宇宙暦801年12月1日 神聖銀河帝国根拠地
その日、ユリアンは人工庭園の滝の前に佇んで、考え事をしていた。
神聖銀河帝国の今後のこと、少年皇帝のこと、地球のこと……
もうすぐ出征がある。新帝国及び連合と、雌雄を決する戦いがある。そうなれば考える時間はあまり取れないだろうから……
「ミンツ大将」
不意にユリアンは声をかけられた。
「メルカッツ元帥」
「考え事ですかな?」
「はい。これからどうしていくべきかと。この国も、自分自身も」
メルカッツは前振りなどなく核心に触れた。
「少年皇帝に情が移りましたな」
「それは……いえ、そうですね」
「私もなのです。いつの間にか愛弟子になってしまった。それに、海千山千の大人達のなかでも真っ直ぐに成長している。彼はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムにはならないかもしれない。いや……わたしがさせない」
明確な決意の表明にユリアンは驚いたが、納得もした。
メルカッツは笑みを見せた。
「私がいる。ミンツ大将もいる。そして、しごき抜いた結果、頼りなかった諸将もそれなりには戦えるようになった。今度の戦い、神聖銀河帝国が勝ってしまうかもしれませんな」
ユリアンも笑った。
「そうなったら、ぼくも協力しますよ。ルドルフ2世を名君にするために」
……そう、自分はきっとそうするだろう。ユリアンは笑いながらそう思った。
「ところで」
メルカッツが珍しく言い淀んだ。
「何でしょう」
「娘がな……」
「ご息女がどうされたのです?」
「ミンツ大将をまた家に連れて来てほしいと言ってきかんのです。あれもここでの生活でストレスが溜まっている。迷惑だとは思うが、また一度家に遊びに来てくださらんか?」
「迷惑だなんてそんな。ぼくでよければいつでも伺います」
「ありがたい。娘も喜びます」
メルカッツは相好を崩した。これが父親の顔というものなのかと、ユリアンはメルカッツの娘のことが少しだけ羨ましくなった。
「何か考え事か?」
メルカッツが去ってしばらく後、ユリアンは再度声をかけられた。
振り向くとそこには少年皇帝の姿があった。
「陛下!供もお連れにならずにいらっしゃったのですか」
「何か危険なことでもあるのか?ここは我らの根拠地、地下深く閉じた空間ではないか」
「そうは言われましても……」
ルドルフ2世は意地の悪そうな顔をした。
「地球教信徒の誰かが余を害するとでも?」
「! 何を仰いますか」
「冗談だ、今はな。余と地球教団はお互いを利用する関係だ。お互いに利用価値がある限りは滅多なことはなかろうよ。別に彼らに限らない話だがな。……そうか、卿も地球教徒だったか」
「はい」
わかっていて言っているのだろう、とユリアンは思った。
聡明な少年皇帝に、ユリアンはド・ヴィリエから聞いたあの話を打ち明けたくなった。だがら今それをしても神聖銀河帝国内に亀裂が生まれるだけで何の益もない、そう考えてユリアンは思いとどまった。
ルドルフ2世がユリアンに尋ねた。
「ユリアン大将ともあろう者が何をそんなに悩んでいるんだ?」
顔に出したつもりはなかったが、ルドルフ2世には伝わってしまったようだ。そのようなところにも彼の異常な聡明さは現れていた。
「恋の悩みか?」
思わぬ方向に話が向いたが、本当のところを探られるよりはましだとユリアンは考えた。
「そうかもしれません」
「余は経験がないから相談には乗れぬが、相手にミンツ大将と結婚するよう命じることはできるぞ」
女性の意思など無視した発言だったが、ルドルフ2世は善意からそれを言っているのはユリアンにもわかった。
「ありがとうございます。お気持ちだけで嬉しく思います」
「ふむ。ところでミンツ大将は、たくさんの女性から思いを寄せられているようだが、その中に本命はいるのか?」
「どなた達のことをおっしゃっているのかわかりません」
「そうか?エリザベートやサビーネはわかりやすいだろう?多少年上だし、我の……いや、我が父の血を継いでいるとは到底思えぬ者達だが、まあ、ミンツ大将が望むなら婚姻を許すぞ。どちらとでも。何なら両方とでも」
「お戯れを。アンスバッハ中将に私が殺されてしまいます」
「ははは。それともあの侍女がユリアンの好みか?」
「まさか。カーテローゼは私のことを嫌っておりますから」
「誰と言ったつもりはないのに、名前が出てきたな。語るに落ちるというやつか?」
ルドルフ2世にしてやられたとユリアンは思ったが、彼自身、カーテローゼに向ける感情が何なのかはよくわからないのだった。それに……。
「私にはよくわからないのです。かつて、家族のように思っていた女性がいました。その人に対する感情も恋なのか、家族愛なのかわからないまま彼女は死にました。そこから私の時は止まってしまった気がします。地球教に入ったのも……」
それきりユリアンは黙ってしまった。
ルドルフ2世はそんなユリアンをしばらく見つめていた。
「喋りたくなければ無理強いはしないさ」
ユリアンはルドルフ2世の気遣いが心にしみたが、年下に気遣われたと考えると、少し言い返してもみたくなった。
「陛下はどうなのです?気になる女性は?」
「余か?余こそ、まだ恋だの愛だのはよくわからぬ。ルドルフ1世は結婚もして愛妾もいたのだから余もいずれはするのだろうが、おそらくは政略的なことを考えて、貴族の娘あたりと結婚するのだろうな」
13歳の少年の発言にしてはあまりに枯れた発言にユリアンは思えた。
……ユリアンは自分のことは棚に上げていた。
「しかし、それでは陛下の御意思がないではありませんか。正室はそれでよいとしてもです。誰かいないのですか?」
「強いて言えば、メルカッツ元帥の娘御か。メルカッツ元帥に教えを乞うている関係で、度々世話になっているからな。姉のように思っているだけかもしれないが」
メルカッツと会話した直後のため、ユリアンは動揺した。
「他……他にはいらっしゃいませんか?」
「……それこそカーテローゼかな。十分美しいし、正直余は気の強い女性が嫌いではない」
ユリアンの表情を確認して、少年皇帝は笑った。
「冗談だ。余はミンツ大将と恋敵になる気はないぞ」
「ははは……」
複数の理由から、ユリアンは自分の笑みが引きつっていないか心配だった。
ルドルフ2世と別れた後、ユリアンはふと思い立って、捕虜収容区画に赴いた。地球教根拠地の場所はいまだ秘されており、そこに収容される捕虜となると佐官以上の重要人物しかいなかった。
そこにはミュラー上級大将が収容されていた。
ユリアンは彼に会いに来たのだった。
だが、先客がいた。
カーテローゼ・フォン・クロイツェル
カーテローゼは笑顔を浮かべてミュラーと話をしていた。
ユリアンの姿を認めると、カーテローゼは一瞬ばつが悪そうな顔になって、そのまま去って行ってしまった。
ユリアンの中を様々な感情が渦巻いた。
……カーテローゼは、あんな笑顔を浮かべるのか。いつも睨みつけられてばかりだから知らなかった。ミュラー上級大将には笑顔を見せるんだ。ぼくではなくて。
それが嫉妬であると、ユリアンにはまだ分からなかった。
ユリアンは、ミュラーの元に向かうのに少しだけ時間を要した。心の平静を取り戻す為に。
「ヘル・ミンツ、どうされたのです?しばらく立ち止まられていたようですが」
「失礼しました、ミュラー提督。少し考え事をしていました。……ところで、侍女といつの間にか仲良くなられていたのですね」
「そういうわけではないのですが。彼女は不思議とよくここに来るのです」
ユリアンは湧き上がる感情を必死で抑えた。彼は話題を変え、ミュラーと世間話に興じた。ユリアンは、ミュラーと、正確には新帝国とのコネクションをつくるために収容区画に来たのだった。
ミュラーとの会話の後、彼はもう一人の人物と会った。ごく最近、この収容区画に入って来た人物、バグダッシュ中佐だった。
「いやあ、ミンツ大尉、捕まってしまいましたよ。ここの防諜は鉄壁ですね。ああ、今は大将でしたか」
同盟の、いや連合の諜報組織にすら地球教の内通者がいることをユリアンは知っていたが、バグダッシュ中佐には伝えなかった。
「お元気そうで何よりです」
「ミンツ大将も。でもなかなか来てくれませんでしたね。つれないじゃないですか。マシュンゴ少尉すら来てくれていたのに」
当然のことではあったが、ド・ヴィリエの監視があるから、ユリアンはここで不用意なことは言えなかった。
ユリアンはバグダッシュの手に触れた。
「私も多忙ですから、旧知というだけではなかなか来られません」
「本当につれないですなあ。クリスティーン中尉が見たら泣きますよ。……あ、いや失礼。まだ気にしておられたのですね」
「……いえ、ところでバグダッシュ中佐は今、同盟と連合のどちらの所属なんですか?」
「同盟ですよ。おかげさまで中佐に上がれました(両方です)」
「へえ。同盟の手も長くなったものですね。捕まったら意味ないですが(ヤン提督から伝言などは)」
「面目ない(協力する気があるならいつでも連絡してくれ、と)」
「で、バグダッシュ中佐としてはこれからどうしたいんですか(監視があるからしたくても無理です)」
「ミンツ大将の部下にしてもらうってのは駄目ですか?お役に立ちますよ(あとひとつ、カーテローゼ・フォン・クロイツェルという少女がそこにいたら、父親が心配しているから保護しておいてもらえないか、と)」
ユリアンはその名前に驚いた。
「うーん、駄目ですね。バグダッシュ中佐はまたすぐ裏切りそうですから(わかりました。ですが彼女なら元気です。先ほどミュラー提督と話していたのが彼女です)」
「なんとまあ」
ユリアンは同盟式指話術での情報交換を終え、バグダッシュの前から歩き去った。
「ヘル・ミンツ」
見ると勇気では人後に落ちないはずのミュラーが、怯えた表情をしていた。
ユリアンは驚いた。
「どうしたのです?」
「あちらの捕虜の方と手を合わせて見つめ合っていらっしゃいましたね。失礼を承知で訊くのですが、まさか、そういうご趣味がおありですか」
「違います!」
大きな声が捕虜収容区画に響いた。