宇宙暦801年12月14日、連合軍派遣艦隊は帝国領に入り、ひとまずは新帝国軍との合流を優先してヴァルハラ星域に向けて航行を続けた。
その間にフォーク艦隊と新帝国軍が接触したとの報も入った。ヤンはジークフリード帝に、連合軍との合流を優先するよう、再度の要請を入れた。
12月17日、アルジャナフ星域を航行中の連合軍に、神聖銀河帝国軍接近との報告が入った。
ヤンはアルジャナフ星域で神聖銀河帝国軍を迎え撃つことに決めた。
アルジャナフ星域は、アルジャナフ、かつてはくちょう座イプシロンとも呼ばれた恒星を中心とする星域であり、地球統一政府時代の植民領域の外縁に存在した。かつてテラフォーミングが行われた惑星は放棄されて久しく、今や大気が希薄となり居住不能となっていた。
連合軍派遣艦隊は、既に神聖銀河帝国の領域に足を踏み入れていたとも言える。
12月18日、アルジャナフ星域に布陣した連合軍四万隻に対し、神聖銀河帝国軍五万隻が接近して対峙した。
ここにアルジャナフ星域会戦が発生した。
独立諸侯連合軍の布陣は、
左翼から順に
ヤン元帥 一万隻
シュタインメッツ大将 一万隻
フォイエルバッハ大将 一万隻
シャウディン中将 一万隻
であった。
神聖銀河帝国軍の布陣は、
右翼から順に
ルドルフ2世 一万ニ千隻
エルラッハ中将 一万隻
ノルデン中将 一万隻
グリルパルツァー中将 六千隻
クナップシュタイン中将 六千隻
コルプト少将 六千隻
であった。
ルドルフ2世は皇帝座乗艦イズンに搭乗し、自ら艦隊を指揮しており、その傍らにはメルカッツ元帥とミンツ大将が控えていた。
互いに横陣を敷いており、正面からのぶつかり合いとなった。
戦闘は、オーソドックスな砲撃戦から始まった。自軍に比べ、攻撃が弱いことを見て取ったルドルフ2世は前進を指示した。
メルカッツ元帥仕込みの近接戦闘に移行する構えであった。
自らの指示に従い、順調に近接戦闘に移行しようとしている各艦隊をスクリーンで確認していたルドルフ2世は違和感を感じた。
「メルカッツ元帥、敵からの妨害が少ない。これははめられたか?」
「その可能性が高いですな。しかし中止命令は間に合わないでしょう」
果たして、神聖銀河帝国軍が雷撃艇などを中心とした近接戦闘に出たそのタイミングで、新しく前線に出てきた連合軍の艦艇が前進し、自爆したのだった。
多数の雷撃艇、駆逐艦が破壊され、近接戦闘は頓挫した。
「やられた。近接戦闘に出るのを読まれていたか」
これまでの対帝国の戦闘では近接戦闘を多用して来た。敵に読まれて、攻撃を誘われるのも考えてみれば当然だったのだ。
ルドルフ2世は笑った。
「だがそう来なくては面白くない。敵の艦列は今の自爆で乱れている。これは好機だ!」
神聖銀河帝国軍の攻撃が苛烈さを増した。その攻撃は確かに連合軍に一定の打撃を与えた。だが一方で神聖銀河帝国軍の損害も予想以上に大きかった。
艦列の局所に飽和的な攻撃を受け、艦列が裂かれたところをさらに砲撃で傷口を広げられた。
長距離ミサイル、大出力光学レーザー、荷電粒子ビームなどからなるその飽和攻撃は、艦艇のものではなかった。
同盟軍人であったユリアンには、それが何によるものか判断できた。
「アルテミスの首飾りです!」
先の対同盟戦で接収されたアルテミスIIを、ウォーリック伯がアルテミスIIIと同様に航行可能にした上で、ヤンに押し付けたのだ。
ヤンとしては使い勝手が悪い兵器に思えたが、押し付けられたからには有効活用を考えてみたのだった。
だが、アルテミス・システムは既にラインハルトによって攻略されていた。
「アルテミスにはミサイルが有効です。雷撃艇を……」
言いかけてユリアンは気づいた。
既に雷撃艇の大半は自爆に巻き込まれて破壊されてしまっていたのだ。
ユリアンは感嘆せざるを得なかった。
「ヤン・ウェンリー、ここまで考えていたのか」
神聖銀河帝国軍は損害を積み重ねた。
そこに、さらなる凶報が舞い込んだ。連合、偽帝国間の通信を傍受した結果、ジークフリード帝の艦隊がアルジャナフに接近しつつあるとの報告があったのである。
各艦隊の司令部は浮き足立った。
ルドルフ2世も、一瞬冷静さを失った。
「フォークめ!やはり役に立たなかったではないか!ミンツ大将、どうしてくれる!?」
だが、ユリアンは涼しい顔をしていた。
「心配いりません。偽帝国軍が最短経路で接近しているなら事前に配置した我が軍の斥候が知らせてくるはずです。最短経路を通らないならば、短期間でここに来られるはずがありません。これはヤン・ウェンリーお得意のペテンです」
ルドルフ2世は落ち着きを取り戻した。
「その通りだ。しかしよくわかったな」
ユリアンは事もなげに答えた。
「ヤン・ウェンリーのペテンには痛い目を見させられましたし、いろいろと学ばせてもらいましたから。彼の考えるところはある程度まではわかります」
ルドルフ2世は笑った。
「なる程、似た者同士か」
微妙な顔になったユリアンを尻目に、ルドルフ2世はメルカッツに問いかけた。
「さて、どうすべきだと思う?」
「アルテミスの攻略の目処が立たない以上、ここは焦らず、一旦後退すべきでしょうな。敵が偽電を流して来た目的は、我々を焦らせて無理な攻勢を行わせるか、撤退させてその際に損害を強いるか、その両方です。どちらに転んでも敵に損はありません。ですが、後退なら、敵に逆撃をかけることが可能です」
「ふむ、我が艦隊司令官達は、戦術バリアチオン
「きっちり仕込んであります。新参のグリルパルツァー、クナップシュタインの二人は少し心配ですが、なんとかするでしょう」
メルカッツは、旧門閥貴族の将兵達に、多数の死者が出るほどのしごきを行なっていた。
新帝国の目を盗んで行う必要があっただけに、一度の教練の密度は実戦さながらだった。メルカッツにとって、門閥貴族は仇敵であり、死んでも構わないとさえ思っていた。「役立たずが死ぬ、まさにルドルフ大帝の望むところだろう。教練について来られないならゴールデンバウム朝の藩屏として喜んで死ぬがいい」
脱落した貴族将校の中には、実際にルドルフ2世より死を賜った者もいたため、皆必死となった。
兵士層には初めて銃を手に取るような素人の地球教徒も多かったが、彼らは彼らの信じるところに従い、喜んで教練に参加した。
結果、かつてローエングラム軍に惨敗した貴族軍とは比べ物にならない精兵部隊が出現していたのだった。
ルドルフ2世は指令を出した。
「よかろう。全軍に戦術バリアチオンRを指示せよ」
神聖銀河帝国軍は後退を始めた。艦列には乱れが生じ、付け入る隙が多々あるように見られた。
連合軍の艦隊は前進し、攻勢を強めようとした。
だが、艦列の乱れと見えたものは、多段に再構築された巧妙な防陣であった。
連合軍は攻勢に出た際の艦列の乱れを逆に衝かれ、損害を出すことになった。
その隙に、神聖銀河帝国軍は大した損害を出さずに後退を果たしてしまった。
双方補給のため、戦いは一旦水入りとなった。
「まずいな」
副官が焦ったので、ヤンは言葉を足した。
「ああ、紅茶の話ではなくて戦況の話だよ。……ブランデー足してもらえるかな?」
「駄目です」
ベルトラム准将が聞こえないように小声で吐き捨てた。
「コントか」
マルガレータは不思議に思った。
「何がまずいのですか。敵は攻めあぐねて後退しましたが」
「用意していた手品のタネが切れてしまったんだよ。あそこで無理な攻めを続けてくれたらよかったのだが、敵は冷静だな。偽電を見抜いたのはユリアン・ミンツかな。それにあの鮮やかな後退はメルカッツ元帥の指導の賜物か。厄介だなあ」
「ルドルフ2世はどうですか?」
ヤン艦隊はルドルフ2世の艦隊と直接対峙し、戦術レベルでの鍔迫り合いを行なっていた。
「強い。隙あらば策に引っ掛けようとしてくるし、こちらの策には対応が早い。まったく気が抜けない。これでまだ13歳の少年だというのが……末恐ろしいね」
ヤンは早めに引退しておくべきだったと思ったが、自分に期待している副官の前では、なかなかそんなことは言えなかった。
「この戦い、今後のために見届けさせて頂きます」
「今後?」
マルガレータは臆することなく言った。
「ええ、状況次第では、今後連合が何度も戦う相手になりそうですから。ヤン元帥が引退された後も安心して見ていて頂けるように、私も早く一人前になってルドルフ2世と対等に戦えるようになりたいと思います」
ヤンは引退を考えていたことを見透かされたかと思った。しかし、そうではないことに気づいた。
彼女は三十年後を見据えていたのだ。そんなに長く戦い続ける気なのかとヤンは思ったが、確かに戦況によってはそうなるのだ。
ヤンは一瞬、
旧銀河帝国領をすべて支配下に置き、連合までも併呑しようと攻めよせる鋼鉄の巨人と、それに毅然として立ち向かう美しい女提督の姿を幻視した。
だが、それはヤンの願うところではなかった。連合の新しい世代にまでこの悪夢を味合わせたくはなかった。
ヤンはマルガレータに微笑みかけた。
「そうならないように、今頑張ろうか。私も微力を尽くすから、ぜひ助けてほしい」
マルガレータは花のように微笑んだ。
「はい!ヤン提督!」
ヤンは幕僚達に声をかけ、次の戦いへの準備に入った。
「ヤン・ウェンリー、首から下がもげればいいのに」
一人だけ不穏なことを呟いてはいたが。
一方の神聖銀河帝国軍の方ではユリアンがルドルフ2世に、ヤンと戦った感想を尋ねていた。
「ヤン・ウェンリーのペテンがどういうものか実感できた。しかも、ペテンだけではなく、戦術指揮官としても恐ろしく手強い。余の一番の障害となる男だと卿が言った理由がよくわかった」
「よい経験が得られたようですね。これからどうなされますか?アルテミス・システムが敵にある限り、優勢の確保はなかなか難しいですが」
ルドルフ2世は、悪戯を思いついた子供そのものの笑みを見せた。
「あれに関しては、余に試してみたいことがある」
ルドルフ2世はその作戦を説明し、その準備が急ぎ進められることになった。
ユリアンは再度尋ねた。
「これがうまくいって、ようやく戦力上は優勢を確保できるわけですが、ヤン・ウェンリーが問題です。彼を遊ばせておくと優勢など簡単にひっくり返される恐れがありますがいかがしましょうか?」
「やはり余が抑えるしかなかろう。ミンツ大将、その間に他の艦隊を壊滅させて欲しい。ヤン・ウェンリーになくて、余にある最大の優位点は、メルカッツ元帥とミンツ大将がいることだ。だから、ミンツ大将に任せる」
ユリアンは頼まれることに弱かった。
「大任ですが、承知しました」
こうして両軍、二日目の戦いに臨むことになった。