現時刻は早朝の五時半頃。夏ということもあってこの時間でも暑く、ただ立突っ立っているだけでも汗がにじみ出てくるような陽気だった。
服に汗の不快感が出る前に『清めの炎』を使うことによって、それを回避すること数十回。ようやく目的の人物が現れた。
「あ、あれ、モウカ、さん?」
息を切らしてやってきたのはジャージ姿の悠二くんである。
「ど、どうしてここに?」
悠二くんは膝に手をつき、息を整える。
「ここ」というのは、俺が待っていたのは悠二くんの家の前である。昨日、話したばかりなのに、どうしてここにいるのかと疑問を持ったのだろう。
「ちょっと挨拶をしようと思ってね」
「挨拶、ですか?」
「そう、お別れのね」
俺がそう言うと、悠二くんは一瞬目を見開くと慌てて、バッと一気に距離をとった。
相手の動きを一切見逃さないようにこちらを観察する姿は、普段のありふれた高校生らしい姿とはかけ離れたものだった。修羅場を超えたことが、彼にこういった異常事態になりかねない事態への姿勢を作ったのかもしれない。
それにしてもこの切り替えの早さ。ほとんど一瞬で『お別れ』の示す意味の可能性について、分かったのなら並の頭のキレではない。
俺よりも頭良さそうだな……軽く凹みそうだ……
「うーん、あー、勘違いさせたみたいで悪いけど、
「本当に
「仮にそうだったとしたら、わざわざ二代目の目が届きそうなところでやると思うかい?」
つい最近に「壊すのも手段」という話をしたばかりだったから、デリケートになっているのだろう。
昨日の話でも、結論を出せていないことからの焦燥もあってのことだろう。
「……分かりました」
納得してくれたようで警戒を解いて、元の距離に詰めてくれた。
「じゃあ、お別れっていうのは」
「俺とリーズがこの街から離れるってことだね。昨日に通達が来てね。スイスのチューリヒに行くことになった」
スイス、チューリヒ、と悠二くんは小さく呟く。
意味するところがいまいち分かっていないのだろう。いつ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``がやってくるかも分からない状況で、街を離れる意味が。
「チューリヒには欧州の外界宿(アウトロー)の総本山と言っても過言ではない場所があるんだ。外界宿については知ってる?」
「ええと、すみません、あまりは」
「簡単に言うとね、フレイムヘイズにお金を供給したり、新人を育成する場所かな」
「フレイムヘイズの会社みたいなものですか?」
「……言い得て妙だね」
外界宿が会社だなんて、悠二くんは面白いことを言う。
外界宿が会社ならフレイムヘイズは社員か。ドレルが本社の社長で、俺は支社の社長になるのか?
いや、表の立場的にはドレルよりも上扱いされることもあるから会長とかオーナーとか大株主とか、そんな感じか。
なんにしても、俺なんて肩書きだけのドレルの都合の良い人形かも知れないが。
「そんな会社の本社、とでも言えばいいのかな。そこにお呼ばれしてね。相談相手になると言ったのに、ごめんね」
「いえ、それはしょうがないこと、ですし……」
「まあ一時的に会議に参加するためだから、帰っては来るよ。だけど、その時には覚悟を決めておいて欲しい」
悠二くんは一度黙りこんだ後、急に「あ!」と声を上げた。
「その会議っていうのは!?」
「うん、そういうことにもなるかもしれないって話だね」
本当に頭のキレがすごい。
東京にいる自分がわざわざ出向いて、外界宿の総本山で会議をすると言っただけで、『零時迷子』についての談義が行われるかもしれないと察しを付けた。
「前にも言ったけど、何が正解かなんて分からない。でも、『大戦』だけはなんとしても防がなくちゃいけない。君が好きな二代目だって、大戦が起きれば死んでしまうかもしれない」
「す、好きってシャナとはそういう関係じゃ……」
悠二くんってそういうのに弱いね。
二代目とずっと一緒にいられると前に言った時も、眼の色変えてたんだけど……自覚ないんだろうなあ。青春してんなあ。
「とにかく! 悠二くんと二代目の仲もだけど、俺が帰ってくる頃には、しっかり決めておかないと、本当に君を壊すなんてことになるからね」
「あ、は、はいっ!」
「よし! じゃあ、今日も鍛錬頑張ってね」
俺の鍛錬という言葉に悠二くんは、ハッとした表情をした。
「頑張ってください!」とかなりおざなりな言葉を俺に残し、急いで自らの家へと駆け込んでいった。
「悠二、おっそーーーい!!」
「ご、ごめんシャナ!」
そんな声が塀の向こうから聞こえてくると、何かを叩いたような音と悠二くんの叫び声が住宅街に響いた。
彼と彼女の光景を思い浮かべて、二度三度頷く。
青春を謳歌しろよ少年。
なんて、じじ臭いことを思いつつ、そこを離れた。
「ねえ、貴方」
御崎駅へと向かう途中、不思議そうな目をこちらに向けた。
「連れて行かなくてよかったの?」
「悠二くんのこと?」
「ええ」
カムシンから渡された封筒に入っていた航空券は全部で三枚だった。
二枚は俺とリーズの分で、残りの一枚に関しては同じ入っていた手紙に理由が書かれていた。
曰く、坂井悠二もチューリヒに召喚するように、と。
なにはともあれ『零時迷子』を保護しようというのか、それとも本当に顔合わせで、『零時迷子』を見極めようとしたのか。はたまた「壊す」つもりだったのか。
詳細は分からないが、ドレルのことだ。ぞんざいに扱うことはないとは思うが、万が一がないとも限らなかった。
ドレルが平気でも、面倒を嫌った荒っぽいフレイムヘイズが強引に、なんてことくらいはありえそうなものだ。
だから、というわけでもないが、悠二くんを連れて行くことを俺はしなかった。
彼にはここでの生活があるのだ。
あまり時間の残されていないかもしれないここでの生活が。
「ま、いいんじゃないかな」
「そう、貴方がいいなら別に構わないわ」
リーズはそう言うと視線を元に戻した。
「それで……貴方は……私のことが好きなのかしら……」
そして、ボソッと、それこそ俺にも微かにしか聞こえない声でつぶやいた。
「嫌いならこんなに長くは付き合ってないよ」
思わず、なんだか気恥ずかしくなりそうな言葉に、同じく気恥ずかしくなりそうな言葉を返してしまった。
「そう……よかった……」
少し熱のこもった様な「よかった」だった。
お互い恥ずかしくなって思わず俯いてしまったが、もちろんこんな美味しい状況を見逃す彼女ではなくて、
「ねえねえ、モウカ! 私は! 私は!」
煩わしく迫る勢いで言う俺の相棒には、調子に乗らすわけも行かないので。
「うーん、割りとだな」
「何が!? 何が割りとなの!?」
適当に流すことにした。
その後の執拗なまでのウェルからの追求は、チューリヒへの足取りを更に重くした。
◆ ◆ ◆
その男は周囲から一つ浮足立って存在していた。
黒髪と口元の髭を整え、昔と相変わらぬ気さくそうな垂れ目は美男子と言って違わぬ容姿。ただそれだけなら、空港という老若男女人種民族乱れる場所において浮くことは難しかっただろうが、薄紫の上下のスーツは特異性が高く、またそれを着こなしていることからも常軌を逸した存在となっていた。
その男は誰かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡し、俺と目線が合うと、気安く手を上げながら近づいてきた。
「やあやあ、久しぶりだねお二方! 『革正団(レボルシオン)』の時は世話になったよ」
「今でもあたしらイタリアの地では、あんときのあんたたちの活躍で祝杯が掲げられるくらいさ!」
欧州を中枢に世界の交通支援を行なっている『モンテヴェルディのコーロ』、ドレルと並ぶ外界宿の顔役であるピエトロ・モンテヴェルディとその``王``センティアだ。
ピエトロの言うとおり、彼らと面したのは100年ほど昔にも関わらず、見た瞬間に彼と分かるのは、彼のその美男子振りのおかげなのか。はたまた、印象的な服装のせいなのか。
「『革正団』の話はどうでもいいでしょ。そんなことより、てっきりドレルかオーケストラの誰かが迎えに来ると思ってんだけど」
「モウカにとって『革正団』はトラウマワードだもんね」
「うっさい、ウェル。あの時は、ウェルだって珍しいくらいにテンション低かったじゃないか」
「だってー、楽しくお喋りする余裕もないんじゃ辟易するでしょ?」
楽しむ余韻を残さない``紅世の徒``の波を右へ左へ回避する毎日は、今思い出すだけでも顔が青くなりそうだ。
「ど、ドレルかい? 彼は今一番忙しいだろうね」
そんな俺たちの不穏な気配を敏感に感じ取ったのか、『革正団』の話題を逸らすピエトロ。
なにか後ろめたいことがあるのか、動揺しているようにも見える。
そういえば『革正団』は、俺の逃げる場所に的確に襲ってきていた。逃げることと潜伏することが得意な俺を巧みにしつこく追ってきていた。まるで、どこから情報を得ていたかのように……まさかね?
逃げる際に知らない土地も多く、そういう時は大抵『コーロ』に道を教えてもらっていたのだが、まさか敵に意図的に情報を流したりしてないよね?
「君たちが来る前にね、客人が大勢来たのさ」
「客人……他のフレイムヘイズか?」
会議をすると手紙に書いてあったからには、フレイムヘイズを集めているのだろうと予想はしていた。
案の定、イタリアからは『コーロ』のピエトロが来ているし。サバリッシュさんあたりが来て、対応でもしているのだろうか。
「僕もお呼ばれした身だけどね。彼とは『革正団』以前からの付き合いだからご覧のとおり、身軽なものさ」
「俺も似たようなものだけど……『震威の結い手』のサバリッシュさんは顔役として呼ばないと話にならないとして、他にはどんな面々が?」
ピエトロはふふんとちょっと自慢げな顔をし、「聞いて驚くなよ」と大袈裟に前置きをする。
「『震威の結い手』は君の言った通りすでに来ているよ。『傀輪会』からは代表して『剣花の薙ぎ手』と大老の一人が。個人で有名なのといえば『犀渠の護り手』が──」
以下、ピエトロによる謳うようなお歴々なフレイムヘイズたちの名前が続いていく。
並の``紅世の王``なら裸足で逃げ出してしまいかねない戦力がここに集まっているようだった。
「ねえ、貴方」
ピエトロは紹介に熱が入ってきたのか名前の紹介とその人物の活躍ぶりを語り出す始末だった。自分から誰が来てるのかを聞いたので、話を切るのも悪いと思って半分以上聞き流していると、リーズが横で軽く裾を引っ張ってきた。
「『傀輪会』って、なに?」
「リーズは知らなかったか。東アジア一体を束ねてる中国に本拠地をおいてる外界宿の組織の一つだよ」
ただその成り立ちは普通の外界宿と大きく違う点がある。というのも、組織のてっぺんに立っているのは「大老」と呼ばれる人間である。フレイムヘイズの組織にもかかわらず、だ。
組織の母体が元は人間の組織で、国への反抗やらなにやらの秘密結社だったらしい。
詳しくは俺も知らないが、中国版ドレルパーティってことで認識している。それくらい大きな組織だということだ。
リーズは俺の適当な説明を聞き終えると、興味を失ったのかあくびをして、それっきり大人しくなった。
「──そしてそして! 変わらぬ美しさに危険な香りを纏う戦技無双の舞踏姫、『万条の仕手』ヴィルヘルミナさ! 彼女はその身一人ではなく、なんと『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の片割れ``彩飄``フィレスを伴ってきたのさ!」
「『約束の二人』だって!? ……そうか、『零時迷子』のことを聞きつけてか」
どうやってフレイムヘイズと渡りを付けたのかは知らないが、彼女が来ていたのなら、悠二くんを連れてこなくて正解だったようだ。
彼女がいれば悠二くんは問答無用で、破壊、もしくはそれに類似した何かが起きていたに違いない。
「おや、そういえば、チケットは『零時迷子』の分を合わせて、三枚送ったはずだが」
『零時迷子』を連れてきていないことに今更気づいた、ピエトロは整えられた顎髭に手を添えて考える素振りをした。
さて、なんとか誤魔化そうと口を開こうとしたら、ピエトロがぼそぼそと言う。
「そうか……いや、今はその方が都合が良いかもしれない。なに、気にすることはないさ! 私が一枚送り忘れてしまったようだ」
ピエトロ側にもなにかありそうだが、そういうことでいいなら、ありがたくその案に便乗させてもらうことにしよう。
俺が頷くと、ピエトロも二度頷いた。
「では、外界宿へ向かうとしよう!」
空港からはタクシーでの移動だった。
ドライバーも外界宿の構成員らしく、車の中での話題で``紅世``に関する考慮は特に必要なかった。
ピエトロからは最近の欧州でのフレイムヘイズの活躍と``紅世の徒``の暗躍を。俺からは『大戦』に関する情報と考察を話題とした。
「にしてもだ、『零時迷子』がどういった理由で必要かがまるで見えないね。君らの証言がなければ、結びつくなんて思いもよらないよ」
「同意だけど。シュドナイは確かに求めているようだった。アレがあの宝具を見つけて喜ぶ、なんてのはどう考えても``仮装舞踏会``関係だろうさ」
「ハッハッハ! 考えるだけ無駄さ! 『革正団』の時のように予想外な出来事ってのはついて回るものさ。理屈じゃなくてそういうものって捉えるほうがいざというときに動けるってものさ!」
「僕のおふくろの意見にも同意だが、僕としては相手の目的や意図が分かってこそ潰せるものもあるというものだと思う。ま、考えても無駄なことも存在すると思うけどね」
ピエトロはその立場上、色々と考えているようだが俺の考えはもっとシンプルだったりする。
『零時迷子』が鍵ならそれを渡さなければいい。最終的にはそれに行き着くだろうと考えている。問題はその過程で、いつかの『大戦』の時のように一つの宝具を求めた戦争が起きるなんてことが起きれば、俺の今までの努力は元も子もなくなるが。
「そういえば、キアラはこっちに来てるのかしら?」
「あー、忘れてたな彼女のこと」
キアラと結構仲の良いリーズがピエトロに尋ねた。
キアラは俺が東京に援軍に呼んだ後、速達便としてドレルに手紙を送ってもらった。その後、御崎市に来たカムシンから別件でさらに動いてるとの事だったが、今はどこで動いてるのだろうか。
フレイムヘイズ御用達のキアラ便。
「『極光の射手』かい? 彼女は彼女を追って東京に行った『鬼功の繰り手』を追っかけて東京に戻ったよ。『鬼功の繰り手』に追っかけるように言ったのも僕たちだからね。すれ違わせちゃったのは少し申し訳なかったかな」
「そう、キアラたち東京に行ったのね」
キアラが気を利かせてくれれば、御崎市には俺とリーズの代わりにあの二人が滞在することになるかもしれない。
一応、手紙を出して御崎市の様子を見てくれるように頼んでおくとするか。
「雑談に花を咲かせる時間は惜しいがここまでだ」
タクシーが止まり、降りた目先に立っている建物は得体の知れない存在感を放っていた。