時の女神が見た夢   作:染色体

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第三部 16話 英雄の戦い

アッシュビーとラインハルトの戦いは、当初アッシュビーが先手を取り、ラインハルトが守る形となった。ラインハルトとしては敵手に興味があり、見極めたい心理が働いたからだ。

アッシュビーの放つ手は殆どがラインハルトに未然に防がれつつも、いくつかはラインハルト艦隊の艦列を揺るがした。

だが、そこから攻撃を拡大しようとするアッシュビーの試みが成功する前に、その揺らぎは素早く修復された。

 

アッシュビーは唸った。

「やはり難敵だ」

 

ラインハルトも感嘆した。

「この戦力差でよくやるものだ」

だが、同時に弱点も発見していた。

「前列、敵に接近し圧力をかけよ。その間に後列はワルキューレ発艦の準備だ」

 

アッシュビーは接近して来る艦列を見てラインハルトの意図に気づいた。

「早いな、もう来るか」

 

アッシュビーの艦隊は多くが旧式艦で構成されていた。旧式艦の欠点は砲撃力や防御力よりも、戦闘艇搭載能力の低さだった。

単座式戦闘艇が普及し始めたのが五十年ほど前であり、戦闘艇の有効性が認識されるにつれ、艦艇は徐々に戦闘艇の搭載数を増やしていったのだ。

旧式艦中心のアッシュビー艦隊は単座式戦闘艇搭載数が極端に少なかった。

 

ラインハルトはそのことに気付き、ドッグファイトでアッシュビーに打撃を与える作戦に出たのだ。

 

アッシュビーは艦隊を後退させた。それは整然としつつも素早い後退だったが、ラインハルトの速度の方が優っていた。

アッシュビー艦隊は喰いつかれた。

ワルキューレが発艦し、敵に向かって突き進んだ。

アッシュビー艦隊はそれを砲撃で狙い撃ちしたものの、すべてを撃ち落とすことはできなかった。

 

ワルキューレの刃が艦艇に迫った。

ラインハルトが呟いた。

「これで終わりだ」

アッシュビーも呟いた。

「そうはならんさ」

 

アッシュビー艦隊は後退の末、目的の宙域に到着していた。

そこは、先にミッターマイヤー艦隊の撃滅に貢献した防衛拠点のある宙域だった。

 

アッシュビー艦隊の艦艇の単座式戦闘艇搭載数は少ないが、キッシンゲン星域の軍需工廠には一定数の単座式戦闘艇が存在した。

アッシュビーはそれを防衛拠点に潜ませていたのだった。

 

拠点から発進した連合の単座式戦闘艇、リントヴルム部隊がワルキューレに向かった。ワルキューレ部隊は次の出撃も考えていたが、リントヴルム部隊には次の機会はなく、後先考えずに攻撃を行なった。推進剤が切れても構わないと考えていた。

この差がキルレシオの差に現れ、ワルキューレ部隊は大打撃を受けた。

 

「これを想定して戦場を設定していたか。やるじゃないか」

ラインハルトはワルキューレ部隊に撤収を命じ、宙域を移動した。

アッシュビー艦隊はそれを追わざるを得なかった。

ラインハルトにワープを許して行政府を襲わせるわけにはいかなかったからである。

 

ミッターマイヤーは先陣として最低限の仕事をこなしていた。キッシンゲンに到着した際、アッシュビーの攻撃に晒され撃ち減らされたが、残艦を斥候部隊として周辺星域に送り出すことに成功していたのだ。これにより帝国軍は既に連合行政府の転移した星域を突き止めていたのだ。

 

戦いは仕切り直しとなった。

この時までに、アッシュビーの艦隊は四千二百隻に減っていた。

ラインハルトは七千百隻であった。

旧式艦艇ばかりにしては健闘していたが、このままではアッシュビーの負けであった。

 

だが、アッシュビーの顔にはまだ余裕があった。

予定ではもうすぐ奥の手が到着するのだ。

「さあ、勝負はこれからだ!」

本人は意識していなかったが、この発言にまたも艦橋が沸いた。

 

アッシュビーとラインハルトが再び砲火を交わし始めた時、星域に新たな艦隊が出現した。

旗艦ブリュンヒルトのオペレーターが絶叫した。

「新たな艦隊出現、その数一万隻以上!」

メックリンガーが身を乗り出してオペレーターに問うた。

「まさか?どの方面からだ!?」

「南方、フェザーン方面からだと思われます」

 

馬鹿な、早過ぎる。まさかヤン・ウェンリーの魔術か!?しかし、フェザーン方面に出した斥候からの報告はなかった……

ラインハルトは欺瞞と断じきれないでいた。ヤン・ウェンリーというイレギュラーの存在こそがラインハルトを焦らせ、ミッターマイヤーを先行させた一因でもあったのだから。

 

ラインハルトでさえそうなのだから、麾下の将兵はさらに混乱していた。それは艦列の乱れ、艦の行動の乱れにもなって現れた。

アッシュビーはそれを見逃さなかった。

「今がチャンスだ!ここが運命の分かれ目だと思え!前進!突破せよ!」

 

ラインハルトも内心を隠して檄を飛ばした。

「あれは欺瞞だ。一万隻もの艦隊がこのタイミングで出現するはずがない」

仮にあれが本物だとすると、その時点でこの作戦は失敗であり、ならば欺瞞である方に賭けざるを得ない。それがラインハルトの考えであった。

 

アッシュビーはラインハルト艦隊に突入を果たした。

前へ、前へ。

だがラインハルトの防御は固く、その前進は中途半端なものになり、包囲殲滅の危険すら生じた。

しかしその時には詳細不明の艦隊が近づいて来ていた。

 

オペレーターが再度絶叫した。

「艦隊接近!数は一千隻。一万隻と見えたのは牽引する小惑星によるものです!」

 

一千隻の小艦隊はラインハルト艦隊の至近で小惑星を投擲した。これにより、ラインハルトの艦列は引き裂かれた。

 

この小艦隊はヤン・ウェンリーによるものでもフェザーンから来たものでもなかった。ガイエスブルク要塞所属のもので、帝国軍侵入の報が入った後、要塞司令官ケンプが配下のアイヘンドルフ准将に託して派遣したものだった。

帝国軍の到着には間に合わないが、アッシュビーが粘って時間を稼いでいればきっと助力できるだろうと考えたのである。

そしてアッシュビーはアイヘンドルフと事前に連絡を取り、この仕掛けを実行させたのだった。

ヤン・ウェンリーなら奇跡を起こしかねないという帝国軍の不安に乗じた策であり、アッシュビーとしては他人の威を借りることになり甚だ不本意ではあったのだが。

 

アッシュビー艦隊は息を吹き返した。

「前進!突撃だ!」

彼らは一本の矢のように艦列を貫き、つき進んだ。

 

ハードラックのオペレーターが叫んだ。

「正面の艦影、ブリュンヒルト!」

 

ハードラックとブリュンヒルトはお互いを正面に捉えた。砲撃は、互いのエネルギー中和力場に遮られ、二艦はそのまますれ違った。

 

ラインハルト、アッシュビーともに相手を倒す絶好機を逃した形である。

 

アッシュビー艦隊はそのまま後方に突き抜けた。

アッシュビーが艦隊を反転させた時、ラインハルトは既に艦隊再編を完了しようとしていた。

アッシュビーは急ぎ再突入を図ろうとしたが、さらに戦況が急変した。

 

今度は五千隻程度の艦隊が出現したのである。

率いるのは撤退したと思われたミッターマイヤーとビッテンフェルトであった。

 

ロイエンタールの残軍の編入を果たしたワーレンが、ヴァーゲンザイル少将に五千隻を預け後続として派遣したのである。

ラインハルトはこの艦隊にミッターマイヤーとビッテンフェルトを合流させ、キッシンゲン星域に急行させたのだ。

 

アッシュビーはラインハルト艦隊を牽制しながら、アイヘンドルフの一千隻と合流し、態勢を整えた。この時点で合計四千隻である。

 

ミッターマイヤーとビッテンフェルトはラインハルトと合流し、合計一万隻となった。

 

戦力差は拡大した。しかし、アッシュビーに撤退の選択肢はなかった。

 

アッシュビーとラインハルトは再度正面からぶつかった。

 

アッシュビーとその将兵たちはよく戦った。復讐に猛るビッテンフェルトの鋭鋒を躱し、反撃し、再反撃されるもそれに耐えた。

ミッターマイヤーの機動によって包囲される前に後退し、なおも急速に迫る敵艦隊を、無人艦の自爆によって押し留めた。

だが、戦力は徐々に削られていった。

 

戦闘可能な艦艇が三千隻を切った時、アッシュビーの最後の手札が切られた。

キッシンゲンの工廠にあったものの、今まで戦闘に参加させていなかった非戦闘艦艇計五百隻をこの土壇場で出撃させたのだ。

 

輸送艦、工作艦からなるその五百隻は無人であり、フレデリカの事前のプログラムに従ってラインハルト艦隊の四方八方から襲いかかった。

これに対しミッターマイヤーが千隻を割いて迎撃に向かわせた。

 

輸送艦は液体ヘリウムを満載していた。

工作艦は指向性ゼッフル粒子発生装置を搭載していた。

攻撃を受けた輸送艦は火球となりつつ、慣性によって帝国軍につっこんだ。

工作艦からは火の柱が伸びた。

 

いずれも帝国軍の表層の部隊を叩いただけに終わったが、それでも艦列には乱れが生じた。

 

アッシュビーはビッテンフェルト艦隊に突入し、打撃を与えて突破し、その後背にいたラインハルトの艦列に突入を図った。

しかしその意図は艦隊の結節点を見極めて行われたラインハルトの攻撃によって挫かれた。

 

帝国軍は混乱からすぐに回復した。

 

最後の余力を使い切ったアッシュビーは半包囲され、さらに艦数を減じた。

その過程でアイヘンドルフ准将は戦死した。

 

ここに至ってアッシュビーは部隊を逃がすことに決めた。

アッシュビーの直衛部隊が最後まで踏み止まり、敵の攻撃を引き付けた。

 

だがそれも撃ち減らされ、もはやハードラック以外数艦を残すのみとなった。

ラインハルトは降伏勧告を行ったが、ハードラックからの返答はなかった。

 

 

手こずらされたが、ハードラックを撃沈すれば戦いは終わる。

その後はワープ準備だ。

ワープが完了した時こそ連合の命運が尽きる時だ。

ラインハルトはそう考え、讃えるべき強敵に対して最後の攻撃を命じようとした。

 

そこに、多数の艦がワープアウトして来たと、オペレーターが報告を入れてきた。

「散開しており、一定の陣形を取っていません。……全て民間船舶のようです」

 

民間船舶の群れは、薄く散らばりラインハルト艦隊を取り囲んだ。

帝国軍に向けて次々に通信が入った。

 

「ユニマラ船長ステッティンだ。侵略者ども今すぐ帰れ!」

「マオルエーゼル船長プリッツァーだ。アッシュビーを殺すなら、俺たちが黙っていない!」

「クラインゲルト伯には恩がある。帝国のエセ貴族に用はない!」

「専制主義者、帰れ!」

「誰もお前達なんか歓迎しないぞ」

「帰ってガキの皇帝のお守りでもしてろ!」

「アッシュビー万歳!連合万歳!」

 

「これは……」

帝国の諸将は呆気にとられた。

ラインハルトも困惑を隠せないでいた。

「二度の内乱では門閥貴族のために平民が動くなどあり得なかったが、連合の諸侯達は人心を得ているということか」

 

実のところこれは、オーベルシュタイン率いる情報部の扇動によるところも大きかったのだが、彼らは少なくとも自由意志でここに来たのだった。

 

メックリンガーがラインハルトに進言した。

「ハードラックを撃てば、彼らが襲いかかってきそうですな。しかし、ワープの為には彼らがいずれにしろ邪魔です。向かって来た時点で彼等は敵。非常な判断も必要になるかと」

 

ラインハルトの判断は異なっていた

「いや、もう時間切れだな。彼らを排除する時間的余裕はない。撤退だ。勝利以外のことを優先した私のミスだ。……ロイエンタールには詫びねばならぬな」

 

果たしてその通りだった。

ミッターマイヤーの放った斥候部隊のうち、フェザーン方面奥深くに入り込んだ艦が連合行政府への大艦隊接近を報告して来たのだ。

民間船舶を排除してワープしても、髪一重で先行されるだろう。

 

帝国軍は速やかに撤退した。

 

それを見た連合の将兵、民間船舶の乗組員は歓喜した。

「連合万歳!」

「アッシュビー万歳!」

 

「なんとか勝ちましたわね」

喜びに包まれる艦橋を眺めながら、フレデリカは上官に話しかけた。

「彼が俺に興味を持ってしまった時点で防衛成功は確定したも同然だった。まあ、ここまで追い込まれるとは思わなかったが。俺など無視すれば彼はいつでも連合に勝てたんだ」

 

そう、ラインハルトは、極端な話、連合行政府の転移先が判明した時点で、いつでも勝てたのだ。

 

艦隊の半数を別働隊にして星域離脱のそぶりをさせれば、アッシュビーはそれを追わざるを得ない。ラインハルトとしてはその隙に本隊をワープさせてもよかったし、別働隊とアッシュビーを挟撃してもよかった。

あるいは最初からキッシンゲン星域を避けて連合行政府の転移先に直行するということも考えられたのだ。

 

ラインハルトはそれをしなかった。ラインハルトは、連合の征服よりも、アッシュビーを名乗る大敵との一期一会の勝負を優先してしまったのだ。無論、戦って勝った上で目標を達成できるという自負に基づいてのことだったが。

 

「閣下はそこまで読んでいたのですね」

「……多分立場が逆だったら俺も同じことをして、同じように失敗していただろうからな。……訂正、俺なら成功していた」

「似た者同士の戦いだったというわけですか」

 

「でも、結局この戦いの主役は、彼ら連合の人民だったのかもな」

ライアル・アッシュビーは喜びに沸く兵士達を眺め、感慨を込めて呟いた。

「英雄とは言っても、一人では何もできない。それを支える者達がいて、ブルース・アッシュビーという存在が形作られるんだ」

 

フレデリカは少し驚いた。

「そういうことにお気づきになる方だとは思っていませんでした」

失礼な発言ではあったが、ライアル・アッシュビーは気にしなかった。

「いや、貴官にはいつも助けられてきたから前から気づいていたさ」

「……」

「なあ、中尉。いや、フレデリカ」

「はい」

「俺はアッシュビーの姓を捨てるつもりだ。俺はブルース・アッシュビーではない。少なくとも一人ではな。ライアル・アトキンソンに戻ろうと思う」

「どのような選択をされようと閣下の自由です。その通りブルース・アッシュビーとは違う人生があるのですから」

 

アッシュビーは意を決して言った。

 

「フレデリカ、その人生を俺と共に歩んでくれないか?」

アッシュビーは言葉を重ねた。

「要するに、要するにだ。結婚してほしいんだ」

 

フレデリカはヘイゼルの瞳をみはり、頰を熱くした。

 

そして、フレデリカは微笑んだ。最初から笑おうと決めていたのだ。

 

「ノーです。ノーですわ、閣下」

 

フレデリカはさらに笑みを深くした。

「私はアデレード夫人になりたくありません」

 

コステア准将がその時のアッシュビーの表情を目撃していた。

戦場では臆病であったことなど一度もないアッシュビーが、うそ寒そうな表情を隠し切れなかったという。

 

アッシュビーのその表情は、コステアが決め台詞を促すまで消えなかった。

 

連合建国五十周年祭は、何かを吹っ切るようなアッシュビー三度目の決め台詞披露でお開きとなった。

 

 

 

 

なお、アッシュビーの姓を捨てるという話は立ち消えとなった。

 

 

 

 

 

 

 

艦隊がキッシンゲン星域を脱した後、ラインハルトは一人自室に戻り、椅子に身を投げ出した。

 

「すまぬ、ロイエンタール。すまぬ、ミッターマイヤー。俺は宇宙を手に入れるより、雄敵との戦いを優先した。戻ったら姉上とキルヒアイスにも怒られるか……いや、二人なら俺らしいと笑うかもな」

既にアンネローゼとキルヒアイスの無事は、ワーレンから報告があり、確認できていた。ロイエンタールに対する申し訳なさはあったものの、不思議と無念さは感じなかった。

この時、ラインハルトは自分には宇宙よりも大事な人間が二人もいることを実感していたのだから。

 

とはいえ、ラインハルトが諦めることもまたあり得なかった。

「ヴァルハラで見ていろ、ロイエンタール。連合領は与えられるのではなく、いずれ自らの手で掴み取ってやる」

 

アッシュビー、ヤン・ウェンリー、フォーク、お前達を倒して俺が宇宙を手に入れるのだ。

 

しかし、今すぐではない。

帝国は傷を負いすぎた。

俺は皇帝となる。俺が数年かけて帝国を新生させる。キルヒアイスと共に。

 

……だが、まずは姉上のつくるケーキが食べたい心境だ。

 

ラインハルトは、やるべきことと大事な人達が待っている自らの帝国へと帰っていった。


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