宇宙暦798年/新帝国暦2年 2月 独立諸侯連合
独立諸侯連合を、一つの事件が震撼させた。
長期療養中のメルカッツ予備役元帥が、その家族とともに失踪したのである。
軍を退役して新たに盟主となったウォーリック伯が、対応のための会議を招集した。
主な参加者は、ウォーリック伯、新たに憲兵総監となったケスラー大将、情報局長オーベルシュタイン中将、客将から正式に連合軍所属となったヤンであった。
ケスラーが捜査状況の報告を行なった。
「捜査の結果、地球教徒関与の痕跡が発見されました。急ぎ彼らの隠れ家を押さえましたが既に撤収した後でした。残念ながら現時点でメルカッツ元帥及びご家族の消息は不明です」
オーベルシュタインが補足した。
「この捜査と関連してゆゆしき事態がわかりました。この数年、将兵や軍事関係の技術者の失踪事件が増加しているのです。メルカッツ元帥ほどの要人が失踪したのは初めてですが。
地球教徒に関して今まで直接的な破壊工作ばかりを警戒し、このことに気づいていなかったのは情報局の失態です」
ウォーリック伯が尋ねた。
「過ぎたことは仕方がない。で、情報局としては地球教徒の仕業と見ているわけだ。あのユリアン・ミンツの失踪もそれか?」
「ユリアン・ミンツに関しては書き置きのようなものが残されており、自発的に地球に向かったものと思われます。他の件に関しては、確たる証拠がないものもありますが大半は恐らく」
「目的はなんだろうな」
「対立相手を抱えた勢力の目的というものは、基本的に敵勢力の弱体化か自勢力の強化に大別されます。今回失踪したことが判明した軍関係者はいずれも、連合を弱体化させるというほどではありません。だからこそ明るみに出なかったというのもあります。
となると、自勢力の強化、でしょうな。軍事力の整備とそれを指揮する者の確保。地球教は今回、第一級の軍事司令官を得たことになります」
「妥当なところか。しかし、メルカッツ元帥は長時間の指揮等できぬお体。たとえ家族を人質に取られたとしても、無理なものは無理だろう」
「メルカッツ元帥ご自身に直接の指揮は無理でも、顧問として後進の指導にあたられればそれだけで脅威です」
「なるほど、烏合の衆も少しはマシになるか」
「ところで、失踪には宇宙海賊が絡んでいるケースも多いことがわかりました」
「宇宙海賊が地球教徒と組んでいるのか」
「あるいは地球教自体が宇宙海賊を行なっているのかもしれません。
昨今増加している宇宙海賊による被害も、戦争の長期化に伴う治安の悪化とばかり考えていましたが、どうやら地球教徒の関与もあると考えるべきでしょう。実際、逮捕された宇宙海賊の中に地球教徒だと自白した者が複数人おります」
「そうなると宇宙海賊対策にも力を入れるべきか」
ヤンが発言した。
「客将のアッシュビー提督に、宇宙海賊対策を任せてはいかがですか。昨年の五十周年記念行事においても治安改善効果があったということですし」
「ああ。警備部隊を連れて、あれだけ多数の有人惑星を巡回していればな。よくもまあ、あれだけ回ったものだ」
「まあ今年もそれを続けてもらえばよいのです。海賊対策を兼ねて」
ウォーリック伯は思案した。
「ふむ、妙案かもしれんな。だが、アッシュビー提督だけに任せるのもどんなものか。ヤン提督にお願いしてもよいと思っているのだが」
ヤンは頭をかいた。
「勘弁してください。私はアッシュビー提督ほど勤勉ではありませんから」
「まあいいか。ヤン提督にはその間に早くラウエ伯継承問題を解決してもらわんとな。ラウエ大佐をいつまでも待たせるわけにも行くまい」
「……はい、わかってはいるのですが。あのシェーンコップ少将にまで諭されるようになるとは思っていませんでしたし」
「まあ、相談には乗るさ」
「退役の相談に乗って頂けませんか」
「それは統帥本部総長に言ってほしいが、貴官としても貴官を慕って残留した者達を放っておけまい?」
「……」
結局ずるずると退役できないでいるヤンであった。
「まあともかく、捜査は継続してくれ。宇宙海賊対策はアッシュビー提督に任せよう」
こうして本人不在のままアッシュビー提督の巡回事業の継続が決定された。
宇宙暦799年/新帝国暦3年 1月 銀河帝国
ラインハルトは不機嫌だった。
秘書官のヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの願いでキュンメル男爵邸に行幸に行ったまではよかった。
だがそこでキュンメル男爵に道連れで殺されかけたのだ。それ自体も不愉快ではあったが、それも一つの挑戦の形ではあったから我慢できた。
問題は、キュンメル男爵との会話の途中でラインハルトが倒れてしまったことだった。ラインハルトとしては命をかけたやり取りの最中に倒れるなど、不覚なことこの上なかった。
キュンメル男爵がこれに動揺した隙にキスリングが取り押さえたことで、この事件は未遂に終わった。
医者の見立てでは過労による発熱とのことだったが、言い訳にもならない。
ラインハルトの自らへの怒りは、黒幕と判明した地球教徒に向けられた。
連合領侵攻の際にも連合に協力した地球教徒による情報漏洩があったということだが、またしてもか。
地球教徒に関する情報自体連合軍情報部、オーベルシュタインからのリークでわかったことから、ラインハルトは今回の件が連合の仕業とは考えていなかった。
ラインハルトは、キュンメル男爵とマリーンドルフ伯、そしてヒルダの罪は問わぬと明言した。
これによって帝国に残る貴族達とラインハルトとの間に生ずるかに見えた亀裂は回避された。少なくとも表面上は。
だが、黒幕である地球教に対しては別であった。
ラインハルトはルッツに地球討伐を命じた。
ルッツは迅速に太陽系に侵攻した。
だが、地球教の手の者が旗艦に入り込んでいた。
ルッツはその者に毒の塗られたナイフで斬りつけられ、死の淵を彷徨った。彼は意識を失う前に藤色に染まった瞳で副司令官のホルツバウアーへの指揮権の移譲と遠征続行を指示した。
ホルツバウアーは親交の深かった上官の復讐に燃え、地球の制圧に成功した。
だがそれは苛烈の一言に尽きた。
地球教本部は瓦礫と土砂に埋まり、大量にいたはずの地球の民や巡礼者は生き埋めになり、死者数も数えられない有様であった。
一部の地球教徒は宇宙船での逃亡を図ったが、ルッツ艦隊の追跡に追い詰められ、遂には船ごと自爆して果てた。
この出来事は「地球の大虐殺」と呼ばれ、帝国中を震撼させた。
艦隊による惑星への無差別爆撃など、門閥貴族でもやらなかった暴挙であった。
ホルツバウアーは実際には少数のミサイルを撃ち込んだだけだったし、無差別に行なったわけでもなかった。地球教本部は地球教徒の自爆が主な原因で埋まったのだが、噂に尾鰭がついたのだ。
死者数も、実際には不明であったが、五千万人以上、いやいや一億人以上だと過大に噂された。判明している地球上の居住人口はこの数字よりも大幅に少なかったし、巡礼者を含めたとしても実際にはここまでの人数はいないはずであった。
ラインハルトが直々に皆殺しを命じたのだとも噂された。そう誤解されかねない発言をしたのは事実だが、ラインハルトにその意図はなかった。
悪意のある噂が広がったその背後に、地球教徒の生き残りがいたのは間違いない。
ルッツ、ラインハルトは虐殺者の汚名を着ることになった。
民衆は不安を持った。
地球教徒が暗殺を企んだからといって惑星ごと爆撃する必要はなかったのでは。地球教徒の殆どに罪はなかろうに。結局ローエングラム朝もゴールデンバウム朝と同じか。いや、ローエングラム朝は、始まったばかりでこれだ。今後はさらに酷いことが起きるのではないか。現にオーディンでは地球教徒狩りが行われているらしい。内国安全保障局長に復帰したラングが張り切っているらしいな。共和主義者の次は地球教徒か。何でも科学技術総監のシャフト大将が地球教徒として拘禁されたとか。それに帝国大図書館の司書長もだとか。逮捕されたのかもわからぬ行方不明者も出ているとか。我々もいつ地球教徒と見なされるか。おそろしや、おそろしや。ローエングラム朝は何が起こるか予測がつかぬ。おそろしや。ゴールデンバウムの御代が懐かしや。
この事件は、順調であったはずのラインハルトの帝国統治に影を落とすことになった。
テロが続発した。
貴族私領艦隊の解体が進んだことで、宇宙海賊の活動も活発化した。
これに対する治安維持活動、警備体制の強化は、民衆には監視と統制の強化、恐怖政治の始まりと映り、さらに不安を抱かせた。
この一件が心身に影響を及ぼしたのか、ラインハルトは体調を崩すことが多くなっていた。
口さがのない者は地球教総大主教の呪いとも噂した。
ラインハルトにとって唯一の救いは、アンネローゼとキルヒアイスという理解者がいることだった。
「俺はそんなつもりじゃなかった。虐殺を命じてもいない」
「わかっているわ、かわいそうなラインハルト」
「わかっております、ラインハルト様」
「……姉上とキルヒアイスは二人でお見舞いに来てくださることが多いですね。待ち合わせでもされているのですか」
「何を言っているの、ラインハルト」
「何を言っているのですか、ラインハルト様」
宇宙暦799年/新帝国暦3年 3月 独立諸侯連合
新帝国による地球教総本部の攻撃、壊滅は、オーベルシュタインの意図通りのことであった。だが、彼は不満だった。
地球教総本部が埋まったことで、彼が追っていた者達がそこにいたのか、わからなくなったのだ。
オーベルシュタインは確信していた。
彼らは地球にこだわって、それと心中するような者達ではない。
今もこの広大な銀河世界の深淵に潜み、力を蓄えているのだと。
「フェルナー准将」
「何でしょうか?」
「この辺りで夜中でも上等な鶏肉を売っている店を知らぬか?」
「知りませんな。閣下は鶏肉がお好きで?」
「私ではない。私の犬がな、生の鶏肉を柔らかく煮たものしか食べぬのだ」
「犬!ああ、オーディン訪問の際、閣下の脚を噛んだというあの……まだ飼っていたのですか?」
「そうだ。で、夜もやっていた近所の肉屋が潰れてしまってな。困っているのだ。まあ、私の夕飯にもなっていたから私も困るのだが」
「肉屋は知りませんが、夜中もやっているペットショップは知っていますな。そこでカエルを買って、食べさせれば良いのではないですか。似たような味がするらしいですよ」
「それはよいことを聞いた」
しかしフェルナーは知らなかった。犬が食に関して味よりも臭いを重視する生き物であることを。
結果、オーベルシュタインの家には、餌となることを免れたカエルが二十匹、新しく棲みつくことになった。