ラウラの出番はまだ遠い感じですね……。
とある建物のとある場所。そこにいた二人の女性の片方は、もう片方の女性に向かって声を掛けた。なあ、スコール、とその女性の名前と思われる名称を呼ぶ。
「どうしたのオータム? 何か事件?」
「いや、大したことじゃないんだ。少し気になったことがあってな」
「あら、何かしら」
スコールのその返しに、オータムはああと頷いた。今学園に潜入している餓鬼のことなんだが、と続けながら、目の前の机に頬杖を突いた。
「何だってまた、あんな偽装をしてんだ?」
勿論潜入工作なのだから偽名や偽の戸籍・経歴を用意するのは当然なのだが、しかしそうだとしてもその偽装にはいささか不可解な点が多かった。『彼』のことを快く思っていないオータムですらそう思うほどなのだから、その奇妙さは推して知るべしである。
そんな彼女の疑問に、スコールは肩を竦める事で返答とした。口にこそしていないが、つまりはそういうことである。
「デュノアの考えは分からないし、別に分かりたくもないのよね」
「違いねぇや。大企業のトップだか何だか知らんが、まるで自分が『亡国機業』の実権を握ってるみたいな態度取りやがるし」
「まるで、ではないわよ。あの男は本当に思ってるの。『亡国機業』の一番勢力の強い派閥は自分だって、ね」
だから彼は人の忠告など聞く耳持たない。そう続けた彼女の言葉が正しいのは、この会話の発端となった奇妙な偽装を実行に移してしまう現状が如実に示していた。普通ならばまず取ることのない選択肢だが、一人で勝手に選んでいるならばその限りではない、ということだろう。
「……彼にとって不幸なのは、その間違った選択肢を実行出来てしまう実働部隊がいたことかしらね」
「何だスコール、やけにあいつを評価するんだな」
「ええ、まあね。ああいう子は好きなのよ。きっかけさえあればすぐにでも裏切りそうな、何も信じていないような、そんな目をしているから」
きっと素敵な死に方をしてくれるに違いないわ。そう続けたスコールは席を立ち、部屋に備え付けてあったティーポットから紅茶を二つ注いだ。一つをオータムに、そしてもう一つを開け放してある扉の外へと差し出した。
「ほんの冗談よ。だから、そんな殺気を撒き散らすのはやめなさい」
彼女が声を掛けたそこ、二人がいた部屋から壁を隔てた向こう側に立っていた黒髪の少女は短く舌打ちすると視線だけで彼女を睨み付けた。そして、その手に持っていた紅茶を一瞥すると鼻を鳴らす。
「貴様の淹れた紅茶なんぞ飲めん」
「あらそう、それは残念」
差し出していた手を引っ込めると、スコールは再びオータムの対面に座る。持っていた紅茶を一口飲むと、そんなに心配なら、と壁の向こう側に声を掛けた。
「様子を見に行けばいいんじゃない?」
「……別に、心配などしていない」
「あら、そう」
少女の言葉にとぼけたようにそう返したスコールは、そこで会話を打ち切った。そのまま暫しの沈黙が続いたが、彼女が紅茶を飲み終わる辺りで、壁の向こう側で人が移動する気配がする。あらエム、お出かけ? そんなわざとらしい彼女の問い掛けに、エムと呼ばれた少女は吐き捨てるように返した。
「偵察だ」
「そう、行ってらっしゃい」
走り去っていく彼女の気配を感じながら、素直じゃないわね、とスコールは呟いた。
授業も終わり、放課後。一夏の部屋の新たな住人となったシャルルの荷物を運び入れた二人は、ベッドに腰掛けると一息吐く。そこまで運ぶ物もなかった為に案外早く終わったそれは、二人にぼんやりとする空き時間を生み出していた。
「あ、お茶でも飲むか?」
一夏のその言葉にシャルルは頷く。よし任せろと彼は給湯所まで向かい、暫くして二つの湯飲みを持ってきた。中に入っているのは緑色の液体。紛うことなき日本茶である。
それをテーブルに置いてから彼はようやく気付いた。目の前の相手は今までのルームメイトの箒ではなく、日本人ですらないシャルルだということに。
「……紅茶、淹れようか?」
「え? 別にいいよ、これで」
バツの悪そうに尋ねた一夏とは裏腹に、シャルルは何てことないように返すとそのまま躊躇いなく湯飲みに口を付けた。右手で湯飲みを持ち、左手を底に添えて飲む様は何故か堂に入っており、下手な日本人よりも日本人らしさを感じさせるほどであった。
そんな姿を見た一夏は思わず問う。日本茶を飲んだことがあるのか、と。
「ちょっとね。僕の親友が日本茶を飲んでたから」
「へー」
「だから箸も使えるよ。というか、そうじゃなきゃ日本に来れないし」
「そりゃ凄ぇ」
感心したように述べる一夏を見ながらシャルルは頬を掻く。別にそこまで驚かれることじゃないと思うんだけど、と呟いているが、目の前の彼はそんなことないと腕組みをしながら頷いていた。
「だってセシリア、日本茶飲めないんだぜ」
「……いや、それはただの好みじゃないかな」
「緑色の液体なんか飲めないとか言ってたけど、じゃあメロンソーダも飲めないのかよって話になるじゃねぇか」
「一夏?」
「緑色のスープとか、グリーンカレーとか、その辺も食えねえのかよ」
「ねえ一夏? 僕の話聞こえてる? というかそれもう日本関係ないよね?」
「よし決めた。今度セシリアには青汁飲ませてやる」
「それは普通に罰ゲームだよ」
「嫌がるセシリアにこう、青汁を飲ませてだな。涙目で咳き込んで口から溢れる緑の液体が……」
段々と言動が怪しくなってきた一夏をどうしたものかと顎に手を当てて考えるシャルルであったが、とりあえず自分ではどうしようもないと結論付けた。出会って間もない人間がそう簡単に内面を理解することなど出来はしない。
そろそろ夕食の時間でもあるし、とりあえず彼の中で卑猥なことになっている当の本人にそのことを伝えておこう。そんなことを思いながら彼はゆっくりと部屋を出た。
それを目で追っていた一夏は大きく息を吐いた。念の為、と部屋のドアを開け誰かが来る気配がないことを確認すると、彼はカバンから一枚の紙を取り出す。書いてある内容は実に単純で、放課後にどこそこの場所で待っています、というもの。
「ラブレター……な、わけないよなぁ」
出来ればそれが一番楽なのだけど、とぼやきながら、一夏は立ち上がる。時間の指定はされていないが、放課後というからには今の時間帯では少し遅いであろう。となれば、これからその場所に向かった場合、本当にラブレターだったならばまず相手は怒って帰っていることになる。
ここでその可能性だった時は誰かに慰めてもらおうなどと思いながら、一夏はなるべく人目に付かないようにその場所まで急いだ。
「到着、っと」
キョロキョロと辺りを見渡すが、それらしき人は何処にもいない。
これはひょっとして低い方の可能性にぶち当たってしまっていたのか、などと一夏が頭を抱えかけたその時である。彼の背後で何かが動く気配がした。それと同時に、遅かったじゃねぇか、などという乱暴な口調の女性の声が耳に届く。
その声には聞き覚えがあった。クラス対抗戦で散々聞いた、あの耳障りな声だ。『亡国機業』の構成員の声だ。
「まあ、とりあえずは。……ラブレターじゃなくてホッとした、ってか」
勢い良く後ろを振り向く。そこに立っていたのは、やはり彼の中で見覚えのある影が一つ。
鈴音が戦っていたIS『ゴーレム』がそこにいた。どうやら声はそのISから発せられているようであったが、しかし。搭乗者の通信とはまた違うように一夏は感じた。
「しかしまた唐突だな」
『はっは。まあそういきり立つなって。今回もただの実験なんだからよ』
その言葉で落ち着くのはお前だけだ。そんなことを言いながら、一夏は右手のガントレットに手を掛ける。いつでもISを展開出来るように身構える。
そんな一夏を見た相手は、嬉しそうな声で笑った。そういう態度を取ってくれるならば話は早い。そう続けながら笑った。
『こないだの戦闘データでAIが新型になったからな。お礼も兼ねて『しののの』の機体を強奪してやろうって腹積りさ。その後は学園で暴れてもいいかもな』
「はた迷惑にも程だな」
『白式』を展開、『雷轟』のビームガンとシールドを呼び出し、銃口を目の前の『ゴーレム』へと向けた。一夏がその行動を取っても尚、相手は通信の向こうで笑い続けている。
それが彼には気に入らない。躊躇うことなく頭部と胸部へビームガンを連射した。躱されることなく命中したそれだが、しかしそれで機能が停止するはずもなく、揺らぐことなく『ゴーレム』は佇んでいた。
『その程度の攻撃で『ゴーレム』が揺らぐとでも思ってたのか?』
「思ってねぇよ。こんなもんただの牽制だ、っての!」
盾を仕舞い、左手にビームガンを持ち替えると、一夏はスラスターを吹かし一気に『ゴーレム』へと肉薄した。右手には既にビームブレードを構えており、それを見た限り装甲がそこまで厚くない部分、胴へと斬撃を叩き込む。
だが、しかし。確かに振り切ったはずのそれの手応えはとても重く、まるで木の棒でアスファルトを殴りつけたかのごとく彼の右手を痺れさせた。思わず顔をしかめ、相手のカウンターが来る前に左手のビームガンを打ちながら距離を取る。
『人の話を聞かない餓鬼だな。その程度の攻撃じゃ揺らがねぇっつってんだろ』
「ちっ……。硬いって言っても限度あんだろ」
向こうの見下したような笑いと共に発せられたその声へと小さくぼやきつつ、さてではどうしようかと思考を巡らせた。少なくとも『雷轟』の装備しているような基本装備では装甲を打ち抜けない。となると必然的に『真雪』か『飛泉』に換装して戦う必要がある。
この場合は砲撃で攻めた方がいいだろうと判断した一夏は『真雪』に換装、両手でビームランチャーを構えると目の前の相手に向かって引き金を引こうとした。
そのタイミングで、『ゴーレム』からの通信が響いた。そんな物騒なものをぶっ放してもいいのか、と。
「……どういう意味だ?」
『そのまんまの意味さ。ここはアリーナでも何でもないただ人気のない広い空間ってだけだぜ? 辺りに被害がないかどうか確認してから撃った方がいいんじゃねぇのか?』
その言葉に一夏は動きを止めた。勿論向こうの言葉が自身の動揺を誘う為のブラフである可能性も考えてはいる。いるのだが、それでも流れ弾がもし誰か人に当たってしまったとしたら。それが頭に浮かんだ為に、彼は射撃武装を使う気にはなれなかった。
この場に千冬か束がいたのならばこの葛藤もどうにかしてくれたのかもしれない。だが、生憎と今は一夏一人のみ。恐らく向こうもそのことを見越してわざわざ呼び出したのだろう。そんなことを思いながら、彼は『真雪』を『飛泉』に換装し直した。
『お、人の忠告を素直に受けたか。感心感心』
「うるせぇ。いいからとっととケリを着けるぞ」
言葉と共に『ゴーレム』に両の手の太刀を振り下ろす。『雷轟』時のビームブレードでは防御もせずにそのまま受けていたその斬撃をスラスターを吹かすことで躱した『ゴーレム』は、重装甲の右腕を太刀を振り切った体勢の一夏に向かって振り上げた。
体を少しずらすことで彼はそれを避けると、その勢いを利用して胴体部分へと突きを放った。手応えはそこまで感じなかったものの、それでも最初のように全く通じていないということはない。そんな確信を一夏は持った。
『チッ。思ったより鬱陶しい餓鬼だ』
「そりゃどうも」
言いながら一夏は出来るだけ近距離を保とうと太刀を持っている手に力を込めた。彼の記憶が確かならば、『ゴーレム』は遠距離攻撃用の装備が主であり近距離での選択肢は拳で殴るくらいしか出来なかったはず。大振りの攻撃であれば躱すことは容易く、また射撃を放たれて周囲に被害を撒き散らされても困る。そう判断したが故の行動であった。
だが、それは『ゴーレム』の右掌が淡く光ったことにより打ち砕かれる。咄嗟に体を捻って躱したが、そこには確かにビームで構成された爪が現れていた。どうやら伸縮自在らしく、その攻撃は一夏に間合いを読ませない。元々防御力の低い『飛泉』であったことも相まって、肩口と右膝の装甲に爪痕が刻まれる。
小さく舌打ちすると、一夏は間合いを話す為にスラスターを逆噴射させた。それを読んでいたかのごとく、『ゴーレム』は右手の爪を仕舞い掌からビームを放つ。完全に虚を突かれたタイミングとなったが、半ば無意識の内に『飛泉』を『真雪』に換装していたおかげで致命傷は避けられた。
肩で息をする一夏に対し、相手は楽しそうに笑う。目の前の彼を嘲笑う。
『バーカ。これがあの時と同じ『ゴーレム』だと思ってんのか? あの時のは遠距離武装タイプのR型、こっちは近距離用の装備が搭載されたD型だ』
同じように戦ったら痛い目見るぜ。殆ど言っていることが聞き取れないほどに笑い声を混じらせたままそう述べると、『ゴーレム』は一夏に向かってスラスターを吹かした。その右手には先程と同じようにビームクローが輝いている。
一夏は『真雪』のビームキャノンで迎撃しようと銃口を向けたが、しかし先程の会話が頭に浮かび引き金は引けない。悪態を吐きながらミサイルポッドで弾幕を形成しつつ相手のビームクローの軌跡を確認する。『真雪』の機動性能は高くない。だから、回避をするためには『雷轟』か『飛泉』のどちらかに換装をしなくてはいけない。だが、『雷轟』では反撃がままならない。彼らしくなく頭でそう判断して『飛泉』へと換装した一夏であったが、生憎とそれは悪手。右手のビームクローを機体の移動と太刀で防いだそこに、同じように左手に形成されたビームクローが襲い掛かった。
完全にカウンターとなったその斬撃は、『白式』の装甲を深く抉る。『飛泉』であったことも災いし、『絶対防御』が発動、そのまま地面に叩き付けられた一夏は短く呻いた。シールドエネルギーの残量が大幅に削られ、コンソールはこれ以上の攻撃を受けると危険であると警告を発してくる。試合ならばともかく、今の状況ではそうなった時が彼の人生の幕引きであろう。
そして、その幕は既に降りかけていた。
『意外とあっけなかったなぁ』
「ち、くしょ……」
既に両腕のビームクローは振り上げられている。体勢の崩れている一夏が何か行動を起こしたタイミングで、あるいは任意に、目の前の相手はその爪を彼の急所に突き立てる。詰み、チェックメイト、ゲームオーバー。そんな言葉が頭に浮かんだ。
『あばよ、唯一の男パイロット』
『ゴーレム』の攻撃タイミングと一夏の右腕を動かすタイミングはほぼ同時だった。勿論彼の一撃は敵を打倒するに至らない。振り下ろされる爪の勢いは殺がれない。
そんな確実に死に体となった彼と『ゴーレム』の真ん中。そこに、丸い、俗称をパイナップルと呼ばれる物体が割り込んだ。
爪が届くその前に、それは弾け、閃光と細かい粒子をばら撒く。それがセンサー類を妨害するものだと一夏が気付いたのは、確実に命中していたはずの斬撃を躱せたからであった。コンソールからはハイパーセンサーが一時的に使用不可になっていることを彼に伝える。
『何だこりゃ? ……チャフか』
それは向こうも同じなのか、『ゴーレム』は目標を見失ったようにキョロキョロと辺りを見渡していた。AI制御であるが故に、ハイパーセンサーで視覚情報を全て賄っていたのだろう。
そんな相手の背後。そこに、一体のISを纏った影があった。オレンジに塗装されたそれは、機動性と加速性を高め、武装をふんだんに装備した『ラファール・リヴァイヴ』の専用カスタム機。通称、『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』。
チャフグレネードを投げ、右手にIS用アサルトライフルを構えたシャルル・デュノアの姿がそこにあった。
「一夏、大丈夫?」
「シャルル!? 何で?」
突然の乱入者に心底驚いた表情の一夏と対照に、乱入したほうであるシャルルは涼しい顔で笑顔を浮かべた。捜したんだよ、などと呑気に続けるその姿に、彼は先程まで死に掛けていたことも忘れ頬を掻く。
『何だテメェ?』
「何だって言われても。そこの一夏のルームメイトだよ」
言いながら右手のアサルトライフルを連射する。有効的なダメージを与えられることは出来ていないようであったが、膝関節を集中的に狙ったことで僅かに『ゴーレム』がたたらを踏む。その隙にスラスターを吹かすと、シャルルは一夏の隣に並ぶように移動した。
「一夏の様子がおかしかったから、気になって捜してたんだ」
そう言って微笑むシャルルを見て、一夏は首を傾げた。確かに隠し事をしていたのは事実だが、出会って一日も経っていない人物に見抜かれるほど挙動不審であったのだろうか、と。
一瞬思考の海に浮かびそうだった頭を振った。そんなことは後で考えればいい。そう結論付けて一夏は残り少ないエネルギーを確認しつつ『飛泉』の太刀を構えた。
「悪い、シャルル。協力してくれるか?」
「当然。友達だからね」
顔を見合わせて笑い合うと、二人は両手に展開していたビームクローを右手のみに変更した『ゴーレム』を睨んだ。チャフの効果は薄れてきたようで、再び視線は彼等に向いている。先程の嘲笑うような声は鳴りを潜め、苛立ったような口調が響く。
先に動いたのは『ゴーレム』。爪を戻した左手からビームを放ち二人を分断させた。躱したことにより飛び去っていくビームの行方を一瞬気にした一夏に向かい、『ゴーレム』は肉薄する。隙を晒したこともそうであるが、まずは倒しやすい方から倒す。当然の選択を取ったと思われるそれは、側面からの衝撃により失敗に終わった。ハイパーセンサーでそこを確認すると、左右にIS用のショットガンを構えたシャルルが不敵な笑みを浮かべていた。
「一夏っ! サポートは任せて!」
「サンキュー! 助かる!」
言葉と同時にショットガンが火を噴く。相手を吹き飛ばすことを目的とされたそれが与える衝撃は、相手が『ゴーレム』であれ例外ではない。流石に吹き飛ばすことは適わないようであったが、しかし確実に体勢は崩れる。その隙を逃さずに、一夏は両の手の太刀を十字に振るった。
崩れた体勢のまま、『ゴーレム』はビームクローでその斬撃を受け止める。刃と刃がぶつかり合い、エネルギーの奔流は火花を生み出した。
「こなくそぉ!」
無理矢理にスラスターを吹かすと、一夏はビームクローを展開している『ゴーレム』の右手を蹴り上げる。通常時であればビクともしないであろうその一撃だが、攻撃をぶつけ合っている今なら話は別である。均衡を崩された『ゴーレム』の体は大きく泳ぎ、そこに大きく隙を晒す。蹴りを放った状態のまま体を捻ることで勢いを付けると、彼はもう一撃、と斬撃を繰り出した。これまで大したダメージを受けていなかった『ゴーレム』に傷跡が刻まれ、そして盛大に吹き飛ばされた。
更に追撃とばかりに一夏は『瞬時加速』で吹き飛んだ『ゴーレム』に迫る。だが、相手が人間であったならばそのまま攻撃を受けていたかもしれないが、生憎と相手は機械。明らかに人間ではありえない挙動で両手のビームクローを展開すると、人間ならば間接がへし折れるような動きで突っ込んでくる一夏の側頭部に爪を突き立てる。突き立てようとする。
もしこれが先程までの一対一であったのならば決まっていたであろう、そんな攻撃。だが、しかし。
「やらせない!」
いつの間にか間に割り込んでいたシャルルの『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』の左手の盾と近接ブレードにより防がれる。同時に右手に持っていたアサルトカノンをゼロ距離で叩き込むと、後は任せたとばかりに横へと飛び退いた。射撃は正確に一夏が切り裂いた傷に命中しており、『ゴーレム』からは短く火花が飛ぶ。
信頼か、はたまた別の理由か。そうなることを予測していたかのように、一夏は動きを止めることなくその手の刃を目の前の相手に振り抜いた。頑丈な装甲といえども、こう何度も攻撃を食らっていては流石に限界がやってくる。右腕が切り飛ばされ、ビームクローが展開された無骨なそれが宙を舞う。
だがそれでも、相手は痛みを感じない機械だ。動じることなく残った左腕を太刀を振り抜いている一夏に向かって振り下ろした。嫌な予感がしていた、と彼はすぐさま『雷轟』に換装すると盾でその一撃を防ぐ。が、衝撃を完全に殺せずに上半身が後ろに弾かれた。
『この糞餓鬼共が。手こずらせるんじゃ――』
『ゴーレム』からそんな言葉が響いてきたが、一夏は碌に聞いていなかった。言葉と同時に残った左腕のビームクローが収束されて一本の刃となり彼の額を貫こうとしていることなど、全く見ていなかった。死ね、という言葉が目の前から発せられていても、一夏は微塵も動揺していなかった。
何故ならば――
「狙いは?」
「――完璧!」
背後に回っていたシャルルが、必殺の一撃を『ゴーレム』の中心に叩き込んでいたのだから。
「派手にやっちまったなぁ」
「あはは。ちょっとやり過ぎたかな?」
二人の目の前には動かなくなった『ゴーレム』の残骸が横たわっている。右腕は千切れ飛び、その胴部分には巨大な穴が開いている。そんな回収して解析を行うにはいささか無理のある状態になっているそれを見ながら、二人はどうしたものかと頬を掻いた。
「まあ、仕方ないんじゃないかな? 正当防衛だよ」
「いや、それはそうなんだけど」
済んでしまったことは仕方ない、というシャルルに対し、一夏は少しバツの悪そうな表情を浮かべる。前回の『ゴーレム』は回収時に襲撃を受け解析不能な状態にされたという話を聞いていたので、今回も同じ状態にしてしまったのは何だか悪いことのように思ってしまったのだ。
とはいえ、そんな事情をシャルルが知るはずもないかと思い直した彼は、同じように仕方ないと割り切ることにした。よし、と頬を叩くともう一度鉄屑となった『ゴーレム』を見下ろす。
「しっかし、凄いなシャルルのアレ」
「『盾殺し(シールド・ピアース)』のこと? まあね」
少し自慢げに微笑むと、シャルルは盾がはじけ飛びむき出しとなった左手の武器、パイルバンカーを眼前に掲げた。一度の射出で三発分の威力を叩き出すように調整されたそれの威力は『ゴーレム』の風穴が証明している。
ただ、その分反動も大きいから注意が必要なんだよ、とシャルルは続けた。確かに装甲がはじけ飛んだ左腕は攻撃を食らったわけでもないのにボロボロになっており、彼の機体である『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』の隠し玉であったことを予測させた。
そんな会話をしていた二人であったが、何か重大なことを思い出したかのようになんとも間抜けな音が一夏の腹から発せられた。時刻はそろそろ夕食の時間帯である。
「……飯、食いに行くか」
「あはは。そうだね」
二人はそれぞれISを解除、一夏はとりあえず千冬に簡単な連絡だけを済ませると、先程まで命の掛かった戦闘を行っていたとは思えない気軽さで歩みを進めるのであった。
一夏は気付かない。前に同じようなことを経験した彼ならばともかく、普通の留学生であるはずのシャルルが何故そんな態度が取れるのかを。
一夏は気付かない。何故、シャルルは解析出来ないほど念入りに『ゴーレム』を破壊したのかを。
一夏は気付かない。シャルルの笑みが、作戦を成功させたようなものであったことを。
上空で二人の様子を見ていた少女は、安心するように息を吐いた。どうやらシャルルに怪我をした様子はない。もう一人の男は死に掛けていたが、彼女には別段関係ないことであった。
否、彼女にとってむしろあの男は死んだ方が清々するほどである。姉共々、彼女にとって『織斑』という存在は決して良いものではなかった。例え自分の名前がそうであっても、である。
とはいえ、現状何かをするつもりはない為、そのまま去っていく背中を見ただけで彼女は済ませた。隣で親友が作戦行動中であったことも大きい。
そのまま踵を返そうとした彼女であったが、通信が入ったことでその動きを止めた。
『そっちの様子はどうかしら? エム』
「問題ない。デゼールも無事に織斑一夏の信頼を得たようだ」
『そう、それは良かったわ』
何せわざわざ倒される為に『ゴーレム』を派遣したのだから。そう言って通信の向こうのスコールは笑う。それに混じってオータムの不満げな声も聞こえてきたが、彼女はそれを意図的に無視した。
『それで、どうするの?』
「……どうする、とは?」
そのまま帰還しろ、と言われると思っていたエムは訝しげにそう返す。ここで自分に何か選択肢が与えられていることなどないはずだ。そう思い彼女は首を傾げた。
だが、そんな疑問は次の言葉で氷解する。そして、新たな疑問が頭を占めた。
『織斑一夏と、戦いたいのでしょう?』
「……」
『あら? 違ったかしら?』
違う。そう答えたかったが、何故かそれは口から出てこなかった。今は何かをすることはないと結論付けていたものの、心の底では望んでいたのかと自身に問いかける。問いかけても、その答えは出なかった。
そんな彼女の心情を知っているのか、通信の向こうではクスクスと笑い声が聞こえる。
『まあいいわ。それについてはどっちでもいいのよ。貴女がやりたくなったらやってちょうだい』
「……了解した」
そこで通信は途切れる。再び静かになった空中で、エムは一人佇んでいた。
とりあえず、このモヤモヤをぶつける相手を用意しなくては。そんなことを自分に言い聞かせて、彼女は『個人間秘匿通信』を繋いだ。
「シャル」
『あれ? マドカ? どうしたの?』
「……少し、愚痴に付き合え」
『いいよ。いくらでも付き合う。親友だからね』
いわゆるマッチポンプというやつです。
勿論全部計画通り。