化物語 こよみサムライ[第二話]   作:3×41

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 ”樹魅”は北西の森へ向かった。

 おののきちゃんは僕にそう告げた。

 僕たちは今、ハーレンホールドの自警団50人ほどと一緒に、街から北西の森へと向かっていた。

 

 おののきちゃんは、ひとつは自警団として、そもそもこのハーレンホールドに来たのは、怪異の専門家として、実際には不死の怪異の専門家らしいが、その違いは僕にはもうひとつよくわからなかった、この街の異常事態に対応するということがあったからだ。

 そしてもう一つは、おののきよつぎという存在が、存在移しによって、あの樹魅に移されているということがわかったからである。

 

 そしてそれは僕にも同じことが言えた。

 あの巨木の根に幾重にも貫かれた自警団の本部ビル内で樹魅は確かにアララギコヨミと言ったのだ。

 

 知っている。もうそれは間違いのないことである。

 あの大災害そのもののような怪異は、僕が存在移しによって、その存在を奪われたことを、そしておそらく、その存在が移された先を知っている。

 ならば僕は、どうしても、なにをかけてでも、樹魅を見つけ出す必要がある。

 

 ハーレンホールドの南東部では、未だに爆破事件が続いているらしい。

 同時に、この緊急事態においても、レオニード家の護衛は最優先されるということらしかった。

 自警団の男いわく、この混乱に乗じて、レオニード家の人間が殺される、あるいはレオニードの鍵が盗まれることがあってはならないということである。

 自警団は、樹魅だけでなく、その爆破事件にも対応する必要があるらしく、しばらく増援は見込めないようだった。

 

 今僕たちと同行している自警団の面々も、ピクニック気分とはいかなかった。

 あの桁外れの怪異、”樹魅”に自警団の本部ビルを落とされ、ビルの中の人間は数百人単位で皆殺しにされていた。

 そしてこのハーレンホールドの最高戦力、山犬部隊の第三席、天剣が樹魅に殺された以上、僕たちや自警団では束になっても樹魅に傷一つつけることができないだろうというのが彼らの見解だった。

 僕たちが束になってかかっても、無駄死にするだけだ。

 しかし同時に、樹魅の足取りを追う。それだけが僕たちにできる現状、もっともらしい手だった。

 ほかの山犬部隊が樹魅を見失わないよう、樹魅の足取りにくらいつく。

 自警団の面々は、それぞれに恐怖と怒りをないまぜにしたような決然とした表情で森を目指していた。

 

「怖いかい? 鬼のお兄ちゃん」

 

「おいおいおののきちゃん。もしかして僕が怖がってるっていうのか? 僕の怪異のもとは、もともと夜が得意なんだぜ。そこらへん鑑みてほしいもんだよ」

 

「なるほどね。で、本音はどうなのさ」

 

「正直めちゃくちゃ怖い」

 

 ハーレンホールドの北西の森は、それはもう完全な森だった。

 いや、僕が知っている森と違うのは、その木々の太さだった。それぞれの木の間隔は数メートルはなれて、一本の直径が5メートル10メートルという単位の巨木が続いている。

 夜ということもあり、その巨木の森は、ちょっと先は暗闇で見通せず。自警団の面々が手に持ったライトや古めかしいカンテラでぼやっと照らされた視界だけが頼りである。

 

 おののきちゃんいわく、樹魅のまとった死臭は森のずっと奥へと続いているということだった。

 しかし、もしそれがフェイクだったら、その可能性は十分にある。

 もし樹魅が僕たちを待ち伏せしていれば、それだけで終わりになる。僕たちは10秒もかからずに殺されるだろう。

 そう思うと、もう森の暗闇にあますところなく刃が潜んでいるような錯覚にとらわれて、気が遠くなる心地だった。

 

 だからといって、ここで退けない。退くことはできない。

 おののきちゃんはよくても、忍がよくても、僕は僕の存在を、あららぎこよみとしての未来を、過去もふくめて、喪失することはできなかった。できてたまるかという話だった。 

 

 僕がいなくなったら戦場ヶ原はどうするのか。以前、戦場ヶ原にそう聞いたことがあった。そのとき戦場ヶ原はずいぶんセンチメンタルなことを聞くものだと僕を煽って笑っていたが。実際のところどうするんだろうな。

 

 いや、この命がかかった局面でそんなところに考えがいくのは、願望と逃避によるところのものだろう。

 

 そういえば、僕はこの真っ暗な巨木の森を、樹魅の残した死臭を頼りに薄明りのライトを頼りに進んでいく自警団の面々をちらっと見やりながら思った。彼らは、いったいどんな決意で樹魅を追えるのか。仲間が殺されたからだろうか、街を守るためだろうか。彼らの表情には、明らかに恐怖が張り付いている。全員、怖がっている、できることなら今すぐ逃げ出したいに違いなかった。しかし逃げ出さない彼らは何に突き動かされているのか、一時、森を進みながらそういうことにぼんやりと思考が行く。

 

 そういう僕の考えをさとってかさとらずか、僕の隣をいつもの無表情であるくおののきちゃんが言った。

 

「へぇ、鬼いちゃんも、やっぱり恐怖心っていうのがあるんだね。ほら、ボクって付喪神人形じゃない。恐怖とかそういう感情っていうのが僕の中にないんだよね。それが役立つ場面っていうのもこれまで何回もあったけどさ、正直ちょっと面白いよ」

 

「ぜんぜんおもしろくねぇよ。人の恐怖心をなんだと思ってるんだよ」

 

「スマイルゼロ円なんて言うけどさ、人の笑顔がただなんて、あまっちょろい幻想だと言わざるをえないね。逆に鬼いちゃんの恐怖にひきつったその情けない表情だって、僕には貴重品なのさ」

 

「ひきつってねーよ。内心怖いのは認めるけどそんなにありありと表情に出してねぇだろ」

 

「鬼いちゃんのビビり顔、10円」

 

「点数つけるみたいに言うなよ。ていうか安すぎるだろ、僕のビビり顔。いやビビり顔してないけどな」

 

「なんじゃ情けないのうお前様。夜の森くらいでビクつきおってからに、それでもこのワシの主様か」 

 

 そう言ってきたのは、いつのまにか僕を挟んでおののきちゃんの反対側をテクテクと歩いていた金髪幼女、元吸血鬼の忍野忍だった。

 暗い、いや黒い森の中では忍の金髪はライトに照らされてボウっと金色の燐光につつまれているようだった。

 

「お前までおののきちゃんとタッグ組んでんじゃねぇよ。これは人間の当り前の感情ってもんなんだよ」

 

「ところでお前様、ワシは腹が減ったんじゃが? 空腹なんじゃがの?」

 

「忍お前、どんだけ脈絡ねぇんだよ」

 

 しかも上から言ってきやがる。

 

「しかたないよ、鬼いちゃん。そいつは後期高齢者なんだから、空腹の判断つきかねるんだろうよ。めんどくさいから、さっさと影の中にしまっちゃったら?」

 

「おいお前、聞こえておるぞ。いっとくが今のワシのスペックは8歳児のそれじゃとゆうておるじゃろうが」

 

「ならなおさら役に立たないじゃないか。どだい一人で影の中にいるのが怖くて出てきちゃったってところかな」

 

「違うわ、全然違うわ。ワシもと怪異の王じゃぞ? こんな森が暗いだけで怖いわけないじゃろ。心外、ワシ完全に心外じゃわ」

 

「あ、熊だ」

 

「クワウッ!」

 

 おののきちゃんが忍の後ろを指さしてそういった瞬間、忍は飛び上がって振り向いた。

 いや、別に何もいないんだけど。

 

「ほらみてごらんよ。クワウッ、だってさ。大体クマでビビるって、ありえないよね。だってクマって、動物だよ。怪異ですらないよ。完全に一般ピーポーじゃないか」 

 

「ありえんくない? こいつマジありえんのじゃが。ワシはお前の命もしかたなーしについさきほど助けてやったばかりなんじゃが?」

 

「それはそれで感謝したじゃない。でもそれとこれとは別問題だよ。動物にビビる金髪幼女なんて、完全に護衛対象増えちゃってるよね。後期高齢者のおもりは僕の役目じゃないんだよなぁ」

 

「よし、殺す」

 

 忍はそういって、僕をみながらおののきちゃんを指さして小さな体でアゴをしゃくってみせた。

 

「やれ、お前様」

 

「いや、やらねーよ。ていうか僕じゃおののきちゃんにかなわないし。だいたい、今はそれどころじゃないだろ、静かにしておかないとあとで頭をなでてやらないぞ」

 

「なっ!?」

 

 忍は、大仰に驚いた様子で、2、3、歩のけぞると、絞り出すようにいった。

 

「くっ、仕方がない。命びろいしたようじゃな」

 

「はいはい、そりゃどうも」

 

 そのときだった、急に、急激に、あたりの湿気が増したのを僕の吸血鬼の皮膚が知覚した。

 ちょっと遅れて僕の鼻腔に血の臭いが充満した。

 次の瞬間、自警団の男が叫んだ。

 

「か、かまえろぉ!!」

 

 異常事態、しかし、それは樹魅のものではなかった。

 血の臭いのもとは、すぐにわかった。

 自警団の隊列の、先頭の男たち、その3人の上半身が、きれいにそろって消失していたのだ。

 3つの下半身から血が盛大に吹き出し、あたりに血の臭いを充満していた。

 

「なんだ!?」

 

 3人の上半身は、見渡しても、どこにも見当たらなかった。

 しかし、そのかわりに、森の先に明らかな異物を見て取ることができた。

 僕は、自警団の面々は、それにくぎ付けになった。

 

 それは、巨大な蛇だった、この森の巨大樹に、負けず劣らずの巨大な蛇、直径は8,10メートルはあろうかという異常な規格の大蛇だ。

 巨大樹の森の先から、1匹の巨大な蛇が大口を明けてしゅるるる、と僕たちをにらみつけていたのである。

 

 一斉に、自警団の面々は、しかしまばらに、剣を抜き放った。

 

 しかし、おかしい。

 自警団はおそらく、間違いなくそれぞれ結界をほどこしているハズだった。

 それは森に入る前に自警団の面々が結界を施す所作をしていたのを僕自身でも見ている。

 たとえ、巨大な蛇といえども、その咬撃で上半身を消失させられることになるわけがない。

 

 僕が問いたげな表情でおののきちゃんを見ると、おののきちゃんは目の前に人差し指をたてて言った。

 

「このタイミング、樹魅が放ったんだろうね。”祟り蛇”まで使役してるなんて、やってくれるよ」

 

「祟り蛇、あれも怪異か?」

 

「そうだよ。鬼のお兄ちゃん、でなければ自警団の6重積層結界をああも簡単に突破することはできない。先に言っておくけど、絶対に”祟り蛇”の目を見ないでね、アレは、それだけでパラライシスの効果があるからね」

 

「ああ、なるほどな」

 

 納得したような僕の声色に、おののきちゃんが少しだけこちらを見上げた。

 

「え、もしかして……」

 

「ごめんおののきちゃん、ぜんぜん体が動かない」

 

「あ、それワシも」

 

 僕と、そしてついでに忍も目の前の巨大な”祟り蛇”を見たまま、体が硬直し、まったく動けなくなっていた。

 僕たちだけじゃない、自警団の50人のうち、35人ほどが祟り蛇の、あの緑に鈍く光る瞳を直視してしまったらしく、直立のままかたまってしまっていた。

 

 僕たちが、動けず驚愕の表情にかたまっているままに、祟り蛇がかまわず動いた。

 

「シュルッ!」

 

 祟り蛇は短く音をさせて、その巨体に理屈がつかないような猛スピードで目の前の自警団5人を通過すると、動ける1人はそれをよけたが、残るパラライシスを受けた4人は全員祟り蛇に飲み込まれた。

 祟り蛇の巨体がうねり、その轟音が森の空気を揺さぶった。

 祟り蛇の口へと消えた自警団の男たちの血しぶきが森にまき散らされ、再び新鮮な血のニオイが鼻をついた。

 

 しかし、それだけだった。

 

 祟り蛇のパラライシスにかかった僕と忍を含めた自警団の過半数は、微動だにすることなくそれを見ているしかなかった。

 そのまま時間が経過すれば、全員がああなる。

 

「仕方ないなぁ、鬼いちゃんは」

 

 その光景を見ながら、おののきちゃんは無表情に言った。

 

「じゃぁそこで見ていてよ、かわいい僕が戦う姿をさ」

 

 そういっておののきちゃんは目の前で自警団を食い続ける祟り蛇へと走って行った。

 その数瞬前に、祟り蛇の咬撃をかわした自警団の男が雄叫びを上げた。

 

「ぜああああっ!!」

 

 男は叫ぶと、自分の身長の何倍もある祟り蛇の巨体へと両手で持った刀剣をたたきつけた。

 

 ビシュッっと音がして、祟り蛇の巨体に刀剣が埋まり、浅黒い血液が飛び散る。

 その瞬間、刀剣が埋まった祟り蛇の傷口から、その傷口の大きさの新たな蛇が這い出してきて、その傷を埋めたかと思うと、そのままその蛇は祟り蛇を斬った男に失踪し、その首から上を消失させた。

 男は首を消失させ、血を撒きながら森の地面へと倒れこんだ。

 

「なんだ!?」

 

 祟り蛇の巨体から新たに蛇の頭が出現した。

 その光景を見て、動ける別の男が叫び声をあげた。

 

「祟り蛇にあんな能力は聞いたことがない!!」

 

「ジアアアアッ!!」

 

 祟り蛇のうなり声とともに、男のその叫び声が終わる間に、また5人自警団の男たちが直径8M以上もある祟り蛇に呑まれた。

 僕は地面にそのまま飲み込まれそうなくらくらする、気絶寸前のようにショックに打ちのめされていた。

 それは僕や忍の数瞬後の姿だ。

 

「”アンリミテッド・ルールブック”」

 

 いつのまにか、祟り蛇の巨体の、さらに上空に滞空していたおののきちゃんの小さな身体から、右手ひとさし指が爆発するように巨大化し、すさまじい速度で空気を震わせながら祟り蛇の巨体へと疾走した。

 

 ブシュッ!! と水が爆発するような音が響いて、祟り蛇の巨体がおののきちゃんの巨大なひとさしゆび分、どでかい風穴を開けた。

 

 が、さきほどと同じことが起こった。

 

 おののきちゃんが開けた風穴から、再び巨大な蛇の群れがはいだしてきて、傷を埋め、上空のおののきちゃんへと殺到した。

 

 巨大な蛇の群れがおののきちゃんに迫った。

 そのおののきちゃんはというと、やはり顔色ひとつ変えず、小さくつぶやいた。

 

「”アンリミテッド・ルールブック・離脱版”」

 

 言った瞬間、おののきちゃんの左腕全体がグンと伸び、はるか遠くの巨木におののきちゃんの左手の五指が突き刺さると、そのまま左腕をちじませておののきちゃんの小さな身体が森の上空部を疾走し、殺到する蛇の群れをかわした。

 そのままおののきちゃんは僕の隣に着地した。

 

「ふう、どうだった? 僕の戦いぶり」

 

「え、いや、すごかったけど、でもさ」

 

 そういって再び目の前に意識を戻す。

 

 今や蛇の巨体から何本も巨大な蛇の体を生やした祟り蛇が、動ける人動けない人かまわず食いまくっていた。

 あたりに断末魔の悲鳴が響き渡っている。

 

 血の臭いと、悲鳴と、絶望が満ち満ちている。

 

「おかしいなぁ」

 

 その様子を見ながらおののきちゃんがつぶやく。

 

「祟り蛇は大物の怪異だけど、それでもあんな、まるで不死みたいな再生力ないはずなんだけど。再生どころか、新しい頭を生やしてくるなんて、あんなの、このボクでも聞いたことがない」

 

 すると、前方で祟り蛇のパラライシスでかたまっている自警団の男がいった。

 

「おい、あの蛇、ハーレンホールドの大霊脈と同期してやがるぞ。おかしいじゃないか。そんなことできるのは、”レオニードの鍵”を持ってるやつだけのはずだ!」

 

 言って、その男も祟り蛇の巨大なアギトに呑まれた。

 

「こ、こんなの……」

 

 パラライシスになんとか口だけ動かしてつぶやいた。

 こんなの、どうすりゃいいんだよ。

 

 動けないし、いや、動けても。不死で、一撃必殺のアギトを持つ何又にも頭を生やした祟り蛇を、どうにかできるのか?

 

 祟り蛇が出現してから1分とちょっとで、すでに自警団の半数は絶命し、動ける人間は5名ほどしか残っていなかった。 

 

 悲鳴がとどろき、血煙で満たされた森に、祟り蛇の複数の頭から発せられる地鳴りのような鳴き声が響き渡る。

 

 そのとき、ちょうどかたまっている僕のななめ前くらいに、ドンッ! ドンッ! ドンッ! と、三つの落下音が響いた。

 

 それは三人の人間だった。

 そしてその中の一人には見覚えがある。僕の横に着地した一人は、あの”山犬部隊”の第二席”豪胆”サー・バリスタン・セルミーだった。

 

 その深いシワが刻み込まれた表情が、次に口を開いた。

 

「オーンッ!!」

 

 心臓をつかまれるような、”豪胆”の叫び声が空気を轟かせて巨木の森にひびいた。

 瞬間、自警団や僕たちにかけられていた祟り蛇のパラライシスがとけ、僕は糸が切れるようにその森の地面に尻餅をつくように座り込んだ。

 

 パラライシスがとけた。

 僕が見上げると、すでに”豪胆”やもう一人の人間が刀剣を抜き放っており、残るもう一人は両手を軽く持ち上げている。

 

「皆はここを離れてよい。わたしたちでやる」

 

 ”豪胆”が静かな、しかしどこまでも響くような声で言った。

 自警団の面々が、はじかれたように今まで来た道を引き返し始める。

 僕はあわてて叫んだ。

 

「気を付けてください。あの”祟り蛇”は不死性を持っています!」

 

 僕が叫んだのと同時に、祟り蛇の巨体が”豪胆”に殺到した。

 

 豪胆は目に見えない右手の剣撃で目の前の祟り蛇の巨体を縦に裂くと、その縦に裂いた傷口から、新たな祟り蛇のアギトが出現し”豪胆”にせまった。

 

「ヌン!!」

 

 ”豪胆”が剣を持たない左手をその祟り蛇の頭に向けると、瞬間に祟り蛇の頭がはじけとんだ。

 それはもう、粉々に吹き飛んだ。

 しかし、その根元からいくつもの蛇の頭が出現し、”豪胆”を襲った。

 

 しかし、さきほどまで”豪胆”がいた場所にはすでに誰もいなくなっており、10Mほど離れた場所に”豪胆”が立っているのを遅れて発見した。

 

「鬼のお兄ちゃん、僕たちも退くよ」

 

「いや、でも!!」

 

 来た道を戻ろうとするおののきちゃんに叫ぶ。

 

「祟り蛇がいるんじゃ、樹魅を追うことができない。そしてあの人たちが祟り蛇を、少なくとも追い払えなければ、このハーレンホールドの誰にもそれはできないだろう。山犬部隊の”豪胆”それに、山犬部隊首席、”白犬”ダンドリオン・ランドール」

 

 おののきちゃんが言った先の、人間は、掲げた両手に、何か白く輝く霧のようなものをまとわせていた。

 それはまるで両腕のまわりで巨大な手のようになり、”白犬”がその巨大な白い霧の右腕を振りかぶって突き出すと、爆発するような超スピードで伸びた巨腕が遠方の祟り蛇の巨大な横腹をとらえ、そのままのスピードで森の奥へと吹き飛ばした。

 

 そして僕が気が付いたときには、”山犬”部隊の三人はすでに姿を消していた。

 おそらく、森の奥に吹き飛ばした祟り蛇を追ったに違いなかった。

 

「退くよ、鬼いちゃん。あの規模の戦闘に割り込んでも、邪魔になるだけだよ。なんだっけな、”白犬”のあの技、絶対停止の塵アクタ”ダイヤモンド・ダスト”っていったっけ」

 

「ああ、わかったよ。仕方がないのは僕にものみこめた」

 

 もし僕たちが追っても、邪魔だといって僕たちが先に殺されてしまう可能性すらありえそうだった。

 僕とおののきちゃんと忍は、そのまま森を引き返し、最初にこの街で使っていた、高層ビルのホテルへと向かったのだった。

 

 

 

 #

 

 

 

「鬼のお兄ちゃん」

 

 おののきちゃんの呼び声が聞こえたのは、それからしばらくしたあとだった。

 ベッドルームで眠れぬまま横になる僕に、おののきちゃんがあのだだっぴろいリビングルームから姿を現したのだった。

 

「大丈夫かい? 今夜は眠れそう?」

 

「悪いな気を回させちゃって。でも、ちょっと眠れないかもしれない」

 

「だと思ったよ。あれだけのことのあとでスピスピ安眠されたら、そりゃもうよっぽどのコアラだと思うしかないよ」

 

「コアラなんだ……」

 

「仕方がないなぁ、鬼いちゃんは。あんまり仕方がないから、今日は僕が一緒に寝てあげるよ。あと寝れるようにちょっとした呪いを使ってあげようじゃないか。かわいい僕の、よく効くまじないをね」

 

「そりゃ、なんか至れり尽くせりだな」

 

 あ、でも一緒に寝たりしたらあとあとまずいかな。

 悩む僕に、おののきちゃんが続けていった。

 

「どうやら、”山犬部隊”が祟り蛇を、一時的にでも追い払うことに成功したらしいよ。樹魅は未だラインを越えてないから北西の森のどこかに潜伏してるって話だよ。何が目的かわからないけどね。それで自警団は、自警団本部ビルに残されてた樹魅の痕跡で、樹魅を呪殺することに決めたんだよね」

 

「呪殺? できるのか? そんなことが」

 

 呪殺。殺すことが、できるのか? あの怪異を。

 

「”レオニードの鍵”を使えば、このハーレンホールド内なら誰でも呪殺することができる。それくらいとんで

 

もない霊紋なんだよね、あれは。殺せないのは同じくレオニードの鍵を持ってるやつくらいさ」

 

 僕はゴクリとのどを震わせて続きを待った。

 あの祟り蛇が脳裏をよぎる、不死の祟り蛇。

 

「まぁ、結果は見事に呪詛返しされちゃったみたいだよ。呪殺を行ってた自警団の呪術師は、10人全員その場で即死だったらしい」

 

「じゃぁ、もしかして……」

 

 おののきちゃんは、やはり、無表情のままで、コクリとうなずいていった。

 

「うん。たぶん、鬼のお兄ちゃんのご案内のとおりだよ。”樹魅”はどうやら”レオニードの鍵”を持ってるようだよ。かなりおかしな話だけどね、事前の報告ではレオニードの鍵は絶対に流出してないはずなんだけどな」


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