不朽のモウカ   作:tapi@shu

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第三十一話

 モウカにとってこの状況はかなり敗北に近い形と言えた。というのも、今までの経験から逃げることへの自信はそれ相応にあったのに、今回に限って言えばただ単に逃げるだけではなく、一度相手を罠に嵌めて、自ら近づいて処理しなければならないほどに追い詰められたからだ。相手に近づくことの意味は、単純に命の危険が増すのだから、モウカとしてはあまり使いたくない手段だった。それはたとえ、逃げている時にお得意の自在法を使っていないという事実があったとしても変わらない。

 昔であれば、どんな時であっても『嵐の夜』というとても便利な自在法を使って力技で逃げ出すことが出来ただろう。こと逃げ出すだけなら今回も出来たに違いなかった。しかし、今と昔ではモウカの立場が違っていた。

 名が知れていなかった過去と名が知れてしまった現在では、『嵐の夜』の影響力が違う。過去ならば、どんな自在法を使おうが誰が使ったなどと特定もされず、追う者だっていなかっただろうが、現在ではモウカの代名詞と言えるこの自在法を扱ってしまえば誰が使ったかなど一目瞭然。使えば自分の居場所を暴露するようなものだ。『嵐の夜』という自在法が逃げることに有利な大規模な自在法である利点が、同様に欠点へと変わってしまう。

 モウカからすればバレたとしても逃げ切る自信はあるし、未だ知れていないリーズという切り札だってある。つまりやりようはあるのだが、安易に居場所を晒す必要だってないのだ。

 これが過去に自身が追われた経験がなければ、名が知れて居場所を暴露したところで、フレイムヘイズをやっかみして追いかけてくる``紅世の徒``は滅多に居ないのだから(とは言うもの、少数とはいえ居るのだからモウカは使用に躊躇う)追い詰められれば、多少は考慮するものの『嵐の夜』を使うことになっただろう。

 だが、実際には多くの``紅世の徒``に追われた経験があり、また自身の名がいい意味でも悪い意味でも知れ渡ってしまっている。

 『嵐の夜』という自在法を使うことにより、相手がモウカに畏怖の感情を抱くだけならまだしも、そうではなく逆に強い敵対心などの命の危険に関する気持ちを抱かないとも限らない。

 下手に名が知れてしまったメリットとデメリットであったが、このデメリットは普通のフレイムヘイズにとってはデメリットになりえず、そのまま利点や美徳(名が知れた事自体に誇りを持つため)とも言えるのだが、モウカという生きることにのみに執着する変わり者には要らぬ要素そのものだった。

 そして、この要らぬ要素が決定的で、モウカが現在あまり『嵐の夜』を使えない苦しい状況であった。

 今回のドレルに追われたことに関しても、ドレルが相手に『嵐の夜』を使わせて特定させたかったことからも、モウカの『嵐の夜』を使わずに逃亡するという行動は苦肉の策ながらも適していたと言える。

 けれども、今回に限って言えば相手が悪かった。

 追うことに特化するという奇特なフレイムヘイズを相手で、相手は自在法をいくら使っても構わない(居場所がバレても問題ない)のに対して、モウカは自在法は使ってはいけない(居場所がバレては駄目)。

 最初からモウカに不利。ビハインド状態。ハンデを負った状態では、流石のモウカも逃げるのは厳しいの一言に尽きた。無論、常の相手なら逃げられただろうが。

 追うプロフェッショナルと追われるプロ──逃げるプロフェッショナル。天秤はどちらにも傾きかけたが、やはり最初から重りの付いているモウカには勝ち目がなかった。トドメになったのは、未だモウカ以外の誰も気づいていない新たな存在ではあったが。

 勝機をしっかりと見極めていたモウカは、天秤自体を取り除く、つまり『嵐の夜』を使えないという前提自体を覆す結果により、最終的にはこの追う追われるという現状に終わりをもたらした。

 何も前提を覆してきたのはモウカだけではなかった。

 

「詳しい話を聞かせてもらうか」

 

 モウカの逃げるという前提は、相手が害ある存在であるというものが成り立つゆえである。害というのは、当然のことながら命の危険という風に訳すことが出来るが、ドレルは己の内に秘していたことを公開することによって、己の身が無害であることを強調、ないしは利ある者であることを公言した。

 さしも極度の逃げ腰のモウカとて自身にとって有益であるならば、その逃げそうになる腰を抑えつけ、我先にと逃げ出そうとする足を止め、耳を傾ける。

 自分が安全に生きれる可能性がそこに見出すことが出来るのであれば、協力だって命の危機がない限りはする。

 リーズをこちらに呼び寄せてから全ての自在法を解く。

 

「どういうこと? 作戦はどうしたの?」

 

 モウカの不可解な行動にリーズは驚愕し困惑するものの、疑問の色を強く宿した目をモウカに向けながら言われたとおりにモウカの傍らへと立ち、目の前の存在へと目を向ける。 

 

「どうやら信用してもらえたみたいだね」

 

 リーズは深く皺のある老人の姿にまたしても驚きながらも、これが追ってきたフレイムヘイズであることを確認する。

 見たところは覇気なんてものは存在せず、見た目ではただの老人にしか見えないが、異様な存在感がただの老人であることを否定していた。その上、その存在感があまり年老いた雰囲気も感じさせない。

 モウカの逃げる特性や逃げる実力の一部を垣間見ているリーズは、老人のモウカを追うという無謀に近い行動力に舌を巻きつつ、それが功を奏した現状にもやはり驚いた。

 モウカとはここ百年来の付き合いとなっているリーズだが、それだけモウカを近くで見る機会は多分に多かった。

 モウカが話していたかつての大戦や、リーズ自身が契約するハメになった教授の強制契約実験などの大きな事件に巻き込まれることもなかった。かといって全く``紅世の徒``との接触がなかったわけではなかったが、比較的平和な百年だったと言えるだろう。少なくともリーズがモウカという一人のフレイムヘイズを理解するには十分な時間ではあった。

 その時間を通してモウカの力や人柄を語ることはいくらでも出来るが、どれを語るにしろ色んな意味で言葉や尊敬は尽きない。

 そのモウカをよく理解している唯一のフレイムヘイズのリーズをして、逃げるモウカを追うことの無謀さはよく分かっていた。

 だが、同時にモウカを追いかけ見事に捕まえることが出来た目の前の老人の執念深さに驚愕をせざるを得ないだろう。なんといっても捕らえたのだ。フレイムヘイズとしてのありったけの力を逃げることに費やしているあのモウカを。

 二重三重にも驚いたが、すぐに現状を理解しようと冷静に努め、頭を回転させようとするが。

 

「で、どういうことなの?」

 

 結果、考えることを放棄した。

 だって私は学を学んだわけでもなければ、知識を持っているわけでもないから、考えられるわけないじゃない。と、いっそ清々しいほどに開き直る。

 その態度は誰の目にも傲慢にも我儘にも見えなかったが、怠慢には十分に見えた。

 リーズのその当たり前の態度に、モウカも当たり前のように理解を示し、現状の説明をしようと口を開いたが、

 

「説明するのは面倒だから、後でだな」

「そ、後ででも教えてくれるなら別にいいわ」

 

 面倒になり説明を放棄した、というよりも今は他に聞くべき優先順位、先にやるべき行動があるからリーズへの説明を後回しにしたに過ぎない。

 リーズも興味はあるものの、そこまで急を要する訳でもないからいいかと楽観的に捉え、ちょうどいい木陰を見つけると一人で歩いて行く。

 

「それじゃ、話が終わったら起こして。ずっと走りっぱなしで疲れちゃったから少し休憩してるわ」

「はいよ、ゆっくり休みな」

「風邪引かないようにねー」

「フレイムヘイズが風邪引くわけないじゃない。おやすみ」

 

 すやすやと眠りに落ちていった。

 その姿は見かけ通り十代前半の少女のものと何ら変わらない。こうやって寝ている姿は百年も生きたフレイムヘイズであることを全く感じさせなかった。

 尤も、大人っぽさや色気というものから程遠く、むしろ未だ子供っぽさの残る言動が多いリーズに百年の貫禄を出せという方が無茶な話ではあるが。

 リーズが寝る様子を子供を見守る親のような気持ちで見送ってから、珍しい真剣な眼差しをドレルへと向ける。さてと、といういつもに比べて幾分重い声色で前置きをしてからモウカがだいぶ前のドレルの言葉に返答する。

 

「まだ信用したわけじゃない。けど、面白そうな話だとは思ったから話だけは聞いてみようかなって」

「あのフレイムヘイズの吹き溜まりのような外界宿の再編しようなんて、変人の考えだよね」

 

 モウカは言外に協力するかどうかは分からないと言いつつも、具体的な内容をドレルにするように促し、ウェパルはいつもと変わらない調子で、思ったことを適当に口にした。

 ドレルは眉間に皺を作りながらも、温和な顔を保ちながら、キーキー言い出しそうな自身の相方を抑えつつ、まずはゆったり話そうじゃないかと、近くにある椅子の代わりになりそうな丸太と大きな石に座るように進めた。

 モウカはそれに逆らわずに、石よりは座り心地が良さそうな丸太に腰を下ろす。その様子を確認してからドレルも残ったでこぼこの石へと座る。気遣いの節々に紳士の心得を感じる瞬間だった。

 

「ようやっと落ち着けたね。まずは失礼ながら追い掛け回したこと詫びさせて欲しい」

 

 落ち着いた丁寧な謝罪だった。

 言葉には気持ちがしっかりと込められていることが、モウカの心にまで届く。

 言葉に含まれた力と意味にモウカは、礼節を忘れないドレルに好感を覚えた。

 

(英国紳士の嗜みってやつか。英国出身かどうかなんて知らないけど)

 

 眼の前のジェントルマンに感心を抱きつつ、日本男児たるもの意には好意を返さなくては。と、よく分からない張り合いをする。

 モウカが行った時の英国は産業革命の最盛期で、とてもじゃないが落ち着いた雰囲気ではなかったので、ジェントルマンを見るのが初めてだった。

 ドレルの対応に、どう返せばいいかよく分からず、いえいえこちらこそかたじけないと、これまたよく分からない対応を返すと、ドレルはモウカの行動に笑わずに、許しをもらえたことに感謝をした。

 

(これがウェルならここぞとばかりに笑うのに……いい人だなあ)

(プッ……く、く、かたじけないって……どこの言葉よ、くふふッ)

(ほら、これだよ!)

 

 ウェパルの予想通りの行動に若干嫌気がさすも、顔の表情にはおくびにも出さないところが流石の一言だった。

 ウェパルとの絡みもほどほどにして、和やかになった雰囲気そのままにモウカは件の話を持ち出す。

 

「モウカ、君……というのは失礼か」

「あー、呼び名は自由に。フレイムヘイズに歳は関係なし、だ」

「歳を気にしたらモウカをおじいちゃんって呼ばなくちゃいけないからねー」

「そういう訳だ。俺はドレルと呼び捨てにするから、ドレルも俺のことは好きに呼べばいいよ」

 

 モウカはそう言うと愛想よく屈託の無い笑顔を向けた。

 敵意のない証明。

 ドレルの今までの態度を見れば、警戒心が人の数倍も高く、極度の臆病者のモウカとて、ドレルがモウカに敵対するような人物ではないことは見抜くことが出来る。否、それほどまでに慎重だからこそ、相手の身なりを見抜くのは経験を含めて、それなりに得意ではあった。

 絶対ではなく、時折外すこともあるが、それならそれでしょうがないと割り切っている部分もある。この笑顔は、とりあえず現状は問題なく接することが出来るであろうという心の表れだった。

 多少は信用したということでもある。

 

「ならば──」

 

 モウカのスマートなやり取りにドレルも意外とモウカに好印象を持ち、どう呼びかけるべきか悩む。

 相手が正確にはいくら上かは分からないが、かなりの人生の先達者で有ることは間違いなく、見た目通りの年齢ではない。年上に対して礼節を忘れず、というならさん付けなどの敬称をつけるべきだが、なんとなく似合わない気がする。

 歳のいったドレルが、さん、で呼ぶにはモウカの見た目の年齢が少し幼い。だからと言って、見た目通りなら君付けが非常に似合うのだが、実際には年上だ。

 この2つのジレンマに悩まされていると、それに気がついたのかモウカが自ら手を差し伸べる。

 

「少し意地悪だったかも。君でいいよ。年齢なんて気にしないし、どうせ精神年齢はそう外見と変わらないから」

「そうそう。モウカはあの頃からまーーっったく成長してないからね!」

 

 それにしては肝が座っていると、さらにモウカの評価を内心であげた。と同時に、彼のフレイムヘイズらしからぬ殺気や好戦的な感情を全く見せない気さくなやり取りにもドレルは好意を抱く。

 自分自身も復讐者の代名詞にこそは外れてはいないものの、フレイムヘイズとして多々外れていることは認識していたが、目の前のフレイムヘイズはそれを軽く凌駕していた。

 らしからぬ、という言葉では足りない。本当に復讐を願って契約したフレイムヘイズなのかと疑問をもつほどだ。先の自在法や、逃げる際の手際を見ていなければ信じる事は出来なかったであろう。

 

(やはり、これは運命というなの思し召しかもしれないね)

(ドレルの希望通りの人だったのかしら?)

(まさしく、その通りだよ。ハルファス)

(そう! それは良かったわね、ドレル!)

 

 今この時ばかりは、ドレルはモウカとの出会いに感謝して、今まで内に秘めていた思いをモウカに明かす。

 

「モウカ君。君にこれから話すのは、外界宿の再建、もとい全てのフレイムヘイズの安全と復讐が叶うかもしれない革命だ」

 

 フレイムヘイズの安全という言葉にモウカは目を光らせた。


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