帝国領への出征を控えたある日、ヤン艦隊の幕僚達は少し浮き足立っていた。戦いが近いからではなかった。
兵士達が噂していた。
「ラウエ大佐の後任が今日来られるそうだ」
「そもそもなんでラウエ大佐は辞めたんだ?ヤン提督と喧嘩したのか?」
「いや、そういうわけではなくて実は……」
「へえ!」
「で、後任の士官なんだがこれがまた……」
ラウエ大佐の後任となる士官の凜とした声が、司令官室に響いた。
「マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー大尉、着任しました」
金髪の、凛々しいという表現のよく似合う年少の女性士官がそこにはいた。
挨拶を受けたヤンの目は人事ファイルと本人とを何度も行ったり来たりしていた。
……たしかに後任の副官が欲しいとは言ったが、人事担当者は何か勘違いしたのだろうか。女性で貴族令嬢で妙齢の副官の後任が欲しいという意味ではなかったのだが。
とはいえ、そんなことは口に出せず、ヤンは型通りの質問をしてお茶を濁すことにした。
「ええと、ヘルクスハイマー大尉。幼年学校卒業後、准尉として任官、数年のうちに大尉まで昇進。立派な経歴だ。しかし、何でまたこんな愚連隊のような艦隊を希望したんだい?」
「当代随一の用兵家であるヤン提督の元でぜひ学ばせて頂きたいと思ったからです。……それに」
「それに?」
マルガレータはクスッと笑った。
「お世話になったラウエ大佐からお願いされたんです。自分の代わりにヤン提督のことを頼む、と」
ヤンは思わず頭をかいた。
「参ったなぁ」
マルガレータはあらためてヤンに敬礼した。
「マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー、非才の身ながら、ヘルクスハイマーの家名を汚さぬよう精一杯努めますのでお見捨てなきようお願いいたします」
慌ててヤンも敬礼を返した。
「こちらこそよろしく頼む」
マルガレータ退出後、しばらくしてポプランとアッテンボローが連れ立って司令官室に入ってきた。
ポプランが軽口を叩いた。
「ラウエ大佐の後任もまた、えらい美人ですね。これもヤン提督のマジックですか?」
「ポプラン中佐、何を言いたいのかよくわからないが、彼女の方からの希望だ」
「そうなんですか。ヤン提督は何もしなくても美女が寄ってきますね」
アッテンボローがポプランをからかった。
「なんだ、ポプラン中佐、お前さん、ひがんでいるのか。それならヘルクスハイマー大尉を狙ったらいいじゃないか」
「うーん。19歳、守備範囲ではあるんですが。伯爵令嬢となるとね。ヤン提督の二の舞にはなりたくないですよ」
「あれだけ美人なのに、お前さんにも爵位の壁は厚いか」
「アッテンボロー中将こそどうなんです?これを機に独身主義を返上しては?」
アッテンボローは考え込んだ。半ばまで本気にも思えたが、最終的にその首は横に振られた。
「いや、やめておくさ。俺も先輩のようにはなりたくない」
「そんなことを言っていると、またヤン提督に掻っ攫われますよ」
アッテンボローは何故か焦って応えた。
「何だ、またって!?」
そんな騒ぎを聞き流しながらヤンは、六ヶ月前に姿を消した、この騒ぎの中心にいてもおかしくないはずの男のことに思いを致していた。
「しばらく艦隊を離れたい?」
ヤンは思わずその男、シェーンコップに聞き返した。
「ええ」
「何があったんだ?この艦隊が嫌になったのか?」
シェーンコップのことは最近噂になっていてヤンとしても心配していた。口数が減ったとか、女性の部屋から出勤する回数が半分になったとか、ポプランの軽口に反論しなかったとか……
「まさか。ここより居心地のいい場所はなかなかありませんよ。問題は私の方にあります」
「聞かせてくれ」
「……娘がいたのです」
「娘!?」
ヤンは思わず呆然とした。
奇襲に成功したシェーンコップは、しかしそれを誇る様子ではなかった。
「母が死んだと、それだけの内容の手紙が来ました。その時は、娘がいたのか、養育費もかからない出来の良い娘だなどと、その程度にしか考えていなかったのですが、実は地球教徒と関わりを持ってしまっていたようなのです」
「地球教徒!」
予想外にも出現したその単語にヤンは思わず声を上げた。
「地球教徒に迫られて、娘は困っていたようです。しかし娘は私にではなく、メルカッツ元帥の娘さんに相談をした。その結果かどうかはわからぬのですが、彼女はメルカッツ元帥の誘拐に巻き込まれたようです」
「そんなことがあったのか。もっと早く言ってくれていれば……」
「事態に気づいたのがごく最近のことなのです。娘のことなど全然気にしていなかった。笑ってください。そのツケがこれですよ」
その顔はいつもの皮肉げな男のものではなかった。
「遅まきながらも事態に気づいた娘の父親は、これから犯人の隠れ家に単身乗り込もうと、そう考えているのですよ」
「無茶をするな。地球教の根拠地はまだ判明していないんだ。今オーベルシュタイン中将も調べているところだ」
「待てませんな」
「何!?一人で何ができる?」
「できるできないではなく、これはけじめの問題です。いや、そうですな、オーベルシュタイン中将には連絡を取りましょうか。シェーンコップが潜入工作員になる、と」
ヤンはもう何も言えなくなった。この男は覚悟を決めたのだと。
だからヤンは尋ねた。
「娘さんの名前と、母親の名前を教えてくれ」
「何ですか?」
「こちらでもいくらかツテを使って調べることにする。可能な状況であれば、定期的に連絡を取り合おう」
「……ありがとうございます」
「いや、いいさ。貴官にはなんだかんだで世話になっている。で、名前は?」
「娘の名前はカーテローゼ、カーテローゼ・フォン・クロイツェルです」
「母親の方は?」
シェーンコップは彼らしくなく、固まってしまった。
「シェーンコップ中将?」
怪訝な顔になったヤンに対してシェーンコップは絞り出すように答えた。
「ローザライン……」
「ローザライン・フォン・クロイツェルという名なのか」
「いや、エリザベート……」
「ん?エリザベート・フォン・クロイツェルなのかい?」
「いや、もしかしたらエリザベート・ローザライン、あるいはローザライン・エリザベートだったような気も……」
ヤンは別の意味で呆然となった。
「シェーンコップ中将、貴官、娘の母親の名前を覚えていないのか?」
「いえ……はい……。女性など星の数ほど付き合いましたからな。しかし、エリザベートかローザラインかその組み合わせのどれかではあったと思います」
ヤンはいつになく真面目な顔でシェーンコップ中将を見た。
「シェーンコップ中将、シェーンコップ中将。悪いことは言わない。娘さんに会う前に母親の女性の名前を思い出すんだ。手遅れかもしれないが、娘さんに嫌われる要素は減らした方がいいだろう」
シェーンコップもいつになく真面目な顔で答えた。
「
兎にも角にも、シェーンコップ中将は地球教徒に対する潜入任務のため、帝国領に旅立ったのだった。
シェーンコップの最後に残した言葉が
「あなたが皇帝になるつもりなら、玉座の周りを掃除して待っていますよ」だったことを考えると、少しは調子を取り戻していたのではないかと思うヤンであった。