本文、今回文量多めです
再び連合/新帝国と神聖銀河帝国の戦いに戻る。
既に日付は変わり、宇宙暦802年1月1日となっていたが、両軍共に新しい年を祝う余裕はなかった。
ここまでの戦いで連合/新帝国合同軍は約四万隻にまで戦力を減らしていた。
内訳は連合一万八千隻、新帝国二万二千隻である。
新帝国の方が損害が大きいのは、彼らが積極的に矢面に立ったためである。
連合軍がアルジャナフの会戦で消耗したことに配慮してのことであった。
また、宇宙ジェットによってジークフリード帝直卒のザウケン大将が命を落としていた。
これに対して神聖銀河帝国軍は、いくらか損害を被ったもののいまだに約四万隻の戦力を維持していた。
当初の戦力差が、アポローン・システムの暴威によって埋められた形になった。
「メッゲンドルファーもよくやってくれたが、最後はやはり純粋な艦隊決戦か。まあそう来なくては面白くもない。メルカッツ元帥!ミンツ大将!」
ルドルフ2世はスクリーン越しに二人に呼びかけた。
ユリアンは引き続き旗艦級戦艦コアトリクエで全体の約半数、二万隻の指揮を執っていた。
アルジャナフの会戦と異なるのはコアトリクエに随伴する旗艦アース級6番艦ネルトゥスにメルカッツ元帥が搭乗していたことである。
メルカッツ元帥は今回自ら、前線での指揮を願い出ていた。
メルカッツ元帥は長時間の指揮を執れない体であるが、ごく短時間であれば往時の戦術のキレを見せることができた。
このため、随時ユリアンと代わる形で指揮を執ることになった。
ユリアンであれば、メルカッツの意図を汲む形で指揮を交代できたし、独自の戦術を展開することも可能だった。二万隻の艦隊を二人で指揮する変則的な方式は敵手を混乱させる効果もあると考えられた。
何故今になって指揮を執る気になったのか、そして何故娘が艦長を務めるコアトリクエには同乗しなかったのか、ユリアンにもルドルフ2世にも老将の心境は分からなかった。
だが、神聖銀河帝国軍にとっては心強いことだった。
ルドルフ2世は二人に方針を伝えた。
「メルカッツ元帥とミンツ大将には連合軍の相手をしてもらいたい。現在の艦隊位置を考えるとそうなるだろう。ヤン・ウェンリー相手に勝ちきる必要はない。時間を稼いでくれればよい。……メルカッツ元帥には、つらい思いをさせるかもしれないが」
メルカッツは表情も変えずに答えた。
「構いません。弟子たちの成長ぶりを確認したいと思っておりましたし、武人たるものヤン・ウェンリーとは一度戦ってみたかったので。しかし、そうすると陛下は」
「ああ。私は面前にいる新帝国軍と当たる。私が奴らを片付けるまで耐えてくれ」
ユリアンの代わりに参謀役となったアンスバッハ中将が、ルドルフ2世に忠告した。
「偽帝ジークフリードも、麾下の将兵も、歴戦の強者です、ゆめゆめ油断なさらぬよう」
これは彼自身がジークフリード帝と戦った経験に基づく発言だった。
「無論軽視する訳ではないが、ヤンより上ということはなかろう。ならば余が勝つさ」
それを聞いたメルカッツやユリアンは若干の不安を覚えたが、ジークフリード帝の艦隊戦の実績がすべて門閥貴族との内戦でしかなかったのも事実であった。
ラインハルト帝ならいざ知らず、負けることはなかろうというのがメルカッツ、ユリアン、そして殆どの帝国将兵の認識でもあった。
ここまでの新帝国の失態も、その認識を補強していた。
結局のところジークフリード帝は神聖銀河帝国に侮られていたのだった。
戦いが再開された。
神聖銀河帝国軍は恒星ヴェガの周囲を覆う分子雲を後背にして、連合、新帝国の両軍を迎え撃つ形になった。
宇宙ジェットの暴威によってヴェガを覆う分子雲はその多くが吹き飛ばされていたが、なおも斑らには残っていた。
ルドルフ2世は二万隻を率いて新帝国軍に積極的に攻勢を仕掛けた。
新帝国軍は一万五千隻でその攻勢を受け止めた。その間にビッテンフェルト率いる黒色槍騎兵五千隻に、ルドルフ2世の艦隊の左側面を衝かせようとした。
しかしこの攻撃をルドルフ2世は読んでいた。
黒色槍騎兵の勇名と特性はルドルフ2世も知っていたからだ。
黒色槍騎兵が攻撃をかける直前、後方で待機させていた雷撃艇二千隻を黒色槍騎兵のさらに側面に突入させたのだった。
ルドルフ2世もまたメルカッツの弟子であった。
これによって黒色槍騎兵の攻撃は頓挫し、強かな打撃を被って後退を余儀なくされた。
その隙にルドルフ2世は攻勢を強めようとした。
だが、その瞬間、ルドルフ2世は後背から攻撃を受けることになった。
分子雲の中から高速巡航艦二千隻が突如出現し、ルドルフ2世の艦隊の右後背から突入したのだった。
それはジークフリード帝直卒の部隊だった。
ジークフリード帝は、「アポローンの弓」停止前の最後の混乱を好機ととらえ、ルッツに艦隊を預けて直卒部隊と共に分子雲に潜んで機会を伺っていたのだった。
ルドルフ2世はこれに見事に引っかかった。
仮に相手がヤンであればルドルフ2世は旗艦の不在に気づき警戒しただろう。
すべてはルドルフ2世の油断、相手を舐めてかかったことが招いた結果だった。
聞こえないことを承知でジークフリード帝は、少年皇帝への助言を呟いた。
「勝利するための秘訣は世の中を甘くみないことです」
ジークフリード帝は、旗艦バルバロッサを先頭に敵艦隊を突き崩して左側面へ抜けた後、そこに留まっていた雷撃艇部隊に一撃を加えて、再度分子雲の中に姿を隠した。
艦列の乱れたルドルフ2世の艦隊に対して、再編を終えた黒色槍騎兵とルッツ率いる新帝国軍本隊が総攻撃に出た。
このままでは再度姿を消したジークフリード帝と、黒色槍騎兵、新帝国軍本隊によって包囲される。
ルドルフ2世は損害を承知で全軍に対して新帝国軍本隊への浸透と突破を指令した。精兵となっていた神聖銀河帝国軍将兵はこの命令をやり遂げた。多大な損害と引き換えに。
危地を脱したものの、ルドルフ2世の戦力は一万三千隻にまで減っていた。
一方のジークフリード帝は一万九千隻。
彼我の差は大きく拡大した。
ジークフリード帝は今は亡き友に向かって語りかけた。
「ラインハルト様、私にはもう一つやり残したことがありました。それは、ラインハルト様の最強を証明することです。
ラインハルト様は誰にも負けなかった。フォークにも追い詰められたとはいえ勝利したし、ライアル・アッシュビーにさえ艦隊戦では勝利していた。ですが、ヤン・ウェンリー、ルドルフ2世の二人とは、ついに勝う機会を得られなかった。彼らはアルジャナフで互角の勝負を演じたという。ならば、私がルドルフ2世に勝てば、私より強いラインハルト様の最強を証明できるでしょう」
ジークフリード帝は、どこまでも人の為にこそ実力を発揮できる人間だった。
一方の連合軍艦隊とユリアン、メルカッツの戦いはどうだったか。
連合軍艦隊は、この時、大きな不安に襲われながら戦いに臨んでいた。
すべての原因は、ヤン・ウェンリーの全艦への演説にあった。
「今回の作戦は三次元チェスみたいなものだ。勝つための計算は済んでいるから、みんな気楽に戦ってくれ」
この演説は、ヤン艦隊に未だかつてない司令官不信を引き起こした。
マルガレータさえもが尊敬する司令官を不安の目で見ていた。
その不安が艦隊運動にも出てしまったのか、連合軍の動きは、当初著しく積極性を欠いた。
連合軍はユリアンとメルカッツから距離を取ろうとした。ユリアン、メルカッツに与えられた命令はヤン・ウェンリーと連合軍艦隊を拘束しておくことだったから、このヤン艦隊の行動は渡りに船だった。
お互い、主砲の射程範囲外で睨み合う状態となった。
ユリアンは不審に思った。
現在の状況は、我々にとっては好都合だが、この積極性の無さはどういうことか?新帝国の行動のせいで甚大な被害をこうむったことから、連合軍はもはや積極的に戦うつもりがないのか?
この時、ルドルフ2世はまだジークフリード帝と戦端を開いたばかりだった。
このまま睨み合いながら時間が過ぎるかと思われた矢先、一千隻ほどの艦艇が連合軍本隊から分派された。
ユリアンとメルカッツは当初側面を衝かれることを懸念したが、その一千隻は連合軍からも新帝国軍からも遠ざかるばかりであった。
このため彼らはひとまずは注視するに留めることに決めた。
だが、その一千隻は少しずつ数を減らしているようだった。そしてその代わりに数十隻単位の小艦艇集団が次々に様々な位置に出現した。出現した小集団はしばらくするとまた姿を消し、別の新たな位置に小集団が出現した。
ユリアンは彼らが何をしているのかようやくわかった。
「小集団ごとに短距離ワープを繰り返しているのか」
その意図が何なのか、ユリアンはそれを想像していくうちに恐ろしい可能性に気がついた。
このときはメルカッツが指揮を執っていた。ユリアンはメルカッツに連絡した。
「急いで連合軍艦隊と距離を詰めてください!あの小集団群は我々の艦隊内部にワープしてこようとしています!」
その通りだった。
ワープによって敵のど真ん中に出現して攻撃を加えたり、爆弾を放り込むなどというのは、一見実現可能に見えるが、多くの場合は机上の空論であった。
短距離にしろ長距離にしろ、ワープの目標座標と実際の出現座標の間には大きなずれが発生する。
このため、短距離ワープで敵のど真ん中を狙って出現するなどということは通常不可能だった。下手をすれば味方の艦隊の中に出現しかねなかった。
ワープミサイルのようなものも兵器としては存在した。だがこれは目標座標とずれが発生してもその後の通常空間の巡航でそれを修正可能な場合や、あるいはワープの精度に対して目標が十分に大きい場合に用いるもので、コストの割に艦隊戦で大きな効果を上げる兵器ではなかった。
だが、恒星間の長距離ワープと比較すれば、短距離ワープはエネルギー消費の少なさから短時間のインターバルを挟んで連続で行うことも可能であった。特に恒星間ワープを想定している正規軍艦艇であれば。
ヤンはこれを利用することを思いついた。
ある艦隊が目標座標を定めて短距離ワープを行なった場合、目標座標を中心とした推定出現領域の半径はそのワープ距離に比例する(超長距離ワープが不可能とされるのも、ワープに必要なエネルギーの問題とともに、これが大きな理由となっている)
敵艦隊のみを推定出現領域に含むようなワープ距離と目標座標の設定で短距離ワープを繰り返せば、味方艦隊内にワープしてしまうことなく、いつかは敵艦隊内に辿り着くことができるのだ。
マルガレータがヤンに徹夜で準備させられたのも、短距離ワープを繰り返すための艦艇自動化プログラムであった。
「アポローン・システム」対策のために用いられた無人艦艇のプログラムも、このためのものを転用していたのだった。
ユリアンはこのことに気づいた。
ユリアンから連絡を受けたメルカッツは、前進命令を出そうとした。
ヤン艦隊と混戦状態に入れば、それだけでこの作戦は頓挫させられるのだ。
だが間に合わなかった。
連合軍艦艇の小集団が艦隊内にワープしてきたのである。
艦隊内に時空震が発生し、艦列に揺らぎが生じた。
各艦艇はミサイル、火砲を乱射し、最後には自爆した。
さらに他の小集団も立て続けに艦隊内にワープを果たし、同様の行動を取った。
神聖銀河帝国艦隊は内側から大きな損害を受けた。
メルカッツは、ゾンネベルク准将に命じて千隻ほどの部隊を残余のワープ部隊の殲滅を派遣した。だが、ワープを繰り返して薄く散らばるワープ部隊の殲滅には時間がかかることが予想された。
メルカッツは指示を出した。
「メルカッツ戦法
艦隊に輪形陣への再編を命令したのだ。
中心が空洞となり円周上に薄く艦艇が配置される輪形陣であれば、艦隊内へのワープによる損害を最小限に留められるし、中空内にワープしてしまった艦艇集団を殲滅することもできる。その上で連合軍本隊にも対応し得る、ほぼ最適に近い陣形であると言えた。
だが、どのような対処を取ろうともメルカッツがワープ部隊への対応を強いられた時点でヤンの作戦は成功していた。
連合軍からは巨大な光の輪が形成されていく様子がよく見えた。
その様子を確認したヤンは輪形陣の一部の弧に向けての前進と攻撃を指示した。
神聖銀河帝国軍はその輪形陣のせいで一部の部隊しか連合軍艦隊を有効射程に収めることができなかった。
この時点でメルカッツは指揮をユリアンと代わっていた。
ユリアンは輪形陣を歪めて連合軍艦隊を半包囲しようとした。
だが、連合軍の行動の方が早かった。
フォイエルバッハ大将、シャウディン中将直卒の各二千隻の近接戦闘部隊がそれぞれ輪形陣に突入した。
「メルカッツ元帥に我らの成長を見せる時だ! メルカッツ戦法Nr.1、『獲物は逃すな』!」
ユリアンの頭には敵から近接戦闘を仕掛けてくるという選択肢は抜け落ちていた。ワープ部隊の攻撃に自ら巻き込まれることはするまいという思い込みだった。
だがこの時ワープ部隊は既にワープ行動をやめていたのだ。
輪形陣の円弧の中を突き進む彼らの攻撃の前に、神聖銀河帝国軍はなす術がなかった。
フォイエルバッハ大将の攻撃を受け、クナップシュタイン中将が戦死した。
コルプト少将は麾下の将兵を叱咤した。
「メルカッツ元帥の教えを思い出せ!敵の攻撃は柳のごとくいなすのだ!」
だが、同じくメルカッツ直伝の近接攻撃は簡単にいなせるものではなかった。
メルカッツは心の中で独語した。
見事な攻撃だ。もう連合は私のような老兵を必要としないだろう。
メルカッツはユリアンに連絡を入れた。
「大勢は決した。陛下も今危機に陥っている。ミンツ大将はグリルパルツァー中将の部隊とともに、陛下をお救い奉れ」
「元帥はどうされるのです!?」
「私はここで連合軍艦隊を抑える。短時間しか保たぬだろうが。その間にどうにか撤退してくれ」
ユリアンはメルカッツの覚悟に気づいた。
「死ぬおつもりですか?」
「ここまで神聖銀河帝国に荷担しておいて、今更おめおめと連合に戻れまいよ」
「しかし元帥は脅されていました!」
「最初は、な。だが、いつの間にか、陛下を含めて自分の育てた者たちがどこまでやれるのか、見るのが楽しみになってしまっていた。私も陛下を利用した一人だ。子供を利用した大人としての責任を取らないといけないのだ」
「父上!母上を置いて死なれるのですか!?」
たまらずゲルトルードが話に割り込んだ。
「軍務中だ、中佐。艦長の責を果たせ。……だが、お前から伝えておいてくれ。苦労をかけて済まなかった、この数年一緒にいる時間を多く持てて楽しかった、と。まあ、わかってくれるだろう。メルカッツ家のことは頼んだぞ。早く婿を取れ」
「な……」
慌てたゲルトルードを放って、メルカッツはユリアン
「ミンツ大将、後のことはすべて任せる」
ユリアンは敬礼して応えた。
「承知しました。お任せください」
「うむ。ではな」
メルカッツは答礼して通信を切った。
メルカッツは残余の部隊を再編して砲陣を築き、連合軍艦隊と対峙した。
少数の兵力でたくみに構築した光と火の壁が、連合軍の猛攻を阻んだ。
「さあ、最後の試験だ。この陣を抜くことができるか、儂が試してくれよう」
ユリアンは五千隻ほどの部隊を率いてルドルフ2世の救援に向かった。
ルドルフ2世はジークフリード帝の攻撃をよく凌いだ。だが、それだけだった。万全のジークフリード帝に対して一度生じた戦力の差を覆すことはルドルフ2世であっても難しかった。
迫る砲火によって皇帝座乗艦イズンを防御する四隻の盾艦のうち既に二隻までが失われていた。
ルドルフ2世にとってはジークフリード帝の戦才がこの戦い最大の計算違いであった。
「純粋な戦術能力ではもしやヤン・ウェンリー以上か!?」
そのジークフリード帝に加えてルッツ、ビッテンフェルトの猛攻すらどうにか凌いでいたルドルフ2世の方が異常と言えたかもしれない。
ユリアンの救援によってルドルフ2世は死地を脱した。だがいまだ窮地に変わりはなかった。
もはや撤退すべき状況であった。
だが、ジークフリード帝とその麾下の良将達から撤退することはなかなか困難な道のりと言わざるを得なかった。
メルカッツの砲陣は連合の突破を許さなかった。敵の砲撃の集中ポイントからは巧みに兵力を移動させて攻撃をいなし、逆に敵の攻撃の要に砲火を集中して敵の勢いを削いだ。一方で敵の誘いには乗らなかった。
最後に、メルカッツはその戦法の防御の真髄を世に示したのだ。
だが、ついに限界が訪れた。
メルカッツの搭乗する戦艦ネルトゥスは被弾し、艦橋にも損傷が生じた。
シュナイダーが忠誠を誓った上官の下に駆け寄った時、メルカッツは重症を負いつつもまだ生きていた。
「ミンツ大将達は、陛下をお救いできただろうかな?」
「どうやら成功したようです。それより、閣下、今軍医を……」
「それならば思い残すこともないな 」
「閣下!」
メルカッツは軽く片手をあげた 。
「もう立つこともあるまいと思っていた戦場で、しかも名将ヤン・ウェンリーとの戦いで死ねるのだ。せっかく満足して死にかけているのに、いまさら呼び戻さんでくれんかね」
シュナイダーは絶句した。
「それよりも、卿はこの艦をミンツ大将達と早く合流させよ。卿は神聖銀河帝国の真の根拠地の場所を知っている。まだ捕虜になって貰うわけにはいかぬし、地球教徒達が許さぬだろうよ」
その通り、地球教の宣教将校が、二人の前に来ていた。メルカッツは構わず続けた。
「シュナイダー大佐、ゲルトルードのことを頼む。あれは、お主のことを好いておる」
シュナイダーは驚いた。
「まさか!フロイラインはミンツ大将にご執心かと思っていました」
「ははは。ミンツ大将のことも嫌ってはおらぬだろうが。まあ、あれもなかなか不器用な娘だからな。卿も、わざわざ神聖銀河帝国まで参加しに来たのは儂だけが理由ということもあるまい。頼むぞ」
「はっ、はい!」
シュナイダーは動揺しつつも力強く応えた。
独立諸侯連合の宿将は、神聖銀河帝国の一員として、副官に看取られながら逝った。
メルカッツの防御がついに突破された時、ジークフリード帝の猛攻を前にいまだルドルフ2世は撤退の機会を掴めないでいた。
このままではメルカッツの部隊を突破したヤン・ウェンリーがやって来て撤退が絶望的になる。
だが、そこに忘れていた人物から通信が来た。
ルドルフ2世は苛立った。
「メッゲンドルファー、この忙しい時に何の用だ!卿の役目は終わった。早う離脱せい!」
「他の者は離脱を済ませました」
「何?」
「鴉は落ちましたが、まだアポローンの眷属として「雄鶏」が残っております」
「……卿が以前説明してくれた、あれか」
「はい。即席ながら用意しました。15分後に「暁の鶏声」がそちらまで到達しますので撤退にご活用ください」
「メッゲンドルファー、卿はどうするのだ?」
「私は結果を観察する仕事がありますのでここに留まります。偽帝国に捕まるぐらいならブラックホールに飛び込みますのでご安心を」
「……そうか。卿を元帥に任命する。此度の功績に基づくものだ」
メッゲンドルファーはいまいちピンと来ていなかった。
「……はぁ。光栄であります」
「もっと喜べ。三階級特進など、皇帝の勅命でもなかなかあり得ぬことだぞ」
私は七階級特進させられたのですが、と通信を共に聞いていたユリアンは思ったが何も言わなかった。
ルドルフ2世は続けた。
「これで卿はゴールデンバウム朝初の軍事科学者の元帥だ。その事実は、卿がブラックホールの軍事利用という新しい領域を開拓したことの偉大さを、臣民が理解するのに役立つだろう」
メッゲンドルファーは感極まった。
「ご配慮、ありがたき幸せ!」
「雄鶏」とは、ブラックホール生成装置それ自体のことだった。
ブラックホール生成装置は当然ながらブラックホール生成のために莫大なエネルギーを必要とする。その莫大なエネルギーを賄うためのエネルギー源に使われているのが、これまたブラックホールであった。移動速度が鈍重になるのも当たり前だった。
エネルギー源は、電荷を持ち超高速で回転するブラックホール(カー・ニューマン・ブラックホール)を、アルテミス・システムに使われている準完全鏡面装甲の球殻で覆ったものだった。ブラックホールは高密度でサイズ自体は非常に小さいため、天体でありながら常識的なコストで覆うことが可能なのだ。
超高速で回転するブラックホールに電磁波を照射すると、鏡面装甲によって反射している間にブラックホールの膨大な回転エネルギーの一部を獲得できる(スーパーラディエンス現象)。
この電磁波を回収することで小型ブラックホールの生成のためのエネルギーとしていた。
そのように大量のエネルギーを生み出せるならもっと効果的な兵器を生み出せる可能性もあったが、髪一重のメッゲンドルファーはどこまでもブラックホールに拘っていた。
目的にかなうカー・ニューマン・ブラックホール自体を作り出すことは、エネルギーの問題からメッゲンドルファーにはできなかった。
これがブラックホール兵器化にあたっての最大の問題でもあった。
しかしメッゲンドルファーは諦めなかった。恒星から離れた広大な宇宙空間のどこかに天然のカー・ニューマン・ブラックホールが存在する可能性は地球統一政府成立以前から知られていた。
そして地球教団には、地球統一政府時代に蓄積された半径百光年の宇宙空間のものとしては最も緻密な宇宙空間の調査データが残されていた。
メッゲンドルファーはこの記録に残るワープ事故多発地帯などの異常ポイントと実地調査を執拗に繰り返すことで、ついに超高速で回転する天然のブラックホールを恒星ベガから0.02光年の地点に発見した。
このブラックホールに、電荷を注入してカー・ニューマン・ブラックホールに変化させて移動可能な状態にして、恒星ヴェガを巡る軌道に移動させたのだった。
人類はブラックホールをワープさせる技術を持っていなかった。ブラックホール自体がワープにとって危険な大質量の物体なのだから当然でもあった。
だからこそ今回戦場が、ブラックホールの発見されたヴェガ星域に設定されたのだった。
さて、高エネルギーを持った電磁波の形でエネルギーを取り出すことが可能なカー・ニューマン・ブラックホールであったが、電磁波を反射させ続け、鏡面装甲が耐えられなくなるまでエネルギーを溜め込むことも可能であった。鏡面装甲が耐えられなくなった時に解放されるのは超高エネルギーを持った光の全方位への放射である。
メッゲンドルファーは鏡面装甲球殻を多重にして限界までエネルギーを高め、さらに最も外側の球殻には予め光が放射用の穴を設けておくことで光の放射を一定の領域に絞り込んだ。
この一定の領域として設定されたのは、今まさに連合、新帝国との戦場になっている領域であった。
この準備(球殻の多重化のための鏡面装甲設置作業とスーパーラディエンスの開始)をメッゲンドルファーは完了して、ルドルフ2世に連絡したのだった。
そしてメッゲンドルファーの発言通り15分後にそれは来た。
解放された「暁の鶏声」、それは宇宙の暗黒を消し去る光明神の光であり、戦場全体を覆う莫大な光の奔流であった。
宇宙ジェット出現後にも残っていた分子雲に、その一部は吸収されたが、光の大部分は戦場まで届いた。
光は戦場に届くまでにある程度拡散していたため、艦艇を一撃で破壊するほどの威力はなかった。
だが、エネルギー中和磁場に負荷をかけ、一時的に索敵を不可能にする効果はあったし、艦艇の後背から光を受けた場合、中和磁場に守られない航行用エンジンに損傷を受ける艦艇が出現した。
ジークフリード帝率いる新帝国軍艦隊は、「雄鶏」に対して背を向けていたため、攻撃や方向転換は可能ながら長距離移動に支障のある艦艇を多数抱える状態となってしまった。
光が戦場を支配している間にルドルフ2世とユリアンは撤退に移った。
撤退は成功するかに見えた。
だが、ヤン・ウェンリーは甘くはなかった。
彼はこの時既にメルカッツ率いる部隊を突破していた。
「暁の鶏声」が戦場を支配する中でも、ルドルフ2世の未来位置を予測して移動を開始していた。
そして光が消えた時、ヤン直卒の艦隊は、神聖銀河帝国艦隊の撤退進路を妨害するようにフィッシャー提督の神速の機動で急速に迫っていたのだ。
ヤンとしてはここでルドルフ2世を逃すわけにはいかなかった。
神聖銀河帝国の根拠地が判明していない以上、現状ここでその戦力を殲滅し、ルドルフ2世を捕らえることが、戦争終結への最短の道なのだった。
このため、不測の事態が生じても、彼らを逃さぬようフィッシャー提督に事前に指示を出していた。
ユリアンは自らが残ってでもルドルフ2世を逃すべきか、自らの目的との間で迷いを生じた。しかしその迷いの間にヤンは目前まで迫って来ていた。
このままヤンがルドルフ2世を捕捉するかと思われたその時、再び事態が急転した。
ヤン艦隊はその側面に攻撃を受けたのである。
それは千隻ほどの部隊であった。
撤退のために予備戦力を伏せていたのかとヤンは一瞬疑った。
だが、そのような戦力が存在するならもっと前の段階で投入していたはずであった。
何故今頃……
その答えはすぐに判明した。
その部隊から連合軍、神聖銀河帝国軍の双方に通信が入ったのである。
「ヤン・ウェンリー!よくも俺を嵌めてくれたな。エルランゲンの恨み、ここで晴らしてくれる!」
アーサー・リンチであった。
「ユリアン・ミンツ!真の英雄たるこの私が愚図なお前を救けてやる!這いつくばって感謝しろ!」
アンドリュー・フォークであった。
ヴィーンゴールヴ星域でジークフリード帝から逃走した後、
リンチはフォークに今後の方針に対する意見を求めた。
リンチとしてははみ出し者ばかりの将兵とともにこのまま逃げて海賊でもやるつもりになっていた。だが。
「悔しくないのか」
「何?」
フォークからの思わぬ問いにリンチは困惑した。
「このまま逃げてどうする?海賊になってどうする?」
「まあ……楽しくやるさ」
「今でも罪悪感と挫折感で酒が手放せない貴官が、それでも楽しくやれるのか?同盟で家族が卑怯者の家族と罵られているのを気にせず楽しくやれるのか?」
年少で、しかも精神的におかしい中将からの問いはリンチの胸に刺さった。
その通りであったからだ。
いくら同じようなはみ出し者の面倒を見ることで誤魔化そうとしても、結局はそこに戻ってしまうのだ。
リンチは叫んだ。
「だったらどうしろって言うんだ!?」
フォークは痩せこけた顔で、そんな彼の眼を真っ直ぐ見つめてニヤリと笑った。
「ちょうど私も思い上がりを正してやりたい奴がいる。この真の英雄たるフォークが、策を授けてやろう」
フォークが提案したのは、ヴェガ星域への殴り込みだった。
逃げ出したはずの部隊が急遽出現して、戦局を決定する。それがフォークの目論見だった。策と呼べるものではなかった。
だが、リンチはやる気になった。
「たしかにこれはヤンに復讐し、ユリアン・ミンツに目にものを見せるチャンスだな」
「だろう?それに誰も貴官のことを逃げるだけの卑怯者とは呼べなくなるだろう?」
「まあな。卑怯者が、悪党になるだけの違いな気もするがな」
だが、それだけでも大分マシだとリンチは思った。
リンチは将兵に希望を尋ねた。三分の一の将兵は逃走を望んだ。だが三分の二はフォークの提案に乗った。彼らも人生の最後にひと花咲かせることを望んでいたのだ。
彼らは離脱希望者に二百隻ほどの艦艇を任せ、残余の部隊でヴェガ星域を目指した。途中心変わりをした者達が出現し、彼らの離脱のために戦場への到着は遅れた。
ヴェガ星域最外縁に目立たぬようにワープした彼らは、宇宙ジェットが吹き荒れる様子に度肝を抜かれた。
リンチはフォークに尋ねた。
「どうする?俺たちの出る幕があるのか?」
「たとえ味方に地の利があり、想像を絶する新兵器があろうと、それを理由に怯むわけにはいかない!高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処するのだ」
「なるほど、要するに行き当たりばったりというわけだな」
「おい!」
その後も突入のタイミングを逸して今に至ったのであった。
皆、予想外の者達の乱入に混乱した。
ルドルフ2世は何故彼らが戻って来たのかわからなかった。
ヤンはリンチに十年越しでそこまで恨まれていることに衝撃を受けていた。
ユリアンが混乱から最も早く回復した。
「陛下、今のうちに全速離脱です!フォーク中将、助かりました!この恩はいつかチョコボンボンで返します!」
「キョエエエ」
スクリーンから奇声が聞こえた気がするがユリアンは構わず撤退に移った。
ヤン艦隊が混乱から回復し、フォーク達が進退窮まってついに降伏した時には、神聖銀河帝国軍はヴェガ星域からの離脱を果たしていた。
ヴェガ星域の決戦は連合と新帝国の勝利に終わった。
だが、ルドルフ2世は逃走し、神聖銀河帝国の根拠地はいまだに不明であった。
今話で出てきたカー・ニューマン・ブラックホールからの電磁波を用いたエネルギーの回収と、爆弾転用は既存のアイデアです(気になる方はBlack Hole Bombなどでネット検索してみてください)。
それにおまけの工夫で一定の指向性を加えてみました。