何が起きたのかさっぱりわからなかった。
芝山さんが“織斑千冬”名を出した時、一夏が発狂した。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
お姉ちゃんやお父さんから一夏の事はある程度は聞いていた。あの織斑千冬の弟だったってことも、知ってる。でも、どうして? 忘れてしまったはずの姉の名前を聞いただけで、あんな……普段じゃ考えられないくらい取り乱して、感情が表に出るの?
「大丈夫、姉さんがいるから」
私には分からない。でも蒼乃さんは分かっている。私よりも、多分お姉ちゃんよりも、誰よりも一夏の事を知ってて、理解して、愛してる。不謹慎だけど、ほんの一瞬だけ私は嫉妬した。
そして驚愕に変わる。
一夏が蒼乃さんを突き飛ばして、赤い液体を撒き散らした。
「え?」
一夏の胸から剣が生えてきたのだ。……いや、あれはISのブレードだ。少し細めだから多分機動性重視の機体だと思う。そんな場違いの事を考えていた。というより、現実逃避だったのかもしれない。
嫌でも現実に引き戻されるわけだけど。そして、それが夢でないことも思い知らされる。
振り抜かれるブレード、慣性に従って飛ばされた一夏は私の真横を通ってガラスを突き破り、下へと落ちていった。大量の■を撒き散らしながら。私の髪を、顔を、服を、赤いまだら模様に染めて。
「あ、ああ……」
ゆっくりと、顔に触れる。ねっとりとした生温かい感触が手のひらと頬に広がる。そのまま手を顔の前に持っていく。■で真っ赤に染まった手だ。顔を、目を動かす。私はどこもかしこも■で染まっていた。
顔を上げる。少し離れたところには私と同じように■まみれの蒼乃さんと、謎のIS。そのISのブレードも■でぬらぬらと光っている。
そしてそこから私の所へ■の道ができていて、私の左側を通って……通って下へ、落ちた。
「ぃやぁ……」
■が……一夏の、■が、大量の血が、そこらじゅうに、私に、蒼乃さんに、ブレードに。多量出血に、強化ガラスを破るほどの衝撃、そして階下への落下。
つまり。“死”。
「いいやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
そんなはずない! ちょっと物覚えが悪いけど、一夏の力は誰よりも強い。お姉ちゃんよりも、お父さんよりも、そして蒼乃さんよりも。銃弾を見て避けたりすることだってできる。一夏が誰かに負けるなんて、死んでしまうなんてありえない。
だって、私のヒーローなんだから……。
「一夏っ! 一夏あああああああああああああああああぁぁ!!」
きっとすぐそこに居るんだ。下に落ちたりなんてしてない、淵に捕まったりしているんだ。もしかしたらガラスの向こうはそんなに深くないかもしれない。
ぱしゃぱしゃと音を立てながら血の道を転びそうになりながらも駆ける。膝と両手をついて四つん這いになり、下を除く。
視界が涙で滲んでいても分かるくらい真っ暗だった。この穴に面している研究室はここだけじゃない、それでも、光はこの穴の底まで照らしていない。つまり、それほど深いということ。
一夏は、底が見えないほど深いこの穴の底まで落ちていったことを理解した。
「一夏ぁ! 一夏ぁぁぁぁ!!」
そこに向かって手を伸ばす。そのままこの穴に落ちてもかまわなかった。
「危険です! 下がってください更識さん!」
「うるさい! 放せ!」
「絶対に放しません! そのまま落ちてしまう事を彼が望んでいると思っているんですか!?」
「ッ!? ……ぅぅぁぁぁあああああああああああああああ!!」
卑怯だ。そんなこと言われたら何もできない。
そうだ、私は何もできない。あの時一夏を受け止めていたら何か変わっていたかもしれない。もし、私が今すぐに『打鉄弐式』を使えたら下まですぐにいけるのに。蒼乃さんの援護に行けるのに……。
また、何もできない。守ってもらうだけ。それが嫌で仕方無くて、私は代表候補になったのにまったく変わって無い。
「何が…代表候補生よ……」
「そんな言葉は軽々しく吐いていいものではありませんよ、お嬢様。その代表候補生になれなかった人たちは山のようにいるのですから」
「!?」
ありえないはずの声。いや、違う。聞えて当然の声が聞こえた。涙は一瞬にして晴れて、満面の笑顔になっているのが自分でもわかる。多分、代表候補生に選ばれた時よりもいい顔をしてる。
「一夏!」
「はい」
一夏は帰ってきた。光沢の無い真っ黒なISを纏って。いつもの無表情で。
「こんな私の為に泣いてくださるのは嬉しいですが、飛び下りようとしたことはあまり感心しません。もっと自分を大事にしてください。ISや私と違って頑丈では無いのですから」
「うんっ!」
「……やれやれ」
いつものお小言も全然気にならない。むしろ嬉しかった。
ぎゅっと抱きつく。ついさっきまでは手を握るのすら恥ずかしかったのに、力いっぱい抱きしめて頬ずりしても何にもない。むしろ気持ちがいい。ISの装甲がちょっと痛いけど。
……IS?
「一夏、どうしてISを?」
「下に落ちたらISがあったので拝借してきました」
「あ、あはは……」
相変わらずの常識破りだった。一夏、ISは女性しか扱えないって知ってるのかな?
「蒼乃さん! 避けて!」
芝山さんの声につられてそちらを見る。
蒼乃さんは武器も持たずに敵に突進していた。
「簪様、少々お待ちを。蹴散らして参ります」
「あ、一夏!」
一夏はブースターを吹かして飛び出していった。そのまま敵の横に回り込み、飛び蹴りをして蒼乃さんを助けた。そのまま2対1で戦闘が再開する。
数では有利だ。でも、一夏は多量出血で身体が危ない上にISに乗ったばかり、蒼乃さんはなぜか武器を展開せずに素手で立ち回って、一夏を守っている。攻め手が無い。互角、もしくは不利な状況だ。
「芝山さん……」
「何ですか!?」
芝山さんは研究員の避難と機材の搬出を急がせていた。泣き叫ぶだけの私とは違った大人の対応だ。忙しかったのに私に気付いて助けてくれるあたり、この人は思ったよりも凄い人だと思う。
「どうして、蒼乃さんは武器を展開しないんですか?」
「ちょっと待ってください……安立、少しの間任せた! ……で、なぜ蒼乃さんが武装展開できないかでしたね。『白紙』に搭載されている武装はただ一つだけ、『災禍』と言う物です」
「『災禍』?」
「ええ。『白紙』を第3世代型たらしめる武装。恐らく、現時点で世界一の武装ですよ。数千数万のクリスタルと、その倍以上のナノマシンを使って、搭乗者が思い描く武器を再現する武装です。ナイフから核弾頭、衛星砲まで何でもござれの万能兵装。『白紙』の第3世代とは言えないほどの異常な機体性能と合わせて、近接、中距離、遠距離、狙撃、援護、遊撃、爆撃とあらゆる戦闘行動をこなす事ができ、蒼乃さんの実力もあってかなり強力な機体に仕上がっています」
「……それってもう第3世代じゃ、無い気が……」
「私もそう思いますよ。いっそ第4世代を提唱しようかと思ったくらいです。……話が逸れましたね。さっきも言った通り、『災禍』は搭乗者が思い描く武器を作りだすわけですが、そんな夢のような武器を簡単に扱えると思いますか? 各国の第3世代型兵装を思い出してみてください。なんとなくわかると思いますよ」
各国の……。イギリスのBTビット。中国の衝撃砲。ドイツのAIC。ロシアのアクア・クリスタル。オーストラリアのナイトメア。
………。
「ものすごい集中しないといけない?」
「正解です。簡単なものならそうでもないかもしれませんが、銃のような複雑な構造をしたものはかなりの集中を要します。常人でしたら脳の神経が焼ききれるほど、です」
「今の蒼乃さんは、一夏が来たことで混乱してる?」
「そんなところでしょうね。いくらあの『神子』でも、弟さんの事になると年相応のお姉さんですから」
蒼乃さんの両手が靄につつまれているのがそうなんだろうか。非固定物理シールドを上手く使って攻撃と防御をしているけど、なかなか押しきれない。
流石の一夏もISには慣れないみたい。PICとブースターを使って移動するから、筋力で素早く動くことが得意な一夏には難しいはず。何度もこけそうになったり、上手く滞空できていない。
あと1つ。状況を動かすだけの何かがあれば、敵を撃退できる。でもそれはISでなければならない。そして、私には無い。
(また、何もできないままで終わるの?)
それは、嫌だ。もうあんな思いはしたくない。
『おい譲ちゃん、あいつら助けたいんだろ? ちょっとこっち来な』
「え? 今の……何?」
どこからか声が聞こえた。芝山さんは作業に戻っていった、他の研究員の人がこんな状況でそんな事を言うとは思えない。
周りを見渡す私の視線が『打鉄弐式』に、焦点が合う。
何かに導かれるように、ゆっくりと歩き出した。
ざしゅっ!
耳に悪い音を、けれども聞きなれた音が自分からした。そちらを見ると、どうやら廃材のようなものが俺の腹から突き出ているようだ。さっきの剣と合わせて、2ヶ所の風穴が開いたことになる。
「痛ぇ……」
久しぶりの感覚だ。銃で撃たれて、ナイフで切られてが当たり前だったのに……この1年で随分と温くなったもんだ。
とはいえ、流石に心臓ギリギリを貫かれた時はかなり焦った。ガラにもなく終わったとすら思った。まぁ、終わりそうなんだが。人間辞めた俺でも、これは致命傷だった。多量出血で死ぬだろう。
そんな俺が考えていたのは、出会った人たちの事と、その人たちとの思い出。
楯無様と簪様。俺に感情を取り戻させてくれた恩人であり、仕える主。“呪い”によって従わされていたが、今ではそんなものが無くても2人のお嬢様の命令は聞く。人柄に惹かれたのか、俺の事を人として扱ってくれるからなのか、助けてくれたからなのか、下っ端根性が染みついたからなのか、よくわからないが付いて行こうと思わせてくれる。迷惑をかけられたり、からかわれたり、なぜか俺が説教をしたりと色々あったが、俺は楽しかった。顔には出さないけどな。
姉さん。どんな時でも傍に居てくれて、助けてくれた。あらゆるモノを共有し合う愛する家族。姉さんがいなかったら、俺は死んでいた。精神的にも、肉体的にも。多分、耐えきれなくて森宮を抜けだして、捕まって、また実験道具に逆戻りだっただろう。姉さんがいたから生きたいと思うようになったし、生きてこられた。これからもそうだろう。俺は姉さん無じゃ生きていけない。………こんなこと本気で思うからシスコン呼ばわりされるんだろうな。胸を張ってシスコンだと言うけどな。
そして、マドカ。俺の血のつながった本当の家族(姉さんだって本当の家族だけど)。恥ずかしいことに、言われるまで思い出せなかった。きりっとした雰囲気だけど、どこか可愛らしい俺の自慢の妹。姉さんが俺を愛してくれるように、俺が姉さんを愛しているように、俺はマドカを愛している。あんなクソみたいな施設で、毎日苦痛しかない場所でも、俺が俺でいられたのはマドカがいたからだ。初めて会った時に大声で「兄さん!」といって泣きながら抱きついてきた時は驚いた、が、それと同時に壊れ始めていた頭でも理解した。こいつは……マドカは俺の妹なんだ、って。理由も根拠も無いけど、そうだ、と確信を持てた。今なら分かる、“家族の絆”ってやつだ。森宮に救い出された後、まだマドカを覚えていた頃、施設跡まで行ったことがある。見覚えのある奴の死体ばかりが転がっていた。だが、マドカはそこにはいなかった。そして、死体の数と、収容されていた子供の数も合わないことから、誰かが助けた、もしくは逃げ出したと推測をたてて、会える日を待ち望むようになった。忘れたんだけど……。
会いたい。
もう一度、なんて言わない。何度でも、あの人たちに……家族に会いたい。
生きたい!
「う……ああああっ!」
廃材をへし折って、身体から引き抜き仰向けからうつ伏せになる。どれだけ醜くたっていい、どうせ誰も見ちゃいない、生きて帰る、戦っているであろう姉さんを助けて、簪様と家に帰って、何事も無かったように楯無様と電話して、マドカを探す。
人間辞めた俺なら、救いようのない“無能”でもそれくらいの事できるはずだ。
『おや? 人間ですか?』
「………誰だ?」
『あなたの左手がさわっているモノですよ』
血まみれの左手を見る。そこには光沢のない黒い何かがある事しか分からない。明りが無くても俺には問題ないのだが、血を流し過ぎたせいであまり見えない。
「スマン、よく…見えない」
『まぁ暗いですからね、ここ』
「そう言えば、ここは…どこ…なんだ?」
『良く言うならリサイクルBOX、悪く言えば粗大ごみ捨て場。ここは日本中の研究所から廃材や使えなくなったモノが送られて来て、捨てられているんです。それを倉持技研の技術者は再利用している。そんな場所ですよ』
「で、お前は?」
『ISです。名前はありません。実験機だったのですが、ここにポイされました。私、悲しさのあまり泣いちゃいます。よよよ』
「随分と面白い奴……なのはよくわかる一言……を、どうもありがとう」
だが、ISは喋ったりするのか? 俺がおかしいだけなのか? というか何故ISが捨てられている?
『疑問にお答えしましょう』
「心を読むな…」
『誰もが持つであろう当然の疑問ですよ。まず、私がここに居る理由から。様々な装備を搭載し、ISという存在の限界を探る為のIS、それが私です。実験が進み、他のISとの平均値を取り、ある程度理解した研究者達は私をこうして捨てました。そして、私がこうしてあなたと話す事ができるのは、研究者達がアホなことにコアを抜き忘れていたから。あなたと私が“シンクロ”しているからです』
「“シンクロ”?」
『ISは進化し続ける未知の存在。“クロッシング現象”通称“シンクロ”もその未知の1つです。ある一定の条件下において、ISと搭乗者、ISとIS、搭乗者と搭乗者の意識が対面、会話、一時的に融合することを指します。条件は私達でも把握しているのはほんの一部のみです』
「なるほど、俺とお前は…“シンクロ”しているからこうして……話せるんだな」
『そういう事です』
………これはチャンスじゃないか? ISを使えば上に上がれるし、敵を撃退できる。更に上手くいけば、姉さんやお嬢様達と同じ世界に入る事ができる。これからもお守りすることが……恩を返す事ができるかもしれない。
何故ISが女性にしか扱えないのか。それは知らないが、こうして対話すれば男の俺でもなんとかなるかもしれない。
「頼みが…ある」
『私を使いたいと?』
「ああ…」
『そして乗り回した揚句私を捨てるんですね! あの男達みたいに! うう…私、悲しいです。あうあう』
「冗談なのか…真剣…なのか分からない事を…言うなっての」
『冗談です☆』
「ったく……見ての通り、俺は…死にかけだ。だが、こんなところで…死ねない」
『何故、と聞きましょう。久しぶりの会話で私のテンションは高いのです』
「守りたい。家族を。姉さんを、主を。そして、生き別れた妹を探したい。それに、上で姉さんは戦ってるんだ」
『………』
「俺は“無能”呼ばわりされてる…人間辞めたクズだ。そんな俺に…愛情を持って育ててくれた人がいる、俺を人として見てくれる人がいる、こんな俺を自慢の兄だと言ってくれた人がいる。だから、生きたい。その人たちの為に、生きたい。その人たちの為に、恥じない俺になりたい!」
誰にも語ったことのない俺の……森宮一夏の本音。だから俺はここにいる。他のどこでもない、森宮の一族に。
『覚悟は?』
「ある……この命、惜しくは……ない!」
『良いでしょう! あなたを認めます。名は?』
「森宮一夏」
『搭乗者登録、森宮一夏。さぁお乗りください
「ああ、ありがとう」
殆ど見えなくなった視界が光りに包まれていく。余りの強さに目をつぶった。網膜を焼いた光に次いで、身体に何かがフィットしていく感覚。数秒経って目を開くと、俺の左手下にあった何かは無くなっており、俺が纏っていた。
ゆっくりと立ち上がる。傷の痛みはあるが無視する。一回り身体が大きくなったような感じがする。視線が高くなったからかもしれない。
見えなくなっていたはずの視界は鮮明になっており、光源の無いこのゴミ箱でもはっきりと何があるか分かる。上を見上げれば簪様がこっちに向かって手を伸ばしているのが見えた。
「凄いな……俺の眼よりもいいぜ」
《ISは宇宙空間での活動をコンセプトに作られた物ですから、このくらい当然です。さぁ、飛びましょう》
「ああ。……っと、その前にだ。お前の名前は?」
《ありません。名無しのISです。まったく、研究者達は気が効かないですよね。こんな可愛らしい乙女をほうってポイするんですから》
「お前が何に怒っているのかよくわかんねえ。んじゃ、俺が決めるぞ?」
《どうぞどうぞ、あなたは私のマスターですから。カッコ可愛い名前を希望します》
装甲を見る。鈍さも光沢も無い装甲。そして、こいつが今までいたこの空間を見渡す。何もかもが真っ黒だった。飾り気なんてカケラも無い。その分、性格ははっちゃけてるけど。
影、闇、夜。そんな言葉が、俺とこいつにはふさわしい気がする。
「よし、決めた。だが、あんまり期待するなよ」
《じゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃかじゃか》
「ドラムロールを流すな」
《てーてん!》
「………ったく、いくぞ『夜叉』。捨てられたもの同士、仲良くしようぜ」
《………ふふっ、そうですね。使うだけ使われ、ボロ雑巾のようになるまで酷使され、用済みの乾電池のようにポイされた者同士、仲良くしましょう。マスター》
「そこまで言ってねえよ」
地べたを這いずる様に生きてきた“