「一体、どういうつもりですか」
澪霞は有体に言って激怒していた。
等級試験は順当に完了した。学科は事前に勉強した甲斐があったし、模擬戦試験に関してもここ一か月の駆による鍛錬のおかげでか、『ハ』になり立てにしては高い戦闘力であることも試験官に太鼓判も押してもらった。
この時点においては僅かながらに浮かれていたと思う。多分、誰に言っても信じないだろうし、当然顔には全く出ていない。
まぁ、それに。
始まる前の彼との約束によるものがないわけでもなかったし、なんでもとか言われてどうするべきだろうかと思考を巡らせていた。生意気な後輩にどんな無茶振りをするのかを考えるのは正直楽しかった。
けれど、そんな思いは胸に包帯を巻いた流斗を見て吹き飛んだ。
「説明を求めます、如何なる理由で白詠の民を襲い、傷つけたのか。理由によっては黙っていられません」
口調は普段と変わらない平坦なトーンで、能面の如き無表情のまま、それでも真紅の瞳だけが爛々と見開かれ、対面する相手に問いただしていた。
「……ふむ」
機械的な追求に対し、しかし欠片も揺らがずに答えたのは――鹿島武だった。執務机に肘を置き、口の前で手を組みながら澪霞の視線を正面から受け止める。
そこは彼の執務室だった。来客に対応するために、武の嗜好以上に高価な調度品が置かれているが、それを気にする者は今この部屋にはいなかった。
視線を合わせる澪霞と武。
澪霞の背後には居心地の悪そうな流斗とバツの悪疎な顔をしたカンナ。そして流斗を襲撃した青年が柔らかい笑みを浮かべながら並んでいた。
流斗のシャツは斬られたので、医務室で貰った長袖の無地のシャツを着ていた。胸の傷は既にほぼ癒えている。
背後の三人のことについて、前の二人が話し合っているわけだが、流斗たちは混じらない。
混じれない、という方が正確だろうが。
一見人形染みた無機質さを有する澪霞と熊か怪獣のような武に割り込める者などそうはいない。
「確かに彼――飛籠遼君を荒谷流斗君に襲撃させ、実力を測るように命じたのは私だ。その意図は」
「新たに発見された『神憑』の実力を確認することの重要性は解っています。それに関しては問うまでもない、ですが聞いた限りのような行いは問題があると思いますが」
「最もだ、あぁ私も同感だ。飛籠君には深手は追わせない、本気にならない、周辺への被害等を押さえる。長光にももしもの場合は止めるように言い含めてあったが、危険はあった」
「ならば何故――」
「君の祖父に意向だ」
「……お爺様?」
「元より君の試験に合わせて、荒谷君の考査も行うことは予定していた。最も最初の時点では君と同じような場を整えた模擬戦のつもりだったのだが……それを御老体に伝えたら」
「祖父が悪乗りしたと」
「私からも止めたのだがね」
武は肩をすくめ、澪霞は表情を変えず、しかし内心怒りの炎が燃えていた。愚痴を吐きだすようなことは好きではないが、文句を言いたい。というか帰ってきたら絶対に言おう。いやまともに文句を言っても受け流される可能性が高いので、夕食から好物を抜いたり、隠している酒を捨ててしまおう。台所の調味料に馬鹿高い日本酒にみりんのラベル張って隠しているのを知っているのだ。
●
「びぇっくしょい!」
「汚いぞ爺さん、王手」
「ぬ、ぬ、スマンの。誰かがこんな老骨の噂でもしているのか。まぁ、よい。それで、台所の調味料に秘蔵に日本酒をみりんのラベル張って隠しておってのう。アレらが帰ってきて結果を聞いたら、その話を肴にして飲むとするかのぅ」
「それはいい話だが、投了しないのか」
「……待った」
「ラス1な」
●
「……解りました、その件については祖父を問い詰めるとします。それで……」
「あぁ、飛籠君」
「はい」
名前を呼ばれた青年――飛籠遼が前に出る。歩みを進め、武の斜め前の位置に立った。澪霞の近くに立つことでより高い身長が強調される。百八十近くはあるだろう。かなりの美形だ。鼻筋は通っているし、細めの目にアンダーフレームの黒眼鏡。街中を歩かせれば多くの女性が振り返るだろう。甘いマスクというのはこのようなことをいうのだろう。
最もそのあたりは澪霞にとってどうでもいいことなのだが。
「飛籠遼です、初めまして白詠澪霞さん」
「……初めまして」
差し出された手を握る。
握った手の平の感覚は固く、潰れた豆もできている。聞きかじった話では槍を使っていたということだが、それだけ鍛錬を重ねているのだろう。感じる握力は強くないが、意識的に抜いているのだろう。
単なる優男ではないらしい。
勿論、握手だけで解るようなものではないが。
手を離し、
「では、飛籠君。報告を」
「はい。技術については甘いですが、耐久力は極めて高いですね。直撃したはずの一撃が薄皮一枚程度しか通りませんでした。反応もよいと思います、僕自身一発入られましたし。
「ジェン? ……中華八卦式?」
『
「えぇ、父が中国出身でしたので。十までは中国、十五までは日本、つい先日までも中国にいました。と、これは関係のない話ですね。長光さん、どうぞ」
話を振られたカンナは朱色の髪を掻きまわし、流斗と澪霞を交互に視線を動かせながら口を開いた。
「あー、まぁいいんじゃないすかね。私も遼と大体同意見すよ。見た感じ反応も悪くなかったし、澪霞と大体同じくらいだと思いますよ。経験と技術不足は否めないっすけど、ロ級はちと弱すぎる」
「ふむ……いいだろう。荒谷流斗君」
「……」
「荒谷君、返事」
返事がなかったから促しながら視線を向ければ、半ば呆けいてたようだが、
「え、あ、はい」
「略式ではあるが現時点より君に『ハ』の等級を与えよう、君がこの国に不利益を与えない限りそれは保障される。いいかね?」
「えっと……先輩?」
「……どうして私に振るの」
「いや、あんまよく解んないし……まぁ、大丈夫です、ありがとうございます」
「うむ」
揚々と武は頷き、流斗も軽い動きで頭を下げる。
この感じはよく理解していない。いきなりハ級を与えられたら普通は飛び上がって驚いてもいいのだが。決して、そう簡単に得られるものではない。澪霞自身だってそれなりの時間を必要とした。
最も、ここで飛び上がって喜ぶような相手に――憧れたわけではない。
少しだけ、気分が良くなった。
「さて、最後の話だ」
武が仕切り直すように口を開いた。
最初の時点から一切動きを変えていない。
正直に言うのならば、澪霞は武と積極的に顔を合わせたいとは思わなかった。悪い人間ではない、寧ろ質実剛健を志とする趣向は好感が持てるし、祖父との繋がりが深いのも知っている。
ただ単に、下手に近づいて、彼に目を付けられたくないだけだ。
自分の立場ではそうなる可能性は低いとしても、自分自身の性質的に零ではないのだ。
だから、なるべく関わりたくない。
白詠の娘としてそうは言ってられないのだが。
「今回飛籠君が出向いたのはただ荒谷君と喧嘩させる為ではない。簡潔に言えば、これから彼は白詠市に於いて、白詠家の庇護下に入ることになる」
「……お爺様はそのことを?」
「既に伝えてある。この話が最初に来たのだからな」
「……」
遼に視線を向けたが、柔らかい笑みで応えられる。
彼がどういう人間であるがは、解らないがまさか津崎駆と雪城沙姫を知らないわけがない。未だに白詠市に滞在し、自分たちに教導行為を行っているなんて知られたら大問題だ。場合によっては戦争になりかねない。
それでも海厳が受け入れたというのなら――考えがあるのだろう。
なかったら次は無駄に集めていた骨董品全てを質屋に入れてやろう。
大して強くもない将棋の待ち時間を稼ぐのにしか使わないのだし。
●
「ぬう……ま」
「待たない。タイムは使い切ったぞ」
「……ものは相談だが、儂は骨董品集めが趣味でな。質屋に持っていけばそこそこの金になるものがある。そうだな、うむ。五万くらいになる皿があるから、それで娘御に何か買ってやれ。それと待った一回交換でどうだ?」
「構わんがこんな暇つぶしの将棋に使っていいのか」
「かかっ。無駄に数だけはあるからのぅ」
●
「解りました、扱いは」
「彼自身は十七であるが、君の白詠高校に一年生として入学してもらう」
「――ダブったのか?」
「君言葉選んで欲しいよ? ……まぁ似たようなものかな」
流斗と遼の以外にも親しげな会話を横に置きつつ、
「それで」
「そのまま彼が高校生活を送るのを手伝ってほしいだけだ」
「……それだけ、ですか」
「そうだ」
「……」
頭痛がしてきた。
意図が読めない。
やはり祖父を問いただす必要がある。
なので原因や意味を考えるのは後にして、
「何時からですか」
「月曜日からだ。既に手続きは済ましてある」
つまり、ここで自分が何を言っても結果は変わらないのだろう。
武が行っているのはあくまでも既に決まっていることを伝えているだけなのだ。
「……解りました。他に私が用意しておくべきことはありますか?」
「これで終わりだ。だが、澪霞君には等級昇格の手続きがあるので残ってほしい。他の三人は最初の喫茶店にでも待っているといい」
●
「すいませんでした」
「あ?」
鹿島武という偉い人の前に出たが、あまり話が理解できずに終わってしまった。
解ったのは自分に澪霞と同じハ級という等級を得たのと、来週から新しい生徒が学校に増えるということだった。
護国課の本部――しかしこれと言って驚くことのなくて退屈だったというのが正直な所。すれ違った人も此方に奇異や好機の視線を向けてきたが近づいてきたのはカンナが適当に流していただけだった。
そうして最初の喫茶店に戻り、遼が真っ先に発したのがその言葉だ。先ほどと同じ席で、澪霞と遼を入れ替えた配置で澪霞が戻るのを待っていた。
それぞれ珈琲やコーラ、ジャスミン茶を飲みながら、
「いえ、そういうことになっていたとはいえ先に手を出したのは僕のほうでしたから。お怪我は大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だよ。ちゃんと処置してもらったし、明日には治ってるだろ」
「それは良かった。改めて名乗ろうか、飛籠遼だよ。一応年上だけど、来週からは同級生だ、気にしないほしい」
「了解、荒谷流斗だ。よろしくな」
「ふむ……君、戦闘時と性格が変わる人かな? さっきは随分と好戦的に感じたけれど」
「そうか? んー」
言われ、珈琲を口に含みながら振り返ってみるが、そんな自覚はない。
「単に切り替えてるだけだよ。いきなり殴りかかられたら、それなりの対応するだけだ。でもそれが単純に上の人間に命令されて、その通りにやったことで、しかもそれは俺のこと計ってたんだろう? まぁ、良い気はしないけど、気にしないっていうのが最終的な感想だ」
「……普通ちょっとは気にすると思うけど、そう言ってもらえると幸いかな」
「そのあたりの普通はこいつらには大体通用しないからなぁ……しっかし、澪霞怒ってたよなぁ」
はぁー、と気が重くなるような溜息と共にカンナが机に突っ伏した。
次第に暗くなっていく窓の外を眺めながら――壊れた窓はどうやってかカンナが一瞬で修復させていた――呟いていた。それの姿、というよりもカンナが口にしたこと自体に遼は眉を顰める。
「怒る、ですか。僕には一貫して無表情にしか見えなかったのですが……」
「まぁあたしだって正直自信ないけど、怒ってたと思う。アイツ自分の街のことかなり気にしてるしな。一時期それがアイツの願いだと思ってたこともあるくらいだし、正直解んないけどさぁ。そのあたりどう思うよ、後輩」
「ん? 怒ってたなあれ、見りゃ解る」
「えっ」
「え?」
微妙に時間が止まった。
「……解るのか?」
「見た限り怒ってたと思うけど、いや、何に怒っていたとかは解らないけど怒ってたのは間違いないぜ? 寧ろ解んなかったのか?」
「解らねぇよ」
「僕には微塵も解りませんねぇ」
「ふぅん……」
そんなものだろうか。
あの人の感情表現が希薄なのは今に始まったことはではないが、此方側の関係者ならば解るかもしれないとは思ったがそういうわけではないらしい。
自分が理解できるのは――あれだけ派手に感情ぶつけ合ったらか。
「あれに比べたら大したことねぇなぁ」
「なんだって?」
「いいや、別に」
「さよけ」
呟きに興味を持たず、カンナはコーラを口の中に流し込み、氷を噛み砕く。
「怒ってるっていうのなら、やっぱ謝っておかねーとなぁ。やだなぁ、アイツ怒らすと怒りが収まったタイミングとか解んないんだよぁ、はぁ……たまたま納品と時期被ったからって気軽に引き受けるんじゃなかったぜ」
「理由軽いなー」
「ま、それだけじゃねーけど」
愁いを帯びた顔で呟くがそれはつまり流斗に聞いていた駆のことだろう。あの感じだと澪霞の方に話を聞いているだろうし。帰ったら彼に話を聞いてみよう。少なくともカンナが探しているということは伝えておくべきだと思うし。
「何はともあれ、来週から学校よろしくな。クラス一緒になるかもしれないし」
「あぁ、よろしく」
「結構変な奴多いけど頑張れよっ」
「いきなり不安になったんだが」
「多分お前と澪霞が筆頭だろ!」
いや、マジで変な奴多いから。
頑張ろう。
多分筆頭なのは間違いない(
感想評価、投票お願いします。