれたお礼のつもりらしい。

 

「…………」

 

 一応、横目で非難の目をてゐに向けている。朱雨にはてゐの企みが丸聞こえなので、それを止めてほしいと目で訴えているつもりなのだ。しかし、朱雨が横目で見ても気配が変わらないので、てゐは非難の目で見られている事も、ましてや謀略がばれている事も気づいていない。

 

 てゐはその辺から木臼をとってくると、その上に仁王立ちして……朱雨と同じ目線に立った。踏み台に乗ってやっと高さが同じになるなんて締まらないのもいいところだ。その空気を払拭するようにごほん、と咳払いをしてから、満面の笑み(詐欺仕様)で言い放った。

 

「朱雨! 常識が欠けまくったあんたのために、特別にこのあたしが教えて上げるわ! まず、貢物っていうのはね…………あたし達みたいな日々の食事にも困るかわいそうな人達を助ける事をいうのさ!」

 

「ふむ、嘘だな」

 

「げえっ!? ばれたっ!? 僅か0.1秒であたしの華麗な詐欺がばれたっ!? なんで、どうして!?」

 

 てゐは素っ頓狂な声をあげて木臼から落下した。どすん、とかなり大きな尻もちをついたみたいだが、その痛みを忘れているように大口を開けた驚愕の表情で朱雨を見ている。

 

 対する朱雨の目は、強いて言うなら呆れた感じだ。きっと内心では、本当に騙す気があるのかとか、驚く前に痛がったらどうだとか、良くも悪くも通常運転の思考が渦を巻いて揺れているのだろう。

 

 それをどうにか言葉にしようとして、朱雨は諦めた。片手で額を押さえてため息をはき、これは私の役割ではない気がする、とぼそりと呟く。

 

「…………。まあ、言いたい事は山のようにあるのだが。要約すれば、稚拙(ちせつ)杜撰(ずさん)、だな」

 

「ち、稚拙で杜撰!? あ、あたしの完璧な頭脳から練り出された素晴らしい詐欺が、稚拙で杜撰!?」

 

 やや疲れたような朱雨の台詞に、てゐはおおげさだと言えるくらいに愕然とした。それに気を配らずに朱雨は二の句を告げる。

 

「ああ。そもそも、詐欺という事さえ(はばか)られる度合いなのだが。騙す気があるのか、てゐ」

 

「がーん!! あたしの詐欺を全否定された! あまつさえこんな奴に騙す気があるのかって言われた!! っていうか、こいつ相手に詐欺やっちゃってしかもそれがばれたって……あたし、もしかしなくても絶体絶命? いや――――――っ!!! 死にたくない、死にたくないよ――――――!!!」

 

 あまりに冷酷な朱雨の一言。誇る詐欺師としての力を全否定されたてゐは、そのショックと、朱雨を騙すリスクを思い出して二重にショックを受けていた。そして、絶叫と共にてゐは転がり始める。

 

 朱雨の周りをごろごろごろり。甲高い声で絶叫しながら必死に懇願してくる声が、周りを転がっているせいで四方八方から聞こえてくる。ある種の恐怖を誘うそれには、流石の朱雨も耐えきれないようで、大きなため息を長々とはいて、頭痛を押さえるように言った。

 

「はあ…………咎めはせんから、さっさと説明してくれ」

 

「やだ―――――っ!! あたしはまだ綺麗な体でいたいんだ―――――って、いいの? 許してくれるの?」

 

 途端、意味不明な事を叫びつつ転がっていたてゐは、ピタリと止まって朱雨を凝視する。

 

「ああ、だからさっさと説明を」

 

 その視線に嫌な予感を感じつつも、朱雨は説明を催促する言葉を放った。その瞬間てゐの身体が跳ね上がり、朱雨の下腹部を強打した。痛い。

 

「やった―――――!! 死なないで済む―――――!! ありがとう、ありがとう朱雨!! あんたって見かけによらず優しいんだね!!」

 

 そのまま仰向けに倒れこんだ朱雨の上で、てゐは心から嬉しそうに朱雨の胸元にすりついている。嫌な予感があたった、とされるがままの朱雨の顔には眉間に縦線が二つほど増えていた。

 

 ……そのまま十分たった。

 

「……ええい鬱陶しい! 私に擦り寄るんじゃない! 礼はいらんから説明をしてくれ!」

 

 されるがままだった朱雨は、てゐの顔が下腹部より下に行きそうになった辺りで堪忍袋の緒が切れたらしい。立ち上がってなおしがみつくてゐの襟首を掴んで、説明をしてくれと訴える。

 

「ああ! そうだったね! あたしったらすっかり忘れていたよ!」

 

 しかし、それにてゐが答える様子はなく、むしろ上機嫌の極みといった風情だ。そして、地面に降ろされてまた朱雨の胸に飛び込んで――キュピーンと、兎詐欺(うさぎ)の目が怪しく光った。

 

(と、改心したように見せかけて…………)

 

 てゐが朱雨の胸に顔を埋めているため、朱雨はてゐの顔を窺い知ることが出来ない。その事まで計算済みのてゐはにひひと影で笑い、朱雨の胸から降りて太陽のような笑顔で朱雨と向き合う。

 

(ふっふっふっ……甘い、甘い奴だね朱雨! あんたが第一の詐欺を見破る事なんて百も承知! この詐欺は始めから二段構え―――あんたを嵌める為に考え出した、あたし渾身の詐欺だったのさ―――――!!)

 

 だが、腹の内では凶悪な笑みを顔に刻んだてゐが、大魔王の如く高笑いしていた。なんというか、背景に薄気味悪い城と黄色の雷の幻が見える。

 

 詐欺とは「相手を騙す」のではなく、いかに「相手を信じ込ませる」かが重要だ。例えばそれは相手の無知を利用する事であったり、第三者の意見を次々に与えたり、相手に考えさせる時間をあたえなかったり――あるいは、二重に罠を張った先に、詐欺の真髄が見えてくる。

 

「えーっと、貢物の意味が知りたいんだったよね」

 

 この場合、相手を信じさせるという第一段階は既に整っている。てゐと朱雨はそれなりの付き合いがあり、互いに信頼が芽生えている。てゐのいう事なら朱雨も信じるだろう。

 

 そして朱雨は一度騙され、二度目はないだろうと油断している。これはチャンスだ、こちらが反省して真実を話すと盲目している今こそ、最大の好機!

 

「ああ、それとどうすれば洩矢の王国に入国できるか、その知恵も伝授頂きたい」

 

 竹林にもたれかけた朱雨は完全にてゐの話を聞く気になっている。疑っている様子は微塵もない。てゐは腹の内を見せないように慎重に慎重を重ねて、外面を絶対に崩さないように自然を装う。

 

「分かった!(気づいていない……計画通り!)」

 

 準備は整った。後は、朱雨に疑問を抱かせる隙を与えない事がこの悪行の心臓だ。一度見破られてしまえば後はない。故に、絶対の自信がある方法で最善を尽くす。

 

(方法はただ一つ、嘘と真実を織り交ぜた話で一気に畳み掛ける!!)

 

 全てが嘘ならば露見もしよう。だが、真実と嘘が入り混じってしまえば、その内から本当と偽物を見極めるのは難しい。玉石混交の宝石の山から本物を探し出すようなものだ、知識があれば簡単だが、それがなければ鵜呑みにするしかない。

 

 我ながらなんて完璧な詐欺なのだろう、最早一文の隙もない、完全無欠の犯罪ではないか。内心で激しく自画自賛しつつも表に出さないようにてゐはつとめ、最後の畳み掛けの為に気を引き締める。

 

 大きく息を吸い、てゐは両手で頬を叩いた。さあ、準備は出来た。後は仕上げを御覧(ごろう)じろ、あたしの素晴らしき詐欺に引っかかり、その無表情を雨に打たれる砂上の城のように脆く突き崩してやろう!

 

「ではでは、あらためて。まず貢物っていうのはさ、神様や自分の好きな人の気を引く為に色んな物をあげる事を言うんだ。でもそれは大抵の場合人間の心臓百人分とか米俵一俵分の黄金とか千人の生口(せいこう)とか山一つとか無理難題なのさ。でも大丈夫、あたしはそういった無理難題を避けて簡単な貢物で済ませる「抜け道」を知っているからね。でもそれは固く口止めされている事でねおいそれとは言えないのさなんで口止めされているかって言えばたくさんの人たちに知られるとこの方法が使えなくなるからねこの方法を教える為にはあたしの上にいる元締めにちょっとした対価を渡さなきゃならないんだけどあんたとあたしの中だし大体はあたしが出してあげるよでも残りはあんたが支払わなきゃならないけど元締めとはおいそれと会わすわけにもいかないからあたしが一緒に渡してあげるさそれであんたが出す分はね」

 

 ぺらぺらぺらぺらと全く舌を止めずにてゐは言葉の嵐を朱雨の耳に叩き付ける。それを聞き流しながら、朱雨は静かに右手を挙げた。

 

「――てゐ。最近、人間達がこんな(ことわざ)を作っていてな。『仏の顔も三度まで』、だそうだ」

 

 うん、まあ、その、なんだ。てゐ的には完璧な詐欺でも、傍から見れば全くの隙だらけだったわけで。色々と詐欺の真髄だとか朱雨の油断だとか言っていたけれど、それらは大概が希望的観測の、聞きかじった知識を繋ぎ合わせて使っただけでしかなく。

 

 何より、心の絡む事ならともかく、知性を使った企み事なら明確な害として朱雨は対応する。それに、これは極端な方法なのだが、朱雨にしてみれば脳さえあれば、その電気交換から思考を読むなんて馬鹿けた事さえ可能なのだ。

 

「…………ごめんなさい、本当にすいませんでした。だから、その物騒な右手はしまってよ~……」

 

 結果として、てゐの企みは脱力した身体とともに砂上の楼閣と崩れ去った。涙ながらに土下座するてゐを尻目に、朱雨はギャリギャリと凶悪な音を撒き散らす血液で造り出された回転鎖鋸(チェーンソー)を、ため息とともに霧散させた。

 

 

 

 

「…………と。説明はこれくらいで充分かな。あんたが知らない言葉も教えたし、商人になりすます方法もちゃんと教えた。よし、後は朱雨、あんたがあたしの言った通りの事をすれば、洩矢の王国に入れるはずだよ」

 

 日が完全に落ち、ほぼ真円に近い十六夜の月が星の大海に身を乗り出した頃。敷かれた御座の上で最後の説明を終えたてゐは、猪口(ちょこ)の中で揺れる月見酒を飲み干した。

 

「成程……ありがとう、てゐ。助かったよ」

 

 顎に手をあてて胡坐をかいている朱雨は、しばしの黙考の後、礼を告げつつ胡坐の中に座る兎を撫でた。胡坐をかいたまま全く動かない朱雨に兎が擦り寄り、そのまま五匹ほどが朱雨に飛び乗った結果である。

 

 なんていうか、あたしより懐かれているよね、とてゐは呆れ顔だった。そのままふてくされるように酒を呑んで、ちょっと説明がこんがらがったりもしたけど、朱雨はほっとしている。

 

「いや~それほどでもないさ~。報酬は人参百本でいいよ」

 

「了解した。持ちつ持たれつ、平等な関係を保ってこそ共存は成立する。報酬は後日、あらためて用意しよう」

 

「ついでにもち米とお酒もつけてくれると嬉しいな~。…………あれ? もう行くの、朱雨」

 

 けらけらと手を振りつつ、てゐはちゃっかりと報酬を要求した。その辺りは兎詐欺らしく目ざとい。朱雨は少しだけ口角をあげて、兎を丁寧に降ろして立ち上がる。なんか更に要求を重ねてご満悦だったてゐは、立ち上がった朱雨に首を傾げる。

 

「ああ。立ち止っている余裕は持ちたくない。休息も必要ないし、さっさと洩矢の王国にも入りたいしな」

 

 朱雨は少し欠けた月を見上げ、その視線の先に洩矢の王国への思いを馳せる。こうなったら朱雨は梃子でも動かないのでてゐは納得し、急に真顔で朱雨を見た。

 

「そっか……いい、朱雨。何度も念を押すけど、絶対に神様に逆らっちゃだめだよ。相手は一国を治めるくらい強大な神様なんだ。いくらあんただって、戦いになれば無傷じゃすまない。最悪、死ぬなんて事も……」

 

 朱雨を見上げるてゐの眼は心配で満ちている。てゐにだって朱雨の経歴は分かっているが、それでもてゐには心配だ。てゐの情報網には東西の情勢が入って来る。その中には「洩矢の神は、軍神の軍勢と互角程度の力を持っている」という噂が絶え間なく流れ込んでいる。軍神の軍勢が瞬く間に周辺諸国を征服している今、それらと同等の力を持った神であれば、朱雨でも無事では済まないのではないか、と危惧しているのだ。

 

「分かっているさ、神の力は身を以て知っている。せいぜい無力な人間のふりをして、(こうべ)を垂れて()(へつら)おう」

 

 それを分かって、朱雨は優しくてゐの頭を撫でた。てゐの心配は杞憂でしかないが、こうやって身を案じられるのも、悪くない。そんな思いを抱いて。

 

「絶対だよ、朱雨。なんだかんだで、あたしはあんたが気に入ってるんだ。だから絶対に神様に逆らわないで。あたしの知らない所で死んだりしたら、許さないからね」

 

 くしゃくしゃと髪をまぜる硬い感触を受け入れながらも、てゐの瞳から憂慮の色は落ちない。そっと、頭を撫でる手に自分の手を重ねて、もう一度てゐは深く念を押した。絶対に、生きて帰ってきて、と。

 

「……ああ、肝に命じておく。ではな、てゐ」

 

 最後にくしゃりと髪を整えて、朱雨はてゐに背を向けて出口へ向かった。

 

「うん。じゃあね、朱雨……また会おうね」

 

 ぎゅうっと胸に手を当てる。竹林の奥へ揺らめいて行く紅の影を、その色が黒に紛れるまでてゐは見送った。

 

 

 

 

 がらりがらり。道を大きな影が行く。簡素な木車にはたくさんの荷物が積まれ、その上に白い布がかぶせられていた。四輪の馬車が二つ、各二頭の計四頭の鹿毛馬に引きつられて、二人の御者は洩矢の王国を目指していた。

 

 もうすでに見えていた洩矢の王国は、徐々に近づいて行く。左右に続く石造りの塀と、立派な八脚門の前にいる数人の兵士。やがて門の前に辿り着くと、その内からいかつい顔の兵士が出てきて手で制した。

 

「……止まれ。お前、商人か?」

 

 手に持つ長槍は向けないものの、下手な動きを見せたら即串刺しにしそうな威圧感と共に、門番は不審そうな目を向ける。

 

 馬車を引く彼らの格好はこの辺りでは見ない物だ。民草が着けるような簡素な着流しではなく、見るからに上質な着物を羽織っている。その模様や様式は辺り一帯の文化のモノではなく、まるで渡来人といった風情だ。

 

「ええ、旅の商人でございます」

 

 手前の馬車に乗っていた御者――真っ黒な長髪を後ろで束ねた、柔和な目をした男――は馬車から降り、(うやうや)しく一礼した。その奥では同じく上質な着物をまとった紅い髪の御者が両手を合わせて一礼している。

 

 先程、彼らは渡来人のような格好をしていると思ったが、実際彼らは渡来人なのだろう。作法や恰好からそう当たりをつけた門番は、咳払いを一つ、威圧的な態度をとった。

 

「一体何の用でここに来た。ここは我らがミシャクジ様が治める洩矢の王国なるぞ。ここを超えて西へ行きたくば、そこにいる門番から手形を買って王国の外周に沿って行け」

 

 門番は顎を振って後ろの方を示した。そこには筆で何か書かれた長方形の板がいくつかぶらさがっていて、その横に別の兵士が立っている。国の周りを辿るだけならそれで済むだろうと門番は思ったが、黒髪の商人が否定の意を手で示した。

 

「いえ、今日ここへ来たのは、貴国の中で商いが出来れば、と思いまして」

 

「何だと、荷物を見せろ」

 

 洩矢の王国で商売がしたいと商人が言うと、門番は横柄な態度で荷物を改めた。馬車二つ分の荷物なので、何人か兵士を呼んで検分する。乱暴な手つきで白い布をとると、一番最初に鈍色の金属光沢が見て取れた。

 

「……これは、鉄の道具か?」

 

「はい、大陸から仕入れて参りました。他にも大陸の薬、装飾具などを取り揃えております」

 

 門番がそれをとりだしてみると、先が鉄製の(くわ)だった。すかさず黒髪の商人が近くに寄ってきて、荷物――商品の説明を始める。やれ曰くつきの宝石だのやれ高名な刀匠が打った刀だのと口車を回し、うんざりした門番が止めろと言って、黒髪の御者と向き合った。

 

「……我らがミシャクジ様は国の外からやってくる余所(よそ)者を好まない。だが、ミシャクジ様は寛大な御方でもある。国の中央にある神社まで行き、貢物を献上すれば王国内の商売も許されるだろう」

 

「はい、それは他の商人仲間からも聞き及んでおります。それで、ミシャクジ様に献上する貢物ですが……私の商品の半分ではどうでしょうか?」

 

 そう言って黒髪の御者は手前の馬車を指さす。門番はもう一度馬車の中をあらためて顎をさすった。

 

「ふむ……見たところ、馬車の中いっぱいに商品があるようだな。いいだろう、入国を許可する。おい、この者達に入国手形を作ってやれ。それから見習いの兵を呼んで、ミシャクジ様の住まう祭壇まで案内させろ」

 

 見たところ武器の類を持っているわけでもないようだし、彼らなら通しても問題はないだろう。門番はそう判断して、迅速に支持を出した。

 

 人の五倍はあろうかという大きな門が開かれ、二台の馬車と武装した兵士が通る。後ろから門の閉じる重苦しい音が聞こえた後、御者はふう、と一息ついた。

 

「……ようやく入れたか。いやはや、なんとも厳重なものだ。武器の類を持ってこなくて正解だったな」

 

 そう言って御者――神亡朱雨は背後の荷物を見た。そこにあるのは農業の用具や装飾品ばかりだ。武器になりそうなものは農業用具だが、さすがにそんなものでは武装した兵士に敵わないだろう。

 

 朱雨は正面に向き直って馬を制御する作業に戻る。兵士達は馬車の周りを歩いているが、こちらの監視も担っているようだ。厳重だな、と朱雨は嘆息し、遠くに見える巨大な影を幻視する。

 

「ほう、あれが―――ミシャクジか。天災地変の蠱毒と聞いていたが、それ以上の呪詛の塊だ。しかし……それでもあれは、一つの生き生きとした生命なのか」

 

 蛇のような、蛙のような、呪い殺す為だけの神。いかにしてあれが生まれたかは定かではないが、少なくともこの地へ足を運んだのは無駄にはならなさそうだ――瞳に映る曖昧な影に、朱雨は静かに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 


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