…………真っ暗だ
……これは夜か?
……傍にいるのは誰だ?
……
「ねえ、提督」
……
「いま、提督と、僕と、同じ星を見てましたよ。 ほら、あの大きくて青い星…… 」
……
「何ていう星です?」
……
ヤンは目を覚ました。ベッドの上、目の前には綺麗なプラチナブロンドの髪……
「前も同じことがあったな」
「ヤン提督!気づかれたんですね!よかった……」
ローザは目に涙を溜めていた。
「やあ、ラウエ中佐、心配かけたね」
「申し訳ありません、私が守れなかったせいでヤン提督が……」
「いや、生きているんだし、大丈夫さ。生きているよね?」
「はい、生きています。でも左肘から先が……それが盾になったのですが……」
言われてヤンは気がついた。
「本当だ。ない」
「私のせいです!」
泣き出したローザに、ヤンは慌ててフォローを入れた。
「大丈夫!大丈夫だよ!昔から、首から下は不要とか、クビにしたいとかよく言われていたから片腕ぐらい……」
「……誰ですか?ヤン提督にそんなことを言う人は。手討ちにしてくれます」
目が据わったローザに、ヤンは再び釈明することになった。
「いやいや、昔の、同盟の頃の話だから!」
とはいえ前半は今の不正規艦隊の誰かだったような……
ヤンは医師の診察を受けつつ、落ち着きを取り戻したラウエ中佐から状況の説明を受けた。
ヤンが倒れた後も戦いが続いたこと、同盟艦隊が撤退したこと、帝国で内乱が起こり、その後ラインハルトが連合に攻め込んだこと。それをライアル・アッシュビーと愉快な仲間達が防いだこと。
「ラウエ中佐、夢を見ていたよ」
「どんな夢ですか?」
「あのユリアン・ミンツと一緒に星を眺めていたんだ。何か大きくて青い星を、一緒に……。私とユリアン・ミンツはまるで親子のようだった。そんなことあるわけがないのに……」
「ヤン提督……」
ヤンの声には悲痛な響きがこもっていた。
「彼はまだ子供だった。そんな子供が戦って死ぬことになるなんて。こんな世界、狂っている。ラウエ中佐、私がもっと努力すれば何か違っていたのだろうか……?」
「ヤン提督。ヤン提督のルーツの古代国家のお話に、胡蝶の夢というのがあるそうですね。この世界とかの世界、いずれが夢か?」
「ラウエ中佐?」
「人は夢を見ます。様々な願望から、あるいは後悔から。神だって見るかもしれない。こうあってほしい、これはおかしい。そんな想いが、様々な夢を、可能性の世界を生み出すのです。
……この世界もそんな夢の世界の一つなのかもしれないですね。
とある英雄が何も残せず倒れた世界もあったかもしれない。あなたが死んだ世界もあったかもしれない。それで嘆き悲しんだ人がいたかもしれない。
……私はたとえユリアン・ミンツが不幸になっても、あなたが生きていてくれてよかったと思っています」
ヤンの目には、一瞬ローザが常ならぬ存在に見えた。
だが、次の瞬間にはいつものローザに戻っていた。
「そうだ。ヤン提督、私の説明が悪くて勘違いなさってそうですが、ユリアン・ミンツは生きていますよ」
「えっ?」
「死んだとしたら、私が殺したことになるわけで、ヤン提督の話を平静に聞けるわけないじゃないですか。いや、殺すつもりだったのですが、ヤン提督の声で手元が狂いました。私もまだまだですね……」
「そうか……生きていたか……」
「傷の方はヤン提督より深くて後遺症も残りそうなのですが、流石若いですね。先に意識を取り戻していますよ。ご希望ならそのうち話す機会もできるかと」
「そうだな、一度話してみたいな」
「わかりました」
「ところで、ヤン提督、術後ですからしばらくアルコールもカフェインも控えないといけないのですが……」
「ええ!?」
ヤンはこの世の終わりとばかりの顔をした。
「ご安心ください!カフェインフリーでも美味しい紅茶を淹れる練習をしました!」
思えば連合に来てから助けられてばかりだ。
得意げに語る副官を見て、ヤン・ウェンリーは気持ちが固まった。
……ジェシカはラップが幸せにするだろう。
「ラウエ中佐」
「はい」
「……いや、ローザ」
「!?、はい」
「こんな寝たきりの状態で言うのも締まらないし、上官という立場を利用するようで卑怯な気もするのだが」
「はい」
「これからも私と一緒にいてほしい。君の紅茶をずっと飲み続けたいんだ」
ローザは満面の笑みになった。
「勿論ですわ!今、紅茶を淹れてきますね!」
走り去って行った副官を見ながらヤン・ウェンリーは頭をかいた。
「あの様子だと、ちゃんと伝わっていないかな……?」
ユリアンはフェザーンの軍病院でバグダッシュと面会した。
「ヤン・ウェンリーは目を覚ましたそうですよ」
「そうですか」
ユリアンは残念さと安堵の両方を覚えていた。
「ところで少佐、捕虜なのになぜ自由に動けているんですか?」
「おや、言っていませんでしたね。私もヤン不正規艦隊に入れてもらったんです。おかげで大尉待遇に格下げされてしまいましたが……。そんな顔しないでください。パトロクロスではきちんと役目を果たしたでしょう?」
そして周りを確認しつつ唇だけで語った。ユリアンが読唇術を使えることを知っていたから。
「それにここだけの話、私はグリーンヒル大将に娘さんのことを頼まれているんですよ」
「少佐、いや、大尉が生きていてくれただけでぼくは嬉しいですよ。マシュンゴ准尉も大尉が全体に降伏命令を出してくれたおかげで助かりましたし」
皮肉のつもりのないユリアンの言葉にバグダッシュは反応に困った。
「……今日ここに来たのはクリスティーン中尉から手紙を預かっていたからです」
ユリアンの顔が強ばった。
「彼女が死んでいて、ミンツ大尉が生きていたら渡してくれ、と。……職業柄、中は見せてもらいましたが何が書いてあるかわかりませんでした。ミンツ大尉にはわかりますか?」
ユリアンは手紙を受け取った。
それは、トリューニヒトとユリアンの間で使用されていたカスタマイズされた警察式暗号文であった。何故、彼女が?
それにはこのように書かれていた。
「親愛なるユリアン君、この手紙をあなたが読んでいるということは私はもういないのでしょう。でも気落ちしないでください。私はあなたを騙していた悪い女なのですから。しかも二重にね。
ユリアン君は多分気づいていなかったでしょうけど、私は地球教徒です。
デグスビイ主教のことを覚えていますか?
私は彼にあなたを籠絡するよう頼まれていたんです。
八年前、私は地球に憧れるだけのただの世間知らずな少女でした。そこを地球教につけ込まれたんです。弱味を握られ、彼らのために働くように仕向けられました。
私は絶望しました。
しかしそれを救ってくれたのがトリューニヒトさんでした。少なくとも当時は、救ってくれたと思っていました。
トリューニヒトさんは私のことを守ると約束してくれました。地球教の状況を探るための手駒になる代わりに。
トリューニヒトさんの計画では、フェザーンでの戦いの後、ユリアン君は私と一緒に地球に行く予定でした。トリューニヒトさんはあなたに地球教を内部からコントロールして欲しかったんです。私とマシュンゴ准尉をサポート役にして。
土壇場まで本人に知らせないなんて私もトリューニヒトさんも悪い大人ですね。
……大人を信じられなくなりましたか?
ユリアン君は頭はいいのに騙されやすいので、少しは人を疑うようになった方がいいです。
私のことも。トリューニヒトさんのことも。
状況が変わったから、ユリアン君が地球に行くことはきっとないですね。
ユリアン君と地球に行けなかったのは残念です。これは本心です。
私が語ったほどには地球はいい場所ではありません。荒れ果ててしまっていると聞きます。人類の故郷がそんな状態でいいわけがない。私は今もそう思っています。
ユリアン君が地球教を支配してくれたら、地球を美しい青い星に戻してくれるんじゃないか、そんな期待を持っていたのです。
ユリアン君、あなたはいい子なので、いろんな人がこれからも助けてくれると思います。そこにいるだろうバグダッシュ少佐も。
きっと家族もできるでしょう。だから、孤独だなんて思わず強く生きてください。ユリアン君が嫌でなければ私も空の遠くから見守っています。
私はあなたを弟のように思っていました。それ以上はあなたを困らせるだけなので何も書きません。
もう時間がないのでここまでにしておきます。
さようなら、ユリアン。
強く生きてください」
ユリアンは泣いた。
バグダッシュはそっと部屋を出た。
しばらく後、ユリアンはヤンと面会する機会を得た。
戦術論で盛り上がり、紅茶の話で意気投合し、トリューニヒトのことで口論になったが、それはまた別の話とする。
同盟は二方面における大敗に大きく揺れ動いた。
純戦力的には連合も帝国も相応に消耗したため、同盟が著しく不利になったわけではなかった。トリューニヒトがレベロに語った戦略は、状況が早まっただけでまだ有効であったが、問題は戦死者、捕虜の数であった。
戦死者、捕虜は一千万人の大台を超えていた。また、モールゲンは疎開が進んでいたものの未だ三千万人の同盟市民がいて、連合の占領統治を受けていた。
開戦から半年で一千万人が失われた。民間にも被害が出ている。これは、同盟市民に戦争の現実を思い出させるのに十分であった。
また半年後には同じだけの被害が出るのではないか、いや、自分も巻き込まれているのではないか……
実際軍部は、全軍の2割を超える一千万人の損失の埋め合わせのため、予備役の招集だけでなく、徴兵の強化を提案しようとしていた。
イゼルローン方面の敗北はフォーク中将の突発的な精神疾患発症が原因とされた。
フォーク中将は、入院加療の上予備役編入となった。
フェザーン方面の敗北は、パエッタ提督が自らに責任があると発言した。
「私がミンツ大尉の発言を無視したのが敗北の原因である。責任はすべて私にある」
そのような事実はなかったのだが、パエッタ提督は才能ある若者のために自らが泥を被るつもりだった。
このように敗北の原因は軍部にあり、議長の責任ではないという論調がメディアの大勢も占めたが、それでも支持率は大きく下がった。トリューニヒトの議長辞任を求める声も強まった。
トリューニヒトはその日、演説をとちるという常であればあり得ない失態をおかした。しかもそれはこの一週間で二度目だった。
トリューニヒトとしても流石に自分の変調に気づかざるを得なかった。
初めは同盟軍の大敗のせいかと考えた。しかしその程度の逆境で自分が参ってしまうなど信じられなかった。
しかしユリアン・ミンツ生存の報を受けた時にようやく腑に落ちた。気持ちが軽くなったのだ。
なんだ、自分も人並みにあの少年に情が湧いていたのか、と。
子のいないトリューニヒトには、それが子を想う父親と同じ気持ちと同じだと分からなかったのだ。
生きているならそれでいい。何年か経てば捕虜交換で彼も帰ってくるだろう。敗北を糧に成長して。
その時こそ同盟の覇権確立の時だ。
先々彼が政界を望むなら私の後継者にしたっていいかもしれない。
地球への派遣計画は白紙に戻そうじゃないか。
トリューニヒトの思案は進んだ。
ひとまずはレベロに議長を押し付けるか。交換条件として私が国防委員長になれば十分に影響力は確保できる。
責任を取って自ら軍部に対するシビリアンコントロールに務め、同盟軍を再建する、とでも言えば、市民の納得もそれなりに得られよう。
連合とフェザーンには嫌がらせ程度の攻撃を行っていれば、1年もすれば彼らから音を上げて講和を求めてくるだろう。ひとまずはそれで満足してやろう。
そして、三年後にその実績をもって議長に返り咲き、ユリアン・ミンツと共に今度こそ連合を征服するのだ。
そんな計画を立てつつ、会議場を出たトリューニヒトに声をかけてきた人物がいた。
「トリューニヒト議長、私です、フォ ークです。現役復帰のお願いに来ました」
……結局トリューニヒトの計画が実施されることはなかった。
トリューニヒトは銃撃により重傷を負い、長期療養に入った。
評議会は一度解散し、衆望によりレベロが暫定議長を務めることになった。
同盟はレベロ議長のもと、連合との講和に向け動き出した。
戦いの季節は終わりを迎えようとしていた。