ISDOO   作:負け狐

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一応新章突入、になるのかな?

ちなみに、三巻の話はほとんど関係ありません、あしからず。


No29 「クロエ・クロニクルだ」

「やれやれ」

 

 生徒指導室から出てきた箒がそんなことを呟きながら溜息を吐く。それを外で待っていた一夏が眺め、同じように呟くと肩を竦めた。

 それで、どうだったんだ。そう彼が尋ねると、まあ大体予想通りだと彼女は返した。

 

「こってり絞られた」

「当たり前だ」

 

 来賓がいる前で流血沙汰である。やむを得ない事情があったとはいえ、流石に学園側としても何らかの対処をせざるを得ないのだ。他にもっといい方法はなかったのかだの、もう少し考えて行動しろだの、大体予想しうる説教を延々と箒は聞かされる羽目になっていたのだった。

 

「まったく。あれの何がいかんと言うのだ」

「少なくとも良くはないだろ。千冬姉の話だとあの時束さん目のハイライト消えてたらしいぞ」

「姉さんは心配症だからな」

「いや、お前のその返しはおかしい」

 

 普通大事な妹が袈裟斬りにされたら誰だって取り乱す。そうは思うのだが、しかしよくよく考えると束は普通にカテゴライズしていいのか分からないので、一夏はそう述べたものの少し考えるように視線を落とした。

 とりあえず教室に戻ろう。そんな箒の提案に頷き、二人は揃って廊下を歩く。私の入院している間に何があったのか、という彼女の質問に大体変わらず騒がしかったなどと答えながら、まあでも、と一夏は視線を隣に向けた。

 

「お前がいないと、やっぱり締まらなかったかな」

「ん? そうなのか?」

「まあな。こう、なんて言うんだろうな。他の面々だけだと締まりが悪いというか」

「そこで何故唐突に下ネタなのだお前は」

「何でだよ! 普通の会話だろうが! 脳内淫乱ピンク色か!」

「失礼な。私のどこが淫乱だと言うんだ」

「テメェの胸に聞いてみろ!」

「胸?」

 

 視線を下に落とす。足元が見えないほどたわわに実ったそれは、彼女のコンプレックスでもあり、強烈な女性の象徴でもあった。しばし眺め再び視線を一夏に向けた箒は、目を細めると睨むように彼を見詰める。

 

「スケベ」

「理不尽にも程がある!?」

「揉みたい、とか鷲掴みたい、とか想像しただろう」

「んなもん男なら大体は思うわ! じゃなくて!」

 

 大体そういう会話じゃないだろ、と溜息を吐きながら一夏は視線を明後日の方向に向けた。これ以上彼女と面と向かって話していると廊下でする会話のボーダーラインを超えかねない。そう判断しての行動である。

 

「何だ、揉まんのか?」

「揉ま…………んぞ、うん」

「そこで迷うな。廊下だぞ。時と場合を考えろ」

 

 まったく、と肩を竦める箒に思わず向き直った一夏は、どこか理不尽な思いを抱えながら再び溜息を吐いた。何で俺が悪者になってんだよ、という呟きは風に消えた。

 そんな辺りで彼等の教室の入口が見えてくる。何だか久しぶりに見る気がするな、という箒の言葉にまあなと返し、彼は一足先に扉に手を掛けた。そのままガラリとドアを開き、連れて返ってきたぞと中にいる面々に声を掛ける。

 

「あら、ようやくお出ましですわね」

 

 真っ先に返事をしたのはセシリア。微笑を浮かべながら、元気になってよかった、と続ける。まあ、病室でも十分アレでしたけど、という言葉は既のところで飲み込んだ。

 そんな彼女を皮切りに、クラスの皆が次々と声を掛けてくる。見舞いに行けなかった者は久々に見る彼女の顔に安堵し、見舞いに来ていた者はようやくこの場所で顔を合わせたことを喜んだ。ナギと癒子は前者、本音は後者である。

 そして。

 

「済まなかったな」

「ラウラ。そっちこそ、もう大丈夫なのか?」

「私は別段負傷したわけではないからな」

 

 そこまで言うと、ラウラは笑みを浮かべた。そうか、と箒も同じように笑みを浮かべる。

 その笑みを潜めると、ラウラはただ、と少し困ったような表情へとその顔を変えた。大体に予想がついたものの、箒は彼女の次の言葉を黙って待つ。

 

「もう一人の方が、少しな」

「上手く行っていないのか」

「あー、いや……そういうわけではないのだが」

 

 どうしたものか、とラウラは頭を掻く。言っていいものか悪いものか、そんな迷いが傍からでも見て取れた。普段彼女があまりそういう姿を見せないということも拍車をかけ、このまま話を聞いてもいいのかと少しだけ箒は迷う。

 どうやら予想と少し違ったようだ。とりあえず自分の中でそう結論付け、彼女は話題を変えることにした。ところで、デュノアの姿が見えないが、と。

 

「今日明日は休みだ。デュノア社への定期報告だとか言っていたぞ」

「ああ、成程。お抱えのテストパイロットだったな」

 

 思い出すように手を叩き、そしてふとタッグトーナメントの光景を思い出した箒は、少しだけ考え込むように視線を泳がせた。いや、しかしな、と呟く姿は先程のラウラを思い出させる。

 先程とは逆の立場になったラウラがどうしたのかと問い掛けようとした矢先、ポンと肩に手が置かれた。視線を向けると何だか生暖かい目で箒を見る一夏の姿が。

 

「シャルルの機体盛大にぶっ壊したから文句言われないかって悩んでるだけだぞあれ」

「……そうか」

 

 それは、平和だな。思わずそんな言葉が頭に浮かんだが、本人は真剣に悩んでいるようなので彼女はそれを口に出すのをやめた。

 

 

 

 

 箒が復帰したのは確かに生徒にとっては一大イベントだったかもしれないが、学園全体からすれば些細な出来事である。当然授業は普通に進むし、彼女に何か特別待遇があるわけでもなし。

 休んでいた間のノートを借りて悪戦苦闘する姿は極々普通の高校生であり、そこに何か含むところは何も無い。放課後、カフェテリアスペースで集まりワイワイと騒ぐのはある意味女子高生らしく、そこに何も変わったことなど無いのだ。

 

「えー……」

「あー、うん。気持ちはよく分かるわ」

 

 その極々普通の光景の一員である更識簪は、自分の目の前にあるオレンジジュースをストローで啜りながら世の無常を嘆いた。その隣では困ったような笑みを浮かべて頬を掻く鈴音の姿も見える。

 目の前では喧々囂々と騒ぎながらノートが宙を舞うという光景が繰り広げられ、そのノートを奪い取らんと天高く跳び上がっているのは篠ノ之箒と織斑一夏の二人である。二人の眼下ではセシリアとラウラが我関せずとカフェオレを飲んでいた。

 ちなみにノートは簪のものである。

 

「何で……私が……こんな目、に」

「うん……ごめん。あの二人の昔馴染みとして代わりに謝っておくわ」

 

 というかあの二人止めろよ。そんなことを思いながら鈴音はギロリと傍観者を貫いている英国女子とドイツ軍人を睨んだが、二人揃って意味ありげな笑みを浮かべると、彼女に向かってサムズアップを向けた。まだ同級生になって一年も経たない間柄であるが、しかしそれだけで大体分かってしまう程度の濃さの付き合いは行っている。だから、鈴音には二人の意図がよく分かる。

 任せた。

 

「任せんなぁぁぁぁ!」

「ど、どうした、の!?」

 

 いきなり叫びだした鈴音にビクリと反応した簪であったが、視線を周囲に向けておおよそのことは理解した。そっと彼女の肩に手を置くと、うんうんと頷く。

 二人が謎の友情を育んでいる間に隣の席へと移動していたセシリアとラウラは、視線を空へと向けながらそれでどうすると二人に問うた。その言葉に現実へと引き戻された鈴音と簪は、しかしどうするといわれてもと頬を掻く。

 

「大体、何でノートを写すだけの簡単な作業がああなるのよ」

「……全ては、一夏さんの頭が悪いのですわ」

「セシリア……その言い回しだと、織斑くんの頭が悪い、みたい……」

「いや、だからあいつの頭が悪いのが原因なのだ」

「……あ、そう、なんだ……」

 

 言い方がどうという話ではなく、そのものズバリであったようだ。そのことを察した簪は何とも言えない表情で一夏を眺める。まあでも確かにそんな感じだと一人納得すると再びオレンジジュースに口を付けた。

 今にもISを展開しそうな戦いを繰り広げている二人だが、要はどちらも簪のノートが欲しいだけなのである。箒は休んでいた間の授業の為に、そして一夏は自身の成績の為に。

 

「何でだよ! 俺だって見てもいいだろうが!」

「これは私が借りたものだ。お前に見せる理由などない!」

「どういう理屈だ! このケチ!」

「ケチで結構。質素倹約は堅実に繋がる」

「はぁ!? そんなおっぱいしてて何が質素だ、笑わせんな!」

「ノートの次は私の胸か。どこまでも欲望に忠実だな一夏」

「そんなこと一言も言ってねぇだろ。おっぱい揉むぞこんちくしょー!」

「天下の往来で痴漢宣言か。堕ちたな、一夏」

「そうさせたのは他の誰でもない、お前だ、箒」

 

 最早語る口はない。全ては、相手を打ち倒すその刃で決めろ。そうお互いに示し合わせるかのようにゆっくりと地に降り立つ。ノートは未だ宙を舞っているが、すぐに机に落ちるだろう。

 その時が、動く時。

 

「一夏ぁぁぁぁ!」

「箒ぃぃぃぃ!」

 

 お互いに手刀を作り、それを居合のごとく相手の首筋へと打ち込むため全力で地を踏みしめる。速度、威力、共に互角。

 勝負を決めるのは、思いの強さ。

 

「……え? 何これ?」

「鈴さんがついていけないのにわたくし達が分かるはずないではないですか」

「これが、日本の決闘、というやつか」

「……私の、ノート……」

 

 尚、この三十秒後に現れた織斑千冬教諭の手により、二人はあっさりと昏倒させられた。

 

 

 

 

 

 

「いっつー。コブ出来てんぞこれ」

 

 シャルルが不在なため現在一人部屋同然となっている寮の部屋で、一夏は頭をさすりながらぼやいた。あんな暴力振るってたらお嫁にいけないだろう、と本人がいないのをいいことに好き勝手言いつつ、彼はゴロリとベッドで横になる。

 暇だ、と一夏は思った。同室に誰かがいるというのは良くも悪くも何かしらの出来事を生み出してくれる。それがない今現在は自分から出来事を探しに行かなくてはいけない。

 そんな大袈裟な思考回路に陥っているものの、要は話し相手がいなくて退屈だというだけであった。どこまでも子供である。

 

「いや、待てよ」

 

 ガバリと起き上がる。一人でしかやれないようなこと、それを行うチャンスなのではないか。そう思い直したのだ。

 そうと決まれば話は早い。クローゼットに入れっぱなしになっている鞄を開けるとそこから一つの機械を取り出した。若者ならば大抵は名称を答えることが出来るであろうそれは、ゲーム機であった。部屋にあるモニターに接続し、電源を入れると一緒に取り出していたソフトをセットする。

 

「インフィニット・フォーチュン……の男性向け版。買ったはいいがまだやってなかったんだよなぁ」

 

 流石に人がいる前でこの手のゲームをやるほど勇者じゃないし。そう呟いているものの、彼は既に千冬や箒と共に女性向け恋愛シミュレーションをプレイするという勇者を超越した行為を行っている。

 ちなみにその時のゲームが現在彼が起動しているものの前作、『インフィニット・フォーチュン(女性向け)』である。

 

「あん時のやつの続編っぽい感じだったんでつい買ったんだが、まさかギャルゲーとはなぁ」

 

 男性向け恋愛シミュレーションゲームと銘打ってあるものを買って何がまさかなのかは分からないが、ともあれ一夏はどうにもタイミングが掴めず今までそれをプレイする事が出来なかった。今日明日は千載一遇のチャンスであり、今やらずしていつやるのか、と思わず彼の中で闘志が滾るほどである。

 

「さて、と。まず主人公の名前は――まあ面倒だし『イチカ』でいいか」

 

 ボタンをポチポチと押す度にテキストが進み、画面の向こう側の少女たちが一喜一憂する。主人公の名前を読み上げてくれるシステムのおかげで、フルボイスのヒロインが彼の名前を愛おしく読み上げた。

 とりあえず一周クリアした一夏は、少しだけ気まずそうに頬を掻く。ふう、と溜息を吐いてコントローラーを置くと、画面から天井へと視線を移した。

 

「あかん。やっぱり誰かとやるべきだった」

 

 何だか妙に気恥ずかしい。主人公の名前を自分の名前と同じ発音にしたのも拍車を掛けているのだろう。

 そしてなにより。

 

「……声、似てねぇ?」

 

 彼の回りにいる少女達の声と妙に重なる部分があったのだ。普段馬鹿騒ぎしている面々の声で愛を囁かれると、いくら一夏といえども気まずい状態になってしまう。

 今日はもうこのまま寝てしまおうか。そんなことを思いながらゲーム機の電源に手を伸ばす。が、その途中で彼は動きを止めた。ここでやめたらそれは敗北を意味するのではないのか、そんなことを思ったのだ。

 

「負けるもんか。行くぞ俺、セシリア(仮)と鈴(仮)とラウラ(仮)と更識さん(仮)ともう一人これは俺の回りにいないな、のエンディングもちゃんと見てやるからな!」

 

 夜のIS学園の学生寮で、下らない決意をした男子生徒の声が木霊した。彼の部屋の中だけで。

 

 

 

 

 朝日が彼の顔に当たることで目が覚めた。あれ、と寝ぼけ眼をこすると、時刻は既に起床し学園に向かう準備をしなければならない時間だ。

 どうやらあの後全エンディングを見た時点で力尽きたらしい、と記憶を探りながら体を起こした一夏は、そこで奇妙な違和感に気付いた。

 

「ん? 隣に誰か」

 

 自分は一人で寝ていたはずなのに、何故かすぐ横で寝息が聞こえる。一体全体何者だ、と思いながら視線をそこに向けると、彼にしがみついて眠っているラウラ・ボーデヴィッヒの姿があった。

 全裸で。

 

「ヌードぅ!?」

 

 思わず一夏は変な声を出してしまう。幸いにして眠っているラウラは起きなかったようで、規則正しい寝息を立てて一夏の服の裾をギュッと掴んで離さない。

 ふう、と安堵の溜息を吐いた一夏は、しかしどうするべきかと頭を悩ませた。そもそも、何故ラウラが全裸で自分のベッドに潜り込んでいるのか、という部分からして彼にとっては謎であるのだ。もしこの状態で彼女が目を覚まし一夏を痴漢扱いしたら最後、確実に身の破滅である。

 かといって、彼女を起こさずにベッドから抜け出すことも困難な状況であった。

 

「……まずは起こして。それから謝ろう。いや、謝ったら認めることになる。ならば俺は悪くないで通すか? いやでもな」

 

 ブツブツと何か呟きながら思考の海へと泳ぎ始めた一夏の横で、現在の彼のパニックの元凶はゆっくりと目を覚まそうとしていた。二・三度目を瞬かせると、隣が動き始めたことで思わず視線を向けてしまい固まった一夏に向かい笑みを浮かべる。

 

「おはよう、嫁よ」

「え? あ、ああ、おはよう」

 

 そのあまりにも自然な動作に、一夏は頭が真っ白になる。ひょっとして、これが日常だったのではないか。そんなことまで思ってしまうほどだ。嫁、と自分が呼ばれたことを完全に蚊帳の外において、である。

 さて、では朝食に向かおう。そんなことを言いながらラウラはシーツを捲り立ち上がる。そうすることで、彼女の生まれたままの姿は完全に一夏に晒されることとなった。

 

「よし、行こうか嫁。……どうした?」

「……あ、後から追い付くんで先行っててくれ」

「そうか、分かった」

 

 そう言ってラウラは何かを身に纏うことなく部屋を出て行く。だが、そのままマッパで廊下を歩くことになるであろう彼女の心配をする余裕は今の一夏にはなく、とりあえず天井を向いて首筋をトントンと叩くのが精一杯であった。

 暫くその行動を続けていた彼は、ふう、と溜息を吐くとゆっくりと立ち上がる。

 

「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!」

「落ち着け」

「へ?」

 

 パニックで叫びだした一夏の背後から声。振り向くと、先程出て行ったはずのラウラが壁にもたれかかりながら呆れた目で彼を眺めていた。

 何で、と口を開きかけた一夏は動きを止める。目の前のラウラは先程と違いちゃんと服を着ているし、眼帯をしていない。

 そして何より、その双眸は金色であった。

 

「おお、くーちゃん」

「いい加減ちゃんと名前をつけろ。もう一週間だぞ」

「あー、悪い」

 

 ボリボリと頭を掻くと、一夏は『ラウラ』に再度視線を向ける。それで、これは一体どういうことだ。そう問い掛けると、さてな、という返答が戻ってきた。

 

「知らないのかよ」

「知っている。が、教えん」

「何でだよ!」

「名前で呼べ。そうすれば気が変わるかもしれん」

 

 そう言うと『ラウラ』はプイと視線を逸らした。その光景は歳相応で、ついこないだあんな戦いをしていたなどとはとても思えない。それがおかしくて、思わず一夏は笑ってしまった。

 何が可笑しい、と睨まれた一夏は何でもないと返し、じゃあちょっと待ってろと自身の制服の掛けてあるハンガーへと歩みを進める。そこのポケットにある手帳を取り出すと、ペラペラと頁を捲っていった。

 

「アーデルハイド」

「アルプスの少女か」

「アンジェリーク」

「そこはかとなく女性向けだな」

「ベアトリクス」

「確かに眼帯はしていそうだが」

「文句ばっかじゃねぇか」

「お前がそういう名前を出すからだろう、織斑千冬の弟」

 

 もう少しシンプルなのはないのか。そう続けた『ラウラ』から視線を外すと、一夏は手帳を仕舞い端末を取り出した。シンプルねぇ、と呟きながらそれらしき名前を検索していく。

 

「ビアンカ」

「もう片方とどちらを嫁にするかもめそうだ」

「……さっきから思ったんだけど、何でそんなサブカル詳しいんだ?」

「ああ、これはラウラ・ボーデヴィッヒの知識だ。あいつは意外とそういうのに詳しいんでな」

「へぇ、意外だ」

 

 思わぬところから知り合いの新たな一面を知った一夏は思わず笑みを浮かべ、じゃあどうしようかともう一度端末を眺めた。いっそドイツ系じゃない名前から選んでやろうか、と思いながらズラズラと出てくる人名を目で追い。

 

「お」

「ん?」

「これはどうだ」

「言ってみろ」

「クロエ。くーちゃん呼びに丁度合うしな」

 

 どうだ、と胸を張る一夏をしばし眺め、『ラウラ』は盛大に笑い出した。そんなところまで気にしていたのか、と言いながら、思わず腹まで抱えてしまう。

 そんなに笑うことじゃないだろうと若干ふてくされた彼は、それでどうなんだと彼女に問う。そうだな、と少しだけ迷う素振りを見せた『ラウラ』は、先程の爆笑とは違う、柔らかな笑みを一夏に見せた。

 

「今この瞬間から、私はクロエ。クロエ・クロニクルだ」

「てことは」

「気に入った。感謝するぞ、織斑一夏」

「おう」

 

 では改めて、とクロエは一夏に指を向ける。この状況の説明をしなくてはいけない。そう続けたが、言葉とは裏腹に彼女は部屋の扉へと足を向けた。

 

「ちょ、どこ行くんだよ」

「ここでなくとも話は出来る。実際に見た方が分かりやすいからな」

 

 そこまで言うと彼女は扉を開けさっさと出て行ってしまった。何だそりゃ、とぼやきつつ、一夏は制服に着替えて後を追う。確かに時間は大分過ぎており、このままここで話していては遅刻してしまうので彼女の行動は正しいだろう。

 異常事態でないのならば、の話であるが。

 

「実際に見た方が、って。何を見るんだ?」

 

 

 

 

 朝食を終えた一夏はげんなりした表情で教室へと向かう道を歩いていた。その隣では涼しい顔でクロエがついてきている。

 

「なあクロエ」

「何だ」

「どういうことだ?」

「おおよそは先程体験した通りだ」

「つっても」

 

 一夏は朝食での光景を思い出す。何故かやたらとベタベタひっついてくるセシリア、普段より恋する乙女度が高い鈴音、嫁嫁言いながら甘えてくるラウラ。

 そして、何だか一夏によそよそしい箒。

 

「夢か?」

 

 丁度昨日やっていたギャルゲーがこんな感じだった。そんなことを思いながらクロエに視線を向けると、まあ大体そんなところだと頷かれた。

 

「正確には、似たような電脳空間に囚われている、というのが正しい」

「大事じゃねぇか!? え? 何? じゃあ俺今精神体か何か?」

「まあそんなところだ。私もこの体はラウラのものではく、自分の精神体から構築したものだからな」

「……言われてみると、若干ぱっつんだな前髪」

「昔はこの髪型だったんだ」

 

 説明を続けるぞ、というクロエの言葉にああと頷く。とりあえず今この空間が現実ではないというのは分かったが、問題なのはそこではない。これからどうすればいいのかなのだ。そんなことを思いながら、一夏は彼女の次の言葉を待つ。

 

「対象の精神に直接アクセスし、願望を見せることで外界と遮断、隔離するシステムだろう。ラウラの知識にも情報がある。名前は」

 

 ワールド・パージ。世界から切り離すという名称そのままの能力を、今現在一夏は受けているということになる。

 

「まあ、それはいいんだけど。どうすりゃいいんだこれ?」

 

 が、聞きたい肝心なことはそれではない。あくまで彼は欲するのは打破する方法だ。説明など後からでもいい。

 そう彼女に告げると、分かったとどこからか端末を取り出した。差し出されたそれを受け取ると、画面には何やらステータスのようなものが見える。それに何か見覚えのあった一夏は、まさかと呟いた。

 

「誰かヒロインとエンディングを迎えろとか言うんじゃないだろうな」

「……脳内ピンク色だな、お前は」

「誤解だ誤解!」

「そもそもこれはお前の願望が形になったものだ。つまり」

「昨日その手のゲームやってたからそのせいだ! 俺は悪くない!」

 

 いいから話の続きを、と一夏に促され、クロエはそうだなと頷いた。端末を指差すと、そこで中身があるかないかの判断が出来ると述べる。は、と首を傾げた一夏を気にせず、彼女はそのまま説明を続けた。

 

「無理矢理電脳空間に落とし込んだことを考えると、犯人もこの空間にいる可能性が高い。基本的にこの中にいる『本物』は一夏のみなのだから、お前以外の『本物』を探しだせ」

「あー、成程な。何となく分かったぞ。……これをかざせば、いいんだな」

 

 試しに、とクロエを画面に写す。ピ、と短い電子音の後に、ステータス表示の空欄が埋まっていった。一番大きな表示部分に『NG』というアイコンが表れる。

 

「そこが『OK』ならばこの空間で作られた偽物だ。プログラムで動く人形だと思えば分かりやすいだろう」

「人形、ね」

 

 端末をクロエから二人を通り過ぎた女生徒に向け直す。再び短い電子音の後に『OK』の文字が表示された。

 一夏はもう一度朝の光景を思い出す。あの面々にこれをかざして、『OK』だと出た場合、どうやって接すればいいのだろう。彼女達を模した人形だと理解して、どういう会話をすればいいのだろう。そんなことを考えつつ、とりあえず端末をポケットに仕舞いこんだ。

 

「気にするな。どうせ何をしようがプログラム外の行動はしない。だから私もこうして自由に動けている」

「RPGの村人Aみたいなもんか」

 

 そう考えれば少しは楽かもしれない。よし、と頬を軽く張ると、一夏は教室に向かって少し足を早めた。

 

「って、別に犯人見付けるんなら日常過ごさなくてもいいか」

「あまりにもおかしな行動をすれば向こうに気付かれるぞ」

 

 言外に、授業をサボるなというお咎めの言葉をクロエからいただき、一夏はガクリと肩を落とす。分かりましたよ、と少しだけやさぐれたように述べると、止めていた足を再び動かした。

 そんな彼の背中に、クロエは待て、と声を掛ける。どうしたんだよ、と振り向いた一夏に向かい、彼女は頬を掻きながらいいのか、と述べた。

 

「何がだよ」

「私を信用して、いいのか? その端末は偽物で、私がプログラムされた人形かもしれんのだぞ。いや、そもそも説明は出鱈目で、別の事件が起こっているかもしれん。そんな可能性を考えなくても――」

「いいんだよ、考えなくても」

 

 友達が真剣に言うことを信用しないわけないだろう。そう言って、一点の曇もなく一夏は笑った。子供のようなその無邪気な笑顔を見て、思わずクロエは呆気に取られる。

 じゃあ行くぜ、という一夏の言葉に短く返事をし、彼女はそのまま教室へと向かう彼の背中を眺め続けた。その姿が見えなくなると、何かから開放されたように大きな溜息を吐く。

 

「友達、か」

 

 思わず呟く。数年ぶりに目覚めてから出来た友人は、どうやら随分と単純で難儀な性格をしているようだ。そんなことを思いつつ、やれやれとクロエは肩を竦めた。

 

「まあ、奴のワールド・パージに巻き込まれたのも何かの縁だ」

 

 精々期待に応えてやるさ。そう続けて、彼女も後を追うように学園へと駆けていった。

 




八巻が若干下地になっているような、なっていないような。

もう暫くこの話、続きます。

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