宇宙暦796年/帝国暦487年12月、帝国は内乱の渦中にあった。
ブラウンシュヴァイク公は暗澹とした気分でいた。
貴族たちの前では「我らの勝利疑いあるなし」などと意気軒昂なところを見せていたが、その実、勝利する自信などなかった。
彼我の兵力、経済力が拮抗している以上、多少の理性があれば必勝などと信じられるものではなかった。
頼みとすべきグライフス上級大将の正規艦隊も北方で、ガルミッシュ要塞からは離れている。軍略に関しても頼れる者は少なかった。
いささか頼りないがシュターデンの意見を聞くべきか。
そう考えた矢先、腹心のアンスバッハ准将が面会希望者の存在を伝えに来た。
「誰だ?」
「ファーレンハイト中将です」
「ファーレンハイト中将?ああ、貴重な実戦派の提督か。会いたいと言うなら会ってやってもよいが」
ファーレンハイト中将はすぐにやって来た。
「ブラウンシュヴァイク公、機会を頂きありがとうございます」
ブラウンシュヴァイク公は面倒そうに答えた。
「挨拶はよい。それよりも用件は何だ」
「私は公の利益になる提案を持って来ました。ここにはアンスバッハ准将しかいないので率直に答えて頂きたいのですが、ブラウンシュヴァイク公には勝利の自信はどの程度おありですか」
アンスバッハ准将が急いで口を挟んだ。
「ファーレンハイト中将、失礼ですぞ」
ブラウンシュヴァイク公は一瞬激昂しかけたが、アンスバッハに機先を制されたため、思い直すことができた。
「いや、いい、アンスバッハ。正直に言って、ないな。彼我の戦力は拮抗している。そうなればあとは指揮官の差だが……」
「勢いだけの青年貴族に、正規軍の中でも実績のいまいちな提督達、信頼しろという方が無理な話ですな」
ブラウンシュヴァイク公は何か言いたげなアンスバッハ准将を手で制して話を促した。
「話を続けてくれ。卿は何が言いたい?」
「私の策を用いれば勝てる可能性が上がります」
ファーレンハイトは自身の策を披露した。
まず、青年貴族のうち、特に血気盛んで統率に不安のある者を選んで、帝国各地に分散させゲリラ戦を担わせる(総数約一万隻)。
さらにグライフス上級大将率いる二万隻に、首都オーディンを目指し南下してもらう。
これによって、敵の目と手をそちらに引き付けられるし、我々も本隊の統率が取りやすくなる。
そして残りの部隊がローエングラム侯率いる本隊となるが、彼らはこのガルミッシュ要塞を目指して向かってくることになるだろう。
それに対して盟約軍の本隊五万隻はガルミッシュ要塞で、遠征で消耗した敵軍を待ち受ける。
一方で別働隊一万隻程度でオーディンを突き、リッテンハイム大公、リヒテンラーデ公を捕縛し玉璽を確保する。これに動揺した敵本隊、そしてローエングラム侯を盟約軍の本隊が討つ、
という策だった。
ブラウンシュヴァイク公はこの策に興味を持ったが、一方で迷ってもいた。
「なかなか興味深い策だ。しかし……」
ファーレンハイトはすかさず話を続けた。策を通すにはブラウンシュヴァイク公に直接的なメリットを提示することが重要だと彼は理解していた。
「ええ、しかし私の提案ということになると、それだけで反対意見も多くなるでしょう。このため、公の考えた策だということにして頂きたいのです。そうすれば公の声望もますます高まりましょう」
「ほう、しかし卿のメリットは?」
「勿論、ガルミッシュ盟約軍の勝利です。ではありますが、一つお願いがあります」
「何か?」
「私の策では別働隊と本隊を率いる者がそれぞれ必要です。玉璽を確保するのは重要な役目、公にはぜひ別働隊を率いてオーディンに乗り込んで頂きたい。軍事面のサポート役としてシュターデン大将を連れて行かれると良いでしょう。一方で本隊の方は私に任せて頂きたい。私はローエングラム侯と戦いたいのです」
「確かに別働隊は他の者には任せられないが、本隊を卿が?他の者は納得するまい」
「ブラウンシュヴァイク公の抜擢となれば少なくとも表向きは反対されないでしょう。従えないものはゲリラ戦部隊に回せばよいでしょうし。そして何より」
ファーレンハイトはここで言葉を切った。
「公は、公以外の門閥貴族や高位の将官が大功を挙げるのを許容できますか?」
今は公と並ぶ立場の者がいないが、今回戦功を積んで名声を得る人物が現れたなら……
ブラウンシュヴァイク公は、しばし考えた後、ファーレンハイトの提案を受け入れることにした。
ブラウンシュヴァイク公は、貴族達を集め、アンスバッハに「公自らの策」を披露させた。
貴族達の多くも、正規軍の将官も、公がまともな見通しを持っていたことに安堵した。
フレーゲル男爵はゲリラ部隊のリーダーを任され、奮い立っていた。
ランズベルク伯が呑気に尋ねた。
「流石、盟主。このランズベルク伯アルフレッド、感嘆致しました。して、その別働隊には誰が行くのですかな?また、本隊を率いるのはどなたが?盟主おん自らでしょうか?」
「私が別働隊を率いる。これは危険だが最重要の任務。盟主が行うべき役目だ。シュターデン大将にも付いてきてもらおう。そして本隊の指揮だが、実戦経験の豊富なファーレンハイト中将に任せる。諸将はファーレンハイト中将の指揮に従うべし」
これには驚く者が多かったが、盟主自らの指名であり、また他に適任というべき者も少なかったことから、その通りに決まった。
ファーレンハイトは、思惑通りに進んだことに満足していた。
これでもローエングラム侯に勝てる可能性は高くないだろうが、少なくとも同じ土俵で戦うことはできるのだから。
宇宙暦796年/帝国暦487年12月7日、フレーゲル男爵、ヒルデスハイム伯爵らが各地でのゲリラ戦に向けて出発した。
同12月8日、リッテンハイム大公派貴族軍三万隻が国内ブラウンシュヴァイク派領邦の制圧に出撃した。彼らは各地でブラウンシュヴァイク公派のゲリラ部隊と戦いを繰り広げることになった。
同日、ローエングラム侯ラインハルト率いる四万隻がガルミッシュ要塞攻略に向けて出撃した。ラインハルトは途中レンテンベルク要塞を攻略し、その後ガルミッシュ要塞のあるキフォイザー星域に向かった。
同12月9日、グライフス上級大将率いる二万隻がオーディンに向けて出発した。
同日、キルヒアイス宇宙艦隊副司令長官率いる二万隻がオーディンを出発、グライフス上級大将の迎撃を行うことになった。ワーレン中将、ルッツ中将がキルヒアイスの麾下に付いた。
同12月10日ブラウンシュヴァイク公爵、シュターデン大将率いる二万隻が密かにガルミッシュ要塞からオーディンに向けて出発した。
オーディンにはリッテンハイム大公派ラムスドルフ上級大将率いる近衛艦隊一万隻が残っていたが、戦力差からブラウンシュヴァイク、シュターデン両名共に勝利は確実と考えていた。
キフォイザー星域ではファーレンハイト中将率いる五万隻がローエングラム軍を待ち受けていた。そして時機を見てローエングラム軍と会敵した。それは丁度ブラウンシュヴァイク公がオーディン到達するはずの時刻であった。
銀河全域図(帝国内乱推移)
ローエングラム軍の艦隊構成は、
ローエングラム元帥 一万隻
ミッターマイヤー中将 一万隻
ロイエンタール中将 一万隻
ビッテンフェルト中将 九千隻
であった。
一方のガルミッシュ盟約軍側は、
ファーレンハイト中将 一万二千隻
ノルデン中将 一万一千隻
プフェンダー中将 一万一千隻
エルラッハ中将 一万一千隻
であった。
正規軍将校や実戦経験のある貴族に艦隊、分艦隊の取りまとめを任せ、短い準備期間ながら、艦隊としての体裁をなんとか整えることが出来ていた。
双方徐々に距離を詰め始めたが、途中でローエングラム軍が後退を始めた。程なく盟約軍側に報告が入った。
「ブラウンシュヴァイク公、オーディン占領!」
盟約軍の諸将はその報に歓喜し、後退していくローエングラム軍への追撃を始めた。一人制止を呼びかけたのは、オーディン占領の失敗を予想していたファーレンハイト中将のみであった。
「待て、予定では公がオーディンに到着したかどうかというタイミングだ。占領が完了するには早過ぎる。罠かもしれん」
ノルデン中将が反論した。
「そんな事を言っていては逃げられますぞ。現に敵は撤退している。前線の血気盛んな奴らも止まりますまい。むしろ今は勢いに任せるべき時です」
「追撃するなとは言わん。せめて足並みを揃えるべきだ。これは命令だ」
諸将も最終的には総司令官であるファーレンハイト中将の命令を受け入れ、追撃は四艦隊揃って行われたが、最前線では突出する部隊が後を絶たなかった。
そんな中、突如最前線からの連絡が途絶えた。
「イメディング男爵通信途絶!」
「ノームブルク男爵もです!」
盟約軍はローエングラム軍に知らぬ間に半包囲されてしまっていた。
「今までの後退は擬態だったか!」
ファーレンハイトは諸将を落ち着けようとした。
「落ち着け!こちらの方が数は多い。半包囲されたところで突破すればよい。オーディンは陥ちた。これは奴らの最後の足掻きだ」
オーディン占領の報が本当であればだが、と思いつつも、まずは統制を取り戻すのが先だとファーレンハイトは考えていた。
しかし、ここでタイミング悪くさらなる報が入った。
「別働隊、オーディン目前で壊滅!ブラウンシュヴァイク公捕縛!」
「何と!オーディン占拠の報は偽報か?」
「いや、今回の報こそ偽報だろう!」
盟約軍はブラウンシュヴァイク公ありきの軍である。盟主の状況が不明という事態に、盟約軍は混乱状態に陥った。
「落ち着け!目の前の敵に対処せよ。公が囚われたとしても、ここで勝てばお救いすることは可能だ!」
ファーレンハイトの檄に麾下の部隊は落ち着きを取り戻したが、他の艦隊は別であった。
副官のザンデルス少佐が注意を喚起した。
「ノルデン艦隊、ビッテンフェルト艦隊に突破され、なす術がありません。プフェンダー艦隊、エルラッハ艦隊もそれぞれミッターマイヤー艦隊、ロイエンタール艦隊の攻撃を受け、戦線崩壊の危機にあります」
艦の質、兵の練度、指揮官の能力……艦艇数以外のいずれにおいてもローエングラム軍の方が優っており、勢いを失った今となっては抗することは難しかった。とはいえ、プフェンダー、エルラッハの両艦隊がまだ完全な崩壊に至っていないのは、両提督の意地を示すものだっただろう。
ファーレンハイトはノルデン艦隊の援護に回りつつ、全艦隊に呼びかけた。
「もう少しだけ踏ん張るんだ。必ず転機が来る」
30分後、ホフマイスター少将率いる五千隻が現れ、ビッテンフェルト艦隊の側背から襲いかかった。
ファーレンハイトは麾下で信頼するホフマイスター少将に五千隻を預け、事前に潜伏させていたのだ。
予定通りブラウンシュヴァイク公がオーディン占領に成功してローエングラム軍が後退した場合には、その退却経路を遮断する役目を果たすはずであった。逆に彼らがガルミッシュ要塞を意地でも落とそうと前進してくれば、後方から挟撃する役目を与えられていた。現実はそのどちらでもなかったため予定は狂ったが、それでもホフマイスター少将は効果的な役割を果たした。
ビッテンフェルト艦隊は守勢に弱いという欠点を露わにし、大きな損害を被った。その間にノルデン中将は後退を果たした。
ホフマイスター少将の部隊は、援護に出たラインハルト艦隊の攻撃を受けて短時間で壊滅の危機に陥った。
しかし、これによってファーレンハイトとラインハルトの間に細い道が出来た。ファーレンハイトは突撃を指示した。
「これが唯一の勝機だ。ローエングラム侯の首級を取れば、我が軍の勝ちだ」
ファーレンハイトの突撃は迅速を極め、ラインハルトの艦隊は側面を衝かれ、中央突破されるかに見えた。
しかし、ラインハルト艦隊はあえてファーレンハイト艦隊の突破を許し、その後左右で逆進し、ファーレンハイト艦隊の後背を取った。
ファーレンハイトはアルタイル星域でこの戦法を経験していた。
「これはヤン・ウェンリーの戦法ではないか!」
ラインハルトは艦橋で独語した。
「私も学ぶことはある。多少癪だが、有効な戦法なら使わない道理はない」
立ち直ったビッテンフェルトにホフマイスターを任せ、ラインハルトはファーレンハイト艦隊の攻撃に集中した。
ミッターマイヤーも、壊滅寸前のプフェンダー、エルラッハ両艦隊をロイエンタールに任せて迅速な機動でファーレンハイトの進行方向を遮断した。
「ファーレンハイトを倒せば後は烏合の衆。まずは奴を倒せ」
気がつけばファーレンハイトは敵中に孤立していた。
「私に集中してくれるのは光栄の極みだな。だがこれで勝ちの目は消えた。ザンデルス少佐、各艦隊に伝達、各自撤退せよ、行き先は任せる、と」
ザンデルス少佐が伝達を完了するのを見てファーレンハイトは続けた。
「皆すまないが本艦隊は殿を務める。もうひと暴れするぞ」
ホフマイスターを戦死させたビッテンフェルトもファーレンハイトに向かってきた。
「後背のローエングラム、ビッテンフェルトは放っておけ。正面のミッターマイヤー艦隊に突撃せよ」
ファーレンハイト艦隊の突撃は熾烈であったが、ミッターマイヤー艦隊は縦深陣を敷いてこれを受け止めた。ラインハルト艦隊、ビッテンフェルト艦隊はミッターマイヤー艦隊に当てぬよう、ひとまずは攻撃を緩めざるを得なかった。
ファーレンハイト艦隊の突進は強力であったが、巧妙な縦深の中で力を失い、周囲から攻撃されるに任せるしかなくなった。
そんな中、プフェンダー中将戦死の報があった。エルラッハ艦隊を逃がすために盾となったらしい。アイゾールで部下を犠牲にして帰って来たと嘲られていた男だったが、実のところ死に場所を探していたのかもしれない。
残存艦艇数が一千隻を切った頃、ラインハルトより降伏勧告がなされた。
「卿の勇戦に敬意を表す。死なせるには惜しい。幕下に加わる気があるなら、降伏を許すがどうか」
ファーレンハイトは考えた。
十分に戦ったじゃないか。ローエングラム侯は仕えるに値するお方のようだし、この辺で降伏するか。
降伏の意志を伝えようとしたその時、ふいにブラウンシュヴァイク公や盟約軍の諸将の顔が頭に浮かんだ。
ブラウンシュヴァイク公、お世辞にも人格者ではなかったが、約束は守ってくれた。
「後は頼むぞ」と私に言ってオーディンに向かった公の声は、隠し切れない不安からか、かすかに震えていた。
アンスバッハ准将、彼は私に感謝していた。
「あなたのおかげで、勝つにしろ、負けるにしろ、公は無様を晒さずに済みそうだ。公のことは私が何とかするから、卿はローエングラム侯との一戦に集中してくれ」
ノルデン中将、プフェンダー中将、エルラッハ中将、ホフマイスター少将、なんだかんだで私の作戦に付き合ってくれた。
断ち切るには付き合いが深くなり過ぎたか。
よろしい、本懐である。
ファーレンハイトはそう呟いて、ザンデルス少佐に向き直った。
「艦長、退艦の指示を出してくれ。ザンデルス少佐、各艦には降伏するように伝えろ」
「閣下は!?」
「私は残る。一人安穏と降伏するにはしがらみが多過ぎるようだ。この艦でローエングラム侯の艦隊にでも突っ込んでみるさ」
「……一人では操艦は難しいでしょう。私も残りますよ」
結局大半の乗員が残ることになった。
また、降伏の指示にも関わらずファーレンハイトと行動を共にする艦も少なくなかった。
「酔狂な奴らが多いようだ」
人間、悪い面も良い面もある。少なくとも、最後の思い出に悪くない経験ができた、とファーレンハイトはそう思った。
ファーレンハイトはローエングラム侯に回答を送った。
「私自身は降伏を拒否する。最後の一戦に臨ませて頂く。侯も武人ならば、お相手願おう」
ファーレンハイト艦隊の残存艦は旗艦ダルムシュタットを先頭にローエングラム艦隊に向かって最後の突撃を行なった。
彼らは前後より打ち据えられて艦数を減らして行き、ついには満身創痍のダルムシュタット一艦となった。
ダルムシュタットの艦橋は炎に包まれ、幕僚も既に殆どがヴァルハラの門をくぐった。スクリーンにはブリュンヒルトの白い船体が映っていた。
「本懐である」
ファーレンハイトは最後に再びそう呟いた。
キフォイザー星域会戦、結果を見ればローエングラム軍の大勝であったが、ブラウンシュヴァイク派門閥貴族の意地が示された戦いとして、後世に記憶されることとなった。