時の女神が見た夢   作:染色体

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第三部 5話 ファルスター星域会戦(前半)

フェザーン回廊で同盟と連合が睨み合いを続けていた頃、帝国も同盟との戦いに突入しようとしていた。

 

宇宙暦797年/帝国暦488年2月12日、

対同盟遠征艦隊の出発が迫るオーディンで一つ大きなトラブルが生じていた。

 

ロイエンタールの乗った自動車が郊外で事故に遭い、運転手は即死、ロイエンタール提督も危篤状態に陥ったのだ。

 

この事態にラインハルトはキルヒアイスを呼び寄せた。

「リッテンハイム大公の関与を疑って探りを入れてみたが、どうやら違うらしい。本当に単なる事故なのかもしれぬ。ロイエンタールの意識が戻らないと分からぬがな。リッテンハイム大公も運が良い。我らが出征を控えていなければ、たとえやっていなくともこれを理由に拘束してやったものを」

「ロイエンタール提督が回復次第事情は聴くようにします。ラインハルト様は出征に集中なさってください」

「うむ。キルヒアイス、また何か起こるかもしれん。姉上のこと、十分注意してくれ」

「はい、ラインハルト様」

 

 

元帥府は暗い雰囲気に包まれていた。

 

ビッテンフェルトがワーレンに話しかけた。

「ロイエンタール提督が交通事故とはな。俺はてっきり女に刺されたのかと思ったぞ」

 

ビッテンフェルトなりに重苦しい雰囲気を吹き飛ばそうとしての軽口だったが、ミッターマイヤーが自分を刺すような眼で見ているのに気づいて、沈黙せざるを得なくなった。

 

そこにラインハルトとキルヒアイスがやって来た。

「卿ら、ここで黙って立っていてもロイエンタールの傷が治るわけではない。卿らの義務を果たせ。ミッターマイヤー、ロイエンタールのことは残念だが、次の戦いで卿に期待するところさらに大となった。苦労をかけることになるがよろしく頼む」

「勿体無いお言葉」

「ミュラー、ロイエンタールの代わりに出征の準備をせよ。ロイエンタールの艦隊は一時キルヒアイス副司令長官の預かりとする」

 

ミュラーは転がり込んだチャンスに心躍らせた。

「はっ!必ずやご期待に応えます」

 

「次の戦いに帝国の興廃がかかっている。出征は近い。気を引き締めよ!」

「「御意!」」

 

重苦しい空気はラインハルトの檄の前に消え去った。

 

 

 

2月15日、ラインハルト率いる対同盟遠征艦隊がオーディンを出発した。

 

2月23日、同盟占領地域に入った帝国軍は、同盟の基地を探索、攻略しつつ進んで行った。

途中ビューフォート准将率いる同盟軍のゲリラ部隊に一部艦隊の補給線を絶たれる事件も起こったが、一時的なもので済んだ。

警戒の必要性から前進速度は落ちたものの、基本的には順調に進んでいった。

 

 

ラインハルトは諸将に語った。

「敵はおそらく我々の補給線が伸びて消耗するのをモールゲン星域近郊で待っている。だが、それは想定済みのことだ。臆する必要はない」

 

 

3月1日、斥候部隊が同盟軍の大部隊を発見した。

 

その星域の名はファルスター星域といった。

ファルスターAとファルスターBの二つの恒星が近接する連星系を中心とした星域であった。

 

 

3月4日、ファルスター星域で同盟軍七万五千隻と帝国七万二千隻が激突した。

史上最大規模の会戦の幕開けであった。

 

同盟軍は、ファルスターA、Bの近傍に布陣していた。

 

 

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会戦推移1

 

その布陣は、双頭の蛇と呼ばれる陣形に思われた。縦に長い陣形で、二つの頭をそれぞれ二個艦隊が構成し、その間の胴体にあたる部分を一個艦隊が構成していた。

 

帝国軍の諸将は、この陣形に戸惑いを見せた。

 

「戦力が拮抗しているにも関わらず、双頭の蛇の陣形を取るとは……敵は何を考えている?各個撃破の格好の的ではないか」

「しかも胴の部分が薄い。各個撃破してくれと言っているようなものだ」

総参謀長のメッカリンガーが情報を提供した。

「敵の総司令官はフォーク中将、北部占領の手際はよかったが、戦術に関しては未知数ですな。捕虜の情報だと、独善的だとか、能力はともかく性格に関してはあまり良い噂はないようですが」

 

帝国軍はビュコックが指揮を執っていることを知らなかったのだ。

 

「後背に機雷原を敷いているということはないか?司令官が冷酷な作戦をとり得るなら、あの艦隊は捨て石で、機雷原で突破を防ぎ、その間に包囲するつもりだとか」

「そんなものは見当たらないな。せいぜい小惑星が点在している程度だ。それもごく少数だ」

「あの艦隊の周囲に指向性ゼッフル粒子が充満しているとか」

「そうだとしたら近づいた時に探知可能だし、先走ってこちらが砲撃を始めたら逆効果だろう」

 

なかなか結論は出なかった。

 

ついにラインハルトが決断をした。

「敵が何を狙っているにせよ。中央が薄いのは事実だ。ミッターマイヤー、ビッテンフェルトは鋒矢の陣形で速やかに敵の胴体部に突撃せよ。その間、残りの四個艦隊は敵の双頭を牽制し、胴体部の撃滅後にミッターマイヤー、ビッテンフェルトと連携して双頭の各個撃破に移れ」

 

ミッターマイヤー、ビッテンフェルトは命令の通り高速で同盟軍の胴体部に向かった。

 

それを見守るラインハルトであったが、何かが引っかかっていた。

 

二重連星系、点在する小惑星……

 

ラインハルトの直観が危険を察知した。

「おかしい!二重連星系のごく近傍では天体は安定軌道を取れない筈だ!本来ファルスター星系には小惑星など殆ど存在しない。ごく少数とはいえ、点在する小惑星、これは罠だ!ミッターマイヤー、ビッテンフェルトに後退を指令!いや、遅いな。斜め天頂方向への回避を命じよ」

 

「しょ、承知しました!」

オペレーターは慌てながらも指示を実行した。

 

メックリンガーは航法データを確認した。

「たしかに、ファルスターA、Bの周囲にこんな数の小惑星は記録されていませんな。迂闊でした……」

 

「いや、私も気づくのが遅かった。問題はミッターマイヤーとビッテンフェルトの回避が間に合うかどうかだが」

 

「同盟軍は何を用意しているのでしょうか?」

 

「小天体サイズの罠、いくつか思いあたるものはあるが……すぐにわかる」

 

ミッターマイヤー、ビッテンフェルトは指示に従い、斜め天頂方向に進路を変更した。

このまま行けば敵艦隊の直上を抜ける形になる。

 

砲の射程のギリギリを通過しようとしたその時、何もないと思われた空間から無数の光条が伸びた。

高出力レーザー、荷電粒子ビーム砲、中性子ビーム砲、長距離レーザー水爆ミサイル、磁力砲、それらがミッターマイヤー、ビッテンフェルト艦隊に向かって殺到した。

 

先頭を行くビッテンフェルト艦隊の被害はまだ大きくなかったが、後続のミッターマイヤー艦隊の被害は甚大であった。

 

「我が艦隊の損失二千隻!」

「くそっ!しかしローエングラム侯の指示がなければこんなものでは済まなかった」

 

その攻撃は同盟軍の用意した。機動型アルテミスの首飾り、通称アルテミスⅢによるものであった。

同盟はこの時点までに三つの「アルテミスの首飾り」システムを保有していた。

一つは首都星バーラトに設置された旧来のものであり、もう一つは先日モールゲンに設置された新型アルテミスの首飾り、通称アルテミスⅡである。

そして最後の一つが、バウンスゴール中将の元機動兵器として改修されたアルテミスⅢであった。

単独でのワープ能力は持たないものの、搭載した通常航行用エンジンによって艦隊運動に追随できる機動能力を獲得していた。

 

これが胴体部と頭部の間に6基ずつ、小惑星に偽装された上で展開されていた。

12基全てを合わせると一個艦隊を優に越える攻撃力を保持していた。

 

「これからは無人兵器と我々工兵の時代だ。それをこの会戦で証明して見せる」

それがバウンスゴール技術中将の野望であった。

 

 

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会戦推移2

 

胴体部を担当していたビュコック提督は、次の指示を出した。

「流石はローエングラム侯、気づいたか。同盟と連合に何度も煮え湯を飲ませただけのことはある。全軍プランBに移行せよ」

 

双頭のうち一つからホーランド艦隊が分離し、ミッターマイヤー、ビッテンフェルトの艦隊に向かった。

それ以外の艦隊とアルテミスⅢは、帝国軍本隊に向かって前進した。

 

同盟軍の作戦は、ある意味非常にシンプルであった。

帝国軍に、同盟軍の戦力を自らと同程度だと誤断させ、戦術上のミスを誘う。その上で優勢な戦力で撃破を図る。

それだけだったが、仮に戦場で帝国軍に意図を察知されても、ほぼ確実に優勢は確保できる点で確実性の高い作戦だった。

 

現在まで状況は同盟軍の想定の範囲内で推移していた。

 

ラインハルトは指示を出した。

「あれは叛徒どもの首星を守るアルテミスの首飾りと同等のシステムに機動力が加わったものだ。一基ごとの攻撃力は高いが、逆に言えば一基落とすだけで攻撃力を大幅に削ることができる。

ワーレン、ルッツはまずアルテミスの首飾りを優先的に狙え。私とミュラーはその間、敵艦隊の攻勢に対する防壁となる。ミッターマイヤー、ビッテンフェルトは遊撃を行え」

 

ミッターマイヤー、ビッテンフェルトは命令を果たすことが出来なかった。ホーランド艦隊に喰らいつかれたのだ。

 

「さらに磨きをかけた我が芸術的艦隊運動を見よ!」

ホーランド艦隊は機動性に富んだ艦隊運動で、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト両艦隊に浸透し、一時統制不能の状態に陥れた。

 

ホーランドは前回の反省から、艦隊の半分、七千五百隻に「芸術的艦隊運動」を行わせる一方、残り半個艦隊には待機と敵艦隊への牽制を行わせていた。ミッターマイヤー、ビッテンフェルト両艦隊の後退の動きはこの半個艦隊によって阻害された。

 

半個艦隊を担ったのは新たにホーランド艦隊の副司令官ライオネル・モートン少将であった。熱血熱狂のホーランドと沈着冷静なモートンの組み合わせが予想外の相乗効果を生み出していた。ホーランドが先の会戦において挫折を経験していなければ他者に頼る発想は生まれていなかっただろうが。

 

ホーランド率いる半個艦隊が芸術的艦隊運動の限界に達する前に、モートンの率いていた半個艦隊も芸術的艦隊運動を開始し、先の半個艦隊に休息と補給の機会を与えた。ホーランドとモートンは指揮をスイッチし、ホーランドは芸術的艦隊運動を続けた。

 

このような工夫をしても消耗が激しいことに変わりはないためいずれ限界は来るが、二個艦隊を長時間拘束するという役目は十分に果たしていた。

 

 

「帝国の狂犬ビッテンフェルトに加えてラインハルトの片腕のミッターマイヤーを一個艦隊で抑えられるなら十分にお釣りが来るというものじゃ」

いや、同盟の狂犬ホーランドの暴走を帝国軍が二個艦隊を使って抑えてくれていると考えればさらに有り難みがあるな、とビュコックは思ったが流石に口には出さなかった。

 

 

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会戦推移3

 

 

本隊同士の戦いも激しいものになった。ビュコック、アップルトンをラインハルトが、アル・サレム、ルグランジュをミュラーがそれぞれ受け持つ形となった。それぞれ2.5倍の戦力差であったがいずれもよく戦列を維持した。

ミュラーはこの時、旗艦を三度乗り換える奮戦を見せ、ついに耐え抜き、「鉄壁」の異名を得た。

 

その間にワーレン、ルッツはアルテミスⅢへの攻撃を実施した。

ルッツは的確な指示を出した。

「鏡面装甲を持つアルテミスの首飾りにビーム攻撃は効き目が薄い。戦艦部隊を前面に出して肉薄し、雷撃艇、ミサイル艦を主役にして攻撃を加えよ」

ワーレンも檄を飛ばした。

「首飾りシステムは本来衛星軌道上に展開して衛星同士相互連携することを前提としたもの。いくら航行可能になったとはいえ、相互の連携は元祖に劣る筈だ。恐れるほどのものではない」

 

時間はかかったものの、ワーレンとルッツは12基全ての破壊に成功した。

多数の艦艇の犠牲と引き換えに。

 

アルテミスⅢの撃破によってワーレン、ルッツはラインハルト、ミュラーの支援に回ることができた。

 

しかしながら依然として戦力的には帝国軍が不利であった。

 

戦況は同盟軍優勢で推移したが、勝敗は未だ決してはいなかった。

 

 

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会戦推移4

 

 

同盟軍にも帝国軍にも積極的な行動に移るのを躊躇う要因が存在した。

 

ビュコックは、戦場にロイエンタール提督がいないことを疑念を持っていた。キルヒアイス副総司令官がいないのは不測の事態に備えるためだと理解できる。しかし、帝国にとって最重要であろうこの決戦にロイエンタール提督までいないとは。

ロイエンタールが事故に遭ったという情報は同盟軍にも伝わっていたが、それが本当かどうか判断しかねていたのだった。

帝国軍がロイエンタール提督を別働隊とし、攻撃の機を図っているという疑いを拭い去れていなかった。

 

ラインハルトは、総司令官であるはずのフォークの旗艦の姿を未だ捉えられていないことを不審に思っていた。

すなわち同盟にはまだ予備戦力があるのではないか。

その恐れがラインハルトにいつもの積極的な行動を抑制させていた。

 

しかし、ここに来てビュコックは決断した。

「待っているとホーランドの奴に限界が来るじゃろう。帝国軍に別働隊があるとすればここまでのタイミングで出現しない理由がない。おそらく存在しないのじゃろう。ならばここで全面攻勢に移るべきだ。全軍に突撃を指令せよ」

 

同盟の攻撃が勢いを増した。帝国軍の各司令官もよく凌いだが、戦局を変える程ではなかった。

ラインハルトはビュコックに対応していた。ラインハルトの天才的な指揮は、ビュコック艦隊の艦列に度々亀裂を生じさせたが、戦力差とビュコックの熟練した指揮の前にはなかなか有効打を与えることができなかった。

 

ミッターマイヤーはホーランドの奔放な艦隊運動に辟易しつつも、ビッテンフェルト艦隊を解放して本隊の援護に回すべく悪戦苦闘していた。

ビッテンフェルト艦隊はホーランドの艦隊運動に付き合って統制を失ったままであり、ミッターマイヤーの努力が実を結ぶまでにはまだ時間がかかりそうだった。

 

このまま戦局が推移すれば、いずれ同盟が勝つことは明らかとなっていた。

 

 

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会戦推移5

 

 

しかし、勝敗はこの戦場の外で決まることになった。


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