宇宙暦802年 1月30日
ジークフリード帝は久しぶりに首都星オーディンに戻った。
各地の内乱は完全には収まっていなかったが、皇帝親征を行うべき規模でもなく、対処は大将以下の司令官に任されることになった。彼らはこれが戦功の最後の立てどころと勇躍して臨んでおり、時を置かずにすべて解決するものと考えられた。
アンネローゼは無論宇宙港まで出迎えに来てジークフリード帝の無事を喜んだのだが、ジークフリード帝とヒルダに、後で三人で話がしたいと言い残して先に新皇宮に戻ってしまった。
後に残されたジークフリード帝は、ようやく負傷の癒えたミッターマイヤー元帥から「何があっても私は陛下の味方ですから」と妙な激励を受けた。
新皇宮、シルヴァーベルヒの手によってオーディンにようやく完成した
アンネローゼは、ジークフリード帝に要求した。
「どうかヒルダさんを側妃に迎えてください」
ジークフリード帝は思わずヒルダの顔を見た。
ヒルダが何も聞いていないことはその表情から明白だった。
「帝国の危機は終息に向かっています。以前とは状況が違いますし、前から伝えているように私はあなた以外を妃に迎えるつもりはありません。無論フロイライン・マリーンドルフは素晴らしい女性です。しかしそれは問題ではありません」
アンネローゼは憂いに満ちた表情を見せた。
「ジーク。何故わたしがこのようなことを言うのか、わかっているでしょう?わたしはあなたの子を産めないのよ」
アンネローゼは不妊なのだった。それも複合的な要因であり、卵子にも問題がある上に、子宮機能にも問題があった。
そのことをアンネローゼはこの機会にヒルダに説明した。
アンネローゼは元々、後宮に属する一人として、ルドルフクローン計画のための母胎となるはずであったが、不妊ゆえにベーネミュンデ侯爵夫人のような悲劇は避けられた。
しかし、役目を果たせないにも関わらず、秘密を知っているという立場は非常に危険なものだった。人知れず消される可能性もあったところを皇帝フリードリヒ4世は憐れみ、自らの寵姫であるとしてアンネローゼの身を守ったのだった。
ヒルダはアンネローゼが今まで自分にジークフリード帝を任せようとしてきた真の理由を初めて知った。
アンネローゼはヒルダに話を向けた。
「ヒルダさん、あなたの気持ちはどうなの?」
ヒルダは、自らの狡さを自覚しつつも、自らの気持ちに正直になろうと決めた。カストロプの動乱で父と自らの命を救ってくれた皇帝になってさえ温和な人柄のままであり続け、それ故に苦しんでいる青年に対する気持ちを。
「すべては陛下の御意のままに。しかし、もし陛下からお話を頂けるのでしたら、一人の女として喜んでその御意に従うでしょう」
ジークフリード帝は、驚いてヒルダを見た。
初めてその心が揺れた。
時間をかけた末にジークフリード帝は答えた。
「フロイライン・マリーンドルフ、あなたにそのように言ってもらえたこと大変嬉しく思います。本当に。しかし、私は二人の女性を愛せるような器用な人間ではありません。あなたと、アンネローゼを不幸にすることになります」
「ジーク」
アンネローゼはジークフリード帝をなおも説得しようとした。
「皇后陛下、もう結構です」
しかし、それをヒルダが止めた。
……先ほどの逡巡、もしやと期待してしまった。しかし彼の迷いは、私への愛ゆえのものではなかった。どうしたら私を悲しませないかを探していただけだったのだ。私が彼の子供を産めば、アンネローゼ様の心情も立場も不幸な側にしか動かない。そうである以上、答えは最初から出ていたも同然だった。アンネローゼ様を不幸にせずに、私を妃に迎えることができるなら、彼は私を悲しませないためにそうしたかもしれない。しかしそこに彼の愛はない。それはそれで私が惨めなだけではないか。
「既に陛下の中でお答えは出たのです。私としてはそれを受け入れるのみです。皇后陛下、無礼を承知で申し上げますが、これ以上私を惨めにしないでください」
「ヒルダさん……」
「フロイライン……」
二人ともヒルダのことを気遣っていた。
そのことがヒルダにさらに複雑な思いをいだかせた。
……自分のことよりも他人のことを優先する似た者夫婦。二人がもう少し自分自身に正直であれば、私が余計な期待をすることも、惨めな気持ちになることもなかっただろうに。
ヒルダはしばらく下を向いていた。そうしながら気持ちを切り替えた。
「皇帝陛下、ここからは首席秘書官としてお話をさせてください。皇后陛下、ご不快に思われることもあるかと思いますが、どうかお許しを」
二人が頷くのを見てヒルダは話を続けた。
「単刀直入にお尋ねしますが、陛下は後継者の問題をどうお考えですか?皇后陛下が不妊であることは事実。ならば、嫡子以外で後継者を選ぶ必要があります。フリードリヒ4世のように後継者を決めないなどという選択は最悪の事態を招きます。皇后陛下もそのことをずっと心配されております」
アンネローゼは頷いた。
「ローエングラムのご血縁のどなたかということが通常考えられますが、現在それに該当するのはアンネローゼ様以外にはおりません。残る答えを歴史に求めた場合、あり得るのは、有能かつ信望ある者への禅譲、あるいは庶子」
最後の一言にジークフリード帝が疑問を持ったのを見てヒルダは付け足した。なるべく感情を表に出さないようにしながら。
「側妃でなくとも陛下のお子は産めます。私でも構いません。陛下を諦めきれない私を憐れんで、一夜の寵愛をくださったことにすればよいのです」
ジークフリード帝は即座に拒否した。
「あなたに……いや、誰であれ、そんなことはさせられません」
「……となれば、禅譲の相手を考える必要があります。しかし、判断を誤ると内乱を招きますので慎重に選ばなければなりません。誰もが納得するような相手を」
それはそれで困難な事業だと言えた。
アンネローゼが思いつめた顔で切り出した。
「ジーク、私は決めていたことがあります」
「何でしょうか?」
「私は新皇宮を出ます。当分は会わないようにしましょう」
「アンネローゼ!」
「皇后陛下!」
アンネローゼは寂しげに笑った。
「私はあなたを愛しています。でも、皇帝としての義務よりも私のことを優先するあなたを見るのは耐えられない。それによって、弟とあなたでつくったはずのこの国が壊れていくのを見るのは耐えられない。私はあなたの傍にいない方がよいのです。私は駄目になったあなたさえ愛してしまうような愚かな女だから」
「アンネローゼ、私はラインハルト様からあなたのことと、この帝国のことを任されました。どちらも疎かにするつもりはありません」
「しているではありませんか!」
アンネローゼは珍しく感情を露わにした。
ジークはまだわかっていないのかと。
ジークフリード帝は穏やかに言葉を続けた。
「いいえ。ラインハルト様に任されたのはローエングラム王朝としての帝国のことではありません。この帝国に生きる人々のことです。私は彼らのために一度帝国を解体し、再編しようと思うのです」
ジークフリード帝はアンネローゼとヒルダに自らの構想を説明した。
選挙君主制。
それが、ジークフリード帝の提示したものだった。
帝国の地方分権を進め、各地域を貴族領、直轄領、自治領、帝国自由都市などに分けた上で、各地域の長を構成員とする帝国議会を設ける。
皇帝はその権限を大きく縮小し、名誉的地位とし、ジークフリード帝が崩御するか退位するかした後と空位とする。
その下に任期付の「王」を設け、その王を各地域の長が帝国議会における選挙で選ぶというものだった。
ヒルダはジークフリード帝の構想に衝撃を受けていた。
そのような体制があり得ることは知っていた。独立諸侯連合はまさにそのような体制だった。
しかし、それを今の銀河帝国と結びつけて考えることがヒルダにはできていなかったのだ。未だに皇帝は不可侵にして一系、万事を司るとの思い込みから、ヒルダも自由ではなかったということだ。同時にジークフリード帝の見識を甘く見ていたことも自覚した。
しかし、検討が必要な要素もあった。
「陛下、歴史上たしかにそのような政体はありました。しかし、多くの場合は周辺諸国の干渉を招いて国が弱体化しました」
「その懸念はたしかにあります。しかし、それは世襲制で後継ぎに恵まれない場合も同じですし、地政学的なことを考えれば、新体制下で我が国にまともに干渉できるのは独立諸侯連合のみです。そして独立諸侯連合自体が選挙君主制の国なのですから、お互いに干渉を防ぐ手立ても考えられるでしょう」
「もう一つ。周辺諸国の干渉を受けなかった国家においては、選挙君主制は最終的に世襲制に変化することが殆どでした。それについてはどうお考えでしょうか?」
「その可能性はあります。しかし、おそらくはそうならないでしょう。なぜなら今後、銀河全体の流れとして否応なく民衆の権利拡大が進むからです。今すぐに臣民による直接選挙を導入するつもりはありませんが、地域の長が臣民に選ばれる地域が、少しずつ増えていくでしょう。臣民の移動の自由も段階的に規制を緩めるつもりですから、民主主義が真に優れているなら、殆どの臣民が民主主義を採用する地域に居住するようになるでしょう。その先に現れるのは、君主国の皮をかぶった民主主義国家です。銀河連邦の緩やかな復活と言えるかもしれない」
自由惑星同盟が国際協調組織構想を主導しようとしている現在、人権尊重の名目でジークフリード帝の言ったような状況が生まれようとしていた。
それはヒルダも思い至っていた可能性であり懸念だったが、ジークフリード帝はそれを許容すると言っているのだった。
ジークフリード帝の話は続いていた。
「その流れに逆行する形で、専制君主制を実現させられるとするなら、余程の傑物でしょう。ラインハルト様、あるいはルドルフのような。しかし、それはその時の話です。私自身は敢えてそれを止めようとは思いません。私は同盟の人間のように民主主義に思い入れはありませんし、賢人政治を否定する気もないですから。
私はこの選挙君主制を私が皇帝を務める間に導入し、試行錯誤を見守るつもりです。
私はこの国を自ら治めてみて実感しました。この国の大きさは平凡な一人の人間の手には余る、と。一人で満足に治められるのはラインハルト様のような特別な人間だけです。正直なところ、そういった形でラインハルト様の特別性を世に示したい気持ちもあるのです」
ヒルダはジークフリード帝がよくよく検討した上でこの構想を口に出したことを理解した。
「それと、もう一つ。私は銀河帝国という国号を変えようと思うのです」
これもヒルダに新鮮な驚きをもたらした。
「思えばこの国号のために多くの者がその身を犠牲にしました。銀河を我が国が遍く統治しなければならぬ、他の国など認められぬ、征服しなければならぬ、と。ですが、宇宙を手に入れられるだけの実力を持っていたラインハルト様亡き今、この国号は我が国の外交に無用な束縛を与えるだけのものとなりつつあります。私はヨブ・トリューニヒトとユリアン・フォン・ミンツの二人をある点で尊敬しています。彼らはそれぞれ、自由惑星同盟と地球教団、二つの組織を過去の呪縛から解き放とうとしています。我が国だけが妄執にしがみつくことは我が国にも銀河全体にも利益をもたらしません」
「しかし、反対も多いでしょう」
「だからこそ今なのです。反乱の鎮圧されたこのタイミングであれば、ドラスティックな改革も可能なのです」
ヒルダは、一つの可能性に気づき慄然とした。
「そのために帝国の弱体を見せ、反乱を大きくしたのですか?」
ジークフリード帝はかぶりを振った。
「まさか。いたずらに民を損なうなど為政者のすべきことではありません。すべて私の不明のもたらしたものです。ですが、こうなったからには改革の機会にすべきだと思いました」
ヒルダは納得した。
……問題がないとはいえないが、それは他の制度でも同じことだった。少なくとも、陛下はこの国の行く末に関して一つの答えを出した。アンネローゼ様の幸せと両立するような答えを。
「皇帝陛下、承知しました。もはや秘書官として言うべきことはありません。皇后陛下、皇帝陛下は後継ぎの問題に一つの答えを出されました。もう、ご安心なさっていいのですよ」
アンネローゼはヒルダの言葉を聞き、涙を流した。
「本当に?私はジークと離れなくてもよいの?」
ヒルダはわずかな胸の痛みを無視して微笑んだ。
「ええ、勿論です」
当のヒルダ自身はジークフリード帝から離れるつもりだった。
秘書官を辞め、マリーンドルフ領の統治に力を注ぐことになるだろう。アンネローゼの慰留で務め続けていた秘書官職だったが、側妃の話も無用となった今その必要もないだろう。ヒルダとしてはジークフリード帝と議論ができなくなるのはこの上なく寂しかったが、今のままでは自分もジークフリード帝も気まずいだけだろうと考えていた。
だが、ヒルダの心を読んだかのようにジークフリード帝が声をかけてきた。
「フロイライン・マリーンドルフ、秘書官の仕事は今日までとしてください」
自ら決意していたことだったが、ヒルダは刺されたような気持ちになった。
ヒルダは平静を装って答えた。
「勿論です。陛下」
しかし、ジークフリード帝の言葉には続きがあった。
「ゲルラッハ伯爵の後任として外務尚書となって頂きたいのです」
「私がですか!?」
女性の尚書など前代未聞だった。
「あなた以外の適任者など、私には思いつきません。ヤン提督との交渉でも随分と助けられました」
ヒルダはなおも考え込んだ。
「フロイライン・マリーンドルフ。あなたは私にとって大事な人です。側妃などではなく、政治上の相談相手としてこれからも私を助けてくれませんか?」
ヒルダは運命の皮肉を感じた。
……元々世の人の言う女としての幸福より、この銀河の行く末に関わりたいと考えていた。女としての幸福を望んだ時になって、それが叶うとは。
だが、ヒルダにとってジークフリード帝と愛を語らうよりも、政治の話をすることに心惹かれているのも事実だった。
結局収まるべきところに収まったのかもしれない。
そう思いながらヒルダは返事をした。意外なほど穏やかな気持ちになっていた。
「はい、陛下、おうけいたします。わたしでよろしければ……」
ヒルダが部屋を出て、次にしばらく間があいてアンネローゼが出て行った。
最後にジークフリード帝が部屋を出て、目にしたのはワインのボトルとグラスを手にしたミッターマイヤーだった。
「ミッターマイヤー元帥……」
ミッターマイヤーは苦笑いを見せた。
「どうやら余計な心配をしてしまっていたようです。臣は退散することにします。このワインは献上させて頂きますので。410年ものです」
ジークフリード帝は、ミッターマイヤーがここにいた理由を察した。
「いいえ。ありがとうございます。少し早いですが、たまには一緒に飲みませんか?ラインハルト様やロイエンタール元帥の話もしたいですし、ミッターマイヤー家の夫婦円満の秘訣を教えて頂きたい心境なのです」
ミッターマイヤーは目をわずかに見開き、次の瞬間には笑顔を見せた。
「喜んで。
ミッターマイヤーは帰宅後、エヴァンゼリンに事の次第を説明した。
エヴァンゼリンは、説明を終えて雨降って地固まったと呑気に構える夫に言った。
「陛下も罪なお人ね」
妻の不敬発言にミッターマイヤーは驚いた。
「おい、エヴァンゼリン」
「だってそうじゃないですか。ヒルダさん、これからも陛下から離れられなくなってしまったわ。きっと他の人と結婚なんてしないでしょうね」
恋愛はミッターマイヤーの得意とする戦場ではなかった。
「そうか。そうなるのか……」
「まあ、ご本人達がそれで満足ならよいのだけど。別に結婚したから子供をつくらないといけないわけでもなし。側妃にお迎えなさった方がヒルダさんにとっては幸せにつながったのではないかしら」
「そうかもしれん。だけどやっぱりアンネローゼ様のことがあるし、陛下も頑固だからな。余程のことがない限り状況は変わらないだろうさ」
その余程のことが起こり、ミッターマイヤー家もそれに巻き込まれるのは、もう少し先の話であった。
宇宙暦802年1月25日 クラインゲルト星域(新帝国領、神聖銀河帝国旧勢力圏) ホーランド艦隊
ホーランド提督はまたも不機嫌だった。
自らが同盟の内乱を解決するのだと意気込んでいたのに、回廊を塞ぐ機雷の処理に手間取っている間に、アッシュビーとトリューニヒトに手柄を掻っ攫われてしまったのだ。少なくとも本人はそう考えていた。
トリューニヒトの演説で多くの場所で救国会議勢力は降伏、あるいは鎮圧された。
最後に残ったシャンプールで、救国会議勢力の生き残りが頑強に抵抗を続けていた。ホーランドはこれを鎮圧して、自らの名を知らしめようとしたが、宇宙艦隊司令部より別の指令があり、断念せざるを得なくなった。
「モールゲンに神聖銀河帝国軍が接近しつつあり、機先を制して神聖銀河帝国勢力圏に逆侵攻し、これを早急に撃滅すべし」
この指令にホーランドは意気込み、イゼルローン回廊を逆進し、神聖銀河帝国領土に急ぎ乗り込んだのだが、敵などどこにも見当たらなかった。
その間に、シャンプール基地は、オーブリー・コクラン准将が周辺諸星系の兵力を糾合して陥落させてしまった。
同盟の内乱もこれで終結を見た。
怒り心頭のホーランドは宇宙艦隊司令部に指令の正当性について抗議を入れた。イゼルローン回廊の通信状態が悪い中、ようやく返ってきたのは、そのような指令は出していないという返答だった。
さらにはシャンプール鎮圧の指示を無視したばかりか、仮にも新帝国領を無断で侵犯するとは何事かと逆に詰問する内容だった。
ホーランドとしては踏んだり蹴ったりの状況である。
「俺は帝国を滅ぼす者、ホーランド元帥のはずなのに……」
そこに、宇宙艦隊司令部より再度指令があった。
「神聖銀河帝国軍の一部隊が逃走中である。貴軍が最も近い。急行し、これを捕えよ」
パトリチェフ准将はホーランドに進言した。
「絶対にやめましょう。前と同じですよ」
パトリチェフもムライ少将も何者かの偽電と判断していた。
ホーランドは渋った。
「しかし、本艦隊専用の秘匿回線での指令だぞ。これが本当だとしたら、また命令を無視することになるばかりか、功績をつくる機会を失うことになるぞ」
ラップ大佐が妥協案を出した。
「せめて、宇宙艦隊司令部に確認してからにしてはどうでしょう」
アウロラ・クリスチアン大尉が口を挟んだ。
「イゼルローン回廊の通信状況が悪くて、確認が取れた時には敵を取り逃がしています」
この言葉がホーランドの決断を後押しした。
「よし、行こう。このままでは我々は偽電に踊らされて国境を侵犯した、ただの間抜けだ。仮に向かった先に敵がいなくても今の状況がさらに悪くなることはないからな」
ムライとパトリチェフはげんなりしつつも、ホーランドの言に従わざるを得なかった。
宇宙暦802年1月28日 アルボルン星域(新帝国領、神聖銀河帝国旧勢力圏)
百隻の高速戦艦で構成される脱出部隊は隠密裡に航行を続け、旧北部連合領のアルボルン星域に到達していた。
旧北部連合領内には、地球統一政府時代に発見されながら忘れ去られた、オリオン腕の未開拓地域に抜けるための細い回廊が存在するのだ。
ルドルフ2世はそこで再起を図るつもりだった。
百隻は同型の高速戦艦で構成されていた。そのうち高速戦艦フィヨルギュンに神聖銀河帝国の中枢メンバーは同乗していた。
レムシャイドをはじめとする殆どの閣僚、門閥貴族、ド・ヴィリエ他地球教団ド・ヴィリエ派幹部、ノルデン、グリルパルツァーら軍人がルドルフ2世に付き従っていた。
ルドルフ2世は諦めるつもりはなかった。地球教団、そしてゴールデンバウムの遺民は、ユリアンが保護してくれると信じていた。
そして、いつの日か自らが再臨した時、ルドルフ2世が銀河を支配するための力に再びなってくれるものと考えていた。
再興のための道筋は、地球アーカイブの知識に基づき、既にルドルフ2世の頭に描かれていた。後は実行するのみだった。
だが……
オペレーターが警告を発した。
「高速で接近する艦隊あり。数四千隻」
ルドルフ2世は即座に命じた。
「敵以外にあり得ん。高速で接近してくるということはこちらの位置もばれていると考えるべきだ。各艦散開し、全速でこの星域を離脱せよ」
百隻の殆どは囮となってルドルフ2世の乗るフィヨルギュンを逃がす役割も持っていた。
しかし、やって来た艦隊は通常あり得ないほどの高速を発揮し、アメーバのごとく柔軟に隊形を変化させながら、小部隊に別れ、百隻すべてに追い縋ってその殆どを取り囲んだ。
それは高速艦で構成された同盟軍の艦隊であり、ばらばらに逃げ回る敵の追撃に練達していることが推測される動きだった。
ルドルフ2世は最後まで逃走を続けたが最終的には取り囲まれ、降伏を余儀なくされた。
この艦隊はホーランドの艦隊だった。海賊退治に慣れた彼らには、今回のような逮捕劇はルーチンワークのようなものだった。
フィヨルギュンに乗り込んで来たホーランド艦隊の兵士に拘束されながら、ルドルフ2世は思った。
これは情報が漏れたとしか思えぬ。我々の位置を正確に掴んでいる時点で、脱出部隊内での内通を疑わざるを得ないが、一体誰が……
「内通者が誰かとお悩みですかな、陛下?」
その声に顔を上げると、目の前には笑みを浮かべたグリルパルツァーが立っていた。
ルドルフ2世はその顔を見て悟った。
「卿だったのか。まさか二度も主君を裏切るとはな」
「あなたは大将にしてくださったし、そのつもりはなかったのですがね。流石に月まで陥とされたとなると潮時でしょう。正直、未開拓地域の探索には地理学者として大いに興味を惹かれたのですが、今の立場だと地理博物協会誌に論文も発表できませんからな。やはり、真っ当な立場を得て、自ら主導して探索を行おうと思います」
ルドルフ2世は半ば本気で心配した。
「しかし新帝国の武人どもの中で裏切り者の卿に居場所などあるのか?」
「ご心配なく。私は連合に行きます。中将待遇が保証されておりますので」
「なるほどな。まあせいぜい頑張れ」
ルドルフ2世は納得し、それきり口を開かなかった。
グリルパルツァーも、ルドルフ2世の激励に毒気を抜かれ、決まりが悪くなって逃げるように姿を消した。
ド・ヴィリエは一連の会話を聞いて、事態を正しく洞察した。
「オーベルシュタインの差し金か」
オーベルシュタインは、グリルパルツァーとクナップシュタインの内応について情報を得ていた。しかし、それを新帝国に伝えることはしなかった。
代わりに、グリルパルツァーに接触し、「もしもの時の保険」として、神聖銀河帝国の旗色が悪くなった時に裏切ることを薦めたのだった。
グリルパルツァーは、宣教将校の目もあってなかなか裏切りに踏み切れなかったが、最後の段階になってようやく裏切りのタイミングを得たのだ。
グリルパルツァーは脱出準備の混乱の中で、現在位置を知らせる超光速通信プログラムを脱出部隊の一艦に仕込んでいた。これによって連合軍情報部に脱出部隊の現在位置を知らせたのだった。
連絡を受けたオーベルシュタインは、同盟のホーランド艦隊に潜り込ませていた協力者に連絡を入れた。
協力者が潜り込むことはビュコックの了解の上のことだった。
今回の裏切りに備えて、ホーランド艦隊をクラインゲルト星域まで移動させて待機させたのもオーベルシュタインだった。
万一裏切りがなく、この出動が無駄に終わっても、責任を取るのはホーランドであったため、オーベルシュタインは気にせず艦隊を動かすことができたのだった。無論ホーランドが動かない場合は国境に展開している連合の警備部隊を動かすつもりではあったが結果的にその必要はなかった。
ホーランドは、拘束した者達がルドルフ2世を含む神聖銀河帝国の中枢メンバーであることを知って驚き、その後狂喜した。
「おい、ルドルフ2世を俺が捕らえたということは、俺が帝国を滅ぼした者というわけか?」
パトリチェフは望む答えを期待するホーランドを前に明確な否定ができなかった。
「は、はあ。まあそうと言えなくもないかもしれないですね」
ホーランドはニカッと笑った。
「そうだろう。そうだろう!ルドルフ2世を捕らえられたのは俺の判断と芸術的艦隊運動のお陰だ!」
これまでの鬱憤を晴らすかのように自慢を始めるホーランドとそれに呆れるパトリチェフ。ホーランド艦隊ではお馴染みのその光景を、オーベルシュタインの協力者アウロラ・クリスチアン大尉は冷めた目で見ていた。
実際にはなかった通信を偽造して、ホーランドを誘導したのはクリスチアン大尉の仕業だった。
「さて、これから私はどうしたものでしょう……」
「ふ、ふふふ」
ホーランドは突然妙な笑い声を発し始めた。
「ウィレム・ホーランド元帥!帝国を滅ぼした者!それは、俺だ!」
指揮卓に登ってポーズをとりながら叫ぶホーランドを、幕僚達は生暖かく見守っていた。