雪の降る日。
幻想郷では毎年のようによく見ていたが外の世界では珍しいらしく、連日ニュースなどでも大きく取り上げられている。
なんでも数十年に一度規模の大雪らしく、電車や飛行機の運行見合わせや車でのスリップ事故、歩いての外出なんてもっての外だ。
パチュリーたちの住んでいるボロ屋も大雪の被害に対しては決して関係ないわけではない。
二人が住めればいいということだけで選んだ場所もあり、このような寒い日には隙間から寒気が入り込んでくる。
正直寒い。
物凄く寒い。
夏は暑く、冬は寒い。
なんとも住みづらい場所に腰を落ち着かせてしまった同居人と話していたことがあったが、金銭面の問題が上がると二人揃って途端に言葉をなくした。
それもこれも予想以上にこちらに残っていることが原因だ。
本来偶然やってきただけのはずで、滞在期間も精々数ヶ月程度だったはず。
それがあれやこれやとずるずると長くなり、気が付けばもう半月もの時間が経過していた。
こちらに来たときは暑苦しい夏のはずだったのに、今では冬だ。
通りで寒いはずだと紫陽花色のした少女――パチュリーは内心で思う。
そもそもパチュリーは幻想郷にいた頃から紅魔館の大図書館に引きこもっていたので吹雪に見舞われたことがなく、これほどの積雪の中で出歩く経験自体が初めてだった。
そして出た結論が、
――家から出るのはバカのやること。
という結論に至った。
だから今現在もパチュリーは室内にいる。
だがここで一つ問題がある。
家から出るのはバカのやること、というのがパチュリーの思い至った森羅万象揺るぎない事実だ。
それはいい。
しかし彼女の住むボロ屋はどっちにしろ寒いのだ。
部屋の中にいる時も常時マフラー防寒具着用は当たり前。
夏には我慢し、耐え抜いたはずのエアコンだが使わなくては死んでしまうとすぐさま導入された。
導入してさえ、隙間から入ってくる寒気の風には対抗できず正直に言って住んでいられないという状況に陥っていた。
そんな彼女が現在温かい家の中で優雅に本を読んでいるのは何故か。
彼女がいるのは広いリビング。
そこにあるソファに腰掛け、ハードカバーの書籍に目を通している。
机には白い湯気を躍らせる紅茶が置かれ、今までの生活とは逆転したかのような生活の風景がそこにあった。
一体何が起こったのか。
「こら」
「む」
ぽん、とパチュリーの頭に何かが当たった。
痛くはない。
恐らくは雑誌を丸めた物だろう。
「勝手に紅茶なんて入れちゃって」
「棚の奥にあったわ。紅茶の茶葉も飲まれることを待っていたわ」
「どんな言い訳よ」
パチュリーの言葉に苦笑するのはソファの後ろに立つ女性。
片手には丸めた雑誌を持ち、空いた片手は腰に当てている。
その女性を一言で表そうとするなら大和撫子。
背が高く、整った顔立ちで長い髪を後ろで一つに纏めている。
豊満な胸は母性を強く感じさせ、歳はまだ二十代前半だろうが大人の魅力が既に溢れ出ている。
「全く、今からやるのに紅茶なんて入れたらすぐに始められないでしょ」
「……本当にやるのかしら?」
本を閉じてパチュリーは女性を見る。
その瞳は明らかに面倒だと言っている。
「当たり前じゃない。今もこの大雪の中で貴女の為に頑張ってくれてるんだから、それくらいやってあげても罰は当たらないわよ」
ほらほらと、女性は本を取り上げる。
あっ、とパチュリーは手を伸ばすが女性の腕の方が早く、頭上にまで持ってこられるとパチュリーではもう届かない。
本を見つめるその表情はまるで餌をお預けされた子猫のようだ。
「それに貴女は家事を手伝うって約束だったでしょ?」
「…………」
ぶすっとしたような視線を向けるが女性はそれに対してにっこりと笑いかける。
パチュリーとしてもそれを言われると言い返せない。
現在パチュリーは居候の身なのだ。
パチュリーと同居人が住んでいたボロいアパート。
建て付けが悪すぎるということで管理人が工事の者を出したのだ。
当然そうなるとそこに住んでいた二人は住む場所がなくなった。
どうするか悩み、いっそのこと幻想郷に帰ろうかとなったところで今パチュリーの目の前にいる女性から声が掛かったのだ。
彼女はパチュリーが初めて友人となった外の人間だ。
ボロアパートの近くに大きな一軒家を構えており、既婚者でもある。
人当たりの良い彼女は外に出たてだったパチュリーに声を掛け、親切にしてくれたらしくそれ以来の付き合いだ。
無愛想なパチュリーにも嫌がらずに接してくれ、出不精だったパチュリーを外に連れ出してくれたりもしてくれていた。
そんな彼女が声を掛けてくれ、同居人共々修繕が住むまで彼女の家に厄介になることになったのだ。
ただ厄介になるだけではいけないということで同居人は二人分の家賃を払い、パチュリーは彼女先導の下で家事をするという約束があり今に至る。
そんな彼女に言われてしまうとパチュリーも断りにくい。
彼女は外の世界での唯一の友人なのだから。
「せめてこれだけは飲ませてほしいわ」
「ならそれを飲み終えたら始めるからね」
「えぇ……っ」
「ふふん」
返事を返しながら徐々に下がってきた本を取ろうと手を伸ばしたが、女性もその行動を読んでいたようで再び高くあげられてしまう。
悔しがるパチュリーの表情を見て、女性はしてやったりという表情を返す。
少し膨れながらもパチュリーは渋々座り直し、紅茶を飲み直す。
「なんだかいつも貴女の思いつきに振り回されてる気がするわ」
「友人なんてそんなものよ。それとも迷惑かしら?」
姿形は全く違うのにこちらを構ってくる様子は同じ。
こういうやりとりも懐かしいなと思い、少しの笑みを零してしまう。
「いいえ、友人に振り回されるのは慣れてるから」
「じゃあその友人に感謝しなくちゃね」
「そうしてあげて」
……レミィは今頃どうしてるかしらね。
そんな風に思いながらパチュリーは紅茶を飲みほした。
「パチュリーはこういうの本当に苦手よね」
「うっさいわね……」
くすりと笑いながら言われた言葉。
実際苦手なので言い返そうともぼそりと小さな声でしか言い返せない。
たん、たん、た、ん、と鳴る音とは別にたんたんたんとリズム良く、それでいてスムーズな音が不協和音を掻き消す勢いで鳴り響く。
エプロン姿に三角巾を付け、手に包丁を持ったパチュリー。
パチュリーはそっと自分の手元に視線を落とす。
そこにはガタガタに切れた食材。掠れて飛び散った後。
それを確認し、視線を横へとスライドさせていく。
見えるのは友人が手早く綺麗にどんどん作業を終わらせていく姿。
まな板の上には綺麗に細かく刻まれた食材。
まさに雲泥の差というやつだ。
パチュリーは口を開――
「手伝わないからね?」
「……」
開こうとしたがそのまま噤まざる負えなかった。
……こういうところがレミィとは違ってやっかいね。
パチュリーの親友は吸血鬼という種族故に身体スペックは非常に高い。
しかしそれだけだ。
基本的に何か思いついた時などはパチュリーやメイド長に任せっきりなところがある。
だからこちらは優位に立てるし苦手なことはメイド長にその役目を投げつけたりすることが出来た。
けど今パチュリーの横にいる彼女は違う。
全てにおいてハイスペックでその上家主。
パチュリーのわかりやすいように例えるとメイド長の手際の良さと親友の突拍子のない思いつきをいきなり言ってくる二つを合わせた感じ。
……なによその完璧超人。
勝てないはずだ。
パチュリーが優位な位置に立てていたのは技量と地位のどちらか片方でも勝っていた為であり、今はその両方で負けているのだから。
なのでパチュリーも大人しく自分の前にある飛び散った食材たちと格闘しなければならない。
「大丈夫よ。手伝ってはあげないけどちゃんと教えてあげるから。作り方はさっき一通り言ったけど簡単でしょ?」
「出来る者には簡単でしょうね。私の目の前の惨状を見てもまだそれを言うなんて貴女も節穴じゃないかしら」
「またそんな捻くれたようなこと言って……大丈夫よ、どうせ後で溶かすんだから」
そんな会話を続けながらも二人の作業は続いている。
作業スピードは明らかに友人の女性が早いがそれでもしっかりとパチュリーの進行具合に合わせて行っており、パチュリーもどうにか進めていくことが出来ている。
「ほら、私のも一緒にしてるんだから焦がさないようにしっかりかき混ぜて」
「……一緒なら貴女がすればいいじゃない」
「私はいいの」
「不当な労働だわ」
「あのね、こんなことで労働だなんて言ってたら世の中生きていけないわよ?」
呆れる女性を余所にパチュリーは文句を垂れながらも鍋をかき混ぜる。
こういう作業はこっちに出てきてから幾度か経験があるので割かし得意な方だ。
幻想郷にいた時もかき混ぜるという行為自体は何度か行ったこともある。
その後に失敗しているのだが。
ともかく最近では家事も手伝わされるのでこの程度では息切れなどすることはなくなった。
それでも動き回ることは遠慮したいらしく、外に歩き回ると再び以前のもやしと化してしまう。
パチュリー個人としてはもやし上等なのだが周りはどうもそれを直したいようで随分とお節介を焼いてくる。
今回のこれも別の問題とはいえ、全ては彼女がお節介を焼いた結果だ。
「私は別に市販の物でいいのに……というよりむしろ何故私が」
「そんなこと言うの禁止ね。それに、どうせだったら作った方が良くないかしら? 貴女も自分の手料理を食べてもらいたくない?」
「私は別に……」
そう言葉を返し、特に変化が見えないように思えるが見る者が見ればその考えは全く変わってくる。
今のところ幻想郷以外でパチュリーの表情を正しく見分けられる人間は二人しかいない。
「ふふっ」
「……なによ」
「なぁんにも」
その内の一人が今もパチュリーの横でニヤニヤしている女性だということは今更言うに値しないだろう。
「ほらほら、もうかき混ぜるのはそれくらいでいいから。そっちにあるのと混ぜて」
彼女の言葉を誤魔化すように急かされ、パチュリーは鍋からボウルに移し、作業を続ける。
ゆっくりと腕を動かしダマになっている箇所を溶かしていく。
「ん、っしょ」
弾力があるようでゆっくりと大きくかき混ぜる行為はそこそこに力が必要となる。
パチュリーは額に汗を浮かばせながらひたすらにかき混ぜていくが、腕の動きも時間が経つとともに動きが小さいものへとなっていき、息も途切れてきている。
苦しそうな表情を浮かべるパチュリーに友人は心配そうに声を掛ける。
「大丈夫? 少し休憩してもいいのよ」
言ってから思う。
そんな言葉を掛ける気はなかったのだがついつい甘やかしてしまうと。
けど少しずつやっていくことも大事なことだ。
徐々に慣れていけばいい。
そう思ったのだが。
「いいわ、あと、もう少し、なんでしょ」
言葉を途中で切らしながらかき混ぜることをやめない。
そんなパチュリーの姿を見て彼女は思わず嬉しくなる。
今どんなことを頭に思い浮かべてかき混ぜてるのか。
きっと自分が作ってる時と同じようなことを考えているんだろうなと思いながら。
「それじゃあそろそろ混ぜるのもやめて型にはめましょうか」
「ようやく、ね」
ここまできたら後は型番にはめて冷やすだけとなり作業工程もその殆どが終了している。
パチュリーも額の汗を拭う。
「それじゃあこれに入れていってね」
「えぇ――って、なによこれ」
パチュリーは友人に差し出された型番を受け取り――訝しむような顔で彼女を見上げた。
どういうことなのだと。
対する本人はと言うと微笑しながら首を傾げている。
「ん、何かおかしい?」
「おかしいわよ。何よこの型」
手渡された型番――大きなハートの形をした型を見ながらパチュリーは友人を睨みつける。
「何って……ハートじゃないの?」
「なんでこんな形のものなのよ。もっと普通な感じのはないの?」
「普通ってどんなのよ」
「……普通って言えば普通よ」
顔を逸らしながらそう言ったパチュリーはニヤニヤしている友人の顔に気が付かない。
自分の顔が少し赤みが帯びているのも気が付かない。
それを見ながら、友人である彼女は嫌らしい笑みからふっと優しげな笑みへと変わる。
「少しは自分の気持ちに素直になってみなさい。彼も、その方が嬉しいと思うわよ」
「…………」
まるで妹に言い聞かせるような言葉にパチュリーは一層顔を赤く染め上げ俯く顔を小さく縦に振る。
そのまま手に持った型番を台所に置き、ボウルの中身を入れていく。
小さな手の中から溢れ出るような液体はみるみると体積を増やしていき、すぐに型番一杯にまで溜まる。
「じゃあ冷蔵庫に入れて冷やしましょう」
ここからのパチュリーはずっと無言だった。
俯き加減の表情は良く見えないが、チラリと見えた表情に友人は満足げな顔をしている。
壁に掛けた時計に目をやる。
今から六時間くらいで固まるだろう。
その頃にはもう男衆も仕事から帰ってくる。
去年も今年と同じようなことをしたのを覚えている。
夫は大層喜んでくれていたが今年も喜んでくれるだろうか。
パチュリーも頑張って作ったのだ。
きっと彼の方も喜んでくれるに違いない。
「ふふ、人を想って何かを作るって本当に素敵なことね」
左手に輝くリングを見ながら、彼女は愛する者の帰りを待つ。
そしてそれはパチュリーも同じ。
疲れ切ったのかむきゅーとそのままソファに倒れ込んでいる。
だがその顔はどこかやりきったような、全てが終わったような、そんな表情をしている。
一番の本番をこの後に控えていると言うのに気付くのは、帰ってきたことに気が付いた時だと言うのは良くある話――
『これくれるのか?』
『……彼女が作ってやれってうるさいから』
『嬉しいよ』
『…………』
『あ、これハート』
『そ、それはその型番しかなかったからで!』
『ありがと。大好きだよ』
『…………恥かしいこと言わないでよ』
友人にも一応イメージしてたキャラはいます。
この作品とは別に東方家政夫録も更新していますのでよろしくお願いします。
パチュリー可愛いよパチュリー。