アッシュビーはビュコックからの戦闘停止命令を受諾した。
アッシュビーにこれ以上貴重な艦隊戦力を破壊されてはかなわないというのが、ビュコックが早急に戦闘停止を命じた正直な理由だった。
救国会議艦隊の動力停止処置など、最低限の対処を行ない、バーラト星系から派遣された第一艦隊に引き継ぎを行なった後は、アッシュビー艦隊の全員が皆泥のように眠った。
中にはエレベーターに乗って降りるまでに寝てしまった者もいた。
約12時間後、目を覚ましたアッシュビーのもとに救国会議艦隊の司令官達の情報が届いた。
彼らがエンダースクールで生み出されたブルース・アッシュビーのクローンであったこと、三人がMIA(戦闘中行方不明)となった以外、残る十二人は皆自殺したこと、アッシュビー・クローンの情報は今後も軍機として秘匿されること、である。
ライアル・アッシュビーは彼らの死体を確認することにした。
同じ出自の者としての義務感もあったが、確認すべきことがあったのだ。
彼は救国会議艦隊の総旗艦であったマグナ・マーテルの死体保管室に向かった。
フレデリカもマグナ・マーテルまでは同行していたが、心配する彼女を置いて保管室には一人で向かった。
そこには十二個の棺が安置され、十二個の同じ顔が並んでいた。
……何故お前だけ生き残っているのか?
ライアル・アッシュビーは、そう問われている気分になった。
彼は十二個の棺を一つずつ巡った。
8個目の棺を確認した時、
死体の目が開き、その手がライアル・アッシュビーの腰のブラスターに伸びた。
だが、ライアル・アッシュビーはその手を避け、逆に眉間にブラスターを突きつけた。
「なぜ気づいた……」
それが彼の最後の言葉になった。光条が彼を貫いた。
「俺ならやりかねない、そう思っていたからな。……そう恨めしそうな顔をしなさんな、兄弟。俺もいつかはそこに行くんだから」
「それなら、今行け」
ライアル・アッシュビーの首に、後ろから手が巻きついてきた。
生きているクローンはもう一人いた。
体格も力も互角。不意をつかれた分、ライアルの方が不利だった。
抵抗する力を失いかけたその時、鈍い音がして首を締める力が弱まった。
距離を取って振り向いた彼が目撃したのは、倒れ伏したクローンと、ブラスターを持ったフレデリカだった。
「油断し過ぎです!」
フレデリカのブラスターには血がついていた。彼女がクローンの頭を銃把で殴り倒したのだ。
「フレデリカ中尉、助かった。しかしやけに手慣れているな。前にも誰か殴ったことがあるのか?」
「……気のせいです。それより早く縛りましょう」
「これ、生きているのか?」
「このくらいでは死にません」
「……やっぱり誰かを殴ったことがあるんじゃないのか?」
その時になって騒ぎを聞きつけて、ようやく人が駆けつけて来た。
「検死をしたのは誰か?」
「ヤマムラ軍医中佐です」
「救国会議派の疑いがある。至急身柄を拘束しろ」
気絶したアッシュビークローンが引き取られ、死体保管室にはライアル・アッシュビー、フレデリカの二人と、11体の死体だけになった。
再び部屋が静けさを取り戻した。
二人とも無言のまま時間が過ぎた。
自らがそこに加わっていたかもしれない死体達。
自分だけが生きてここに立っている。
エンダースクールで同じ顔をした者達とさせられた殺し合いの記憶、抑えこんでいたはずのその記憶がライアルの中でフラッシュバックしていた。
ふと、右手に温もりを感じた。
フレデリカが両手で彼の手を握ってくれていた。
「フレデリカ中尉……」
「震えていらっしゃいましたから。気分はどうですか?」
「最悪だな。こんな最悪な気分は……」
ライアルはフレデリカの顔を見た。
「何でしょうか?」
「貴官に求婚を断られた時以来だ」
「…………」
「いや、貴官が手を握ってくれているからその程度で済んでいるんだぞ」
「そうですか」
「そういえば、私と他の……アッシュビーが争っていた時、よく俺の方がライアル・アッシュビーだと気づいたな。同じ軍服だったのに」
「とりあえず殴ってから考えようと思っていました」
「おい!」
フレデリカは笑った。
「冗談です。あなたのことをずっと見てきたのだから、さすがにわかりますよ」
「……そうか。もう少しだけ手を繋いでいてくれないか」
「今だけですよ」
場違いな時間を過ごしてハードラックに戻った二人を待っていたのはドワイト・グリーンヒル大将からの呼び出しだった。
バーラト星系近傍某基地、挙国一致救国会議の中枢メンバーの多くは、まだそこに留まっていたが、ロックウェルとベイは既に基地から姿を消していた。
「裏切者ども」
コーネフはそう吐き捨てたが、その声には力がなかった。
ヴァンス主教は沈黙していた。
ロボスは事態を把握しているのかしていないのか、相変わらず無反応だった。
「エベンス准将はどうした?」
やって来たブロンズが部屋を見回しながら尋ねた。
コーネフが答えた。
「少し前に出て行った。自室に戻ったのではないか?」
腰を下ろしたブロンズはウィンザーに尋ねた。
「これからどうする?クローン部隊は敗れた。ロックウェル達が逃げた今、ここに敵の手が迫るのも近いぞ」
「まだまだこれからが楽しいのに、あいつら裏切るなんて馬鹿よね」
「は?」
ブロンズはウィンザーの言葉に耳を疑った。
「これ以上何があるというんだ?」
ウィンザーは噛んで含めるように説明を始めた。
「いい?この基地は、エンダースクールの秘密施設よ。ここにはアッシュビークローン達の頭が保管されているわ。保管スペースの都合で、体を廃棄する必要があったけれど頭部だけでまだ生きているわ。実験に使われて大分数を減らしているけど、まだ百体以上残っているわ。……いや、百頭というべきかしら」
「……それがどうした?」
「この基地には無人化対応済みの戦闘艦艇が千隻残っている。無人化艦艇の制御を人工知能ではなくアッシュビーブレインが担当したらどうかしら?百頭のアッシュビーブレインが率いる千隻の艦隊。もう緊急停止コマンドは受け付けない。数を減らした第一艦隊と疲弊したアッシュビー艦隊で果たして太刀打ちできるかしら?」
「もうやめるべきだ」
そう言ったのはいつの間にか戻っていたエベンス准将だった。
「何ですって?」
「アッシュビーブレインによる艦艇運用など妄想に過ぎない」
「そんなことないわよ」
「たとえ可能だとしても、もはやそれは悪足掻きに過ぎない。トリューニヒトの演説とロックウェル達の裏切りで趨勢は決まった。まとまった艦隊戦力もこの基地の千隻のみ。なあ、もう降伏しよう。それが同盟のためだ」
「そんなことないわ!……そうだわ。この基地にはハイネセンから連行してきた政府要人が何人かいるわ。彼らを人質にすれば……」
「彼らなら既に逃した」
「なっ!?貴重な交渉材料を!なんてことをしてくれたの!?」
エベンス准将は皆の顔を見回した。
「なあ、いつまでウィンザーに付き合うんだ?もうやめようじゃないか」
コーネフはうな垂れて何も言わなかった。
ブロンズは弱々しく呟いた。
「そうだな……」
だが、ウィンザーは認めなかった。
「そんなこと許さないわ。これ以上、世迷いごとを言うなら拘束するわよ」
ウィンザーの意向に従って、どこからともなく兵士達が現れた。ウィンザーの意に従う、より正確には、ヴァンス主教の意に従う地球教の兵士達が。
「世迷いごとを言っているのは誰だ。だがもう埒があかないな。この基地の自爆装置を作動させた。機密破棄シーケンス完了後に爆発する。あと三時間だ」
コーネフもブロンズも驚いた。
「何ですって?」
「この基地は同盟の恥部だ。同盟の大義を汚すものを残してはならない。もっと早くこうするべきだった」
「何を言っているの?」
「同盟のため、専制主義者どもを倒すため、軍を強化するはずが、その戦力をゴミ屑のようにすり潰してしまった。同盟の将兵も使い捨てにした。あげくの果てが人の最低限の尊厳すら無視した兵器の登場か。これでは我々はまるでキャプテン・アッシュビーに倒される敵役ではないか。もはや、耐えられん。本当は正義の味方になりたかった。だが、そうなれないなら、悪役としてでも最後は潔く身を処したい」
ウィンザーが兵士達に命じた。
「こいつを捕らえて、自白剤で停止コマンドを吐かせなさい!」
エベンスは笑った。
「無理だな」
ウィンザーは不思議に思った。
兵士達の動きが異常に緩慢だった。それだけでなく自分の体の自由も効かなかった。体がいやに熱かった。
エベンスはいつの間にかガスマスクを着けていた。
「高純度のサイオキシンを気化させた。放っておいたら死ぬ濃度だが、まあ、あと三時間は保つだろう。その間にこれまでの行いを悔いておけ」
ブロンズもコーネフもヴァンスも倒れ伏していた。
常用していたせいか、ウィンザーはなおも口を動かせた。
「エベンス、卑怯よ……自分だけ……そんなマスクを……」
「ああ、心配するな。まだ俺には連絡を取らなければならない人がいるからな。それが済んだら貴様と一緒に死んでやる。お互い嬉しくも何ともなかろうがな」
エベンスはコンソールを操作し、超光速通信を始めた。通信先は戦艦ユリシーズだった。
「お久しぶりです。グリーンヒル大将。エベンスです」
「エベンス!今どこだ!?」
「バーミリオンから2日行程、L131廃棄基地です。救国会議の本拠地です」
「連絡をくれたということは投降してくる気か?」
「残念ながら参加者の同意は得られませんでした。なので、基地ごと自爆するつもりです。捕らえていた要人は既に脱出させましたのでご安心を」
「早まるな!今、第一艦隊がそちらに向かっている。自爆する必要なんてない」
「いいえ。今更どうしようもありません。閣下が私にクーデター参加を思い留まらせようとしてくださっていたのはわかっておりました。閣下は正しかった。私はそのお気持ちを無駄にした。お許しください」
「許すことなんて何もない。貴官は私に危険を知らせてくれたではないか。君もベイやロックウェルと一緒だ。私の命令が来るまで裏切る機会を待っていた。そうだろう?」
「……お気遣いには感謝します。しかし自分に嘘はつけない。私は様々なものを見誤った。同盟に回復しようのない傷を負わせた。この上はせめて潔く死ぬのみです」
「君にはまだ生きてやれることがある。私のような老いぼれよりも遥かに」
「いいえ。ですが、その言葉嬉しく思います。最後に、ライアル・アッシュビー中将に変わって頂けませんか?」
「……すまん。今彼は投降した救国会議艦隊旗艦に視察に行っており、通信には出られない」
「そうですか。一度話をしてみたかったのですが。残念です。グリーンヒル大将、このクーデターに参加した将兵は生命と名誉をかけていた。そのことは覚えておいて頂きたい。それでは。自由惑星同盟万歳!」
「おい!エベンス准将!」
エベンスは通信を切った。
グリーンヒル大将は第一艦隊が向かっていると言っていたが、この基地までハイネセンからもバーミリオンからも2日行程、到底間に合わないだろう。
エベンスは自爆30分前になって、マスクを外した。急激に力が失われていくのがわかった。目の前のコンソールのランプが超光速通信の受信を要求して点滅していたが、エベンスはそれを無視した。
他のメンバーは、もはや動けない状態だった。一箇所に定まらない目の動きだけがまだ彼らが生きていることを示していた。
自爆15分前
5分前
2分前
大きな振動が部屋を包んだ。
エベンスは最後にもう一度思った。
俺は、みんなを救うキャプテン・アッシュビーのようなヒーローになりたかったんだ……
自爆時刻が過ぎた。
だか、爆発は起きなかった。
サイオキシンでぼやけた頭でも、エベンスは不思議に思った。
自爆の設定を間違えたか?
通常通信を知らせるランプが点滅していた。
超光速通信ではなく、通常通信?この基地の近傍から?まさか?
エベンスにもはや出る気はなかったが、
緊急通信回路が作動し、強制的に通信画面が起動した。
そこに映ったのは、彼が憧れたその男の姿だった。
「キャプテン・アッシュビー!」
「やあ、君がエベンス准将か。自爆装置は俺が破壊した。もう心配はいらない」
「なぜ……ここまで2日はかかるはず……」
「ハードラックは銀河最速、そしてハードラックの陽子砲は銀河最強。知っているだろう?」
バーミリオンから2日行程というのは、艦隊の場合の話だった。単艦であれば、位置や速度を同期させる必要もないため移動時間は短縮される。
さらに、ハードラックはライアル・アッシュビーの連合内巡業のために、ワープ性能向上などの改装が施されていた。
表向きは次世代艦艇開発のための試験艦扱いとなっていたが、技術者達の趣味によって、採算度外視の装備が開発、追加されていた。
一つが銀河最速を目指すための二連装大型ワープエンジンである。ハードラックは旧時代の設計のため、船体に対してエンジン部が異様に大きかった。このため、小型化の進んだ最新のワープエンジンであれば、二つ積載することが可能となっていた。
二連装ワープエンジンによって、インターバルなしで二度のワープを連続して行うことがハードウェア上は可能となっていた。
さらに、艦艇座標の迅速算出アルゴリズムをハードラック専用にフレデリカが開発したことで、ワープ後の座標算出のタイムラグを最小にして次のワープに入ることができるようになった。
……おかげでライアル・アッシュビーは地獄のような巡業スケジュールをこなす羽目になったが。
これによってハードラックはバーミリオンからL131廃棄基地まで二時間で到達することが可能だった。
もう一つの新装備、陽子砲はキャプテン・アッシュビーに登場したハードラックの代名詞とも言える装備であった。
これは巨大なサイクロトロン加速器をハードラックの船体に押し込むことで実現された。居住性は大いに犠牲となったが。
出来上がったのは、一艦艇が持つものとしては最長射程の高威力ビーム兵器、陽子砲だった。
L131廃棄基地の自爆装置は、基地中央に存在した制御装置と、それに制御される基地各所の爆弾からなっていた。
ライアル・アッシュビーは、L131廃棄基地近傍に到着後、遠距離から陽子砲で基地内の自爆制御装置のみを打ち抜き破壊したのだった。
L131基地はライアル・アッシュビーにとって長期にわたってエンダースクールの訓練を受けた忌まわしき場所であり、その内部構造は知悉していた。それ故にできた芸当である。
アッシュビーはエベンスに笑いかけた。
「エベンス准将、協力ありがとう。グリーンヒル大将から話は聞いている。お陰で悪党どもを一網打尽にできそうだ」
エベンスは息を呑んだ。キャプテン・アッシュビーは勘違いをしている。憧れのヒーローに嘘はつけない。
「違います!私はその悪党の一員です。私は最後にけじめをつけようとしただけです!」
アッシュビーは笑みをおさめた。
「エベンス准将、誰にも間違いはある。重要なのは今の貴官の心だ。いや、今だけではない。貴官はずっと善意で動いていたのだろう?世の人はその拠って立つところに従って貴官を否定するだろう。だが、俺は否定しない。貴官が善意で動いていた限り、君の心は英雄そのものだ」
俺などよりずっと。いや、その言葉はエベンスが望む言葉ではない。アッシュビーはその言葉を口に出す寸前で飲み込んだ。
他のアッシュビークローンを見たことが彼の精神に影響を与えていた面もあるが、アッシュビーの語ったことは彼の本心だった。善意と信念で動いた彼が否定され、状況に流されて英雄を演じ続けるこの自分が肯定される。そのことが、アッシュビーにはただ堪え難かったのだ。
偽物に過ぎない自分が、まるで本物のように扱われる。
……妙齢の女性にはまったくモテないが。
後ろ暗い過去を背負った自分が、まったくそれを指摘されない。
……何故かフレデリカ中尉へのセクハラだけが誇張されて広まっているが。
物思いから立ち戻ったアッシュビーは、エベンスが泣いていることに気づいた。
エベンスは、彼の憧れたキャプテン・アッシュビーから、今彼が一番欲しかった言葉を貰ったのだ。サイオキシンは彼に感情を解放させていた。
「エベンス准将、君が望むなら、君も730年マフィアの一員だ」
それはとどめのひとことだった。
「はい!光栄です!キャプテン・アッシュビー!」
涙を流して敬礼するエベンスとそれをスクリーンから眺めるアッシュビーを、ブロンズやコーネフ、ヴァンスは虚ろな目でずっと見ていた。
三時間後、機密服装備のハードラック乗員によって救国会議の中枢メンバー、基地内の将兵は拘束された。
サイオキシンの排気が完了した後、アッシュビーはフレデリカとともに基地に降り立った。
見ておくべきものがあったのだ。
基地の入り口で連行されるウィンザー達とすれ違った。
「きゃぷてんあっしゅびー、ばんざーい、ぎゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
哄笑を続けるウィンザーと、ギラギラした目でアッシュビーを見てくるコーネフとブロンズ、ヴァンス、そして無反応のロボス。
軍医がアッシュビーに耳打ちした。
「彼らは正気を失っています。サイオキシンを吸引し過ぎています」
「元に戻るのか?」
「わかりません」
「エベンス准将は?」
「彼も手遅れです。協力者とのことなので、拘束はしておりません。もうすぐこちらに来るのでわかると思いますが」
ほどなく、廊下の先にエベンス准将と思しき姿が見えた。
彼はアッシュビーに向かって一直線に突進して来た。そしてアッシュビーの前で急制動をかけて、見事な敬礼を見せつつ停止した。
「キャプテン・アッシュビー!お会いできて光栄です!どうぞご命令を!」
その瞳はキラキラと綺麗に輝いていた。
アッシュビーは黙って軍医を見た。
軍医は悲しげに首を振った。
「最近、軍医の間で病名が定められました。キャプテン・アッシュビー症候群、今のところ治療法は見つかっておりません」
ライアル・アッシュビーはようやくその場所に辿り着いた。
彼はフレデリカに確認した。
「もう皆死んでいるんだな?」
「……ええ、自爆シークエンス実行の際に動力供給が停止したようですから」
「貴官は見なくてもいいんだぞ」
「また襲われていたら心配ですから、ついて行きますよ」
彼は素直に答えた。
「……そうか。ありがとう」
その部屋には百以上の透明な球体が並んでいた。
中に入っているのは、アッシュビーの首、首、首、首、首、首、首……
百以上のアッシュビーの首、百対以上のアッシュビーの目がライアル・アッシュビーを見ていた。
……やあ、久しぶり
同じ訓練を受けていたな
同じ釜の飯を食べたな
俺を途中で抜かしていったな
俺を殺してくれたな
ところで、何故君だけそこにいるんだ?
君のいるべき所はこちらじゃないのか?
君も疲れただろう?
スペースはまだあるぞ
さあここに……
……手を引っ張られていた。
気づくとフレデリカがまた手を握ってくれていた。
「あなたのいるべき場所はわたしの隣です」
「すまん、また助けられた」
フレデリカはライアルを見つめた。その目には真摯な色があった。
「あなたはあなたですよ。ブルース・アッシュビーでも他のアッシュビー達でもない。キャプテン・アッシュビーでもない。わたしの放っておけない上官の、ライアル・アッシュビーです」
ライアルは瞬きした後、苦笑した。少し照れ臭くもなった。
「そうだな。俺はブルース・アッシュビーほどモテないしな。……俺は、なんでこんなにモテないんだ?」
「……それは私が悪い噂を流しているからです」
フレデリカの衝撃の告白にライアル・アッシュビーは目眩を覚えた。アッシュビーブレインのことも頭からとんだ。
「貴官は俺をどうしたいんだ!?」
「アデレード夫人がつい最近亡くなられたそうですね」
フレデリカの急な話題転換にアッシュビーは戸惑った。
「……そうなのか」
「知っていたでしょう?私はあなたがアデレード夫人の手紙に律儀に返信していたのを知っていましたよ」
「何で知っているんだ!?」
「私のところにもアデレード夫人から手紙が来ましたもの。アッシュビーは私に今も愛情のこもった手紙を送ってくれる、お前の入り込む余地なんてない、この泥棒猫云々と。それも一通や二通じゃありません」
「……愛情を込めていた覚えはないが、それはまた巻き込んですまなかったな」
「どうやらあなたに少しでも近づいた女性には見境なく手紙を送っていたようですわ」
衝撃の事実にアッシュビーは再度目眩を覚えた。
「……つまり、俺がモテなかったのは貴官とアデレード夫人のせいだったのか」
「そうなりますわね」
「そうか、そうだったのか……」と、うそ寒そうな顔でブツブツと呟き始めたライアルを見ながら、フレデリカは一つ深呼吸をした。
そして呼びかけた。
「提督」
「何だ?」
「いえ、ライアル……」
「……何だ?」
フレデリカは言葉を探しているようだったが、ついに言った。
「あなたの後妻の座はまだ空いていますか?」
まったく相応しくない場所で、なんともまずい言葉ではあったが、フレデリカが言わんとしたことはアッシュビーに伝わった。
「中尉、いや、フレデリカ、それはつまり……」
フレデリカは微笑んだ。
「イエスですわ。閣下」
アッシュビーも普段の彼らしくなく言葉を探した。
「ありがとう。なんと言うか……なんと言ったらいいのか……なんと言うべきか……」
フレデリカはその様子を見て、だんだん恥ずかしくなってきた。
「そういえば父が」
「お父上がどうかしたのか?」
「一度あなたを家に連れて来い、と」
「えっ?いや、そうだな。ご挨拶に伺わねば」
「首を洗って来いと伝えておくように、とのことでした」
ライアル・アッシュビーはグリーンヒル大将の殺気に満ちた目を思い出した。
「俺、君の家に行った日には、この首達の一員にされてしまうんじゃないか!?」
個人的な問題はともかくとして、同盟の状況は急速に解決に向かっていた。
救国会議から離脱したロックウェル大将は、救国会議に陰ながら協力していた同盟国内要人の名前を公表した。
そのリストはトリューニヒトにとって障害となる人物にいくらか偏っていた。
その多くは地球教と繋がりがある者達だったが、地球教の名前自体は巧妙に隠されて発表された。
トリューニヒトとレベロの交渉の一部には、この軍事クーデターへの地球教の関与を隠すことが含まれていたのだ。
それは道義上の問題を除けば、多くの者にとって都合のよいことではあった。
シャンプールなどの一部軍事施設ではなおも頑強な抵抗が続いていたし、警備艦隊などの一部は逃げ回っていたが、やがてはそれも解決するものと思われた。
だが、神聖銀河帝国の方はまだ決着がついてはいなかった。