ユリアンは用意された旗艦アース級戦艦5番艦コアトリクエに搭乗し、各部隊から抽出した三千隻を直卒とした上で左翼の指揮を執ることになった。
ユリアンは、コアトリクエの艦長に驚くことになった。メルカッツの娘、ゲルトルード・フォン・メルカッツ中佐が艦長を務めていたからだ。
貴族階級に対して厳しい連合の法に従い、メルカッツの一人娘のゲルトルードもまた軍人となっていた。ゲルトルードは美人であったが、それ以上に女傑という言葉が似合う女性であった。
「ゲルトルードさん、いえ、メルカッツ中佐、神聖銀河帝国に協力する気になったのですか?」
「そうよ、ミンツ大将。父が、あの少年皇帝や新しい弟子達に絆されて、やる気になってしまったからね。退役して以来ずっとつまらなそうな顔をしていたから、父にとっては案外よかったのかもしれない。……そうでなければ、こんな腐ったところ、父と母と、あと、カリンを連れてすぐに逃げ出してやったんだけど。望むならあなたも連れてね」
その開けっぴろげな発言にユリアンの方が焦ってしまった。彼女の後ろには地球教徒の監視役兼護衛が数人付いていたからだ。
「大丈夫よ。父に対する大事な人質を、不穏な発言一つで処分することなんてないわ。でしょう?ミンツ主教?」
「そうでしょうけれど」
「ははは。まあ、あなたや少年皇帝をからかうのも楽しいのだけど、そればかりでもストレスが溜まるからね。でも帝国では女が艦長をやる船に乗りたい人なんていないようでね。だから無主の旗艦級戦艦の艦長になっていたのだけど、あなたが乗ることになるなんて奇遇ね」
「そうですね。……ゲルトルードさん、先に一つ」
「何?」
彼女が艦長を務める以上、ユリアンには予めことわっておくべきことがあった。
「今回の戦いでぼくがとる策は、ゲルトルードさんにとって不愉快かもしれません。ですが、勝つために必要なんです」
ゲルトルードは笑った。
「あなた達のやり口は常に不愉快極まりないわ。だから今更ね」
ゲルトルードは少し意地の悪い顔になった。
「私からも今のうちに一つ」
「何でしょう?」
「カリンが、最近あなたが会いに来ないと寂しがっていたわ。避けられていると思っているようよ。……嫌っていないし、むしろその逆なんでしょう?この戦いが終わったら、会いに行ってあげて」
ユリアンはこの奇襲に狼狽えた。
「彼女が?むしろ、ぼくが嫌われているのかと思っていました」
「あの子、感情表現が下手くそだから。……まあ、私もだけど」
雑談の時間は終わり、お互い、軍務に戻った。
独立諸侯連合軍の布陣は、
左翼から順に
ヤン元帥 九千隻
シュタインメッツ大将 九千隻
フォイエルバッハ大将 九千隻
シャウディン中将 九千隻
であった。
神聖銀河帝国軍の布陣は、
右翼から順に
ルドルフ2世 一万一千隻
エルラッハ中将 九千二百隻
ノルデン中将 九千隻
グリルパルツァー中将 四千四百隻
クナップシュタイン中将 四千四百隻
ユリアン大将 三千隻(クナップシュタイン艦隊の後方)
コルプト少将 四千七百隻
であった。
ユリアン以外は、双方前日と同じ布陣だった。
神聖銀河帝国は左翼側の戦力を若干厚くしていた。対する連合のフォイエルバッハ、シャウディンの両提督は、いずれもメルカッツの麾下で勇名を馳せた歴戦の提督であり、連合の将らしく不利な兵力での持久戦にも長けていた。仮にヤン自身であっても両提督相手には容易に均衡を破ることはできないだろう。ヤンとしては帝国左翼の敵を彼らに任せ、自らはルドルフ2世への対応に集中するつもりだった。
双方有効射程距離から少し間を取って布陣し、相手の出方を見ているようであった。
しかし、突如、神聖銀河帝国軍から同盟軍に伸びる火の柱が出現した。
それは、連合軍艦隊内に散在するアルテミスII、十二個の衛星のそれぞれに向けて伸びていくようだった。
シュタインメッツは正体に気づいた。
「指向性ゼッフル粒子!それでアルテミスIIを破壊するつもりか!」
参謀長のナイセバッハ中将は冷静に指摘した。
「いえ、ゼッフル粒子は探知されておりません。アルテミスまでは届かないかと」
その通りだった。もし火柱が連合軍艦隊まで届くものであったなら既に探知されていたはずだった。
果たして、火柱は連合軍の手前で止まった。
だが、消えゆく火柱を通路として、帝国軍は、残存の雷撃艇や駆逐艦を同盟軍至近まで送り込んでいた。
そして動揺する同盟軍艦艇を置き去りに、そのままアルテミスIIまで突入し、ミサイルを放ったのだった。
雷撃艇、駆逐艦に搭乗していたのは地球教徒の決死部隊であり、躊躇いは存在しなかった。
十二個の衛星のうち、半数がミサイルで、残り半数が艦艇による体当たり攻撃で破壊された。
神聖銀河帝国軍はアルテミスIIの破壊を確認する前から前進を開始しており、動揺し、艦列も乱れた連合軍に対して先制の砲撃を仕掛けた。
無論連合軍も反撃したが、機先を制されたのは事実であった。
そんな中、左翼のフォイエルバッハ艦隊、シャウディン艦隊は協調して前進を開始した。
フォイエルバッハ艦隊が一時的に敵の圧力を引き受ける間に、シャウディン艦隊が、敵の側面に回り込み、近接攻撃を仕掛けたのだ。
フォイエルバッハ、シャウディンはメルカッツ元帥麾下の提督であった。メルカッツの薫陶を受けたのが神聖銀河帝国軍ばかりではないことを彼らは証明した。
コルプト、クナップシュタイン艦隊は後退した。
今や、火球と化す艦艇は帝国軍の方が多くなっていた。
しかし、そこにユリアン率いる高速艦三千隻が戦場を大きく移動し、外縁からシャウディン艦隊側面に攻撃を仕掛けた。
気づけば、シャウディン艦隊はユリアン、コルプト、クナップシュタインに半包囲されてしまっていた。
ユリアンは事前にコルプト、クナップシュタインと示し合わせており、タイミングを図っていたのだ。
フォイエルバッハ艦隊が自身も攻撃を凌ぎつつ、救援部隊を差し向けることでシャウディン艦隊は戦力を削られつつも窮地を脱することができた。
しかしこの時にはユリアン・ミンツの悪辣なペテンは既に始まっていた。
一方の連合軍右翼側ではヤンとルドルフ2世が熾烈な戦いを繰り広げていた。
表向きは左翼と比べて静かと言ってもよいかもしれなかった。
お互いに相手を倒すよりも、時間稼ぎを目的としていたからだった。
ルドルフ2世はユリアン・ミンツを信じて。
ヤンはジークフリード帝の合流に望みを託して。
だが、それだけに互いの策の読み合い、潰し合いは熾烈だった。
ヤンの智謀と経験、ルドルフ2世の才気と活力が拮抗した。
相手が疲れを知らぬ少年であるというだけでも、ヤンにとっては大きな脅威だった。
お互いに自艦隊だけでなく、隣接するエルラッハ、シュタインメッツの両艦隊を支援した。エルラッハ、シュタインメッツ両艦隊の戦いはさながらヤンとルドルフ2世の代理戦争の様相を呈し、壮絶な消耗戦となっていった。
この時ヤンは一瞬の気も抜けない策の読み合いに集中せざるを得ず、右翼を気にする余裕を失っていた。
また、神聖銀河帝国による通信妨害が激しく、右翼に通信で指示を出すことはできない状態となっていた。
だが、マルガレータが注意を喚起して来た。
「右翼の様子がおかしいです」
この時ヤンには余裕がなかった。
「劣勢なのはわかっている。おかしい、だけでは何を言いたいのかわからない」
マルガレータは消沈しつつも答えた。
「申し訳ありません。わからないのです。しかし、敵の攻撃に対する味方の反応がとにかくおかしいのです」
ヤンは自らの副官が無駄な情報を伝えて困らせてくるような人物ではないことを思い出した。
「記録を見せてくれ」
「たしかに反応が過剰で、そのために損害が増しているように思える。だがそうなる理由がわからない。……ヘルクスハイマー大尉」
「はい」
「目下司令部には余裕がない。だが右翼を放置してはおけない。伝令も出してみるし状況によっては後退させるが、事は急を要する。だから君に頼む。右翼の動きがおかしい理由を解明してくれ」
尊敬する提督からの思わぬ大任にマルガレータは緊張しつつも高揚した。
「承知しました!」
マルガレータは右翼のこれまでの戦闘推移と現在の戦況を確認し、思考した。
おかしいのは、やはり敵ではなく味方の動きだ。だが、その理由がわからない。シュタインメッツ艦隊、シャウディン艦隊の両方がおかしいという事は属人的な理由ではなかろう。だが宙域にもその理由は見当たらない。
ではやはり敵にその理由があるのか?
マルガレータは改めて敵の動きを確認した。
そして気づいた。
その理由に。そして、その悪辣な策略に。
それに気づいたマルガレータは、怒りを抑えられなかった。
思わず帝国で暮らしていた頃の言葉遣いに戻って叫んだ。
「妾たちを愚弄するのも大概にするがよい!この、卑しい性根のペテン師が!」
その言葉は、彼女の尊敬する提督に見事に突き刺さった。
艦橋の人員は皆、何事かと振り向いた。
とある副参謀長は「いい気味だ」と呟いていた。
マルガレータはヤン提督が一部で何と呼ばれていたかを思い出して慌てた。
「ああっ!ペテン師と言ってもヤン提督のことではないのです!敵のことです」
「わかっているから。その言葉も余計だったかな……」
ヤンは気を取り直して尋ねた。
「それで何がわかったんだい?」
「敵は、その戦術を模倣することでメルカッツ元帥の振りをしています!フォイエルバッハ提督、シャウディン提督、それにその配下の多くの将兵はメルカッツ元帥の麾下、戦術上の弟子でした。彼らは自らの対峙する相手がメルカッツ元帥本人だと思い込まされ、本来の実力を発揮できなくさせられているのです!本人達にはそのつもりはないかもしれませんが、どうしても影響が出てしまっているのでしょう」
メルカッツが重傷で長時間指揮を執れないことを考えればメルカッツではなく、メルカッツの振りをした誰かであることはマルガレータにとって明白に思えた。
しかし、フォイエルバッハやシャウディンにとって、メルカッツはそのような状態でも指揮を執りかねない上官であったのだ。
あるいは無理に執らされているかもしれないと考え、冷静でいられなかった。
メルカッツを高精度に模倣できる人間がいるなど想定もできなかった。
ヤンが気づかず、マルガレータが気づけたことにも理由があった。メルカッツ元帥の戦術、艦隊運用術は連合では教本にも載っており、学生ですらよく知っているものだった。ヤンも知らないわけではないにしろ、彼女達ほどには馴染んではいなかったのだ。
マルガレータは感情が昂り、涙を我慢しているようだった。
「家族を人質に取られて無理矢理協力させられた上、自らの信望までもが作戦に利用される。こんな無念がありましょうか!こんな、こんな悪魔のような策略を考え、実行できるのは一体どこの誰でしょうか?」
「……おそらくユリアン・ミンツだろうね」
「ユリアン・ミンツ、この外道めが。妾はそなたを許さぬぞ……。あ、いえ、失礼しました」
本人が知らぬ間に不倶戴天の敵をつくってしまったことに、ヤンはユリアンに少しだけ心の中で謝った。
そして、自分がユリアンの立場だとしたら同じようなことをやり兼ねないということは、ヘルクスハイマー大尉には絶対に黙っておこうと思った。
「ヘルクスハイマー大尉、全艦隊に連絡を。メルカッツ元帥がルドルフ2世の座乗艦に同乗していることを確認、と」
「確認できたのですか!?」
「できていないよ。肝心なのはフォイエルバッハ中将とシャウディン中将に自分達の相手がメルカッツ元帥ではないことを確信させることだから」
「そういうことですか。まるでペテンの掛けあ……いえ、承知しました!」
その情報は伝令用艦艇によって全司令官に伝えられた。
ユリアンは、メルカッツがルドルフ2世や他の将兵に戦術シミュレーションで指導を行なうのをずっと見てきたし、直に何度も対戦もしていた。弟子とさえ言えたかもしれない。
ユリアンの模倣の才は、メルカッツの戦術の再現すら可能としていた。実際は本人に及ばないにしても、メルカッツの戦術をよく知る人間がメルカッツだと考えるだろう戦術を採るという意味では、本人すら凌駕していた。
ユリアンはフォイエルバッハとシャウディンがメルカッツの麾下にいたことを知っており、このようなペテンを思いついたのだった。
尊敬する元上官、師匠が、理由はわからないが、自由に動かぬ体をおして自分達に直接攻撃をかけてきている。その無意識の怯みにつけ込んで、ユリアンは優勢な戦力で敵を大いに削った。
ユリアンは敵が調子を取り戻したことに気づいた。
「ペテンに気づかれてしまったようですね。でも、もう十分です」
たしかに持ち直しはしたが、もう、形成の挽回が難しいほどに連合軍右翼は削られていた。
既に戦闘は24時間を経過し、日付も変わっていた。
連合軍左翼側はこう着状態であり、右翼も立て直すことができたため、完全に一方的な戦いにはなっていなかったが、このままいけばずるずると敗北の坂を転がり落ちるのは確実に思われた。
ヤンは撤退のために考えていた策の実行を本気で考え出していた。
しかし……
「偽帝国艦隊アルジャナフ星域に向けて接近中!」
ルドルフ2世の元に斥候部隊からその報告が入った。
「何!?予想より大分早いではないか。偽帝ジークフリードも流石にただの愚物ではなかったか」
だが、連合軍と戦って消耗した状態で新帝国軍と戦うのは分が悪かった。
ルドルフ2世は撤退を決意した。
「もう少し削りたかったが、欲を出して失敗してもしょうがない。次の楽しみとしよう」
神聖銀河帝国軍は最後の攻勢に出た後、整然と水が引くように撤退して行った。
残されたのは満身創痍の連合軍艦隊だった。