モールゲン基地襲撃という大事件に、ガニメデでは予定されていた条約締結記念パーティが中止となった。
モールゲンの状況は予断を許さなかった。
深夜、ユリアンは銀河四国の首脳達に呼び出された。
ユリアン自身、彼らに声をかけようとしていたところだったが、機先を制されたことに不吉なものを感じた。
その四人、レベロ、ウォーリック伯、ジークフリード帝、ケッセルリンクは先に来ており、ユリアンを取り囲む形となった。
ケッセルリンク以外の3人は皆険しい顔をしていた。ケッセルリンクは何か言いたげであったが黙したままだった。
レベロが用件を切り出した。
「我々は今回の事態に、約束をどうしたものかと思っている。地球教、そして、ルドルフ2世の危険性が改めて示されたのだ。しかも襲撃とは、終戦条約を反故にされたのも同然ではないかね」
ユリアンは心臓を掴まれる思いがしたが、表情には出さないように努めた。
「過激派の残党がいることも彼らがテロを起こす可能性があることもは元々織り込み済みの話だったではありませんか?たまたま時期が重なっただけのこと」
ジョアンは同意しなかった。
「時期が重なったことが問題なのだ。四国のそれぞれで、終戦条約に反対する者は多かったのだ。今回のことで彼らは勢いづくだろう。……ある意味よい機会だったとも言える」
ユリアンは続きを聞きたくなかった。
「危険分子を抱え込むことなど銀河と民主主義のためにするべきことではなかった。銀河の秩序を一刻も早く回復のためにやむを得ないことではあったが、そうしないで済むならそれがよい。幸い死刑の不適用も月と地球の自治も秘密の内容であることだし」
ジョアンの目は悪意と猜疑の塊のようにユリアンには思えた。これが良心的政治家と言われた男の目だとは到底信じられなかった。
ウォーリック伯も言葉を重ねてきた。
「だから、な。ミンツ伯ユリアン。君も納得して欲しいんだ。すべて白紙にして、四国の合議で決めることをね。月の民も、自治はともかくとして、あまり酷い取り扱いはしないと誓おう。あまりお金はかけられないし、どこかの惑星で農業にでも従事してもらおうか」
それは、低重力に適応した月の民の多くにとっては死の宣告に等しかった。殺しはしない、放っておくから後は勝手にのたれ死ね、つまりはそういうことだとユリアンは解釈した。
「あとは、ルドルフ2世やその他の悪人どもがこの世からいなくなるだけのこと。それだけのことさ」
ジークフリード帝も、さらにはケッセルリンクまでもが頷いた。
今回の話が銀河四国の総意であることは疑いようがなかった。
ユリアンは怒りが湧いてくるのを感じた。
「納得できません!この襲撃もあなた方が仕組んだことでしょう!」
ウォーリック伯は失望したというように首を横に振った。
「それを言ってしまっては我々の信頼関係は崩れたも同然ではないか。君の意思を確認する機会を持ってやった我々の善意を否定するのなら、我々も君の意思を無視してよいということになるのではないかな」
ウォーリック伯は意地の悪い顔になった。
「そうだ、こういうのはどうだろう。残党と交戦中、流れ弾でルドルフ2世も他のメンバーも死亡。それに抗議する地球教徒達が月で集団自殺。それが最も収まりがよいな。そういうことにしよう」
ユリアンは不用意な発言を後悔した。
「申し訳ありません。失言でした。ですがどうか、地球と月の民に寛大な処置を!まだ道理のわからぬ少年にどうか慈悲を!私の命で替えられるならそれでも構いません!」
ユリアンは四人全員に頭を下げた。
ジークフリード帝だけは少し心を動かされた様子だったが、他の者は何の反応も示さなかった。
ウォーリック伯が残酷に告げた。
「君ごときで代わりになどなるものか。諦めるんだな」
ユリアンは心が憎悪で濁っていくのを感じた。
「それなら……」
きさま達全員、いや、銀河全土を地獄にたたき落としてでも少年皇帝と月の民を救ってやる。救えなかった時は、生まれて来たことを後悔させるようなやり方で殺してやる。何度でも殺してやる。きさまたち四人の命で償えるものか!
そう口から出そうになった時、パンパンと手を打ち鳴らす音が聞こえた。
「それまで!それまで!」
トリューニヒトだった。
その後ろにはヤン・ウェンリーが続いていた。
レベロがトリューニヒトを咎めた。
「何だ、トリューニヒト。今はトップ同士の話し合いの場だ。君の出る幕はない」
トリューニヒトは困ったように笑った。
「いたいけな青年一人を、銀河のトップが取り囲んで虐める会の間違いではないかね?彼が心優しい青年だということは十分わかっただろう?」
ウォーリック伯が露骨に顔をしかめた。
「茶化すのはよしてくれ。今は銀河の未来を決める話し合いをしているんだ。ヤン提督、君もここにいるべきではないぞ」
トリューニヒトは平然としていた。
「銀河の未来にとって重要だから私もここに来たんだよ。何せ、この男、ザ・非常識男のヤン・ウェンリー君が、約束を反故にするつもりなら秘密の覚書の内容を世間にばらすと言ってきかないんだから」
「「なっ!?」」
皆唖然とした。ヤン本人までもが唖然としていたがそれには皆気付かなかった。
四人が同じ思いを抱いた。
ヤン・ウェンリー、終戦会議でも居眠りをしていた歩く非常識。フェザーンの経済活動に大打撃を与え、月すらも破壊しようとした彼ならばやりかねない。政治の常識は全く通用しそうにない。
ヤンを止めるにしてもこの非常識人はもう秘密をばらす手配まで済ませているかもしれない。迂闊なことはできなかった。
トリューニヒトは考え込みながら言った。
「あと、ヤン君はこうも言っていたな。オーベルシュタイン中将がどうとか」
ウォーリック伯は内心舌打ちをした。
トリューニヒトはオーベルシュタインが裏で動いていたことを察して、ウォーリック伯を脅しにかかったのだ。
トリューニヒトは笑顔で続けた。
「だから、みんなでどうすればよいか相談しようじゃないか?みんなで幸せになれる方策を考えよう」
トリューニヒトの仕切りでどうにか話がまとまった時には既に日を跨いでいた。
終戦条約の内容は守られることになった。
とはいえ、モールゲン基地襲撃事件はまだ解決を見ておらず、基地内の状況も外部に伝わって来てはいなかった。
2日目午前は会議がキャンセルされ、その状況が注視されることになった。
部屋にはトリューニヒトとヤン、そしてユリアンが残された。
トリューニヒトは疲れたと言って座り込みながら、優しげな笑顔をユリアンに向けた。
「危ないところだったね」
ユリアンはただ感謝するしかなかった。
「ありがとうございました。トリューニヒトさん、ヤン提督。おかげで月の民と、皇帝陛下が救われました」
途端にトリューニヒトから笑顔が消えた。
「わかっていないようだね。危なかったのは月の民でもルドルフ2世でもない」
トリューニヒトはまじまじとユリアンを見つめた。
「君だよ」
ユリアンは理解が追いつかなかった。
「どういうことですか?」
「彼らはルドルフ2世のことも月の民のことも、厄介には思っていたものの、今どうこうすべき対象とは思っていなかったんだ。今回まとまった解決策も、彼らは最初から思いついていたのさ。だから今、彼らが気にしていたのは君なんだ」
「何故僕なのですか?」
「ユリアン君、君は自分の特異性を理解していないんだな。まあ考えてみてくれ。とある人物が単身悪の帝国に入り込み、数年にしてその全権を掌握した。その帝国は世界を相手に戦いを挑み、その人物も戦争を主導した。にも関わらず、その人物はその帝国を生贄にしてこれからも世界の政治に関わり続けようとしている。しかもまだ若い。どう思う?」
ユリアンは素直に答えた。
「怖いですね」
「君だよ。周囲から見た君だ」
ユリアンは驚いたが、考えてみるとその通りだと気づいた。
「ルドルフ2世のように血統によらずにここまでのことをしでかした。それにまだ十代。長じれば銀河全体を滅びに導くようになるかもしれない。このまま君を自由にしてよいものか、彼らは判断に迷っていたのだ。だからあえてルドルフ2世や月の民をだしにして君を挑発して人となりを見ようとしたんだ。ユリアン君、君は最後何を言いかけていた?ケッセルリンク君が事前に知らせてくれていなければ間に合わなかったところだったぞ」
ユリアンはそのことを思い出していた。彼は激情のあまり、言ってはならぬことを言いかけていた。他人に対して自分があそこまで憎しみを抱けるとは今でも信じられなかった。
トリューニヒトがあそこで止めてくれなければユリアンはきっと排除されていただろう。
トリューニヒトの目は常になく厳しかった。普段の笑みは影を潜めていた。
「君は、奈落に張り渡された細い綱の上を歩いている。そのことをしっかりと自覚するんだ」
ユリアンはその情景を想像し、足の力が抜けた。ぐらついた彼の体を支えたのはヤン・ウェンリーだった。彼は優しく語りかけた。
「大丈夫だ。大丈夫。私が生きているくらいだ。なんとかなるものさ」
トリューニヒトも表情を緩めた。
「たしかに。ヤン君なんて、私に排除されそうになったのに生き延びて、ユリアン君に殺されかけても生き延びて、フェザーン商人達に恨まれて出禁になって、木星でもいろいろな人の恨みをかって、それでも生きているんだ。……よく生きていられるものだ」
最後は真顔で問いかけたトリューニヒトに、ヤンは返した。
「あなたにだけは言われたくない!」
トリューニヒトはそんなヤンの叫びを無視した。
「それに君には味方がいる。私も、それにきっとヤン・ウェンリー君も味方だ」
ヤンは頷いた。
「君のことはいろいろと心配だからね」
ユリアンは涙が出そうになった。
「こんな僕のためにありがとうございます。そこまでしてもらえる資格は、僕にはないのに」
トリューニヒトは少し傷ついた顔をした。
「何を言っているんだ。君は私の被保護者じゃないか」
ユリアン自身は、既にそのような関係ではなくなってしまったと諦めていた。だがトリューニヒトは彼が心の奥底で欲していた言葉をかけてくれたのだ。
「僕はまだそう思っていてもよいのでしょうか」
「駄目な理由はないし、これからも私はずっと君の保護者のつもりだよ」
「ありがとうございます」
ユリアンはその一言を返すので精一杯だった。
ヤンは溜息をつきたい心境だった。トリューニヒトはユリアンを再び手駒としたようなものじゃないか、と。
ユリアンが去り、後にはトリューニヒトとヤンが残った。一刻も早く立ち去ろうとしたヤンを、トリューニヒトは呼び止めた。
「ヤン君。私の被保護者のためにありがとう。恩に着る」
ケッセルリンクから連絡を受けたトリューニヒトは、自分では事態解決に力不足と感じ、ヤンに協力を求めたのだ。頭まで下げて。
ヤンは心底嫌そうな顔をしながら引き受けた。あくまでユリアンの為だと主張して。
ヤンはトリューニヒトの感謝の言葉には応えず、代わりに質問をした。
「これからも彼を手駒として使うつもりですか?」
「そのつもりはないのだが、そう見えてしまうことにはなるのだろうね」
ヤンは悪い方に解釈した。
「つまり、そのつもりなんですね」
トリューニヒトは肩をすくめた。
「その調子で、私の被保護者を気にかけてやってくれ。彼は自らの巨大な才能に振り回されているように見える。保護者として心配だ」
ヤンはさらに毒をはいた。そういう心境になっていたのだ。
「あなたが保護者じゃなければ彼ももう少し真っ当に育ったんじゃないかと思いますよ。今からでもどなたかに保護者の役割をお譲りになってはどうですか?」
トリューニヒトはヤンの悪意を意に介さなかった。ただ自らを省みて溜息をついた。
「まったくだ。保護者としての責任を痛感する。だが、彼の保護者の役目を降りるつもりはないよ」
「あまりに彼を都合よく利用しているようだと、無理矢理にでも引き離して差しあげますよ」
「肝に命じておこう」
トリューニヒトの言葉を利己的な野心を取り繕うものとヤンは常に解釈したし、トリューニヒトはそんなヤンにわかってもらう努力を半ば放棄していた。ヤンは時間を無駄にしたと感じながら、出口に向かった。
「その時は彼を頼むよ」
だが、去り際に聞いたトリューニヒトの言葉は、意外なほどヤンの胸を打つことになった。