宇宙暦797年/帝国暦488年3月3日、同盟軍とルビンスキー派フェザーン軍は、機動要塞ファルケンルストと共にフェザーン本星への進軍を開始した。
同盟軍第二艦隊、第十艦隊、第十一艦隊、第十三艦隊の計五万一千隻とフェザーン艦艇二千隻がその内容であった。
総司令官はパエッタ中将であったが、実質ユリアン・ミンツ大尉が指揮を取ることは暗黙の了解となっていた。
ファルケンルスト要塞の司令官は改修作業を担当したルフェーブル中将が務めた。
同盟軍の歩みはゆっくりとしたものになった。
連合軍が回廊の広範囲に機雷を散布していたためである。
艦隊であれば指向性ゼッフル粒子で通路を作れば良いが、要塞が通るとなるとそれでは十分ではない。
また、ワープ位置に機雷が存在する可能性も考えると不用意なワープもできない。
このため、移動先の機雷の有無を確認し、ファルケンルスト要塞主砲ファルケンシュナーベルや指向性ゼッフル粒子により大まかに機雷を吹き飛ばした後、要塞の移動砲台や掃宙艇で取り零しの機雷を片付けるという、非常に地道な作業を行いながら前進することになった。
しかしながらこれが時間稼ぎに過ぎないことは同盟軍も連合軍も承知していた。
連合軍の総指揮を任されたヤンは懊悩していた。
ファルケンルスト要塞がこのまま進軍し、その主砲がフェザーン本星を捉えたとしたら……今はそれなりに従順なフェザーン人も、連合を見限って反乱を起こすだろう。
フェザーン本星に派遣された連合軍情報部ヤーコプ・ハウプトマン少佐の報告もそれを裏付けていた。
フェザーン人が敵に回れば連合軍はフェザーン回廊から叩き出されることになる。
結局のところ、ファルケンルスト要塞をフェザーン本星に近付けさせた時点で負けなのだ。
ヤンとしてはその前に要塞を撃破なり占領なりしないといけなかった。
しかし、そのファルケンルスト要塞を守るのは、同盟軍でも最優秀のボロディン、ウランフ両提督と、頭は少し固いが実力は確かなヤンの元上司パエッタ提督である。
要塞抜きであっても、ヤンは彼らに対して勝てると断言できなかった。
さらになかなかの知恵者と思われるユリアン・ミンツが黒幕として控えているとなれば、ヤンとしては有効な対処の方法を思いつけずにいた。
「とりあえず機雷で時間稼ぎはしてみたが、本当にどうしたものか」
例えば、航行中の要塞のエンジンを一部破壊すれば、無秩序な回転を始めさせられるだろう。
しかしそれを行おうとしても、優秀な提督達がそれを阻むだろう。
また例えば、氷塊にバザードラムジェットエンジンを装着して亜光速に加速し、要塞にぶつけるということもヤンは考えてみてはいた。
しかし不用意にそれを行なっても、きっと簡単に対応されてしまうだろう。
悩んでいるヤンに、ローザが紅茶を持ってきた。
「ヤン提督、少し休憩なさってはいかがですか。今よい茶葉が切れていて申し訳ないですけど」
「いや、ありがとう、ラウエ少佐。……茶柱だ。茶柱が立つと来客があると言うけど、同盟軍のことだったら嫌だなあ」
「緑茶で有名な古代日本では、茶柱が立つのは縁起がよいこととされていたんですよ」
「へえ、そういうものか」
まあ茶柱に関しては男女に関するもう少し恥ずかしい話もあるのですけどね、と言いながらローザは何故か赤くなっていたが、ヤンの意識は茶柱に集中していた。
「そうだ、これは使えるかもしれない。ありがとう、ラウエ少佐。おかげでアイデアが浮かんだ。すぐに検証したいのでリンクス技術大佐を呼んでくれ」
「え、あ、はい。承知しました!」
リンクス技術大佐はヤンのアイデアに驚いたものの、ポジティブな答えを返した。
「いま少し検証しないと確実なことは言えませんが、おそらくは可能です」
「そうか。では実行計画を詰めた後、再度連絡してくれ。フェザーン当局の許可を得るから。ちょうど明日の午後、連絡役のボリスが来ることになっているから奴に仲介を頼もう。それまでに計画をまとめられるか?」
「厳しいですが、なんとか間に合わせます」
「ありがとう。よろしく頼む」
翌朝リンクスは約束通り、実行計画をまとめて来た。
ボリス・コーネフは独立商人であったが、ヤンと旧知の仲であるという情報を当局に掴まれ、強制的に連絡役にさせられていた。本人は不平たらたらであった。
また、以前もルビンスキーによって、ヤンに対する情報工作員として連合に派遣された経験があった。
本人の意思と適性はともかくとして、フェザーンの情報網に精通し、なおかつ信用できる人物として、ヤンはボリスを重宝していた。
「ボリス、この計画にはフェザーン当局の許可が必要だ。しかし事前に同盟のシンパに知られてはいけないんだ。なんとか頼むよ」
「まあ、しょうがない。ボルテック、いや、ケッセルリンクの野郎がいいか。なんとか話を通してみるさ。だがこの貸しは高いからな」
「わかっているさ」
「しかしこれは一種の悪戯だな。一緒に悪さを働いた昔が懐かしいぜ」
ケッセルリンクは、ヤンの依頼に面食らいつつも背に腹は代えられぬと最終的には承諾した。
必要な作業は連合軍のみで秘密裏に行われることになった。
3月13日、ついにファルケンルスト要塞はフェザーン本星のある宙域に到達した。
この宙域にも機雷が散在していた。しかも機雷それぞれが様々な速度でゆっくりと場所を移動していた。
ウランフが零した。
「ヤン・ウェンリーめ、やはりここにも機雷をばら撒いていたな。後々の掃宙の苦労が思いやられる。ボルテックもよく許可したものだ」
ユリアンは落ち着いていた。
「グラズノフ補佐官の事前の情報通りですね。補佐官によると、彼らは氷塊にバザードラムジェットエンジンを装着して加速することで質量兵器にしようとしています。それをファルケンルスト要塞に激突させるつもりです」
ボルテックの補佐官グラズノフはルビンスキーに通じており、彼らはそこから直接情報を得ていたのだ。
なお、連絡手段の確保はバグダッシュが担当していた。
ユリアンの説明は続いていた。
「氷塊攻撃に対抗するには、無人艦を加速してぶつけるのが効果的です。ヤン・ウェンリーの狙いは、我々のその対応を無数の機雷で阻害することでしょう。
先方は事前に機雷の座標を把握しているので機雷を回避する軌道を選択できますが、我々は機雷の情報の収集から入らないといけませんからね。
実際事前に情報を得ていなければ、我々も対応に苦労したでしょう。
しかし彼らは我々の情報解析能力と即応能力を甘く見た。
事前にわかっていれば、この第十三艦隊ならば対応できます」
第十三艦隊は、通信能力、索敵能力が強化され、相互にデータリンクされた無人艦によって構成されていた。
無人艦は個艦の対応能力が有人艦に劣るが、運用方法によってはそれ以上の能力を発揮できると同盟軍の技術将校達は考えていた。
第十三艦隊はそれを立証するための艦隊であった。
防衛戦争の記憶も遠くなり、兵士の成り手の不足に悩む同盟軍ゆえの選択だった。
シヴァはその高い通信能力で艦隊を統制していた。
各艦の収集した機雷情報はシヴァに集められ、短時間のうちに統合され解析された。各無人艦にはシヴァから適切な移動座標と対応アルゴリズムが伝えられた。
予測されるどの方向からの氷塊攻撃にも、機雷に阻害されずに対応可能な体制が即座に整えられたのだ。
この対応システムを短期間に構築したのはシンシア・クリスティーン中尉であった。彼女は無人艦の運用に特化した才能を有していたのだ。
30分後、複数の氷塊がファルケンルストに向かって発射され、なおも加速中であることが、先行した偵察艦によって観測された。
その情報は超光速通信で第十三艦隊に伝えられ、機雷の影響を受けない適切な座標の無人艦が迎撃を行なった。
無人艦自体が加速し、氷塊とぶつかり、相殺したのである。
連合は様々な方向から氷塊を放った。その数は三十を越えたが、いずれもファルケンルスト要塞に打撃を与えることは叶わなかった。
ユリアンはパエッタとルフェーブルに連絡した。
「ヤン・ウェンリーの策はつぶしました。早急に前進しフェザーン本星を要塞の射程に収めましょう」
ユリアンとしては、想定通りに事態が動いたことに安堵したが、同時に落胆もしていた。ヤン・ウェンリーはこの程度だったのか、と。
同盟軍が前進速度を早めたその時、何かがファルケンルスト要塞に衝突した。