カール・フォン・メッゲンドルファー、
地球統一政府時代の重力工学の権威を遠い先祖に持ち、ゼッフル粒子の開発者と同じ名で生を受けたこの男は、自らが科学者になることを疑ったことはなかったし、自らの開発した技術で叛徒どもとの戦争を終わらせ、臣民を戦争という地獄から解放できるのだと信じていた。
彼は当然のごとく物理学、それも重力工学を専門とし、軍科学学校を首席で卒業の後、科学技術総監部に所属した。
彼は自らと理想を同じくする仲間達と共に、技術による戦争の革新、そして戦争の終結に邁進するつもりだった。
だが……
アントン・ヒルマー・フォン・シャフト、
その男によって科学技術総監部は政争の場、阿諛追従の場と化していた。
軍事科学者として頭角を現しながら、派閥の論理を理解しないメッゲンドルファーを、シャフトは自らの立場と既得権益を侵す敵だと見なした。
メッゲンドルファーは科学技術総監部で、ある兵器の開発を提案していた。
その提案はシャフト閥によって邪魔され、通ることはなかった。
高価なだけで艦隊攻撃には役に立たない兵器だとこき下ろされ、別の用途として考えられた機雷原の掃滅も、シャフトの推進した指向性ゼッフル粒子で事足りるとして却下されたのだ。
メッゲンドルファーは閑職に回され、心身の健康を害した。
彼は失踪し、歴史の表舞台から姿を消した。失意の中自殺したのだと噂された。
だが、彼は地球教団の下で軍事研究を続けていたのだった。
歴史の闇に消え去ったはずの存在が、地球教団によってまた一つ、復活しようとしていた。
メッゲンドルファーはルドルフ2世に向けて、演説めいた講義を行なっていた。
「母なる地球を照らす光輝なる神アポローン。ざんねんながらその眷属たる
「え、いや、うん」
「陛下ぁ……」
メッゲンドルファーのこのノリを、ルドルフ2世は苦手としていた。早熟の少年皇帝は中二病の時期をとうに卒業していたのだ。
だが、自らの科学の教師も務めているメッゲンドルファーが意気消沈するのを見て、ルドルフ2世は堪らずランズベルク伯を頼った。
躁鬱の変化の激しいメッゲンドルファーにやる気をなくされては、戦いまでに準備が終わらなくなる可能性もあったのだ。
ルドルフ2世はほぼこのためだけにランズベルク伯を戦場に連れて来ていた。
ランズベルク伯は技術のことなど何も理解していなかったが、アポローンの眷属、詩神ミューズの導きに従い、すらすらと言葉を紡ぎ出した。
「お見事!お見事!まさに芸術神アポローンにふさわしき戦争芸術の極致です。このランズベルク伯アルフレット、感服仕りました!陛下は感激のあまり言葉も出ないようですが本当はこう仰りたいのです。「見事なりメッゲンドルファー。遠矢射る神の
「そうだ、アガなんとかだ!」
メッゲンドルファーは自らの理解者の存在に感極まってむせび泣いた。
「まさしく、まさしく、その通りです。皇帝陛下万歳!陛下の御為、人類の未来の為、このメッゲンドルファー、やり遂げて見せましょうぞ!」
「う、うむ、よろしく頼むぞ」
ルドルフ2世はルドルフ大帝のように臣下を選べなかった。好むと好まざるとに関わらずアクの強い大人たちに囲まれ、為政者として日々精神的に鍛えられているのだった。
連合、新銀河帝国合同艦隊はヴェガ星域に到着した。
ヴェガ星域は、恒星を中心とした星域である。恒星の周囲、半径百天文単位以上を分子雲が取り囲んでおり、非常に視界の悪い星域であった。
神聖銀河帝国の艦隊の姿は見えないことから、その分子雲の中に隠れているものと思われた。
想定していたことではあったが、連合、新帝国の合同艦隊は潜んでいる敵を探しながらの戦いをすることになった。
合同艦隊は斥候部隊を先に分子雲内に送り込んだ。
合同艦隊主力が散開しつつ、分子雲外縁に到達した時、斥候部隊からその報告が来た。
「分子雲内に高エネルギー反応確認!」
数分後にそれが来た。
それは虚空を薙ぐプラズマ粒子ビームの奔流だった。
多数の艦艇がその奔流に巻き込まれた。エネルギー中和磁場は一瞬で飽和した。一瞬で500隻を超える艦艇が消滅したのだった。
しかもそのビームは一本ではなかった。
今や十本を超えるビームが連合と新帝国の艦隊を襲っていた。
そのビームは無照準であるようで、必ずしも艦隊には当たらなかったが、絶えずランダムに放射位置と角度を変え、しかも途切れることがなかった。
ビームの奔流は艦隊を縦横無尽に切り刻んだ。
數十分のうちに二千隻を超える艦艇が失われた。
ビッテンフェルトが喚いた。
「こんな高威力で途切れることのない攻撃があってたまるか!オーディンよ、宇宙の法則はどうなってしまったのだ!」
だがその正体こそが宇宙の法則の産物だった。
この時になって漸く、分子雲の内部に潜入した斥候艦がその攻撃の正体を捉えた。
報告を受けた旗艦パトロクロスのオペレーターがその正体を叫んだ。
「攻撃源の正体は多数の小型ブラックホール。粒子ビームの正体は宇宙ジェット、ブラックホールから発生した亜光速のプラズマジェットです!」
メッゲンドルファーが構想したのは、大艦隊への攻撃に利用可能なブラックホール兵器であった。
帝国科学技術総監部で彼が提案したのはブラックホールを爆弾のように利用することであった。しかしブラックホールの発生装置が大規模過ぎてコストパフォーマンスが悪く、さらにその移動速度の鈍重さのせいで艦隊攻撃には向かなかった。この点は実のところシャフト達の指摘通りだった。
このため、メッゲンドルファーは発生させたブラックホールを継続的に兵器として利用することを考えた。
この時点でブラックホールという一手段の目的化が発生しているのだが、メッゲンドルファーは気にしていなかったし、指摘できる人間は当時の地球教団にはいなかった。
メッゲンドルファーはまず、回転するブラックホールに降着円盤を形成し、ブラックホールに吸い込まれる際に物質から解放される膨大なエネルギーが転換した亜光速ジェット噴流、通称宇宙ジェットを兵器とすることを考えた。
ブラックホールに宇宙ジェットが発生する条件、メカニズムは、この時代でも完全には解明されていなかったが、メッゲンドルファーの天才は小型ブラックホールにおいてそれを人為的に発生する方法を見出していた。
しかし、ブラックホール周囲から出る宇宙ジェットの向きは上下それぞれ一方向に固定されていて、その方向を変えることは困難であった。このままでは一度避けられればそれで終わってしまう。
メッゲンドルファーが散々悩んだ挙句に思いついたのは、小型ブラックホールの多重連星系をつくることだった。
ブラックホール発生装置を自転させ、加速することで、自転し高速で動く小型ブラックホールを作り出し、それを作成済みのブラックホール群に加えることを繰り返して多重連星系は完成した。
その上で各ブラックホールに降着円盤をつくり、亜光速プラズマジェットを生じさせたのだ。
こうすれば各ブラックホールから出るジェットは常に大きくその位置を変化させることになり、敵艦隊に逃げ場を失わせることができた。
外部から艦艇によって小惑星をブラックホール群に投入すれば潮汐力で小惑星はたちまちバラバラになり、降着円盤を形成し、宇宙ジェットの材料とすることができる。このため宇宙ジェットが途切れることはなかったし、小惑星投入のタイミングでいつでも宇宙ジェットの放射を開始できた。
当然ながら、複雑な多体問題となったブラックホール多重連星系の軌道はまさしくカオスで、敵だけでなく味方にとっても予測し難いものとなるはずだったが、メッゲンドルファーはシミュレーションを重ねてブラックホール質量、公転距離、速度、自転速度等々に関して特殊な条件を見つけ出し、その条件限定で各ブラックホールの軌道、そして宇宙ジェットの放射位置を予測することに成功していた。
これによって敵は様々な方向に暴れ回る宇宙ジェットの暴威を受けることになる一方、味方はメッゲンドルファーの予測に基づき宇宙ジェットの未来位置を知って避けることができるのだった。
このシステムの構築には、同盟の、帝国より高度な艦隊運動制御技術、天体シミュレーション技術、多数の天体を同時に運用する「アルテミス・システム」のノウハウが非常に役に立った。
地球教団は、メッゲンドルファーのため、ファルスター星域において帝国軍捕虜となったバウンスゴールら同盟の技術将校を拉致して協力させたのだ。
こうして生まれたのが「アポローン・システム」、通称「アポローンの弓」であった。
多数の小型ブラックホール(メッゲンドルファーはこれを鴉と呼んだ)の多重連星系と、それに物質供給源の小惑星を継続的に投入する自動化艦艇群がその正体で、敵にとってはランダムに位置を変えるように見える、途切れることのない亜光速プラズマジェットがその攻撃手段だった。
メッゲンドルファーはブラックホール群の近傍で、その運用を統括していた。
彼は戦況から、自らの長年の考えが正しかったことを知った。
「見よ。ブラックホールこそが至高の兵器、人類の未来を切り拓く存在。私の人生が今花開いた……」
彼は今恍惚の中にいた。
宇宙ジェットによって合同軍艦隊が撃ち崩され、混乱しているのを確認して、分子雲の中から神聖銀河帝国の艦隊がついに姿を現した。
亜光速のプラズマジェットは一見ランダムに見えるものの、神聖銀河帝国側はメッゲンドルファーの計算でその攻撃位置が予測できていた。
このため、宇宙ジェットを避けた上で合同軍に攻撃を仕掛けることができた。
今や戦況は一方的に見えた。
亜光速プラズマジェットの一撫でごとに連合新帝国共同軍は多数の艦艇を失った。その上で神聖銀河帝国艦隊の攻撃を受けているのだ。
各艦隊では幕僚団が議論を重ねていた。
「どうにかならんのか!?」
「ブラックホールに突入して攻撃を仕掛けてはどうか?」
「ブラックホールなんてものをどうやって破壊する?すべて飲み込まれて終わりだ!」
その通り、メッゲンドルファーの構想した兵器は絶対の防御力をも持ちあわせる究極兵器とも呼べる代物だったのだ。
「敵は宇宙ジェットを避けているようだ。宇宙ジェットの位置は予測可能なんじゃないか?」
「どうやって予測する?個別のブラックホールの正確な位置情報すらまだ得られておらんぞ。それに予測シミュレーションをしている間にこの会戦が終わるのではないか?」
「では、敵の位置取りを見て追随するのはどうか?」
「それは既にやっている!だが、どうしてもワンテンポ遅れてしまうし、敵に移動位置を気取られて有利な位置を占められて終わりだ!」
結局結論は出ず、宇宙ジェットと神聖銀河帝国艦隊の攻撃の前に損害を積み重ねた。
このまま神聖銀河帝国の勝利に終わるかと思われた。
だが、プラズマジェットの位置が神聖銀河帝国軍の予測とずれ出した。
今や神聖銀河帝国軍と連合/新帝国は等しくアポローンの弓の餌食となっていた。
「こんな、こんな馬鹿な!!」
メッゲンドルファーは呻いた。
それはメッゲンドルファーの目の前で起こっていた。
小型ブラックホール群の近傍に、敵艦艇數十隻ほどが侵入し、防衛部隊が反応して攻撃を仕掛ける前に、突如ワープしたのだ。
当然時空震が発生した。
大質量周辺でのワープが危険なこと、巨大な時空震が発生することは知られていた。だが、今回発生した時空震は極めて大きかった。それこそ小型ブラックホール群の軌道をずらすほどに。
軌道をずらされた小型ブラックホール群はメッゲンドルファーの予測不能な存在に変じた。当然宇宙ジェットの放射位置も予測できなくなった。
メッゲンドルファーは目前で起こったことの正体を理解した。
「時空震相乗現象か!」
通常烈しい時空震が発生している最中にはワープはできない。しかし、艦隊が行なっているように、ワープのタイミングを同期させれば同時ワープは可能である。その際発生する時空震の規模はワープした艦数に比例したものになる。
一隻のワープでもブラックホール周辺で行えば巨大な時空震が発生するのに、それが数十隻分ともなれば、小型ブラックホールの軌道をずらすのに十分であった。
「なんとかなったようだ。よくやってくれたね、ヘルクスハイマー大尉」
ヤンはパトロクロスの指揮卓上で息を吐いた。
ヤンにとっても多数のブラックホールを用いた兵器など想定の範囲外であった。
だが、敵が根拠地不明の利点を捨ててまで待ち受けている限りは、何かしらの罠が用意されているとは考えており、自らの想像できる範囲でその対応手段も用意していた。
マルガレータとともに用意したものが、ブラックホール兵器にも有効に働いたのだ。
連合は、無人艦運用技術において同盟に大きく遅れをとっていた。このため、同盟との講和の際に無人艦運用技術の供与を条件に含めており、フレデリカ・グリーンヒル中尉が、連合軍将兵への技術指導にあたった。
マルガレータはその一期生にあたり、前の職場では無人艦運用技術の連合艦艇への適用を任務としていた。このため、連合軍派遣艦隊では貴重な無人艦運用技術を持つ士官であったのだ。
百隻規模の無人艦の同時運用と、同期ワープの実現を、マルガレータはリンクス技術准将らの助力を受けて短時日のうちになしとげていた。
攻撃の正体が判明した後、マルガレータはヤンの指示のもと、無人艦艇百隻に、分子雲に突入後別個の経路を経てブラックホール近傍で合流するようにプログラムした。
數十隻は敵の哨戒に引っかかったり、宇宙ジェットに巻き込まれるなどで失われたが、残る艦艇はブラックホールまでたどり着き、無事に役目を果たすことができたのだった。
このままでは、敵味方問わない無差別殺戮になる。ブラックホールの新しい軌道予測は間に合わない。
メッゲンドルファーは断腸の思いでブラックホールへの物質供給を停止し、宇宙ジェットを終わらせた。
戦場に残ったのは、数を減らした連合/新帝国の合同艦隊と、神聖銀河帝国艦隊であった。
ヤンは敵艦隊を見据えて呟いた。
「さあ、第2ラウンドの開始だ」
または、私は如何にして心配するのを止めてブラックホールを愛するようになったか
歴史の闇というか、銀英伝の闇に消え去った存在、旧コミック版に登場した謎の超兵器、ミニブラックホール兵器が主役の回でした。
ミニブラックホール兵器、出現したブラックホールは決して量子サイズではなさそう。
……詳細不明の謎の存在です。
本作の地球教は、そんな存在さえも忘却の彼方から呼び起こしてきてしまいます。
そんなものを作り出せるエネルギーや超技術があるなら……というのは、言わないお約束で。