ヤンの言葉を受けて振り向いたオーベルシュタイン少将はいつにも増して生気が感じられなかった。
「何でしょう、ヤン提督。私も暇ではないのだが」
「オーベルシュタイン少将、あなたは私が襲われた際にラウエ少佐を派遣したが、そのタイミングで情報を知り得ていたならFTL通信で私に連絡し、引き返させることも可能であったはずだ。何故そうしなかったのです?」
オーベルシュタインは淡々と答えた。
「……連合にとって、ヤン提督は味方に引き入れるべき人材だと考えていた。そのためには、ヤン提督が同盟の何者かから襲撃を受け、それを連合が助けるという状況が発生することが望ましかったのです。道徳的には褒められた行動ではないだろうが、連合のことを考えてのことだ。何か問題があるのですか」
唖然とする面々の中でヤンは穏やかに返した。
「それぞれの立場があるでしょうから、私はそれが問題だといいたいわけではありません。ただ、オーベルシュタイン少将が権謀術数に長けた人物だということを皆さんに再確認頂きたかったのです。……話を変えましょう。私の閲覧したアッシュビーに関する機密情報ですが、情報局のトップであるオーベルシュタイン少将であれば知ることのできる情報です。あなたならライアル・アッシュビーも同様に連合の情報を得ている可能性に気づいていたはず。何故今まで指摘しなかったのですか?」
「買い被りです。私は気づかなかった。それだけのことです。第一私はそのような機密文書を見てはいません」
「おかしいですね、音声記録でも画像記録でもなく、文書ですか。私は情報としか言っていなかったのに」
「……三文小説のような真似はやめて欲しい。情報局内の機密情報は複製による漏洩の危険性を減らすため7割がたが紙の文書となっている。文書であることが普通。それだけのことです」
「まあ良いでしょう。ところで私はもう一つ、機密情報を開示してもらっていました」
「……何でしょう」
「私を襲撃した集団の調査記録です」
「その記録がどうかしたのですか?」
「確かに以前あなたから伺ったように、集団のメンバーは憂国騎士団が複数人存在しました。しかし憂国騎士団ではない現役の兵士も相当数いた。むしろ大きな共通点は、彼らの多くがサイオキシン麻薬の常習者であり、さらには判明した限りで殆どが地球教への入信歴を持つということでした」
誰かが呟いた。
「地球教徒!?宗教団体がテロルを行うのか……」
ヤンは話を続けた。
「古来、宗教集団は大きな力を持って来ました。それこそ大規模なテロルを画策し得るほどに。あなたは確実に地球教徒のことを知っていたはずだ。しかしそれを我々に知らせずにいた。私はともかく、司令長官にも、軍務卿にも、だ」
外務卿は険しい顔をした。
「ヤン提督のことは、国家間の国際問題となっていた。正確な情報を出さないのは連合への背信と言われても仕方がない」
オーベルシュタインは無言であった。ヤンは構わず続けた。
「私は同盟の諜報網にフェザーンと地球教が関わっていると疑っています。時間をかけて調査を行えばそれが事実かどうかもわかるでしょう。オーベルシュタイン少将、これは別に裁判ではない。ここまで疑わしい状況が積み重なれば、あなたはクロだと多くの人は判断するでしょう。私は貴方から説明を聞きたいのです」
居並ぶ面々は息を呑んだ。
「多数の地球教徒が潜在的な諜報員となるなら、防諜から漏れる可能性も高いか……」
「まさかオーベルシュタイン少将は……」
オーベルシュタインは少しの沈黙の後、語り始めた。
「はじめに言っておこう。私は地球教徒ではない」
ヤンは頷いた。
「ええ、そうでしょうね。あなたはもっと別のものを人生の目的にしている人だ」
「だが、無関係ではない。私には地球教徒の中に協力者がいる。そこから情報を得ていたのです」
オーベルシュタインは語った。地球教がフェザーン成立を推進したこと。地球教の目的が同盟と帝国の共倒れであり、戦乱の中での地球教の普及と地球の復権、宗教による統治の実現にあること。それをフェザーンによるコントロールで実現しようとしていたことを。
「しかしブルース・アッシュビーという規格外の存在により全てが壊された。アッシュビーによる銀河統一は暗殺により防ぐことができたが、第四勢力、独立諸侯連合が成立してしまったのだ」
誰かが呟いた。
「アッシュビー暗殺も地球教なのか」
オーベルシュタインは続けた。
「その時から地球教にある一派が生まれた。従来のフェザーンによるコントロールを推進する派閥を仮にフェザーン派と呼ぶなら、それは連合派だ。フェザーンに見切りをつけ、連合を同盟・帝国に並ぶ勢力にして戦乱を加速しようという一派だ。私が協力関係を結んでいるのは連合派だ。ヤン提督の暗殺を推進したのはフェザーン派で、私にそのことをリークしたのが連合派だ」
カイザーリング男爵が疑問を呈した。
「ならば、今二代目アッシュビーに協力しているのは?」
「フェザーン及び地球教のフェザーン派です。フェザーンがトリューニヒトとライアル・アッシュビーを動かしている、というのが正しいが」
カイザーリング男爵はさらに尋ねた。
「オーベルシュタイン少将、それでは卿はその動きを看過することでフェザーン派を利しているではないか」
「見極める必要があったのです」
「何?」
「私の目的は連合派を助けることではなく、ゴールデンバウム王朝の滅亡です。それを実現できる覇者を私は探していた。それがライアン・アッシュビーであるならそれでもよかった。そしてここで連合に、あるいはヤン・ウェンリーに討たれるようであれば、所詮帝国を滅ぼすことなど出来ない存在だったということです」
「……」
「語れることは全て語った。ヤン提督、あなたは予想以上に私を驚かせてくれた。あなたにここで阻まれるとは、私がまず器ではなかったということだろう。もはや惜しむべき身でもない、どうとでも処分するといいでしょう」
訪れる沈黙の中、ウォーリックが質問した。
「……確認するが、卿の目的はゴールデンバウム王朝の滅亡だな」
「そうです」
ウォーリックが続けた。
「ならば、連合の目的とは矛盾しないな。連合はゴールデンバウム王朝を主敵としてずっと戦時体制を続けているような国家だ。息切れしないうちに平時の体制に移行しないといけないが、我々を敵視し続けるゴールデンバウム王朝が滅ばない限り、それは無理だ」
オーベルシュタインは無言であった。
「オーベルシュタイン少将に、ゴールデンバウム王朝が滅ぶべく動いてもらうことは、連合の利益になるだろう。同盟による帝国滅亡も考えていたようだが、アッシュビーが敗れれば卿は連合と歩調を合わせるしかなくなるのだろう?」
「私がローエングラム侯に連合を売ることを考えないのか?」
「卿はヤン・ウェンリーにも期待している。ヤン・ウェンリーが連合に属する限り、ローエングラム侯を利することはするまい」
「たしかにそうだが……」
「要するにだ、この緊急事態にオーベルシュタイン少将の才能を活かさないのは惜しい。私の提案はオーベルシュタイン少将にはこのまま頑張ってもらうということだ」
諸提督は動揺を見せた。その中でカイザーリング男爵が口を開いた。
「ウォーリック司令長官代理には伝えていなくて悪かったが、実は会議が始まるより前に統帥本部総長、そしてヤン提督と既に話をしていたのだ。オーベルシュタイン少将、ウォーリック大将の言う通り、卿の能力は貴重だ。このまま情報局を率いてもらいたい」
オーベルシュタインは彼らしくなく逡巡を示した後に答えた。
「……それでいいというのであれば」
会議後、ヤンはウォーリックと出くわした。ウォーリックは行政府に係留されている二隻の艦を眺めていた。それはかつての「バロン」ウォリス・ウォーリックの旗艦「ルーカイラン」とブルース・アッシュビーの旗艦「ハードラック」であった。いずれも記念艦扱いでモスボール処理されたうえで連合の行政府に係留されていた。
ヤンがウォーリックに話しかけた。
「お父上のことを考えていらっしゃったのですか」
「あぁ。親父はな、アッシュビーの話をする時はいつも悔しそうな顔をしていたんだ。俺は二番手でいいんだ、とか言いながら、自分にそう言い聞かせているのが見え見えだったよ」
ウォーリックは懐かしむような顔をした。
「だが、ハードラックを連合に留め置くことを決めたのも、親父だったらしい。いつか連合を橋頭保に帝国に侵攻する日が来る、ハードラックとルーカイランはその証だとかなんとか理屈をつけていたが、きっと何だかんだ言ってアッシュビーのことが忘れたくなかったんだろうな。親父にとってアッシュビーは、永遠に勝てないライバルであり、憧れであり、呪縛だったんだ。その余慶を被って、俺にとってもアッシュビーの名は、憧れであり、勝てないと思わされる名になってしまった。歴史上の存在だからそれでいいと思っていたのだが、まさか戦う羽目になるとはなあ」
困ったと言いたげな顔をしているウォーリックにヤンは助言をした。
「彼はブルース・アッシュビーとは異なる人間です。仮に同じ素質を持っていたとしても彼には2つ足りないものがある」
「何だい?」
「一つは経験、艦隊司令官としては十分以上の手腕を示していますが、全軍の司令官となるとまた違います。彼は複数の艦隊を実戦で指揮した経験がない」
「たしかに」
「もう一つは、信頼できる仲間の存在。ブルース・アッシュビーには730年マフィアがいましたが、ライアル・アッシュビーにはそれがいない。危機に陥った時にそれは大きな差となって表れてくるでしょう。……もう一つありました」
「?」
「ライアル・アッシュビーの味方にはウォーリックがいません」
それを聞いてウォーリックは破顔した。
「なるほど!確かにその通りだ。今回ウォーリックは連合側だ。ウォーリックがいる側が勝つ、「マーチ」ジャスパーに倣ってそんなジンクスを打ち立てるとするか」
次回、決戦