次回からは多分三巻に突入するはず。
彼女は歩く。IS学園の廊下をコツコツと。その表情は曇っていて、少なくとも機嫌が良いとはとても言えない。すれ違う女生徒はそんな彼女に気付かず、談笑をしながら通り過ぎる。
瞬間、その女生徒の姿が消えた。掻き消えるように、ではなく、何かの画像がブレるように、テレビの砂嵐の乱れのように。談笑をしたまま、笑顔のまま、ジグザグに歪んで消え去った。
彼女はそんな女生徒を見向きもしない。周囲の他の生徒達も、そんな出来事などなかったかのように明るく、穏やかな空気を醸し出している。
そのまま、皆消え去るとも知らずに。
「……」
賑やかだった廊下は、次第に静かになっていく。静寂を生み出す頃には、廊下だけでなく、教室からも一切の声も耳にしない。まるで、彼女一人だけになったような、そんな錯覚を覚えるほどで。
否、実際に一人なのだ。この空間のプログラムで動いていた女生徒は、ある都合により全て消え去った。正確には、消し去られた。もうここにいるのは、そうでない存在のみで。
彼女は短く舌打ちをした。自分の視界に一人の少女を見付けたからだ。前髪を切り揃えた銀髪をしたその少女は、自分に向かってゆっくりと歩いてくる。今までのプログラムとは違う一向に消え去る様子のないそれは、真っ直ぐに彼女を見詰めていた。
歩みを止めた。少女も彼女の目の前で立ち止まる。何か用か、そんな言葉でも交わそうかと一瞬だけ頭に浮かび、しかしすぐにそれを打ち消した。用が無いならば立ち止まるはずがない。そんな当たり前に気付いたからだ。
だが同時に、まだ問われていない向こうの質問への答えも同時に頭から追い出した。偽りのない事実だが、それを言ったところで果たして目の前の少女が信じるかと言えば、残念ながら答えは否だ。少なくとも彼女はそう判断した。
「モブを消したのは容量削減か何かか?」
だから、真っ先に問われたものがそれであったことに、彼女は少しだけ意表を突かれた。いきなり核心の質問をするのではなかったのか。そんなことを思いながら、多分、と短く答えた。やったのは自分ではない、オータムだ。そんな言葉が頭を過ぎる。
そうか、と少女は一言だけ述べ、では邪魔したなと踵を返す。その行動が理解し難く、彼女は思わず少女を呼び止めてしまった。何だ、と振り返る少女に向かい、自分への質問はそれだけなのかと逆に問い掛けてしまう。
「そうだが?」
なんてことないようにそう返された彼女は、一瞬だけ呆気に取られた表情を浮かべた。しかしすぐに表情を元に戻すと、ふん、と鼻を鳴らし少女から視線を逸らす。その行動が何か少女の琴線に触れたのか、口を押さえて笑いを堪えるような仕草を取った。
何がおかしい、と再び視線を少女に戻し彼女は怒鳴る。しかし少女は笑みを収める気など無いようで、クスクスと笑いながらだって仕方がないだろうと彼女に述べた。
「その動きが、都合の悪い時の織斑千冬にそっくりだったから」
「……っ!?」
言葉に詰まった。ギリ、と歯を食いしばると、射殺さんばかりに目の前の少女を睨み付けた。だが少女は意に介した様子もなく、その目付きもそっくりだな、と呑気に返す。
毒気を抜かれたように溜息を吐くと、彼女はもう一度ふんと鼻を鳴らした。そっくりなのは当たり前だろう、と少女に述べた。
「私は、あの人の妹だ」
「……だろうな」
そんな少女、クロエの反応を見て。
彼女は――織斑マドカはもう一度面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「さて、では、織斑千冬の妹」
「……エム、だ。『亡国機業』のエム、今の私はそれ以上でも以下でもない」
「そうか。ではエム」
今の状況を説明してもらえるか。そう述べたクロエに対し、エムはすると思うのか、と彼女を睨む。思わんよ、と笑うのを見て、彼女は短く舌打ちをすると付き合いきれんと踵を返した。
クロエはそれを追おうとしない。その背中を暫く眺めて、同じように踵を返し彼女を視界から外した。まあ、元々そんな質問はするつもりもなかったし、答えも期待していなかった。そんなことを考えつつ、校舎から外に出る為の階段を探す。一夏は現在敵と戦闘中、手を出すなと言われてはいるが、しかしその場に向かわない理由にはならない。
何より、女生徒のモブを消してまで何かを企んでいる相手がいるとなれば、尚更。
「……とは、言ったものの」
自身の掌を眺める。クロエのISは自身の生体に埋め込まれた『VTシステム』と連動している特殊機体だ。当然負担も大きく、何よりラウラ・ボーデヴィッヒという植え付けられた仮想人格であったものを一つの個として確立させた今の彼女の体では、本来の性能を発揮出来るのは持って三分が限度。加えて、この電脳空間に無理矢理侵入している都合上、彼女の能力は更に制限されている。
元より、手出しを出来るほど彼女は動けないのだ。
「それでも、口出しくらいはさせてもらう」
外に出る。同時に、空中で閃光が破裂した。スタングレネードの光で何をしているのかをある程度把握したクロエは、通信を開いて一夏の名を呼んだ。どうやら向こうも彼女の姿を確認したらしく、心配ないから見ててくれ、という呑気な返事が返ってくる。
そのあまりにもな返事にやれやれと肩を竦めると、彼女はまったく、と呟いた。
『心配ないじゃないだろう』
ん、と隣を見た。先程別れたはずのエムが、同じようにクロエの方を見て目を見開いている。どうやら向こうも相棒に通信をし、同じような返事が来たらしい。呟きが見事にハモってしまったことに、双方微妙な表情を浮かべた。
「いいのか?」
「そっちこそ」
クロエの問いに、エムの返し。どうやら今の状況は同じらしいということを確認した二人は、そんなことをしている場合ではないと視線を逸らした。
一夏が戦っている状況は概ね把握している。もう一人、ここを創りだした張本人がいるはずだ。それを探し出さんとISのセンサーのみを起動させ、クロエは周囲の状況を探った。
シャルロットの戦っている状況は概ね把握している。彼女を嵌めたこの場にいないオータム。それを探し出さんとISのセンサーのみを起動させ、マドカは周囲の状況を探った。
見付けた、とクロエとエムは同時に叫び、そして同時に同じ方向へと駆け出す。お互い気が付いてはいるが、今はそこを追求しても仕方がない。そう判断し言葉を交わすことなくその場所まで走った。
ワールドパージを行った真犯人、『亡国機業』のオータムは、自分に向かってくる二人を見て怪訝な顔を浮かべる。両方共に自分に向かってくる理由は予測が付いたが、揃って来る理由は思い浮かばなかったからだ。
まあいい、どうせあの小娘も気に入らなかったからな。そんなことを思いながら、彼女はニタリと下卑た笑みを浮かべた。
「オータム!」
「ったく、いきなり名前を叫ぶんじゃねぇよ。おかげでそこのガキに自己紹介出来ねぇじゃねぇか」
「私は構わない。何なら先にこちらから名乗ろうか?」
いらん、とクロエの言葉を一蹴したオータムは、まあいいと彼女からエムに視線を変えた。で、何で仲良くしてんだお前。そう問い掛けると、何を言っていると即答された。
それこそ何を言っているんだ。そんなことを思いながら、オータムは彼女を鼻で笑う。だったらまずはそいつを始末しておけよ。そう言い残すと、二人に背を向けた。
「私はまだやることがあんだよ。そいつの相手は任せたぜ」
「……ちっ」
明らかに不満気な顔で舌打ちをすると、エムはクロエへと向き直った。が、対するクロエは両手を上げると、何をすることもなく降参だと述べる。あまりにもあっさりとしたその行動に一瞬呆気に取られたエムであったが、事情を察しそのまま無言で背を向けた。
「邪魔をするなよ」
「したくても出来ん」
あくまで不遜なその態度に、どこか自身の姉が透けて見えた気がして、エムは忌々しげに鼻を鳴らした。
やっと目が慣れてきた。白一色から色が戻った視界の中で、一夏は目の前で銃を構えるデゼールを確認する。うお、と慌ててスラスターを吹かすと、数瞬前まで自分のいた場所に弾丸が叩き込まれた。
「流石の狙い、ってか」
「避けられてたら意味ないけどね」
銃口を一夏に向け、引き金を引く。弾幕が一瞬にして形成され、まだ視覚が本調子でない一夏に高度な回避を要求させた。ハイパーセンサーも完全に復旧していないこの状況で被弾を防ぐ手段はほぼ無いに等しい。
が、それでも一夏は銃弾の嵐を掻い潜る。数発かするものの、直撃は決してさせない。
「と、っとと」
「まったく……敵に回すとここまで厄介だとはね、一夏の勘は」
思わずそんな言葉が漏れた。幸いにして一夏には聞かれていないが、デゼール自身もそんな失言をしてしまったことに気付かない。お互い、戦い方が分かっているからこそ戦いにくい、という状況で、余裕を徐々に失っていた。
このまま均衡を保ち続ける。そう思われた矢先である。一夏の『白式』が急に失速した。何だ、と動揺した彼へと銃弾が叩き込まれ、あっけないくらい容易く撃墜され地面に落ちていく。デゼール自身も何が起きたのか分かっておらず、怪訝な表情を浮かべたまま落下した一夏に近付いていった。
「何だってんだ? エネルギーが急に切れたぞ」
重たげに四肢を動かす一夏がそうぼやくの聞いて、彼女はああ成程と理解する。彼は分かっていなかったのだ。電脳空間と現実との違いを。
織斑一夏、とデゼールは声を掛ける。何だよ、と緩慢にではあるが武器を構えた彼に向かい、彼女は苦笑しながら君の負けだ、と続けた。
「ここは電脳空間、それも君は引きずり込まれた身だ。通常と同じようにISなんか使えないんだよ」
「……マジかよ」
「その現状が何よりの証拠さ。残念ながら私はそういう準備を整えてここにいるからね、通常と同じように使用出来る」
銃口を額へと向ける。これで引き金を引けば『絶対防御』が発動、ISのシールドエネルギーがゼロを大幅に下回れば暴力から身を守る術は無くなり、彼の命もそこまでとなる。
無論一夏もそれは重々承知だ。だが、このままではどうにもならないことも同時に理解していた。足掻く手段も、この状況では見付からない。コンソールを眺めたところで、起死回生の手は表れない。
「人生を諦める準備は出来た?」
「出来ないに決まってんだろ」
だろうね、とデゼールは苦笑する。だが、銃口はしっかりと額に向いたまま。
ばん、とどこか悪戯でもするかのように彼女は呟き、引き金を引いた。きっちり三発銃弾は頭部に叩き込まれ、ISのエネルギーはマイナスの数値を表示させる。彼の纏っていた白い機体は光の粒子と共に消え去った。制服姿に戻った一夏はすぐさま足に力を込めるが、しかしそれを使う機会を目の前の相手は与えてくれそうになかった。
『おいデゼール、何でとっとと始末しねぇ!?』
どこからか聞こえてくる声。一夏も聞き覚えのあるその声は、クラス代表戦で生徒にゴーレムを使用させ、無人機で彼を襲撃した相手。先程デゼールを嵌めた相手。
彼女が短く舌打ちするのを、一夏は見逃さなかった。
「もう死に体だよ。チェックメイトは済んでる。焦ることはないさ」
『はぁ!? んなこと言って、本当は逃がそうとか考えてんじゃねぇのか?』
「まさか」
『生憎と、そのまさかを懸念してんだよ。だから――』
言葉と同時に上空から数体のISが降ってくる。一夏も見覚えのあるそれは、異形の無人機、ゴーレム。それぞれバリエーションを変えた武装を装備したそれは、デゼールごと一夏を取り囲むように銃口を向けた。
「何のつもり?」
『私が代わりに始末してやるってんだ。はっは、優しいだろ?』
あからさまな嫌悪の表情を浮かべ、デゼールはああそう、と吐き捨てるように述べた。構えていた銃を下ろすと、それを収納して一夏に背を向ける。やるなら好きにすればいい、そう続けると取り囲んでいるゴーレムを押し退けた。
『さて、どっかで見たような構図になったなぁ、ガキ!』
楽しそうにオータムが笑う。そんな笑い声を聞いて、一夏は奥歯を噛み締めながら思い切り目の前のゴーレムを睨み付けた。だが、彼女にはそんな彼の行動も余計に笑いを誘うものでしかない。笑い声を更に大きくさせて、あまり笑わせるなと述べた。
「なら、もう少し笑わせてやろう」
一夏を取り囲んでいるゴーレムの一体が吹き飛んだ。何だ、と一夏がそこに視線を向けると、ISの左腕だけを展開させたクロエが、銃を構えてそこに立っていた。目が合うと彼女は薄く笑い、いいから早くそこから抜け出せ、と叫ぶ。
「部分展開でも限界なんだ。次はないぞ」
「っ、分かった!」
言うが早いか、クロエの作り出した隙間へと一夏は駆ける。別のゴーレムが腕を振り上げたが、それが届く前にクロエの一射二撃で崩れ落ちた。
包囲を抜ける。だが、ゴーレムはすぐさま反転し、未だ射程距離にいる一夏を消し飛ばさんとその銃口を向けた。放たれるビームは生身で躱すにはいささか太く早過ぎる。
ドン、と音がした。ゴーレムの頭部が爆散し、そのまま糸の切れた人形のように倒れ伏す。クロエの攻撃とは違うそれに一瞬だけ思考が脱線したが、すぐさま元に戻すと一夏は足に力を込めた。
そんな彼を守るように、橙の機体が横に立つ。
『デゼール……。テメェ!』
オータムの怒号が聞こえた。一夏は何となく現在の状況がどうなっているのかを理解したが、それを考えるのは後回しにした。今はクロエと合流するのが先決だ。
一夏が通り過ぎたのを確認したデゼールは、先程放った左手にマウントされている大口径ライフルをゆっくりと別の方向へ向けながら笑う。楽しそうに、どこか自嘲するように。ごめんオータム、と彼女は笑う。
「手元が狂った」
ふざけるな、とオータムは叫ぶ。そんなあからさまな嘘で騙せると思っているのか、そんなことを続けながら、ゴーレムの標的を一夏から、デゼールと一夏の二人に変える。
『大体、エム! テメェ何やってんだ! そいつ始末しろって言ったよなぁ!』
「……ああ、そうだな」
『そうだな、じゃねぇ! 何だお前ら、二人揃って裏切るってのか!?』
オータムの怒号に、エムはそんなはずないだろうと肩を竦めた。姿を隠している彼女に向かい、どこか馬鹿にするような口調で言葉を続ける。
そもそも、織斑一夏と仲間の始末は、そっちの任務だろう、と。
「私達は電脳空間の行動テストでここにいる。あくまでボランティアのサポートなんだが? そこまで顎で使われる謂れはない」
『あぁ? そんな言い分が通用するとでも』
「するさ。だってそうだろう? 私とデゼールがここにいるのは、『全くの偶然』だからな」
言葉に詰まる。本来のテスト空間を無理矢理ここへと変更したのは他でもないオータムだ。だから、もし『上』に責任を問われる場合、二人は免罪される可能性が高い。こちらがそんな事実はない、と主張したところで、恐らく真実を知っているであろう向こう相手では無意味だからだ。
ちっ、とオータムは舌打ちをする。だったらもう邪魔だ、どこかに隠れてろ。そう言い捨てると、倒れたゴーレムを消去、再展開し一夏へと向かわせた。少々予定は狂ったが、どのみち目の前の相手は既に死に体。こちらは電脳空間を作り出している機体の効果でゴーレムのデータをいくらでも呼び出せる。勝ちは揺るがない。
刹那、一体のゴーレムが真一文字に切り裂かれた。左右に別れ崩れ落ちる機体を見て、オータムは、は? と間抜けな声を上げる。が、その犯人を認識したのと同時、先程よりも強烈な怒りをその相手へとぶつけた。
蒼いISを展開し、右手にマウントされた大型近接ブレードを振り切っているエムへ。
『嘗めてんのかテメェ! 何だ? お前も手元が狂ったとか言い出す気か!?』
「ああ、手元が狂った」
『……ああ、そうかよ。一緒に始末して欲しいんだな?』
静かな声でそう述べると、行け、とゴーレムをエムに向かわせた。一夏を狙っている機体は一体もいなくなり、隙だらけになった空間を彼は悠々と駆け抜ける。
クロエのいる場所まで辿り着いた一夏は、もう一体のゴーレムを真横に切り裂いたエムへと視線を向けた。悪い、助かった。素直にそう礼を言うと、ふん、と彼女に鼻で笑われる。
「未熟者は未熟者らしく、もう少し考えて行動するんだな」
「何だよ、人が素直に感謝したのに」
「私はお前の敵だぞ、そんな素直な発想すること自体が間違いだ」
まったく、とエムが肩を竦めるのと同時、別のゴーレム一体が頭を撃ち抜かれて爆散した。何してるんだよ、と呆れ気味でゴーレムを撃ち抜いた人物、デゼールが彼女の隣に立つ。だが、その言葉と裏腹に表情は笑顔であった。
「ああ、織斑一夏。んー、そうだね。『別に君を助けたわけじゃないからね』」
「ツンデレか」
一夏のツッコミにデゼールはあははと笑う。まあ実際君を助けたのはついでだよ、と笑いながらそう続けると、彼女は残っているゴーレムへと銃弾を叩き込んだ。あっという間にゴーレムは殲滅され、しかしまるでゲームの敵キャラのように次々と新しいものが生まれてくる。枯れることのないそのサイクルに、一夏は大丈夫なのかと声を上げた。
その言葉を鼻で笑うと、エムは誰に物を言っていると振り向いた。
「お前は、黙って私の強さを讃えていればいい」
「何だよそれ……って、ん?」
ふん、と不敵に笑うエムの顔を見て、一夏は目を見開いた。よく確認していなかったが、ヘルムを装備していない今は彼女の顔がよく見える。見覚えのある目付き、見覚えのある黒髪。そして、見覚えのあるあの表情。
「千冬姉? あ、いや、にしては小さい」
「おい今どこ見て言ったか素直に答えろ」
ISを装備したままの腕で、一夏の頭を鷲掴んだ。そのまま一メートルほど掲げると、その手を離し地面に落とす。受け身の取れなかった一夏は背中を盛大に地面に打ち付け、声にならない悲鳴を上げながら悶絶した。ちなみに彼はどこを見て言ったのか答えていない。
ふん、と鼻を鳴らすと、デゼール、と声を掛けた。どうしたの、と振り向いた彼女に向かい、やる気をなくしたと短く告げる。大体の事情を盗み聞いていたデゼールは、特に何か言うことなく頷いた。
それならしょうがないね。そう言うと、一夏に向かって何かを投げ付けた。
「……これは?」
「あ、うっかり予備に持って来たエネルギーパックを投げちゃった。これをもし『白式』に使われたら、ISが再び展開出来ちゃうなぁ」
あからさまな棒読みでそう言うと、じゃあ行こうかとエムに向き直った。そうだな、と同意したエムは、未だ残っているゴーレムを無視して踵を返す。二人共に武器を収納し、どうやら本気で戦闘を終了する気なのだということが見て取れた。
『逃すと思ってんのかよ』
「思ってるさ。オータム、お前はそこの馬鹿の始末が最優先だろうからな」
『……今日はよく逆らうじゃねぇか。やっぱりあれか? 身内がいると張り切っちまうのか?』
あからさまなその挑発を、エムは特に意に返すことなくまあ似たようなものだと軽く流した。実際はそれよりもっと単純な理由だがな、とどこか煽るように言葉を続けた。
「今日の私は、好きに動いていいと言われているんだよ。『父さん』に」
息を呑む音が聞こえた。忌々しげに舌打ちをする音が聞こえた。暫く無言の状態が続いた。
ああ、そうかよ。吐き出すように紡がれたオータムの言葉を聞いて、エムは口角を上げた。理解してくれたようで何よりだ。そう言うと、デゼールと共にここから離脱するためにスラスターを吹かす。
話についていけてない一夏は、エネルギーパックで『白式』を回復させながらなんのこっちゃと首を傾げた。まあ、向こうの組織の内情か何かだろう。少しだけ悩んだ末に、そう結論付けて気にするのをやめた。
ちらりと隣を見る。クロエは先程からエムとデゼールを眺めたまま喋らない。どうしたんだ、と彼が尋ねると、少し気になることがあっただけだと返された。
「何かあんのか、あの二人に」
「……いや、何。そこで喚いている三流とは少し毛並みが違うな、と思っただけだ」
「違いねぇや」
そう言って一夏は笑う。聞こえていたのか、既に空に上がり始めていたエムとデゼールが吹き出すのが二人の視界に映った。
「よし、回復完了。行くぜ!」
二人の姿が見えなくなったのと同時、一夏は再び『白式』を展開させた。コンソールを確認し、先程デゼールに言われたことを反芻する。ここでは普段と同じようには動けない。それを頭に叩き込んで、よし、と『雷轟』のビームガンを構えた。
動きを細かく、一挙一動を正確に。そう頭の中で呟きながら、ゴーレムへとスラスターを吹かす。普段のように数でダメージを与えるのではなく、相手の中枢に狙いを絞り彼は右手の引き金を引いた。
「――んあ?」
天井が見える。ぼんやりとした視界でそれがどうやら学生寮の自分の部屋だと気付いた一夏は、ゆっくりとその体を起こした。服装は昨日眠った時のままであり、制服姿などではない。視線を動かすと片付けていないゲーム機が視界に入り、ああそういえばそうだった、と何かを思い出すように頷く。
「夢? にしては、リアルだったような」
最後はどうなったかも既におぼろげで、ましてや途中の出来事などほとんど思い出せない。ただ、やけに疲れた、ということだけははっきりと覚えていた。
ベッドから出て、洗面所へと向かう。顔を洗い意識がはっきりしてきた一夏は、右頬がうっすらと赤くなっているのに気付いた。何かに叩かれたようなその跡を見て、寝相でも悪かったかと首を傾げる。特に記憶は無いものの、実際、背中とこめかみが少し痛むので無茶な体勢で寝て寝違えたのだろうと彼は結論付けた。
洗面所から戻ると、昨日から使われていないベッドが目に入る。そういえばシャルルはいないんだっけか。そんなことを思いながら、とりあえず朝食だと部屋を出た。
食堂へと向かう途中、いつもの面々と顔を合わせ、大所帯で廊下を歩く。彼にとっては既にいつもの光景のはずなのだが、何故だか無性に嬉しかった。帰ってきたんだ、と無意識の内に呟いていた。
「ん? 何アンタ昨日どっか抜け出したわけ?」
「そういえば、昨日は一夏さんは一人部屋状態だったのでしたわね」
「……夜遊び、してたの?」
「お~、おりむー不良~」
女性陣の反応に一夏はいや違うと首を横に振る。昨日変な夢を見たから、多分そのせいだ。そう続けると、自分でもよく分からないとばかりに頬を掻いた。その姿に嘘偽りはなく、鈴音もセシリアも簪も本音もそうか、と話を流した。
流さなかったのは、先程言葉を発しなかった彼の幼馴染。
「変な夢とは、どんな夢だったのだ?」
「そこ聞くのかよ。いや、もう覚えてないんだよなぁ」
確か学園で授業を受けていた気はするんだが。と話す一夏の言葉を聞いて、それのどこが変な夢なんだと一行は首を傾げた。だからよく覚えてないって言ってるだろう、と少し不満気に言い放つと、もういいから行こうぜと皆の歩みを進ませた。
「一人だからとゲームを夜中までやっているからそんなことになるのだ。まったく、不健康だぞ一夏」
「いや勝手に人の生活予想してダメ出しするのやめてくれませんかね。その通りだけど」
「駄目じゃん」
「駄目ですわね」
「駄目、だね……」
「駄目だな~」
「集中攻撃!?」
「加えて言わせてもらえば、やったゲームはギャルゲーだな?」
「エスパー!?」
「あー……」
「ぎゃ、ぎゃるげぇ!?」
「へぇ……」
「男の子だもんね~」
「やめて! ホントやめて!」
朝っぱらから見目麗しい女性陣の前でギャルゲーをプレイしたことを暴露する羽目になる男子高校生の図。傍から見るとアホらしい光景ではあるが、当事者からすれば地獄絵図である。無論一夏も例外ではなく、まだ一日が始まったばかりだというのに、もう既に彼の心は大分磨り減っていた。
と、先程から会話に参加しない一人に気が付いた一夏は、どうしたんだと彼女に声を掛けた。掛けられた少女、ラウラは、ああいや何でもないと手を眼前でパタパタと振る。
「私も、少し夢見が悪く……いや、悪いわけではなかったか」
「どっちだよ」
「そう言われてもな……私もお前と同じで、よく覚えていないのだ」
ただ、どこかお前の見た夢と共通している部分があるような気がした。そう言いつつ、なぜそう思ったのか分からないと彼女は首を傾げる。まあ些細な事だろうと話を締め、とりあえず今は朝食だと先程の一夏と同じようなことを述べた。別段反対する理由もないので、一行はそのまま食堂への歩みを進める。
そうこうしている内に食堂に辿り着く。皆思い思いのメニューを選び、大きなテーブルに揃うといただきますと手を合わせた。
「ああ、そうだ織斑一夏」
黒パンを齧りながらラウラが問い掛ける。どうした、と焼き鮭の皮をご飯に乗せていた一夏が返すと、気になっていたことがあったと彼女は続けた。
「もう一人の名前、クロエというのは、いつ決めたのだ?」
「へ? えーっと確かあれは……」
昨日の、夢の中だ。そう言いかけて彼は口を噤んだ。おかしい、と首を傾げ、しかし心当たりはそこしかないのでますます混乱してしまう。そんな一夏の様子を見て、一体どうしたと他の面々も彼に視線を向けた。
「いや、だから、そのだな」
「何? 言えない理由でもあんの?」
鈴音が味噌汁を飲み干しながらそう尋ねると、一夏は別にそんなことはない、と返す。返すが、しかしでは言うのかといえば。
怪しい、と本音はトーストを口に咥えながら彼を見た。まあ確かに、とホットミルクに口を付けつつ簪も同意する。
「別に怪しくないっての。ただ、ちょっと、そのだな」
「……成程。皆まで言うな一夏、そうか、そういうことか」
「わ、分かったんですの箒さん?」
焼き鮭をご飯に乗せ鮭茶漬けにした箒が何かを納得したように頷き、スクランブルエッグをつついていたセシリアがそれに乗っかる。ああ、と少しもったいぶった箒は、つまりはこういうことだと一夏に指を突き付けた。
「貴様、昨日夜中にもう一人のラウラ――じゃない、クロエか、と同衾していたな?」
「さ、昨夜はお楽しみでしたの!?」
「ちょ!?」
事実無根な濡れ衣を着せられた少年はあまりの出来事に言葉を失う。だが、この場でそれは致命的だと言わざるをえない。本音と簪は若干顔を赤くし、どこか気まずそうに彼から視線を外し、鈴音は顔を真っ赤にしながら何をやってるんだと怒鳴る。この行動で妄想は現実と相成った。もはや言い逃れは出来ない、そんな空気がテーブルに立ち込める。
「何だお前、ああいうのが好みか」
「違うわ! 俺はでかい胸が好きなんだよ!」
「うん、この場で言う否定の言葉としては割と最悪な部類よそれ」
次々と墓穴を掘っていく織斑一夏少年は、結局言い出した張本人である箒がこいつがそんなことをするはずがないという言葉を発するまで、ただひたすらにいじられ続けるのであった。
シャルロット仲間フラグ、ちゃんと立っているのだろうかこれ……。