時の女神が見た夢   作:染色体

51 / 84
皇帝ジークフリード・フォン・ローエングラム(キルヒアイス)の第四部作中での呼び方を修正しました(以前の話も修正しました)。
名前は俗な方でした……


第四部 12話 失われたもの

アッシュビーがフェザーン回廊同盟側出口からバーラト星系に向けて出発した頃、同盟政府はようやく一息つくことができた。

 

挙国一致救国会議の艦隊戦力が無力化、離反したことで、ハイネセン防衛に残していた第一艦隊を動かせる余地が生まれたのだ。

 

ビュコックは、第一艦隊の半数を使ってハイネセンで不足する生活必需品、医薬品、食料を近在の星系から運び込んだ。航路の安全は確保されていなかったが、正規艦隊であれば輸送が可能だった。

 

これによって一ヶ月と思われたリミットに、追加で二十日弱の余裕が生まれた。

 

しかし、二度目に艦隊を派遣した時、第一艦隊は大規模な艦隊の強襲を受けることになった。

司令官のホーウッド提督も決して油断していたわけではなかったが、未だに挙国一致救国会議が動かせる艦隊があったとは思っていなかったのだ。

第一艦隊は、散々に打ち据えられ、輸送物資を投棄し、バーラト星系に撤退した。

ホーウッドの指揮によって全滅するような事態は避けられたが、それでも艦隊の1/4を失った。

 

挙国一致救国会議に新たな戦力の存在が確認できた以上、第一艦隊は不用意にハイネセンを離れられなくなった。

 

 

しかし、第一艦隊を襲った艦隊の正体は不明であった。構成艦から第五艦隊を中心とした戦力であることは判明していたが、それを指揮する司令官が不明だった。

第五艦隊のカールセン提督が寝返ったとはビュコックには信じられなかったし、艦隊運動のくせもカールセンとは異なっていた。さらに言えば正規艦隊の誰とも異なっているようにビュコックには思えた。

 

謎の艦隊への不安をそのままにして、同盟の命運は再びアッシュビーに委ねられることになった。

 

だが、話はしばらく、神聖銀河帝国との戦いの方に戻ることになる。

 

 

 

 

宇宙暦801年12月6日、ヤン・ウェンリー元帥率いる連合軍派遣艦隊四万隻が帝国領に向けて出発した。

同盟へのアッシュビー艦隊派遣を優先したため、編成と準備に時間を要した形である。

 

ヤン元帥率いる第一特務艦隊、フォイエルバッハ大将、シュタインメッツ大将、シャウディン中将の第一、第二、第五防衛艦隊各一万隻、合計四万隻が派遣艦隊の全容であった。

クロプシュトック元帥率いる第四防衛艦隊一万隻が国内に残り、万一の事態への対応にあたる。

 

連合軍の国外派遣としては5年前のフェザーン派兵と並び最大規模である。

 

同盟との講和成立以後、同盟に帰還した者も多かったが、ヤン艦隊はなおも三割が同盟出身の将兵で構成されていた。

主な幕僚は数年の間に異動があり、以下の通りであった。

副官:マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー大尉

旗艦パトロクロス艦長:アサドーラ・シャルチアン大佐

副司令官:エドウィン・フィッシャー中将

参謀長:オルラウ少将

副参謀長:ハルトマン・ベルトラム准将

作戦主任参謀:ラオ大佐

情報主任参謀:ヤーコプ・ハウプトマン大佐

分艦隊司令官:ダスティ・アッテンボロー少将

分艦隊司令官:アデナウアー少将

分艦隊司令官:マリノ准将

陸戦部隊指揮官:カスパー・リンツ准将

空戦部隊指揮官:ポプラン中佐

 

地球教の根拠地は未だに判明していなかったが、連合、新帝国の情報担当部署は、その解明に全力を挙げていた。

 

ヴェガ星域周辺に大規模な艦隊集結の動きありとの情報があったため、ヤンは新帝国の艦隊と合流した上でヴェガ星域に向かうつもりであった。

 

しかし……

 

ヤンは紅茶を飲みながら口を開いた。

「まずいな」

「申し訳ありません!ラウエ大佐のように上手にできなくて……」

マルガレータは恐縮した。

「あ、いや、紅茶の話じゃないよ。十分おいしい。……ブランデーを足してもらえるかな?」

「ブランデーは控えるよう、ラウエ大佐から伝言されておりますので」

「あ、そう」

 

新任のベルトラム准将が、ラオ大佐に尋ねた。

「なあ、いくら副官とはいえ、毎日毎回司令官にお茶出しとは、まるで従卒ではないか?同盟ではこれが普通だったのか?」

「いえ、ヤン提督が特殊なだけです」

「聞くところでは私室の掃除や洗濯までやっているとか」

「いえ、ヤン提督が特殊なだけです。ラウエ大佐が甘やかし過ぎていたせいかもしれませんが」

「貴族としての地位と特権を維持するためには、女性といえど軍役につかないといけないのが連合の法。だが、司令官の生活の世話が貴族のご令嬢のやるべき軍役なのか」

「ラウエ大佐にヤン提督のことを任されているからと本人もはりきっているようですし」

「そこまでは任されていないんじゃないか?職権濫用と言われる前に誰かが止めないといかんだろう」

 

それはつまり俺に止めろと言いたいのか、というかこの人単純に羨ましいだけなんじゃないか、などとラオ大佐は思ったが、答える前にオルラウ少将の咳払いが聞こえてきた。

「卿ら、私語は慎め」

 

会議が再開された。

 

オルラウ少将が議題を確認した。

「議題はジークフリード帝からの連絡の件です。オーディンに向かいつつある反乱勢力の一個艦隊あり。その司令官はフォーク中将。新帝国としてはこれを撃退後に合流したいといのことです。予定変更になりますが、我々はこれにどう対応すべきでしょうな?」

 

アッテンボローが疑問を呈した。

「ヴェガ星域に敵の主力がいることが確かな以上、その一個艦隊は陽動なんじゃないでしょうか?敵の目的がそれなら、新帝国はそれに乗せられるべきではないでしょう」

 

ヤンが答えた。

「陽動の可能性が高いのは新帝国もわかっているだろう。それでもそうせざるを得ないのは相手がフォーク中将だからだ」

 

皆不思議そうな顔をした。

ベルトラムが代表して尋ねた。

「一個艦隊であっても警戒しなければならぬ男なのですか?フォーク中将とは?」

 

「よくわからない」

「は? あ、いや、すみません。しかしよくわからないから警戒が必要というなら、フォーク中将に限らぬ話ではありませんか」

 

ヤンは頭をかいて苦笑いした。

「彼の実力のほどは正直よくわからない。だけどこの場合重要なのは、実力自体よりも、帝国で彼がどう見られているかだ」

 

「どういうことでしょうか?」

 

「同盟ではファルスター星域会戦敗戦の責任者扱いだが、彼がそこで何をしていたのか、いまいちわからないんだ。その一方で、帝国ではラインハルト帝から高く評価されていた」

 

ベルトラムは驚いた。

「あの常勝の皇帝から……」

 

「そうだ。ラインハルト帝が倒さねばならぬ敵として常々公言していたのは、ライアル・アッシュビー提督とこの私と、フォーク中将だったらしい。ラインハルト帝が直々に電文を送ったことがあるのも、私とフォーク中将だけだ。ラインハルト帝の遺臣達もジークフリード帝も意識せざるを得ないだろうな。さらにはオーディンには皇妃にして先帝の姉君が残されるわけだし、万一の事態を避けたくなる心理はよくわかる」

 

黙ったベルトラムの後をオルラウが引き継いだ。

「ヤン提督クラスだと考えればたしかに一個艦隊でも警戒するのはわかりますな。ではその上で、我々がどうするかですが」

 

アッテンボローが尋ねた。

「新帝国の戦力は四万五千隻ほどのはずです。ジークフリード帝に連絡して、せめて二万隻ほどはこちらに回してもらうわけにはいかないですか」

 

ヤンが答えた。

「残念なことに二万隻程度しかいないとなると、ヴェガ星域の位置関係上、我々と合流する前に各個撃破を受ける可能性がある。そうなれば結局我々と合流できない。もっと戦力があれば挟撃も図れたんだけどね。

つまり、我々はしばらく単独で神聖銀河帝国の相手をしないといけないわけだ。だから、まずいと言ったんだよ」

 

「同数程度同士の戦いになるとはいえ、少し厄介ですね」

皆、考え込んだ。

 

 

「ヘルクスハイマー大尉、何か思うところがあるのかい?」

何か言いたげに見えた副官にヤンは話を向けた。

 

「あ、いえ、敵は本当に一個艦隊をオーディンに差し向けたのかと思いまして」

 

ヤンは興味深そうな顔になり、続きを促した。

 

「陽動とはいえ、神聖銀河帝国としては貴重な一個艦隊を遊軍とすることになります。その結果、我々と同数程度にしかならぬとなれば、いま少し工夫が足りないのではないかと。合流されるよりははるかにましだとはいえ」

 

ヤンは微笑しながら尋ねた。

「では貴官ならどうする?」

 

「小官であればですか……。そうですね、小官であれば一個艦隊は使いません。一個艦隊に偽装した小部隊を派遣するだけで十分事足りますし、連合の四万隻に対して優勢な戦力を確保できるでしょうから」

 

 

皆、驚いた。言われてみればその通りだが、思いつくことができなかった。

それを弱冠19歳の、未だ少女にも見える副官が指摘するとは。

 

ヤンは出来の良い生徒を持った先生のように副官を褒めた。

「きっとそうだろうね。よく考えたね」

 

マルガレータは頰を上気させて答えた。

「ありがとうございます!」

 

一部の会議参加者はその様子を見て、

先輩が無自覚にまた……、

とか、

厄介なことにならなければいいが……、

などと思っていた。

 

 

「まあそういうわけだから、我々は不利な戦力で戦う前提で考えた方がいい。まあ、最大限努力はしてみるが、最悪そのまま撤退もあり得るだろうね。敵が小部隊で陽動を図っている可能性とともに、その旨もジークフリード帝に伝えておこう。それで彼らが早めにこちらに向かってくれればよいのだけどね」

 

諸将は厳しい戦いになることを予想した。だが自分達の司令官が勝算のない戦いをしないこともまた知っていたのだった。

 

 

アデナウアー少将が話を変えた。

「ところで敵の根拠地はいまだわからないのでしょうか?それが判明しない限り、我々は常に後手に回らざるを得ませんし、この戦争自体終わらせることができないと思うのですが」

 

情報主任参謀のハウプトマンが答えた。

「情報局も新帝国と協力して最優先で取り組んでおります。ですが、いまだにつかめておりません。根拠地まで辿り着いた者はいるようなのですが、出てくること、情報を伝える事ができない状況のようです」

 

マリノがあまり考えたようでもなく呟いた。

「地球教が母体ならばやはり地球が根拠地なのではないか?」

 

「地球は一度帝国軍に壊滅させられていますし、帝国軍の調査では艦艇を整備できる軍事施設などありませんでした。敵の規模から考えて大規模な艦艇整備施設、艦艇新造施設を、根拠地は備えていると思われるのですが」

 

「何の手がかりも掴めていないのか?」

 

「今のところ、諜報員が連絡を絶った場所から、ソル系近傍の半径百光年以内の領域のどこかにおそらくあるだろうと考えられています。これは地球統一政府時代の旧植民地領域、かつて、光世紀世界と呼ばれた領域と重なります。戦いがひと段落すれば、しらみつぶしに探すことも不可能ではないでしょうが」

 

「それらの世界は今どうなっているんだ?」

 

歴史家志望であったヤンが答えた。

「銀河連邦成立前の戦乱、ゴールデンバウム朝成立期の混乱の中、放棄され、無人化した星系、惑星も多いようだ。ある調査記録では、犬が生態系の頂点に立って人類の代わりに君臨していた惑星もあったとか。ゴールデンバウム朝時代は流刑地として使われた惑星もあるようだが」

 

そういえばハイネセンの故地、アルタイルも光世紀世界の一部だったなとヤンは思った。

「これからの戦いのためにも、神聖銀河帝国の根拠地を押さえるためにも、歴史資料をさらう必要がありそうだな。ヘルクスハイマー大尉、手伝ってくれるか?」

 

名前を呼ばれたマルガレータは勢い込んで応じた。

「はい、勿論です!」

 

 

ヤンはこの会議の後、他の艦隊司令官とも打ち合わせを行い、今後の方針を決定した。

 

 

 

宇宙暦801年12月10日、

ジークフリード帝は親征の準備を整え、出発の前に皇妃であるアンネローゼに会いに来ていた。

「アンネローゼ様、行って参ります」

アンネローゼは微笑んだ。

「ジーク、あなたはすぐに昔の呼び方に戻ってしまうのね」

「すみません、アンネローゼ様……いや、アンネ」

 

アンネローゼは少し逡巡した後、口を開いた

「ジーク、フロイライン・マリーンドルフを側妃に迎える話は」

「アンネ、それはあり得ません」

「ジーク、でも、国内の不安を抑えるためにもいまや帝国筆頭の貴族と言えるマリーンドルフ家との繋がりは重要よ。フロイライン・マリーンドルフも、そのことはわかっておいでよ」

「フロイライン・マリーンドルフは素晴らしい女性だと私も思います。しかし、私がお慕いするのはアンネローゼ様のみです。……きっとフロイライン・マリーンドルフも同じでしょう。ラインハルト様に対して……」

 

アンネローゼの瞳が悲しい色を漂わせた。

「あなたは帝国の安寧より私のことを優先するというの?」

「はい。それがラインハルト様との約束です」

ジークフリード帝の目は、皇位に就く前も後も、結婚する前も後も、いささかも変わらなかった。

しかしかつてはラインハルトとアンネローゼを見ていたその瞳は、今、帝国全体よりもアンネローゼ一人のことを見ていた。

それがアンネローゼにとっては嬉しくあったが、同時に悲しいことでもあったのだ。

 

アンネローゼは意を決した。

 

「ジーク、この戦いが終わったら大事なお話があります。だから……絶対に死なないで戻って来てください。私のかわいいジーク」

 

「……はい、必ずや」

 

キルヒアイスは決意を新たにした。

まずは、ラインハルト様が警戒していた男、オーディンに迫るフォークを撃ち破り、アンネローゼ様を安心させよう、と。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。