翌日。
昨日小旅行帰りのお土産を用意していないことでブーブー言う火憐ちゃんと月火ちゃんをよそに帰宅し、簡単に晩御飯を食べて風呂に入って部屋にひっこんでから、自分の携帯電話を確認してみたが、僕の送ったメールへの返信はないようだった。
「うーん……」
どうしたものだろうか。というのが昨日の僕の所感だった。
このままにしておくのも、メールを送った手前なんだかおさまりが悪いし、だからといってまたメールを送るというのも二度手間である。というわけでどうせ明日学校で会うことにはなるのだから、その日はとりあえず携帯電話を枕元においてそのままベッドに潜りこんだのだった。
そしてその翌日、月火ちゃんに目覚ましのバールで叩き殺されるのをなんとか回避してから枕元の携帯電話を確認したのだったけれども、やはり僕の携帯電話に戦場ヶ原からの連絡は電話も、メールも届いてはいないようだった。
それで少々のれんに腕押し感のある登校路である。
日光が、怪異性によってあまり得意でない僕はいつもどおり、少し早めに出発し、斜角のきつい朝日にしかしそれでも目をほそめながらいそいそと歩道を歩いていたのだった。
―――楽しみだなぁ。
それがけだるげに登校路を歩く僕の素直な心情だった。
たった三日、四日、僕にはそれ以上の時間の長さを感じてはいたものの、期間が開いてしまうと、毎朝教室で戦場ヶ原に会っていたとはいえどうにもソワソワとしてくる感情があることに少々驚きながら、だからといっていつぞや八九寺にひさしぶりに会ったときのように出会いがしらに抱きついて全身に頬ずりなどしてしまった日には僕は病院と警察をはしごすることになってしまうか、あるいはもっとひどいことになってしまうことは目に見えているので、あくまで冷静に再開を果たそうと肝に銘じてもいたのだった。
ってこれから僕が会おうと楽しみにしている女はどんな女なんだよ……
いや、言うまでもなくそんな女だった。
「おはよう。羽川暦君」
「うん?」
呼ばれなれない、しかしつい最近までなじみのあったその呼び名に、少し心臓のはねるような心地で振り返ると、そこにはちょうどいい距離感でもって、笑顔の羽川翼が、狐につままれたような表情の僕に向かって手を振っていた。
「ああ、羽川か。おはよう。今日も早いな。あと僕はお前の弟になったつもりはないぞ」
「あれ? 先週末にそんな感じの電話があったんだよね。それでまた何かややこしい事情があるんじゃないかと思って口裏を合わせておいたんだけど、もしかして余計なことしちゃったかな?」
「ああそうか。いや、電話の相手がお前でよかったよ。助かったよ」
でなければ、下手をすれば命がなかったしな……
僕がそうお礼を言うと、羽川は僕の隣を歩きながら軽快な口調で言葉を続けた。
「いいってことよ。でも関心はしないよ。よそ様の苗字を勝手に使うなんて、私の苗字だからまだいいようなものだけれど」
「いやいやよくないだろ、それだってさ。まぁとはいえ、羽川の弟になれるってんなら実のところ僕だってやぶさかじゃないんだぜ。毎日一緒に風呂に入れるしな」
「え、本当? いや、ちょっと待って、なんで阿良々木君が私の弟になったからといって、毎日一緒にお風呂に入ることになるのかな? というか、阿良々木家ってそうなの? それってちょっと問題だと思うけど」
怪訝そうな顔で僕を問い詰める羽川だった。
しまった。迂闊な軽口で藪をつついたようだ。
「ま、まぁそんなどこにでもある些細な文化の違いはおいておこうぜ」
「ぜんっぜん些細じゃないと思うけど!?」
「いや、別に毎日ってわけじゃねぇよ。たまにだよ、普段は僕一人で入ってるよ。あとはまれに金髪幼女と一緒に入ってるだけでさ」
「ああもうなんかいろいろおかしいところがあるけど、とりあえず心当たりもあるからいいや。とりあえずあの子たちには私のほうからちゃんと言っておかないと」
「羽川はまじめだよなぁ」
「私がまじめすぎるみたいな風に言わないでよ。この場合常軌を逸してるのは阿良々木君のほうなんだからね」
左手でこめかみを押さえる羽川だった。
羽川の胸の内も察することはできるのだが、ただそれに関しては、小学生をあがるまで一緒に風呂に入っていたことはあったが、中学にあがってなくなり、最近はやむにやまれぬラノベ的な理由でそういうことになった、ということだけなのだということは申し添えておきたい。
では羽川と毎日風呂に入れるうんぬんはなんなのだといわれると、それは単なる僕の願望なので言い訳は不可能である。煩悩とはかくも抗いがたいもののようだ。
「ああもう…… そうだ」
羽川が思い出した風にそういって続ける。
「そういえばさ、阿良々君。ここ数日間、少なくともこの街にはいなかったようだよね。それについてはあえて聞こうとは思わないけれど、戦場ヶ原さんにはそのことは伝えてあるの?」
「戦場ヶ原に? そういえば、昨日こっちに帰ってからメールを送ったんだけど、いまだに返事がないんだよな」
もしかして、何かあったのだろうか?
「私も詳しいことはわからないけど。土日の間、戦場ヶ原さんが阿良々木君のことを探してたみたいだよ。私のところにも戦場ヶ原さんからメールで連絡が来てたし……」
「え、マジで?」
一応、おののきちゃんが数日間留守にするということを伝えてはいたはずなんだけどな。
そういえば妹たちにも手紙のようなものが来ていたな。たしかカタカナで
ス ウ ジ ツ カ ン マ チ ヲ ア ケ ル
と定規でなぞったような直線で書きなぐってあったんだった。
火憐ちゃんと月火ちゃんが普通に納得していたからそんなもんかと思っていたが、よくよく考えるとあれってかなり胡散臭かったんじゃないか?
「もしかしたら。というか普通に考えたら、よくないかもしれない」
「もう、しょうがないなぁ。一応私も心配しすぎないようには連絡しておいたけど、もし言ってなかったんだったら、素直にあやまらなきゃダメだよ? 何かあったら私でよかったら相談に乗るし」
「いいのかい? 羽川。ありがとう、そう言ってもらえると心強いよ」
「いいのいいの、クラスメイトの恋愛相談も委員長の仕事のうちだし」
「そこまできめ細かいケアを当然の業務だと思ってる委員長なんて羽川くらいだと思うぜ」
とにもかくにもありがたいことには変わりはない。
その後は僕と羽川の二人で少し朝早い通学路を世間話などをかわしながら学校へと向かったのだった。
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学校につくと、教室に入って、いつもなら人けのない教室にもう来ているはずの戦場ヶ原の姿を探してみたが、意外なことに戦場ヶ原の姿はそこにはなかった。
僕と同じく羽川もその様子を察したようだ。
「いないね、戦場ヶ原さん。彼女に限って寝坊ってことでもないと思うんだけど」
「それには僕も同意だな。なんか用事でもあったのかな?」
結局のところ、戦場ヶ原は教室に現れるには現れたのだが、始業ベルギリギリに到着してさっさと席についてしまったので、僕のほうから話しかけることができなかった。
とはいえ、戦場ヶ原の姿を見れて少し安心できたし同じ教室にいるわけだから昼休みにでも話をすることができると安易な予想で、とりあえず始業ベルにほど近く教室に入ってきた教師の話に耳を傾けたのだった。