ライアル・アッシュビー
かつての難敵であり、いまや連合軍の捕虜となったその名が出た後、一瞬沈黙が訪れた。
皆、意表を突かれたのである。
カイザーリング男爵が代表して尋ねた。
「毒をもって毒を制するようなものか。たしかに彼なら可能性はあるかもしれない。だが、協力してくれるのか?」
「おそらくは喜んで協力するでしょうな。少なくとも現在の軟禁状態よりは、はるかに性にあっているでしょうから」
「信用はできるのか?」
「どういう立場であれ、戦場で手を抜く御仁ではありますまい」
クラインゲルト伯は決断した。
「それが最も可能性が高いなら、致し方なかろう。オーベルシュタイン少将、彼の説得を頼む」
「承知しました」
カイザーリング男爵が興味深げに尋ねた。
「卿も少し変わったか?」
「?」
「このままローエングラム侯が勝っても、ゴールデンバウム朝はおそらく滅びるだろう。にも関わらず連合のための献策をしてくれるとは」
「……お好きにご想像を」
オーベルシュタインはライアル・アッシュビーとすぐに面会した。
ライアル・アッシュビーは要請を快諾した。
「ちょうど暇でしょうがなかった。ここにいてもグリーンヒル中尉をくどくぐらいしかやることがなくてな」
ライアル・アッシュビーはフレデリカ・グリーンヒルを伴って、会議の場に来た。
「キッシンゲン強襲か、ローエングラム侯も思い切ったことをする。今と状況が違うとはいえ、俺もやってみてもよかったかもな。……すまん、失言だ」
フレデリカに足を踏まれて、ライアル・アッシュビーは謝罪した。
「話を戻すが、まあなんとかなるだろうな」
カイザーリング男爵は身を乗り出した。
「本当か!?」
ライアル・アッシュビーは頷いた。
「一万八千隻全軍同時に来られたら困ったところだったが、ローエングラム侯も焦っているようだな。三集団に別れて来ているなら、各個撃破が可能だ」
「各個撃破……」
皆、感嘆とも呆れともつかぬ気持ちを抱いた。
アルタイルで我が軍がやられたことだが、この男は、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、ローエングラム侯の三人にそれをやりきるつもりなのか。
ライアル・アッシュビーの話は続いていた。
「まあ戦場でのことは私に任せてもらおう。だが、その為の準備には協力をお願いしたい。
まずは行政府だが、ワープさせた方がいいだろうな。これで一日稼げる。ワープ先は、分散させるもよし。集中させるもよし。そこはお任せする。その上で、戦場をキッシンゲンに設定したい」
皆異論はなかった。
「次に艦艇だが、四千隻とのことだが、これ以上は無理か?」
アーベントは無理だと答えた。
「軍需工廠もこの周辺には集中しているだろう。修理中の損傷艦でもいい。かき集められないか」
アーベントは部下に確認をとった。
「損傷艦五百隻、解体間際の老巧艦一千隻が利用可能だ。それと、敵の先鋒の到着には間に合わないが、その後の補充という形であればもう少し周辺からも集められる」
「ふむ、それでなんとかするしかないな」
カイザーリング男爵が口を挟んだ。
「しかし、連合の老朽艦というと本当に年代物だぞ。それこそブルース・アッシュビーの時代のものだ。旧い操艦システムや機関を扱える人間が足りないのではないか」
アーベントが答えた。
「国家の危機です。近在の予備役の中でも高齢の将兵、それと、退役軍人にも声をかけましょう。よいでしょうか、クラインゲルト伯」
「よかろう。だがまずは希望者を募ってくれ。散々国家のために働いてくれたものにさらに働かせるのは心苦しい」
議論がまとまったのを確認して、ライアル・アッシュビーは話を先に進めた。
「よし、艦隊はそれでよいか。あとは小細工の話だ。流石に何の工夫もなく三連戦するのはつらいからな」
その小細工についても、皆の同意が得られた。
その後は限られた時間で急速に準備が進められることになった。
だが、進めていくうちにいくつか新たな問題も発覚した。
ライアル・アッシュビーはアーベントから連絡を受けた。
「艦艇の人員が足りない?」
「そうだ。各艦の人員を減らすことも可能だが、各艦の対応能力が減少してしまう。ただでさえ質で劣るというのに、それでよいものかと思って連絡したのだ」
二人は同年代であり、気安く話ができる仲になっていた。
ライアル・アッシュビーはフレデリカに話を振った。
「どうにかならんか?」
フレデリカはライアル・アッシュビーにヘイゼルの瞳を向けた。
「確認しますが、閣下は連合に全面的に協力するつもりですか?同盟に帰れなくなるかもしれないのですよ」
「あまり気にしていなかった。元より根無し草だしな」
「アデレード夫人が悲しみますよ」
「……中尉、冗談でもその名前は出さないでくれ」
「失礼しました」
「いずれにしろ、この俺は戦いに関して手抜きはしない。それに……」
「それに?」
「俺にできなかったことをローエングラム侯にやられるのは業腹だ」
フレデリカは溜め息をついた。
「なるほど。あなたらしいですね。でも、わかりました。同盟艦に関する人員効率化に関しては、私が協力しましょう。同盟の無人艦運用システムの開発には、私も携わりましたからね」
そう言って、フレデリカは打ち合わせに向かった。
ライアル・アッシュビーはフレデリカを見送ってから気が付いた。俺はよかったが、グリーンヒル中尉はよかったのだろうか?今回のことで父親に会えなくなる可能性もあるのではないか、と。
もう一つは人によってはそこまで重大事ではなかったかもしれない。
艦隊の陣容に関して確認していたライアル・アッシュビーはあることに気付いた。
「旗艦級戦艦が、ない」
ライアル・アッシュビーはアーベントに連絡した。
アーベントは首を横に振って答えた。
「ないものはしょうがなかろう。幸か不幸か艦隊規模は増強分艦隊程度だ。通信機能を強化した標準型戦艦で十分だろう」
「俺の乗って来たニュー・ハードラックはどうなった?」
「旗艦は戦力価値が高いからな。さっさと修理して前線に送ってある。……そんな顔をしないでくれ。連合は貧乏なんだ。接収したものは有効活用せざるを得んのさ」
不機嫌になったライアル・アッシュビーはごねた。
「しかし、旗艦がないのでは艦隊の士気に関わる。何かないのかこのアッシュビーに相応しい艦は?」
こいつは聞き分けのない子供かとアーベントは思った。
「そんなものはない。……いや、待ってくれ。あると言えばある」
「本当か!?」
「ああ、ブルース・アッシュビーの旗艦、初代ハードラックだ」
ライアル・アッシュビーは数瞬アーベントの言葉を反芻した。
「冗談だろう?連合行政府に繋留されているとは聞いていたが、あれは記念艦じゃないか。動かんだろう!他の艦に綱でも付けて引っ張ってもらえとでも言うのか!」
アーベントは大真面目だった。
「いや、それが動くのだ」
「何?」
「今年、独立諸侯連合が国家成立五十周年なのは知っているか?」
「そう言われればそうだな。それが何か?」
「五十周年記念事業でな、同盟と連合の英雄、ブルース・アッシュビーとウォリス・ウォーリックの旗艦に、連合領の各惑星を巡業させる計画があったんだ」
「つまり、その計画のためにハードラックは稼働状態に整備された、と」
「そうだ。しかも単に動くだけじゃない。アッシュビー時代の艦艇のエンジンは今の時代より大型だったのは知っているだろう?」
「ああ。性能が悪かったからな」
「今回の事業のために同サイズの現代のエンジンを積んだんだが、下手な高速戦艦よりも優速になったし、ビームも光学式ながら異常なほど大出力になった」
「つまり、下手したら並の旗艦級戦艦より性能が良いということか?」
「その通りだ。装甲も新調している。エネルギー中和磁場を後付けすれば、現代でも十分以上に通用する。エンジンがでかくて、被弾率が高くなりそうなのが、玉に瑕というところだが」
ライアル・アッシュビーは機嫌を直した。
「いいじゃないか。高速というところが特に気に入った。ぜひ使わせてくれ!」
こうしてライアル・アッシュビーはハードラックに乗ることになった。
準備は進められた。
ミッターマイヤーの神速のせいで、予想よりも準備期間が短縮されるという笑えない話もあったが、なんとか、すべての準備を整えることができた。
ブルース・アッシュビーのかつての旗艦に搭乗したライアル・アッシュビーは既視感を覚えた。
「ふん、当然か。エンダースクールで何度も見せられたからな」
「アッシュビー提督!」
不意に声をかけられた。
老人というべき年齢の男達がそこに立っていた。
白髪の老人は、敬礼しながら語った。
「ゴッドハルト・フォン・ボーデヴィヒ大尉であります。閣下と再び一緒に戦うため予備役から復帰しました。幼年学校を飛び出して故郷のために戦った日々が懐かしくあります」
禿頭の男も、感激といった態で話しかけてきた。
「チャン・タオ伍長です。ウォリス・ウォーリック提督の従卒を務めておりました。お目にかかれて光栄です!この老骨でも何かしら再び閣下のお役に立てるのではないかと思い、馳せ参じました」
彼らは私とブルース・アッシュビーを混同しているのか?
訂正しようとした、ライアル・アッシュビーであったが、フレデリカの咳払いがそれを止めた。
アッシュビーは考えて、口を開いた。
「皆さん、ありがとう。このアッシュビー、必ずや帝国からこの連合を救うと誓おう!」
歓声の嵐が巻き起こった。
「アッシュビー閣下万歳!」
「軍神アッシュビー万歳!」
「独立諸侯連合万歳!」
「帝国を倒せ!」
「……何だったんだあれは?俺はブルース・アッシュビーではないぞ」
艦橋に移ったライアル・アッシュビーは、参謀長補佐を務めることになったバーナビー・コステア退役准将に尋ねた。
「皆、あなたのことをブルース・アッシュビーの生まれ変わりだと思っているんです。最近増えているんですよ。
アデレード夫人の発言が大きかったのでしょうな。アデレード夫人は事あるごとにあなたのことをブルース・アッシュビー本人だと主張していますから。
元々ブルース・アッシュビーは神様みたいなものでしたからね。ブルース・アッシュビーは死なない、とあなた、あ、いや、本人も言っていましたし。連合の危機に転生して来てもおかしくはないと皆思ったのでしょう」
「転生だと?そんなオカルトがあってたまるか!」
フレデリカが真顔で尋ねた
「本当に生まれ変わりではありませんの?肉体的には転生しているようなものでしょう。もしかして、前世の記憶があったりしません?」
「ない!」
ライアル・アッシュビーは断言した。
とはいえ、エンダースクールでの擬似記憶移植処置を受けたせいで、仮に記憶があったとしても、それが本物かニセモノか区別なんてつかなくなっているのだが……
コステア准将がライアル・アッシュビーを宥めた。
「まあいいではありませんか。それで士気が上がるのだし。
宗教のようなものだと思ってください。軍神アッシュビーを祀るアッシュビー教です。……そういえば、アッシュビー霊廟をつくるなんて話もありましたな。危機の度にホログラムでアッシュビーが語りかけてくるような仕掛けをつくるとかなんとか」
「やめてくれ!」
ライアル・アッシュビーはめまいがしてきた。
「まあそれはともかく、今年は連合建国五十周年、この記念すべき年に、ブルース・アッシュビーの末裔と共に帝国と戦うことが出来るなんて。私みたいな過去しか残されていない年齢の者には、まるで夢のような話ですよ。お祭りです。みんなそういう気持ちで参加しているのでしょうな。
私も、アッシュビー提督が死んでから熱意を失い、惰性で……いや、はっきり言って堕落した生き方をしていたようなところがあったのですが、ここに至って青春時代の熱情が蘇るようです」
そう語るコステア准将の目は、まるで少年のように輝いていた。
こいつ、いや、こいつら、俺が敵だったことを忘れているんじゃないか。ハードラックか、このハードラックが時空を歪めて不運を招いているんじゃないのか。アッシュビーはそら恐ろしさを隠せなかった。
フレデリカが補足した。
「実際退役軍人の志願者の数がすごいことになっているようです。若い者は席を譲れとばかりの勢いで。最新の機器は使えない人が多いので、旧式艦艇中心に配置していますが、それでも多過ぎるぐらいで。それに、同盟軍の捕虜の中にまで志願者がいるとか」
ライアル・アッシュビーは珍しく弱気を見せた。
「グリーンヒル中尉、この状況、俺はどうしたらいい?」
フレデリカは答えた。
「士気が高いのはよいことです。乗っかるしかないんじゃありませんか。それに、ブルース・アッシュビー提督はたしかに英雄でしたが、英雄として自分を魅せるのがうまかったとの評もあります。
閣下にもお出来になるのではありませんか?ブルース・アッシュビー本人になるのはともかく、「ブルース・アッシュビーが演じていた英雄」になることは」
フレデリカの言葉には心に響くものがあった。
ライアル・アッシュビーは覚悟を決めた。
「そうだな、やるしかないか。グリーンヒル中尉、艦隊に向けて演説する。準備してくれ」
演説の準備が整った。
何を話すのか艦隊全体が注目していた。
「諸君、私はアッシュビーである。
諸君を率い、帝国と戦う。そのために私はここにいる。
私が真に英雄であるか、
また、諸君が英雄であるかどうか、
それはこの戦いが明らかにするだろう。
連合が建国五十周年を迎えられたのは諸君らの努力の賜物である。
この節目の年に、
連合を守るため、
帝国の侵略者を倒すため、
諸君らと共に戦えることを誇りに思う。
どうか私に力を貸して欲しい。
私と諸君らの力が合わされば、恐れるものはない。
アッシュビーは常に勝ってきた。今回もだ。
さあ、連合の五十周年に華を添えに、出撃だ!」
艦隊全体に歓声が響き渡った。
「アッシュビー提督万歳!連合万歳!」
「アッシュビー!アッシュビー!」
「帝国の圧制者に鉄槌を!」
こうして、「ブルース・アッシュビー最後の戦い」とも、「連合建国五十周年祭」とも異称される、キッシンゲン星域の会戦が始まった。