ポケットでモンスターな世界にて   作:生姜

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―― BW(ひとつの結末)編
□0.ジャイアントホール ー 2006/Black or White


 

 

 

 ポケモン図鑑を貰って旅をする。

 それは少年少女にとっての通過儀礼であり、憧れだ。

 研究が進み、ポケモンリーグが分散した今でも、例えカントーから遠く離れた異国の地方であっても。

 図鑑を貰ってポケモンと旅をすることそれ自体が、色褪せることのない、紛う事なき「憧れ」なのである。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……だから、これは「夢」だ。

 

 世界が、世界の持つあらゆる光景が、燃え盛っていた。

 兵器によって空へ放たれた人工の光が業火に変わり、人々とポケモン達を追い立てる。

 巨躯を縮込め許しを請う男に向けて、花弁を携えたポケモンは悲しげにさよならを告げた。

 これは何百年も昔、とうに過ぎ去った景色 ―― の、はずだった。

 

 少女が1人、使命を帯びて南の地を旅立った。

 宇宙の果てから、まるで意志を持つかのように、とある惑星めがけて飛来する何がしか。

 目指すのは果たして、ポケモンだけが住まう世界か。約束を果たすべく力を溜める、仲裁の緑竜が佇む世界か。

 この世にやがて降り注ぐ未曽有の災害を防ぐため ―― そう、防ぐために。

 

 空に大きな穴が開いている。

 その先には恐らく別の世界が広がっていて、見た事のない生物達が蔓延っていて。

 生物たちは穴から飛び出した。島の人々は立ち向かった。とある母娘の確執を背景に。

 その生物たちがポケモンと呼ばれるものであるのかも確かめずに ―― 多分、そう、確かめるために。

 

 ありえた未来で。ありえた過去で。

 かつて、望む世界を引き寄せようと願い、行動を重ねた少年と少女が居た。

 

 世界は、巡り巡ったその末に、とある道筋の分岐を強いた。

 実質の選択の余地のないそれは、苦渋の……とまでは言わずとも、少年らのそれまでの努力の一部を無為にするものであった。

 少年は決断した。それから少年は、表舞台からよくよく姿を眩ませるようになってゆく。

 かつては社会的な地位もまあまああったが、5年もそんなことを続けていれば、名前と立場が薄れるのも仕方のない事。

 

 そうして誰かが忘れられた世界、舞台はイッシュ地方。

 西暦2006年。

 プラズマ団による「イッシュリーグ制圧事件」が起きた ―― 翌年。

 プラズマ団によって「都市氷結事件」が引き起こされる ―― 前年。

 

 その、プロローグの一幕。

 

 

 

 

 ΘΘ

 

 

 

 

「―― ンバーニンガガッ」

 

「ああ。そうだね、レシラム」

 

 

 僕と僕のポケモンであるレシラムは、雲の上から地上を見下ろしていた。

 望遠鏡を通した眼下には、プラズマ団の残党が作り上げた巨大な基地が広がっている。

 カゴメシティの郊外にぽつりと開かれた窪地 ―― 「ジャイアントホール」。

 崖や台地にカモフラージュされたこの地には、ひっそりと建設された基地がある。これが実の所、イッシュ全土をもカバーする情報収集能力をもつ施設であるらしい。

 ……いや。この場合は「基地が」じゃないか。主語が違う。プラズマ団という「組織が」、そんな強大な力を有しているのだ。

 

 プラズマ団。

 

 かつてはNという青年を首魁に仕立て上げ、イッシュ地方におけるポケモンの解放とやらを目指していた、言葉通りに怪しい集団。

 事件に直接関わった()は、かつてイッシュを混乱に陥れたその事件の顛末だけでなく、真相をも知っている。Nという少年を祭り上げたのは、イッシュに伝わる建国神話になぞらえた余興であり……実の所は、Nの父を名乗るゲーチスという男が画策した地方征服の手段の1つに過ぎなかったのだ。

 結果として、その襲撃は退けることが出来たのだけれど、こうしてプラズマ団の残党は今も活動を続けているのだから……懲りないものだなと呆れもする。

 事件を通して仲間に加わったこのレシラムも、建国神話に語られるような伝説のポケモンではあるのだけれど、どうにも気を使われるのは苦手らしい。こうして気軽に、空を飛ぶために繰り出すくらいが、レシラムにとっても僕にとっても丁度いい塩梅みたいだ。

 僕もレシラムも、空を飛ぶことは嫌いじゃない。こうしてプラズマ団を追うために、っていうんじゃなければ、猶更良いんだけれどね。

 

 

「シュボッ」

「そうだね。相手も動いた。……気が付かれたか?」

 

 

 レシラムの問いかけに、僕は頷く。僕とレシラムは基地からかなり距離を置いているのだが、プラズマ団の基地に動きが見られていた。

 一応言っておくと、僕はNの様にポケモンの言葉が判るわけじゃない。でも、ポケモンは高度なコミュニケーション能力を持っている。仕草や目線、表情なんかで伝わるものはとても多い。僕とレシラムの様に、数年来の付き合いになっていれば、猶更だ。

 ……ポケモンのコミュニケーション能力云々という話は、事件終了後に師事した僕の師匠の受け売りなのだけれども、まぁ、良いと思う。あの人ならばむしろ喜んで引用させてくれるに違いない。

 逆説的な考えを後付に、僕はレシラムに向かって行動の指示を出す。

 レシラムが尻尾の炎を抑えながら旋回すると、いよいよ地上があわただしくなる。同行している工作員さん達が光学機器や観測系にジャミングをかけてくれているから、団員の幾人かが、直接肉眼でこちらを確認しようとしているのだろう。

 隠しているという事は、隠すべき何かがあるはずなのだから、確かめようとするのは当然として ――

 

 ―― !?

 

 突如、違和感を感じて、僕は雲の上から空を見上げた。

 レシラムも空気の変化を感じ取り、空中にその巨体を縫いとめる。

 

 すくい上げた僕の手のひらで、小さな白いものがはらりと解ける。

 

 

「……これは、雪?」

「シュボボッ」

 

 

 確かに雪だ。イッシュ地方には四季がある。だから冬であれば、雲の下の出来事であれば、いつも通りのことだとスルー出来ていただろう。

 けど……今は残念ながら、夏だったりする。

 

 

「真夏の、雪……?」

 

 

 小さくつぶやきながら、僕は(新入りだけれど)国際警察としての頭を働かせる。

 理由と経過はともかく、有力な答えはすぐに出た。気象を変動させるほどの不思議な力を持つのは、多くの場合、人間ではなくポケモンだ。

 だとすれば何のポケモンが。何の力を使って。

 ……そのポケモンに、指示を出すトレーナーが居るとすれば。

 

 

「モ゛ェルルゥ」

「……! 来るんだね、レシラム。……良し。臨戦態勢っ」

 

 

 考えているうちに、どうやら元凶が接近してきたらしい。

 僕が指示を出すのと同時に、レシラムの身体に炎が灯る。毛並みが陽炎のように揺れ、ぶわりと波立ち、尻尾が灼熱のエネルギーを溢れんばかりに輝かす。

 

 戦闘態勢を整えた僕らの、視線の先。

 地平線の先から、高速で飛来したのは ―― 2本ずつの腕と足と翼を持つ、黒。冷え冷えとしたポケモンだった。

 視認できる範囲からさらに一歩を踏み入った辺りで、そのポケモンは飛行を停止した。

 僕はそのポケモンへ、ポケモンの背に見える小さな影へ目を凝らす。

 

「(……あれは……ポケモンのトレーナー、か?)」

 

 珍妙な格好をした少女だ。

 少女だと認識できるのは、ひらひらとしたロングスカートやふわふわの長髪が風に舞っているからで、遠目に表情までは窺えない。

 割行ってきた間をみるに、おそらく敵だと思うけど……彼女を敵だと決めつけるのは、早計だろうか?

 迷った末、僕は可能な限りの大声で少女に向かって問いかける。

 

 

「―― 君たちは、何者だ!」

「……」

 

 

 当たり前だけど返答はない。

 とはいえこのポケモンの登場と同時に、周辺の温度が目に見えて低下し始めている。ダイヤモンドダストが舞っているほどだ。

 風が強い。雪はレシラムの周囲で溶解して水滴となり、僕に降りかかる。

 レシラムの警戒のしようからも、相手のポケモンが強大な力を持っているのは間違いない。僕の「何者だ」っていう聞き方も、ぼんやりとしていて悪かったけれど……それだけに返答はし易かったはず。近づいてきたからには相手にも目的があるはずなのだけど。

 

 

「――。―― て」

 

 

 やや間をおいて、背に乗った少女の唇が小さく動く。ただ、声は熱と風に遮られて届かない。

 

 

「? 聞こえないぞっ」

 

 

 僕が再度問いかけると、俯きがちだった少女がふいと顔を上げる。

 視線がかち合う。特徴的な服装に隠されていた表情は、というか目鼻立ちが整っている……じゃなくて。

 その特徴的な服装は、世間ではゴスロリと呼ばれているものらしいと後から調べて知った……でもなくて。

 今度は、口元がはっきりと読み取れる。

 

 

「……今は、まだ。ここから去って」

 

 

 やばい。

 ただ、そう思った時には既に、レシラムが動き始めてくれていた。

 

 振り上げられた腕に呼応して、痺れるような稲妻をまとった冷気が殺到し ―― レシラムの吐き出した「あおいほのお」と拮抗する。

 

 ごうっというマンガみたいな音が炸裂する。

 そのまま、ポケモン同士が出したエネルギーが、四散した。

 

 破裂した余波、豪風を腕で遮りながら考える。

 やっぱりまずいぞ。チャージ不十分の急ごしらえだったとはいえ、レシラム最大の炎技である「あおいほのお」と拮抗するほどの「パワー」と「範囲」。だとすれば相手も、少なくとも攻撃に関しては伝説クラスのポケモンだ。

 相手のポケモンは余熱を破棄するかのように、尻尾に青いエネルギーを漲らせていた。あれは……よく似ているぞ。かつてNのパートナーだった伝説のポケモン、ゼクロムに。

 しかし、相手のポケモンはゼクロムじゃあない。顔や腕など、ところどころに面影はあれど……意志のない空っぽの瞳は、Nと共に在るべく全力を尽くしたあの瞳には、似ても似つかないものだ。

 

 

「君は ―― イッシュ地方に害成すものか! それとも!」

 

 

 僕は少女の顔をしっかりと捉えながら、声を張り上げる。

 レシラムは次弾を用意してくれている。こんどこそ全力全開の「あおいほのお」を口元にくゆらせる。

 そんな警戒心を顕にした此方へ向かって、寡黙そうな表情とは裏腹に、少女は言葉を投げかけた。

 

 

「……プラズマ団に、与するつもりは。本来はないのだけれどね。とはいえ今は……」

 

 

 それは果たして、僕の問いかけに対する答えになっていたのだろうか。

 判らない。判らない……が、その後に続いた少女の言葉に、僕は、自身が再び大きなうねりの中に放り込まれていることを悟った。

 悟らざるを、えなかった。

 

 

「強引にでも動かす必要があるのよ ―― 世界を」

 

 

 少女の言葉に呼応し、ゼクロムの面影を残すポケモンが嘶いた。

 レシラムの炎も止む無く。

 空間が閉じる。時間が止まる。

 凍える世界の果てに全ては凍てつき、その動きを封じられる。

 

 

 

 

 

 

 ポケモンリーグにおける公式な記録として。

 西暦2006年の夏。

 史上20人目のリーグチャンピオン資格を保持した少年 ―― イッシュリーグを襲ったプラズマ団を追い払った若き英雄 ―― ミシロタウンのトウヤは、ここで足跡不明になったとされている。

 

 


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