式典が終わった後には祝賀会が催された。幹事は新帝国だった。
会議には参加できなかった者もこの祝賀会には参加した。新帝国の主催であるだけに、舞踏会も開催される。このため、サビーネなどは非常に楽しみにしていた。新帝国の貴族、令嬢も、何人かがこの舞踏会のために新しくやって来ていた。
マルガレータは、ウォーリック伯から、ヤンの副官ではなく、伯爵令嬢としての参加が要請された。つまり、軍服ではなくドレス姿で、舞踏会での活躍も期待する、というわけだった。
オリオン連邦帝国も、旧神聖銀河帝国も、貴婦人が多数祝賀会に参加していた。同盟、フェザーンはともかくとして、同じ貴族文化を共有する独立諸侯連合だけドレス姿の参加女性が少ないという事態は避けたいという、国としての一種の見栄だった。
社交界デビューより前に亡命し、幼年学校に入り、そのまま軍務に就いたマルガレータとしては慣れない事でいささか気が重いのだった。
私ではなく、ラウエ大佐だったらもっと慣れていただろうに、などと、ここにいないヤンの元副官を少し恨めしく思ってしまったマルガレータだった。
この時、ユリアンもマルガレータと同じ目に遭っていた。旧神聖銀河帝国では、女性は皇女達や、行儀見習いに来ていた侍女がいたが、男の方で舞踏会に参加できる者が極端に少なかった。主だった貴族は軒並みモールゲンの収容所にいたし、残された下級貴族の将校も、月要塞内の暴動で怪我をした者が多かった。結果ユリアンに白羽の矢が立った。何せ伯爵なのだから拒否権がなかった。
ユリアンも、月要塞にいる間に貴族社会の最低限のマナーは学んでいたし、即席で皇女達からダンスの作法を教えてもらっていた。彼女達がユリアンと踊りたかっただけの話ではあったが、怪我の後遺症で片腕が多少不自由なのに目を瞑ってもらえるなら、とりあえず無難にこなせるレベルにはなっていた。
同盟からはレベロの他、一部教養ある者が舞踏会に参加することになった。トリューニヒトも銃撃される前であれば参加しただろうが、体力の問題で不参加だった。
フェザーンからはケッセルリンク及び帝国駐在経験のある者達が参加した。
連合はウォーリック伯及び夫人、クレーフェ伯及び夫人、ディレンブルク男爵が舞踏会に参加することになった。おまけにシェーンコップも参加する。ポプランも参加したがったが、下心丸出しに思えたのでヤンに却下された。ヤン・ウェンリーも参加を要請されたが会場には姿を見せていなかった。逃げたのである。
マルガレータは、この祝賀会の中でユリアンと一度話がしたいと思っていた。人となりを知りたいと思ったのだ。踊りたいと思っていたわけではないが、舞踏会もその一つの機会だと考えていた。
だが、ユリアンにもマルガレータにもダンスの申し込みが殺到した。
マルガレータは疲れ果ててしまった。それでもやって来る誘いに、誰の手を取るべきか迷っていると、赤い髪の長身の男が近づいて来た。誰であるか気づいた参加者は、マルガレータの相手を彼に譲った。
優しげな風貌のその男はジークフリード帝だった。
「一曲お相手願えますか?」
マルガレータに拒否する選択肢はなかった。
「喜んで」
踊りながらジークフリード帝は小声で助言した。
「お疲れでしょう。一度抜けて休んで来られるといいですよ」
「お気遣い感謝します」
マルガレータはジークフリード帝の気遣いがとてもありがたかった。
ジークフリード帝はまた尋ねた。
「ところで以前どこかでお会いしたことはありましたか?」
「ないとは思うのですが」
マルガレータの記憶にはなかった。しかし、マルガレータもどこかで会ったことがあるような気がしていた。
「お父上はお元気ですか?」
マルガレータは、心臓が跳ね上がった。彼女は、父親のヘルクスハイマー伯がかつて帝国でジークフリード帝、というより、ラインハルト帝と対立したことを知っていた。
その後リッテンハイム、ブラウンシュヴァイクの秘密を知ってしまったヘルクスハイマー伯は、妻を殺され、マルガレータを連れて連合に亡命した。マルガレータは、ジークフリード帝がいまだに父に敵意を持っているのではないかと気になっていた。
ジークフリード帝はマルガレータの表情から察したらしく、急いで付け加えた。
「かつてのことを蒸し返すつもりはないのです。お元気であればそれで」
マルガレータは答えた。
「亡命後、病気になり、以来治療を継続しております。しかし生活は問題なく送れております」
ジークフリード帝は腑に落ちたと言いたげだった。
「それであなたは軍務に就かれたのですね」
連合では爵位を維持するためには、原則的に当主は一定期間軍務に就いた経験を必要とする。当主がやむを得ぬ理由で軍務に就けないのならば、その家の誰かが軍務に就く必要があった。
ジークフリード帝はマルガレータが軍人になった経緯を知りたかったようだ。女性にも関わらず、ということが言外にあった。
しかし、マルガレータは答えた。
「いいえ、私の意思です。貴族は人民を守る存在であるべきでしょう」
ジークフリード帝はそのようなマルガレータを眩しく感じた。この女性は、ラインハルト様の嫌悪された貴族達とは全く違う存在のようだ、と。
「お強いのですね」
「強くありたいと思います」
毅然としたマルガレータの態度と金色の髪に、ジークフリード帝は、いつしかラインハルトの姿すら重ね合わせていた。会ったことがあるのではと感じたのはそういうことかもしれないと、そう思った。
曲が終わった。
「ありがとうございました。フロイライン」
「こちらこそ光栄でした」
マルガレータはジークフリードの勧めの通りバルコニーに移動しながら、この時になってジークフリード帝に会ったことがある気がした理由に気づいた。
そうか。大事にしていたクマのぬいぐるみと目が似ているんだ。
ユリアンも令嬢と何曲か踊った。
「私とも踊ってくださらない?」
声の主を見ると、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフが立っていた。美貌の外務尚書からの誘いにユリアンは緊張した。
「喜んで」
そうとしか言えなかった。
踊りながらヒルダはユリアンに尋ねた。
「ミンツ伯。帝国にいらっしゃいませんか?」
唐突な誘いにユリアンは戸惑った。
「ミンツ伯、世の中にはあなたを危険視する人も多い。その才能を十分に活かせないかもしれない」
ユリアンもそのことは先日の件でようやく理解していた。
「でも帝国ならば、ジークフリード帝も、我がマリーンドルフ家も、あなたを庇護するわ」
それは、ユリアンに帝国で働くことを勧める誘いだった。
ユリアンは少し考えた末に答えた。
「ありがとうございます。しかし私は地球再建事業に関わりたいのです。それを軌道に乗せるまではどこであれ他に移るつもりはありません」
ヒルダは簡単には諦めなかった。
「では、その後に考えてくれないかしら」
「しかし……」
「ミンツ伯。私はオリオン王を目指すつもりよ」
オリオン王、今後帝国の実権を持つようになるその地位に就く。
ユリアンはヒルダの野心の表明に驚いた。
「帝国で女性がトップに立つことは困難だわ」
帝国ではいまだに女性が政治や軍事に関わることに対する偏見が強いからだった。
「だから、私がトップに立つことを助けてくれる人材が欲しいのよ」
そう言ってヒルダはブルーグリーンの瞳でユリアンを見つめた。
ユリアンは美貌の外務尚書に見つめられて恥ずかしくなった。
しかし、求めてくれる人がいるならそれもよいかもしれないと思った。
ユリアンは迷った末に答えた。
「今は答えを出せませんが、考えておくようにしたいと思います」
ヒルダはその返事に微笑んだ。
「ぜひ、お願いね」
休憩のため、壁際にやって来た娘にマリーンドルフ伯が声をかけた。
彼は娘が気兼ねなく活躍できるように、遅れてやって来て祝賀会のみに参加していた。
マリーンドルフ伯は、小声で尋ねた。
「まさかとは思うが、もしや今度はあの青年に興味を持ったのではないだろうね」
ヒルダは父親の問いを理解するのに少し時間がかかった。そのようなつもりはなかったからだ。
「興味は持っているけど、お父様の思うような意味ではないわ」
ヒルダは従兄弟であるキュンメル男爵を思い出していた。心配になる弟というのが近いかもしれない。
マリーンドルフ伯は露骨にほっとした。
「ならいいんだ。お前の好みはどうにも変わり者に偏っているから。私はもっと平凡な人と結婚して欲しいんだけどね」
ヒルダは少し遠くを見つめて言った。その先には金髪の女性と踊る赤毛の男がいた。
「私は結婚できないかもしれませんわ。今は政治の方が面白いもの」
シェーンコップは、先日はとんだ失礼をなどと言いつつ、エリザベートをぬけぬけとダンスに誘った。エリザベートも躊躇いつつもシェーンコップに応じていた。
レベロ、ウォーリック伯はアマーリエやクリスティーネと、ケッセルリンクはサビーネと踊っていた。
ユリアンが休憩のためにバルコニーに出ると、そこには金髪の女性がいた。
バルコニーには光が射し込む仕掛けがしてあった。
光によって煌めく金髪は、漆黒の宇宙の中でよく映えた。ブルーのドレスも漆黒を背景にその白い肌と金髪を引き立てていた。
ユリアンは思わず見惚れてしまった。
しかし、相手も同様だったとはユリアンは気づかなかった。
ただ黙って見つめ合う時間が過ぎた後、ユリアンはその女性に見覚えがあるような気がしてきた。
ユリアンは記憶を辿って気づいた。ヤンと交渉していた時、スクリーンに姿が映っていた女性。少しだけ気になっていた。
「あなたはヤン提督の副官の方ですね。初めましてミンツ伯ユリアンです」
マルガレータは我に返って答えた。
「マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーです。以後お見知りおきを」
ユリアンは笑顔で話をふった。
「ヤン提督の副官は大変でしょう?」
どういう意味かとマルガレータは思った。ヤン提督の副官を務める力量がないと侮られているのか、と。
無論ユリアンにそんな気はなく、ヤンはやりたくないことは何でも下に丸投げするとの風評に基づいての問いかけだった。
「そんなことはありません。それに日々勉強させて頂いております」
「勉強になりますか?」
ヤンに勉強になるところと言えば戦略戦術だろうが、それさえも突拍子がなさ過ぎて余人の参考にはならないとユリアンは思っていた。
だが、一部でヤンの一番弟子とも呼ばれる青年からのその問いは、マルガレータをひどく刺激した。
自分はそこから学べるが、お前では無理だろう。そう言われているのだと思った。
しかし、マルガレータには反論するに足る実績がないのも事実だった。
マルガレータは、つい言ってしまった。
「ミンツ伯は私みたいに無器用ではなくて、なんでもよくおできになるそうですね」
その言葉に含まれる毒に気づかないユリアンではなかった。しかし、適切な返答はなかなか思いつかなかった。
「勉強させてもらえるような優秀な人たちが周囲にいたから、なにかと教わっただけだよ」
「犯罪者の方々に?悪党としての勉強にはなったのかもしれないですね」
マルガレータもさすがに自らの発言を後悔した。
その言葉はユリアンを刺激した。
「僕は悪党かもしれないけど、神聖銀河帝国の人達を単純に犯罪者と表現されるのは納得できないな」
「銀河に混乱をもたらして、反省の色も見せていない。罪がないなどと、どうして言えるのか。まして罪に対する正当な償いもしないで」
マルガレータは、ユリアンが降伏時に神聖銀河帝国の責任者の刑罰の軽減を求めたことを納得できないでいた。地球教徒の取り扱いもだった。
ユリアンは地球教徒達やルドルフ2世を思った。
「自らの境遇を選べない人がいる。しがらみに縛られた人がいる。自らがそれをなすべきと信じた人がいる。自らのしていることが正しいことと思い込まされて来た人達がいる。彼らを単純に犯罪者の一言で済まさないで欲しい。……君は余程立派で非の打ち所のない親の元で育ったんだね。いや、君は……そうか、だから余計に正しさにこだわるんだね」
ユリアンは言ってから後悔した。
マルガレータは傷ついた顔をしていた。
彼女とて自らの父親がかつて後ろ暗いことをしていたのは知っていたのだ。知っていてなお、父親を慕っていた。父親の分も自らが正しくあろうとしていた。
ユリアンは発言に後悔しながらも続けた。
「僕は悪と断じられた者にも、人生を失敗した者にも生きる道を与えたいんだ」
マルガレータはユリアンを睨んだ。
「それによって他の多くの人の生が踏みにじられることになっても?」
ユリアンは自分の中にあった思いに今気づいた。
「そうだ。世の中の大多数の人は君のような人が救えばいい。僕は悪人を救う」
「っ!あなたのその考えは、いつか銀河を滅ぼすことになる!」
ユリアンは先日のトリューニヒトの話を思い出した。銀河四国の首脳に抱いた憎悪を思い出した。自分は銀河を滅ぼすことになるのだろうか。ユリアンはそれを否定できなかった。
ユリアンは正しくあろうとする少女に、少し寂しげに微笑んだ。
「その時は君が止めてくれないか?」
「え?」
ユリアンはただ静かに繰り返した。
「僕を殺してほしい」
逡巡の後、マルガレータは答えた。
「わかった。その時は妾がそなたを倒す」
「ありがとう」
バルコニーで語り合う若い二人は、周りの人から見れば、愛を囁き合っているようにも見えただろう。しかし、実際は真逆だった。
もう話すことはなかった。本当はあったのかもしれないが、掛け違ってしまったボタンを二人は直すことができなかった。
マルガレータは後悔を振り切るように、一礼して去ろうとした。
「フロイライン」
だが、ユリアンは思わず呼び止めてしまった。
マルガレータは立ち止まった。
「何でしょう?」
ユリアンは呼び止めてしまった理由を探した。そして見つけた。
「一曲踊りませんか?」
「えっ!?」
マルガレータは急な申し出に混乱した。
「そんな機会はもうないだろうから」
マルガレータは考え、返事をした。
「喜んで」
ただ喧嘩別れして殺し合うよりは、余程マシだと思ったのだ。
ユリアンも、マルガレータもそのダンスを後年様々な感情とともに思い出すことになった。
マルガレータと別れた後、ユリアンはカーテローゼに声をかけられた。
「あんな娘に頼まなくても私が止めてあげるのに」
ユリアンは驚いた。
「カリン、君、聴いていたの?」
カーテローゼは赤くなった。ユリアンのことが気になって聞き耳を立てていたとは知られたくなかったのだ。
「たまたまよ!たまたま。あなたが虐められているように見えたから……」
ユリアンはカーテローゼの様子を見て笑った。彼女を見ていると気持ちが軽くなった。
「そうか。でも、ありがとう」
カーテローゼは少しの間そっぽを向いた。そしてまた顔を戻した。
「あなただけ泥を被る必要ないのにね」
「あなた、地球教徒達のこと、本当は嫌いでしょ。ルドルフ2世のことだけは好きだったかもしれないけど。それなのに大人達はみんなあなたの妙な責任感につけ込んでその世話を押し付けて。何だかんだ言ってみんなずるいのよ」
ユリアンはそんな風に考えたことがなかった。でも、一つ訂正しておこうと思った。
「僕は嫌いじゃないよ」
「あなた嫌いなものも好きだと思い込もうとするから厄介なのよね。別に、嫌いだから救ってはいけないなんてこともないのよ」
その考えもユリアンには新鮮だった。
「そうか、そうなのかもね」
「でもあなた、彼女のことは、少し好きでしょ」
カーテローゼが爆弾を放り込んできた。
「えっ!?」
ユリアンは思わずギクリとしてしまった。
「だって、私に少し似ているから」
ユリアンは考えた。
そうなのか?遠慮なく指摘してくるところはそうなのかもしれない。
ユリアンが悩んでいる間に言った本人は恥ずかしくなってまたそっぽを向いた。
そんなカーテローゼのことを可愛く思えて、ユリアンはつい言ってしまった。
「僕、君のことは好きみたいだ」
「知っていたわ!」
カーテローゼはなかなか顔を戻してくれなかった。
舞踏会は終わった。だが、祝賀会は続いていた。舞踏会に遠慮して来ていなかった者達もやって来た。
ホーランドがルドルフ2世の捕縛劇に尾ひれをつけて語っていた。
グリーンヒル大将とマリーンドルフ伯がお互いの娘の話題で盛り上がっていた。言い換えれば愚痴の言い合いであった。
トリューニヒトは、お抱えの広報担当と思われる人達と何やら打ち合わせをしていた。
ポプランは会場でナンパを試みていた。先ほどはカーテローゼに声をかけたところをシェーンコップに声をかけられ、事情を知って戦略的撤退をかましていた。
メックリンガーはクレーフェ伯と芸術談義に花を咲かせていた。
ジークフリード帝はシュトライトとアンスバッハに話しかけていた。
ユリアンはいつの間にか会場に来ていたヤンに話しかけた。
「ヤン提督、いろいろお世話になりました」
「ははは。殺しあったり、喧嘩したり、交渉したり。私達の関係も忙しいね」
「そうですね」
笑いあった後、ユリアンは真面目な顔でヤンに手を差し出した。
「ヤン提督、もしかしたらこれからも、僕のせいで殺し合うようなことになるかもしれません」
ユリアンはこれから自分がどうなるか、どうしていけるか自信がなくなっていた。
ヤンは穏やかに答えた。
「そうかもしれないね」
「でも、どうか、これからもよろしくお願いします」
殺し合うにせよ、そうではないにせよ。
「君は私にとって何なんだろう?世話が焼ける歳の離れた弟といったところかな?喧嘩したってまた仲良く話せる存在だ」
ヤンはそんなことを言ってユリアンの手を握り返した。
「こちらこそ、よろしく」
そこに乱入者があった。
「はい!その状態で止まっていてくれたまえ。君そこから写真を撮ってくれ。ああ、トリアチ君、右端あたりに立ってくれたまえ。こういう時に存在を示しておくのが選挙で大事なんだから」
乱入者はトリューニヒトだった。
トリューニヒトはユリアンとヤンが握手している間に立って満面の笑みで手を広げた。
「戦争で殺しあった二人の司令官が、新銀河連邦主席の元で和解する構図だ。絶好の宣伝になるぞ!さあ二人とも笑顔になって!」
握手したまま固まったヤンに構わず、広報担当は写真を撮りまくった。
その写真は、この終戦会議を象徴するものとして長く歴史に残った。
死んだ目をしたヤンと、柔らかい笑みを浮かべるユリアン、そしてその間で満面の笑みを浮かべるトリューニヒトという構図は、歴史を学ぶ者にこの戦いの勝者が誰かを考えさせる材料となった。
その後も祝賀会は続いた。
トリューニヒトは、忙しく要人への挨拶と今後の協力の依頼のため、会場を歩き回った。
ヒルダと挨拶を交わしたとき、彼は少しだけ動揺を見せた。
「どうされました?」
「いえ、大したことではありません。外務尚書。それよりもオリオン王に関して……」
シェーンコップはミュラーに改めて挨拶した。ミュラーはシェーンコップがカーテローゼの父親であることを知り、当然ながら驚いた。
クレーフェ伯はシャノン国務委員長と親交を深めていた。
マルガレータは懊悩していた。
「随分彼と仲良くなったようだね」
その声の主はゾンビのような目をしたヤンだった。
「何があったのですか!?」
「ああ、いや、ちょっとね。それよりもさっきの話だけど」
マルガレータはため息をついた。
「仲良くなったように見えましたか。でも逆です。やらかしてしまいました。仲良くなるつもりもなかったんですが、それでもまずはもう少し彼のことを理解したかったです」
マルガレータはヤンに細かい部分はぼかしつつも説明をした。
ヤンは笑って言った。
「多分大丈夫だよ。彼は言い合いになっても後に引きずるような人間じゃないさ。私だって彼と殺し合いだって喧嘩だってしたことあるし。でもまあ、それなりにやっているよ。つい先ほどだって、また殺し合うかもしれないけどよろしくって握手して来たところさ」
「それはそれで大丈夫じゃないような……」
「まあ、君は嫌でも話をする機会ができるだろうね」
「どういうことでしょう?」
ヤンはマルガレータの目を見た。
「マルガレータ大尉、君にはそろそろ副官をやめてもらおうかと思っている」
「ええっ!?」
マルガレータの声は悲痛な色に満ちていた。
「誤解しないで欲しい。君は私には勿体無いくらいの副官だ」
「それならどうしてですか?」
「君の才能が副官で終わるには勿体無いからだよ。君は外で経験を積むべきだ。君はまもなく少佐になる。少佐になれば一艦を指揮できる。君には新銀河連邦の下部組織、銀河保安機構新設の独立保安官として出向してもらいたい。これからの時代、そちらの方が経験を積めるし、活躍の場も広くなるだろう」
ありがたい話だった。マルガレータはヤンの元を離れたくない気持ちをなんとか抑えて答えた。
「ヤン提督の名を汚さぬよう、精一杯務めたいと思います」
別にヤンと一緒に仕事ができなくなるわけでもないのだ。
「私の名は他のことで汚れまくりだから、気にしないで頑張っておいで。私はそろそろ楽隠居させてもらうよ」
マルガレータはヤンのその言い方に違和感を持った。
「あれ?でも……」
そこで、祝賀会の司会を務めるハッセルバック男爵が全体にアナウンスを行なった。
「ここで、トリューニヒト主席より、新銀河連邦の要職を担う方々を紹介させて頂きます」
トリューニヒトは壇上に上がり、役職名と名前を読み上げていった。
呼ばれる名前に予想外のものは殆どなかった。
いずれも終戦会議の中で既にほぼ決まっていたからである。
「銀河保安機構長官 ヤン・ウェンリー」
その名が呼ばれた時、叫び声が上がった。
「どうして!?」
ヤン本人だった。
静まり返る会場で、ウォーリック伯が怒鳴った。
「終戦会議の時に決まっただろう!やけに大人しく頷くんだなと思っていたが、さては居眠りして船を漕いでいたな!」
呆れ返る会場の面々だったが、決定は覆られなかった。ヤンの性格を疑う者はいても、能力を疑う者はいなかったからである。
呆然とするヤンの服の袖が引っ張られた。見るとマルガレータが満面の笑みを浮かべていた。
「ヤン提督、これからもよろしくお願いします」
ヤン提督はマルガレータのことを不覚にも可愛いと思ってしまった。
もっと情が移る前に副官をやめてもらって正解だったかな、とヤンは思った。
だからこの時、ヤンは気づかなかった。会議においてヤンの名前が出された時にマルガレータがヤンを起こさなかったことを。マルガレータが、ヤンが強硬に拒絶することを予想して、寝ている間に事を進めた面々の中の一人であることを。
祝賀会も終わりに近づいたその時、慌ただしく会場に入って来た者がいた。ヤン艦隊の留守番役のハルトマン・ベルトラム准将だった。
「ヤン提督!緊急報告です!」
ヤンの周囲に緊張が走った。
ベルトラムは報告した。
「お子さんが産まれました!」
ヤンはローザ・フォン・ラウエと結婚していた。
結婚にあたっての問題は、ローザが故ラウエ伯の直系で生き残っているただ一人の子であったことだった。ローザと結婚するにあたって、ラウエ伯の継承の問題が発生するのだった。
ローザはヤンがラウエ伯を継いでくれることを期待したが、ヤンは拒否した。拒否した挙句に提案したのが、ローザが伯爵家を継いで女伯となり、自らはその夫となるも伯爵は名乗らないということだった。諸侯の中にはヤンの判断に否定的な者もいたが、ヤンが伯爵らしく振舞うかというとそれも疑問ということで、結局容認された。ローザも、結婚できるなら文句はなかった。
結果、ヤンは正式にはヤン・ラウエ・ウェンリーとなった。
そして、ローザは妊娠し、ワープが母体に障るとあうことで副官をやめ、後任をマルガレータに任せたのだった。
ヤンは艦隊の通信室に急いだ。スクリーンにはローザが赤ん坊を抱いて映っていた。
ヤンは嬉しくなった。
まだ小さい我が子、それでも一生懸命動いている……
ヤンは愛する我が子のためにも銀河保安機構の仕事を頑張ろうと思った。
ローザは笑顔で伝えた。
「男の子ですよ。名前考えないといけませんね」
ヤンは頭を悩ませた。
「そうだね。ユルゲン、ユリウス、ユストゥス……」
「……何でJで始まる名前ばかりなんですの?」
必死で名前を考えるヤンに、ローザは笑顔のまま尋ねた。
「ところで……あなたの艦隊の、とある方から聞いたんですけど」
ローザは笑顔のままだったが、何故かヤンは恐怖がこみ上げて来た。
「マルガレータ大尉と一晩中部屋に篭っていたとか、部屋で手を取り合っていたとか……あなた、浮気してませんわよね?」
ヤンはローザの誤解を解くのに三時間を要した。
ヤンが走り去ったことで、一人残される形になったマルガレータは、少し寂しげに見えた。
淡い恋心に自覚がないまま失恋し、自分の心情をいまだ理解できない乙女。ハルトマン・ベルトラム准将にはマルガレータがそう見えた。
ハルトマン・ベルトラムはマルガレータに声をかけようか散々迷い、ついに声をかけようとした。
「大丈夫ですか?フロイライン」
その機会は、急に現れたベンドリングに掻っ攫われてしまった。
こうして、終戦会議とそれに続くイベントは無事に終了したのだった。
銀河に新しい時代が来た。