欧州はスイス一番の都市、チューリヒ。その地には欧州の総元締めといえる外界宿がある。その外界宿の中でもこじんまりとした会議室。会議室の室内には、古ぼけた長方形型のテーブルが二つ向き合って存在するだけであり、一応会議室としての機能を果たしていた。
「お互いご苦労様だったね」
その会議室で、皺を鋭く刻んだ老人が、向かいに座っている垂れ目の美男子に労いの声をかけた。その声は到底老人のものとは思えないほど凛々しく、相手に向けている眼にはエメラルドグリーンの強い光が宿っている。
親と子以上の歳の差を感じさせる見た目の二人だが、その老人の言葉に美男子は気さくに『お互い様さ!』と若く元気な言葉を返した。
「もーっ、ドレルったら今回無理ばかりしたのよ! いくら不眠の出来るフレイムヘイズの身でも、もう少しばかり寝て欲しかったわよ!」
たった二人しかいないと思われた会議室に、彼ら以外の声が響く。
耳に残りそうな甲高い声。この声は、ドレルがテーブルに支えて置いてあるステッキ──神器『ブンシュルルーテ』と言われる、この老人……フレイムヘイズであるドレル・クーベリックの内に宿す``紅世の王````虚の色森``ハルファスの意思を表出する器物である。
「その分、平和のありがたみが分かるってものだよ!」
美男子──ピエトロ・モンテベルディの持つ懐中時計型の神器『ゴローザ』から``珠漣の清韻``センティアの明るくも野太い女性の声が言った。
この会議室には二人にして四人が集っている。
それも各人が、『ドレル・パーティ』と『モンテベルディノコーロ』という外界宿の顔役。現在のフレイムヘイズの組織のほぼ全てを体現する二人が揃っていた。
労った内容は言うまでもなく、
「ようやく内乱も終わって、実に良かった良かった」
終結した内乱のことだった。
ピエトロの陽気な声はいつものことではあったが、その言葉には心から安堵の色が混じっている。ドレルは無言で頷き、ハルファスとセンティアは声を出して同意した。
フレイムヘイズの誰もが疲弊した内乱。誰の得にもならない無意味な戦い。当事者たる『大地の四神』こそは大層な意義があったかもしれないが、欧州に居るフレイムヘイズ──それも『大地の四神』とは縁が遠く、実力者たちとも疎遠な者には余計に意味のない戦いであっただろう。
そんな無縁な彼らが何故、疲弊したか。
その要因もまた内乱にあるのだから、欧州のフレイムヘイズ全てに縁が全く無いと言えば嘘になるのかもしれない。
数少ない猛者が説得にアメリカへ渡ったために、ポッカリと空いた欧州の穴を誰かが埋めなくてはならない。無論、埋めるのは残っているフレイムヘイズを他においていない。
実力乏しき彼らでは、猛者あってこそ仮初の均衡が保たれていた欧州の地を守り切ることなどできない。それでも、守らなければいけないのはフレイムヘイズの使命というもので、無理をしてでもなんとかしなくてはならなかった。
だが彼らだけでは、無茶をしても守り切ることは出来ない。ここぞとばかりに``紅世の徒``が、己が欲望を満たすために欧州は混沌の地となり下がっていたはずだった。けれども実際にはそうはならず、猛者たちの留守の間をしっかりと番してみせた。
その理由は間違いなく『ドレル・パーティ』と『モンテベルディのコーロ』にある。
残った弱小のフレイムヘイズたちを守護し、組織することにより、欧州の地に均衡を保ってみせた。
「これで私も安眠できる」
今では欧州で知らない者がいないと思われるドレルの本音。
健康とは程遠い生活をここずっと強いられて、身も心も老人のように枯れ果てそうだった。
ドレルの不用意な発言に、彼のパートナーたる``紅世の王``は『死ぬみたいな発言はやめて』と少々気にし過ぎな声をあげ、これにドレルは苦笑しつつもごめんと謝る。その一連のやりとりにピエトロは声を出して笑って言った。
「平和なことは善きかな!」
平和という単語にドレルはぴくりと眉毛を動かす。
(そういえば、平和を愛して求めて止まないあの男は今どうしているのだろうか)
こちらの勝手な都合上、今回のこの内乱に巻き込んでしまった友人のことを思い出し、すまない気持ちになりながらも、『不朽の逃げ手』についてドレルはピエトロに尋ねる。
ピエトロは、その名前に『ああ、彼ね』と朧気ながらに反応しつつも、ドレルに丁寧に答える。
「結局、彼の実力を拝む機会はなかったよ。残念ながら」
ピエトロはフレイムヘイズとしての気持ちを踏まえた答えを返した。
(本人にとっては喜ばしいことなんだろうね)
(ねーっ、あの人なら今頃手放しで喜んでいそうよね!)
簡単に目に浮かぶことの出来るその光景にドレルは心の中で、孫の微笑ましい有り様を見ているかのように優しく温かい笑いを浮かべる。歴戦のフレイムヘイズらしからぬ、それ以上にフレイムヘイズらしからぬ、見た目通りの精神年齢の青年。
なんだかんだで大変な目にあっては慌て、助かっては全身で喜びを表すその姿が、実はドレルはお気に入りだった。
ドレルは自己分析する。
もしかしたら、その様を見たいがためにモウカを厄介ごとに巻き込んでいるのかもしれない、と。
「いや、それでも十分に驚かせてもらったよ」
「そうさ! あの珍しい物好きよりも先に『封絶』を知らしめ」
「フレイムヘイズに教示したんだからね」
``紅世の徒``を介して世界中にその存在を広めたのは導きの神。
その存在を創造せしめたのは``紅世``最高の自在師``螺旋の風琴``。
これは導きの神により断定された事実である。
内乱の影の立役者は、誰もが口を揃えて外界宿であると言うだろうが、内乱の被害そのものをここまで食い止めたのは何のおかげかと議題に上がると、誰もが『封絶』であると断言する。
ならその成果はどこにあるか。
封絶を作った``螺旋の風琴``だろうか?
そもそも彼女は創造者とはいえ、敵対関係の``紅世の徒``だ。
ならば彼らは自尊心、プライドを含め、あくまでも自分たちの中から英雄を作り上げようとする。
『封絶』を最初に教示したのは誰だろうか。
元を辿っていくと、とあるフレイムヘイズへと辿りついた。
そのフレイムヘイズは『大戦』でも活躍し、数多の事件において中心となり解決にあたった歴戦のフレイムヘイズ。欧州にて名高いそのフレイムヘイズは今回の英雄として祭り立てるには十分なビッグネームだった。
誰よりも早くフレイムヘイズに実用させようと流行の最先端を行き、『内乱』で人間に被害を出させなくし、アメリカの地で間接的に人間を護ることとなった。そのフレイムヘイズの名は『不朽の逃げ手』モウカ。
ここに、内乱での表と裏の立役者が揃うこととなった。
その事実にドレルは一言、
「難儀なものだ」
同情にも似た言葉をドレルは呟いた。
ドレルはモウカを自分以上の変人であると認識している。それはフレイムヘイズとしてでもあるが、人間として考えても、やはり異なっている。生への執着は確かに凄いものがある。それこそフレイムヘイズの中ではトップに君臨するほどの執着心だ。他に類を見ないと言っても過言ではない。
これらの要素は十分に変人の域に達しているが、実際に凄いのはそれを実現し、生きていることだ。
生きたいと思う人物ほど死んでいき、死に場所を求めている人物が死に切れない。このような暴挙が、理不尽が平然とまかり通る世界で、我を貫き通して尚も曲げずに潰えない。
世の理不尽さに抵抗する力はもはや天井知らず。
その力にドレルは異常性を見出していた。
(神に愛されてこうなのか。それにしては、彼にはいつも神が憎しみを込めているとしか思えない事柄が起きるが)
やはり奇っ怪だ、とドレルはモウカに対する感想を締めくくる。
「確かに難儀だ。封絶なんて便利なものが出来たのに、それを否定するものが現れるなんて」
「全くありえないってわけじゃなかったさ」
ドレルが吐露した難儀を全く違う意味で捉えたピエトロは、世を嘆くように言った。ピエトロがおふくろと言って敬っているセンティアは、息子を慰めるようにピエトロに言葉を返した。
導きの神が肯定した封絶を否定する者たち。
封絶とはこれまで以上に人間と``紅世の徒``が離別するきっかけにもなる自在法。これは幾つかある封絶の利益の一つだ。人間と離別されることにより``紅世の徒``と人間が接触する機会が減る。また、人間が``紅世の徒``を認知することも減る。これにより人間の歴史とこちらの歴史が混じり合うことが無くなる。
これは``この世の本当のこと``を隠蔽するにはこれ以上ないほどに都合の良い事だ。発覚するきっかけがなくなれば、発覚そのものが困難なものになるのだから。
そこに異議を唱えたのが自らを『革正団(レボルシオン)』と名乗った``紅世の徒``の集団。
新興宗教といって差し支えない彼らは、自らの存在が隠蔽され、人間の歴史から消えることをよしとしなかった。
彼らの訴えは、それまでにあった``紅世の徒``とフレイムヘイズの暗黙の了解を平然と破るような奇行そのものだ。
そんな彼らからすれば『封絶』の自在法は邪魔そのものであったという訳だった。
今は小規模ながらで、大した騒ぎではない。ボヤ騒ぎ程度。まだまだ大火事にはなっていない。
(しかし、それも時間の問題)
(どんどん、報告が増えて……またドレルが眠れなくなっちゃうよ!)
ドレルは見当外れな相方の言葉に苦笑をしつつも、心配をしてくれたことに礼を言う。
ドレルとしては寝れなくなる程度で終わるなら大万歳と考えていた。不眠で働いて無事に終わるのであれば、寝ないで頑張るまで。だが、今回のこの一件は、どう考えても争いになる未来しか見えない。
過去、現在。いくつもの宗教が生まれて入るが、宗教間の争いは絶えぬものだし、下手をすれば宗教内でも派閥や考え方、捉え方の違いで争いが当たり前のように起きる。
『革正団(レボルシオン)』は封絶を悪しきと唱える宗教なら、フレイムヘイズは──しいて言うなら『外界宿』は封絶を良しと唱える宗教。お互いがお互いの主張を取り下げることはなく、これの決着は昔からのお決まりである戦いで決めるより他はない。どちらかが滅ぶまでの。
内輪もめとはいえ、一つの大きな戦いが終わったばかりだというのに再び訪れようとする争いの火種。
避けられそうにない全面戦争。
「本当に難儀だ」
今度はピエトロと同じ意味で同じ言葉を零した。
「これこそ、彼らにも協力を得たいものだったよ」
「しょうがないじゃないか。彼ら、『大地の四神』は討ち手としての意欲を失い、外界宿の管理者となることで矛を収めた。これ以上の結果があるかい?」
「分かっているさ、僕のおふくろ。これ以上はない。彼らを失わずに済むには、これ以外はなかったのだから」
内乱は『大地の四神』が自らの矛を収める事によって終息を得た。
外界宿管理者の器に収まったのには、説得をしていたとある調律師の発案によるものだ。調律師とは、世界の歪みを均して修復し調律を行うフレイムヘイズのことであり、彼らは総じて長年の戦いで復讐心をすり減らしたフレイムヘイズがなっている。
自らの意義に疑問を抱き立ち上がった『大地の四神』の説得役としては、これ以上ない先達者ということになる。
だから矛を収めるだけで事を収めることが出来たとも言える。
『大地の四神』はもはやフレイムヘイズの戦力とは言い難いものになってしまった。
もし、『革正団(レボルシオン)』との抗争が始まっても、強力すぎる彼らの力を頼ることは出来ない。
ピエトロはその事実に嘆いていた。
とは言え、嘆いてばかりはいられない。
「彼らの力は借りられないにしても、『革正団(レボルシオン)』を脅威とみなしているのは僕らだけじゃないのが救いか」
「封絶の利益は``紅世の徒``にもある、ってことは」
ピエトロの言葉にセンティアが続け、
「``紅世の徒``もみすみす見過ごすこともないだろうね」
ドレルが締めた。
封絶を否としているのは``紅世の徒``ではあるが、これはあくまで今の主流に外れた思想。導きの神が封絶の存在を告知したのだから、この使用する流れに乗ることこそが正しいものになっている。
その流れにあえて逆らうような『革正団(レボルシオン)』の活動は``紅世の徒``にとっても鬱陶しいもの。
これの表すものは『革正団(レボルシオン)』は完全なる異教徒であること。
フレイムヘイズと『革正団(レボルシオン)』の全面戦争とは言うが、実際には彼ら少数派を多数派が潰す殲滅戦にもなりえる。
``紅世の徒``との一時的な休戦関係を築ければ、この果て無い戦いにも終止符を打てる可能性を高まる。
ドレルとピエトロは組織の運営者として、どのフレイムヘイズよりも先を見通していた。
何よりもフレイムヘイズの将来のために。
◆ ◆ ◆
ピエトロが退室した会議室にドレルは一人で冷めた紅茶を傾けていた。
内乱が終わったばかりとはいえ、未だ片付けなければならないことは多い。その中でも、早急に、それでいて手早く片付けることの出来ること。それについて考えていた。
それについてはドレルは、自分よりもピエトロが深く考えているだろうと予測する。欧州とアメリカを行き渡る際には何度も議題に上がっていたであろう、交通の便の話題。海の上の交通。
『海魔(クラーケン)』の問題。
ドレルの持つ情報には、彼らは封絶を未だに使わないことが確認されている。
『革正団(レボルシオン)』と同じ思想であるかどうかは確認されていないが、以前から問題視されていたものだ。今更彼らの排除には否定の声は出ない。
それの対応に思考を張り巡らしている時だった。
「失礼します」
「ん、どうしたのかな。パウラ・クレツキー」
パウラ・クレツキーと呼ばれた女性は彼女は『ドレル・パーティ』の一員のフレイムヘイズである。
彼女は『あ、あの』と相手の様子を伺うような声を出しながら、言葉を紡いだ。
「この子を預けられるフレイムヘイズを紹介して欲しいのです」
そう言って、パウラの背後から出てきたのは十五・六歳ほどの女の子。二つに纏めたブラウンの髪を前に垂らしている。
見た目はどこにでもいそうなごく普通の女の子だった。
髪を纏めている二つの髪飾りから、少女のような声と色っぽい女性の声が聞こえなければ。
「本当は私の知り合いに頼もうと思ってたのですが、どうも捕まらなくて。見つかるまでの間を、その場凌ぎだけでも、と。本当は私が預かれればいいのですが、新米とはいえこの子の方が力が……」
しゅんとしょぼくれた雰囲気を醸し出すパウラに、ドレルは苦笑しつつも、少女の方に視線を送る。
女の子の年頃から浮かぶのは、ある友人のフレイムヘイズにいつも付き添っている少女。
眼の前の少女ほど、彼の付き人は強い存在は感じさせないが、御するのは眼つきやその察する性格からは向こうの方が上。
ならば、すでに一人の少女を育てた実績からも、彼が適任だろう。
「分かった。私に一人心当たりがある。何、彼なら難なくこなしてくれるさ。すでに少女を一人連れていることだしね。大丈夫、命に関わらない仕事だ。彼も断りはしないだろう」
ドレルがそう言うと、パウラとその少女ともども、声を揃えて笑顔で礼を言った。
その様子をハルファスただ一人が、ここにいない彼に無言で同情した。その事実を知る者は誰もいない。