時の女神が見た夢   作:染色体

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第四部 2話 彼の旅・彼らの旅

宇宙暦797年/新帝国暦1年 10月

 

変装し、性別を偽ってフェザーンを脱出したユリアンは、連合領を抜け、帝国領に入って少し経った時点でベリョースカ号を降りた。

おそらくは親切心から引き留めようとするコーネフ船長に、遠い親戚がこの惑星にいて一度会ってから地球に向かうのだと伝えて。

 

帝国に入った時点で帝国軍がベリョースカ号に臨検を求めて来た。移乗してきた若い中尉が船内に妙齢の女性はいるかと尋ねるのを物陰から聞いた時には、身の凍る思いがした。コーネフ船長が、その中尉に紙幣を握らせてくれなければ、それだけでは済まなかっただろう。

そのようなこともあって、ユリアンとしては性別を偽ったまま旅を続けるのに限界を感じていたのだ。

 

帝国の辺境惑星で、ユリアンは旅を続けるために路銀を稼いだ。

未だ15歳、身元も不確かで、戦傷の後遺症の残る体でできる仕事は多くはなかったが、ないわけではなかった。

世慣れないユリアンは騙されることもあった。かつてのユリアンであればまったく縁のなかったであろう仕事も含め、それはユリアンにとって得難い人生の経験となった。

本来は得る必要のない経験でもあったが、ユリアンは最貧層の人々の生活や思いを知ることができたのだった。宗教に縋る人達のことも。

後遺症の残る腕の扱いにも慣れた。

半年が経ち、それなりに頼り合える知己もできた頃、必要な資金は溜まった。

後ろ髪をひかれつつも、ユリアンはその惑星を後にして地球に向かった。

 

宇宙船のスクリーンから見た初めての地球は無秩序な濁った色調の球であった。

シンシアさんが見たらさぞがっかりするだろうな、そう思い、ユリアンはチクリと胸の奥が痛くなった。

ここまで旅をする要因となったその女性の名を、ユリアンはまだ痛みなしに思い出すことができなかった。

 

地球でユリアンに気づく者はいなかった。偽名を使っていたのもそうだが、髪を染めていたし、成長期のユリアンは身長も容貌も、少しずつ変わっていたからである。

 

ユリアンは地球教の修行に参加した。

ユリアンはすぐに食事にサイオキシン麻薬が混ぜられていることに気づいた。

以前のユリアンであれば気づかなかっただろうが、とある撃墜王の言うところの青春の苦悩というものを、今のユリアンは十分に経験していたのだ。

ユリアンは食堂の厨房に乗り込んだ。何事かと色めき立つ料理人の前で、彼は自らの料理の腕を披露した。

次の日、ユリアンは食堂の厨房係となっていた。サイオキシン麻薬入りの食事を食べさせられる心配はなくなった。自らの料理に薬物が加えられるのを看過するのは心が痛かったが。

 

ユリアンはしばらく修行を続けた。

灰色の日々が続いたが、ユリアンは黙々と修行を続けた。

ただ一つ、明確に残念に思ったのは、地球教本部の近くにかつて紅茶の名産地があった筈が、今や影も形もなくなっており、よい茶葉の入手ができないことだった。

 

宇宙暦799年/新帝国暦3年 1月

転機が訪れたのは、地球到着から半年以上が経った頃だった。

 

ユリアンのよく知る人物が地球を訪れたのである。

高い背を持つその黒人はよく目立った。

ルイ・マシュンゴ准尉である。

 

懐かしさに逸る気持ちを抑え、ユリアンは機会を待った。

機会はマシュンゴがすぐにつくってくれた。彼が廊下でユリアンとすれ違い際に倒れたのだ。ユリアンは彼を医務室に連れて行くべくおぶった。マシュンゴはユリアンに話しかけた。

「お久しぶりです。ミンツ大尉」

「お久しぶり、マシュンゴ准尉。今も准尉でいいのかな?」

「ええ。それよりも早く逃げてください。ここは危険です」

「どういうことです?」

「帝国軍がここに来ます。地球教は皇帝暗殺を企み、失敗したのです。地球教本部は壊滅するでしょう」

「……マシュンゴ准尉はそれを伝えにここに来たんですか?」

「はい。ヤン提督が、私を伝言役としてここに来させてくれたのです」

ヤン・ウェンリー!

ユリアンに苦い敗戦と挫折を味あわせ、トリューニヒトを嫌う紅茶好きのその男に、ユリアンが向ける感情はいまだ単純ではなかった。

「ヤン提督は何と言っていたの?」

「「君が地球に向かった理由はわからないが、我々と対立する目的ではないと考えている。決して命を無駄にしないでほしい」とのことです」

「……」

「ヤン提督は、帝国の地球征伐を予想し、事前に私を地球に派遣してくれました。だから間に合ったのです。ミンツ大尉、これを」

マシュンゴは一枚の記録ディスクを取り出した。

「これは?」

「帝国の地球遠征決定に関する証拠情報です。ミンツ大尉なら有効に活用するだろうとヤン提督が」

「そうですか」

 

ユリアンは考えた。

マシュンゴ准尉の協力もあれば、自分一人逃げるのは容易いだろう。

ヤン・ウェンリーが自分に証拠情報を渡した意図は想像がつく。

ならば自分はさらに上を行こう。

 

マシュンゴの言葉はまだ続いていた。

「それと」

「何でしょう?」

「わたしをここまで運んでくれた船の船長から頼まれたんですが、ユリヤ・トリュシナという妙齢の美しい女性が来ているはずだから、見つけたら一緒に逃げてくれ、と。ご存知ないですか?」

「……」

 

 

ユリアンは、総大主教謁見室に乗り込んだ。

阻止しようとする警備係はマシュンゴに任せ、ユリアンは総大主教と対峙した。

謁見室には司祭、主教、地球教の幹部級がいた。

 

「無礼者!ここは軽々しく足を踏み入れてよい場所ではない!」

詰めていた老主教が非難の声を上げた。

ユリアンは慇懃に答えた。

「失礼しました。ですが、ことは緊急を要します。帝国軍が攻めてくるのです」

 

「馬鹿な!ド・ヴィリエはそんな報告、寄越していない!」

「ド・ヴィリエ大主教のことは直接は存じておりませんが、信をおける方なのですか?」

大主教を疑うという、地球教の根本を否定するかのような問いであったが、彼らは言葉に詰まった。彼らの多くがド・ヴィリエを信用できず距離を置いていた者達だったからだ。

ユリアンはさらに畳み掛けた。

「ここに、記録ディスクがあります。帝国から連合、同盟への軍事行動通知の記録です」

「まさか」「本当なのか」

室内は騒然となった。

 

「ド・ヴィリエのことはおくとして」

重々しく、それでいて年月による磨耗を感じさせる声が響いた。総大主教が初めて口を開いたのだ。

「そなたは何者だ。なぜそのような物を持っている」

「私はユリアン・ミンツです。それで納得頂けるでしょうか」

 

「ユリアン・ミンツ、あのトリューニヒトの……」

その名は地球教徒の間でも知られていた。

彼らは思った。

我々の協力者であるトリューニヒトの懐刀……ならば、帝国軍の情報を持っていることも、地球教に味方することも当然か。

 

だが、総大主教は納得しなかった。

「はぐらかしはやめよ。トリューニヒトの命で来たのなら最初から堂々とやって来たはずだ。今まで隠れていたのはそなた自身の目的があるからだろう。それを申してみよ」

 

ユリアンはダーク・ブラウンの瞳を総大主教に向けた。

「ある地球教徒がいました。その人は私にとって姉のような存在でした。その人が言ったのです。人類の故郷である地球を再び美しき青き星に戻したい、と。私はその意思を継ぎに来ました」

 

壮年の主教がいきり立った。

「貴様、今の地球が汚いと申すか」

 

「少なくとも。在りし日の姿ではありません。教典の第三章にもあります。

「我ら努めん、地球の丘々に緑が溢れ、大海原が紺青に照り映えるまで。同胞はその日にこそ地球へと還らん。

虚空の非情に倦み疲れし同胞が、闇夜の遥かに見出すは、懐かしき緑に輝く地球なり」と。地球をあるべき姿とするのは我ら地球教徒の神聖な義務であり、そうなってこそ、人類同胞は地球に回帰するのだと考えます」

 

幹部達は反論できなかった。教典解釈としてそれは正しいものだったからだ。

地球教が外部工作を活発化させるにつれ、徐々に軽視され、忘れられていた地球教の教えに、ユリアンは光を当てたのだ。

 

ユリアンの、先人の教えを理解し、自らのものとする才は、地球教に対しても発揮されていた。

 

総大主教はこれに反応した。束の間、生気が戻ったようであった。

彼はユリアンの目を見つめて問うた。

「母なる地球を再び青き星に戻すというのか。それができると、そなたはそう言うのか」

 

ユリアンは改めて答えた。

「はい。そのために私はここに来ました」

 

しばらくの沈黙の後、総大主教は呟いた。

「わが生をうけし地球にいまひとたび立たせたまえ。わが目をして、青空に浮く雲に涼しき地球の緑の丘に、安らわせたまえ」

 

ユリアンは尋ねた。

「それは?浅学にして、その聖句は存じ上げません」

 

居並ぶ幹部は驚くことになった。

総大主教が声を出して笑ったのである。

「聖句ではない。ただの古い詩だ。宇宙開拓時代初期の、古い、古い、忘れられた詩人の作だ」

 

総大主教はおもむろに立ち上がった。

「ユリアン・ミンツ、そなたは地球教徒であるのだな」

「はい」

「修行歴は?」

「半年余りになります」

 

「よかろう、そなたを司祭に任ずる。此処にいる者達は皆ユリアン・ミンツの指示に従い、地球を脱出せよ。地球の復権を諦めてはならぬぞ」

幹部達は再度驚くことになった。未だ少年と青年の境目にいるユリアン・ミンツが、下級とはいえ地球教の幹部となったのだ。

 

壮年の主教が反対の声をあげた。

「猊下、ご再考を!」

 

「何を再考することがある。青く生命力に溢れた惑星に戻った時にこそ、地球は自然と人類同胞の拠り所となり得る。若きユリアン・ミンツが老いて近視眼となっていた私に気づかせてくれたのだ。

司祭を任せるのに不足はないし、脱出行に関しても彼以上に経験のあるものはここにはいないだろう。それとも、そなたにはできるというのか」

 

壮年の主教は何も言えなくなった。

 

総大主教は続けた。

「だが、私はここから離れない。私はもはや過去に生きる人間だ。二度と戻れぬかもしれぬ旅に出て、地球に還れぬのは耐えられぬ。同様の心境の信徒も少なくはなかろう。そのような老齢の者達のためにも私は残ろう」

 

ユリアンは説得を試みた。

「猊下が行かぬとなれば信徒達が不安を抱きます。そのことにもご配慮ください」

「地球教の原典を持って行け。この老人などより、地球教にとってよほど重要なものだ。……それに、地球教の手は長い。帝国軍を退けることを諦めたわけではないのだ」

 

ユリアンは、その言が虚勢でないことを理解した。

ならば仕方がない、自らは自らのやるべきことをなすまでだ、そう、ユリアンは自分を説得した。

 

行動に移ろうとしたユリアンに総大主教は声をかけた。

「ユリアン・ミンツ司祭、私は残るが、私の世話をしてくれていた侍女達は連れて行ってくれ」

「承知しました」

「私はそなたに地球教の新しい可能性を見た。地球教をよろしく頼む」

「……過分なご期待ですが、努めさせて頂きます」

「うむ、では皆の者、ユリアン・ミンツ司祭と共に行け」

 

ユリアンは行動に移った。まずは侍女室に向かった。

そこには様々な年齢の女性がいた。共通しているのは見目が良く、そして青い瞳を持っていることだった。

一際若い少女に目が吸い寄せられた。

青紫の瞳に、薄く淹れた紅茶色の髪、世のすべてを拒絶するかのような硬い表情をした少女。ユリアンは後にその少女がカーテローゼ・フォン・クロイツェルという名だと知った。

 

マシュンゴ准尉が呼びかけた。

「総大主教の命により、一時避難します。慌てず指示に従ってください。信者達の避難誘導へのご協力もお願いします。それと、ユリヤ・トリュシナという女性をご存知の方はおられませんか?」

 

当然ながらユリヤ・トリュシナは見つからなかったものの、脱出準備は順調に進んだ。総大主教の命となれば、多くの者は従順であった。

ただ、残る者はいた。総大主教と同様に高齢の者、総大主教と共にいることを選択する者、帝国軍に地球を穢されることを自らの手で防ごうとする者達であった。

これに関してはユリアンの力ではどうしようもなかった。

 

脱出に関してはヤンのように独創的な手段は使わなかった。

ユリアンは、帝国軍が来る前に船団を率いて地球を脱出し、近傍の星域に身を隠した。船には、地球教所有のものの他、タイミング悪く地球に到来していた商船が使われた。

太陽系には事前に近傍の帝国軍基地から偵察艦が派遣されていたが、これには地球教徒が潜入しており、総大主教の命によって自爆させられ、脱出の事実を悟られることはなかった。

さらに、帝国軍に別の逃亡者の存在を疑わせぬよう、あえて自動操縦の宇宙船を数隻、帝国軍到着後に脱出させ、自爆させたのだった。

 

帝国軍撤退後、ユリアンはド・ヴィリエ他、数名の大主教、主教に連絡を取った。

救援を求めるために。

 

 

……

総大主教は、地球教本部全体が信者達の自爆によって埋まった後もしばらくは生きていた。謁見室は旧地球統一政府のシェルターの中心にあり、特に頑丈だったのだ。

だが、いずれ電気も空気も尽き、死ぬことになるのは明らかだった。

非常灯の薄明かりの中、総大主教はひとりごちた。

「力及ばずか。ユリアン・ミンツの脱出が間に合ったのが唯一の慰めだな」

総大主教にとって意外だったのは、年少の信者も総大主教と地球に残ることを選択しようとしたことだった。総大主教は地球教の未来のため、やむなく三十歳以下の信者には地球脱出を厳命しなければならなかった。

 

ある二十代の司祭が泣きながら残留を希望した。

「猊下、私もお伴します」

「残念だな。三十以下の未成年を今回同行することはできない。これは大人だけの殉教だ」

 

そのようなことが何度か繰り返され、総大主教は、地球のことだけを考え、信徒を疎かにし、ド・ヴィリエが来てからは駒のようにさて扱っていた筈の自分が、意外なほど慕われていたことに気づいたのだった。

 

「総大主教様」

一人の老主教が総大主教に声を掛けた。

 

「そなたも生き残ったか」

「運良く、あるいは、運悪く」

「そなたとも長い付き合いだったな」

「ええ、時流に乗れず、私は結局主教で終わりましたが」

「私の権限で死ぬ前に大主教にしてやろうか」

「はは、軍人の特進のようなものですか。いや、遠慮しておきます、猊下。それより、もうすぐ空気中の残留酸素濃度が危険域に入ります。決断が必要かと」

「わかった。なるべく醜態を見せずに済む手段がよいが」

「私もそう思い、ワインと毒薬を用意しました。ブルーワインです」

「地球の色のワインか」

二人は、お互いのグラスにワインを注ぎあった。

総大主教は感慨深げに呟いた。

「思えばワインも自由に飲んだことはなかったが」

「最後に後を任せられる人物を見つけたのですから、この時ぐらいは肩の荷を下ろして楽しんでもよいでしょう」

「うむ、そうだな。では……美しく青き地球に乾杯」

「はい。美しく青き地球に乾杯」

 

総大主教の人生は怨嗟に満ちたものであったが、最後に別の要素を加えることができた。

母なるものと信じた地球に抱かれながら、地球を託すに足る人間を見つけた満足を抱きながら、総大主教はその長い人生の帰着点に辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

地球脱出組より救援要請の連絡を受けたド・ヴィリエは迷った。

 

ド・ヴィリエにとってラインハルトによる地球攻撃は想定の範囲内だった。彼は、地球攻撃を利用してラインハルトの統治にヒビを入れるとともに、総大主教をはじめとする、彼にとって不要な者達をまとめて処分するつもりだったのだから。

 

このため、地球に残していたのは、ド・ヴィリエが無能と見なした者達だった。地球教の真の根拠地も知らされていなかった。

だが、一応は幹部連中も含まれており、ド・ヴィリエや他の幹部との連絡手段を持っていたのだ。

 

ド・ヴィリエにとっては、さっさと死んで欲しい連中ではあったが、他の幹部の手前、無理はできなかった。

帝国軍に彼らの居場所をリークすることも考えたが、帝国軍が彼らを懐柔して地球教を分裂させる策謀を巡らせる可能性を考えると、それも難しかった。

 

結果、救援部隊が組織され、派遣された。

そして救援に向かった先で、ユリアン・ミンツを見出したのである。

 

ユリアン・ミンツ、同盟の年若い俊英、協力者トリューニヒトの懐刀、デグスビイによる籠絡工作対象だった少年。

ユリアン・ミンツがフェザーンから失踪したことは彼らも把握していた。

地球教としてもユリアンの才能は大いに利用すべきものであり、優先取り込み対象であったからだ。

 

そのユリアンが、自ら地球に来ていたとは。

その報告を受けたド・ヴィリエは大いに警戒した。しかし脱出を主導したユリアンは今や地球教の英雄であった。司祭ですらあった。その才能も消すには惜しい。

 

ド・ヴィリエは迷った挙句、

結局真の根拠地に案内することに決めた。

 

根拠地への移動は帝国軍に見つからずに行われた。

総大主教には知らせていなかったが、地球近傍の基地司令官ヴィンクラー中将は既にド・ヴィリエの掌中にあったから。

 

ド・ヴィリエはユリアン・ミンツと面談した。その意図を探るために。ユリアン・ミンツはド・ヴィリエに二つの目的を伝えた。

一つ目は、地球を青く美しい惑星に戻すこと。二つ目は、ヤン・ウェンリーへの復讐であった。

ド・ヴィリエは、デグスビイのシンシア・クリスティーンを使った籠絡工作を思い出し、納得した。

ユリアン・ミンツの目的は、ド・ヴィリエの目的とは対立しない。人類の中心に据えるのに今の地球の見栄えが悪いのはド・ヴィリエも感じていたことだったし、ヤン・ウェンリーはド・ヴィリエの敵でもあった。

 

ユリアン・ミンツはド・ヴィリエへの協力を表明した。

地球を脱出してきた幹部や信徒の一部はド・ヴィリエに不信感を持っており、日が経つ毎にユリアン・ミンツに頼るようになっていった。ド・ヴィリエとしてはユリアン・ミンツを通じて、彼らをコントロールすることができた。

ユリアン・ミンツは半年後、反ド・ヴィリエ派の積極的賛成とド・ヴィリエの黙認により主教に位階を進めるとともに、総書記補佐となっていた。

ド・ヴィリエは総大主教を空位とした上で総書記代理から総書記となった。

地球教は事実上、ド・ヴィリエをNo.1、ユリアン・ミンツをNo.2とする体制になったのだった。

 

ド・ヴィリエとしては、まず満足すべき結果であった。

仮にユリアン・ミンツが今以上の地位を求めたとしても、年の差から禅譲という穏健な手段が取れるし、それを待てないような為人でもないだろうと考えていた。

ただ一つ、ユリアン・ミンツが主教として活動する時、自分と会う時、常に笑顔しか見たことがないことは気になっていたが。

 

 

 

ユリアンはメルカッツにも会った。

 

ユリアンはメルカッツの前では自然と顔が引き締まった。

ユリアンにとってもメルカッツの戦歴は尊敬に値するものだったし、いざ戦ったとして勝てると断言できない人物の一人だった。

 

メルカッツは戦傷によって、杖を手放せぬ生活になっていたが、その姿からは重厚さと生真面目さが伝わってきた。

 

ユリアンはいたわりの言葉をかけたが、

「軍人にとって戦傷はつきもの。お互いに気遣いは無用でいきたいものだ」

と返され、恥じ入るばかりだった。

 

ユリアンは人工庭園の滝の前を面会場所としていた。

周囲に誰もいないことを確認して、彼はメルカッツに尋ねた。

「私は自分の目的があってここにいますが、メルカッツ提督はそうではないと聞いております。失礼ながら心穏やかならぬ日々をお過ごしではないですか?」

「実のところ、自殺を考えたこともあった。だが、私が死んでも家族の安全は保障されないからな。望まぬ任務に就くのは軍人としてはよくあることだ。今はそう割り切って、ここにおるよ」

「しかし、連合と戦うことになれば」

「私は私の次の世代を信じている。元々長時間の指揮などできぬ体ゆえ、彼らにとってはわしなど障害にはなるまい」

「そうですか。そうお考えならよいのです」

「ただ……」

メルカッツの表情が曇った。

「エルウィン・ヨーゼフ2世陛下にはお会いされたかな」

「いいえまだです」

「お会いすればわかるが、あの方はやはり口に出すのを憚られる人物の血を引いていると言える。怖ろしいほどの才能と、精神の苛烈さを同居させている」

「才能ですか?」

「私は軍人なので、政治については何も語れないが、戦略・戦術に関して言えばそうだ。特に戦術では、あのような才の持ち主には会ったことがないな」

「ライアル・アッシュビーよりもですか」

ユリアンはメルカッツの現役引退のきっかけとなった人物の名前を出した。

 

「彼のことを十分に把握できているとは言えないが、正面から戦えば、おそらくは」

 

「それほどですか」

 

「エルウィン・ヨーゼフ2世陛下は私の弟子でもある。私の戦術を、すべて吸収している。正直なところ、陛下がどこまで強くなるのか、師として教えるのが恐ろしくも楽しくなってしまっている部分もあるのだ」

 

エルウィン・ヨーゼフ2世との面会の機会はすぐに訪れた。

ユリアンがメルカッツと会話を終えた後、本人から呼び出しがあったのだ。

 

エルウィン・ヨーゼフ2世はヨッフェン・フォン・レムシャイド、アルフレット・フォン・ランズベルクと共にいた。

 

「よく来たなユリアン・ミンツ。今の余とそう変わらぬ齢で戦場の第一線で活躍した男に一目会いたいと思っていたのだ。だが、想像していたより、柔和な顔立ちだな。惰弱というわけではないが」

 

そう評するエルウィン・ヨーゼフ2世は、端整な容貌でありながら、その目の力強さが柔和とは対極の印象を相手に与えていた。

 

「ユリアン・ミンツ、いきなりですまぬが、余と一戦交えてもらえぬか」

 

エルウィン・ヨーゼフ2世はユリアン・ミンツと戦術シミュレータでの対決を所望したのだった。

 

ユリアンは、戦術シミュレータでの対決をエンダースクールで何度も経験し、敵なしだった。仮にライアル・アッシュビーやラインハルト・フォン・ローエングラムと戦ったとしても一方的に負けを晒すことにはならないという自負もあった。

 

しかし……

 

結果はエルウィン・ヨーゼフ2世の圧勝だった。

ユリアンの自負など粉々に砕かれてしまった。

ブランクなど言い訳にはならなかった。

最初の接触で劣勢となり、それを逆転できずそのままずるずると負けまで引っ張り込まれたのだ。

最初は意表をつく手を使い、それによって優勢を確保した後は正統な戦術でそれを維持された。

何度かこちらも奇策を弄してもみたが、いずれも見透かされ、かわされた。

最初の一手がなくてもエルウィン・ヨーゼフ2世の優勢勝ちになっただろう。

 

詭道と正道の見事な融合。とても12歳の用兵とは思えない、というのがユリアンの正直な感想であった。

メルカッツの言ったことが今のユリアンにはよくわかった。

 

大勝したエルウィン・ヨーゼフ2世はしかし、ユリアンを褒めた。

「時間内に全滅させられなかったのはメルカッツ以外では久々だ。実戦ならばおそらく取り逃がしただろうな。策にも危うく何度か引っかかりそうになった。期待通り、いや、期待以上だ。

実のところ、所詮共和主義者の子孫など大したものではあるまいと思っていたのだが、それが偏見であることがよくわかった。どんな遺伝子プールにも優良なものはいるものだな」

 

「恐縮です」

ユリアンとしてはそれしか言えなかった。

 

「許せよ。フォークとリンチのせいで、余の中で共和主義者の印象が悪くなっていたのだ。今後は色眼鏡では見ぬ。ユリアン・ミンツ、そなたは戦術眼だけでなく戦略眼もあると聞く。余は戦略に関してはまだまだ経験不足だ。メルカッツと共にその面でも余を助けてくれ」

 

「仰せのままに」

これが若干11歳の少年の発する覇気だとは。そう思いながらユリアンは頭を下げた。

 

「なあ、レムシャイド伯、余はユリアン・ミンツに元帥号と爵位を授けようと思う。威勢だけの凡俗な輩共より、よほどユリアン・ミンツの方が、余が築く新時代の貴族に相応しい。ひとまずは伯爵でどうかな」

 

レムシャイド伯は冷や汗を浮かべながら答えた。

「ご慧眼畏れ入るばかりですが、臣としてはいくつか提言をさせて頂きたく思います」

 

「言ってみよ。まともな提言なら余は怒らぬぞ」

エルウィン・ヨーゼフ2世は笑みを浮かべていたが、空気には緊張が生じていた。

ユリアン・ミンツは知らなかったが、エルウィン・ヨーゼフ2世に対して返答を誤ったばかりに粛清対象となった貴族も既にいるのだ。

 

「恐れながら。まず元帥号ですが、現在我が帝国で元帥号を持つ者はメルカッツ元帥のみ。メルカッツ元帥の声望も含め、軍を率いることに反対するものはおりません。ここでユリアン・ミンツ大尉に元帥号をお与えになれば、メルカッツ元帥と同格の存在がうまれることになり、いざという時、指揮命令系統に支障が発生する可能性もあります。ミンツ大尉もそれは望まれますまい。さらには新参の者に即座に元帥号をお与えになると、陛下のご賢慮を理解せず、表面だけを見てコルネリアス元帥量産帝を想起する輩も出てくるやもしれません」

 

「なるほど、一理ある。残念だが、ひとまずは、そうだな、大将あたりに留めておこうか。ひとまずは、だが」

 

「恐れ入ります」

 

「伯爵号に関してはどうか」

 

「武勲を立てたもの、能力のあるものを新しく貴族に取り立てると布告すれば、将兵も奮い立ちましょう。臣としてもミンツ大将は爵位に値すると考えます。

ですが、ミンツ大将はまだ帝国軍人としてまだ武勲を上げておりません。今ここで大将に任じただけでなく、さらに爵位を与えれば、ミンツ大将への嫉視が発生し、軍の士気への悪影響も発生する可能性もありますれば、叙爵の時期は慎重に考えるべきかと。急ぐ必要はありますまい。ミンツ大将であればすぐに武勲を挙げることでしょう」

 

張り詰めた空気が緩んだ。エルウィン・ヨーゼフ2世は納得したようだった。

「ふむ……なるほどな。ユリアン・ミンツ、いやミンツ大将、余としては残念だがしばらくは我慢してくれ。

このようにレムシャイド伯は余に意見してくれる得難い存在なのだ。理のある意見をな」

 

ユリアンは答えた。

「御配慮頂いただけで十分でございます」

 

ユリアンとしてはこの短時間のやり取りだけで十分に察することができた。

 

臣下への配慮もでき、直言を受け入れる度量もある。一方で不要と判断した臣下は容赦なく切り捨てるのだろう。

今回のこともレムシャイド伯を試しつつ、自らも貪欲に学ぼうとしている節が伺われた。

それによって臣下に威を示すことに成功している。

そして戦場ではおそらく臣下の誰よりも強い。

まさに帝王という存在の体現者が生まれつつある。

 

これは怪物だ。成長する怪物だ。

 

地球教、旧帝国残党、そしてメルカッツ、

彼らはなんという怪物をつくり出し、成長させつつあるのか。

 

これからはおそらく自分も彼の成長に貢献し、彼の帝国が立てる戦略に協力することになるのだろう。自分は自らの目的のため、それを拒めない。

 

果たして新帝国は、そして連合は、彼に勝てるのだろうか。

 

ユリアンは、二人の男に思いを致さずにはいられなかった。

 

 

 

ヤン・ウェンリー、彼の智謀ならばこの怪物のつくる帝国を打ち破れるのではないか。

 

ヨブ・トリューニヒト、彼だったならば自分などよりよほどうまく、自らの目的を達成するのではないか。

 

 

ユリアンは悪夢のようなこの世界で、いまだにもがき続けていた。

 







作中総大主教の呟く、「地球の緑の丘」の詩は下記文献作中詩からの引用です。
ロバート・A・ハインライン 矢野徹(訳)(1986)『未来史② 地球の緑の丘』早川書房

また、地球教教典からの引用とした聖句の一部は、下記文献の詩の一部フレーズを改変したものです。
C・L・ムーア 仁賀克雄(訳)(1973)『暗黒界の妖精』早川書房

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